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2006年7月10日 (月)

刑法と労働法

>刑法には「人を殺してはいけない」とは書かれていない

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060708/p2

と、博物士さんは仰るわけですが、もちろん博物士さんご専門の労働法の世界では、各条ごとに「してはならない」のオンパレードです。労働基準法第3条以下を参照のこと。これは、労働法を作る人間がバカ揃いで、「個々人の行動を国家が直接に制御することは難しいから」「間接的ながら不利益を用意しておくことで,ある行動に出ることを思いとどまらせよう」という高等戦術を理解できていないから・・・というわけでは必ずしもありません。

刑法くらいハイレベルであれば、「そこで示された価値判断に異議を唱える人は少数だから」、「殺してはいけない」などと書かなくてもいいのですが、労働法のように「「そもそも論」のレヴェルで価値観が対立している場面において」は、「法律を持ち出してみても,あまり意味が無い」どころか、むしろ法律の条文上で価値判断を鮮明にしておかなければならない、というのが、こういう規定の仕方の違いの背景事情と考えるべきでしょう。

たまたま話がホワイトカラーエグゼンプションになっているので、それを見ても、まず第32条で「・・・労働させてはならない」と断言していますね。これの罰則が119条第1号(6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金)。これの刑罰免除のための規定が第36条というのはご承知の通り。これが日本国労働基準法というものの中核構造であって、それ以外は、まあ、はっきり言っておまけです。残業手当の第37条というのは、間接的ながら不利益を用意しておくことで,ある行動に出ることを思いとどまらせよう」という高等戦術ではありますが、あくまでも「個々人の行動を国家が直接に制御する」32,36条のおまけに過ぎない(このおまけにもご丁寧に罰則がついていますが)。ここが、キャラメル本体がなくって、そのおまけしかないアメリカ合衆国公正労働基準法との違いです。

このキャラメルとおまけを取り違えているのが現在のホワエグ論議の迷走のそもそもの原因なのですが、それはともかく、刑法というのは、本来書かないと国民に分からないはずの価値判断規定を省略してもいいという特殊な法律と考えた方がいいのではないでしょうか。

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コメント

>「そこで示された価値判断に異議を唱える>人は少数だから」、「殺してはいけない」
刑法も???の価値のお仕着せが中心
では。何で売春したらあかんのよ。な
訳ないだろ

と思う訳です。ただ、法律の意図を
どこかに併記するのはいいんじゃな
いかと。状況の変化により意図から
外れてしまった場合に改正を促す契
機として

価値のお仕着せはいらないが、意図
の表現はあっていい。

こまごました役人のでっち上げた法律なんかじゃなくて、刑法典にでーーんと規定されること自体に、こんなことしちゃいけないのは当然だろ、当然すぎていまさら説明するまでもないだろ、という立法者の価値判断がずしりと腰を据えているわけで。
だからこそ、174条、175条はどこが悪いんや、なんでこれを176条や177条と一緒の章に入れるんや、という異議も出てくるわけで。

ただですね、若干ご指摘申し上げておきますと、刑法典に売春罪というのはないんですよ。刑法制定時(明治40年)には、売春があかんなどと言う価値意識は存在しなかったので。
昭和31年制定の売春防止法には「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」(第3条)という価値判断規定があって、そのうちの一部(勧誘、周旋等)を刑罰の対象としています。
世間の価値意識と違う立法をしようとするものだから、敢えて売春はいけないことなんだよ、と法律上で明示しているわけです。

も一つ逆の例を挙げると、平成11年の児童買春・児童ポルノ法ですが、児童買春・児童ポルノの定義規定は細かにされていますが、そういうことをしてはいけませんよという規定はなくて、いきなり「児童買春をした者は、3年以下の懲役又は100万円以下の罰金」ときます。てめえら、それが悪いことくらい分かるだろう、という気持ちが出ているわけですね。

レス、どうもありがとうございます。

悪いことそのものを言葉で明示する
ことはできない、と思うのですね。
できることは「悪い可能性が高い」
ことを明示するだけで。ある行為が
悪い可能性が高ければ予防策として
法律で規定する、ということをする
とき「それが悪い可能性が高い」と
考えた立法者(=当時の国民?)の
主観的な根拠はどのようなものかと
いうことが分かるといい面もあるの
かな、と思います。

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