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2006年7月21日 (金)

法政策としての靖国問題

いや、別にヒートアップした論争に加わろうなどという気はありません。ただ、法政策として見たときに教訓になることがあるように思われるので、その点だけ。

言うまでもなく、靖国神社は戦前は陸海軍管下の別格官幣社で、内務省管下の一般の神社とは異なり事実上軍の組織の一環でした。敗戦後、GHQの神道指令で、国の機関たる神社は国から引き離されて宗教法人になったわけですが、このとき靖国神社は神社であることを止めて国の機関として残ることもあり得たのですが、結局そうならなかったわけです。これが第一のボタンの掛け違えですね。このとき陸海軍の機関として残って居れば、第一復員省、第二復員省を経て、厚生省援護局の機関となり、恐らく今頃は厚生労働省社会・援護局所管の独立行政法人靖国慰霊堂という風になっていたと思われますが、その道を選ばなかった。

次は独立後の50年代、このころ靖国神社を国の機関にしようという動きがあり、自民党から靖国○社法案、社会党から靖国平和堂法案が提起されています。政教分離を意識して神社といわないのですが、このころは社会党も戦没者の慰霊を国がやることには否定的でなかったことが分かります。「平和堂」というところが社会党的ですが、客観的に言えば一番まともな案だったかも知れません。

一番実現に近づいたのは、60年代後半から70年代初めにかけて、自民党から5回も靖国神社法案が提出され、最後は衆議院を通過しながら参議院で廃案になった時期です。神社でありながら特殊法人といういかにも憲法上筋の悪い法案ではありましたが、しかしこれを潰してしまった結果、今のような事態に立ち至ってしまったことを考えると、まことに惜しいことをしたと言えましょう。そりゃ、とんでもない法案だったかも知れないけれど、有は無に優るのでね。こうやって靖国神社を政府のコントロールの利かない一宗教法人のまま野放しにしてしまったために、いささか問題のある方々を勝手に合祀したりして、かえって問題をこじらせてしまったわけです。特殊法人の長だったら監督官庁の許可を得ずに勝手にそんなことできません。

まあ、ここまで来たら今さらどういっても仕方がないですし、よそ様の分野に何をどうすべきだというようなことを言うつもりもないのですが、これは他の分野の法政策にもいい教訓となるように思われます。そんな悪法だったら要らない!なあんて、あまりうかつに言わない方がいいですよ。ほんとに潰れてしまったら、事態はもっと悪くなるかも知れないんですからね。え?何の話?何の話しでしょう。

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コメント

ついでに、

いわゆるA級戦犯と呼ばれる人々を合祀したのは、厚生省から祭神名票が送られたから粛々とやったまでという説明がありますが、もし靖国神社が当時厚生省管下の特殊法人で、箸の上げ下ろしまですべて援護局の木っ端役人の指示通りにやっていたのであれば、合祀の責任は挙げて援護局の担当官、課長、局長、次官、厚生大臣といった系列にあるわけだし、官邸に相談した上でやっていたのであれば首相の政治責任ということになります。
そうでなかったからこういう問題になっているわけであって、一国の政治指導者だった者をどう評価するかという問題を、単に軍人恩給の対象者をどうするかというカネ勘定の担当官に過ぎなかった者の責任に転嫁するのは如何なものかと。。。

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