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« 法政策としての靖国問題 | トップページ | 仕事と生活の調和推進基本法案 »

2006年7月21日 (金)

日本的経営の再評価

18日のエントリーで、今年の経済財政白書がいままでの「改革なくして成長なし」路線を切り替えて、日本的経営の再評価や格差問題の重視に向かってきているといいましたが、そのバックグラウンドレポートとでもいえるディスカッションペーパーが内閣府のHPに掲載されています。

http://www5.cao.go.jp/keizai3/discussion-paper/dp063.pdf

曰く、「従業員重視といった日本的経営の特徴をもった企業とROAといった資本効率の間には正の相関がみられ、企業の資本効率の高さと従業員重視の姿勢が両立している可能性が示されている。・・・やはり、それなりに従業員重視の企業ではうまく経営が行われていると考えられる。・・・日本的経営の大きな特色である従業員重視という特徴は企業パフォーマンス上も大きな鍵となっていると考えられる」だそうな。

大変結構ですが、改革しちゃった企業や改革されちゃった労働者は誰に苦情を言いに行けばいいんでしょうかね。言うだけの役所は楽ですよね。

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コメント

 高校で,キャリア教育に携わっているも者です。昨日のNHKの夜9時からの番組で「ワーキング・プアー」という人たちの話が特集されていました。その中で,東北地方出身の34歳の男性がとり上げられていました。高卒時,事務職を希望していたのに,求人がなく,警備会社に契約社員(?)で入社し,その後,転々と職を渡り歩き,単純作業だけで,職業人としての能力を向上させることができずに,遂に,ホームレスになっている・・・・・という話でした。本人は,働く意欲があるのに,なかなか職業に就くことができません。
 私が関わった生徒たちも,同じような境遇にあるかもしれないと思うと辛いものがあります。
 日本は,もう少し労働者側に立った政策変更が,できないものでしょうか。

キャリアの形成に関する情報が、
社会の共有資産レベルとしては
不足してるので充実させようと
いうこと?

学校でキャリア教育を担当して
いる方も、情報をあまり持って
いないと…

sumioさん、わたしは残念ながら日曜夜は別用があり、その番組は見ていないのですが、街の噂によると、財務省出身の村尾某とかいう改革万歳主義者が出てきて、こんなんで改革を止めてはいかんとかぶってたそうですね。
社会システム設計としては、上から下まで頑張る気持ちを極大化するような適度な格差はどれくらいかを考えるのが重要だという話になるのですが、こういう改革絶対主義者の姿を見てると、問題はそれ以前のような気がしてきます。
恐らくこういう人は、たまたま高卒時に常用就職できなかったために、単純労働を繰り返して挙げ句の果てにホームレスになるという人生が、自分ももしかしたらそうなってしまっていたかも知れないもう一つの自分の姿だというような感覚は、爪の垢ほどもないんでしょう。
いい意味でのエリート主義とは異なる、こういう鼻持ちならない貴族主義者が霞ヶ関族の中にも結構繁殖してきているというのは不愉快なものです。

ご返事有難うございます。

<財務省出身の村尾某とかいう改革万歳主<義者が出てきて、こんなんで改革を止め<てはいかんとかぶってたそうですね。

 この方も,番組後半の教育に関わる箇所では,いわゆる「差別の再生産」は,絶対だめと,コメントはされていましたが・・・・

<社会システム設計としては、上から下ま<で頑張る気持ちを極大化するような適度<な格差はどれくらいかを考えるのが重要だという話

 私は,結果平等主義ではありませんので,成功者の人たちをねたみ足を引っ張るような社会はかえって活力がなくなり,結果として,社会の中下層の人たちにとってもよくないことは理解しているつもりです。「適度な格差」というものを研究者の人たちに,最適なものを提言していただきたいと思います。

<私は,恐らくこういう人は、たまたま高<卒時に常用就職できなかったために、単<純労働を繰り返して挙げ句の果てにホー<ムレスになるという人生が、自分ももし<かしたらそうなってしまっていたかも知<れないもう一つの自分の姿だというよう<な感覚

 真のエリートと言われる人たちこそ,このような考え方をしてほしいと思います。ロールズの「第二原理(社会的・経済的な不平等が正当化される条件)」を無理やり押し付ける気持ちもありませんが,豊かな想像力を政策立案者の人たちにはもってもらいたいと思います。

 目の前の高校生たちに,労働者の権利について指導するとともに,何らかの職業人としての基礎的能力を指導することを続けていくしかありません。「職業選択の自由」を保障するために,普通教育が長くなり,今学習していることの意義を見出すことが難しくなっている高校生たちに,内容や教え方を工夫することによって,少しでも意欲を高めていくしかないと思っています。


『今学習していることの意義』
あるいは『今このような仕事を
する意義』といったキャリアの
形成に関する情報、もしくは、
実感が不足してるんでしょう。
私自身も、そんな情報はあまり
有していない訳ですが…

>長期雇用制度、年功賃金制度及び企業
>別組合は、すべてこの職務のない雇用
>契約という本質からそのコロラリーと
>して導き出されます

>(4) 新たな課題
>非正規労働者の労務管理は以上と全く
>逆になります。
>企業が教育訓練を行うということも
>(ごく基礎的なものを除けば)ほとんど
>ありません

公理系の定理として「日本では企業内
教育を通じてキャリア形成を行うのが
通常で、メンバーシップから外れると
キャリア形成において困難を抱えがち
だ」ということになりますね

とすれば「公理系」を変えるインセン
ティブを与えるのがよいのではないで
しょうか。例えば、今までの公理系で
動いている労働関係には税金を課して、
そうではない職務に基づく雇用関係を
公的に優遇すること。法律や税制等で

今まではむしろ政策は逆のことをやり、
「公理系をわざわざ強化」してきた。
そしてまた、公理系の中にいる多くの
人々がそういった政策を支持してきた。
ところが、現在のように新たな課題が
浮かび上がってきたところでも、公理
系の中にいる人々は、公理系を変える
べくインセンティブを与える政策には
反対で、むしろ公理系を強化する方の
政策を支持する人が多いのではないで
しょうか?だとすれば、政治的に大変
難しいことだということでもあります。
例えば、退職金のようなものに多くの
税金を掛け、一方で、その都度の賃金
払いは優遇するといった政策は恐らく
政治的反対を強く受けそうです

夫馬さんへ
<『今学習していることの意義』
<あるいは『今このような仕事を
<する意義』といったキャリアの
<形成に関する情報、もしくは、
<実感が不足してるんでしょう。

 そのとおりだと思います。
 事例を二つ。
 中学校長(談)
 私の中学校の卒業生で,失業して,奥さんに代わって主夫しているのがいて,「後輩の中学生に勉強しろよ!と話してくれないか」と言うと,「やるやる,今なら勉強の大事さ,頑張っておくことの大事さが分かっている」と引き受けてくれた・・・・・
 高校教諭(談)
 職業人を招いてのキャリア教育の授業で,いつも寝ているばかりの生徒が,工場で働いている人に,一喝され,その後はめずらしく聞いていた・・・・・

 (いずれも学校現場の教員としては,非力を感じさせ辛いものですが)

 「実感が不足している」そのとおりです。苅谷剛彦さんの分析で,学習から降りている生徒ほど自己肯定感が高いという分析報告がありますが,生徒と向き合っている者として,その分析は合っていると思います。しかし,その自己肯定感は,決して実感を伴うような深い強いものではないように思います。先の中学卒業生も,生徒時は,自己肯定感は低くなかったと思います。

 「トライ アンド エラー」しても,再度トライできる制度,職業人としての能力を向上させる制度の充実すら不十分の時に,「実感」できないため,最初のトライもしないままになっている生徒たちに,「情報」を提供し,「実感」してもらうことが,キャリア教育を担当している者たちの願いであると思います。

「ふ」さん、
「公理系を変えればいい」というのが、ここ十年来はやってきた改革派の言い分で、その成果が碌でもないからこそ、もう一度考え直さなければいけないわけですよ。最後のところで「労務管理の全般に目配りした議論が求められます」と言っているのは、そういう含意があります。
続く第2章では、この公理系が20世紀の100年をかけて、経営者、国家、労働者の3者がそれぞれにインプットしてきた結果であることを説明します(専門家向けに言えば、アンドリュー・ゴードンの本のちょっとひねった要約です)。それ故に、歴史を弁えない薄っぺらな改革論は必ず尻餅をつくのです。
非正規労働の問題は、メンバーシップを否定してjobに徹すれば解決するなどというものではないでしょう。それは正規労働者を引きずり下ろしてみんなを非正規にすれば平等だという論理に過ぎません。学校から仕事への移行がより職業レリバントな形で行われるような仕組みを考えなければならないのです。

>「公理系を変えればいい」と
>いうのが、ここ十年来はやってきた
>改革派の言い分で、その成果が碌でも
>ない
確かにその通りだ、と思うのですが
あくまで『言い分』であって実体を
伴ったものなのか、どうかについて
疑問には思うわけですね。実際には
改革はなされず、言い分だけ喧しく
(実は私の発言もそうなのかもしれ
ない)、それに踊らされた人たちが
痛い目を見たというのが録でもない、
その中身ではなかったのか、と

>この公理系が20世紀の100年をか
>けて、経営者、国家、労働者の3
>者がそれぞれにインプットしてき
>た結果である
一般論としては、それはその通りで。
別に「日本」であろうとなかろうと、
「経営」であろうとなかろうと今の
事態はすべて歴史的なインプットの
結果である。ということで、こんな
一般論にはほとんど意味はなくて、
具体的な中身が問題である、という
意味で、hamachan 先生のお仕事が
重要なんだ、と

メンバーシップ公理系から、ジョブ
公理系の移行に当たり、「学校から
仕事への移行がより職業レリバント
な形で行われるような仕組」が伴う
べきである。いや、「べき」という
倫理的なお話ではなく、単なる物理
的な必要条件ではないのか、という
点もその通りではないか、と

>「実感」できないため,最初のトライも
>しないままになっている生徒たちに,
>「情報」を提供し,「実感」してもらう
>ことが,キャリア教育を担当している者
>たちの願いであると思います。

高校だけでなく、大学でもキャリア
教育ということが言われる訳ですが、
それが実体を伴ったキャリア教育に
なっていくのか、どうかという点が
重要なんだ、と思います。しかも、
これは学校現場だけの問題でもない
ような

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