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2006年7月

2006年7月31日 (月)

顧客による差別

普通労働法といえば、使用者対労働者の関係ということになるんですが、場合によっては顧客との関係が問題になることもあり得ます。差別問題とかハラスメントとかだと、顧客からの行為が差別やハラスメントになるかという問題が出てき得るんですね。とは言え、今までのところ日本ではそういう訴訟はなかったのですが、遂に出てきました。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060731AT5C3100M31072006.html

「積水ハウス勤務で在日コリアンの徐文平さん(45)が、同社の顧客の男性を相手取り、慰謝料300万円と謝罪広告を求める訴えを大阪地裁に起こした」そうです。この男性何を言ったかというと、「北朝鮮に金なんぼ送ってんねん」「(名前は)名刺に小さく書け」。

大変興味深いのは、彼の勤務する積水ハウスが訴訟費用を負担するなど訴訟を後押しすることです。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060731AT1G3000P30072006.html

「。“お客様”相手の裁判となるが、「見過ごせない発言で泣き寝入りすべきでない」と支援を決めたという」ことですが、これはダイバーシティマネジメントを真剣に考えていくのであれば避けられない道筋でしょう。恐らく、提訴に至るまで会社側からも低姿勢で謝ってくれないかというようなオファーがあったのでしょうが、御本人は「チョーセン人にホンマのこというてどこが悪いんや」てな感じだったのでしょうか。色々な意味で大変興味深い事案です。まあ、2ちゃんあたりでは妙なあてこすりがされるんでしょうが、これはきちんと結論を出すところまでいってほしいですね。

偽装請負

先週、請負労務の話を書いたばかりですが、今朝の朝日新聞が大きく取り上げています。

http://www.asahi.com/national/update/0731/TKY200607300428.html

知ってる人にとっては目新しい情報は特にありませんが、知らない世間の人々にとっては啓蒙的な意味があるかも知れません。

しかし、「働く人たちの多くが自分たちを派遣労働者と思い込んでいる」とか、「回答企業1876社のうち「派遣と請負の区分を十分理解している」と答えたのは34%。多くが違法性を認識しないまま偽装請負を続けている」という状況は、そもそも現在の請負と派遣を明確に区別して規制するというやり方に無理があることを示しているように思います。

あるいは、別の言い方をすると、請負という事業形態そのものに「監督官庁がない」という状況をどう考えるかということですね。こういうことを言うと、すぐに朝日好みのリベラルっぽい学者先生が、世の中の何でもかんでもどこかの官庁の所管にしてしまおうという家父長的行政国家的発想が間違っている、とか何とか仰るわけですがね。

そもそも戦前の法制では、労務供給事業も労務請負といって請負の一種だったんですね。ところが戦後職業安定法に基づいて「労働者供給事業と請負の区別基準」(いわゆる4要件)というのを作って、請負と労働者供給(その後は労働者派遣)とは排他的な概念であるかのようになってしまった。どうもその辺にボタンの掛け違いがあるように思います。

いずれにしても、関心が高まるのはいいことです。

http://www.asahi.com/national/update/0731/TKY200607300432.html

請負会社幹部も皮肉を込めて、「一生こんな賃金で使われ続ける彼らの将来は大丈夫かねえ。我々にとってはありがたい存在だけど……」 と語っているようですし。

メイク・ワーク・ペイ

先週木曜日のエントリー「最低賃金とワーキングプア」にたいして、平家さんから次のような批判がありました。

http://takamasa.at.webry.info/200607/article_30.html

エッフェル塔とかオベリスクとかいうメタファーが高度すぎて、わたしによく理解できなかったこともありますが、論点はそこにあるわけではありません。要点は、「最低賃金には最低賃金の、生活保護には生活保護の役割があります。財産もなく、年金の受給資格がないか、あっても金額が少なく、しかも働くこともできない高齢者には、生活保護を与えればいいでしょう(年金の額は差し引くにしても)。・・・また、働けて、働く場を見つけることができた人には、最低賃金を保証し、それによって得た収入が生活保護の水準に足りていればそれでいいし、満たなければ、そして貯金もなければ生活保護を与えればいいのです」というところにあります。

これにたいして、わたしは次のようなコメントを書き込みました。

日本の生活保護法は、「財産もなく、年金の受給資格がないか、あっても金額が少なく、しかも働くこともできない高齢者」だけを対象にした法律ではありません。第2条をご覧下さい。これがこの法律の趣旨です。それがおかしいという考え方は十分あり得ます。それなら法改正をすべきでしょう。それをせずに、この「無差別平等」規定を堂々と残したままで、実質的に対象者を絞り込むような(敢えていえば脱法的な)法の運用を厚生省がやってきていたことがおかしいと(少なくとも法制論としては)言わざるを得ません。

日本の六法全書に載っている条文は、生活保護法がエッフェル塔とは別次元のオベリスクだとは書いていないのですよ。
わたしの申し上げているのはそれに尽きます。立法論としては、今まで厚生省がやってきていたような、働ける成人男子は相手にしないというやり方も十分あり得ます。しかし、それは現行法の規定を前提にする限り違法なのです。2004年の運用改正以後の、入りやすく出やすい生活保護というやり方が現行法の趣旨であるとしか言いようがない。
そして、現実に厚生省の運用がそういう風に代わってきた以上、法のそもそもの趣旨とその現在の運用を前提にして最低賃金や雇用保険との比較の議論になるのは当然のことなのです。


ちなみに、以上で話は尽きていますが、ヨーロッパにおける議論も、まさに最低賃金も失業保険も生活保護もすべてエッフェル塔であってオベリスクではないという前提で議論がされています。恐らくそれが世界的に標準の議論なのではないかと思われます。

これに対して、平家さんからさらに次のような反論がありました。

http://takamasa.at.webry.info/200607/article_31.html

エッフェル塔とオベリスクの例えを誤解していたことは分かりましたが、論点そのものについては、まさに現在の雇用制政策と社会政策の連繋の最重要課題に関わる問題であると思いましたので、さらに次のようなコメントをつけました。

現在ヨーロッパで雇用政策の最大の論点になっているのは「メイクーワーク・ペイ」だということはご存じだと思います。その稼得賃金が生活保護以下である労働者にとって、精一杯働いても僅かしか稼げず、残りを生活保護で補填するという選択肢と、それならいっそ働かずに全額生活保護で面倒見て貰うという選択肢があれば、他の条件が同じであれば後者を選択するでしょう。これが福祉の罠とか不活動の罠といわれて、今日の雇用政策と社会政策の最重要課題であるのはご存じの通りです。

だから、メイク・ワーク・ペイが問題になるわけですが、この辺の感覚が日本人には、というか、もっとはっきり言うと、日本の雇用政策研究者にどこまできちんと認識されているかが大変心許ないのが現状なんですね。平家さんがそうだと申し上げるわけではないのですが、あまりにもあっさり、最賃で足りなければ生活保護で出せばいいじゃない、みたいな発想でおられるので、ちょっと心配になります。
実は、某研究機関の研究員が、この「メーク・ワーク・ペイ」を「労働を給与にする」とか訳しているのを見てひっくり返ってしまいました。をいをい、労働が給与にならなかったら賃金不払いでしょうが。働くことが「ペイ」する、つまり働かないよりも働く方が得になるように制度設計するというコンテクストが、日本の専門家にも理解できていないというわけなんですね。
ことほどさように、メイク・ワーク・ペイは雇用政策関係者に理解されていないのですが、それ以上に福祉関係者にも理解されていなくって、無慈悲な強制労働政策だと思われているみたいです。そういう無理解の中で、ワーキングプアが断層の中でもがいているというのが日本の姿なんでしょう。

2006年7月28日 (金)

OECD対日経済審査報告書

OECD東京センターのHPに、OECD対日経済審査報告書の和訳版が掲載されています。

http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/macroeconomics_pdf/20060720japansurvey.pdf

デフレの話、財政再建の話などもありますが、今日的に一番関心を呼ぶのは所得不平等と相対的貧困の問題を大きく取り上げたことでしょう。

「ジニ係数は、1980 年代半ば以降大幅に上昇し、OECD 平均を大きく下回る水準からやや上回るまでに上昇し、日本の相対的貧困率は今やOECD 諸国で最も高い部類に属する」というところは、新聞等でも取り上げられたのでご記憶の方も多いでしょう。

格差拡大の「主な要因は労働市場における二極化の拡大にある」として、「所得格差や貧困の拡大を反転させる重要なひとつの鍵は、労働市場の二極化の緩和である」と断言しています。そのための処方箋がいかにもOECD的で、「正規労働者に対する雇用保護を緩和するなど、企業の非正規労働者雇用のインセンティブを低下させる包括的なアプローチが必要とされる」と、解雇規制の緩和を求めています。わたしは、解雇に対する金銭解決制度の包括的な適用によって、結果的に解雇規制の均等化に進んでいくという道がもっとも現実的だと思いますが、ここはひとによって色々と考え方があるでしょう。

また、前にここでも書いたことですが、日本の働くシングルマザーの健気さと惨めさはOECDの方々を感動させるのに十分なようです。「2000 年には働いているひとり親の半数以上は相対的貧困状態にあったが、OECD 平均は約20%である。また、日本では無職のひとり親よりも就労中のひとり親における貧困率のほうが高い。・・・ひとり親における著しい貧困が要因となり、2000 年の児童の貧困率はOECD 平均を大きく上回る14%に上昇した。民間部門の負担する教育費の割合が比較的高いことを考慮すれば、貧困が将来世代に引き継がれることを防ぐため、低所得世帯の子供の質の高い教育への十分なアクセスを確保することが不可欠である。PISA 調査において明らかになった日本における学力の階層分化の進行に対処すべきである」云々。生活保護の大部分を食い尽くしているアメリカのシングルマザーを見ている目からすると信じられないのでしょうね。

エグゼンプトは過労死するか

毎日新聞に、「過労死・自殺:6割以上が労働時間を自己管理 労災認定」という記事が載っています。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060728k0000m040140000c.html

「東京労働局管内の労働基準監督署が05年に過労死・過労自殺で労災認定された48人について調査した結果、11人が自ら労働時間を管理・監督する管理職だったことが分かった。他の一般労働者19人も上司の管理が及びにくい状況にあり、合わせると6割以上が労働時間を自己管理する側だった」という話です。まあ、日本の企業の「管理職」というのは、職能資格の高い高給取りという意味であって、管理してる側か管理されてる側かはあまり関係ないですから、仕事に追いつめられる人は多いでしょうね。

で、マスコミさんのことですから、「自律的労働時間制度を導入すれば過労死が激増する」という結論に結びつけることになります。なにしろ、政府が先頭に立って、ホワイトカラーエグゼンプションとは、カネだけの話ではなくて、労働時間規制そのものを外すんだと言ってるんですから、当然の反応とも言えますが、そのためにこうして話がますますややこしくなって、解決しにくくなってしまうわけです。何しろ死んじゃってるんですから、ホワイトカラーエグゼンプション導入なんて言う奴らは、人殺しだということになってしまう。怖いですねえ。

それでもまだこの路線で行くつもりか知らん。まあ、担当者も変わったことだし、少し変化が出てくるかも知れません。労働側にはもともと年収1000万なら残業代要らないんじゃないかという意見もあるわけで、折り合いの余地はいくらでもあるはずなんですが。

<追記>

同じ記事について労務屋さんもコメントをされています。感覚の似たところ、ちょっと違うところがにじみ出ていて面白いですよ。ここにもコメントをしておきました。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060728

2006年7月27日 (木)

最低賃金とワーキングプア

昨日、厚生労働省の中央最低賃金審議会が、地賃改定の目安を答申しました。東京などAランクで時給4円、沖縄などDランクで時給2円アップというものです。実際にこれによって改定されると、東京の時給は718円、沖縄などの時給は610円になります。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/07/s0726-5.html

最低賃金については、前にも書きましたが、現在労政審で制度自体の見直しの議論も(水子にならずに)行われています。メインテーマは産別最賃の廃止とそれに代わる職種別設定賃金ということになっているんですが、どっちかというとそれは一部のひとだけにしか興味のない玄人テーマでして、現代社会の重要な問題につながるのは今回目安が示された地賃そのものの在り方なんですね。

同審議会で公益委員が指摘しているように、憲法で健康で文化的な最低限度の生活とされている生活保護の水準よりも低い最低賃金ってのは何なの?ということですね。働かずにいれば健康で文化的な生活を国が保証してくれるのに、なまじ働いたりすると罰として不健康で非文化的な生活を余儀なくされるというのは、一般庶民の正義感にはピンとこないでしょう。この問題がクローズアップされたのが、最近NHKの放送で一気にブレイクした「ワーキングプア」ということになるわけです。

この感情が、働きもせずに高い金貰ってけつかる奴らがけしからん、という風に流れていくと、生活保護の見直しといった話になっていくわけですが、これも一部自治体ではやくざまがいがいっぱい受給している云々という話もあってなかなか難しいのですが、そう単純なものではないですし、足の引っ張り合いという議論になってしまってあまり生産的ではありません。

このあたり、デッドエンド仕事でない形のワークフェアをどう作っていくかという課題なのだと思うのですが、なかなか話がそこまで行かないのが難しいところですね。

請負労務

都内某所で某研究会。

いろいろと勉強になった。製造業の業務請負(という名の労務請負だが、実際には)の最近の状況は、かなり人手不足の傾向のようだ。また、労働局の監督が厳しくなって、今までのようないい加減なものから、一応請負の形を整えるものが増えてきているらしい。

協力会社による請負労務(いわゆる社外工型)を除くと、男女比は6対4で、想像以上に女性が多い。なんとなく、製造現場の請負労務は男性中心というイメージがあるが、必ずしもそうではなくなってきているようだ。パートなど他の非正規よりも若干時給が高い(平均1065円)し、大体シフトワークで深夜勤が入ってくるのだが、その辺は男女平等化していると言うことか。

「リーダー」というのがいるけれども、別にフォアマンのように管理的業務をやっているわけではなく、点呼したりコミュニケーションするくらいというのは、まあそうだろうなと。リーダーといっても時給が100円ばかり高いだけのようだ。最近の傾向としてライン混在型から工程単位で請負に出すというのが増えているらしい。ライン生産からセル生産に移行することが、請負化を促進している面もある、というのは興味深い点。

最終学歴で、高卒が64%、高専・短大が16%、大学・大学院が12%というのも、興味深い数字。「俺様はそんな下流社会の人間とは違う」とか思っている人にとっても、実はすぐそばの現実でもあるのだが。

2006年7月25日 (火)

日本型雇用システム概説

勤務先における授業の準備として作成しつつある(といってもまだ第1章だけですが)講義案を、順次HP上で公開していくことにします。

まずは、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/Japempsystem.html

「日本の労務管理」総論その1、「日本型雇用システム概説」です。

続いて、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/JapLabManage.html

その2,「日本労務管理史概説」です。

規制改革会議の契約・時間法制意見

宮内会長の村上ファンド問題でだんまりを決め込んでいるのかと思いきや、我らが規制改革・民間開放推進会議は先週末付けで「労働契約法制及び労働時間法制の在り方に関する意見」なるものを出していたんですね。

http://www.kisei-kaikaku.go.jp/publication/2006/0721/item060721.pdf

意見の対象は6月27日に出された事務局素案の現段階の最終版。細かいことは直接読んでいただければいいのですが、特に労働契約法制については「予測可能性の低さが問題点として指摘されているが、・・・強行規定によるルールの明確化は、予測可能性を一般に高めるものの、柔軟な対応を困難にする」からできるだけ避けるべきだという姿勢が貫かれています。

一部少数派組合が猛反対している過半数組合や過半数代表者の合意による不利益変更についても、「過半数組合や過半数代表者が就業規則の変更に同意していない場合であっても、就業規則変更の合理性が一概に否定されるわけではない。したがって、過半数組合等との合意は、合意推定(就業規則の合理性推定)のための十分条件とはなり得ても、必要条件とはならないことを明確にすべきである」と、多数であろうが少数であろうが、労働者の意見なんか聞いていられるかという姿勢ですかね。

解雇のところも、「解雇が労働協約や就業規則に定める解雇事由に該当するといえる場合には、労使自治(当事者の取決め)を尊重する観点から、原則として解雇を有効とする考え方を明確にすべきである」と大変勇ましい論陣を張っています。労働側がなお反対している解雇の金銭解決は諸手を挙げて賛成かというとさにあらず、「金銭的解決の額が恒常的に高い水準にとどまり、正社員としての雇用が企業にとって大きなリスクとなることで、使用者がかえって採用に消極的になったり、これまで解雇が判例上有効とされていたような場合にまで金銭的解決が事実上強制されることがないよう、適切な配慮が払われるべきである」と、解雇者に払うカネももったいないという感じですかね。

有期労働についても、いっとき「検討の視点」では、労働者の請求があれば更新の際無期契約になるというやや急進的な案が提示されて、使用者側が何事と色めき立ちましたが、現在の素案では常用雇用への応募機会の付与義務にとどめられていて、一応収まっているんですが、我らが規制改革会議からすると大変ご不満のようで、「妥当性を欠く」と非難しています。

労働時間のところで、割増の引上げの問題点を指摘しているのは、そこはその通り、珍しく意見が合いますが、それにしても「確かに、アメリカでは、週40 時間を超える場合における割増率が5割と日本のそれを上回っているが、一方では全労働者の約40%がこうした規制の適用を除外されているという事実にも目を向ける必要がある。したがって、割増賃金の引上げを図る場合には、一方で適用除外の範囲を大幅に拡大することが必要になるものと考える」などと、白々しくもよくぞ言えるもんだと思いますね。そういう言い方をするんであれば、ホワイトカラーエグゼンプションを実現するために、アメリカに倣って50%に引き上げるんだから、中小企業は甘んじて受け入れろとか、言うてみろってもんです。ご都合主義もここまで来ると偉大なもんですね。

ホワエグは飛ばして、その次に書いてある管理監督者の範囲の明確化というところが、実は非常に問題をはらんでいます。そして、これが通達の問題であるだけに、またぞろ厚生労働省の木っ端役人を呼びつけて、さんざんぱら殴りつけてどうこうしようという話になりかねず、この点は注意してみていく必要があるように思われます。ここは、要するに、物理的な労働時間規制を適用除外してもかまわないほど経営者に近い「管理監督者」とは誰かという問題と、残業手当を払わなくてもいいくらいの給料を貰っているフツーの管理職といわれる労働者は誰かという問題が意識的にか無意識的にかごっちゃになっていて、それがホワエグ問題の源泉ともなっているわけですが。

<追記>

労務屋さんもこの意見書にコメントされています。読み比べると、感覚のおなじところ微妙に違うところがにじみ出ていて面白いですよ。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060726

仕事と生活の調和推進基本法案

最近、一部労働関係ブログ方面で信頼を失いつつある日経新聞ですが(^:^)、今度は「仕事と生活の調和推進基本法案」だそうです。もっとも、「公明党が策定作業に着手しており、8月にも原案を取りまとめる方向。早ければ秋に予想される臨時国会に議員立法で提出・成立させたい考えで、原案がまとまり次第、自民党との本格調整に入る」とのことなので、いかにもありそうな話だなあとは思いますが。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060725AT3S2302H24072006.html

「基本法」と大きく出た割に、中味は「従業員による仕事と家庭生活の両立を支援するため、行動計画を設けるよう各企業に求めるとともに、その実施状況を毎年、公表するのが柱」だそうで」、ほとんど次世代育成支援対策推進法とどこが違うのかよく分かりませんが、「家庭に乳幼児のいる労働者の残業抑制や男性の育児休業取得促進策」が主な項目になるんだそうです。

こういう記事を見て、ふーーん、どこが法律事項なの?何が国民の権利義務に直接関わるの?なんて聞くのは法制局症候群なんでしょうね。まあ、あれだけ大上段に振りかぶった少子化対策がネズミ一匹ではまずいので、何か法律みたいなものを作ろうということなんでしょうが。

2006年7月21日 (金)

日本的経営の再評価

18日のエントリーで、今年の経済財政白書がいままでの「改革なくして成長なし」路線を切り替えて、日本的経営の再評価や格差問題の重視に向かってきているといいましたが、そのバックグラウンドレポートとでもいえるディスカッションペーパーが内閣府のHPに掲載されています。

http://www5.cao.go.jp/keizai3/discussion-paper/dp063.pdf

曰く、「従業員重視といった日本的経営の特徴をもった企業とROAといった資本効率の間には正の相関がみられ、企業の資本効率の高さと従業員重視の姿勢が両立している可能性が示されている。・・・やはり、それなりに従業員重視の企業ではうまく経営が行われていると考えられる。・・・日本的経営の大きな特色である従業員重視という特徴は企業パフォーマンス上も大きな鍵となっていると考えられる」だそうな。

大変結構ですが、改革しちゃった企業や改革されちゃった労働者は誰に苦情を言いに行けばいいんでしょうかね。言うだけの役所は楽ですよね。

法政策としての靖国問題

いや、別にヒートアップした論争に加わろうなどという気はありません。ただ、法政策として見たときに教訓になることがあるように思われるので、その点だけ。

言うまでもなく、靖国神社は戦前は陸海軍管下の別格官幣社で、内務省管下の一般の神社とは異なり事実上軍の組織の一環でした。敗戦後、GHQの神道指令で、国の機関たる神社は国から引き離されて宗教法人になったわけですが、このとき靖国神社は神社であることを止めて国の機関として残ることもあり得たのですが、結局そうならなかったわけです。これが第一のボタンの掛け違えですね。このとき陸海軍の機関として残って居れば、第一復員省、第二復員省を経て、厚生省援護局の機関となり、恐らく今頃は厚生労働省社会・援護局所管の独立行政法人靖国慰霊堂という風になっていたと思われますが、その道を選ばなかった。

次は独立後の50年代、このころ靖国神社を国の機関にしようという動きがあり、自民党から靖国○社法案、社会党から靖国平和堂法案が提起されています。政教分離を意識して神社といわないのですが、このころは社会党も戦没者の慰霊を国がやることには否定的でなかったことが分かります。「平和堂」というところが社会党的ですが、客観的に言えば一番まともな案だったかも知れません。

一番実現に近づいたのは、60年代後半から70年代初めにかけて、自民党から5回も靖国神社法案が提出され、最後は衆議院を通過しながら参議院で廃案になった時期です。神社でありながら特殊法人といういかにも憲法上筋の悪い法案ではありましたが、しかしこれを潰してしまった結果、今のような事態に立ち至ってしまったことを考えると、まことに惜しいことをしたと言えましょう。そりゃ、とんでもない法案だったかも知れないけれど、有は無に優るのでね。こうやって靖国神社を政府のコントロールの利かない一宗教法人のまま野放しにしてしまったために、いささか問題のある方々を勝手に合祀したりして、かえって問題をこじらせてしまったわけです。特殊法人の長だったら監督官庁の許可を得ずに勝手にそんなことできません。

まあ、ここまで来たら今さらどういっても仕方がないですし、よそ様の分野に何をどうすべきだというようなことを言うつもりもないのですが、これは他の分野の法政策にもいい教訓となるように思われます。そんな悪法だったら要らない!なあんて、あまりうかつに言わない方がいいですよ。ほんとに潰れてしまったら、事態はもっと悪くなるかも知れないんですからね。え?何の話?何の話しでしょう。

2006年7月20日 (木)

組合も使える労働審判

UIゼンセン同盟のHPに、

http://www.uizensen.or.jp/doc/saishin/saishin.html#_05

>労働審判 会社側「年休繰越」認める
>武藤工業労組・ムトウエンジニアリング労組申し立て調停成立

という記事が載っていました。なになに?労働組合が労働審判を申立て?労働審判って、個別労使紛争の解決のための仕組みじゃなかったの?

「団体交渉で年休繰り越しを要求していたものの、会社側が一貫して認めなかったため、東京地方裁判所に個別紛争申立てを行っていたもの・・・」

ううー、団体交渉でやってたことが個別紛争なんですかねえ。とはいえ、労働審判制の生みの親の一人である高木連合会長の率いるUIゼンセン同盟が持ってきたものを、法律の趣旨に反するとか言うわけにもいかなかったのかも。実際、5月15日、6月27日、7月10日の3回で解決しちゃっているし、その方が話が早いのも確か。

しかしこうなると、集団的紛争でも何でも、早く解決したければぐだぐだやってる労働委員会などではなく労働審判に持って行けということになりますね。

「労働委員会なんて要らねえんだあんなもん」ってことでしょうか。

EU不法移民雇用に刑罰を検討

昨日、欧州委員会は包括的な不法移民対策を発表しました。

http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=IP/06/1026&format=HTML&aged=0&language=EN&guiLanguage=en

http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=MEMO/06/296&language=EN&guiLanguage=en

これはプレスリリースで、ビザや国境管理政策の統一に加えて、不法滞在の第三国民の雇用規制も取り上げています。特に、このコミュニケーションの中では、

http://ec.europa.eu/justice_home/news/intro/doc/com_2006_402_en.pdf

不法移民を雇用する使用者に対する罰則を各国が揃って規定することを求めるとともに、欧州委員会がその調和化のイニシアティブをとるというようなことも言っています。

http://www.eupolitix.com/EN/News/200607/a9ecf792-bb3f-4ac5-96a3-33f87de59a3b.htm

こちらはマスコミ報道ですが、フラティーニ副委員長は「不法移民は犠牲者だ、悪いのは雇用者だから、そいつ等を罰するべきだ」と語っています。

2006年7月19日 (水)

同一成果同一処遇?

経済同友会の「軽井沢アピール」の中に、こんな表現がありました。

http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2006/pdf/060714.pdf

>まず企業は、挑戦する人たちを歓迎し、また同じ仕事の成果には雇用形態にかかわらず同一に処遇する人事制度に転換することが重要である。

ふうーん、同一労働同一賃金ならぬ同一成果同一処遇ですか。

しかし、そもそも雇用形態にかかわらず同じレベルの仕事に挑戦させるのでなければ、同じ成果の挙げようもないわけで。

まあ、どこまで考えていってるのか分かりませんが、非正規労働者もすべて職能資格制度に基づく職能給にしていこうという提言であるとすれば、その意欲に拍手したいとは思います。

定年制の存在理由

野村正實先生のHPに、定年制についての文章がアップされています。

http://www.econ.tohoku.ac.jp/~nomura/LazearCritics.pdf

野村先生の問題意識は、「サラリーマンから見た定年制の不合理性を批判しなければならない」「それは同時に、定年制の存在を合理化する経済学を批判することでもある」というところにあるようで、それゆえに労働経済学(というか人事経済学)で有名なラジアーのモデルを批判しておられます。

ただ、わたしにはどうも理解しかねるところがあります。野村先生のラジアー批判は、要約すると、そのモデルが「期待を下回るレベルで仕事をすること」が解雇理由になるというアメリカでだけ成立する条件を前提にしているが、日本は解雇権濫用法理があるからそれは成り立たない、よってラジアーモデルは日本に適用できない、ということのようなのですが、そこに飛躍があるように思われるのです。

解雇が自由という点でアメリカは文明国では特異な国です。ヨーロッパ諸国はみんな解雇を規制しています。そのヨーロッパ諸国にも、強制退職年齢は存在し、それ故に現在、一般均等指令の国内法化をめぐって、いろいろと議論が続いているわけです。こっちの方が一般的であり、普通であって、そういう普通の国の定年制の存在を人事経済学のモデルで説明できないかというと、そんなことはないだろうと思うのです。何もラジアーのモデルを一言一句厳格にその通り押し戴く必要などないのであって、モディファイすべきところはモディファイすればよい。

日本の場合、むしろ解雇権が制約されていることが定年制の存在理由を高めているわけです。これは日本の労務管理史を振り返ってみれば、定年、退職、解雇というのが戦前から大きな労使間の課題であり続けたこと、そして、使用者側は解雇権の制約に係らずに労働者を退職させられるという点に定年のメリットを見いだし、労働者側は定年の存在によって定年に達するまでは解雇がより一層制約されるという効果を求めて、いわば同床異夢的に定年制が広がってきたということが分かりますが、これもラジアー流の人事経済学的な分析(あるいはむしろゲームセオリー的かも知れませんが)によって説明できることであって、「ラジアー・モデルを日本風に解釈したモデルもまた日本には適用できない」ということにはならないように思います。

ある意味でやや皮肉だなと思うのは、ここで野村先生が批判しているラジアーの紹介者の清家篤先生は「定年制の存在を合理化する」イデオローグどころか、『定年破壊』などで定年制廃止の論陣を張っておられる方なのですが、野村先生も又「定年制の不合理性を批判」する立場に立っておられるわけで、一体誰を攻撃していらっしゃるのだろうか、と不思議な感を持ってしまうのです。

わたしはむしろ逆に、定年制の存在が定年到達以外の解雇を制約する効果をなお否定しがたいものだと考えていますので、年金支給開始年齢未満の定年制は別として、その不合理のみをあげつらうことはかえって労働者にとって不利益な結果となるように思います。この問題と、募集・採用における年齢差別の禁止の問題をどのように調和させるかが政策というものでしょう。

EU官僚が中小企業で研修

17日のEUのプレスリリースによると、350人の欧州委員会企業・産業総局の幹部官僚が、法案を作る代わりに、パン屋、大工、パイプ修理といった中小企業に1週間派遣されて、中小企業のニーズや問題を身をもって体験してこい、というプログラムが実施されるんだそうです。

http://europa.eu.int/rapid/pressReleasesAction.do?reference=IP/06/996&format=HTML&aged=0&language=EN&guiLanguage=en

いやあ、大変結構ですねえ。日本の某経○省の官僚にも是非やっていただきたいもので。なんといっても、

「中小企業庁なんて要らねえんだあんなもん」@村上世彰

http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/05/index.html

と平然と言い放つ若手官僚がもてはやされる国なわけですから。

2006年7月18日 (火)

夏前の決着は難しい

何かとお騒がせな日経新聞ですが、これは今日の厚生労働大臣の閣議後会見のニュースなので、そのまま受け取っていいでしょう。川崎厚労相が曰く、「夏前の決着は難しい」とのこと。いや、労政審が中断している労働契約法制と労働時間法制の話です。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060718AT3S1800C18072006.html

まあ、そうでしょうね。厚労省の人事異動で人心一新したところで再開ということになるんでしょう。労使ともに、是非ともやりたい内容はあるわけで、これで潰してしまっては元も子もない。労働契約法は、使用者側による解雇の金銭解決のところを除けば事実上ほとんど合意に達しているといってもいいのですから、ホワイトカラーエグゼンプションの捌きが重要になるわけです。残業の割増率を引き上げるなんていう筋悪の提案を引っ込める代わりに何を提示するかでしょうね。ま、新しい人に期待しましょう。

ついでに、同紙は雇用保険に65歳以上の者も新規加入させるという記事も載せています。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060718AT3S1700Q17072006.html

これは、厚労相のHPに労政審雇用保険部会の資料が載っていて、そこにちゃんと出ています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/06/dl/s0629-8a.pdf

65歳以上の話だけでなく、いろんな論点が出されています。

労働経済白書(現在合議中)

一方、読売新聞には、現在まだ「案」の形で合議中のはずの労働経済白書の中味がリークされています。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060716i103.htm

「少子化の主因を20歳代を中心に非正規雇用が増え、収入格差が広がったことで若者の結婚が大幅に減った点にあると分析し、若年層の雇用対策の重要性を強調した」とのことです。「白書によれば、2002年の15~34歳の男性に配偶者がいる割合は、「正規従業員」が約40%だったのに対し、「非正規従業員」や「パート・アルバイト」は10%前後にとどまった」というデータは、5月2日のエントリーで紹介した21世紀成年者縦断調査結果ですね。これは厚生労働省のHPで見ることができます。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/judan/seinen06/index.html

ワークライフバランスは確かに大事ですが、長時間労働だから結婚できないわけじゃないし、セックスできないわけでもない(6月27日のエントリー参照)。ビンボな若年非正規労働者が繁殖機会を奪われて性淘汰されているというのがこの国の現状なんですね。どこかで密かにダーウィニアンがほくそ笑んでいるのかも知れません。まあ、白書でそこまでは書かないでしょうが。

白書は、「具体的な若年層の雇用対策として〈1〉職業能力開発などを通じた若年層の正規雇用化の促進〈2〉非正規雇用と正規雇用の処遇格差を縮めるための法的整備を含めた取り組み――などを挙げ」ているそうです。まず能力開発を挙げているところは、問題の所在を理解しているということですね。というか、「処遇格差」というのも、賃金そのものというよりも、どういう仕事を与えられるかといったことを含めた雇用管理処遇の格差にこそ問題があるわけですから。

経済財政白書

内閣府が経済財政白書を公表しました。

http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je06/06-00000pdf.html

小泉内閣成立以来、「改革なくして成長なし」と5年間ひたすら副題で歌い続けてきた御用白書も、政権交代を目前にしてスタンスの修正を図りつつあるようです。今年の副題は「成長条件が復元し、新たな成長を目指す日本経済」ですが、むしろ取り上げているテーマに、政策方向の転換が窺われて興味深いものがあります。

まず、第2章の企業行動のところですが、日本的経営、日本的雇用慣行に対する積極的な評価がにじみ出ているのが目を惹きます。曰く、「国際競争における日本企業の比較優位は日本の企業風土に根ざす」。「終身雇用と呼ばれる日本の長期雇用慣行は、日本の技術分野における比較優位の構造と密接な関係をもっている」。「企業内部の人的資本の充実が今後も重要な鍵となると考えられる」といった具合です。

しかしねえ、「日本企業の復活は、財務面での効率化の徹底ということだけではなく、企業内部の人的資本の力を生かした比較優位の確立といったことによっても達成されてきたと考えられる」とか今頃言い出して、改革狂騒の責任は誰にあるというつもりかしら。

次に第3章が若者や格差問題を取り上げています。若年者を中心とする非正規雇用の増大に対して政策対応が必要だという論調は、安倍官房長官の例の再チャレンジを意識しながら、明らかにこれも方向転換を図っていますね。で、見習うべきはEU諸国の積極的雇用政策であるという結論になるわけで、さすが内閣府官僚、政治の先読みの能力だけは立派なものです。

2006年7月14日 (金)

病気は障害に非ず

7月11日に欧州司法裁判所から障害に係る一般均等指令の判例が出ています。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&Submit=Submit&alldocs=alldocs&docj=docj&docop=docop&docor=docor&docjo=docjo&numaff=&datefs=&datefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

原告のナバスさんは病気を理由に解雇されたんですね。で、これは障害を理由とする差別であるといって訴えたわけです。

結論は単純。病気は障害に非ず。

すべての企業のすべての労働者に労使協議を

戦後日本の労使協議制をリードしてきた社会経済生産性本部(旧日本生産性本部)が、昨日久しぶりに労使協議制に関する提言を発表しています。

http://www.jpc-sed.or.jp/contents/whatsnew-20060713-1.html

現状と課題の分析を踏まえて、提言は「企業再編やグループ化に対応できる労使協議制」、「企業のすべての従業員の声が反映できる仕組み」「すべての未組織企業にも労使協議の広がりを」と述べています。何れも重要な課題ですが、特に組合サイドにとっては、非正社員や非組合員の声をどう労使協議に反映していくのかというのは大きな課題でしょう。また、未組織の労使協議制については、現在中断中の労働契約法制の審議の中で、労働者代表法制をどうきちんと構築していくのかが問われる問題です。ここを抜きにしては問題は前進しないと思います。

協議内容については、CSR活動、ワークライフバランスの実現、働きやすい職場、職場のコミュニケーションなどが指摘されていますが、最後に挙げてある「労使関係のプロフェッショナル人材を育成する」というのが実は一番の課題なんだろうなと思います。前の方に書いてありますが、争議がなくなって、労使関係に緊張感がなくなり、人事労務部門を縮小したりアウトソーシングしたりする傾向が出てきているとすれば、形だけ労使協議が残っても空洞化しているわけですから。これは組合リーダーの育成も同様。

このあたりはまだあまり議論が煮詰まっていないところですが、わたし個人的には、官僚養成のための公共政策大学院なんかより、人事労務大学院の方が喫緊の課題ではないかなと思ったりもしています。

サラリーマン法人化計画

朝日新聞社が出しているAERAという雑誌に、そういう記事が載っています。

http://www.asahi.com/business/aera/TKY200607080590.html

曰く、「サラリーマンは奴隷だ」「サラリーマンも一人ひとりが会社になればどうだろう」

「サラリーマン法人推進協議会」というのが本当に実在してるんですね。

http://www.m-m-i-g.com/

具体的に何をやるかというと、「企業に勤めるサラリーマンが法人化すると、企業との関係は「労働契約」から「業務委託」へと変わる。すると、企業側ではそれまで負担していた消費税や、厚生年金保険料や健康保険料などを支払う立場ではなくなり、まとめて業務委託費としてサラリーマン法人側に渡すことになる。年収600万円のサラリーマンの場合、業務委託費は717万円となる計算。」

ここで、「できるだけ多くの経費を計上し、サラリーマン法人としての利益を減らすことで、納税額などが少なくなり、可処分所得が増えるのです。つまり、自由に使えるお金が多くなる」

「もっとオイシイのが、社会保障費の軽減だ。労使折半である厚生年金保険料は、法人化前には会社負担と自己負担の合計で86万円あった。だが、サラリーマン法人では、「給与」が減った効果が大きく、56万円で済み、差し引き30万円も減る。同じように、健康保険料も20万円減り、この両者だけで50万円も可処分所得がアップする」云々。

朝日新聞さんは、こういう偽装自営業で企業の租税・社会保障負担が少なくなり、雇用責任がなくなることが良いことだとお考えになって、こういう記事を載せていらっしゃるんでしょうかねえ。自営業者に対して解雇権濫用法理も糞もないんですからね。年収600万円も払っていた会社が、税金や社会保険料を上乗せして717万円も定年まで払ってくれて、退職金も払ってくれるとでもお思いか。「自分」という下請会社が委託打ち切りで倒産したら、それでおしまいですよ。

朝三暮四という言葉はみんな中学の国語で勉強するけれども、その意味を理解している人はあんまりいないってことかな。

2006年7月13日 (木)

共産党も団塊世代活用

サンケイ新聞なのでやや揶揄的ですが、とても興味深い記事を見つけました。

http://www.sankei.co.jp/news/060713/sei011.htm

>団塊世代が一斉に定年を迎える「2007年問題」を前に、共産党は人材の再利用に乗り出した。地方議会で議席ゼロの空白を埋めるのが目的で、団塊の世代に空白議会への立候補を促し「移住と帰郷」を呼びかけている。

「共産党の党員は現在、約40万人。このうち団塊の世代は全体の12・5%、5万人にのぼり、職場支部の党員である会社員などが続々と定年を迎える」んだそうです。労働委員会のお得意様もぐっと減ってしまうんでしょうね。寂しいような、寂しくないような・・・。

団塊の共産党員たちが「第2の革命的人生」を成功させるか否かは、他の団塊の人々がさほど革命的でないとしても「第2の人生」を成功させられるかどうかを占う上でも、興味深いところです。高齢社会における社会参加の一つのありようとして、雇用労働でもないが、純然たるボランティアでもない、こういう党活動という在り方も一つの選択肢ではあるでしょう。

2006年7月12日 (水)

ゴミ拾いは刑罰!?

法務省が、軽微な犯罪では刑務所収容の代わりにゴミ拾いなどを刑罰として科す「社会奉仕命令」の創設を法制審議会に諮問するそうです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060711i318.htm

確かに刑務所が過剰収容で困っているというのはわかりますよ。おまけに規制改革会議は民間開放しろとうるさいし。しかし、何ですか、ゴミ拾いというのは、刑務所に入らないでやっても刑罰の代わりになるようなそんな仕事なんですね。そりゃ、「職業に貴賎なし」というのは社会学的には嘘でしかないわけですが、にもかかわらず、法理念としては正しいと言わないといけないんじゃないんでしょうかね。

まさか刑罰として科されれば、どんな仕事も苦痛なはずだろうというわけでもないでしょう。刑務所でやらされるから懲役なんであってね。刑務所に入らないで木工作業をやらされても、いい職業訓練でしょう。全国の清掃労働者諸君は何か言わなくてもいいのでしょうか。それとも、これからは3K労働は囚人ならぬ刑罰労働に頼るとでも?

事業承継ガイドライン

ちょっと一見労働問題ではなさそうですが・・・。

中小企業基盤整備機構の中に設けられた事業承継協議会というところが、去る6月14日に「事業承継ガイドライン」というのを発表しています。

http://jcbshp.com/achievement.php

これが経済産業省のプレス。もっとも、経済産業官僚が自分の所管するこの行政分野にどういう意識を持っているかは、村上さんの発言録がよく示してくれましたが。

http://www.meti.go.jp/press/20060614002/20060614002.html

それはともかく、今や日本の中小企業経営者の平均年齢は60歳に達し、しかも後継者が見つからなくなってきているようです。興味深かったのは、ガイドラインに引用されている東京商工リサーチのデータでは、20年前には8割が息子・娘に承継、14%がその他の親族、親族以外は6%に過ぎなかったのに、今では息子・娘は4割、その他の親族も2割で、親族以外が4割に近いようです。

http://jcbshp.com/achieve/guideline_01.pdf (7頁)

親族以外の多くは従業員等の社内関係者となっており、大企業より何十年か遅れで、中小企業分野にも所有と経営の分離が進んできているのかも知れません。学者先生や知識人の世界が株主主権だとかいって、所有者の論理に傾いている時代に、現実の経済社会は別の方向に向かってきているようです。

2006年7月10日 (月)

バックラッシュの行政組織論的考察

先週、某政府機関の方と雑談していて、思いついて喋ったこと。21世紀になってから、バックラッシュだとか、ジェンダーバッシングだとか、その方面では結構大変なようですが、ある意味では自業自得とは言わないまでも、なるべくしてなったというところがあるような。

前世紀と何が変わったかというと、例の橋本行革で、内閣府に男女共同参画会議なる経済財政諮問会議と同格(!?)のエラーい会議が設けられ、軒並み各省庁の局が削減される中で、男女共同参画局がそれまでの室から2階級特進で創設。代わって、それまで政府部内で女性問題一般を所管していた労働省女性局は厚生労働省雇用均等児童家庭局という1局の中の一部に格下げになってしまいました。

その格下げになったところが、それなりに男女雇用均等法の改正作業などを手際よくこなしているのに比べ、そのエラーいところはあちこちからぼこぼこにぶん殴られて満身創痍という状態のようです。

殴られるには殴られる理由があるわけで、具体的な政策メニューも持たないまま、ただただイデオロギー的にジェンダー思想を振り回していると、不良に目をつけられるのも当然というか、きちんとした政策論ができないようなイデオロギー過剰型の文句屋に絡まれやすくなるでしょう。

かつて、80年代半ばに男女雇用均等法作成過程でも、こんな法律を作ったら家庭を破壊するとか、文化の生態系がどうとか、いろんな雑音はあったわけですが、基本的に企業の雇用管理の問題である以上、企業が何が困るのかを抜きにしたイデオロギー的な反対論は所詮ノイズにすぎなかったわけで、経営側が経済合理主義から反対してくれることがイデオロギー的な反対論に対する防護壁になっていたという面があります。

それがなくなってしまい、ジェンダー、ジェンダーと、無人の荒野を一人行くが如く闊歩していたら、共産主義が消えてしまって敵を探し求めていた右翼崩れに見事にとっつかまったわけで、可哀想ではあるけれども、ざまあみろという面もないわけではないというところでしょうか。

刑法と労働法

>刑法には「人を殺してはいけない」とは書かれていない

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060708/p2

と、博物士さんは仰るわけですが、もちろん博物士さんご専門の労働法の世界では、各条ごとに「してはならない」のオンパレードです。労働基準法第3条以下を参照のこと。これは、労働法を作る人間がバカ揃いで、「個々人の行動を国家が直接に制御することは難しいから」「間接的ながら不利益を用意しておくことで,ある行動に出ることを思いとどまらせよう」という高等戦術を理解できていないから・・・というわけでは必ずしもありません。

刑法くらいハイレベルであれば、「そこで示された価値判断に異議を唱える人は少数だから」、「殺してはいけない」などと書かなくてもいいのですが、労働法のように「「そもそも論」のレヴェルで価値観が対立している場面において」は、「法律を持ち出してみても,あまり意味が無い」どころか、むしろ法律の条文上で価値判断を鮮明にしておかなければならない、というのが、こういう規定の仕方の違いの背景事情と考えるべきでしょう。

たまたま話がホワイトカラーエグゼンプションになっているので、それを見ても、まず第32条で「・・・労働させてはならない」と断言していますね。これの罰則が119条第1号(6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金)。これの刑罰免除のための規定が第36条というのはご承知の通り。これが日本国労働基準法というものの中核構造であって、それ以外は、まあ、はっきり言っておまけです。残業手当の第37条というのは、間接的ながら不利益を用意しておくことで,ある行動に出ることを思いとどまらせよう」という高等戦術ではありますが、あくまでも「個々人の行動を国家が直接に制御する」32,36条のおまけに過ぎない(このおまけにもご丁寧に罰則がついていますが)。ここが、キャラメル本体がなくって、そのおまけしかないアメリカ合衆国公正労働基準法との違いです。

このキャラメルとおまけを取り違えているのが現在のホワエグ論議の迷走のそもそもの原因なのですが、それはともかく、刑法というのは、本来書かないと国民に分からないはずの価値判断規定を省略してもいいという特殊な法律と考えた方がいいのではないでしょうか。

職場のいじめ

先週、都内某所で講演した「職場のいじめに対する各国立法の動き」 の発言メモをアップしておきます。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jisatsuken.html

この問題についての最近の情報がまとめられています。

ちなみに、7日付けで、人事院から、国家公務員の苦情相談の概要が公表されています。

http://www.jinji.go.jp/kisya/0607/kujyo.htm

上司の嫌がらせとか、同僚のいじめとか、かなりありますねえ。全体の約16%ですから、労働局の個別労働相談よりもだいぶ高いようです。まあ、役所や病院はいじめの巣窟かもしれません。フランスでもそうだと、イルゴイエンヌさんの本に書いてありましたし。

ついでに、余計なことですが、勤務時間の苦情が一番多いのはいかにもとは思いますが、その代表が、新人が朝早く来て掃除しておけといわれたという話ではねえ。俺だって23年前は毎日8時半前に出勤して掃除してたぞ。しかし一方で中高年の苦情も、退職間際で有休が取れないとか。おいおい、何で毎日終電ですら帰れないとかいう苦情が載ってないんだ、あまりにも当たり前で苦情にすらならないということか。

http://www.jinji.go.jp/kisya/0607/kujyojirei.pdf

<追加>

しかし、厚生労働省、堂々の第2位。どこの誰だ、いじめているのは?

2006年7月 6日 (木)

EU有期労働指令で初の判例

去る7月4日、EUの有期労働指令に関する初めての欧州司法裁判所判例が出ました。

http://curia.eu.int/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&Submit=Submit&alldocs=alldocs&docj=docj&docop=docop&docor=docor&docjo=docjo&numaff=&datefs=&datefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

内容は、有期労働契約の反復更新の正当性。おお、アクチュアルですな。

訴えられたのはギリシャミルク機構という公的部門の団体で、訴えたのはそこで有期労働者として契約更新を繰り返して働き、その更新を拒絶された18人の労働者です。

EU指令を転換するためのギリシャの法律では、有期労働契約の更新に対して、特段の要件を要求せず、一般的な規定で認めていたのですが、これは指令の趣旨に反するという判断です。指令第5条第1項第a号にいう「客観的な理由」とは特別の要素の存在が必要であるということ。それに反する国内法は指令違反で無効。指令は有期契約の締結自体には特段の要件は課していませんが、その更新には厳格な判断をするというわけです。

また、更新かどうかの判断についても、一旦終了してから次の契約にはいるまでの期間が20日以上でない限り、それは継続していると見なすという判断も重要です。それに反する国内法は指令違反で無効。

さらに、ギリシャの法律は、公的部門では有期労働契約の常用契約への転換を認めていないのですが、反復継続利用の悪用を防止する措置をとっていない状況では、それもだめ。

EU法全体として興味深いのは、今までの所、EU法の一般原則では指令は加盟国に義務を課するものであって、国民の権利義務を直接規制しないことになっているのですが、この判決では、加盟国(ギリシャ)の裁判所は、国内法が指令を間違って転換している場合には、国内法の規定ではなく、指令に従って判決すべき義務があると言っていて、司令の権威がまた一段と高まった感じもあります。

2006年7月 5日 (水)

EUがペドフィル対策に乗り出す

昨日、欧州委員会は包括的な子ども政策を打ち出しました。「子どもの権利を守る新戦略」というもので、子どもの貧困とか性的搾取の問題などが取り上げられています。

http://ec.europa.eu/commission_barroso/president/focus/childrens-rights_en.htm

その中で、子どもに対する性犯罪者の登録制を導入するという案を、フラティーニ司法内務担当委員が語っています。

http://www.eupolitix.com/EN/News/200607/fe73ccee-6553-426d-9aa7-1d1d03bd8e41.htm

ここのところ、日本でもこの手の話題が繰り返されているわけですが、死刑か無期かという話に集中しがちな日本に対して、死刑を廃止しているヨーロッパで「子どもよりもけだものの方が権利を認められている」「ペドフィリアに対してはノー・トレランスだ」というと、そういう連中のデータベースを作って、EUのどこに行っても見張れるようにするということになるんでしょう。今後の動きが注目されます。

<追加>

私が10年前ベルギーに滞在していた頃、有名なデュトゥルー事件が起き、国中が大騒ぎになったことがありますが、またも同じような事件が起きています。

http://www.brusselsjournal.com/node/1139

10歳と7歳の女の子が誘拐され、強姦されて、首を絞められて殺されたようです。犯人はウードというモロッコ系ベルギー人で、前科が一杯。14歳の姪を強姦した罪で1994年に入獄(7歳から性的虐待とも)したのに、1997年には出獄、盗みでまた刑務所に戻り、2000年に出獄したとたんにまた14歳の少女を強姦したとか。ペドフィルは病院に送るということで入院したのですが、昨年12月、医者が治ったといったので監獄から出してしまい、上の少女たちの住む街に住むようになってこの事態というわけ。当局は住民に、こんな危険なペドフィルが来たことを告げなかった。それはベルギー法では違法だから。政府は純真な子どもよりも犯罪者の人権の方が大事らしい、云々。

EUの動きはこれに合わせたわけではないでしょうが、見事にタイムリーな提案になりました。

パートと年金

先週6月29日のエントリーでは、日経の飛ばし記事に騙されてしまいましたが、このパートに対する厚生年金適用拡大の問題について、川崎厚生労働大臣がこのように語っています。

http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2006/07/k0704.html

(記者)  先ほどの女性の厚生年金の加入が増えるということにも関連するのですが、パートタイム労働者、女性にはかなり多いわけですけれども、この適用の拡大ということに改めてお考えを。

(大臣)  今政策で一番やっていますのは、結婚を契機に会社を辞める、出産を契機に会社を辞めるということにならないようにしましょうということが、男女雇用機会均等法の中で一番議論してきたところですよね。要は、子育ては夫婦二人でやっていくものだ。一方で、夫婦二人は仕事をしていくという中で、一回会社を辞めてしまう、その時は正規雇用だったけれども辞めてしまう。今度、子育ての期間がある程度終わって、仕事をする。実は、パートの仕事しかない、非正規の仕事しかないという問題が一番大きな課題として議論されてきたわけです。そこは、やはり我々が進めていかなければならない話ですから、当然継続雇用の中で進めていく。すなわち、正規雇用の中で女性はだんだん仕事をしていくという時代を迎える。結婚、出産を契機に必ずしも会社を辞めるという形にはならない。これは、社会を変えようという中で私どもが取り組んでいる一番大きな課題ですから、そこは是非マスコミにももう少し書いて欲しいなと思っているのです。当然それだったら増えていかなければならない。増えていかなければならない。もう一方で、パート労働という切り口をしているにも拘わらず、例えば、1日7時間45分社員というような形でやっている問題があります。7時間30分にしても、事実上正規雇用と同じような形でやっているのにあまりにも賃金の差があるし、また、そういう形ならばきちんと社会保障の中で年金や健康保険も充実した中でやっていくべきではなかろうかという、こういう切り口も当然出てくる。こういう議論、当然進めていく方向は、その方向へ進んでいくことは事実ですから、だんだんやはり増えていくという形にならなければならないと思います。

何とも微妙な言い回しです。

正規雇用による女性の就業継続が一番だ。それによって厚生年金の被保険者も増えていくというのが王道。

パートといっても、1日7時間45分とか7時間30分などというのも結構ある、これは現行法でも厚生年金に加入しなくちゃいけない。それをパートだといって入ってないのはけしからんからきちんとやるよ。それでも加入者は増えるだろう。

ここで敢えて触れていないのは、現在の通常の労働時間の4分の3という基準を、雇用保険並みに2分の1まで引き下げるという、2001年に研究会で打ち出してぼこぼこにぶん殴られた案ですね。

個人的な意見から言えば、国民年金などというそもそも存立に無理のある制度に被用者の一部を押しつけるのではなく、被用者は全て被用者のための保険でカバーするというのが筋も通るしわかりやすいと思いますが、まあ現時点の政治的状況を勘案すれば、こんなところでしょうかね。

2006年7月 4日 (火)

民主党の経団連向け政策

日本経団連のHPに、5月22日の「民主党と政策を語る会」の記録が載っていて、そこに民主党の作成資料として、「日本経団連の2006年の優先政策事項と民主党の政策・取り組み」というのも掲載されています。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/seiji/20060522.html

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/seiji/20060522shiryo.pdf

これは、民主党のHPには出てこないモノなので、なかなか価値があります。民主党さんが経団連さんに行ったらどういうことを言ってるか、連合さんも見ておいた方がいいですよ。

例によって、労働関係の政策を見ていきますと、「労働基準に関わる規制改革(ホワイトカラー・エグゼンプション制度の導入等)」という項目では、「現行、労働時間等適用除外の管理・監督者の定義があいまいなことから、労使紛争が生じていることも否定できず、現在のみなし制を適用除外に再編成する際には、労使自治のもと培われてきた日本の多様かつ柔軟な労働時間制度との関連を整理する必要がある」と、ほほお、エグゼンプションをやるのは既に規定事項みたいですね。労使自治の下の柔軟な労働時間制度って何を考えているのでしょうか。色々解釈の余地があって、というか色々解釈できるように苦心した跡がありありとあって、大変面白い文章になっています。しかも、その横に、「政策実現に向けた取り組み」として「日本経済にとっての貴重な人材が、長時間労働、ストレス、メンタルヘルスや過労死・過労自殺などにより枯渇することがないよう、健康・安全配慮義務、労働時間管理の重要性を訴えてきた」と書くあたりが、わざとボケて的を外しているように見せて、実は見事に的を得たことをさりげなさそうに書いているというところが高等戦術ですね。落としどころはまさにそこなのですよ。ここまで分かっているところが大したものです。

その後ろには「現行の雇用保険三事業及び労働保険福祉事業は基本的に廃止する。能力開発等は地方分権を基本にその在り方を見直し、また国が実施する必要のある事業については一般会計において行う」などということも書いています。一般会計でどれほどのカネが持ってこれるのか、ほとんど労働政策は予算レスという事態に立ち至るでしょう。

EUレベルの労働協約

欧州委員会は、EUレベルの労使団体による団体交渉、そして労働協約を軌道に乗せたいと考えています。既にあるじゃないかとお思いかも知れませんが、ETUC、UNICE、CEEPによる交渉と協約は、実のところ、立法プロセスの主要部分を労使に請け負わせたというようなものであって、育児休業とか、パート、有期とか指令ができたとは言っても、本来的意味における労働協約とはだいぶ質が違う。一部の加盟国を除けば、国内レベルでも労使ナショナルセンターが法律作りを代行するというのはあまりやらない。

今欧州委員会が考えているのは、まさに国内で労使がやっているような団体交渉をEUレベルでやらせて、国内で普通に締結されているような労働協約をEUレベルで締結させたいと言うことなんですね。これこそ、究極のEU連邦化です。

去る5月17日に、欧州委員会は多国籍協約に関する研究セミナーというのを開いたようです。その資料がいくつか欧州委員会のHPに掲載されています。

http://ec.europa.eu/employment_social/labour_law/documentation_en.htm#5

これらを見ると、欧州労使協議会指令により多国籍企業に設立された欧州労使協議会においてかなりの数の協約が締結されており、これをてこに法制化を進めていきたいという考え方がにじみ出ているようです。

かなり分厚い報告書の中はで、ローマ条約94条を根拠に、EUレベルの団体交渉と労働協約に法的効力を与える指令を採択するべきということも書かれています。

この動きがこれからどう動いていくか、EU労働法ウォッチャーとしては大変興味あるところです。

2006年7月 3日 (月)

ネタ元バレバレ

在日本アメリカ合衆国大使館のホームページに、国務省報道官室の発表として、「2006年日米投資イニシアティブ報告書」が掲載されています。これは、米国国務省と日本の経済産業省が、ブッシュ大統領および小泉首相の両首脳のために準備したものだそうです。

http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20060630-51.html

ところが、その本体はここからリンクされた日本国の経済産業省のホームページ上にあるんですね。

http://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/n_america/us/data/0606nitibei1.pdf

そして、ここに、こういったことが書いてあるわけです。

「(3)労働法制 米国政府は、労働移動を促すことが組織の価値の極大化を図る上で重要であると指摘し、この観点から次の四点を挙げた。・・・

第二に、米国政府は、解雇紛争に関し、復職による解決の代替策として、金銭による解決の導入を要請した。

第三に、米国政府は、労働者の能力育成の観点から、管理、経営業務に就く従業員に関し、労働基準法による現在の労働時間制度の代わりに、ホワイトカラーエグゼンプション制度を導入するよう要請した。・・・」

アメリカの労働法制を少しでも勉強した人であれば、アメリカ側が主体的にこういう要求をするなんてことは考えられないということが分かるはずです。これはどうひっくり返っても、アメリカ人が自分で考えつくような内容ではあり得ない。アメリカでは解雇は金銭解決ではなくて、単純に「自由」なんです。

特にひどいのが、毎度毎度おなじみですが、ホワイトカラーエグゼンプションの所。アメリカには労働時間規制なんてないの。40時間以上働いたら払えという手当をホワイトカラーは払わなくてもいいといってるだけ。「労働基準法による現在の労働時間制度の代わりに、ホワイトカラーエグゼンプション制度を導入」なんて文章が書けるのは、日本の一知半解の経済産業官僚くらいでしょう。しかも凄いのは、それにご丁寧に「労働者の能力育成の観点から」とか修飾語をつけているところ。何の関係があるの?いやはや誰かアメリカ政府に教えてあげないかな。こんなアフォなこと要求してることになってますよ、って。

学者先生のエグゼンプション

労務屋さんが『季刊労働法』に書かれた「企業実務家から見た労働契約法の必要性」が、御本人のブログに掲載されています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060623

(以下6回)

労働契約法制自体については、審議会が動き出してから、改めてまとまった形で論じたいので、ここでは脇道のお話しを。最終回の労働時間法制のところで、元の文章にはないこんなコメントを付け加えられているので・・・。

>いつも思うのですが、学者も官僚も、自分たちの仕事のことを考えれば、ホワイトカラー・エグゼンプション制の必要性は簡単にわかりそうなものだと思うのですが、どうしてそうならないのでしょう。きっと、自分たちは一般的なホワイトカラーとは較べ物にならないほど高度で専門的な仕事をしていると考えておられるのでしょうね。まあ、なかには一部本当にそういう実態もあるとは思いますが、それにしても、お考えになられているほどの違いはないと思うのですが……。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060630

いやあ、学者と官僚を両方やってる立場からすると、その必要性の中味は全然違うんですよ。

実は先日、勤務先大学の昼食セミナーなるところで、この話題を提供したんですけどね。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/lunchseminar.html

そもそも裁量制とかエグゼンプションのとらえ方が、アカデミックな学者先生方と我々一般人とは違うんだなあという強い印象を受けました。ここでいうアカデミックというのは、労働問題ではない専門をお持ちの方々のことです。我々労働屋は、どうしても、サービス残業とか働き過ぎとか過労死とかいうイメージと結びつくのですが、この先生方にはそういう発想はどうもてんからないんですな。組織の中で、組織に命じられた仕事を着実にこなしていくというやり方が身に染みついた役人と、そうじゃない学者先生の違いなんでしょうか。つまりね、大学の研究室にいなくっても仕事としていることになるというのが裁量制なんだという風な認識で聞かれていたので、なんだか話が噛み合わないというところがあったわけです。

そして、労働時間法研究会の議事録とかを読むと、むしろそういう学者先生的エグゼンプションのイメージがふわふわと漂っていて、その辺がホワイトカラーエグゼンプションが仕事と育児の両立の特効薬だなどという規制改革会議の発想にもつながっていくのでしょう。

http://www.kisei-kaikaku.go.jp/publication/2005/1221/item051221_02.pdf (63頁)

そういう感覚は、実のところ、経営側の実務者にもあまり存在しない空中楼閣の如きものだとわたしには思われるのですがね。

この点についていえば、役人として組織の中で職業人生を過ごしてきた私にとっては、実感としてはそれこそ民間企業の一般的なホワイトカラーと全く同じで、山口先生いうところの「実態としてのエグゼンプト」であるわけですが、実のところ仕事は常に上から横から山のように降ってくるので、大して自律的でもないんですね。その意味では、学者生活というのは全く違います、実感として。ホントのところ、事務局の役人の方々もその辺はよく分かっているはずです。

2006年7月 2日 (日)

高木会長の深慮遠謀

6月19日のエントリーで取り上げた、連合がパートの賃金格差で裁判闘争するという記事ですが、労働・社会問題ブログの平家さんが、「最初、違和感を覚えました。気になって、つらつら考えてみると、案外、深慮遠謀があるのかもしれないという気がしてきました」と書かれています。

http://takamasa.at.webry.info/200607/article_2.html

本来、これは「労働組合の本道を踏み外したもの」ではあるけれども、「しかし、考えてみれば連合会長がそんなことをご存じないわけはなく、まして、パートタイム労働者の組織化に熱心なゼンゼン出身の方であれば、当然、もっといろいろなことを考えているはず」というわけで、平家さんが想到されたのは、パートタイム労働者の組織化の為の戦術。

「使用者の反対というのも、現実には大きな障害でしょうから、裁判を多発させ、使用者に負担を強いて(なにしろ民事訴訟なのですから、対応しないと訴えた労働者の主張が認められてしまいます。)、「こんなことが起こるぐらいなら、パートの組織化を容認し、組合と交渉して待遇を決めたほうがましだ。」と思わせるという効果がある」というのは、UIゼンセン同盟会長としてパートの組織化を図ってきた高木会長としてはいかにもありうる話ではあります。

また、「裁判を通じて判例が蓄積されていくこと」で、「徐々に相場が形成されてい」き、「組合が団体交渉で正社員の賃金を決めれば、それがパートタイム労働者の賃金に波及していくという経路が出来上がる可能性はあります。そうなれば、団体交渉の重みはまして行き、組合の存在感も高まるでしょう」とも読んでおられます。

一つの記事を見ても、これだけ色々と深読みの余地というのはあるわけです。わたしも薄っぺらにならないよう、研鑽しなければ・・・。

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