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« 教育基本法案 | トップページ | 経済財政諮問会議の「人材養成」 »

2006年5月 2日 (火)

公務員の人材養成

労務屋さんと平家さんの間で大変興味深いやりとりがありました。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060425

http://takamasa.at.webry.info/200604/article_16.html

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060426

http://takamasa.at.webry.info/200604/article_18.html

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060427

まだもう少し続くようですが、ちょっと間が空いているので、一点だけ若干のコメントを。

労務屋さんの言う「人材養成のまずさ」というのは、日本の民間企業の人事担当者の実感としてはまさにその通りなのだと思いますが、「ほとんど常に事業構造が変わ」ることを前提に、「それにともなう余剰人員は配置転換や職種変更などで吸収」し、「変化や不確実性への対応」ができる人材を十分に育て」るという人事労務管理の在り方自体、世界的に見ればむしろ特殊なものです。

いや、特殊なんですが、それが日本企業の「アダプタビリティやフレキシビリティ」として競争力に貢献してきたわけで、これについては汗牛充棟の文献があります。外部的(数量的)な硬直性を内部的(機能的)なフレクシビリティで補い、むしろそれ以上の効果をもたらすというやり方です(考えの足りないエコノミストはここを見落とします)。問題は、公務員の人事管理は法律で定められており、その法律は占領下でアメリカからやってきたフーバーさんが作ったもので、はじめにJOBありき、しかしてそこにヒトをつける、という思想に立脚しているんですね。

じゃあ、公務員は欧米型人事管理をやっているのかというと、もちろんご存じのように全然そんなことはない。法律の建前は建前のまま、実際にはずるずると、なし崩し的に、長期雇用、年功型人事管理をやってきたわけですが、とはいえ民間のような内部的フレクシビリティも発展させることはありませんでした。内部も外部も硬直的では、変化に対応するのは困難ですね。

そこで、どういう方向を目指すべきかということになるわけです。

一つの方向性は、半世紀前にアメリカ様に与えられた法律の本旨に戻り、JOB中心の人事管理にする。どうも、行政改革とかいう人々の頭にはこちらがあるように思われますが、日本社会という一つのシステムの中で、それが可能なのか、いささか疑問があります。もっとも、民間企業にもそういうJOB中心の(政治的に正しい)人事管理を押しつけて、日本中その色に染め上げれば、問題はないのかも知れませんが(そう思っている人も多そうですが)、そういう上からの革命が成功した試しはないというのが歴史の教訓です。

もう一つは労務屋さんが示唆しているように、日本の民間企業の人事管理を導入する。しかし、実は役人が変化に対応してフレクシブルに行動できるというのは、一歩間違うと関東軍が満州事変を起こすことを奨励するようなところがあり、なかなか難しいところがあります。まあ、公務員といっても、権力性という物差しで見ればさまざまですから、ある程度個別に判断せざるを得ないでしょう。社会保険庁に言えることが、そのまま警察に言えるとは限らないわけで。

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コメント

TBありがとうございました。まあ、民間企業でも一部門が経営方針に反して独走するようなことは起こらないようにしているわけで、そこはガバナンスのあり方の問題として考えなければならないのだろうと思います。

コメント有り難うございます。
いいたかったことは、日本の公務員法制の建て前と本音の乖離という問題なんです。
国家公務員法は半世紀間「職階制は法律でこれを定める」と言ったまま、何も定めずにきているわけで。
2001年の「公務員制度改革大綱」は、一言でいえば民間のような職能制を導入しようという話であったわけですが、それであれば、いいとこどりではなく、民間の労使関係の本質的な部分を持って来るという話にならなければおかしい。そこがほにゃほにゃしていたため、その後も何が何だか訳がわからない状態が続いているというのが実情でしょう。

追記です。日経新聞によると、現在21歳未満という年齢制限のある国家公務員3種試験について、当面100人程度、中途採用枠を設けるようですね。

http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=AT3S0900G%2009052006&g=P3&d=20060509

これは民間型の職能制を志向するというよりも、外部市場型の公務員制度を考えているのでしょうか。フリーターに就労機会を、というのは結構なことではありますが。

・・・でもなかったようです。
「年齢を考慮して、一番下の係員ではなく、主任や係長からスタートさせる」というまことに年齢基準型労務管理志向だったようで。
なかなか難しいところですが。

釈迦に説法かもしれませんが

>日本社会という一つのシステムの中で、
>それが可能なのか、いささか疑問があり
>ます。もっとも、民間企業にもそういう
>JOB中心の(政治的に正しい)人事管
>理を押しつけて、日本中その色に染め上
>げれば、問題はないのかも知れません。

今までは、そうですが、最近は民間企業
自身が外部的フレキシビリティの活用に
大きくシフトしています。

にもかかわらず、正規雇用者を優遇する
社会制度が温存されたままになっていま
す。それもそのはず、社会制度の設計に
係る公務員の方々が正規雇用者なんです
から、正規雇用者を優遇する社会制度は
自分達に都合がいいんですよね。

だから、私は公務こそが外部フレキシビ
リティ中心になればいいいのではないか
と思います。同時にそうすれば、政府と
民間の壁、公務員と市民の壁が低くなり、
薄くなる。公務員と市民の間の壁が高け
れば、公務員と市民の利益が離反しても
なんの不思議もありません。

あと蛇足ですが、内部フレキシビリティ
活用が外部フレキシビリティの活用より
有利な社会制度の中で中小企業は不利な
立場に置かれてきたのでないでしょうか。

上記の自分のコメントを

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1138234710/310

にも転載しました

何度もすみません。間違えました、訂正します。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1138234710

の『 >>310』になります。

totoさん、コメント有り難うございます。
一言だけ苦言を。これは私の元エントリーに対するコメントですので、(2ちゃんねるはともかく)労務屋さんのところへのダブルポスティングはいかがなものかと存じます。コンテクストが共通であればいいのですが、労務屋さんと平家さんの議論の論点と、私がここで持ち出した論点とはかなりずれています(それゆえに、ここに独立のエントリーとして書いたのです)。労務屋さんのブログをご覧の方には、理解しがたい流れになっていると思われますので、以後ご配慮いただければと思います。

さて、「民間企業自身が外部的フレキシビリティの活用に大きくシフトして」いるのは、必ずしも「最近」だけの現象ではありません。コア労働力の内部的フレクシビリティの追求と非コア労働力の外部的フレクシビリティの追求とは、日本的雇用システムがもてはやされている頃からの特徴でした。逆に、コア労働力の部分まで野放図に流動化しようという動きになっているというご認識であれば、それは必ずしも的確なご認識ではないように思われます。10年前に出された日経連の「新時代の日本的経営」が打ち出しているのは、コアはより対象を絞ってよりコアに、非コアはますます非コアに、ということであって、全面的流動化論では必ずしもありません。一部にそういう主張をするエコノミストその他がいた/いるのは確かですが、それが企業行動そのものであるとは言えないでしょう。
したがって、それはまさに「(より絞り込まれた)正規雇用者を優遇する社会制度」なのであって、流動化を前提に、にもかかわらず「温存」という文脈で論じること自体、大きな問題があります。まずこれが民間部門の大状況です。
流動化に向かおうとする民間部門を、官僚たちがせき止めている、というような状況認識をされておられるのであれば、いささかお考え違いではないか、というのが率直なところです。

さて、しかし、正規労働者を絞り込んでより高い内部的フレクシビリティを追求するという路線自体が、いわばそれ自体の内部矛盾からある程度の方向転換を迫られているというのが、実はごく最近の状況であるといえます。これはいくつかの局面がありますが、大きくいえば、そこで外部的フレクシビリティに割り当てられた労働力が、本来マクロ社会的にはコア労働力に割り当てられるべきであった若年労働者を大量に含むようになったこと(使い捨てられ現象)と、絞り込まれたコア労働者たちの内部的フレクシビリティへのプレッシャーとそれに起因するストレスの増大(燃え尽き現象)が挙げられます。
そういう矛盾の解決の方向として、漸進的なコア労働力の(段階を付けた)拡大が提起されているというのが、今日の政策シーンにおける状況認識として適切なのではないでしょうか。別に官僚が扇動しているわけでも妨害しているわけでもありません。

そういう議論とは全く別の次元として、つまり民間部門がどのような雇用システムであろうがあるまいが関係なく、公的部門は外部的フレクシビリティ中心であるべきである、という議論は可能であるし、国家公務員法という実定法上の根拠も存在します。公務員法というのは労働法と行政法の交錯する分野であり、後者の問題意識からすれば、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(憲法第15条第1項)から出発すべきではないか、というのは、それ自体としては十分あり得る議論です。ただ、それが「公務員と市民の壁」を低くすること(政治的任用など)につながるのかも知れませんが、労働者のヨコの異動という意味における「政府と民間の壁」を低くすることにつながるかどうかは、必ずしも明らかではありません。
中小企業の話はご指摘の通りです。
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20060507/p1
における私のコメントをご覧下さい。

大変、丁寧なご解説、どうもありがとうご
ざいます。

最近のことだというのは誤りであるが、そ
のことが多くの人に関心を引くようになっ
た変化はある、というのは、実感としても
よく分かります。

連投、失礼します。

『日本の大企業』ではコア的ジョブを外部
市場から調達しない(できない?)という
印象を僕は持ってるのですが、仮にこれが
正しいとすると、その原因となってる日本
的特殊事情は何だろう、という疑問があり
ます。

中小企業では、仕事内容も人員にも限りが
あって、企業内部での配置転換の選択肢が
少ないので外部市場からの調達(もしくは
放出)をせざるを得ない、ということだと
すると、こちらも消極的な理由です。

何故こんなにも日本の企業は法人内部での
労働力の転換をするのだろう。仕事内容が
変わるなら、外部から調達してもいいじゃ
ないかと、単純に思うのですが。

あのですね、その質問に対する回答は、それ自体「日本労務管理史」全10巻(注)みたいな話になってしまいますので、とてもここで簡単にコメントできるようなものではありません。私自身、それを専門に研究してきたわけでもありませんし。
では、これを嫁!と言えるような教科書があるかというと、残念なことにこれがないのが実情です。この分野を研究している学者先生が、大河内一男、隅谷三喜男というビッグネームのあと、個別のすぐれた研究は書かれているのですが、部外者が易しく読めるようなテキストを書いてこなかったんですね。
しかし、とは言え、兵藤、中西といったあたりの大部なモノグラフを嫁!というわけにもいかんでしょうし(余計なことを言えば、本当は稲葉振一郎先生はそういう仕事をしているべき方であったのですけどね)。

まあ、明治期の外部市場中心の労務管理が、日露戦争、第一次大戦前後の大企業の労務管理の直接化、工場委員会体制、戦時下の勤労管理立法、終戦直後の急進的な労働運動、50年代半ばからの穏健な労働運動を巻き込んだ生産性運動、70年代の石油ショックへの対応、等々とどのような変遷を遂げてきたかを一通り勉強する必要があります。
それなしに(そういう例が極めて多いのですが)自分の生きてきた時代の感覚だけでものをくっちゃべると、一見もっともそうで、全然トンデモになってる議論になりがちです。

(注)そんな本はない!

何度も相手をしてくださり、どうも
ありがとうございます。

いろいろ大変なんですね。これまた
単純に考えると、過去は過去として
今の社会がどう作られてきたか、と
いう過程を忘れると、というか私は
そもそも知らないのですが、その知
らない人達が社会を作っているんだ
としたら、影響力を持っているのは
今現在ある法律や税制、資本関係や
雇用契約、就業規則などなど、だと
思うんですね。歴史を知らない当の
トンデモさんが、今現在身に付けて
いる習慣なんてのもこの中に入って
くるのかもしれません。

確かに、どうして、今の法律がこう
なっているんだとプロセスを問題に
したら、歴史を知らずには答えられ
ない。でも「今の制度の何」がどう
作用してどういう影響を与えている
のか、という問いにすればそれより
簡単になるのでは、という疑問です。
しかも、歴史を知らない私のような
トンデモさんが大半で、その多数の
者が社会を動かしてるという現実が
ある、と思います。

逆に言うと、本当に正しい歴史認識
よりも多数のトンデモさんの考える
間違った常識の方が社会のあり方に
影響力を持っている、と思うのです。

そういう(現在の)作用を分析する
としても、過去の歴史の分析により
培われた経験が役立つことは、もち
ろんある、と思います。そこが歴史
家のアドバンテージではないか、と。

例えば、○×△というトンデモない
間違った常識が、多くの国民に共有
されたために、こんなアホなことが
起りましたみたいな歴史もあるかと
思います。

自己レスです

樋口純平さんというCOE研究員なので
割と若い人だと思うのですが、

日本型人事システムの再検討
同志社政策科学研究・第3巻、2001
http://sousei2.doshisha.ac.jp/kiyou/3pdf/3higuchi.pdf

が日本型労務管理がどう形成されてきた
のかの先行研究を手短にまとめて、近年
新たに出てきた問題点、すなわち、市場
からの需要サイドの要求に対応できてい
ないことを指摘してます。これを見ると、
企業(と労働者)が作った企業内制度に
適応できるように、国家の方が社会保障
などを整備したのではないかという気が
してきました。と同時に、過去にうまく
適応していた社会保障制度などが、今は
逆に企業(と労働者)が変化してくのに
当たって足枷になってしまっているよう
にも思います。と言っても、これは副次
的な問題です。トンデモさんたちが身に
付けている習慣ってかなり強固で、一朝
一夕でなかなか変わるものでないのかも
知れませんね。

稲葉振一郎先生も書いていますね。
労使関係史から労使関係論へ
『経済評論』 第41巻第10号(1992)
http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/rousi_.htm

上のコメントで書いた疑問についても、
抽象的なレベルでは触れられています。

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