解雇規制と学歴差別
労務屋さんのブログで、ちょっと前(4月28日)の日経に載った福井秀夫氏の「厳しい解雇規制見直せ 学歴偏重を助長 所得階層固定し、格差拡大」といういささか「と」な文章を取り上げて、詳細かつ綿密に批判を加えておられます。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060428#c
このエントリーに、ちょっとコメントをつけておきました。
言い出しっぺの福井氏自身がおそらく混乱しているんだと思いますが、「学歴差別」という言葉で、一体何を指し示しているのかというのが問題でしょう。およそ労働力という商品がかなり使ってみなければ性能がなかなかわからない特殊な商品である以上、ユーザー側がその性能を示す何らかのシグナリングを求めるのは当然です。また、労働力は、(一時的な乱暴な使用に使い潰すような場合もありますが)一般的にはじっくり使い込んで性能を上げていくのがマクロ社会的には効率的ですから、購入前に商品としての性能をじっくり検討するのは当然の行動です。
「学歴」は、一般的には労働力という商品の性能を指し示すものとして正当なものと見なされていますから、アメリカであれ、ヨーロッパであれ、性別から人種から、宗教、障害、年齢、果ては性的志向に至るまで、この差別もダメ、あの差別もけしからんと、差別が軒並み禁止されているような社会であっても、いやむしろそういう社会であればこそ、学歴をシグナリングに用いることは数少ないまことに正当な選別基準と考えられています。
その意味では、自分をアメリカ流の市場原理主義者だと思いこんでいるらしい福井氏自身が、「学歴」と「差別」というあり得ない組み合わせの言葉を何の疑いもなく振り回しているという点を見るだけで、いかに日本的な情緒の世界に生きているかがよくわかりますが、まあそれはご愛敬ですが、なぜ多くの日本人が学歴による選別に対してそういう不当感を抱くかといえば、絶対平等主義の影響というのもおそらくあるでしょうが、実は一番大きなものは、学歴として尊重されているものが、労働力商品の性能のシグナルとして尊重されるべきものとは食い違っているという感覚なのではないかと思われます。
解雇規制については、労働者の労働期間を大きく若年期、壮年期、中高年期に分ければ、相対的に労務コストが大きい若年期と中高年期が主たるターゲットになりますが、実はアメリカも組合のあるところは先任権制度によって、そうでなくても年齢差別禁止法によって中高年は保護されていますから、解雇よりも希望退職で対応することが多いので、結局若年期が大きな違いになります。この時期は企業内教育訓練の時期であるので、解雇規制をうかつな形で緩和すると、企業内訓練が減少し、採用時の職業能力を示す学歴シグナリングの意味がますます高まり、いよいよ「学歴差別」が大きくなる可能性があります。それでもおよろしければどうぞ、というところですが。
ここではやや皮肉な言い方をしていますが、そういう職業能力をダイレクトに示すような学歴「差別」をますます強化せよという考え方であれば、首尾一貫した議論として成り立ち得るでしょう。企業は訳のわからない「官能」などではなく、労働遂行に役立つ技能をどれくらい身につけているのかを示すシグナリングとしての職業教育学歴を尊重すべきである、と。本田先生のご意見などは、(御本人はどこまで意識されておられるのかはよくわかりませんが)そういう考え方だと捉えることも可能です。
私自身、企業(とりわけ大企業)のミクロな立場と社会全体のマクロな立場とでは均衡点がちがうだろうなと、つまり多くの中小企業の立場も考えると、企業入社以前にある程度初期教育訓練を行うことが合理的なシステムに持って行った方が望ましいだろうと考えています。これを言い換えれば、職業人生の最初期については、解雇規制を緩やかにしておいた方がいい面があるだろうということです。ドビルパンの失敗したCPEもそうですが、労働契約法研究会報告で提唱されている試用雇用契約は、そういう観点から検討する必要があるでしょう。
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» [経営][教育]単なる個人的な想ひ出として [常夏島日記]
この方の[http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_6879.htm:title=エントリ]を読んで思い出したのですが。 ここではやや皮肉な言い方をしていますが、そういう職業能力をダイレクトに示すような学歴「差別」をますます強化せよという考え方であれば、首尾一貫した議論として成り立ち得るでしょう。企業は訳のわからない「官能」などではなく、労働遂行に役立つ技能をどれくらい身につけているのかを示すシグナリングとしての職業教育学歴を尊重... [続きを読む]
» 雇用規制は学歴差別を助長するか [未来のいつか/hyoshiokの日記]
2006年4月28日の日経新聞「経済教室」で政策研究大学院大学教授福井秀夫氏が、わが国の厳しい解雇規制について「学歴偏重を助長し、所得階層を固定し、格差を拡大させる」として、その見直しが必要と主張している。(id:roumuya:20060428) 古新聞をひっくり返して連休中に読んでみた。 福井氏のロジックは、 労働者の解雇に関しては、厳しい要件が課されているため、労働者の生産性が低くても使用者は容易に解雇できない。 一定期間、実際に雇用して観察しない限り、労働者の生産性を正確に判定することは... [続きを読む]
解雇規制が厳しくてもゆるくても、学歴による格差の大小には関係ないんじゃないでしょうか。
「就職か、就社か」って議論がありますよね。「就職」がむつかしくて「就社」ばかりの日本で、解雇規制をきびしくすると、ひとつの会社のなかで配置転換されまくります。逆に解雇規制をゆるめると、「職」と「社」の両方を失うことになる。で、セーフティネットは弱い。
そういった環境のなかで、レリバンスある学歴を積んだとしても、採用基準になりえるのかどうか疑問です。
就職を重視して、解雇をできるかぎり避けるのがフランス流。就社に重点をおき、解雇規制はゆるい。ただしセーフティネットが充実しているのがデンマーク流。日本はぜんぶごちゃまぜ。就職と就社のどちらを重視するのか、国としてのコンセンサスを作らなければ、他の部分も調整のしようがないのではないでしょうか。
投稿: ワタリ | 2006年5月 9日 (火) 21時17分
>「就職」がむつかしくて「就社」ばかりの日本で、解雇規制をきびしくすると、ひとつの会社のなかで配置転換されまくります。
半ば冗談ですが、「雇用安定なれど職業不安定」というのが日本型(正確には大企業型)ですね。それ(雇用安定)を担保する仕組みの重要な一つが解雇規制ですし、職業はどのみち不安定でこの先何をやらされるかわからないんだから、へたに「レリバンス」なんぞある職業教育なんか受けて道筋を固定的にするよりも、あなた好みのオンナになるため「官能」を磨いておいた方がいい。
「レリバンス」のある学歴を積むことに意味がある社会というのは、雇用安定よりも職業安定に重きを置く社会です。もっとも、その場合でも、雇用の安定にも重きを置くフランスみたいな社会、雇用の安定はかまわないけれども生活の安定には重きを置くデンマークみたいな社会、雇用も生活も自己責任で勝手にさらせと言うアメリカみたいな社会と、まあいろいろあります。
フランス型は、社会が硬直化してしまう危険性があり、デンマーク型はへたするとモラルハザードを招きかねないし、アメリカ型は死屍累々、というわけで、全部万々歳という仕組みはそもそもありえない。
ただ、本文でも述べたように、(あるいはニョッキさんのブログにコメントしたように)ここで言う「日本型」には大企業バイアスがあり、中小企業はそこまで雇用安定絶対主義ではないし、一つの職業で会社を変わっていくという現象もあります。入社前の(会社のカネでない)教育訓練への依存度も大企業ほど低くはない。ですから、本田先生流の「レリバンス論」が一定程度有効性がある世界でもありますし、そういう方向に政策を進めていくことが無意味というわけでもない世界でしょう。
投稿: hamachan | 2006年5月10日 (水) 10時34分