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2006年4月26日 (水)

専門高校のレリバンス

本田由紀先生のところで、また面白い議論になっています。

http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060424

本田先生自身がこれまで(朝日新聞的?)平等主義者ではないかと勘ぐられるような発言をしてきているのも確かではあるのですが、この問題についていえば、むしろ実務家的な中等教育の多様化論を主張していると解すれば済むことであって、文句をつけている人々の方が、一元的な普通教育至上主義に囚われているように思われます。

多様化論は必ずしも平等化論ではありません。むしろ、横に多様化した専門教育の進路の中に、その専門分野で大学やさらには大学院レベルにまで進学して専門を極めるエリート層から、そうでない人々まで縦に階層化することも十分含まれ得ます。現実に進んでいるのはそういう事態であって、普通教育至上主義者の方がそれに追いついていっていないだけのようにも思われます。

これを逆にいえば、へたな普通科底辺高校などに行くと、就職の場面で専門高校生よりもハンディがつき、かえってフリーターやニート(って言っちゃいけないんですね)になりやすいということになるわけで、本田先生の発言の意義は、そういう普通科のリスクにあまり気がついていないで、職業高校なんて行ったら成績悪い馬鹿と思われるんじゃないかというリスクにばかり気が行く親御さんにこそ聞かせる意味があるのでしょう(同じリスクは、いたずらに膨れあがった文科系大学底辺校にも言えるでしょう)。

日本の場合、様々な事情から、企業内教育訓練を中心とする雇用システムが形成され、そのために企業外部の公的人材養成システムが落ちこぼれ扱いされるというやや不幸な歴史をたどってきた経緯があります。学校教育は企業内人材養成に耐えうる優秀な素材さえ提供してくれればよいのであって、余計な教育などつけてくれるな(つまり「官能」主義)、というのが企業側のスタンスであったために、職業高校が落ちこぼれ扱いされ、その反射的利益として、(普通科教育自体にも、企業は別になんにも期待なんかしていないにもかかわらず)あたかも普通科で高邁なお勉強をすること自体に企業がプレミアムをつけてくれているかの如き幻想を抱いた、というのがこれまでの経緯ですから、普通科が膨れあがればその底辺校は職業科よりも始末に負えなくなるのは宜なるかなでもあります。

およそ具体的な職能については企業内訓練に優るものはないのですが、とは言え、企業行動自体が徐々にシフトしてきつつあることも確かであって、とりわけ初期教育訓練コストを今までのように全面的に企業が負担するというこれまでのやり方は、全面的に維持されるとは必ずしも言い難いでしょう。大学院が研究者及び研究者になれないフリーター・ニート製造所であるだけでなく、実務的職業人養成機能を積極的に持とうとし始めているのも、この企業行動の変化と対応していると言えましょう。

本田先生の言われていることは、詰まるところ、そういう世の中の流れをもっと進めましょう、と言うことに尽きるように思われます。専門高校で優秀な生徒が推薦枠で大学に入れてしまうという事態に対して、「成績悪い人が・・・」という反応をしてしまうというところに、この辺の意識のずれが顔を覗かせているように思われます。

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コメント

普通教育至上主義に囚われている親=田中です(笑)。「多様化論は平等化論ではない」というのはその通りだろうと思います。たとえ「専門的知識・技能」にモノサシを一本化しても、今度はそれで到達レベルの差やいろんな違いを測られるのですから、ある格差はなくなっても新しい格差は生まれるかもしれない、しかしそれが時代の流れだ、と言われれば納得するしかありません。
結局私は普通高校で教えることが可能な「広義の意味での専門性」というものがよくわからないので、わからないことに飛びつく気にはなれないのです。そもそも「広義の専門性」というのがうまくイメージ
できません。
また高校段階で理系か文系かを選択するのもひとつの賭けなのに、それ以上に進みたい分野を絞り込むことはできるのか、いいことなのかというのもあります。
根底には、「時代のミス・マッチを正す」ことと「格差の是正」は結果として重なる部分はあるにしろ、本来は別筋の話なんじゃないかなという懐疑があります(これは「ゆとり教育」のときからずっと感じていることですが……)。

田中さん、コメントしていただき、有り難うございます。興味深いテーマですので、もう少し展開していただけると、もっと話が広がると思います。

私は(今はたまたま大学に現住所をおいていますが)精神的には実務家ですので、ある意味、教育はかくあるべきなどというたぐいの理念論は敬遠したくなるところがあります。理屈を並べたもので、読んでなるほどと思うのは、教育の経済学とか人的資本理論の類の方で、それでもちょっとずれがあるかな、という感じもしますが。

基本的に、企業の立場からすれば、もともと優秀な素材に基礎的な専門教育をまぶして初期訓練コストまで本人(=親)負担や公的財源で面倒見て貰った上で雇い入れて、企業特殊的訓練をOJTで施していければ、それが一番いい訳です。
ここにトラックバックしておいた以前のエントリー(「職業能力ってなあに」)でも述べたように、高度成長期前半までの企業側は、繰り返しそういう主張をしてきました。
それが、実現できなかったのは、なによりも教育界の反発でした。企業のために奉仕する教育なんてけしからん、職業教育なんか高校出てからやってくれ、みたいな感じです。
そのため、普通科高校ばかりが増えていき、職業高校なんて進学するのは落ちこぼれ、という、まあそういう構図が確立していったわけです。
そうすると、企業にとっては、初期教育訓練コストが節約できる素材は優秀でないため、初期教育訓練コストを負担してでもより優秀な素材を購入しよう、と、そういう行動パターンになったわけで、これはこれでそれなりに合理的でした。
この合理性が、必ずしもトータルの計算で合理的とばかりは言えなくなってきたというのが、ここ十年ばかりの変化の背景にある事情でしょう。

マクロ社会的には、必ずしも優秀でない素材までが、かつて優秀であるシグナルとして機能した(と思いこんでいる)基礎的な専門教育の欠如というシグナリングを求めて普通科になだれ込んできたために、シグナリング機能が消滅したことがあります。
そうすると、こういう連中は、優秀でない上にへたに雇ったら初期教育訓練コストもかさむ存在になりますから、労働市場で一番周辺に追いやられてしまいます。
これは格差の原因ではないにしても、それをある程度増幅する機能は果たしているように思われます。

いずれにしても、専門高校であっても、所詮高校レベルで教えることのできる専門性なんて、それほど大したものではないのですから、「普通高校で教えることの可能な広義の意味での専門性」にそんなに悩む必要もないように思います。
高校レベルで何らかの職業教育を全員が受けた上で、その能力に応じてさらに進学するという仕組みになることのメリットは、進学しない場合のリスクを最小限にすることができることで、これはかなり重要ではないかと思います。
逆にデメリットを挙げれば、田中さんが仰るように、高校段階で進路を限定しなければならない(縦には広がりがあるが、横には狭まる。逆に今のやり方は、横には広がりがあるが、縦には狭まる=輪切り)点でしょう。
これをどう判断するかというのは哲学的な問でもあり得ますが、実務家的に言えば、前者の方が社会的コストが少なくて済むだろうとは思います。

こんにちは。

>前者の方が社会的コストが少なくて済むだ>ろうとは思います。

すみません、その理由がわかりません。やり直しが困難ないまの社会で、早期に進路を決めてしまうことは、リスクが大きいと思うのですが。

濱口先生、お答えありがとうございました。シグナリング機能が消失した普通科をたぶつくにまかせていたためにある程度格差が増幅した面は否めないというお話、よくわかりました。ただ繰り返しになりますが、モノサシを変えても人に能力差がある以上、格差そのものは残ります。格差を改善するのは新しいモノサシではなく別の政策(最低賃金の引き上げとか非正社員にも社会保障をとか)であるはずなのに、モノサシの変更に期待しすぎるのは禁物だと思います。
ゆとり教育について触れたのはそのことが頭にあったからで、旗振り役だった当時の文部官僚氏が「たとえ100しか英単語を知らなくても『考える力』があれば英語は運用できる」とテレビで言っているのを見て、「そんなことはありえない」と強く思ったものです。「広義の専門性」について過剰に警戒してしまうのは、あのとき「うまい話には気をつけろ」と肝に銘じすきたためかもしれません。
私にはこのテーマをこれ以上展開する能力はありませんが、少しだけ自分のことをお話すると、私には学歴はなく、直接学歴がモノを言わない仕事についていますが、だから子供には学歴を、というほど単純ではなく、子供を見ていますと、「他に能がない」というある種の断念を抱え込まないでいい、そのように子供を追い込むことは望ましくないと親である私もどこかで思っている、そういう中で生き方を定めるのは、
それはそれで難儀だなあと複雑な思いです。他に能がないなりにそこそこ好きな仕事につけた私の方が幸運かもしれません。
ですので、高校段階で進路を限定するメリット・デメリットを先生のようにはっきり仰って下さる方が、私には納得がいきます。
挫折や断念は必要ですが、それは教育的配慮で与えられるものではないという点が、教育の一番難しいところのような気がします。
長々と失礼しました。

シグナリング機能と就職可能性については、以下の論点もあるように思います。

1)普通科が広がりすぎたことによるシグナリング機能の拡散については、高校入試偏差値で代替されている可能性があるのではないか

2)大学進学率の上昇をどう考えるのか。また、近年は、例の「推薦入学」の話ではないですが、職業科からの大学進学が相当増加しているときに、高校レベルの職業教育にどこまでを期待できるのか。逆に、大学レベルにおける職業教育のあり方論。ただ、大学レベルの職業教育は、就職指導といった形でかなり進んでいるという感じもあります。

3)他方で、2)のような実態にもかかわらず、同一学校内での学力別クラス編成にすら抵抗がある日本のメンタリティの中で、早期のコース分けが受容されるのか。

4)普通科の職業科化推進を論じる方もいますが、それでは、普通科的な学力に優れることが職能たりうる学者の世界や大規模組織(官庁など)のための人的資源の育成をどう考えるのか。

理論面とフィージビリティの議論が混じってしまっていますが、なんとなくこの辺を詰めていくと、専門高校にもっと注目を!というだけならどこかで行き詰る議論になってしまうのではないかなと思っていたりしています。

>たけさん、へ

>やり直しが困難ないまの社会で、早期に進路を決めてしまうことは、リスクが大きい

「やり直し」が問題になるということは、その人は既に何事かを「やれ」ているわけですね。
優秀でもなく初期教育訓練もされていない人間が当初から労働市場の周縁に追いやられると、そもそも「やり直す」以前にどの選択肢も実質的に選べない状態になってしまう危険性があります。私の懸念する社会的リスクというのはそういうアンダークラスのリスクであって、選択肢を幾つも持っていて、「やり直し」に悩めるミドルクラス以上のことはあんまり考えていません。
高校レベルで基礎的な職業教育を受けたくらいで「やり直し」ができなくなってしまうほど皆さんひ弱なのかな、という気もしますし。
まあ、「早期に進路を決めたくない」というのは、別にモラトリアムを持ち出すまでもなく、普遍的な感情だと思いますが、それこそ、マックス・ウェーバーの「職業としての学問」ではありませんが、人生、断念することも大事です。

>田中さん、へ

>能力差がある以上、格差そのものは残ります

私も全くそう思います。格差をなくすなんて馬鹿なことができるはずがありません。
ただ、問題はそれが同じ職業社会の中の上の方か下の方かという「良い格差」であるにとどまらず、インサイダーとして社会のメインストリームに入れている人と、その外側に排除されてしまっている人という「悪い格差」にならないようにするにはどうしたらいいだろうか、ということなのだと思います。

職業教育の拡大というのは、別に「うまい話」なんかではなく、何にもないまま労働市場に投げ出される若者に、せめてなけなしの装備を提供してやろうという、はなはだみみっちい話に過ぎません。

某文部官僚氏(まあ、個人的に知っている方ですので悪口は言いたくありませんが)のいう「ゆとり」だの「生きる力」だのよりは、社会で生きていく上で役に立ちそうには思います。

>potato_gnocchiさん、へ

>普通科が広がりすぎたことによるシグナリング機能の拡散については、高校入試偏差値で代替されている

全くその通りでしょう、私は初めから、日比谷だの戸山だのへいって東大や京大を目指す連中のことは念頭に置いてません。書店に行けば、高校進学ガイドなる冊子がおいてあって、ごく少数の職業科を押しやって山のように名前も聞いたことのないような普通科高校があることがわかります。しかも結構就職しているんですね。入試偏差値でシグナリング機能が代替されてしまい、普通科に進学した意味が全くない彼らをどう救えるのか、ってところに主たる関心があるものですから。(最初に断っているように、私は教育の専門家ではなく、教育の高邁な理念なるものには何の思い入れもないものですから、何がどう役立つか、という関心からのみものを言っています)

>大学進学率の上昇をどう考えるのか

いろいろ論じ方はあるだろうと思いますが、元エントリーでちらりと触れたように、私は文科系三流私大底辺校には、普通科底辺校と同様に、優秀でもなく基礎的職業能力も欠如しているという状況が生じ、フリーターやニート現象の一原因となっているのではないかと考えています。
まあ、人文系はもともとそういうところだから、就職できないのは当たり前とも言えますが、この集団の中で一番大きな固まりは経済学部系ですから、

>大学レベルにおける職業教育のあり方論

をもっときちんとやる必要があると思っています。少なくとも、学生の親や税金を負担している国民の多くは職業レリバンスがあると思っているのですから、いやあただの教養だよ、では通らないのではないかと。そんならテツガクといっしょやないか。

>同一学校内での学力別クラス編成にすら抵抗がある日本のメンタリティ

これは根深い問題なので、もう少し考えてみたいと思います。ただ、だからこそ、あくまでも横割りの多様化であって、上は大学、大学院まで行けるんだよ、というふうにしておいた方が、受入やすいのではないか、と。

>通科的な学力に優れることが職能たりうる学者の世界や大規模組織(官庁など)のための人的資源の育成

そういう少数の人々のための仕組みに、それほど優秀でもない多くの人間を巻き込まない方が、後者の人々にとっては幸福でしょう。前者の方々については、とりあえず学者は別にすれば(といっても、個人的経験からすると、本質的に違わないようにも思いますが)高校時代にちょいと職業教育を受けたくらいでダメになるような奴は、そういう高度な実務家になる資格はないと思いますよ。

なんだか論点が拡散してしまいましたね。すみません。一部については私のブログでも書くかもしれませんが、とりあえず要点だけ。

私も、この職業科と普通科の問題は、日比谷や戸山から東大や東工大のような大学に行く人たちをスコープに入れてませんし、入れるべきではないと思っています。あの人たちには、あの人たちにふさわしい教育を別途設計すればよろしい。ただ一点加えれば、本田先生は、そういった層も含めかねないような議論として職業科の議論をしている可能性(要すれば、開成高校の学生に農業科の授業を教えろと聞こえかねない議論)があるし、彼女のブログあたりにおける彼女の熱烈なフォロワーは、そういう部分にポルポト的熱狂を感じている可能性を私は否定できないので、層だとすれば、それは違うんじゃないかという感じを持っています。

その上で、大学進学率の上昇に伴い、そういう職業と教育のrelevanceを見せてやらないといけない人たちが大学に大挙して入ってきているときに、職業へつなげるためにどうするかという議論、あるいはおっしゃるような必ずしも学力が十分あるとはいえない高校普通科の人たちをどうするかという議論をもっと深めていけばいいのになぁという理解をしています。

だから、いわゆる就活サイトを批判することは、この文脈からはまったく意味がないどころか、一体「れりばんす」って何をイメージして言ってるの?という疑問がぬぐえないのが難だなぁと。まさにあの就職プロセスこそが、職業が自分に求めていることを問われるプロセスであるのになぁと、これは私の個人的な経験もあってのことですが。

その議論が深まった上で、日本の学校におけるメンタリティというフィージビリティの問題が出てくるのかなと。

ということで、まとまってない私のコメントへのレスポンス、大変ありがとうございました。

ニョッキさん、再び有り難うございます。

いや、おととい、うちに近くのピザ・パスタ宅配業者のビラが入っていまして、大きく、「ジャガイモのニョッキ 新発売」と。
それをみるまでペンネームの由来に気がつきませんで申し訳ありません。「ポテト・グノーシス」とか読んでました、あほやね。

それはともかく、問題が能力的に中から下のあたりの人々をどう職業社会に統合していくか、にあるという点については、ニョッキさんと共通の理解が得られているのだと思います。上の連中については、おそらく私の方がやや厳しいようですね。開成だろうが、灘だろうが、農業実習や工場実習させられて潰れるような奴は、どのみち農学部や工学部に就職してから使えないだろうと。あるいは、少なくとも法学部や経済学部に行くんなら、複式簿記の付け方くらい実習させておいてもいいだろうと。高度な実務家養成にはアカデミズムに加えて少々の現場感覚が必要ですので、あんまり科挙っぽくなるのはいかがかな、という感覚はあります。こういうのってポルポト的熱狂なんでしょうかね。(世界的数学者や物理学者をどう養成するか、というような話になると、また別でしょうが)

ま、いずれにしても、本田先生のところでなぜかみんな興奮した就活サイトの話には、そういう意味でも何のレリバンスもない話なので、私は何の関心もなかったし、何でみんな口から泡吹いて興奮してるんだかわかりませんでした。

いずれ、ご自分のブログで、ニョッキさんなりの論点整理がされることを期待しております。

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