誰がデッドエンド仕事を担うか
一昨日のエントリーに対していただいたメールが2つの点を指摘されています。第1は、サービス経済化や生産のモジュール化などの進展により低賃金・低技能・キャリアのデッドエンド的な仕事が増加しているという労働需要の構造変化の問題、第2は、デッドエンド型の仕事を社会の中で誰が担うのかという問題です。
第2の方が簡単なのでこちらから考えてみます。かつては臨時工とか社外工という形で社会階層的に割り当てていたデッドエンド仕事を、主婦パートとか学生アルバイトという形で社会的排除を伴わずに遂行できるようになったことは、ジェンダー視点を別にすれば、社会学的には進歩だったと言えるでしょう。これが今崩れつつあり、若者から既に中年に到達しつつある「名無しの人材さん」という形でアンダークラスを形成しつつあり、高度成長期に確立したそれなりの職業人生と家庭生活から排除されてきつつあるというのが現在の見取り図だと思います。
そこで、もう一度、かつての主婦パートや学生アルバイトのように、一定の社会集団に、社会的排除を伴わずに、デッドエンド型ノンキャリア就業を割り当てるとしたら、ありうるのは高齢者しかないのかなと思っています。もちろん、これはそれなりの職業人生と家庭生活を送ってきたことを、それゆえ社会の主流にしっかりとインクルードされていることを前提とし、それに基づいて社会保障制度による収入と組み合わせる形で設計しなければなりませんが。
ここがうまくいかないと、まさに高齢ワーキングプア創出政策になってしまって、非難囂々になってしまうでしょう。それでなくても「労働者を死ぬまでこき使うこと」を提言していると言って糾弾されているものですから、ここは強調しておきます。
http://www.jrcl.org/liber/l1704.htm#8p
もう一つ、年齢差別反対というポリティカリーコレクトもありますね。高齢者が高齢者であるというだけの理由で、「シルバー人材さん」として補助的な仕事をしているという光景をどうみるかという問題です。これは社会哲学レベルでいかなる価値観を優先させるかという問題なのでしょう。
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