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2006年3月17日 (金)

2つの正義の狭間で

昨日も、都内某所で某研究会。

自分なりにぼんやりと考えたことども。

福祉というものを「正義」との関係で考えるとするときに、福祉サイドの「正義」だけでは話が収まらないのが最大の課題なのではないだろうか。福祉サイドにとっては、分配の正義というか、「乏しきに与えよ」というのが正義の原点なのだろうが、世の中はそういう正義だけで成り立っているわけではない。むしろ、メジャーな正義は交換の正義、等しきものに等しきものをという正義の観念こそが社会の中心にある正義だろう。これは市場経済の根本にある正義の観念であって、資本家だけがそういう正義を振り回しているとけなして済むものではない。考えてもみよ、同一価値労働同一賃金の原則とはまさにこの交換の正義の具現ではないか。私の労働はこれだけの価値があるはずなのに、これっぽっちの対価しか与えられないのは不当だ、という感覚は、福祉サイドの「格差が正義に反する」という観念ではなく、まさに市場プレイヤーとしての「差別が正義に反する」という観念であるはずだ。

そして、そういう等価交換の正義を貫いていけば、市場の内側にあるにも関わらず、等価交換になっていない部分があるとすれば、それは正義に反するものとして非難の対象となる。例えば、最低賃金などと称して、その労働者の生産性に対応すべき賃金よりも不当に高い賃金を強要するなどということは、まさに不正の極致といわなければならない。実際、経済学者の中には、そういう論拠で最低賃金を否定する議論が多い。それはそれとして筋が(少なくとも筋だけは)通っていると認めなければならない。

ところが、残念ながら、世の中は交換の正義だけで成り立っているわけでもない。乏しきに与えよ、という分配の正義が、福祉サイドが考えるほどメジャーな正義としてではないにしても、少なくとも憲法第25条に立脚して、「健康で文化的な最低限度の生活」をあらゆる国民に保障していることは明らかだ。そして、その福祉の世界は、市場の世界と境を接している。

そうすると、市場の世界では交換の正義に基づいて、その低い生産性に従い、一生懸命働いていながら不健康で非文化的な最低限度以下の生活を余儀なくされている人が、一歩境をまたいで、福祉の世界に逃げ込めば、働かなくても健康で文化的な最低限度の生活を保障されるということになる。究極のモラルハザードが発生するわけだが、これはこの我々が住む社会が2つの異なる正義の観念を有しているということに由来するものであるわけだ。

そこで、どう考えるか、だ。

正義に殉じるというのが一つの考え方だろう。いや、どっちの正義でもいいんだけどね。等価交換の正義に殉じるのであれば、徹底して殉じて貰いたい。市場経済の周辺部で、低い生産性の故にこぼれ落ちかけている人が向こう側に行ってしまわないように、生活保護などというばかげた制度は撤廃せよ、と明確に主張して貰いたいし、そもそも憲法第25条などという気違いじみた条項は、何よりも先に廃止せよと主張して貰いたい。そういう制度はちゃんと作っておきながら、厳重に鉄条網で囲って、入口で怖い役人が棍棒を振り回して追い散らして、入らせないようにするというようなやり方で、ごまかすのは止めて貰いたいわけだ。

福祉の正義に殉じるのは、おそらくもっと難しい。人は確かにある程度の規模の共同体の中では、当該共同体内部の共同性を「公共性」として捉え、個体レベルのエゴイズムを抑制する可能性がある。一番はっきりしているのは「家族」だろうが、その家族のメタファーが用いられる限りで、企業とか場合によっては国家のレベルにまでその「共同性」=「公共性」が拡大する可能性がある。しかし、常にその裏腹に、個体エゴイズムがうごめいているのも確かだろう。

福祉の正義を論じる人が最期に拠り所にするのが、この「公共性」という奴なんだが、私にはそれは「俺たち仲間」という強い認識を前提にするもののように思う。仲間でない奴に、「公共性」は適用できるのか?一体どこまでが仲間なんだ。国民はみんな仲間か。外国人はどうか。それも素直に統合されるならともかく、ムハンマドのポンチ絵がけしからんとかいって、騒ぎ立てる連中はどうだ。それとも地球上の65億人、みんな等しく仲間だとでもいうのか。

福祉の正義、分配の正義とは、突き詰めれば、同じ仲間なのに、こんな目に遭っているのはかわいそうだ、なんとかしてあげるべきだ、という感覚に立脚しているように思われる。その意味では、それはどこまでを仲間と感じるかという主観的な要件に依存している。しかし、一方で、現在の法制度の下では、少なくとも同じ日本国民はぎりぎり究極的に仲間であることになっている。そして、それを前提にして、改めてさっきの生産性が低くて健康で文化的な生活が送れるような賃金が稼得できない人を考えてみよう。

ここに3つの価格がある。市場賃金と法定最低賃金と、そして生活保護の給付額だ。ここでも書いたように、現在の日本では、法定最低賃金額が生活保護の給付額を下回っている。市場の中で頑張って働いている人は不健康で非文化的な生活に甘んじなさいといっているようなものだ。しかし、それならみんな生活保護に移行するかといえばそうではない。これは、もちろんこれまで身ぐるみ剥がないと入れないような(法律の文言上は大変疑問のある)運用をしていたためでもあるが、おそらくそれだけではない。そういう運用は労働可能年齢の男性に体しては大変厳しかったが、子どもを抱えた女性に対してはかならずしもそうではなかった。にもかかわらず、日本のシングルマザーの就業率は世界的に見て驚異的に高い。なんとシングルマザーの80%が就労しているのだ。生活保護の大部分がシングルマザーで占められ、彼女らをどうするかが福祉当局の最大課題であるアメリカをはじめ欧米諸国からすると、なんとも勤勉で健気な日本のシングルマザーなのだ。

そして、彼女らの就業形態をみると、50%がパートタイマーで、フルタイムは30%に過ぎない。ということは、彼女らの賃金水準は最低賃金近傍の市場価格に張り付いていることが多いということだろう。そういう働くシングルマザーは、生活保護を受給するシングルマザーよりも低い生活水準を耐えながら、交換の正義の領域にとどまろうとしているわけである。

正義はその性質上、純粋であることを求める。不純であることを要求するようなものは正義ではあり得ない。それはよくわかる。だから、正義を語る者は、常にその(自分の)正義がより純粋なものとなるように求める。交換の正義も、分配の正義もそうだ。交換の正義を語る者にとっては、生産性に相当する賃金が支払われることが正義であって、そいつが生活保護を受け出したらそれよりももっといい生活ができるなどというようなことはレリバントでないし、分配の正義を語る者にとっては、健康で文化的な生活を確保することが正義であって、そいつが働きだしたらもっと悪い生活に陥ってしまうなどということはレリバントではない。

しかし、ここには、この境界線近傍には、両方の正義が境を接しているのだ。専門家の土俵からは遠くても、そこでは向こう側の「正義」はごく身近な存在なのである。正義が純粋であればあるほど、不正をもたらすという事態が、これほどくっきりと現れることもめずらしい。

我々は正義を純化するのではなく、不純化する方向を自覚的に取らなければならないのではないだろうか。交換の正義の中に分配の正義という不純物を盛り込み、等価交換原理に反する最低賃金を、今のような生活保護未満のものではなく、そっちの方が有利になるような、そう、市場を歪めるような仕組みを、持ち込まなければいけないのではないだろうか。最低賃金はいかなる意味でも「正義」ではない。それに反するものだ。不純だ。不正義だ。だからこそ必要なのではないのか。

逆に、分配の正義の中に交換の正義という不純物を盛り込み、困窮しているから、生きていくのに必要だからお金を上げるのではなくて、一生懸命働こうとしているから、それに向けて努力しているから、その努力と苦労に免じて、いわば仮想的な交換原理に基づいて、給付を与えるべきではないのか。それはもちろん、「正義」ではない。不純だ、不正義だ。福祉に命を懸けてきた人から見れば、許し難い冒涜とすら見えるかも知れない。しかし、だからこそ必要なのではないのか。

じつはこれはさらに議論を拡大すると、長期雇用システム自体の「正義」性にも及ぶ。ここではそこまでの余裕はないので、また改めて考えよう。

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