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2006年3月10日 (金)

足もとはどうなっているかその2

昨日、都内某所で某研究会某作業部会。

自分なりの大まかな見取り図。

1950年代に総評主導で大争議が繰り返され、左翼組合が崩壊し、右派組合が形成され、生産性運動が進む中で、労使協議システムが確立されていった。それが試されたのが1970年代の石油危機後の雇用調整、仁田先生の研究に書かれているような企業レベル、事業所レベル、職場レベルへと降りていき、それを集約していくメカニズムがうまく働いた。うまくというのは、末端の労働者に至るまで情報を流し、説得し、その納得を取り付けるという機能。

この古典的モデルが80年代にもてはやされたあと、90年代に急激に空洞化していった?一つはグローバル化、情報化でフレクシビリティが求められる。しかし、フレクシビリティというのなら、古典的モデルはまさに環境変化にフレクシブルに対応するモデル。もう一つの要因はスピード経営、いちいち組合に協議し、それを支部におろし、分会におろし、意見を集約してその回答を待ってやってたんじゃ間に合わない。

おそらくここにコーポレートガバナンスが関わってくる。ジャコービイ先生流にいえば、カネを出すステークホルダーの利益を代弁する財務部と、労働力を出すステークホルダーの利益を代弁する人事部の力関係のシフト。ったく、人事部は組合の顔色ばかり窺いやがって、そんなんで経営ができるか!

で、これがインサイダー取引問題という形で提起される。んな重大な経営情報を組合なんかに渡して大丈夫なのか?あいつらそれを下の方におろしていくんだろ、悪さしたらどうするんだ。要するに、労働者ごときはインサイダーに入れてやらねえんだ。あいつらは仲間じゃねえ。50年代の争議を通じて形作られた労務屋と企業別組合の共同体が空洞化していく。

最近では、一時金交渉ですら、業績連動型一時金だから業績を示せと言うとそれはインサイダー情報だからダメだという状況らしい。いくら儲かっているかも知らされずに、儲けの分配を交渉するってのは無理だろう。もはやステークホルダーじゃないってことか。

それでも義理と人情に厚い労務屋は企業別組合幹部には情報を流すが、あんたの胸に納めて下に流さないでくれ。義理と人情の板挟み。上で何がされているか、支部にもわからない。せめて支部におろせば、今度は支部の三役が板挟み。

一方で、組合民主主義や公正代表義務という問題がある。組合員にきちんと情報を知らせずに、幹部だけで情報を独占して、勝手に組合員の利害に関わる意思決定をしていっていいのか。

そして、労働契約法だ、あそこでは過半数組合に整理解雇の正当性や労働条件不利益変更の正当性の判断を相当程度委ねるような設計になっている。その正当性の根拠は、実は古典的モデルにあるような、ある程度時間をかけて末端にまで情報を流し、説得し、納得を取り付けるというメカニズムにあったはず。70年代に確立した判例は、そういう労使関係を前提として、そういう判断を作ってきた。それ自体が空洞化しつつあるとすると、一体どうなるんだ。

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