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2006年3月

労働時間等設定改善指針

本日付で、労働時間等の設定の改善に関する特別措置法に基づく労働時間等設定改善指針が告示されました。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/dl/h0331-6b.pdf

いままでは時短の指針だったので、かなり変わってます。まずはじめの方にあるのが労働時間の適正把握。自己の雇用する労働者の労働時間の実態について適正に把握していることが前提になるとし、従ってその雇用する労働者の始業・終業時刻、年次有給休暇の取得、時間当たりの業務負担の度合い等を適正に把握すべきと述べています。労働時間の適正把握は2001年のサービス残業通達で出されていますが、興味深いのはこの「業務負担の度合い」です。これがあとで効いてきます。

具体的な措置はいろいろと書かれていますが、目新しいのは、新たな項目として「労働時間の管理の適正化」というタイトルのもとに、時間的に過密な業務の運用により、労働者の疲労の蓄積や作業の誤りが生じ、健康障害や重大な事故につながる懸念があるとして、事業主に時間的に過密とならない業務の運用を求めている点です。これは法令の中で労働密度の問題に言及した初めての例ではないかと思われます。まあ、短ければいいってもんじゃないのは確かですが、この業務負担や過密労働の適正化というのをどういう風に取り組んでいくのかは、これだけではなんとも指針にならない気がします。これを具体化するだけで研究会の一つや二つ必要なんじゃないでしょうか。また、これは労働時間の設定改善という観点よりも、労働者の健康保持という安全衛生の観点が中心になるべきものでしょうね。

また、特に配慮を必要とする労働者として、特に健康の保持に努める必要があると認められる労働者(特に定義は見当たりませんが、長時間労働や深夜業を行う労働者をさすようです。)に対して、医師の意見を勘案して、労働時間の短縮や深夜業回数の減少等の措置を講ずることを求めています。

そのほか、育児・介護を行う労働者、妊娠中・出産後の女性労働者に触れていますが、さらに新たに単身赴任者に対して、心身の健康保持、家族の絆の維持、子の健全な育成のために、休日は家族のもとに帰って共に過ごせるよう、休日の前日の終業時刻の繰り上げ、休日の翌日の始業時刻の繰り下げを行うことを求め、休日前後の年休の半日単位の付与を検討せよとか、家族の誕生日や記念日には休暇を付与せよといったかなり細かい提示をしているところが目につきます。

また自発的な職業能力開発を図る労働者に対して、有給教育訓練休暇、長期教育訓練休暇等の付与、始業・終業時刻の変更、時間外労働の制限を求め、地域活動、ボランティア活動に参加する労働者に対して、特別な休暇や年休の半日単位の付与を求めているます。

総じて、労働時間政策が安全衛生とワークライフバランスを中心とする政策にシフトしていることがよくわかる政策文書と言えます。

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ILO結社の自由委員会勧告

一昨日のILO理事会で結社の自由委員会勧告が採択された、と連合のHPに載っていました。これが古賀事務局長名の談話です。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2006/20060330_1143684844.html

その中で、「国家の運営に従事しない公務労働者への団体交渉権および協約締結権の付与」と「国家の名において職権を行使することのない公務労働者にはストライキ権を保障すること」が求められた、と書かれています。

この原文がようやくILOのサイトにアップされたので見てみると、それぞれ、英語では、

ensuring that public employees not engaged in the administration of the State have the right to bargain collectively and to conclude collective agreements;

ensuring that those public employees who are not exercising authority in the name of the State can enjoy the right to strike;

http://www.ilo.org/public/english/standards/relm/gb/docs/gb295/pdf/gb-8-1.pdf

フランス語では、

s’assurer que les travailleurs du service public qui ne sont pas commis à l’administration de l’Etat ont le droit de négocier collectivement et de conclure des accords collectifs;

s’assurer que les travailleurs du service public qui n’exercent pas d’autorité au nom de l’Etat jouissent du droit de faire grève;

http://www.ilo.org/public/french/standards/relm/gb/docs/gb295/pdf/gb-8-1.pdf

となっています。

まあ、訳語の選択も宣伝のうちではあるのでしょうが、「国家の運営」とか言われるとすごくハイレベルの政策決定者みたいな感じがしますが、これはアドミニストレーションを意図的に訳した感じです。確かに、ハーバー・サイモンの名著『経営行動』の原題は「アドミニストラチブ・ビヘイビア」ですし、アメリカのエグゼンプション対象者の一つにアドミニストラチブ・エンプロイーというのがありますが、ここで言ってるアドミニストレーションというのは「行政」ということでしょう。素直に「行政事務に従事しているんじゃない公共部門の被用者」というのとはかなり受ける印象が違います。

わたしには、こういうILOの勧告の発想のもとにあるのは、ヨーロッパ大陸型の2層制ないし3層制の公務法制にように思われます。日本も戦前はそうでしたが、官吏(ドイツではベアムテ、フランスではフォンクショネール)というのは公法上の任用関係で、団体交渉権やスト権は制約されていますが、その下で働く雇員(ドイツではアンゲシュテルテ)とか傭人(ドイツではアルバイター)とかは私法上の雇用契約関係で、労働基本権があるのは当然という世界です。そうすると、一つの組織を捉えても、その上の方と下の方の間に横に線を引いて、下の人には団体交渉権もスト権もありよ、というのは自然なのでしょう。

ところが、日本は占領下でアメリカに一番下っ端までぜーんぶ公務員という法制を押しつけられてしまい、以来半世紀にわたってそれを変えずに守り続けてきたわけで、そうすると、どこかで横に線を引こうと思ってもできない、線引きは縦にしかできない(現業と非現業とか、もっとも今までの「非現業」は病院や学校まで入っていて広すぎましたが)、わけです。

(実は、厳密に言うと、地方公務員については「単純労務職員」という形でアルバイターは別よという思想の名残があります。もっとも、それが何であるかは、政令が廃止されて法制上は不明なんですが)

日本の公務員法制をヨーロッパ大陸型にすべきだ、というのであれば、これは大変重要な問題提起でありますし、私はむしろ賛成なのですが(別に下の人は首切り自由になるわけではなく、解雇権濫用法理や就業規則変更法理が適用されるわけです)、連合は、あるいは日本の公務員労組は、そこまで踏み切る覚悟をもって労働基本権を主張しているのかな、というのが、疑問の残るところではあるんですね。

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臨時職員雇い止め判決続報

昨日のエントリーの続きです。

昨日紹介したサイトに判決文の全文がスキャンしたPDFファイルで掲載されています。労判に載るのはだいぶ先でしょうから、しばらくこれで見ていきましょう。

http://www.f8.dion.ne.jp/~wtutokyo/06.3.24.pdf

判決は、まず原告の勤務関係は公務員任用関係であるとし、任用更新を繰り返されたからといって常勤職員に転化することもなければ、東芝柳町のように実質的に期間の定めなき契約と同視できるようになることもなく、日立メディコのように合理的期待に法的保護が与えられるのも困難、と、まずは原告の言い分を否定しています。

しかし、その後、権利濫用法理と信義誠実の法理は公法上の法律関係においても適用の余地のある普遍的法原理であるとし、最高裁の阪大図書館事件判決でも、特段の事情があれば「国賠法による賠償を認める余地がある」というのを引っ張ってきて、特段の事情があれば臨時職員の任用更新拒否が違法と評価されることがあり得るとし、いくつか下級審判決も引きながら、結論として、特段の事情が認められれば権利濫用法理ないし信義則法理により、任命権者は任用更新を拒絶できないという結論を導いているのですね。

ここが本判決のキモでありまして、昨日引用した「愛着」とか「明日からの生活」とか「冷淡すぎ」とか「相応の礼」とかは、「著しく正義に反し社会通念上是認し得ない」から、この「特段の事情」があるという論拠になるわけです。

どうなんですかね、これは。上記阪大図書館事件最高裁判決は、再任用の権利など全くないと断言した上で、そういう誤った期待を抱かせたんであれば、国賠の余地はあるといってるように思われるんですが、そこはあえて踏み越えているわけです。議論を呼ぶところでしょうね。

ただ、この判決が面白いのは、公務員制度改革の流れの中においてみると、別のインプリケーションを持ちうるかも知れないという点でしょう。公務員にも成果主義を導入するとか、成績が悪ければ免職もあるべしという話になってくれば、公法上の任用関係であっても解雇権濫用法理の準用という議論は当然あり得るわけで、そうなると準用の準用もあり得ますから、これはそれを先取りしたものということになるかも知れません。

いろんな意味で興味深い判決だと思います。

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請負事業に関する調査結果

厚生労働省のHPに、労働力需給制度に関する調査結果がPDFファイルで載っています。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/haken-shoukai01/index.html

回答率は請負事業者、請負労働者とも1割台、請負発注者は5%程度なので、どこまで正確な姿が描かれているかという問題はあるでしょうが、それにしても結構面白い結果が出ています。

興味深いのはやはり最後の請負労働者調査で、年齢は20代と30代が3割半ずつ、学歴は3分の2が高卒。親と同居が4割の一方、配偶者と同居も4割というのは、その性格の複雑さを物語っているようです。但し、親と同居していても、親の収入に頼っているのはほとんどおらず、全体の3分の2は自分の収入で生計を立てています。

有期契約は6割というのは低いような気もしますが、請負の性格上、無期雇用といっても請負が終われば雇用も終わりということかも知れません(そもそも選択肢に請負終了までの有期というのがないし)。有期の場合の期間は4割が4-6ヶ月、3割半が2-3ヶ月で、9割以上が基本的に更新されると聞いているということで、実際の勤務期間は3割近くが1-2年となっていますから、そうなんでしょう。

この勤務期間は現在の発注者の就業場での就業期間より若干長いだけなので、両者はほとんど対応しているのでしょう。これが3年以上というのが2割もいるというのは、少なくとも量的には基幹化しつつあるというべきでしょうか。

勤務時間はフルタイムがほとんどで、残業はほとんど毎日と週2,3回を合わせると6割で、それも1日あたり1-2時間と2-3時間が4割ずつ、しかも4割は月1-2回の休日出勤もこなしているのですから、労働時間で見れば立派に正社員なみです。

請負労働者という働き方を選択した理由は、仕事がすぐに見つかるからが4割、正社員として働きたいが見つからないが3割、ということですから、意識も正社員志向が強いようです。そして、請負という働き方のデメリットして「将来の見通しが立たない」というのが4割にのぼり、収入が不安定、雇用が不安定の3割よりも多いことは、やはりどこに最大の問題があるかを物語っているように思います。「技能が向上しても評価が上がらない」というのも3割近くあります。

教育訓練を受けたが6割もあるので、思わず「えっ」となるんですが、すぐ後ろを見ると、8割が採用時で、半分近くが1-2日というものですから、そういうのは教育訓練というのかただのオリテンテーションじゃないのかと首をかしげたくなります。

時給は平均1000円強ですから、普通のパート、アルバイトよりも高めです。日給にして9000円、月給にして20万円、年収にして250万円というのが、平均的なプロフィールなんですね。これで基本的には自分の生活を賄っているわけです。

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非常勤職員の雇い止め判決

先週末の3月24日、東京地裁が非常勤公務員の再任拒否は無効とする判決を下したようです。

http://www.asahi.com/national/update/0324/TKY200603240349.html

今のところ、まだ最高裁のHPにも掲載されていないのですが、どこかに判決文が落ちてないかなときょろきょろ探していると、その一部がここに載っていました。

http://www.f8.dion.ne.jp/~wtutokyo/3.23.htm

これは女性ユニオン東京のサイトで、判決理由のごく一部だけ載っています。読んでみると、なんというか、どういう理屈で勝たせたのだろうかと思っていたのですが・・・

思うに、非常勤職員と言っても、任用更新の機会の度に更新の途を選ぶに当たっては、その職場に対する愛着というものがあるはずであり、それは、更新を重ねるごとにましていくことも稀でなはいところある。任命権者としては、そのような愛着を職場での資源として取り入れ、もってその活性化に資するように心がけることが、とりわけ日本の職場において重要であって、それは、民間の企業社会であろうと公法上の任用関係であろうと変わらないものと思われる。
 また、非常勤職員に対する任用更新の当否ないし担当業務の外注化の当否については方針もあろうが、任用を打ち切られた職員にとっては、明日からの生活があるのであって、道具を取り替えるのとは訳が違うのである。
 これを本件についてみるに、国情研においては、原告ら非常勤職員に対して冷淡すぎたのではないかと感じられるところである。永年勤めた職員に対して任用を打ち切るのであれば、適正な手続きを試み、相応の礼を尽くすべきものと、思料する次第である。

なるほど、「相応の礼」ですか、法理論かなという感じもしないではないですが、まあしかし考えてみれば、解雇権濫用法理にしたって、その有期雇用の雇い止めへの準用法理にしたって、はじめの一歩はこういう「死の跳躍」だったのかも知れないですね。

ただ、ここはもともと国の機関だったものが独立行政法人になる際に雇い止めしたという事情があるので、その辺がこの判決にどう影響しているのかが知りたいところです。現段階では、民間の一般の労働法制が適用されているわけですから、そうなる直前に切ったというのがどこまで影響しているのか。逆に、公務員法制への影響はどこまでなのか。事案がよくわからないのですが、たとえば地方自治体なんかでよくやられている、更新のたびに1ヶ月のクーリング期間をおくといったことはどう評価されうるのか。下の方で、日々雇用で1日クーリング期間をおいた事案とは違うといってますから、少なくとも雇用契約期間と同じ長さのクーリング期間をおけばOKという判断なのでしょう。多分、公務部門の人事当局は必死に分析を始めているのではないかと思います。

もひとつ、気になるのが、どうもこの判決では「信義則」を使っているらしいことです。これは、国の機関に関するものだから、法律の一般原則を持ち出した、ということなのでしょうが、これは権利濫用法理よりも使い勝手がいいですから、民間の有期労働契約の雇い止めにも使える可能性があります。そうすると、そもそも解雇じゃないから解雇権を濫用したわけでもないのに、その準用とか称してアクロバティックな法理をこねくり回している必要がなくなってしまうかも知れません。そうすると、これは大変影響が大きくなる可能性もあります。公務員官庁さんがお考えになることで、といって知らんぷりしているわけにはもしかしたらいけないかもしれませんよ。

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EU社会政策作業予定

3月24日現在の、今年の今後の作業予定表がアップされています。

http://www.europa.eu.int/comm/atwork/programmes/docs/forward_programming.pdf

この中から、労働社会政策関係のものをピックアップしてみると、以下のようになります。

欧州の社会的統合2006                        3月
安全衛生諸指令の簡素化・合理化指令案            4月
労働者海外派遣指令に関するCOM                4月
労働者海外派遣指令実施報告                   4月
公益社会サービス(医療サービスを含む)COM         4月
旅客運送業の労働時間に関する報告              4月
労働法の進化グリーンペーパー                  5月
人口学的変化の各国・EU政策への影響第1次報告      5月
有期労働契約指令実施報告                    5月
新財政展望における自律的行動と労使対話COM       6月
欧州労使関係報告2006                        6月
作業用器具指令好事例ガイド                    6月
欧州の雇用2006                             9月
企業譲渡指令改正(国際的側面)労使への協議        12月
テレワーク協約実施状況報告                    12月
物理的要因(振動)指令好事例ガイド               12月
人種民族均等指令実施報告                 第1四半期
発癌物質指令改正に関する労使への第2次協議    第1四半期
企業倒産指令第8条実施報告                 第1四半期
沖合労働の労働時間に関する実施報告          第1四半期
ディーセントワークの促進                   第1四半期
欧州の人口の未来COM                     第2四半期
筋骨格疾病に関する労使への第2次協議         第2四半期
建設現場安全衛生指令実施報告COM           第2四半期
一般雇用均等指令実施報告                  第3四半期
安全衛生戦略(2002-2006)実施状況報告          第3四半期
安全衛生新戦略(2007-2012)COM               第4四半期
労働市場排除者の統合労使への第2次協議        第4四半期
EUの人口社会状況2006                     第4四半期
医療介護報告2006                        第4四半期

なんと言っても、一番関心があるのは、5月に予定されている労働法の進化グリーンペーパーでしょう。それから、労働市場排除者に関する第2次協議がどういう中味になるのかも注目されます。

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雇用保険制度の見直し開始

労働政策審議会の雇用保険部会が雇用保険制度の見直しに関する審議を開始しました。第1回目の資料がHP上にアップされています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/03/s0303-5.html

2月にまとめられた雇用保険基本問題研究会の「雇用保険制度の在り方に係る議論の整理」というのが議論の出発点のようです。これは、まさに「議論の整理」であって、一定の政策方向を打ち出しているというわけでは必ずしもありませんが、そうはいっても、議論の大枠はここまでよという一定の設定は若干されています。

その中からいくつか、議論の焦点になりそうなトピックを拾ってみましょう。

どういう人々に適用すべきかという問題については、前回改正の際から公務員への適用問題が論点になり、また最近は公務員制度改革の関係で、能力主義の導入や労働基本権問題などとも絡めて議論がされていますが、ここでは「公務員制度の在り方に係る議論、諸外国の法制度をふまえつつ、将来に向けて検討していくべき課題ではないか」とやや距離を置いた姿勢になっています。

それよりもむしろ興味深いのは、(1)非典型労働者(週所定労働時間20時間未満or雇用見込み期間1年未満)への適用拡大、(2)いわゆるマルチジョブホルダー(個々の就業では適用要件を充たさない者)、(3)非雇用の働き方(テレワーク、在宅就業、請負契約で就業する者)、(4)65歳以上の者・・・といったこれまで制度的に対象外にしていた者について、適用対象にするか、するとすれば、何をもって「失業」と捉えるのか、「離職前賃金」「被保険者資格取得」は何か、労使折半の保険料負担はどうするのか、等々といったかなり本質的な議論の出発点になる論点を示していることです。突っ込んでいくと大変な議論になりそうなものばかり・・・。

基本手当の在り方については、生活の安定と再就職促進という2つの目的を両立させるという正しい問題設定から、定率制だけでも定額制だけでもダメというまあ当然の結論を維持しているわけですが、支給期間が一定期間を超えた場合に給付率を逓減させる案とか、給付制限をもっと厳しくすることなどが提示されています。英独仏のような手厚い失業扶助は難しいと、先回りして釘を刺していますが、これはむしろ生活保護制度との関係で論じるべきことでしょう。まあ、よそ様の局の制度に嘴を挟むようなことは言いにくいのでしょうが。

あといろんな手当についても論点が示されていますが、最近の特別会計改革との関係でいうと一番重要なのは財政運営の在り方と雇用保険3事業に関するところです。昨年12月24日の閣議決定「行政改革の重要方針」において、「労働保険特別会計については、原則として純粋な保険給付事業に限り本特別会計にて経理するものとし、労働福祉事業及び雇用保険3事業については、廃止も含め徹底的な見直しを行うものとする。また、失業給付事業における国庫負担の在り方については、廃止を含め検討するものとする」と書かれているだけに、これにどう対応するかというのが重要な課題になるわけです。

この論点整理では、「保険料負担は労使の共同連帯による保険制度として引き続き労使折半とすることが適当」とした上で、「国庫負担は原則として廃止し、雇用保険では労使が共同連帯で負担すべき範囲を定め、それ以上の負担については、国庫負担を行うという考え方もあるが、どうか」と提起しています。例えば、「雇用が急激に悪化し、労使の保険料だけでは給付ができなくなった場合、国庫が負担するという考え方はどうか」というわけです。これと積立金の問題、急激な雇用悪化時の対応の在り方論なども絡んで、ここは大きな論点ですね。

ターゲットにされている3事業については、現実には「我が国の雇用対策において中心的な役割を果たしており」、「雇用保険制度によって引き続き実施していく必要があるのではないか」というのがまあ関係者の本音であるわけですが、とはいえ特別会計改革で「廃止も含め徹底的な見直し」を求められている以上、現状維持というわけにもいきません。そこで、「失業等給付の付帯事業であるという原点に立ち返り、失業なき労働移動の支援等雇用のミスマッチ縮小のための雇用対策や、人口減少社会を見据えた仕事と家庭の両立支援、高齢者の雇用支援等、できる限り失業を発生させないようにする対策」に集中し、失業予防や再就職促進に直結しない雇用福祉事業は総ざらいして抜本的に再編するという方向が示されています。まあ、何かと批判を浴びているのは最後の雇用福祉事業であって、雇用安定事業や能力開発事業は労使ともうかつに廃止されては困るはずですから、労政審ではそういう方向になるんだと思うのですが、この辺は政治の方がどういう方向に動いていくのかとも絡みますから、どうなるか注目していく必要があるでしょう。

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中村圭介氏の『成果主義の真実』

一見すると、薄っぺらな成果主義マンセー本か、「虚妄」本みたいなタイトルですが、そこは中村先生のこと、結構深いですよ。

http://www.toyokeizai.co.jp/CGI/kensaku/syousai.cgi?isbn=26080-3

読んでいて、一番膝を叩いたのは「成果主義を論じるとき、多くの人は、成果とは何か、成果をいかに測定するかに関心を向ける。だが、それは、やや的外れの議論なのだ。成果主義は何よりも賃金制度改革である。賃金に何が生じたのか。これにこそ焦点を当てる必要がある」という一節(99頁)です。

それが一番よく顕れているのが、本書で「意識的な分離型成果主義」と名付けられているトヨタの事例でしょうが、意図せざる分離型と呼ばれている某情報通信企業も、成果主義先進企業として注目を浴びた某電機メーカーのプロセス重視型成果主義も、年功的運用により総額人件費の増大をもたらしていた職能資格制度の改革と見ると、大変わかりやすいのです。

ここから思いつきでコメントすると、90年代以来、インフレーションなら名目賃金上昇を抑制するというやり方で可能であった実質賃金コストの引き下げが、デフレーションの中で困難になってしまったという状況の中で、大竹先生の云われる「既存労働者の既得権」を削るいかにももっともらしい手段として、成果主義はそれなりに機能したのではなかろうか、という気がします。だから、そもそも若い世代に適用するような話ではないし、高橋伸夫先生が「育てる経営」の重要性を強調されるのと、本質的には全然矛盾しないんじゃなかろうか。

<追記>

労務屋さんが本書を書評しておられます。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060822

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春の欧州理事会

先週末の23,24日、毎年恒例の春のブリュッセル欧州理事会が開催されました。これがその結論文書です。

http://ue.eu.int/ueDocs/cms_Data/docs/pressData/en/ec/89013.pdf

雇用政策については、2010年まで毎年200万人以上の雇用を創出するという目標を掲げています。そのために、

(1)就業へのライフサイクルアプローチ、職業生涯を通じた速やかな雇用移動の促進、経済における総実労働時間の増大、人的資本への投資の改善、

(2)積極的・予防的措置への移行、賃金雇用への求職の奨励、

(3)低技能・低賃金の者、とりわけ労働市場の周辺部にいる者に焦点を当てる、

といった政策が並んでいます。無業者をできるだけ労働市場に引き入れるとともに、キャリア展望のない周辺的労働者をより中心部に統合していくというインクルージョン型雇用政策に変わりはないわけですが、今年の特徴は人的資本への投資、つまり教育訓練の強調でしょうか。教育訓練がリスボン改革アジェンダの中心だとまで云っています。

燃えさかるパリの炎を横目に、若者対策としては早期退学を2010年までに10%減らすことが挙げられており、学校を退学して失業している若者に対して、2007年末までに6ヶ月以内に就業、徒弟制、訓練その他の就業能力向上措置を与えられるべきこと、2010年までには4ヶ月以内に、という数値目標が掲げられています。

ところで、上の「総実労働時間の増大」という言葉にぎょっとしたかも知れません。ここでの意味は、世の中で働いている時間をできるだけ増やすようにしようよ、ということで、早期引退じゃなくってもっと長く働くとか、家事育児負担で家庭に引っ込むんじゃなくって仕事をするとか、それもできればパートタイムよりフルタイムの方がいいとか、そういう意味ですので、何も燃え尽きるまでハードワークしろと云ってるわけではありません。

ただ、それを「労働時間の増大」という表現で打ち出してくるところは、何とはなしに雰囲気の変化があるのかなあという感じもします。少なくとも、時短はそれ自体では全然正義ではない、という潮流の変化はあるような気がします。

それとも若干関係するのでしょうが、今年の結論文書はフレクシキュリティ、つまりフレクシビリティとセキュリティをバランスさせるという概念を正面から打ち出しています。各国はこのフレクシキュリティの考え方に基づき、労働市場と社会政策の改革を進めよ、と述べています。ただ、じゃあ、具体的にどういう方向がフレクシキュリティなのかというと、それは明確にはされていません。今後欧州委員会が各国や労使と共に、フレクシキュリティの共通原則を探求すると書かれています。

多分、ドビルパン首相にとっては、若者は採用後2年間首切りOKよというのは、自分なりのフレクシビリティとセキュリティを結合した会心の策だったんでしょうね。2年たったら安定するんだからそれまで我慢すればいいじゃないか、と。それがここまで炎上するのですから、フレクシキュリティといってもそう簡単ではない。

あと、ここで何回か紹介したグローバル調整基金について、2007年1月からの施行を求めました。

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欧州労使の作業計画2006-2008

昨日(3月23日)、EUサミット(欧州理事会)に先立って、欧州労使団体によるソーシャル・サミットが開催され、3年ぶりに欧州労使の作業計画2006-2008が公表されました。

http://212.3.246.117/1/CIDJHHAADEGHLFNGLNJEGDIHPDBN9DBKWN9LI71KM/UNICE/docs/DLS/2006-00416-EN.pdf

既に14日のエントリーで紹介しているように、2月からハラスメントと暴力に関する自発的協約の締結に向けた交渉が開始されていますが、これを2006年中にやると明記しています。セクハラ以外の職場のいじめ問題に対して、欧州労使がどういう解を出してくるか興味深いところです。

同じく協約締結を明言しているものとして、「労働市場における不利益を被っている集団の統合又は生涯学習に関する自律的枠組み協約に向けて交渉する」というのがあります。この英語の構文がよくわからないのですが、either・・・orはどっちかをやるというのか、どっちもやるといってるのか、わざとそこをぼかしているのか、またこの両者の関係はどういうことなのか、なんだかよくわかりません。前者は、こないだ欧州委員会から協議が開始された「労働市場から排除された人々の統合」とつながっているようでもありますが、さて。

大きな関心を持たれていたのは、13日のエントリーで書いたように、リストラ問題です。これについては、大変わかりにくい表現ですが、「EU10カ国における経済社会変化に関する研究を完了し、これをEU15カ国に拡大し、これを基礎に、変化とその社会的帰結のマネージに関する参照オリエンテーション及び欧州労使協議会に関する得られた共同の教訓を促進し、評価する」と述べています。

これについては、UNICEのセリエール会長の発言が理解の助けになります。

http://212.3.246.117/1/CIDJHHAADEGHLFNGLNJEGDIHPDBN9DBKWN9LI71KM/UNICE/docs/DLS/2006-00416-EN.pdf

昨年、欧州委員会はリストラと欧州労使協議会の見直しについてなんか言ってきたけど、この研究の完成が一つの答だね、報告も作ったよ。ETUCがこれに参加してくれたのは大変うれしい云々。要するに、俺たちでうまくやるから、役人は余計な手出しをするな、と、こう言いたいわけです。

そのUNICEが作った報告がこれ。

http://212.3.246.117/3/CIDJHHAADEGHLFNGLNJEGDIHPDBN9DBKWY9LI71KM/UNICE/docs/DLS/2006-00411-EN.pdf

「リストラクチュアリング:マネージング・チェンジに関する労使の活動に関する報告」という題の小冊子ですが、その結論のところで、EUや各国の情報提供。協議に関する法制は値打ちがありますよ、経営側と労働側に協調的文化を構築し、変化に対応することに役立ってきました、だけど、多重で複雑な情報・協議システムはコストがかかる、リストラのプロセスを不必要に遅らせるのは反生産的だ、なぜなら必要な変化が延期されると却ってマイナスの社会的帰結が増えてしまう云々、とさらなるリストラ規制に対して予防線を張っています。

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ヨーロッパをCSRの極上の極とする

ということで、出る前からいろいろ文句の付いていた欧州委員会のCSRに関する新たなコミュニケーションが出ました。「成長と雇用へのパートナーシップを実行する:ヨーロッパを企業の社会的責任の極上の極(a pole of excellence)にする」というご大層な題名です。

http://europa.eu.int/comm/enterprise/csr/policy.htm

今のところ、企業総局のHPに載ってるだけで、雇用社会総局のHPには載っていませんね。欧州委内部の権力構造に何か変化があったのかも知れません。ヨーロッパの企業がCSRを促進していくための開かれた同盟として、欧州CSR同盟を支援していくという中味ですが、いろいろ批判があったのを意識してか、ほかのステークホールダーを忘れている訳じゃないよ、と弁明しています。

ただ、企業総局の役人の立場に立って考えれば、労働組合くらいならまだしも、訳のわからんNGOとかNPOとか妙な団体がうるさいことばかり喚かれたんでは、まとまるものもまとまらない、と考えたのも無理からぬところはあるようにも思われます。これはステークホールダーって、どういう「ステーク」なの?って話ですが、労働組合のような利益代表的ステークホールダーであれば、まあそっちもそこそこ、こっちもそこそこ、という妥協の論理が働きますが、「僕たち地球の友達だ」とか言われてしまうと、なかなかそこは難しいような。

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企業の社会的責任(CSR)

本日、欧州委員会が企業の社会的責任に関するコミュニケーションを発表し、新たなCSR同盟を打ち上げる予定です。時差の関係で、中味がわかるのは日本時間の明日になる予定ですが、そこはそれ、EUのことですから、既にいろいろとリーク記事や労組、NGOの批判声明が出ていたりします。

まずは欧州労連(ETUC)ですが、14日の声明です。

http://www.etuc.org/a/2190

俺たち「ソーシャルサイド」を代表する組織が排除されているのはけしからんと息巻いています。

次に、その前日に、「地球の友ヨーロッパ」という、これは環境NGOですね、ここが「フェアホイゲンがEUのCSRプロセスをハイジャックした」と、口を極めて罵っています。

http://www.foeeurope.org/press/2006/joint_13_March_Verheugen.htm

そのさらに前日、12日にフィナンシャルタイムズがさらりとこんな記事を書いていました。

https://registration.ft.com/registration/barrier?referer=http://www.euractiv.com/Article?tcmuri=tcm:29-153518-16&type=News&location=http%3A//news.ft.com/cms/s/50b01a22-b1f8-11da-96ad-0000779e2340.html

FTが入手したドキュメントによると、欧州委員会は新たなCSRのイニシアティブから労働組合とNGOを排除してビジネス界に寄り添うつもりだ。3月22日にブリュッセルでプロビジネスの「欧州CSR同盟」を打ち上げる予定だと、役人たちは認めた。数社の企業の経営責任者既にこのイニシアティブにかかわっており、打ち上げのセレモニーに参加する。

で、この正式には本日発表されるはずの政策文書のドラフトが、こうしてインターネット上にちゃんと載せられていて、誰でも読めるというのも、透明性が高くて大変素晴らしいことで。

http://www.euractiv.com/29/images/CSR_Com_2006_03_draft_tcm29-153538.pdf

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社会政策学会誌第15号

法律文化社から、社会政策学会誌第15号『働きすぎ-労働-生活時間の社会政策』が発行されました。昨年5月に開かれた社会政策学界第110回大会の大会報告を中心にしたものです。

http://www.hou-bun.co.jp/Mokuroku/hon/ISBN4-589-02937-5.html

実は、この中に、不肖私の論考も載せていただいております。「EU労働法政策における労働時間と生活時間」というタイトルで、上記大会で報告させていただいたものに、その後の動きをふまえてかなり書き加えたものです。

タイトルは「EUの」といいながら、半分以上は日本の法政策批評になっていて、やや羊頭狗肉かもしれません。

全体はまず、斎藤修先生の「農民の時間から会社の時間へ」と題する歴史的な論考から始まります。正直言うと、自分も会場で聞いていて、一番面白く興味を惹かれたのは、斎藤先生の報告でした。江戸時代の呉服屋の白木屋の掟書きなんかは、実に面白い。是非、読まれることをお薦めします。

次は、水野谷武志先生の「ジェンダー視点から見た労働・生活時間の配分構造」で、統計から実態を把握しようとしているものですが、実はこれ、細かいディテールが迫力があるので、この報告の文章ではちょっとさらりとした感じになってしまっています。水野谷先生はこの報告後、単著として『雇用労働者の労働時間と生活時間』(お茶の水書房)を出しておられます。各国のアンペイドオーバータイムの比較なんかも、こちらには詳しく載っています。

私をおいて、最後は久本憲夫先生の「実行可能な労働時間政策を求めて」です。リアリズムに基づく政策論という点では、私と共通する点があるのですが、何がリアルと考えるかという点で、私とかなり対照的な処方箋を出しておられるところが大変面白いですね。

その後に、大会で座長をお務めいただいた田中洋子先生によるまとめ的な文章が載っています。実は、当日はコメンテーターとして熊沢誠先生からも有益な批評を頂戴していましたので、それも載ってるといいなと思っていたのですが、それは載っていませんでした。

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スウェーデンの雇用システム

スウェーデンというと、まあすばらしき福祉国家というイメージが中心で、雇用システムについてはあまり紹介もされないし、研究も乏しいように思われます。旧厚生からはアタッシェが行ってるけれども、旧労働のアタッシェはいないし。

ところが、最近、オックスフォード大学の労働法雑誌(Industrial Law Journal)の最新号をなにげに眺めていたら、ミア・レンマーさんという方の「経営権と被用者の就労義務:機能的柔軟性の比較考察」という論文が載っていまして、これがすごく刺激的でした。

http://ilj.oxfordjournals.org/cgi/reprint/35/1/56

これは、同じEU加盟国であるイギリス、ドイツ、スウェーデンの雇用システムを、機能的柔軟性という観点から比較分析したものです。と、いうと、すぐに、アメリカとドイツと日本について分析された荒木尚志先生の論文が想起されるでしょう。そう、まさにそういう問題意識で書かれているのです。そして、もちろん、アメリカとイギリスは、数量的柔軟性に依拠するアングロサクソンモデルを共有しているわけですから、じゃあ何?もしかして日本とスウェーデンを同じ次元に置こうと、こういう訳?と思われるでしょう。まさにその通り、スウェーデンモデルというのは日本的なんです。

まずは、スウェーデンでは使用者が被用者に対して、あれをしろ、これをしろと命じることのできる権利が極めて広範だというのです。イギリスやドイツではこれが狭い。もっとも、イギリスではクビが切りやすいので結果的に広くなるけれども、同じように労働者保護が手厚いドイツと比べると、使用者の一方的な指揮命令権、職務配分権が広く認められている。ここは確かに日本と似ていますね。

なぜそうなっているかというと、1906年の労使の合意(12月協約)で、経営権を認めたからだそうです。スウェーデンは組合組織率が大変高い国です。しかも、ここが重要ですが、労働組合自体が労使協議会機能を持っています。ドイツみたいに、労働組合とは別にベトリープスラートを設置しているんじゃなくて、使用者は組合に対して情報提供し、協議し、さらに共同決定しなければいけない。ここんところも、(組織率がもしずっと高ければ)日本モデルに近いと言えないことはないですね。というか、労基法をはじめとする過半数組合法制というのは、実はそういうモデルを念頭に置いていたんじゃないかと思います。実際は組織率が激落して、組合なき広範な労務指揮権という姿が広がってしまいましたけど。

イギリスやドイツでは、個別雇用契約が規制されるが、スウェーデンでは集団的労使関係が優先するので、個別契約の解釈じゃなくって、労働協約の問題になってしまうようなのですね。で、その結果、この労働者がこの職務を行う義務があるかどうかを個別契約の問題として議論するなんてことはなくって、要は、その労働協約が適用される限り、およそその企業の事業である限り、労働者の就労義務は広がっていく。ホワイトカラー職務であろうがブルーカラー職務であろうが、ということは、これって、ほとんど、日本の就業規則法理じゃありませんか?どこが違う?一方は組合とのアグリーメントだけど、他方はそうじゃないというところだけ。

こういう経営者の広範な労務指揮権が、そしてこれに対応する被用者の広範な就労義務が、雇用を維持しつつ変化に対応できる機能的柔軟性をスウェーデンに提供しているんだというのが彼女の結論なのですが、うううーっ、スウェーデン語が読めないので、これ以上彼女が言ってることをもとをたどって確認することもできないのですが、これはなかなかすごいメッセージではないんでしょうか。我々日本の労働関係者にとっては。

とりあえず、二つほど。一つは、スウェーデンといえば福祉屋さんの一手販売というのは問題だぞ、そうするとすぐに、スウェーデンはこんなにすばらしいのに日本はダメだ、イタリア並みだという話になってしまうんだけど。労働の話になっても、いやあ日本なんか話にならんくらい組合が強いんだぞ、と、まあそういう次元の話にとどまっていて、こういう深く突っ込んだ話になってこなかった。これは日本のスウェーデン研究への課題という面ですね。

もう一つ、こっちの方が私にとっては重要なのですが、日本の労働契約法制論議における就業規則法理の位置づけが、個別労使関係に引きずられすぎていて、集団的労使関係法理としての就業規則法理という側面が見失われがちなのではないか、というか、就業規則というのはアグリーメントなきアグリーメントと捉えるべきではないのか、過半数組合が不利益変更に同意したら云々というのは、そういうコンテクストで、つまり過半数組合との間の労働協約になったから当然拘束するんだという風に、逆向きから考えるべきではないのか、という話につながってきます。個別契約法理から考えたら矛盾だらけの就業規則法理を、集団法理から再構成していくと、実はスウェーデン的な世界が目の前に開けてくるかも知れないのです。

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博物士さんのホワエグ論考

数少ない労働研究者ブロガーである博物士さんからトラックバックをいただきました。『職場はどうなる 労働契約法制の課題』 (明石書店)が出版されるとのことです。

http://hokkaido.sociallaw.info/shokuba/dounaru.html

いずれも大変興味深い話題を扱っていますが、博物士さんが執筆されたのは第13章 「ホワイトカラーエグゼンプションとは何なのか」というところです。この問題については、私もこのブログで再三にわたり見解を表明してきていますし、労働実務家ブロガーである労務屋さんも、ご自分のHPやブログで取り上げておられます。今後、さらにこれをふまえて、議論が進められることを期待したいと思います。

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ジャコビー先生の大予言

『雇用官僚制』『会社荘園制』などの名著で知られ、最近は『日本の人事部、アメリカの人事部』が評判のジャコビー先生が、ヘラトリに痛快な記事を書いておられます。

http://www.iht.com/articles/2006/03/15/opinion/edjacoby.php

「見ろ!追い越し車線に誰か来てるぞ!」って、アメリカの企業に言ってるわけです、もちろん。

話題は自動車産業。GMやフォードの国内生産が急減し、財務状況が危機に陥っている一方で、TOYOTAはGMを追い越す勢い。しかし、多くのアメリカ人はこのことを知らない。確かに日本経済はバブル崩壊以来、日本型システムのせいではなく、政府の馬鹿な対応のせいで、ずっと不振を続けてきたが、今や事態は変わった。なのに、アメリカの知識人野郎(pundit)や政治家は、未だに日本型システムの欠陥を講釈してやまない。アメリカの経済モデルはすばらしいと言いつのり、「株主価値」を振り回してる。

日本はアメリカの批判を受けてしぶしぶ規制緩和をやってきたが、コーポレートガバナンスについては、労働者や顧客、サプライヤーや債権者を含めたステークホルダーモデルを捨てなかった。6年前、アメリカの投資家がTOYOTAに「もっと配当を増やせ」と要求したけど、「やだよ」といってハイブリッド車や他の技術に金を回した。

もちろん、日本は労働者の天国なんかじゃない。合理化や賃金カットはよくある。だけど、アメリカみたいにやたらに首切りしないで、訓練に金をかける。もちろん、日本にもホームレスはいる。だけど、クリーブランドやデトロイトやフィラデルフィアみたいな半分ぶっ壊れた街は見当たらない。もちろん、北欧みたいに平等な社会じゃない。だけど、アメリカに比べりゃまだましだ。

いや別に、日本はナンバーワンだなんていわないよ。だけど、このグローバル時代に、経済を組織する一番いいやり方ってのがあり、それはほかでもない、このアメリカ様のやり方だ、って思っている人にとっては、いわゆる一つの警告だね。

ああ、愉快、痛快、奇々怪々、という感じ(なんのこっちゃ)。

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フランス若者雇用契約案に対する経営側の意見

いつのまにか、フランスが炎上していたようです。まあ、あの国はしょっちゅう炎上する国ですが、学生がカルティエラタンで大暴れというのは、多分団塊の世代にとってたいへん懐かしい光景なのではないでしょうか。

この原因になってるドビルパン首相の提案、若者の初回雇用契約ははじめの2年間いつでも理由なしに解雇できるというのは、まあ若者の失業率が20%以上というのを考えてもちょっと無茶でしたね。解雇規制の見直しは確かに必要とは言え、年齢で一律に、26歳未満の若者は全て首切りOKというのはいかにも。

この問題については、JILPTの海外情勢がまとまっているのでリンクしておきます。

http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2006_3/france_01.htm

で、学生や労組が反対しているのは当然として、経営団体くらいは賛成しているかと思いきや、あまり賛成ではなさそうです。

http://www.medefparis.fr/cpe_parisot.php

フランスの経営者団体MEDEFのパリゾ会長のコメントですが、いや公式には反対ではないわよ、しかし今の条文には留保せざるを得ないわね。若者を一個のカテゴリーとして扱うのはいかがなものかしら。年齢よりも訓練が大事だと思うわ。ちゃんと学校卒業した人と中退の人とでは、企業への入り込み方が違うもの。

でも一番心配なのは、このために去年導入された試用雇用契約(20人未満企業について、はじめの2年間は理由なしに解雇できる無期契約)が動かなくなってしまうことだわ。こんな年齢差別的なものより、試用雇用契約を全規模の企業に拡大する方がよっぽどましよ。

http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2005_9/france_01.htm

なるほど、確かに。

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2つの正義の狭間で

昨日も、都内某所で某研究会。

自分なりにぼんやりと考えたことども。

福祉というものを「正義」との関係で考えるとするときに、福祉サイドの「正義」だけでは話が収まらないのが最大の課題なのではないだろうか。福祉サイドにとっては、分配の正義というか、「乏しきに与えよ」というのが正義の原点なのだろうが、世の中はそういう正義だけで成り立っているわけではない。むしろ、メジャーな正義は交換の正義、等しきものに等しきものをという正義の観念こそが社会の中心にある正義だろう。これは市場経済の根本にある正義の観念であって、資本家だけがそういう正義を振り回しているとけなして済むものではない。考えてもみよ、同一価値労働同一賃金の原則とはまさにこの交換の正義の具現ではないか。私の労働はこれだけの価値があるはずなのに、これっぽっちの対価しか与えられないのは不当だ、という感覚は、福祉サイドの「格差が正義に反する」という観念ではなく、まさに市場プレイヤーとしての「差別が正義に反する」という観念であるはずだ。

そして、そういう等価交換の正義を貫いていけば、市場の内側にあるにも関わらず、等価交換になっていない部分があるとすれば、それは正義に反するものとして非難の対象となる。例えば、最低賃金などと称して、その労働者の生産性に対応すべき賃金よりも不当に高い賃金を強要するなどということは、まさに不正の極致といわなければならない。実際、経済学者の中には、そういう論拠で最低賃金を否定する議論が多い。それはそれとして筋が(少なくとも筋だけは)通っていると認めなければならない。

ところが、残念ながら、世の中は交換の正義だけで成り立っているわけでもない。乏しきに与えよ、という分配の正義が、福祉サイドが考えるほどメジャーな正義としてではないにしても、少なくとも憲法第25条に立脚して、「健康で文化的な最低限度の生活」をあらゆる国民に保障していることは明らかだ。そして、その福祉の世界は、市場の世界と境を接している。

そうすると、市場の世界では交換の正義に基づいて、その低い生産性に従い、一生懸命働いていながら不健康で非文化的な最低限度以下の生活を余儀なくされている人が、一歩境をまたいで、福祉の世界に逃げ込めば、働かなくても健康で文化的な最低限度の生活を保障されるということになる。究極のモラルハザードが発生するわけだが、これはこの我々が住む社会が2つの異なる正義の観念を有しているということに由来するものであるわけだ。

そこで、どう考えるか、だ。

正義に殉じるというのが一つの考え方だろう。いや、どっちの正義でもいいんだけどね。等価交換の正義に殉じるのであれば、徹底して殉じて貰いたい。市場経済の周辺部で、低い生産性の故にこぼれ落ちかけている人が向こう側に行ってしまわないように、生活保護などというばかげた制度は撤廃せよ、と明確に主張して貰いたいし、そもそも憲法第25条などという気違いじみた条項は、何よりも先に廃止せよと主張して貰いたい。そういう制度はちゃんと作っておきながら、厳重に鉄条網で囲って、入口で怖い役人が棍棒を振り回して追い散らして、入らせないようにするというようなやり方で、ごまかすのは止めて貰いたいわけだ。

福祉の正義に殉じるのは、おそらくもっと難しい。人は確かにある程度の規模の共同体の中では、当該共同体内部の共同性を「公共性」として捉え、個体レベルのエゴイズムを抑制する可能性がある。一番はっきりしているのは「家族」だろうが、その家族のメタファーが用いられる限りで、企業とか場合によっては国家のレベルにまでその「共同性」=「公共性」が拡大する可能性がある。しかし、常にその裏腹に、個体エゴイズムがうごめいているのも確かだろう。

福祉の正義を論じる人が最期に拠り所にするのが、この「公共性」という奴なんだが、私にはそれは「俺たち仲間」という強い認識を前提にするもののように思う。仲間でない奴に、「公共性」は適用できるのか?一体どこまでが仲間なんだ。国民はみんな仲間か。外国人はどうか。それも素直に統合されるならともかく、ムハンマドのポンチ絵がけしからんとかいって、騒ぎ立てる連中はどうだ。それとも地球上の65億人、みんな等しく仲間だとでもいうのか。

福祉の正義、分配の正義とは、突き詰めれば、同じ仲間なのに、こんな目に遭っているのはかわいそうだ、なんとかしてあげるべきだ、という感覚に立脚しているように思われる。その意味では、それはどこまでを仲間と感じるかという主観的な要件に依存している。しかし、一方で、現在の法制度の下では、少なくとも同じ日本国民はぎりぎり究極的に仲間であることになっている。そして、それを前提にして、改めてさっきの生産性が低くて健康で文化的な生活が送れるような賃金が稼得できない人を考えてみよう。

ここに3つの価格がある。市場賃金と法定最低賃金と、そして生活保護の給付額だ。ここでも書いたように、現在の日本では、法定最低賃金額が生活保護の給付額を下回っている。市場の中で頑張って働いている人は不健康で非文化的な生活に甘んじなさいといっているようなものだ。しかし、それならみんな生活保護に移行するかといえばそうではない。これは、もちろんこれまで身ぐるみ剥がないと入れないような(法律の文言上は大変疑問のある)運用をしていたためでもあるが、おそらくそれだけではない。そういう運用は労働可能年齢の男性に体しては大変厳しかったが、子どもを抱えた女性に対してはかならずしもそうではなかった。にもかかわらず、日本のシングルマザーの就業率は世界的に見て驚異的に高い。なんとシングルマザーの80%が就労しているのだ。生活保護の大部分がシングルマザーで占められ、彼女らをどうするかが福祉当局の最大課題であるアメリカをはじめ欧米諸国からすると、なんとも勤勉で健気な日本のシングルマザーなのだ。

そして、彼女らの就業形態をみると、50%がパートタイマーで、フルタイムは30%に過ぎない。ということは、彼女らの賃金水準は最低賃金近傍の市場価格に張り付いていることが多いということだろう。そういう働くシングルマザーは、生活保護を受給するシングルマザーよりも低い生活水準を耐えながら、交換の正義の領域にとどまろうとしているわけである。

正義はその性質上、純粋であることを求める。不純であることを要求するようなものは正義ではあり得ない。それはよくわかる。だから、正義を語る者は、常にその(自分の)正義がより純粋なものとなるように求める。交換の正義も、分配の正義もそうだ。交換の正義を語る者にとっては、生産性に相当する賃金が支払われることが正義であって、そいつが生活保護を受け出したらそれよりももっといい生活ができるなどというようなことはレリバントでないし、分配の正義を語る者にとっては、健康で文化的な生活を確保することが正義であって、そいつが働きだしたらもっと悪い生活に陥ってしまうなどということはレリバントではない。

しかし、ここには、この境界線近傍には、両方の正義が境を接しているのだ。専門家の土俵からは遠くても、そこでは向こう側の「正義」はごく身近な存在なのである。正義が純粋であればあるほど、不正をもたらすという事態が、これほどくっきりと現れることもめずらしい。

我々は正義を純化するのではなく、不純化する方向を自覚的に取らなければならないのではないだろうか。交換の正義の中に分配の正義という不純物を盛り込み、等価交換原理に反する最低賃金を、今のような生活保護未満のものではなく、そっちの方が有利になるような、そう、市場を歪めるような仕組みを、持ち込まなければいけないのではないだろうか。最低賃金はいかなる意味でも「正義」ではない。それに反するものだ。不純だ。不正義だ。だからこそ必要なのではないのか。

逆に、分配の正義の中に交換の正義という不純物を盛り込み、困窮しているから、生きていくのに必要だからお金を上げるのではなくて、一生懸命働こうとしているから、それに向けて努力しているから、その努力と苦労に免じて、いわば仮想的な交換原理に基づいて、給付を与えるべきではないのか。それはもちろん、「正義」ではない。不純だ、不正義だ。福祉に命を懸けてきた人から見れば、許し難い冒涜とすら見えるかも知れない。しかし、だからこそ必要なのではないのか。

じつはこれはさらに議論を拡大すると、長期雇用システム自体の「正義」性にも及ぶ。ここではそこまでの余裕はないので、また改めて考えよう。

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EU男女均等統合指令案の共通の立場

3月10日の雇用社会相理事会で、男女均等関係の6指令を1本に統合する指令案について共通の立場が採択されました。

http://register.consilium.eu.int/pdf/en/05/st15/st15623-re07.en05.pdf

中味に大して変更はないのですが、いつ頃最終採択されるのかが気がかり。というのは、『労働六法』2006年版に掲載するかどうかが微妙なところなので。

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国家公務員の留学費用の償還に関する法律案

一昨日、標記法律案が閣議決定され、国会に提出されました。

http://www.soumu.go.jp/menu_04/pdf/164_060313_01_03.pdf

労働基準法の適用が除外されている本来的国家公務員についてはここでは特に評論しません。それはそちらの政策判断ですから。

しかし、第8条で、国有林野事業を行う国の経営する企業に勤務する職員についても平然とそのまま適用しているのはいかなる根拠によるものなのでしょうか。彼らには、集団的労使関係法の上では、スト権が禁止されるという制限が課されていますが、団体交渉権はフルにありますし、そもそも個別的労使関係法の上では一般の民間労働者と同様、労働基準法がフルに適用されるはずです。

また、第9条で、特定独立行政法人と日本郵政公社に対して「留学費用に相当する費用の全部又は一部を償還させるために必要な措置をとらなければならない」と義務づけているのもいかなる根拠によるものなのでしょうか。彼らも国有林野労働者と同様、集団的労使関係法の上では、スト権が禁止されるという制限が課されていますが、団体交渉権はフルにありますし、そもそも個別的労使関係法の上では一般の民間労働者と同様、労働基準法がフルに適用されるはずです。

ということは、労働基準法第16条の賠償予定の禁止も適用される存在であり、これが留学費用の償還規定との関係でどうなるかは、近年の多くの裁判例と同様、最終的には裁判所の判断に服さなければならないはずです。もし、この法律で義務づけている措置が労働基準法違反だとなったらどうするのでしょうか。逆に、同じ法律レベルで規定しているんだから違反になるはずがないというのであれば、同じ労働基準法が適用されるにも関わらず、特定企業の労働者のみを狙い撃ちにして法律で留学費用の償還を規定することは立法として適切なのでしょうか。

私は、一般的には、留学費用の償還を求める就業規則を適法と認める近年のいくつかの裁判例の方向に反対ではありません。しかし、それらはあくまで個別事案ごとに判断されるものであり、およそいかなる留学費用の償還規定をも合法化するものではありません。いや、もちろん立法によってそういう規定を設けるべきという議論はあり得ます。実際、昨年の労働契約法制研究会報告書では、「業務とは明確に区別された留学・研修費用にかかる金銭消費貸借契約は、労働基準法第16条の禁止する違約金の定めに当たらないことを明確化す」べきと述べています。

おそらく、人事院や総務省は、この報告で返還を免除する勤務期間を5年としているので、この法案でも5年を持ち出してきたのかも知れませんが、重要なことが忘れられています。この報告では「業務とは明確に区別されたとの要件は必要である」と明記しているのです。この法案ではそういう要件はかかっていません。というより、民間企業ならともかく、国民の税金で「業務とは明確に区別された」留学をやらせていいのかという問題が惹起するのではないでしょうか。建前からいって、公務員の「留学」というのは、「業務と明確に区別された」ものであり得ないようにも思われます。まあ、その辺は公務員所管官庁がお考えになるべきことではありますが。

いずれにせよ、この法律は本来公務員所管官庁がすべきことを超えて規定を設けているのではないかと感を禁じ得ません。

まことに奇妙なのは、地方公務員については、「留学費用に相当する費用の全部又は一部を償還させることができる」と任意規定にしていることです。いや、それもまた公務員政策の問題ですから何も言いません。旧総務庁と旧自治省で温度差があるんですねえとも言わない。おそらく、旧自治省の人は法律をよくわかっていて、地方公務員には労働基準法が(フルにではないですが)部分的に適用され、第16条は適用があるということをふまえてこういう規定にしたのでしょうか。

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請負・派遣労働者に対する能力開発型人材管理

大原社会問題研究所雑誌というのがありまして、その2月号に、木村琢磨さんという方の「電機産業における派遣・請負労働者の活用と課題」が掲載されています。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/567/567-04.pdf

これを読むと、最近私が考えていたような、非正規労働者の定着化、能力開発を中心に据えた政策が提起されていて、大変共感するところがありました。

以下、かなり引用が続きますが、ご容赦願います。

「製品需要の変動の増大と不確実化,コスト削減圧力の増大に対応して,人件費の変動費化と固定的人件費の抑制を行うため,外部人材の活用が進められてきた。しかし,請負労働者の定着率の低さゆえに,製品の質の低下,仕事の連携やチームワークの阻害といった,職場のパフォーマンスを損ないかねない問題が生じている。定着率の低さは,人員入れ替えコストの増加,技能形成の不足をもたらし,作業効率を低下させる。」

「外部人材の定着化を促進するための人材マネジメントの体制を整備した請負・派遣会社を活用することが必要である。外部人材に長期勤続のインセンティブを与えるためには,勤続に伴って報酬水準が上がる仕組みを請負・派遣会社が有していることが必要である。外部人材に対する内発的な動機づけのためには,報酬は金銭のみならず仕事内容も含んで考える必要がある。」

「勤続に伴う能力の向上に応じて,より高いレベルの仕事に配置し,そうした能力及び職務レベルの上昇に応じて昇給する仕組みを請負・派遣労働者に適用している請負・派遣会社を活用することが考えられる。給与の構造としては,仕事内容に応じた職務給に,習熟に応じた職能給が上乗せされる形となるであろう。能力は,個人差こそあれ勤続と本人の努力に応じて向上するものであるから,職能給による昇給の仕組みは,勤続への動機づけとなりやすいと考えられる。」

「若年層を中心とする外部人材を,キャリアパスの見えない仕事に配置したまま長期定着させることは,彼らにキャリアパスを用意し,以上のような「能力開発型」の処遇を適用することよりも困難なのではないだろうか。外部人材の定着を望むならば,能力の向上に応じて仕事のレベルが向上していくという道筋を設定することが必要である」

「しかし問題となるのは,ユーザー企業におけるコスト抑制の圧力によって価格競争が激化する中,請負会社や派遣会社が能力開発型の人材管理を適用することが実現可能かどうかである。外部人材に能力に応じた昇給を適用するならば,請負労働者の初任賃金を引き下げない限り,請負料金・派遣料金の増額を行う必要がある。請負料金・派遣料金の増額は,請負業務・派遣業務の付加価値の増大を伴わなければ,ユーザーにとっては単なる外注コストの増加になってしまう。・・・つまり,処遇向上のためには,仕事レベルの上昇を伴う配置転換が重要となる。」

なんとよく似たことを考えているのだろうと、最初は思ったのですが、よく考えてみれば、この木村琢磨さんは、最近の電機連合や東大社研の請負労働者の調査研究の中心的存在として、この分野を引っ張ってこられている方で、私の頭の中にある非正規労働者のイメージも大部分、彼の調査研究がネタになって形作られているところが多いわけで、なんのことはない、同じネタでものを考えているから同じような結論になるのでしょう。

だいぶ前にNHKで「フリーター漂流」という番組が放映され、こういう労働者に対する社会的関心も少しは高まってきていますが、単なる正義感ではなく、企業にとってもフィージブルな形で、社会的により望ましいあり方を模索する試みは必ずしもそう多くはありません。木村さんの議論はもとより企業の人的資源管理の観点からなされているわけですが、これをマクロな労働政策の立場からどう受け止めて、どのように政策展開していくかが問われるところです(だから雇用均等児童家庭局じゃなくって、職業能力開発局がメインになった方が、企業も変に反発しなくっていいと思うんだが)。

ついでに、せっかくですから、こういう製造業の請負労働者の現実の働きぶりをくっきりと浮かび上がらせている一つの裁判例を紹介しておきます。

http://www10.ocn.ne.jp/~karoushi/hanketsu/index.html

これはアテスト(ニコン熊谷製作所)事件です。請負会社から送り込まれた23歳の若者が過労自殺した事案ですが、読みどころはこの上段さんの正社員並みの働きぶりです。クリーンルームで、IC回路パターンの露光・転写装置の検査業務に、昼夜交替のシフト勤務で従事し、2回も台湾に出張して、納入検査をしたりしている。「使い捨てられもせず」「燃え尽きもせず」なんて生やさしいものではない。「フリーター」という言葉は、こういう現実を見えなくしてしまう効果を持っているのではないでしょうか。

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FTさん、その記事はないよ

イギリスのフィナンシャルタイムズといえば、世界に冠たるハイクオリティ・ペーパー、どこぞの役所のリーク記事くらいしか読むべき記事のない経済を僭称している新聞紙とは全然違う・・・はずなんですが、ちょっとこの記事はひどいよ。

http://news.ft.com/cms/s/ab929c60-b209-11da-96ad-0000779e2340.html

中味は例のEUサービス指令案に関して、議長国オーストリアのシュッセル首相が欧州議会の修正案をもとにやるしかない、今さらまた原産国原則を入れ込もうとしたって無理だ、そんなことをしたらもはや指令の成立する見込みはないと発言したというのを(FTのリベラル志向の立場から)批判的に書いたものです。記者はジョージ・パーカー。

それはいい。というより、原産国原則を削除してしまったのは、社会民主党とキリスト教民主社会同盟の結託ではないかという印象が強いので、批判的な記事は当然とも言える。問題は、記事の中で「原産国原則」をこう説明していることです。曰く「会社に母国の法制のもとでサービス提供を認める、賃金や他の雇用条件に関して」。

をいをい、てめえら当事者だろうが。この極東の島国でサービス指令案を条文の隅から隅まで舐め回すように読んだのは憚りながらこの俺様一人だろうから、そういう馬鹿なことを言い出す奴がいてもまあ仕方がないかなとは思うが、天下のフィナンシャルタイムズでそういう馬鹿をさらけ出すなよ。そういうことを言われないようにするために、わざわざ第24条を規定しているんだろうが。

いや、もちろん、FTの立場としては、指令案第24条なんてものもけしからんのであって、賃金・労働条件についても厳格に原産国原則を適用すべきだという見解なのかも知れない。しかし、それならそう書くべきだ。少なくとも、この記事は、サービス指令案反対派から見れば、ほら見ろやっぱりそういう邪悪な法案だという証明になってしまう。

とにかく、この問題をしばらくフォローしてよくわかったのは、ヨーロッパでも法案ハンターイと叫んでいる人々の多くは実はきちんと条文を読んでいないということですが、法案サンセーイと叫んでいる人までそうであったか、というのは軽いショックではあります。

(追記)

と、こう書いたその日に、労働政策研究・研修機構の海外労働情報に同じ間違いが掲載されるというのも神様のお巡り合わせでしょうかね。

http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2006_3/eu_01.htm

「可決された指令案は、欧州委員会の当初案を大幅に修正し、・・・サービス従事者の雇用・労働条件に関しては、送り出し国でなく、受入れ国の条件が適用される」云々。

だから、始めからそうなっているんですってばあ、法定の労働条件に関しては。

あーあ、やっぱりこんなちっぽけなブログで発信しているだけでは何にも伝わってないな。

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職場のいじめ問題に向けてEU労使交渉開始

欧州産業経営者連盟(UNICE)の「ヘッドライン」にさりげなくこんな記事が載っていました。

http://212.3.246.117/1/CMNJBEGCCGFMKDGEFFGPPFJAPDBN9DBYE69LI71KM/UNICE/docs/DLS/2006-00163-EN.pdf

EUレベルの労使団体であるUNICE-UEAPME、CEEP,ETUCの間で、2月7日に職場のハラスメントと暴力に関する自発的労働協約の締結に向けた交渉が開始されました。目的は、職場のハラスメントや暴力に対して、使用者がどのように対応すべきかについての実際的な協約の締結です。2006年末までに締結にこぎ着けたいとしています。

いよいよ始まりましたね。この問題については、私もいくつかいろんな雑誌に紹介記事を書いてきていますし、日本でもいくつかいじめ自殺事件の判決が出始めて、関心が高まりつつあります。協約という形になると、日本への影響もあるでしょう。

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イギリス労働時間規則の改正

イギリスの労働時間規則が、この1月に改正されていました。

http://www.opsi.gov.uk/si/si2006/20060099.htm

中味は、第20条第2項を削除するというだけなのですが、この第20条というのは、EU指令の第17条第1項(経営幹部、家族労働者、宗教儀式)に相当するものですが、相当するのは第1項だけで、第2項はイギリス独自の適用除外として1999年改正で挿入されたものです。これは、労働時間のうちある部分は決定されているが、ある部分は決定されていない(自己決定できる)場合に、週労働時間に関する48時間規制は前者にしか及ばず、後者には適用されないというものです。いわば、オプトアウトとは別立ての一種の部分的裁量制みたいな感じです。もっとも、休息期間、休日、年休等の規定はフルに適用されます。

この規定がEU指令に適合していないと欧州委員会はイギリス政府を欧州司法裁判所に訴えておりまして、今年の1月26日にイギリス政府からの意見聴取を行う予定だったのです。ところが、その直前になって、突然イギリス政府は規則の改正案を制定し、問題の規定をざっくり削除してしまいました。1月23日に制定、翌日に議会に提出しています。負けるいくさはやりたくないということでしょうか。施行は今年の4月6日からとされています。

ところが、欧州司法裁判所のHPを見ていたら、3月9日付で、この規則第20条第2項は指令違反だぞという法務官意見が載っていました。

http://curia.eu.int/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&Submit=Submit&alldocs=alldocs&docj=docj&docop=docop&docor=docor&docjo=docjo&numaff=&datefs=&datefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

まあ、まだ効力のある規則ですから、その間に意見を出したのでしょうか。でも、もうすぐ消えるわけですから、判決までたどり着かないでしょうね。

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リストラと労使交渉に前進あるか?

3月23日に、EUサミット(欧州理事会)と時期を合わせて、EUの労使サミットが開催され、そこでEUレベル労使団体の新作業計画(2006-2008)が正式に公表される予定です。

これについては、実は既に1月25日に「欧州労使は交渉をとりまとめた」という簡単な記事がETUCのHPに載っていました。

http://www.etuc.org/a/1978

残念ながら、どういう中味かは全然書いてくれていないのですが、ずっと懸案になっているリストラに対する対応方策が一つの柱になるのは間違いないと思われます。これはそもそも2002年に第1次協議が行われた後、労使間でケーススタディを行い、その結果を2003年にオリエンテーションという名の共同文書にしたのですが、欧州委員会側は不服で、2005年に再度第2次協議を行っていたものです。何らかの対応をしなければ、欧州委員会側が立法措置に出ないとも限りませんし、最近(2月9日)、欧州議会の雇用社会問題委員会が、リストラについて立法措置を講じろという意見書を採択したりしていることもあり、

http://www.europarl.eu.int/omk/sipade3?PUBREF=-//EP//NONSGML+REPORT+A6-2006-0031+0+DOC+PDF+V0//EN&L=EN&LEVEL=0&NAV=S&LSTDOC=Y

UNICEとしても何らかの前向きな姿勢は示しておく必要はあるはずです。

もう一つ、これはどうなるかわかりませんが、私が関心を持っているのは、EUレベルの団体交渉システムの確立の問題です。これも、昨年の新社会アジェンダや上記第2次協議で欧州委員会から示唆されているものですが、一方で最近のエントリーからわかるように、サービス指令案によるサービス提供の完全自由化の中で、これまで純粋に国内問題でしかなかった労働協約による労働条件決定システムを、何らかの形でEUレベルで検討していかなければならないという問題意識が高まってきています。

こちらは土俵設定そのものをどうするかという大変大がかりな問題ですので、そう簡単に方向性が出るとも思われませんが、注目していきたいと思います。

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水子供養 又は 日本のフリーターはなんと健気なことか

以前(1月6日のエントリー)、産業別最賃から職業別設定賃金へという動きについて書きましたが、あれは一体どうなったんだろう、男女均等法と能開法はちゃんと法案となって国会に提出されたけれども、最賃法はいつ出てくるんだろうかとお思いの方もいらっしゃるかも知れません。

実は、かわいそうにこの子は生まれてくることもできず、ひっそりと堕ろされてしまっていたのです。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、親の因果が子に報い、労使の意見をまとめきれずに、労働基準局はあっさりと法案になる前に水に流してしまったのですね、本日のエントリーは、それゆえ「水子供養」でございます。黙祷。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/01/s0119-6.html

「現段階では、部会としての合意を得ることができなかった」ってね、それは産別最賃のあり方についてはそうかも知れないけれども、地域最賃の方はどうなるんですか。公益委員試案では、「社会保障政策との整合性を考慮した政策を展開する必要がある」というすごく重要なことが指摘されていたはずです。具体的には、最賃法の改正事項として決定基準の見直しが挙げられ、「労働者の生計費については、生活保護との整合性も考慮する必要があることを明確にする」と書かれてありました。

このもとになった最低賃金制度のあり方に関する研究会報告書では、「生活保護が健康で文化的な最低限度の生活を保障するものであるという趣旨から考えると、最低賃金の水準が生活保護の水準より低い場合には、最低生計費の保障という観点から問題であるとともに、就労に対するインセンティブが働かず、モラルハザードの観点からも問題である」と指摘され、「単身者について、少なくとも実質的にみて生活保護の水準を下回らないようにすることが必要である」とはっきり明記していました。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/03/s0331-7.html

世界的にメイク・ワーク・ペイが政策の根幹になりつつある今日この頃ですが、日本の最低賃金と生活保護というのは、どの年齢層、どの家族構成でも、生活保護の方が得であるという大変香ばしい仕組みになっているようです。わかりやすいものとして、最近出た『平等主義が福祉を救う』という本の中の「最低生活保障と労働市場」(後藤道夫)という論文によると、例えば住宅扶助について東京、横浜、川崎の単身者特別基準を用いると、20歳単身者に対する生活保護は13万8千円強、それに対して東京都や神奈川県の最低賃金でフルタイム就労すると、月収は13万円強で、約8千円の差が出るようです。

一般に、年齢が高くなり家族が増えれば、生活保護の方が最低賃金より高くなるという印象は多くの方々がお持ちだと思いますが、日本の現状はそんな生やさしいものではありません。高校を卒業して就職できないというときに、フリーターで最賃ぎりぎりの給料を稼ぐよりも、生活保護で何もしないでいた方がお得であるという、大変すばらしい福祉国家になっていたんですね。

もちろん、中高年になって女房子どもがいるようになっても、生活保護の方がお得です。子ども2人の4人家族でだいたい年収500万くらいにはなるようですから、森永卓郎先生の「年収300万円時代」には、みんな仕事なんか止めて生活保護を貰いに行くのが合理的な行動ということになりましょう。

この研究会には座長の樋口美雄先生をはじめ、立派な労働経済学者も参加していますし、立派な労働法学者も参加していますので、こういうある意味でまともな判断が出されているのだと思いますが、世の中のケーザイ学者とかホー学者は必ずしもそうではないようで、とにかく最低賃金なんてものがあるから市場が歪むんだからそんなものはなくしてしまえという初等経済学教科書みたいなことしか言わない奴とか、生活保護の水準は(中流の暮らしよりも)こんなに低いからもっと手厚くしなくちゃいけないとしかいわない社会保障学者とか、世の中はもう少しいろんな制度があるんだよということがわかっていないアホバカマヌケ連中がいっぱいいるんで困っちゃいます。

(注)もちろん、一定の条件下では上記ケーザイ学者の見解は適切です。すなわち、この世に生活保護などというものは存在せず、いかなる低い賃金であってもそれを受諾しない限り、労働者は餓死する以外になく、そのことに政府は何ら責任を持たないという条件です。これを実現するためには、上記ケーザイ学者は自ら責任を持って憲法第25条の削除を主張すべきでしょう。そんなホーリツとかケンポーとかむつかしいことはボクわかんないとかいうのなら、余計なことは言わないのが身のためです。

しかし、まあ、そんな馬鹿な連中の話より何より、ここまでメイク・ワーク・ノット・ペイに徹したすばらしい制度のある中で、あえて最低賃金に近い賃金水準で日夜労働に従事している世界に冠たる日本のパート、フリーターの皆さんの健気さには素直に頭が下がります。これが本日の結論かな?

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足もとはどうなっているかその2

昨日、都内某所で某研究会某作業部会。

自分なりの大まかな見取り図。

1950年代に総評主導で大争議が繰り返され、左翼組合が崩壊し、右派組合が形成され、生産性運動が進む中で、労使協議システムが確立されていった。それが試されたのが1970年代の石油危機後の雇用調整、仁田先生の研究に書かれているような企業レベル、事業所レベル、職場レベルへと降りていき、それを集約していくメカニズムがうまく働いた。うまくというのは、末端の労働者に至るまで情報を流し、説得し、その納得を取り付けるという機能。

この古典的モデルが80年代にもてはやされたあと、90年代に急激に空洞化していった?一つはグローバル化、情報化でフレクシビリティが求められる。しかし、フレクシビリティというのなら、古典的モデルはまさに環境変化にフレクシブルに対応するモデル。もう一つの要因はスピード経営、いちいち組合に協議し、それを支部におろし、分会におろし、意見を集約してその回答を待ってやってたんじゃ間に合わない。

おそらくここにコーポレートガバナンスが関わってくる。ジャコービイ先生流にいえば、カネを出すステークホルダーの利益を代弁する財務部と、労働力を出すステークホルダーの利益を代弁する人事部の力関係のシフト。ったく、人事部は組合の顔色ばかり窺いやがって、そんなんで経営ができるか!

で、これがインサイダー取引問題という形で提起される。んな重大な経営情報を組合なんかに渡して大丈夫なのか?あいつらそれを下の方におろしていくんだろ、悪さしたらどうするんだ。要するに、労働者ごときはインサイダーに入れてやらねえんだ。あいつらは仲間じゃねえ。50年代の争議を通じて形作られた労務屋と企業別組合の共同体が空洞化していく。

最近では、一時金交渉ですら、業績連動型一時金だから業績を示せと言うとそれはインサイダー情報だからダメだという状況らしい。いくら儲かっているかも知らされずに、儲けの分配を交渉するってのは無理だろう。もはやステークホルダーじゃないってことか。

それでも義理と人情に厚い労務屋は企業別組合幹部には情報を流すが、あんたの胸に納めて下に流さないでくれ。義理と人情の板挟み。上で何がされているか、支部にもわからない。せめて支部におろせば、今度は支部の三役が板挟み。

一方で、組合民主主義や公正代表義務という問題がある。組合員にきちんと情報を知らせずに、幹部だけで情報を独占して、勝手に組合員の利害に関わる意思決定をしていっていいのか。

そして、労働契約法だ、あそこでは過半数組合に整理解雇の正当性や労働条件不利益変更の正当性の判断を相当程度委ねるような設計になっている。その正当性の根拠は、実は古典的モデルにあるような、ある程度時間をかけて末端にまで情報を流し、説得し、納得を取り付けるというメカニズムにあったはず。70年代に確立した判例は、そういう労使関係を前提として、そういう判断を作ってきた。それ自体が空洞化しつつあるとすると、一体どうなるんだ。

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ニートは労働問題ではないってさ

こういう特集でもしない限り普段は読まないようなテツガク雑誌その2。

『大航海』特集:ニート 転換する現代文明

http://www.shinshokan.co.jp/daikoukai/dai-top.html

なるほどね、テツガツやらブンガクやらばかりやってると、そういうことになるわけだ。『ニートは労働問題ではない」、で、「「自分探し病」に取り憑かれた若者たちが社会の病理になるとき」ふうーん。「スキゾ·キッズがニートになるまで」ほおーっ。「「下等遊民」のイデアルテュプス」はあーっ。「芥川賞はニート文学」うけけけけけっ!人文系ヘタレインテリというのはこういう手合いだったわけね。

まあ、こういう類の妄想で一冊雑誌がでっち上げられてしまうんだから、なんてスバラ式世界かしらん、テツガクって実に香ばしい。多分、ここに雁首揃えている連中の誰一人として、イギリス社会的排除対策室の政策文書の一文字たりとも読んだ覚えはないんだろうなあ。そういう世俗の愚劣なことは関係ねえんだろう。

別にあんたらの妄想には文句つけねえから、せめて「にいと」って書いてくれないか。善良な市民がNEETと間違えないようにさ。できれば漢字で「新居人(にいと)」とか書いてくれるとナイス。

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能開法改正案について

昨日に続き、中味の重くない方の職業能力開発促進法の改正案を見ていきます。

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/164.html

「中味が重くない」というのは、政策的に重要性がどうとかいうこととはちょっと違って、法律としての重さですね。要するに、その政策内容を実現するためには、法律を改正しなければならない必然性があるかどうかという問題で、昨日見た均等法は、使用者に対して特定の行為を禁止するというのが主たる内容ですから、これはもうどうひっくり返っても、法律をいじらなくちゃいけないわけですが、能開法はそういう意味で言えば、別に法律をいじくらなくたってやれることばかり書いてあるわけで、法制局的に言えば、厳密な意味における法律事項はあるのだろうかということになります。

実をいうと、今回の改正案のうち、厳密な意味での法律事項というのは、委託募集の特例くらいでしょう。これは職業安定法によって、「労働者を雇用しようとする者が、その被用者以外の者をして報酬を与えて労働者の募集に従事させようとするときは、厚生労働大臣の許可を受けなければならない」(36条)と原則禁止されているのを、承認中小事業主団体の構成員である中小事業主(認定事業主に限る)が、当該承認中小事業主団体をして認定実習併用職業訓練を担当する者の募集を行わせようとする場合において、当該承認中小事業主団体が当該募集に従事しようとするときには、適用しないという規定ですから、その政策的重要性のなさはともかく、立派な法律事項になるわけです。

しかし、できれば、もう少しまともな法律事項で、法律案を作ってもらいたかった感はなきにしもあらずではありますね。おそらく、当初は、最低賃金法の特例といった政策内容と合致した法律事項を考えていたのではないかと想像されますが、それが途中でうまくいかなくなり、結果的にこういう形に落ち着いたのではないかと想像されます。

ま、それはともかく、政策内容としては、前にこのブログでも取り上げた「実践型人材養成システム」を法律上に明記するというのが最大の目玉ということになります。今回の法律案ではこれを「実習併用職業訓練」と呼んでいます。法律上に定義規定がありまして、「事業主が、その雇用する労働者の業務の遂行の過程内において行う職業訓練と次のいずれかの職業訓練又は教育訓練とを効果的に組み合わせることにより実施するものであって、これにより習得された技能及びこれに関する知識についての評価を行うもの」をいいます。組み合わせの前の方は要するにオンザジョブトレーニング(OJT)であり、後ろの方は各号列記されていて、公共職業訓練、認定職業訓練、その他適切な教育訓練と、まあ何でも入るような書き方になっています。

この実習併用職業訓練自体は、別に今でも誰でもやろうと思えばできるわけで、せっかく法律を作るんだから促進するには何かメリットを作らなくちゃいけません。そこで、まず、事業主の行う実習併用職業訓練が、青少年の実践的な職業能力の開発向上に効果的であるぞよというお墨付き(認定)を貰えるよ、しかもこの認定を受けると、労働者の募集広告でその旨を表示できるんだよ、さらに加えて上記委託募集の特例まであるんだよ、と規定してくれているわけですが、どこまで有り難いのかよくわかりません。

使用者側からすれば、労務コストがどうなるのかが関心事でしょうが、このもとになった「日本型デュアルシステムの今後の在り方についての研究会報告」では「現時点で最低賃金の適用を除外するのは適当でない」と否定してしまっています。その代わりに、「企業にとっては、教育訓練機関で行われる座学に要する授業料等の経費は訓練生が負担することから、OFF-JTに要する経費の負担を求められる「企業主導型」と比べて相当の負担の軽減となる」という説明がされています。

ここのところは、実はよく考えると、本当にそうなるのか検討を要するところでしょう。法律上はそんなことはどこにも規定していないのです。むしろ、新第10条の2は第3章第1節「事業主等の行う職業能力開発促進の措置」に置かれているのですから、企業外で行われる教育訓練の部分も使用者の教育訓練権限に基づくOFF-JTに該当するのではないかという解釈の方が適切な気がします。OFF-JTはどこにやって貰ってもいいわけですからね。そうすると、その企業外教育訓練を受けている時間も労働時間に当たるし、その間の賃金支払義務も発生するようにも思われます。

それが、認定を受けたらそうじゃなくなるんだよ、その教育訓練は労働時間じゃないし賃金もいらないよ、というのは法律構成として十分ありうるところだと思いますが、この法案はそういう風にはなっていないんですね。認定を受けようが受けまいが、実習併用職業訓練という一個の契約類型に変わりはないという前提で書かれているのでしょう(そうじゃないと明記していないのですから、そう理解するしかありません)。そうすると、どうも、認定を受けずに使用者が勝手にこれが実習併用職業訓練だぜいとやっているものであっても、上記デュアルシステム研報告のいう授業料は訓練生負担だということを当然の前提と考えているということになります。

これは、労働契約法理論の観点からどこまできちんと突っ込んで検討されているのか、ちょっと疑問です。古い通達ですが、「労働者が使用者の実施する教育に参加することについては、就業規則上の制裁等の不利益取扱いによる出席の強制がなく自由参加のものであれば、時間外労働にならない」(昭和26.1.20基収2875号)というのがあります。

この仕組みは、そもそもOJTと企業外訓練を組み合わせる有期雇用契約を締結するというものなのですから、自由参加じゃないんでしょう。も少し整理が必要な感じがしますね。

そもそもから言えば、これも前に書きましたが、初期教育訓練コストを誰がどのように負担すべきかという労働経済問題に対して、どういう法制的回答をするかというのが問題の本質であったはずです。長期雇用慣行が一般的であり、それを前提として人事管理をすることができるのであれば、教育訓練期間中の訓練コストや生産性の低い労務提供に対して相対的に高い賃金を支払うことは確かにその時点では企業側の持ち出しになりますが、訓練終了後の生産性の高い労務提供と相対的に低い賃金水準の差によって埋め合わされることになります。

ところが、労働力が流動化してきて、訓練終了後も長期継続雇用されることへの期待が必ずしも持てなくなってくると、このような長期的取引は成り立たなくなり、別途のコスト負担方式を考える必要が出てくるわけです。そのための一手段として考えられたのが今回の実践型人材養成システムだったのではないでしょうか。だとすれば、そこのところはきちんと法制的な整理をつけておかなければならなかったはずです。

なぜここにこだわるかというと、賃金コストの面ではまさに使用者のコスト負担を軽減するという政策目的を実現する必要がありますが、逆に例えばこの企業外の教育訓練受講中に事故に遭ったという場合に、これが労働災害になるかどうかとか、その怪我で休業中に解雇することが労基法19条の解雇制限に引っかかるかとか、そういう面も考えなくちゃいけないわけです。

もっというと、必ずしも今回のような企業外の教育訓練と組み合わせる場合だけでなく、一般的に初期教育訓練期間中の労務コストの取扱い方如何について、旧民法の習業契約まで視野に入れて労働契約法制として総合的に再検討する必要があるはずなんですが、今回の改正案も含めて極めてパッチワーク的なアプローチしかされていないというところに、実は最大の問題点があるようにも思われるのです。

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均等法と能開法の改正案提出

昨日、男女雇用均等法の改正案と職業能力開発促進法の改正案がそろって閣議決定され、無事国会に提出されたようです。とりあえずご苦労様というところです。課長補佐以下はしばらく激務から解放されて、予算が通って後厚生労働委員会で法案審議が始まるのを(想定問答集を作りながら)待つというところですね。

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/soumu/houritu/164.html

まずは中味の重い均等法から。

男女共通規制という理念は第1条から出ています。これまでは「女性労働者が性別により差別されることなく」だったのが、「労働者が性別により差別されることなく」となり、女性は「また、女性労働者にあつては母性を尊重されつつ」というところで初めて出てくる。

男女雇用機会均等対策基本方針は、これまでは「女性労働者の職業生活の動向に関する事項」を書いておけばよかったのですが、これからは「男性労働者及び女性労働者のそれぞれの職業生活の動向に関する事項」を書かないといけません。

メインの「女性労働者に対する差別の禁止等」も「性別を理由とする差別の禁止等」となり、「女性であることを理由として、男性と差別的取扱いをしてはならない」というのが「労働者の性別を理由として、差別的取扱いをしてはならない」となり、ここでこれまで各条ごとに書いていたのを各号列記にして、新たに「労働者の職種及び雇用形態の変更」というのと「退職の勧奨・・・並びに労働契約の更新」などが加えられています。

定年や解雇と一緒に規定されていた婚姻・妊娠・出産を理由とする退職の定めや解雇禁止は、独立の条になり、不利益取扱いの禁止も規定されました。また、これは実は結構大きい意味があるのではないかと思うのですが、「妊娠中の女性労働者及び出産後一年を経過しない女性労働者に対してなされた解雇は、無効とする。ただし、事業主が当該解雇が前項に規定する事由を理由とする解雇でないことを証明したときは、この限りでない。」という一種の挙証責任転換規定が設けられています。これが妊娠中出産後の解雇だけに適用されるべき筋合いはよく考えるとないようでもあり、EUでは差別問題に関しては原則として挙証責任が転換されていることなども考え合わせると、今後どういう風になっていくか興味深いところです。もっとも、これを挙証責任の転換と見ること自体が間違っているという見解もあり得ましょう。これはむしろ労基法19条のような一定期間に対する解雇制限規定なのであり、ただ使用者側に弁明を許しているだけだと見ることもできます。だとすると、これはこれだけの話ですね。

一番ホットな問題となった間接差別は、そういう言葉では出てきません。標題は「性別以外の事由を要件とする措置」です。ちょっと長々しいですが、条文を引用しますと、「事業主は、募集及び採用並びに前条各号に掲げる事項に関する措置であつて労働者の性別以外の事由を要件とするもののうち、措置の要件を満たす男性及び女性の比率その他の事情を勘案して実質的に性別を理由とする差別となるおそれがある措置として厚生労働省令で定めるものについては、当該措置の対象となる業務の性質に照らして当該措置の実施が当該業務の遂行上特に必要である場合、事業の運営の状況に照らして当該措置の実施が雇用管理上特に必要である場合その他の合理的な理由がある場合でなければ、これを講じてはならない。」意味のある部分は「実質的に」「差別となるおそれ」というところですね。これは「間接差別」を定義したといえるのか、それとも「差別」だけでなく一定の「差別のおそれ」も禁止するということなのか、まあ、そもそも差別を定義していませんから、こういう議論にもあまり意味はありませんが。

あと、紛争調整委員会の調停手続について、関係者の出頭を求めて意見を聞くことができるとか、解決の見込みがなければ打ち切るとか、時効の中断とか訴訟手続の中止とか、紛争処理制度としての規定の整備がされていますね。

労働基準法の方は、これはなんと大きな改正があります。第6章の2の「女性」という標題が消えます。実質的には1997年改正で女性保護規定はほとんどなくなっていたのですが、今回改正される坑内労働だけはとにかくおんなであればだめという規定を残していたので、「女性」が規制対象だったのですね。それが「妊産婦等」になります。役人根性ですぐこの「等」の中味は何だといいたくなりますが、「坑内で行われる業務のうち人力により行われる掘削の業務その他の女性に有害な業務として厚生労働省令で定めるもの」は、妊産婦でない一般女性もやっぱり今まで通り禁止されるということなので、それじゃあ、章題を変える必然性はないんじゃないのという感じもしないではありませんが。

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ベーシックインカムについて

昨日書いた緑系の福祉論に感じる違和感というのは、私自身がそれに感じる違和感ってのも結構あるんだけれども、それだけじゃなく、そんなの下手に持ち出したら、政治家や一般国民の皆さんから何を言われるだろうか、ってのがかなりくっきりと感じられるからってのもある。まあ、役人の症候群だといわれればそれまでだが、そういう配慮なしにうかつに持ち出さないでほしいとは思うんだな。

提唱者パレイスによれば、ベーシックインカムとは、(1)働く意思がなくても、(2)豊かであるか貧乏であるかに関わりなく、(3)誰と生活していようとも、(4)国のどこに住んでいようとも、社会のフルメンバーである個人に対して政府が支給する所得のこと、だそうだ。

もちろん、社会思想研究としてそういう思想を研究するのは大いに結構というか、おやりになればって感じだけれども、たとえばさ、パートとか、フリーターとか、ニートとか、引きこもりだとか、いろんな偏見つきの概念がごちゃ混ぜになってぐるぐる乱れ飛んでいる今のこのご時世に、そんなの持ち出したら、ストンと入っちゃうよね。

おおそうか、やっぱりな、こいつらプラプラしてる連中は、働く意思もねえくせに、金はあるくせに、親と生活してるくせに、勝手に好きなところで暮らしたいとかいってぶらぶらしてやがるくせに、それでも国に金をせびろうと、そういう魂胆なわけだ、わかったぞ、こいつらの扱い方は一つしかない、自衛隊にでも放りこんじまえ!

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福祉社会の未来

岩波から出てる「思想」なんて哲学雑誌は普通はさわりもしないんだけれども、今月号は「福祉社会の未来」とかいう特集で、パラパラ見るとまさに今の関心事とつながっているので、これは読まないわけにはいかないなあ。

http://www.iwanami.co.jp/shiso/

ただ、脱生産主義とか定常型社会とかベーシックインカムとかエコロジーとか、やたらに緑っぽいんだよなあ。そういう議論がヨーロッパの一部の学者の間で流行っているのは確かだろうけど、福祉社会をどうしていくかという論点で、政治的にはそれほど意味のある存在になっているという感じはしない。学者の研究としてはいいんだけど、それがヨーロッパの潮流だみたいに誤解されて、そっちに行かなきゃみたいになると、またぞろ同じことに繰り返しになりゃしないだろうかと、ちょっと心配。

その中で、宮本みち子さんの「若者政策の展開」は、地に足のついた感じでEUの若者政策を紹介し、返す刀で日本の近年のアプローチを的確に批判している。最後のところを少し引用。

・・・このように、日本の若年労働市場の実態を注意深く見ると、欧米諸国における若者の二極化と、その一方の極の貧困化と社会的排除の危険性、という同じ問題が見えてくる。しかし、この間の世間一般の関心は、パラサイトシングルやひきこもりに向けられ、底辺の若者への関心は薄い。・・・

この辺が、クラスコンシャスっていいたくなるゆえんでもある。

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フランスの組合もポーランド鉛管工の味方だって?

これも昨月9,14日のエントリーの続報です。こっちは中東欧諸国からの労働移動制限の話。Le Monde紙によると、雇用省主催の労使対話委員会の席上、フランスの有力組合のうちCGT,CFDT及びFOは、認めりゃいいじゃん、イギリス人やスペイン人はいくらでも来れるんだし、と大変物わかりのよい発言をしたとか。昨年憲法条約批准投票の時に、ポーランド人の鉛管工がやってきて君たちの仕事を奪うぞとかいってたのは誰だ?っていいたくなりますが、まあそこは自由平等博愛のフランスですから。使用者側は制限撤廃を求めていますから、労使とも自由化で足並みをそろえたことになります。

http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3214,36-747567@51-724626,0.html

来る13日に政府は制限を存続するか止めるかの決定をすることになっていて、これはそのための協議でした。フランスが撤廃派に移るとこれはかなり影響が大きいですね。ドイツとオーストリアは下手すると孤立しかねません。

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メルケル首相も最低賃金に前向き

先月20,28日のエントリーのさらに続報、最低賃金の導入をめぐる議論が活発化しているドイツで、メルケル首相も前向きの発言をした模様です。

http://www.welt.de/data/2006/03/05/855542.html

例によってDie Welt紙の記事ですが、「メルケル:私も最低賃金をやり過ごすわけにいかない」といった感じのタイトルでしょうか。連立政権における決定は秋頃になるだろうという観測のようです。

ちなみに同記事によるとEU諸国のうち最低賃金を設定しているのは19カ国で、最高はルクセンブルクの月給にして1500ユーロ(約21万円)からリトアニアの月給116ユーロ(約1.6万円)まで10倍以上の差があります。

やっぱり、これがサービス指令案から中東欧労働者の障壁から諸々の問題の源泉にあるわけで、にもかかわらずEU統合を成し遂げようという意欲のすばらしさは感嘆ものですし、そうはいってもねえ、という声の出るわけでもあるわけで。

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予告編:労働法の進化

今年、欧州委員会は「労働法の進化」に関するグリーンペーパーを発出する予定です。これは2006年予定表にちゃんと載っています。一体これは何をしようとしているのか、今までちらちらと出てきた情報をもとに、ちょいと予告編を覗いてみましょう。

じつは、「労働法の進化」というタイトルの文章は既に書かれて、欧州委員会に提出されています。

http://www.europa.eu.int/comm/employment_social/labour_law/publications_en.htm

これは欧州委員会雇用社会総局の労働法・労働組織課の刊行物ですが、そのてっぺんに「労働法の進化(1993-2003)」ってのがあります。これは欧州委員会の依頼に基づいて、各国報告書に基づき、フィレンツェ大学のシラーナ先生が2004年5月にまとめられた論文ですが、派遣労働、経済的従属労働、ファミフレ、有期、パート、さらには団体交渉や非差別といろんなテーマを取り上げています。これはこれだけで読んでも大変興味深いものですし、実際、一昨年の東大の院のゼミではこれも教材にして読んでいきましたが、EUが単にお勉強の材料を提供するためだけにこんなものを作ってくれるわけはないので、これは今後の政策展開に向けた布石という意味があったわけです。

それは昨年2月に出された新社会アジェンダにおいて、労働法の進化に関するグリーンペーパーを発出して、経済的従属労働者や有期労働など新たな労働パターンの趨勢を分析し、労働市場における効率的なトランジションを促進するより安定的な環境を提供することを図っていく云々、と書かれてあったことで明らかになりました。これだけでもイマイチ何をしようとしているのかよくわかりかねるところもありますが、今年、2006年になってもう少し詳しい予告編が出されました。

http://www.europa.eu.int/comm/atwork/programmes/docs/wp2006_roadmaps.pdf

これは2006年のロードマップという奴です。この178ページ目に、労働法の進化グリーンペーパーの説明が載っています。でも、あんまり詳しくもないですね。上述の専門家グループの報告書と、オランダ議長国が開催した会議の結果を基に、EUにおける労働法の現在の趨勢と将来の展望について関係者に広く協議を行うということぐらいしか書かれていません。どういう政策オプションを考えているのか、どのような規制的ないし非規制的手段を検討しているのかという問いに対して、いやあ協議文書ですから、結果次第ですねえ、規制的手段も非規制的手段も両方考えられます・・・って、何も言ってないに等しいぞ、こら。

ところが、これとつながってくる話が、今年の1月終わりにヴィラッハで行われた非公式雇用相理事会です。ここでは「フレクシキュリティ」という言葉がキーワードになりました。これはフレクシビリティ(柔軟性)とセキュリティ(安定性)を組み合わせた用語で、今年前半の議長国オーストリアは、このキーワードを中心に政策展開を試みたいと思っているようなのです。ここでは、ジョブ・セキュリティからエンプロイメント・セキュリティへといった議論もなされたようで、6月にまとめをしたいようなのですが、そこにこの労働法の進化に関する問題提起がストンと入ってくるという仕組みのようです。

その意味で、これは雇用戦略の一つの柱でもあるし、リストラに対する政策という意味もありますし、非常に広がりのある話になるだろうと思われます。

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出て行く企業はカネ返せ!

グローバル化基金の話の続き、というかちょっと別の側面になりますが、欧州議会の地域開発委員会というところが、この1月に、地域開発の文脈におけるリロケーションという決議を採択しています。まあ別に拘束力なんかはないんですが、この問題に結構影響しているようにも思えます。

http://www.europarl.eu.int/meetdocs/2004_2009/documents/pr/576/576974/576974en.pdf

スウェーデンの家電企業エレクトロラックス社が大規模なリロケーションを遂行しているんですが、ドイツのニュルンベルクの工場を閉鎖してポーランドに移転するというので、2000人のクビが切られるとか。ところが、なんとそれにEUの構造基金のカネを使われるとはけしからんということです。EUの構造基金は低開発地域に立地する企業に対する補助金がありますが、それを使って既存の工場を閉鎖して賃金の安い国に移るとは許せんというわけ。で、そんな会社にやったカネは返して貰おうじゃないか、欧州委員会は返還請求せよと言うわけです。そして、そもそもそんなことするような会社には金輪際カネをくれてやるな、補助金には長期雇用を条件にしろ、といろいろ文句をつけています。

面白いのは、ドイツのグロス経済相も同じような要求を欧州委員会に突きつけて、ポーランド人の地域開発担当EU委員ヒューブナーと喧嘩になっているという記事。

http://europanotizie.ilsole24ore.com/EuropaNotizie/Notizie/Politica_Europea/2006/01/26/POL_UE_3563196_20060126.jsp

いやいや、それとは別にちゃんとおカネを用意しますからご容赦を、という意味合いがあるわけですね、このグローバル化調整基金って奴には。

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EUグローバル化調整基金案

ということで、昨日正式に欧州委員会から「欧州グローバル化調整基金規則案」が提案されました。

http://www.europa.eu.int/comm/employment_social/news/2006/mar/com06091_final_en.pdf

最初はまずなぜEUがこういうことをやるか、EUは対外通商政策の権限を持っていて、貿易自由化とか決定するんだから、その結果起こる整理解雇にも責任があるんだ、ということ。昨年10月にバローゾ委員長が欧州理事会と欧州議会宛の書簡でこの提案をし、12月の欧州理事会でゴーサインが出たので、ここに具体的に規則案の形で提案されたといういきさつ。。

第1条で「世界の通商パターンの主たる構造変化の結果として整理解雇され、かつ当該整理解雇が地域経済に顕著な悪影響を及ぼすような労働者に援助を与える」とその目的が規定され、第2条でその基準として「失業率がEU又は当該国の平均よりも高い地域において、供給業者又は後工程生産者における整理解雇者も含め、企業における1000人以上の整理解雇者が出る場合」又は「6ヶ月の期間において、1又はそれ以上の企業において1000人以上の整理解雇が出て、それが当該地域の雇用の1%以上に相当する場合」という二つを挙げています。

補助金の対象となるのは、記事に書いてあった失業者の訓練だけではなく、求職援助、職業指導、個別訓練、再訓練(IT技能を含む)、アウトプレースメント支援、起業支援、自営支援といったものもありますし、さらに在職者への所得補助として求職手当、広域移動手当、訓練参加手当などもあり、また50歳以上の者への一次的賃金補助もあるなど、なんだかどこかの国の雇用対策事業を見ているような気がしないでもありませんね。まあ、どこの国の役人も思いつくのは似たようなものと言うことでしょうか。

お金のもらい方は、上記事態が発生したら10週間以内に加盟国が欧州委員会に申請書を出して、それを審査して、特に整理解雇者の数を勘案して、速やかに総コストの50%を超えない範囲で支給します。加盟国はそのカネを18ヶ月以内に使用しなければなりません。それから6ヶ月以内に実施状況をちゃんと報告をしないといけません。

予算的には、年間総額5億ユーロ、対象労働者は約5万人と見積もっているようです。

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グローバル調整基金の記事続報

昨日のエントリーの続報ですが、今のところまだヨーロッパは夜明け前ということで、本日予定されている発表はまだ行われていません。それでもちゃんと中味の記事が出るんですね。しっかりリークしているおかげで。

http://www.iht.com/articles/2006/02/28/business/euecon.php

これはヘラトリの今日付の記事です。昨年ヒューレットパッカードのリストラでシラクが怒って、バローゾ委員長がなだめるためにこの基金を作りますといって、EUサミットで決まったという風ないきさつが詳しく書いてあります。

この記事によると、一定の地域で1000人以上が解雇されることが支給要件のようですね。それで解雇された労働者の職業訓練費用に当てると。失業者の職業訓練といえば、昔から欧州社会基金というのはあるんですが、まあ、中味はあんまり変わらないことをいかにも新政策みたいに出すというのは役人の処世術ですから。

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誰がデッドエンド仕事を担うか

一昨日のエントリーに対していただいたメールが2つの点を指摘されています。第1は、サービス経済化や生産のモジュール化などの進展により低賃金・低技能・キャリアのデッドエンド的な仕事が増加しているという労働需要の構造変化の問題、第2は、デッドエンド型の仕事を社会の中で誰が担うのかという問題です。

第2の方が簡単なのでこちらから考えてみます。かつては臨時工とか社外工という形で社会階層的に割り当てていたデッドエンド仕事を、主婦パートとか学生アルバイトという形で社会的排除を伴わずに遂行できるようになったことは、ジェンダー視点を別にすれば、社会学的には進歩だったと言えるでしょう。これが今崩れつつあり、若者から既に中年に到達しつつある「名無しの人材さん」という形でアンダークラスを形成しつつあり、高度成長期に確立したそれなりの職業人生と家庭生活から排除されてきつつあるというのが現在の見取り図だと思います。

そこで、もう一度、かつての主婦パートや学生アルバイトのように、一定の社会集団に、社会的排除を伴わずに、デッドエンド型ノンキャリア就業を割り当てるとしたら、ありうるのは高齢者しかないのかなと思っています。もちろん、これはそれなりの職業人生と家庭生活を送ってきたことを、それゆえ社会の主流にしっかりとインクルードされていることを前提とし、それに基づいて社会保障制度による収入と組み合わせる形で設計しなければなりませんが。

ここがうまくいかないと、まさに高齢ワーキングプア創出政策になってしまって、非難囂々になってしまうでしょう。それでなくても「労働者を死ぬまでこき使うこと」を提言していると言って糾弾されているものですから、ここは強調しておきます。

http://www.jrcl.org/liber/l1704.htm#8p

もう一つ、年齢差別反対というポリティカリーコレクトもありますね。高齢者が高齢者であるというだけの理由で、「シルバー人材さん」として補助的な仕事をしているという光景をどうみるかという問題です。これは社会哲学レベルでいかなる価値観を優先させるかという問題なのでしょう。

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