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2006年2月21日 (火)

福祉国家とは?

昨日、都内某所で某研究会。

福祉国家というときに、職域の助け合いというのは入っているんだろうか。日本型福祉国家が非福祉国家だというときには、企業の長期雇用慣行や企業内福利厚生などは本来の福祉国家を構成するものではないという判断がはいっている。日本の経営者の福祉国家理解が乏しいとか、囲い込みによる保障は不透明で拘束感がある、息苦しいとかいうのも、そういう判断がもとにある。

しかし、ヨーロッパの特に保守主義レジームもまた、職域の助け合いを原理の一つとしている。もちろん、どこまでを助け合うべき職域と考えるかという点で、ヨーロッパと日本ではまた異なるけれども、いきなり国家レベルのミニマムにいくんじゃなく、さまざまな職域の保障システムが並び立ち、それぞれの水準の保障を提供し、そこからこぼれ落ちる人にミニマムがいくという多元的な福祉のシステム。

ヨーロッパの場合、それは産業レベルの労使交渉によって勝ち取られてきたものだけど、日本の企業福祉は経営者のお情けだというのは、少なくとも事実に反する。それもまた、歴史的には企業レベルの交渉で勝ち取ってきたもの。それを息苦しいと感じる人がいることは、それを労働者が求めてきたことを否定する論拠にはならない。

さらにいえば、囲い込みは息苦しいというのは、どんなレベルだってありうる。国家による福祉だって、リバタリアンからすれば息苦しくて仕方がないだろう。

別の観点からの批判、つまり仲間内だけで助け合って、よそ者がそこから排除されるというのも、およそいかなる福祉システムにも共通するものではないか。保守主義レジームとは自分たちの職域エゴイズムに立脚したシステムだろう。それに対して、社会民主主義レジームは一見美しげに見えるけれども、一体どこまで博愛衆に及ぼすつもりがあるのかという問いが追っかけてくる。

いま、デンマークの新聞が載せたムハンマドのポンチ絵が大騒ぎになっているけれども、これまで大変リベラルで通っていたデンマークが、移民に対して極めて反感を高めて、右翼が勢力を伸ばしているのがその背景。デンマークだけじゃなく、ヨーロッパ全体に、俺たちの受けるべき福祉をあのどうしようもねえ連中がむさぼってやがるといういわば福祉右翼の感情が澎湃とわき起こっていることを考えると、社会民主主義だって、というか、社会民主主義だからこそ、よそ者にまで博愛衆に及ぼすことは困難。

そうなると、仲間内の助け合いという原理を否定してしまうと、唯一可能な選択肢はアングロサクソン流のホントにホントの最低限だけ、福祉は救貧で、普通の人は対象外、ということになってしまう。

一方で、自立とか、分権とか、民間非営利とか、市民社会とか、まあそのたぐいがすごく称揚される。だけど、それも一種の仲間内だろう。いやだから悪いなんていっていない。人間、所詮、仲間内でしか助け合えない生き物なんだから。

多分、現在起こっている問題は、これまでの(産業レベルにせよ企業レベルにせよ)職域の助け合いが機能する領域がどんどん狭くなってきて、そこからこぼれ落ちる人々が急激に増大してきたというところにある。で、そういう職域なんかでやってるからだめなんだ、もっと普遍的にやりませうというのがもっともらしく聞こえる。だけど、もちろん、最後の普遍的なセーフティネットも大事だけれども、そこまで行かないようにする様々な命綱のシステムをもう少し広げていくというやり方もあるはず。職域の保障を正社員だけでなく、その周辺で働いている人々にも、レベルは異ならせてでも、少しづつでも広げていくとか。これまでの会社中心とは違った形で職域の助け合いを構築していく試みもあっていい。

市民社会っていうのは、変にかっこつけたシミンシミンした人たちの社会じゃなく、同じ時空間を共有し、ともに働く人々の作り出す仲間社会と理解すべきなんじゃなかろうか。

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