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2006年1月

欧州司法裁判所への付託2件

ECJのウェブサイトに、欧州司法裁判所に新たに付託された2件が簡単に紹介されています。

http://curia.eu.int/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&Submit=Submit&alldocs=alldocs&docj=docj&docop=docop&docor=docor&docjo=docjo&numaff=&datefs=&datefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

http://curia.eu.int/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&Submit=Submit&alldocs=alldocs&docj=docj&docop=docop&docor=docor&docjo=docjo&numaff=&datefs=&datefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

一つは、年齢差別に関わる事件。スペインのパラシオス・デラビラ事件(Félix Palacios de la Villa v Cortefiel)で、労働協約中の定年(強制退職年齢)の規定は有効かどうかという、いやあ、やっぱり出ました、定年制の問題。しかも、国の社会保障制度で老齢年金が受給できる年齢に達したことを理由とする強制退職規定の効力ですから、まさに一般均等指令でイギリス政府が条文上に書こうとして、結局前文に移ってしまった問題がテーマになっているわけです。

そんなの、年金がもらえるんだから定年当たり前だろう、と、ECJが判断してくれるかどうかは、こないだのマンゴルト事件判決の過激さからすると、必ずしも確実とは言い難い、というか、むしろ逆の判決になる可能性もかなりあるように思われ、そうすると、ヨーロッパ中の労働協約に怒濤の如き影響を与えることになりかねません。

これは刮目して今後の動きを見ていく必要がありますね。

もう一つは、またも出ました、病院の待機時間の問題。今度はチェコですね。クルムロフ病院に勤務するボレルさん(Jan Vorel v Český Krumlov Hospital)の事件。病院内で医師が待機しているのは労務の遂行と見なされるか、というのが論点だとありますが、詳しい状況はわかりません。

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EU成長と雇用に関する年次進捗報告

去る25日、欧州委員会は成長と雇用に関する年次進捗報告を発表しました。

http://www.europa.eu.int/rapid/pressReleasesAction.do?reference=IP/06/71&format=HTML&aged=0&language=EN&guiLanguage=en

その中の「人々を仕事に連れ込む」(Getting people into work) という項目に、4つの目標が書かれていますが、その二つめが若者対策で、「学校や大学を出た全ての若者が、2007年末までに失業後半年以内、2010年までには100日以内に、仕事か、徒弟制かあるいは追加的な訓練を受けられるようにせよ」というのが書かれています。

徒弟制(apprenticeship)というと、日本では基準法69条で「徒弟の弊害排除」というのがあって、「技能の習得を目的とするものであることを理由として労働者を酷使」するような印象があって、あんまり正面から徒弟制復活せよ、なんて声は上がってこないんですが、ヨーロッパでは若者対策として大変注目されているようです。

実は、昨年12月15日のエントリーで書いた日本型デュアルシステムの発想も、根っこでは通じるものがあると思うのですが、このあたりの議論、日本ではまだあんまり正面から取り組もうというところまでいっていないのでしょうか。

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労働時間制度研報告

本日、厚生労働省の今後の労働時間制度に関する研究会報告書が発表されました。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/01/dl/h0127-1c.pdf

このうち、ここで「新しい自律的な労働時間制度」と呼ばれているものについては、既に今月8日のエントリーで、昨年末に提示された素案についてコメントしていますが、その他の項目も含めて、総括的にここでまとめておきたいと思います。

まず、世間でホワイトカラーエグゼンプションといわれてきたものについてですが、12月末の素案では「新適用除外」という言い方をしていたものが、1月11日の「素」がとれた「案」では「新裁量労働制」という名前になっていました。もっとも、これは羊頭狗肉の名前で、その法的効果は現行管理監督者と同様、労働時間と休憩の規定を適用せず、ただ法定休日は適用することも考えられるというものですから、労働時間計算の特例としてのみなし制である裁量労働制に「新」をくっつけるのはいかにもおかしなものでした。

本日の最終報告書では、これを「新しい自律的な労働時間制度」という名で呼んでいます。言葉尻に難癖をつけるようですが、「自律的な労働時間制度」ってのは変ですね。制度が自律的なんじゃないでしょう。どんな制度にするかを自律に任せましょうなんていいたいわけではないんでしょう。自律的な働き方をする労働者にふさわしい制度っていいたいんでしょう。

でも、こういう変な日本語になってしまうところに、この問題のボタンの掛け違えが覗いているんですよね。8日に書いたことの繰り返しになってしまいますが、「自律的に働き、かつ、労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわしい労働者のための制度」という長ったらしい節題の「かつ」の前と後ろが一致する保証などないのに、とにかく「自律」という呪文で全てを押し通そうとするから、日本語までおかしくなってしまう。

本当に「自律的に」働いているんだったら、どうして法定休日を守らせる必要なんてあるんでしょうか。健康確保なんて余計なことじゃないですか。そんなことをする必要があるとすれば、それはその人は本当に自律的になんか働いていないんです。

そもそも、現在の管理監督者といわれる人たちだって、ホントのところ、どこまで「自律的」に働いているでしょうか。課長さん、自律的に働いていますか。冗談じゃないよね。あっちからもこっちからも仕事が舞い込み、部長からはぎりぎりに絞られて、何が自律なものか。大学の先生じゃないんだ。

でも、課長になったんだから、「成果や能力で評価される」のは当然だと思ってるし、だから残業手当がつかなくなったのも当然だと思ってる。

ところが、そういう意味では、実はそういう「成果や能力で評価される」働き方は課長さん以上に限られず、その下のクラスのサラリーマンたちにも共通するものがあるわけで、逆に、課長クラスになっていないから残業しただけ全部残業手当を払え、払わなくちゃサービス残業だぞ、訴えてやる!というのが、どこまで現実に働いている人々にとって正当性のあるものなのかというところが、このホワイトカラーエグゼンプション問題のそもそもの出発点であったわけです。

一つには、管理職への昇進年齢が人口構成の高齢化に伴ってどんどん上昇してきたため、昔だったらとっくに管理職クラスになっているはずの人がまだその手前で残っているとかいうのも、この問題の背景事情にあるでしょう。

まあ、議事録を読んでいくと、研究会の委員の中にも、働き方の自律性にこだわっている方と、そうじゃなくて割増賃金規制を外してもいいかどうかを重視している方がいて、そう簡単に割り切れないのかも知れませんが、私の目には「自律性」にこだわっているために、なんだか結局今までの裁量労働制と比べてどれだけ広がるのかよく見えない、という結果になってしまっているように思われます。

この問題は、論じ出せばきりがないので、この辺にしておいて、もう一つの目玉、年次有給休暇のところについてコメントしておきます。

一つは、13日のエントリーで畠中先生の論文に触れた時に、かつて日本でも労働者の時季指定に先立って使用者に聴取義務があったことを書きましたが、それに近い発想が示されている点です。労働者の時季指定だけに任せるシステムは限界にきている、一定日数について、使用者が労働者の希望もふまえて予め具体的な取得日を決定することで、確実に取得させることを義務づけるという提案が、「検討を進める必要がある」とちょっと弱めで先送りっぽい感じですが、明記されている点は評価すべきでしょう。

これは、いざやるとなると、今でも完全取得しているような人からはすごく抵抗がくるでしょうが、是非実現に向けて具体化してほしいと思います。

あとの提案は、時間単位の取得を認めようとか、未消化年給を退職時に清算できるようにしようとか、正直言って、ううーん、年休の本質からいって枝葉末節なんじゃないの?といいたくなるような話で、ちょっとねえ。

最後に時間外労働の話。どうも最初のイメージでは、法定時間内でも所定労働時間を超える残業には割増を払わせようという、2004年の仕事と生活の調和研究会の提案が目玉になるような感じだったのですが、さすがに問題点がいろいろと指摘されたためなんでしょう、「今後とも検討」と物惜しげな書き方をしていますが、具体的な提案にはなっていないようです。

これは素人が考えてもあんまり筋のいい話ではないわけですから、まあ当然という感じもしますが、逆に、(普通に36協定を結んでやっている)時間外労働そのものの長さについて、現行の適正化指針のやり方をどうすべきかというような実体的な議論が全然されておらず、もっぱら割増率をどうするとか、カネの話ばかりに傾斜しているようで、いったい、労働時間というものをなんと考えているのだろうか、健康や家庭生活に悪影響のある長時間労働を短くするのが目的なのか、割増を増やしてもっと残業したがるようにするのが目的なのか、どっちだろうと疑問を呈したくなるところがあります。

ここ10年あまりの間、外部労働市場の流動化が進んできた中で、かつて時間外規制に対する慎重論の論拠となってきた「雇用安定のためのバッファー」論がどの程度なお妥当しているのか、といったことも含めて、もう少し原理的なレベルで議論をして貰いたかったという感が残ります。

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多様就業型ワークシェアリング制度

先週19日に、厚生労働省の多様就業型ワークシェアリング制度導入実務会議の報告書が発表されました。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/01/dl/h0119-1b.pdf

えっ?ワークシェアリングなんてまだやってたの?という反応が返ってきそうですね。

2001年から政労使で検討会議を開き、2002年には政労使合意が結ばれ、大いに盛り上がりましたが、その後急速に関心が失われ、下手すると死語扱いされかねないワークシェアリングですが・・・(ってなことをいうとお叱りを受けそうですが)・・・着実にこういう検討を進めていたんだなあと、感慨にふけられる方もいるかも知れません。

とはいえ、実はこの会議でずっと検討されてきたのは、世間の人がワークシェアリングという言葉ですぐに思い浮かべることとはちょっと、というか、かなり次元の違う話だったのです。

あのころの政策文書を読み返してみると、ワークシェアリングという言葉で通常思い浮かべること、というよりも世界どこでもそういう意味にしかならないのですが、失業者も含めて全ての労働者で仕事を分かち合おうという考え方はフランス型とかいって横に置かれていて、実は検討の対象になっていないのですね。

そこで検討されていたことの一つは緊急避難型といって、ドイツのフォルクスワーゲンがモデルだとかいってましたが、いやそれより日本の70年代の雇用調整をモディファイしたようなものでした。これは助成金も作られましたが、もうあまり関心を引いていません。

もう一つ、これこそがこれからのワークシェリングだという鳴り物入りで打ち出されたのが、オランダ型とかいって、短時間勤務を導入して仕事を分かち合うんだという話、これが今回の報告書に連なる「多様就業型ワークシェリング」って奴のはじまりです。

このあたり、昔流行ってた頃にあるところで喋ったことがあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shaminken.html

しかし、実際のところは、もはやワークシェアリングというのはお題目であって、仕事と生活の調和という観点からも大変意義のある短時間勤務とか在宅勤務という多様な就業形態を、どういう風に円滑に導入していきましょうか、という話になっていたようです。

これは別に悪いことではありません。とても大事な政策課題であることは明らかなのですから。古いお題目が余計なだけで。

この報告書が打ち出している目玉商品が「短時間正社員制度」という奴です。これはフルタイム正社員より所定労働時間は短いが、いまのいわゆるパートさんとかアルバイトとは違って正社員として働く人々というものです。ここでは具体的に制度を挿入するための手順と課題の解決策を詳しく示しているだけでなく、付録として制度導入マニュアルというのもつけています。

と、聞いてくると、それって、もしかして、2003年のパート指針でいってる均衡処遇の話とつながるんじゃない?とお感じになるのではないかと思います。まさに正解、実はこの検討会議、ワークシェアリングというお題目を載っけてはいますが、事務局はパートや在宅就労を担当している雇用均等・児童家庭局短時間・在宅労働課というところです。まさに、そういう話を検討してきたわけです。野党や組合はすぐヨーロッパ並みに均等待遇とか言うけれども、働き方が全然違うんだから、まず働き方が同じ時間は短いけど正社員というのを作らなくちゃということですね。

ということで、これはどちらかというと主として女性の生活と両立した働き方という点に着目した、少し前にはやった言葉で言えばワークライフバランスをにらんだ政策ということになるでしょう。その意味では、この報告書は大事なことがいっぱい書いてあり、多くの企業関係者に読まれてほしいと思います。

ところが、世の中の移ろいゆく流れはいと早く、現在世間で一番関心が集中している労働問題というと、フリーターだ、いやこれもちょっと古いな、働かないニートだ、いやいや構内請負で全国を漂流する連中だ、正社員で週60時間以上働かされている若者だっているぞ、何だかんだと、若者がやり玉に挙げられています。

そうなってくると、話の作り方もまた変わってくるのではないかという気がします。ワークシェリングという言葉を、世間の流行とは切り離して、根源的に、社会的な雇用と労働時間と生活時間の適切な配分の仕方という意味で考えるならば、実はこの若者の労働問題こそがもっともふさわしい領域であるようにも思われます。

でも、たぶん、もうこんなナウい言葉を使うことはないんでしょうね。

P.S.この検討会議には、「吐息の日々」でおなじみの労務屋さんも参加されています。

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公務員の労働基本権

私の尊敬する労務屋さん(日本のリーディング企業の労務管理担当者の方です)のブログで、公務員の労働基本権のことが話題になり、諸外国はどうなっているんだというご指名がかかりました。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060120

私は、諸外国の話の前に、まず日本の仕組みを説明した方がいいかなと思い、以下のようなコメントを書き込みました。

『諸外国の話の前に日本の制度について一言だけ。
公務員といっても、いわゆる現業と非現業は位置づけが違います。
現業は地公労法が適用され、労働組合法に基づいて団体交渉を行い、労働協約を締結し、紛争は労働委員会で処理されます。
違うのは、スト権がないのと、金の出所が税金なので、協約が条例に反する場合に締結後10日以内に条例改正を付議しなければならないということです。
身分は地方公務員ですが、民間でもできる事業に携わる職員は、公権力の行使に関わる本来の公務員とは労使関係上の扱いは異なっているのです。

私はそもそも、労働基本権といえばすぐスト権と反応するのはいかがなものかと。
労働組合を作る目的は団体交渉で賃金や労働条件を決めることにあるので、その意味では現業公務員は民間に属するのです。
民間でも電力事業はスト権が制限されていますし。

財政民主主義論はスト権奪還闘争華やかなりし時期に最高裁が示したもので、まあ通説になっていますが、物事の出来方の経緯からすると、必ずしもぴったりするわけではありません。』

もう一つ付け加えておいた方がいいかなと思うのは、法律上非現業といっても、公立学校や公立病院の職員は民間でも同じ事業を行っているものですから、本当は現業なんですよね。これが非現業に分類されていたのは、「センセイ」といわれるような人が下賤な現業なんてとんでもないということだったのかどうかよくわかりませんが、独立行政法人という制度ができて、どのみち民間と同様の扱いになりました。

もっとディープな話をすると、そもそも公権力行使に携わる本来的公務員とはどこまでをいうのか、という問題があります。実は、日本の公務員制度は、戦前はドイツ型で、上層部は公法上の官吏身分であったのに対して、下の方は民法上の雇傭契約で国や市町村に雇われているだけだったのです。これに二種類あって、雇員というのは事務職員、傭人というのは肉体労働者ですが、どっちも官吏ではなく、民法の雇傭契約が適用されていました。ですから、もし戦後公務員制度改革がなくて、労働法改革だけがされていれば、今公務員と呼ばれている人々のかなり大部分は、労働基準法と労働組合法が適用されていたはずです(いわゆる非現業の中でですよ)。

ところが、アメリカの公務員制度はこれとは全く違っていて、行政機能を担う者は上から下まで全部公務員なんですね。占領軍はこれを日本に押しつけたわけです。この経緯を見ると面白くて、日本政府側は、なんでタイピストまでスト権禁止なんだと言ってる。日本側は身分論で考えているけれど、アメリカ側は機能論で考えている。結局、アメリカ型になったわけですが、そうすると、日本側の仕事は非現業だけど気分は労働者という人たちにとっては本来あるべき労働基本権を奪われたということになってしまったわけです。ちなみにドイツは頑固にいまでも官吏、事務職員、労務者の3区分でやってます。

まあ、これもそういうやり方で60年やってきたわけですから、いまさら戦前に戻せといってできるものでもないのでしょうが、公務員の労働基本権問題というこのねじれにねじれた問題の根源は、違った法文化をむりやり挿し木したことにあるのではないかというのが、私の個人的見解です。

P.S.なお博物士さん(労働法の研究者の方です)もご自分のブログでこの問題にコメントしておられます。

http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060124

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医療関係派遣の部分解禁

法改正事項ではないのですが、現在、厚生労働省の労働政策審議会職業安定分科会労働力需給制度部会で、禁止されている医療関係派遣のうち、産前産後休業、育児休業及び介護休業中の労働者の代替の場合と、僻地や離島の病院診療所に派遣する場合は認めるという案が審議されています。12月末には政令案が提示されており、近く制定されることになると思われます。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/12/s1227-11.html

 この問題は、直接的には昨年9月に構造改革特区に関する有識者会議から求められ、同年10月に政府の構造改革特別区域推進本部で決定されたことに基づくもので、それから急遽審議会での議論が開始されたものです。

というと、ああ、またぞろ、規制緩和サイドの圧力で、せっかくの労働者保護規制がねじ曲げられようとしているのか、とお感じの方もおありになるかと思いますが、実はこの問題、経緯を詳しく見ていくと必ずしもそういうわけでもないということがわかります。

というのは、もともと1985年に労働者派遣法が制定されたときには、この医療関係業務というのはネガティブリスト業務に入っていなかったのです。もちろんこのときは、対象業務はポジティブリストで決まっていたので、どのみち医療関係業務は対象ではなかったのですが、建設業務や港湾運送のように、ネガティブリスト、つまり積極的に派遣にしたら悪い業務と名指しされていたわけではないということです。

ということは、業務とは別の理由で特別に派遣を認める制度、つまり高齢者の派遣特例とか、育児休業・介護休業時の代替派遣については、医療関係業務も対象となり、別に問題はなかったということです。実際、看護婦さんの育児休業の代替というのはニーズも多く、結構利用されていたようです。

ところが、1999年に派遣法が抜本改正され、それまでのポジティブリストがネガティブリストに変わったその時に、なぜか政令改正という形で、医療関係業務がそっくりネガティブリストに放り込まれてしまったのです。国会の議事録では一切そういう議論はなく、法律制定後のどさくさでそうなっています。

その時の解説書を見ると、医療はチーム作業だからとか命に関わるとか書いてありますが、別に医療関係でなくとも多くの業務はチームで行われていますし、人の生命に関わる業務も医療に限られるわけではありません。そんなこといったら多くの職業の人々から怒りの声が上がるでしょう。

それに何より、それまで何の問題もなく行われてきた育児休業・介護休業の代替までがなぜ突然派遣法の趣旨からして許されざる悪行になってしまったのか、全然納得のいく説明はされていませんでした。

2003年改正時にもこの問題は取り上げられましたが、なんと紹介予定派遣だけ認めるという訳のわからない決着となっています。事前面接による人物特定を行えば、チーム医療に支障が出ないとか言う理屈なのですが、そもそも紹介予定派遣とは、派遣先への直接雇用を予定する派遣なのですから、もし違法な事前面接を潜脱するために、雇い入れる予定もないのに紹介予定派遣をするというのであれば、これは偽装に他ならないはずです。

こういうふうに、医療関係派遣については、派遣事業一般に関する勢力地図とはかなり状況が異なっていて、規制緩和サイドよりも規制維持サイドの方が横車を押しているという印象が強いのです。今回の政令改正も、第一点目はようやく1999年までは何の問題もなく行えていたことを復活するということですし、第二点目も、そもそも一番始めからネガティブリストだった建設業務にも部分的に派遣が導入されつつあるような時代の中で、つい数年前に飛び込んできた医療関係業務が未だに禁止されているということ自体不思議な感がします。

もちろん、医療関係者からすれば、医療は特別だということになるのでしょう。しかし、それを言い出せば、全ての業務はそれぞれに特別です。同じ厚生労働省の他の部局の所管する業務だけが、他の省庁の所管する業務の特別さよりももっと特別である理由は、必ずしも明らかとなっているわけではありません。

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年次有給休暇の法構造

本日、『水野勝先生古希記念論集 労働保護法の再生』(信山社)をいただきました。

21編の力作が並び、いずれも気楽に読めるようなものではないので、これからじっくりと勉強していきたいと思います。

その中で、労働法政策という観点から興味深く、私の関心事項と重なる論文として、畠中信夫先生の「『過労死』防止という観点から見た年次有給休暇制度に関する一考察」があります。労働基準法の多くの規定がわが国社会に根付いていった中で、この60年間どうしても成長しきれなかったものが年次有給休暇制度であるとし、その実態を概観した上で、その原因が、年休というものは労働者側からアクションを起こさなければ使用者に付与義務が発生しないという解釈にあると述べています。

これは最高裁の白石営林署事件で定式化された考え方ですが、畠中先生は「一見美しいが、しかし、何かおかしいのではなかろうか」と述べ、これでは使用者の付与義務が宙に浮いてしまい、年休制度がいつまでも日本社会に根を下ろすことがなかったのは、この点にこそ原因があったのではないかと指摘されます。

そして、欧米諸国の年休取得方法を概観し、いずれも従業員の希望をもとに年休計画を定めるものであることを確認した上で、実は日本の法制も、かつてはそうなっていたのだということを示されます。

1954年に廃止されるまでの労働基準法施行規則第25条は、「使用者は、法第39条の規定による年次有給休暇について、継続1年間の期間満了後直ちに労働者が請求すべき時季を聴かなければならない・・・」と規定していました。すなわち、年休付与義務を負った使用者は、労働者の意向を聞いて、年休付与計画をまとめ上げ、これにより計画的に年休を付与していくというのが、労基法施行当初に描かれていた姿であったというわけです。

このことの傍証として、労基法制定過程において、当初の請求権規定から付与義務規定に改められていること、想定問答集に「年次有給休暇を与えなかった使用者に対しては違反が成立する」とあり、労働者からのアクションがなくとも、能動的な付与義務の違反を考えていたこと、施行通達にも使用者に積極的に与える義務があることを強調していること、を挙げています。

ところが、この施行規則第25条は、1954年に削除されてしまいます。このときのいきさつは、畠中論文ではあまり詳しく述べられていませんが、実はこの時期、労働基準法の労働時間規定は、使用者側からの規制緩和要求の猛烈な圧力の下にあり、小規模企業は適用除外にしろとか、法定労働時間は10時間にしろとか、休日は月1回にしろとか、そういう圧力の中で、とにかく法律本体の規定は守り抜くという政策で、なんとか省令改正だけで乗り切ったというのが実情でした。

そういういきさつもあって、このときの省令改正は政策的にその方が適切であるからそうなったとは必ずしもいいがたいものがあります。この25条の削除はその典型例と言えるでしょう。畠中先生は、「この規定の削除は、単なる規則改正にとどまるものではなく、日本の年休制度のその後の発展の息の根を止め、結果として、日本の労働者の多くがゆとりのない、時には『過労死』にすら脅えざるを得ないような生活を余儀なくされるようになったという意味で、かえすがえすも悔やまれるところである」と評されています。

とはいえ、削除されてから半世紀が経過し、最高裁で判例法理が確立している以上、いまさら一片の省令でやれる話でもないだろうとして、基準法本体にかつての規則25条と同じ条文を設け、さらに退職時に未消化年休に相当する金銭の支払いを義務づけることを提案しておられます。この点については、私は畠中先生に賛成です。

ちなみに、この1954年省令改正では、外にも、36協定の3ヶ月制限(16条)、就業規則の届出に労働協約を添付することなど、法令に根拠がないからという理由で削除されている規定が結構あります。法律そのものは変わらなかったとしても、こういう一見技術的に見える規定が失われることによって、年休ほどではないにしても、日本の時間外労働の在り方や、就業規則の在り方に、見えない形で深刻な影響を及ぼしているのかも知れません。

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日本経団連のエグゼンプション提言

一昨日のエントリーで、「そろそろ、経営側も戦略を考え直すべき時期」と書きましたが、実は昨年6月の日本経団連のホワイトカラーエグゼンプションに関する提言は、厚生労働省の研究会の議論よりもよほどまともなところがあります。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/042/teigen.pdf

 ここでは、上記厚生労働省の研究会よりも労働時間規制の本質について深く検討された見解が示されています。すなわち、まずホワイトカラー特に知的労働者層の労働時間概念について、「考えること」が一つの重要な仕事であり、「労働時間」と「非労働時間」の境界が曖昧であると指摘し、賃金計算の基礎となる労働時間については、出社時刻から退社時刻までの時間から休憩時間を除いたすべての時間を単純に労働時間とするような考え方を採ることは適切ではないとする一方、労働者の健康確保の面からは、睡眠不足に由来する疲労の蓄積を防止するなどの観点から、在社時間や拘束時間を基準として適切な措置を講ずることとしてもさほど大きな問題はないとして、「労働時間の概念を、賃金計算の基礎となる時間と健康確保のための在社時間や拘束時間とで分けて考えることが、ホワイトカラーに真に適した労働時間制度を構築するための第一歩となる」という考え方を示しています。これは極めて重要な指摘であるにもかかわらず、厚生労働省の研究会ではあまり正面からきちんと検討されていない点です。
 次に、ホワイトカラーの労働には、仕事の成果と労働時間の長さが必ずしも合致しないという特質があるため、労働時間の長さではなく、役割・成果に応じて処遇を行っていく方が合理的であり、労働者にとってもその方が、公平感が保て、モチベーションも上がると指摘し、賃金と労働時間の長さとを関連させている現行の労働時間法制には大きな限界があり、ホワイトカラーについては、こうした労働時間と賃金の直接的な結びつきを分離することが急務であるとしています。これはエグゼンプションの本質がどこにあるかを明確に語っており、「自律的な働き方」にこだわる厚生労働省の研究会よりも事態を的確につかんでいるように思われます。
 もっともその後は、「労働時間にとらわれず、納得のいく仕事、満足のいく仕事をしたい、自由に自分の能力を発揮したい、仕事を通じて自己実現をしたいと考える者もいる」と「自律的な働き方」論に移り、「自己の裁量で労働時間を弾力的に運用できる制度が必要」という議論になってしまっているのですが。そして、現行裁量労働制の問題点を指摘して、新たにホワイトカラーエグゼンプション制度を創設することを提起しているのですが、その対象者の要件として、①業務要件:法令で定めた業務、又は労使協定・労使委員会決議で定めた業務、②賃金要件:月給制又は年俸制であること、及び年収400万円以上(労使で業務を定める場合は年収700万円以上)を示しているのです。この要件は、割増賃金の適用除外の要件としてはもっともですが、「自律的な働き方」の担保としては緩やかに過ぎることは明らかでしょう。せっかく、労働時間概念について的確な指摘をしていながら、政策提言としてはそれが生かされておらず、上記研究会報告と同様の落とし穴にはまってしまったように見えます。
 「自律的な働き方」論でいけば、「必要があるときには集中して働くが、時間的に余裕のあるときは休暇をとったり、労働時間を短くしたりでき」る方が「本人の疲労感も少なく、逆に達成感や満足感は高くなる」はずですから、労働者への健康への配慮措置をあれこれと論ずる必要はなさそうなものですが、日本経団連の提言でもこの健康確保措置に一節を割いて論じているというのは、上の対象者が全て自律的な働き方をできるわけではないということを暗黙のうちに認めているからでしょう。
 日本経団連も、実体的労働時間規制の適用除外としてのホワイトカラーエグゼンプションという誤った認識枠組みに足が引っかかって、賃金計算の基礎となる時間と在社・拘束時間の切り離しという的確な状況認識が生かされなくなってしまっているようです。

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ホワイトカラー適用除外の迷走

厚生労働省のHPに、今後の労働時間制度に関する研究会報告書の素案が掲載されています。いうまでもなく、ここ数年来規制改革サイドから要求されてきたホワイトカラー適用除外制が最大の論点なのですが、ざっと中味を読んでみると、なんだか話が迷走しているようにも感じられます。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/12/s1221-5.html

おそらく、企業側からこの動きを見てきた人にとって、一番あれっ?という感じになるのは、対象者の具体的イメージというところ(11頁)で、「企業における中堅の幹部候補者で管理監督者の手前に位置する者」や「企業における設計部門のプロジェクトチームのリーダー」といった者が対象労働者になりうることが想定される・・・というところではないかと思われます。

昨年6月に日本経団連が発表したこの件に関する要望書では、法定業務又は労使協定と月給・年俸要件、年収400万円(労使協定の場合700万円)要件だけで適用できるようにすることを求めていますから、かなりの認識ギャップではないでしょうか。おそらく、経営側としては、ある程度以上の総合職サラリーマンには広く適用できるようにしたいというイメージであったと思われますので、これはなかなか受け入れがたいでしょう。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/042/teigen.pdf

もちろん、一方で、労働側はホワイトカラー適用除外制の導入に猛反発していますから、間をとればこういうことにならざるを得ないという判断なのかも知れません。

しかしながら、私にはこの問題の迷走はこれをもっぱら労働時間規制の問題として捉えて、その枠内でのみあれこれと考えたことにあるように思われます。

そもそも、この素案では、労働時間の問題意識として、仕事と生活との調和の観点からの長時間労働の是正という面と、高付加価値かつ創造的な仕事への対応という面の二つがあげられていて、前者に対しては年休や時間外の見直し、後者に対してはエグゼンプションという風に割り振られているのですが、人間の仕事の有り様というのはそういう風にきれいに分けられるものではなく、むしろ仕事の性格上労働時間の長短ではなく成果や能力で評価されることがふさわしい労働者にこそ、健康や生活への配慮が重要になってきているのではないでしょうか。

もともと、90年代に企画業務型裁量制が導入されるに至った議論の経緯からしても、その問題意識はもっぱら、時間外労働に比例する残業手当の支払いという仕組みが成果主義にそぐわないという問題意識だったはずです。そういう労働者がみんな「高付加価値で創造的」な仕事をしているかどうかは別の話ですし、できあがった成果はそうかも知れないけれど、そこに至るプロセスはそんなきれい事じゃないよというのがむしろ多数意見ではないでしょうか。

今回のホワイトカラー適用除外の話は、そういう「時間に払うんじゃなくて成果に払いたいんだ」という本音のところを隠して、高付加価値とか創造的とか美しげな言葉で「労働時間規制にとらわれない働き方を希望する者」の希望に応えるという枠組み設定をしてしまったために、いざ制度設計するとなると、あれやこれやと制限を付けまくることになり、結局経営側が求めていたものとはかなりかけ離れたイメージになってしまうという結果になってしまったように思われます(って、まだ素案ですから、決定したような物言いは控えておいた方がいいかもしれませんが)。

私は以前から、エグゼンプションの問題は賃金制度の問題であり、基準法37条と基準則19条をどうするかという問題なのであって、なまじ労働時間規制にとらわれない働き方なんていう絵空事を前提にしているとかえっておかしなことになるのではないかと危惧してきてきましたが、どうやらその心配が当たっていたようです。

このままでは、ここ数年来続いているサービス残業の摘発攻勢に対してもあんまり緩和策になり得ない程度のみみっちい改正になりそうです。

しかし仮に、経営側が求めるようにかなり広い範囲の労働者にエグゼンプションが適用されることになれば、これはこれで心配のたねはあります。そういう労働者が働きすぎて過労死でもされたら、何千万円場合によっては1億円以上の賠償金を払わなければならない可能性もあります。そうなったときに、エグゼンプションなんだから使用者は免責されるんだと、どこかの規制緩和の先生が弁護してくれる訳ではありません。

そろそろ、経営側も戦略を考え直すべき時期にきているように思われます。

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産業別最賃から職種別設定賃金へ

あまり一般受けするテーマではなく、どちらかというと労働業界のプロ好みの話ですが、現在労政審最賃部会で、産別最賃の廃止とそれに代わる新たな仕組みの話が大詰めにきています。昨年12月27日に建議をとりまとめる予定だったのが、労使の意見集約がつかなかったらしく、来週11日に延期されています。

その前の12月20日の部会に提示された公益委員試案(修正)が厚労省HPに掲載されているので、どういう方向に向かっているかがだいたいわかります。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/12/s1220-4.html

もともとこれは、2003年の総合規制改革会議答申で求められ、翌年閣議決定されたもので、厚労省が2004年から去年にかけて研究会を開催して既に報告書が出され、昨年6月から労政審で審議されていたものです。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/03/s0331-7.html

その意味で、産別最賃の廃止というのはいわば規定事項とも言えますが、その代わりに別の法律で「職種別設定賃金」というのを設けることにしたというのがこの案のミソと言えます。ちょっと見ると、産別最賃を廃止せざるを得ないから似たようなものを最賃という名前を付けずにこしらえることにしただけと思われるかも知れませんが(まあ、そういう面もないとは言えないでしょうが)、「職種」という概念を持ち込んだというところに、実は労働市場政策の大きな転換が見られるように思います。

日本の労働市場政策は、少なくとも1975年以降は明確に内部労働市場における雇用維持を最重要目標とし、そのために内部的柔軟性を最大化する企業行動を促進してきたと言えます。従って、外部労働市場につながる「職種」などというものにこだわる発想はなかったわけです。下手にこだわられては、雇用調整がスムーズにできません。

1990年代半ば以来、政策目標を雇用維持から再就職の促進へ移すという面では、内部労働市場志向から外部労働市場志向へ変わってきていますが、外部労働市場を成り立たせるべき「職種」概念については、能力開発政策を除けば必ずしも明確に位置づけられてきたとは言い難いようです。しかしながら、どういう種類の技能かということを抜きにして、一般的に「雇用される能力」などといってみても始まらないわけで、本当に外部労働市場を確立する方向に進むのであれば、再び職種に注目すべき時期が来ていたと言えましょう。

今回の「職種別設定賃金」がどこまでそういう歴史的転換点としての意識を持って提案されたのかは必ずしもよくわかりませんが(とにかく産別最賃の代わりを作るために何かもっともらしいのをでっち上げただけなのかも知れませんが)、少なくともこういう制度ができれば、これは現実の賃金設定の在り方や労使交渉の在り方に対しても一定の影響を与えることになると思われます。

また、賃金は職種ごとに技能で決まるものという方向に労働市場がシフトしていけば、これは当然教育システムにも影響を与えることになり、教育の職業レリバンスの回復に資するということにもなるでしょう。

そういう風に話が進むのかどうかは現時点では何とも言えませんし、まあたかが最賃の見直しの話からそこまで大風呂敷を広げることでもなかろうとたしなめられそうですが、正月早々ということもあり、ちょっと大きな話をしてみました。

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間接差別再論

昨日のエントリーに続いて、もう少し間接差別の話をしたいと思います。

実は、今回の建議にいたる審議会の議事録では、家族手当や世帯主要件の問題について、使用者側委員がそれは労使の話し合いの積み上げの結果なのだから、変えるにしても労使で変えるべきもので、法律で禁止すべきものなのかといった議論をし、労働側委員の方は自分たちも今改めようとしているんだと反論するという場面があります。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/10/txt/s1028-1.txt

それを受けて提示されたたたき台では、対象基準として身長・体重とコース別の全国転勤要件、昇進の転勤経験要件の3つが挙げられ、世帯主要件は落ちた形になりました。今回の建議もそれをそのまま取り入れています。

労働問題はまず第一義的に労使間の合意形成を基本として取り扱うべしという大前提からすれば、労働側自体が必ずしも意見が一致していないようなことを、天下り的に法律で規制しようというのは適切ではないということになるでしょう。この考え方からすれば、この判断は当然ということになります。

一方、差別禁止というのは人権問題であり、労使交渉で決めるべき筋合いのものではないという考え方に立てば、これには疑問が呈されることになるでしょう。

これは実は性差別にとどまらない大問題につながるのですが、ここでは男女間の間接差別に絞って、考えてみます。

実は、既存の裁判例をベースにできるところから対象にしていくというアプローチをとるのであれば、一番やりやすいのは実はこの世帯主要件だったはずです。厳密に間接差別法理を認めたと言えるかどうかは別にして、世帯主と非世帯主で賃金に差をつけたものを違法だとした裁判例もあるわけですから。しかし、そうはならなかったわけですね。

さらにいえば、EUの男女均等指令でも、もともと間接差別とは家族手当とか世帯主要件のことだったわけで、一番根っこのものをあえて抜かしてしまったような嫌いもあります。(欧州委の原案では、間接などという言葉はなく「性別又は婚姻上・家族上の地位に基づく差別」を禁止するとなっていたのを、「直接、間接、特に婚姻上・家族上の地位」云々と間接差別の例示に修正したのです)間接差別は禁止しているけれども、世帯主要件はいいんだというのは、かなり奇妙な印象を与えることは確かでしょう。

これはやはり、この問題を本気で追求していくと、そもそも生活保障給的な賃金制度そのものが間接差別ではないのかという大問題にぶち当たってしまうからなのでしょう。

この問題にとどまらず、最近の労働法政策の難題は何らかの形で賃金制度の在り方如何という問題に関わっているように思われます。その意味で、こういう個別領域ごとの政策制度論と並行して、賃金制度論をきちんと展開する必要がありますね。

これは自分自身への勉強の目標です。

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男女均等法改正(労政審建議)

年末の12月27日に、労働政策審議会から「今後の男女雇用機会均等対策について」の建議が出されています。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/12/h1227-2.html

審議会(雇用均等分科会)における審議だけでも2004年9月に始められてから1年以上にわたっていますし、その前の男女雇用機会均等政策研究会での議論も含めれば3年越しの議論に一応結論が出されたことになります。

この研究会には、私もほんのちょびっとだけEUの話で協力したこともあり、今回の建議に至ったことには感慨があります。さあ、これから法案を国会に提出するという大仕事がありますから、あんまりあれやこれやと脇からコメントするのは控えた方がいいのでしょうが(私が法案担当者だったらそうです)、ほんのちょびっとだけ感想を。

まずは、出発点であれほど労使の間で隔たりが大きかった間接差別を、開かれた限定列挙という裏技でなんとか法律に規定してもいいよというところまでもっていった事務局の努力に敬意を表したいと思います。ほかの論点は始めからだいたい落としどころは見えていた感じですが、この問題だけは下手するとどこまで広がるかわからないものであるだけに、使用者側としてもうかつなところで譲歩するわけにはいかず、まとめられるのかな?と思っていたところです。

これは、上記研究会報告で提示された間接差別として考えられる7類型のうち、正社員とかパートタイマーといった雇用形態による差別などを除いた形ですが、これはやはり本来雇用形態による差別/格差はどこまで認められ、どこまで許されないかという形で、それとして議論すべき問題で、女性に対する間接差別という裏道作戦は本筋ではなかったというべきでしょう。特に、最近は、非正規雇用として、これまでのパートタイマーだけでなく、むしろ若年フリーター問題が大きくクローズアップされてきている時期ですから、これはやはり正面からそういう形できちんと議論すべきでしょう。EUでパート差別が間接女性差別という判例が確立していったのは、12月19日のエントリーにも書いたように、サッチャー政権がパート指令案をブロックしていたという政治的な状況の産物という面があるわけですから。

個人的に興味があるのは妊娠中及び出産後1年以内に行われた解雇は、事業主が妊娠・出産を理由とする解雇でないことを証明しない限り、無効とするという、挙証責任の転換の規定です。これは結構波及効果が大きいように思いますが、使用者側も(いったんは留保しながらも)最終的には受け入れたようですね。EUでは性差別、さらには他の理由に基づく差別についても、一般的に挙証責任が転換されていますが、この問題を今後どう考えていくのか、司法手続の在り方にも及ぶ問題という点で、一昨年の解雇規定の時の議論に通じるものもあり、フォローしていきたいところです。

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