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2026年7月14日 (火)

「能力」の正体@WEB労政時報

WEB労政時報に「「能力」の正体」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/91139

近年、日本政府は「リ・スキリング」を大々的に唱道しています。安倍政権時の日本再興戦略から始まり、近年も岸田政権時の「三位一体の労働市場改革」から、現・高市政権下の「人材育成システム改革ビジョン」に至るまで、スキル、つまり具体的な職務(ジョブ)を遂行する技能(スキル)を身に付け、向上することが政策の中心課題として掲げられています。ところが、政府が鉦(かね)鉦(かね)や太鼓でリ・スキリングをあおり立てても、・・・・・

 

 

『管理職の戦後史』がHRアワード書籍部門に入賞したようです

Asahishinsho2_20260714092201 日本の人事部というところが毎年やっているHRアワードという催しがあって、2022年には拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)が入賞したことがありますが、その2026年の書籍部門に、『管理職の戦後史』(朝日新書)が入賞したようです。

https://jinjibu.jp/hr-award/prize.php#prize2

いや正直言って、『ジョブ型雇用社会とは何か』はかなり評判になったし、週刊東洋経済や日経新聞のベスト経済書とか中央公論の新書大賞にも入賞したので、まあそういうものかなと思いましたが、今回の『管理職の戦後史』は悲しいかなあんまり評判にもなっていないし、書評も少なく、新書大賞でも小熊英二さんがちらりと触れてくれただけで、いささか忘れられている感があったので、入賞というのは思いがけないものでした。

これで少しでも売れてくれればいいんですが。

 

 

2026年7月13日 (月)

古屋星斗『あの若手はどうして辞めないのか』

Cover_image_26085_a53b0b6ed9 リクルートワークス研究所の古屋星斗さんの新著『あの若手はどうして辞めないのか』(朝日新書)をお送りいただきました。

https://publications.asahi.com/product/26085.html

「どんな仕事をしたいか」と尋ねるなど、若手と丁寧に接する職場が増える一方で、「やる気のない若者」をイメージさせる「静かな退職」という言葉が注目されている。なぜか? そのような現実をふまえた若手の育成問題への解決策を提示する。

はじめにいきなり「離職に不思議の離職あり」と、なにやら野村監督のセリフみたいな言葉が出てきます。

古屋監督の台詞は、

離職に不思議の離職あり、定着に不思議の定着なし

さてはて、これはどういう意味なんでしょうか。

答は本書をどうぞ

 

 

 

2026年7月12日 (日)

(サザエさんをさがして)給料袋 開けて初めて知った評価@朝日新聞

本日の朝日新聞の「be」の「サザエさんをさがして」というコーナーで、昔のサザエさんの四コマ漫画を題材に日本の給料についてあれこれ書かれている中で、わたくしのコメントも使われています。

https://www.asahi.com/articles/DA3S16502004.html

 ボーナスが入った給料袋を、マスオがトイレの個室に持ち込もうとしている。何のために?
 漫画は1955年6月の掲載作だ。マスオの心理は「金額を確認したいが、人前でお札を数えたくないし、同僚に知られたくない」といったところか? 

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・・・給料袋の厚みを左右する「査定」はどうだったのだろう。

「賃金とは何か」(朝日新書)などの著書がある、労働研究者の濱口桂一郎さんによれば、「この漫画が載った55年は、終戦直後のゴタゴタが終わり、戦後型の雇用体系が確立した時期だった」という。・・・・・・

 

2026年7月10日 (金)

水町勇一郎『「同一労働同一賃金」のすべて 第3版』

L24410 水町勇一郎『「同一労働同一賃金」のすべて 第3版』(有斐閣)をお送りいただきました。初版が働き方改革関連法成立前の2018年2月、新版がその翌年の2019年9月だったのに対し、第3版は7年後、いわゆる同一労働同一賃金ガイドラインが改定されたのを受けての刊行です。

https://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641244108

初版、新版の時と基本的には同じ感想になってしまうのですが、鳴り物入り(安倍元首相曰く「同一労働同一賃金に踏み込む!」)で改正した割には、従前のパート法と労契法の有期規定を合わせて若干のおまけをつけた程度のものに、政治的に「同一労働同一賃金」という(少なくとも学問的にはミスリーディングな)ラベルを張って進めてきたこの政策を、その最大のイデオローグとして活躍した著者が、客観的な第三者の如き淡々たる筆致で描き出していくのです。

実は、ちょうど昨日、中央大学ビジネススクールの講義(日本の労働法政策)で、このテーマを取り上げたのですが、そもそも職務給を前提とした欧米の同一労働同一賃金と全く異なり、職務内容や配置が変更されることが前提の「通常の労働者」を中心に置いた均等・均衡処遇の理屈がかくも奇妙なものになるのかという話に、「ずっと謎だったことがようやくわかった」という感想が来たように、依然として多くの人々は何が同一労働同一賃金なのか、腑に落ちないまま今日に至ってきているように思われます。

 

 

日本型雇用システムと定年制のゆくえ@『中央公論』8月号

81yirqw8pzl_sl1500__20260710093601 本日発売の『中央公論』8月号が「老いの流儀――働く、お金、引き際」という特集を組んでいまして、そこにわたくしも「「70歳就業」が当たり前の時代も遠くない 日本型雇用システムと定年制のゆくえ」という小論を寄稿しております。

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なんと、少年時代に夢中になって読み耽った筒井康隆さんと、同じ雑誌の同じ特集に並ぶことができるとは、うれしくてたまりませんわ。

 

2026年7月 3日 (金)

『スキルとデキル 「能力」から見る近現代労働史』@角川新書

Kadokawa だいぶ先ですが、今年の9月に、角川新書から『スキルとデキル 「能力」から見る近現代労働史』を上梓いたします。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322511000924/

日本に蔓延する、デキル(潜在能力)重視の淵源

日本において近代的なスキル重視の発想がなかなか根付かず、
デキル重視の思想が依然として根強いのはなぜか。
“ジョブに対応したスキル”を唱導する政策がうまくいかないのはなぜか。
徒弟制から、技能者養成、公共職業訓練、企業内教育訓練、OJT、そしてリ・スキリング……
労働政策研究の第一人者が「能力」の歴史をたどり、日本に蔓延するデキル重視の淵源を探る。
ちなみに内容は以下の通りです。
はじめに

第1章 産業革命期の職業教育訓練――徒弟制から技能者養成へ
 1 徒弟制の展開
 2 徒弟制の法規制
 3 実業教育の展開
 4 技能者養成の展開
 5 職業補導の始まり
第2章 戦時・改革期の職業教育訓練――企業で技能者を養成せよ!
 1 技能者養成の法規制
 2 職業補導の展開
 3 実業教育から職業教育へ
 4 技能評価制度
第3章 近代主義の時代の職業教育訓練――技能は今や国政課題に
 1 職業訓練法による統一
 2 企業内技能教育訓練体制の確立
 3 職業教育の展開
 4 国政課題としての職業教育訓練
第4章 企業主義の時代の職業教育訓練――技能よりも「能力」が大事!
 1 政策の大転換
 2 企業中心の職業能力開発政策
 3 公共職業訓練と技能検定
 4 職業教育の低迷
第5章 市場主義の時代の職業教育訓練――自己啓発からリ・スキリングへ
 1 政策の再転換
 2 「自己啓発」の時代
 3 職業教育の復活
 4 公共職業訓練の諸相
 5 キャリア形成支援と教育訓練助成金
 6 職業能力評価制度の紆余曲折
 7 今さらながらのリ・スキリング
補 章 諸外国の職業教育訓練
 1 イギリス――ギルド徒弟制から現代徒弟制へ
 2 フランス――企業研修の光と影
 3 ドイツ――世界に冠たるデュアルシステム
 4 アメリカ――コミュニティカレッジとプロフェッショナルスクール
終 章 日本社会を支配する「能力」概念

おわりに

労働組合がGHQから天皇制を守った@逢見直人

H1_20260703120001 昨日、拙著への書評で紹介した『改革者』2026年7月号ですが、その号には、逢見直人さんの「皇室を戴く労働組合─ 日本占領体制下で、皇室の危機を守った労働組合の先人の態度 ─ 」という文章が載っていて、占領下の労働運動秘話として大変興味深いので紹介しておきます。

https://www.seiken-forum.jp/publications-top/reformer/

GHQの初代労働課長に任命されたカルピンスキー大尉は、9月に着任してすぐに松岡駒吉、西尾末広、加藤勘十、浅沼稲次郎、徳田球一、志賀義雄ら労働組合関係者を呼び出して、意見を聴きました。

その時通訳をしたのは村山有という人で、彼が松岡、西尾、加藤が呼び出されたときに通訳をしており、その会談の様子を著書の中で克明に記載しているのだそうです。

それによると、カルピンスキーは、GHQの占領方針として、

(3)日本を共和国とする

(4)天皇を追放するために、その世論を起こしてほしい

と述べたそうです。

それに対し、松岡駒吉は、

「私は労働運動をして、日本の労働者の幸福のために戦ってきました。しかし、労働者の幸福のために戦ってきたことは、決して日本を共和国にするためではありません。日本は天皇を必要とします。

 もしGHQが天皇追放の世論を指導するようなことになると、日本は大混乱に陥ります。アメリカが日本を真に理解せずして、天皇追放を指導するとき、日本の労働者の不幸の日が来るでしょう。アメリカ人には天皇制の性格がわからないから、感情的に天皇追放を叫ぶのだと思いますが、日本から天皇制を失う日は、日本に悲劇がもたらされる日です」

と、堂々と答えたとのことです。

GHQ内部でその後どういう議論があったのかはわかりませんが、ある意味で、労働組合がGHQから天皇制を守ったと言ってもいいのではないかと思われます。

現憲法第1条には、「この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と書かれていますが、その「総意」というのは、まさに労働組合に代表される勤労国民の総意でもあったのでしょう。

 

2026年7月 2日 (木)

『中央公論』2026年8月号

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 恐らく来週末に発売される予定の『中央公論』2026年8月号が「老いの流儀――働く、お金、引き際」という特集を組んでいて、その中にわたくしも一本寄稿しております。

== 特集 ==老いの流儀――働く、お金、引き際

◆死ぬまで、書き続けます 91歳、今も探求する筒井文学の新境地▼筒井康隆

◆大切なのは「切り換える力」 定年後も楽しく働くための8ヵ条▼楠木 新

◆〔ルポ〕第二の人生で失敗しないための心構えとは 働くシニア男性の「プライドと孤独」▼若月澪子

◆「70歳就業」が当たり前の時代も遠くない 日本型雇用システムと定年制のゆくえ▼濱口桂一郎

◆心理学で読み解く「だまし」のメカニズム あなたも被害者に!? 特殊詐欺に備えよ▼西田公昭

◆「ココイチ」経営者から「寄付の人」へ 執着しない、未練もない、私の引き際▼宗次德二

◆2000人を看取った緩和ケア医が語る 棺桶まで歩き、死と向き合う思考法▼萬田緑平

なんと筒井康隆さんと同じ特集で並ぶとは・・・。

 

 

梅崎修さんが拙著『管理職の戦後史』を書評

H1 先日、神林龍さんが『改革者』5月号で拙著『外国人労働政策』を書評していただいたのですが、同じ雑誌の7月号で、今度は梅崎修さんがやはり拙著の『管理職の戦後史』を書評していただいております。まことに丁寧な書評で、有り難い限りです。

https://www.seiken-forum.jp/publications-top/reformer/

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梅崎さんは、こう語ります。

 本書は、管理職に焦点を当てながら、戦後日本における雇用システムと労働法政策の間に生じた摩擦を描き出した歴史書である。
 管理職という観点を導入したことで、日本の雇用システムに内在する、変わらない「構造」が浮かび上がる。そして、その「構造」に対して労働法政策がいかに対応を迫られたのかがわかる。・・・

この「構造」とは、

・・・入社時点での区分がなく、多くの従業員に昇進可能性が開かれていることは、日本の男性労働者に広く支持されてきた。しかしその反面、管理職という存在を曖昧なものにした。著者は、この昇進競争の特徴について、「ヒラ社員から係長、課長、部長、経営陣と切れ目のない連続体をなしている日本の労働社会の特徴であったのです」(71頁)と表現している。この「上へ上へと続く連続性」は、多くの従業員を動機づけてきた一方で、管理職の定義を多元化してさまざまな混乱を生み出した。本書で描かれる混乱の例をいくつか挙げてみよう。・・・

と、本書で取り上げる各章のさまざまな出来事を簡潔に紹介していきます。

最後のこの評は、正直言ってそこまでのつもりで書いたわけではなかったのですが、まあでも内容がそうなってしまっているということなのでしょうか。

・・・我々が目指すべきは、「構造」の変更可能性を前提とした人事改革なのか、それとも宿命のような「構造」を前提とした人事改革なのか。本書は、その選択を読者に突きつける力を持っている。

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https://publications.asahi.com/product/25686.html

 

 

 

2026年7月 1日 (水)

「65歳定年」と「定年廃止」の割合 34.9%@『労務事情』7月1日号

0699860e56b44465be2486d5526f80fa 『労務事情』7月1日号に、「「65歳定年」と「定年廃止」の割合 34.9%」を寄稿しました。

https://www.sanro.co.jp/book/b10172085.html

 昨年12月に公表された「令和7年高年齢者雇用状況等報告の集計結果」によると、ここ数年来65歳までの雇用確保措置の内訳において、65歳定年が着実に増加してきており、これまで圧倒的に多数派であった65歳までの継続雇用制度は少しずつ減少してきているようです。・・・・・・

 

日本成長戦略(案)

昨日、日本成長戦略会議で日本成長戦略(案)が示されました。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/kaigi/dai6/shiryou1.pdf

これまでの日本再興戦略とか新しい資本主義とかと異なるのは、ごく簡単な総論の次に、人材育成とか労働市場改革とかの前に、「17の戦略分野」と称して、詳細な産業政策がずらずらと書き並べられ、62もの「主要な製品・技術等」が戦略的に特定されていることです。そこにはそれぞれごとに「勝ち筋」と称する方向性が示されているのですが、さて、政治家や役人にそんな予言能力があるのでしょうか、と皮肉な人なら思うでしょうね。なんだか高度成長期の通産官僚の鼻息を半世紀以上ぶりに耳元で聞かされたような感じもします。『官僚たちの夏』再びって?

いずれにしても、これら分野がどうこうと言うだけの見識もないので、そこを飛ばして「8つの分野横断的課題の解決」に行くと、4.人材育成、5.労働市場改革、6.家事等の負担軽減、7.賃上げ環境整備、が労働政策に関わるところです。

新聞では最賃1500円目標の時期が注目されていますが、ここでは、上記17戦略分野との関連で、こんな記述に注目しておきたいと思います。

ⅰ)処遇向上に向けたリ・スキリング支援や労働生産性向上
 17の戦略分野や、建設や医療・介護・障害福祉を始めとした社会インフラ関連分野等の業所管省庁と厚生労働省、経済産業省、文部科学省が、業界団体や大学等と連携して、スキルの標準化・可視化から、教育訓練体系の整備、教育訓練プログラムの開発・提供まで、一気通貫でリ・スキリング支援を行う。人材開発支援助成金も含め、効果的にプログラムの開発が進むような支援の充実について検討するとともに、各分野の所管大臣がプログラム認定制度を創設した場合、その適切性を所管省庁と厚生労働省が連携して精査した上で、専門実践・特定一般教育訓練給付金の対象とすることを検討する。

ただでさえ、雇用保険の教育訓練給付の給付率の高い専門実践や特定一般は、文科省の高等教育課程や経産省のIT関連課程に使われていますが、それをこの17の戦略分野全体にわたって、その業所管官庁が作った課程にどどんと雇用保険のお金をつぎ込もうという算段のようです。

雇用保険は元々失業者のための失業給付だけだったのが、いろいろと給付が増えてきて、その趣旨に疑問が呈されることもあります。一昨年の雇用保険改正に向けた研究会や労政審の議事録を見ても、「育児休業給付はもともと育児のために退職せざるを得ない女性のためだったのに、男性の育児休業促進のためになってしまっている」とか、「教育訓練給付もエリート向けの高度なものにシフトしていて、元の失業対策から離れている」云々といった批判が労使双方から繰り返されていたようです。

とはいえ、官邸から産業政策推進のための財源として目をつけられてしまっている以上、こういう方向にならざるを得ないのかも知れません。

Senryaku

 

 

 

 

 

 

 

2026年6月29日 (月)

橘大樹さんの拙著書評@『経営法曹』

Chukogaikoku_20260629093301 経営法曹会議の機関誌『経営法曹』の2026年6月20日号(第228号)に、橘大樹さんによる拙著『外国人労働政策』への書評が載っています。3ページにわたって、詳細かつ丁寧に拙著を論じていただいております。

とりわけ、その最後の「本書から得られる学び」の項では、このように望外の言葉までいただいていります。

……今回、本書を読むことで気づかされたのは、我々が日本型雇用システムの価値観を無意識のうちに内面化しているおそれがあるということである。先述のように、外国人労働政策を巡る立法資料等を見ても、「日本型雇用慣行がこうなっているからサイドドアの仕組みを設計しました」という話が出てくるわけではない。「人材の受入れや育成、教育はこうあるべきである」という無意識が、かくも歪な制度につながったとのではないかという話である。  このように、明示された日本型雇用慣行との関係性(戦術の解雇権濫用法理)だけでなく、我々が知らず知らずのうちに内面化している「雇用システムはこうあるべき」という思い込みが、歪んだプロダクトを生み出してしまうかもしれないという「視座」を、本書を通じて感じた次第である。依頼者からの相談内容、個々のケースに登場する人事セ策やその運用、当事者・関係者の言動や言い分、あるいは自分自身の理解・分析には、システムの内側に組み込まれていることで気が付けない歪みがどこか作用しているのかもしれない。そうした労働法実務における視座獲得のトレーニングにもなる一冊である。

 

2026年6月25日 (木)

Minimum Wage Policy in Japan @Japan Labor Issues Summer 2026

Jli1058 JILPTの英文誌“Japan Labor Issues”のSummer 2026号に、“Minimum Wage Policy in Japan”を寄稿しました。

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2026/058-05.pdf

中身は日本の最低賃金の歴史を淡々と解説したものです。

本号にはそのほか、

● Special Feature on Research Papers (III)
Looking Back on 30 Years of Measures to Address the Declining Birthrate MATSUURA Tsukasa
Transformation and Persistence in Japanese Youth Labor Market FUKUI Yasutaka
● Research
Article
Law and Policy on Health Protection in the Workplace during a Pandemic YAMAMOTO Yota
● Judgments and Orders
Commentary
Gender Equality and Indirect Discrimination: The Legality of Restricting Company Housing Scheme to Comprehensive-Track Workers The AGC Green-Tech Co. Case TAKIHARA Hiromitsu
● Series: Japan’s Employment System and Public Policy
Minimum Wage Policy in Japan HAMAGUCHI Keiichiro
● Statistical Indicators 

といった記事が掲載されています。

このうち山本陽大さんの論文は、昨年刊行した労働政策研究報告書No.232『新興感染症と職場における健康保護をめぐる法と政策―コロナ禍(COVID19-Pandemic)を素材とした日・独比較法研究』のうち日本法の分析のところだけを要約し再構成したもので、これだけで興味深い読み物となっています。

また、判例解説は滝原啓允さんのAGCグリーンテック事件です。

 

 

 

 

2026年6月24日 (水)

優秀な現場力こそが諸悪の根源だった!?

たまたま、ネット上にこんな記事を見つけたのですが、

優秀さという檻 ―― なぜ日本人の「Excel習熟度」の高さが、国のIT投資を遅らせたのか

Rnh6ocgklyu4xxiqybqmvx0p1nl0jf2fpahtb6rz ここで言われていることが、本日お送りいただいた首藤さんの『なぜ賃金は上がらないのか 日本経済30年の陥穽』(講談社現代新書)のメッセージと通底しているように感じました。

再掲になりますが、首藤さんが日本の賃金が上がらなかった最大の要因として指し示すのは「優秀過ぎる現場力」です。

本日のエントリですが、もう一度ここに載せます。

・・・・・・しかし、本書で首藤さんはその先に論を進めます。

なぜ交易条件の悪化を企業内の賃金調整で凌いでしまうのか?

いや、凌げてしまうのか?

そこに、首藤さんは、これまでカイゼンや知的熟練などとともに日本の競争力の源泉として賞賛されてきた「現場力」がプラス要因からマイナス要因に転化してしまったという皮肉な構造を見出すのです。

・・・重要なのは、この現場力が発揮されていた時代背景である。高度成長期から安定成長期にかけて、日本企業は設備投資を行い、人員にも一定の余裕を持っていた。現場ごとにOJTを通じた教育訓練が行われ、改善提案をする能力が培われ、新たな投資が工程改革と結びつき、生産性が向上していった。そして、その成果は賃金の上昇や雇用の安定として、労働者にも還元されていた。現場の努力と企業の成長、賃金の上昇は、相互に結びついていた。

 しかし、本書で見てきたように、賃金が上がらず、価格も動かず、投資が抑制される状況が長期化する中で、現場に求められる役割は、次第に変質していった。人が減っても、どうにか仕事を回す。コストが増大しても、現場で帳尻を合わせる。投資が行われなくても、既存の設備を工夫して使い続ける。ここで行われていたのは、必ずしも生産性向上を目的とした改善ではない。本来であれば価格の見直しや投資によって調整されるべき問題が、日々の業務の中で吸収されるようになっていった。

 問題は、現場の労働者が怠けていたことでも、能力が不足していたことでもない。むしろ逆である。現場が優秀で、責任感が強かったがゆえに、調整の負担が現場に集中してきたのである。

 重要なのは、この現場の強さが、価格や投資による調整の代替として機能してきた点である。その結果、問題は解決されるのではなく、表面化しないまま先送りされてきた。価格は上がらず、投資も進まず、調整の負担だけが現場に蓄積されていく。現場の優秀さは、日本経済の強みであると同時に、調整の在り方を歪めてきた側面をもつ。

・・・すなわち現場の努力は、成長を支える改善であると同時に、価格を動かさない経済を成立させる調整装置としても機能していた。現場が頑張れば頑張るほど、構造的な問題は表面化しにくくなり、「まだ回っている」という認識が温存される。その結果、賃金や人員、労働条件にかかる負担は蓄積していく。ここで生じているのは、現場力の低下ではなく、その役割の転換である。成長を支える能力であった現場力は、価格と投資の不足を補う制度的装置へと変わってきた。

・・・今問われているのは、現場を称えることではなく、現場になにを背負わせてきたのかを見直すことである。

現場に無理を聞かせられないような社会、日本以外のジョブ型社会は概ねそうですが、そういう現場がアホやから上が何とかせな回らへん社会では、こういう事態はそもそも起きようがないでしょう。

かつて40年前に自信満々の日本人が、欧米をみて「こいつら現場がアホや」「うちは現場が優秀ねん」と言っていた、そのツケが回り回って、今の事態をもたらしていると考えると、巡る因果の糸車の恐ろしさがひしひしと感じられます。

かつて、「スマイル0円が諸悪の根源」と論じたことがありますが、その伝で言うと、「優秀すぎる現場力こそが諸悪の根源」だったのかも知れません。

次に、kentrue1106さんのnote「優秀さという檻 ―― なぜ日本人の「Excel習熟度」の高さが、国のIT投資を遅らせたのか」の論ずるところを見てみましょう。

「日本のデジタル化が遅れているのは、現場のITリテラシーが低いからだ」。この説明を、私たちは何度となく聞かされてきました。役所の窓口でいまだに紙の書類が飛び交い、FAXが現役で稼働し、企業の基幹業務が表計算ソフトの上で危うく回っている――だから日本人はITが苦手なのだ、と。

けれども私は、二十五年間を事務職として過ごし、その後システムエンジニアとしてWebシステムを設計・開発する側に回ってみて、まったく逆の結論にたどり着きました。日本のIT化が遅れたのは、現場のリテラシーが低かったからではありません。むしろ現場が優秀すぎて、Excelを器用に使いこなせてしまったからこそ、私たちはシステムへの投資を「不要なもの」と錯覚し、構造改革を限界まで先延ばしにできてしまったのです。

これは、能力の欠如の物語ではありません。能力の過剰が、なぜか衰退を招いてしまったという、きわめて皮肉な物語です。・・・

これはどういうことなのか?

では、専用機がそれほど優れているのなら、なぜ日本企業はそちらへ投資してこなかったのでしょうか。ここで、第1章の不穏な問いが効いてきます。現場が優秀だったからです。

考えてみてください。本来なら全社の基幹システムを導入して自動化すべき業務でも、日本の現場は「とりあえずマクロを組んで、関数を駆使して、数日徹夜すれば動くもの」を自前で作り上げてしまいます。すると経営層はこう考えます。「お、システムに投資しなくても、現場が工夫して回してくれているじゃないか。うちの社員は優秀だな」。こうして投資判断は静かに見送られます。

その結果、起こったのは最悪の帰結でした。

日本人の真面目さ、器用さ、協調性、そして善意。これらは間違いなく世界に誇れる美徳です。誰も悪意など持ってはいません。むしろ「会社のため、みんなのため」を思って、夜遅くまで画面に向き合っているのです。なのに、その百パーセントの善意と努力が積み重なった果てに、国家規模のIT投資の遅れと生産性の低迷という、最悪の果実が実ってしまったのです。「現場の善意」「組織の協調」「経営の信頼」という美しい循環が、専用機の育つ土壌を根こそぎ奪ってしまったのです。

このnoteはこう皮肉に締めくくります。

日本人の優秀さ、器用さ、真面目さ、善意。それらは紛れもない美徳です。本稿は、その美徳を否定するために書いたものでは、決してありません。私が描きたかったのは、美徳がそのまま檻になりうるという、構造の皮肉です。・・・

あなたの会社で、いまも誰かが夜なべして磨き上げている、あの美しいExcelファイル。それは紛れもない優秀さの結晶です。けれど、一度だけ問い直してみてください。それは本当に、あなたの優秀さが向かうべき場所なのでしょうか。罠は、いつも心地よい顔をしてやってきます。

 

 

 

 

続・障害者雇用率制度の見直し検討@『労基旬報』2026年6月25日

『労基旬報』2026年6月25日に「続・障害者雇用率制度の見直し検討 」を寄稿しました。

 前回(5月25日号)では、去る2026年2月6日に「今後の障害者雇用推進制度の在り方に関する研究会」(学識者14名、座長:山川隆一)がとりまとめた報告書のうち、障害者雇用率制度に関わる2つの論点-手帳を所持していない難病患者と手帳を所持していない精神・発達障害者の位置づけについて、過去の経緯を振り返りながら解説しました。今回はその続きとして、就労継続支援A型事業所やその利用者の位置づけ、精神障害者について「重度」区分を設けることの是非、精神障害者である短時間労働者の算定特例、障害者雇用納付金の納付義務の拡大の是非といった問題について考えていきたいと思います。
 まず、就労継続支援A型事業所ですが、これは、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)第5条第15条に基づき同法施行規則第6条の10第1項に規定されているもので、「通常の事業所に雇用されることが困難な障害者であって雇用契約に基づく就労が可能であるもの又は通常の事業所に雇用されている障害者であって前条に規定する事由により当該事業所での就労に必要な知識及び能力の向上のための支援を一時的に必要とするものに対して行う雇用契約の締結等による就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の必要な支援」を行う事業所です。これに対して、就労継続支援B型事業所とは、同条第2項に規定されているもので、「通常の事業所に雇用されることが困難であって雇用契約に基づく就労が困難であるもの又は通常の事業所に雇用されている障害者であって前条に規定する事由により当該事業所での就労に必要な知識及び能力の向上のための支援を一時的に必要とするものに対して行う就労の機会の提供及び生産活動の機会の提供その他の就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の必要な支援」を行う事業所です。つまり、いずれも通常の事業所に雇用されることが困難ですが、前者は雇用契約に基づいて就労するのに対し、後者は雇用ではない就労である点が異なります。
 このA型事業所は、2005年9月に障害者自立支援法が成立する以前は、身体障害者福祉法に基づく身体障害者収容授産施設の一環として1972年7月の通知(社更第128号)に基づき設置されたもので、当時は「福祉工場」と呼ばれていました。そこでは従業員の要件として「作業能力はあるが、その障害のため当該施設以外の場所においては就業することが困難であると判断されたものであること」とされていました。障害者福祉政策に属するものですが、雇用契約による就労なので雇用率制度の対象になります。しかし、1976年身体障害者雇用促進法改正時点では、「福祉工場は、国及び都道府県から建設費及び管理部門の人件費について補助が行われるものであることに鑑み、調整金及び報奨金の支給は行わない」とされていました。ところが1979年8月の通知(業指発第29号)により、福祉工場は労働関係法の適用を受けるものであることに着目し、調整金及び報奨金の支給対象とされたのです。この考え方は、障害者自立支援法に基づき福祉工場が就労継続支援A型となった後も維持され、今日に至っています。
 ところが、この点について近年繰り返し疑問が呈されてきました。2018年7月の今後の障害者雇用促進制度の在り方に関する研究会報告書は、「就労継続支援A型事業所における雇用については、利用者である雇用者の数等に応じて障害福祉サービスの報酬が支払われる等、いわゆる一般の雇用とは異なることからも、就労継続支援A型事業所が増えれば増えるほど法定雇用率が引き上げられていくような仕組みは適当ではないとの意見が多く示され、法定雇用率の設定に当たっては、計算式の分子の数値から就労継続支援A型事業所の利用者数を控除した数を用いるべきとの意見」や、「就労継続支援A型事業所の利用者については、一般の雇用とは異なるものであることを前提にするのであれば、法定雇用率の計算式から控除するだけでなく、障害者雇用調整金及び報奨金の支給対象としないことや、当該事業所の利用者を障害者雇用率制度における雇用者とみなさないこと等の対応を検討すべきとの意見」が示されました。また2019年2月の労政審障害者雇用分科会意見書は、「就労継続支援A型事業所の見直しが近年行われてきたことに留意して、・・・納付金制度に基づく調整金と就労継続支援A型事業所に支給される障害福祉サービスの報酬との関係等の整理を踏まえつつ、・・・就労継続支援A型事業所に対する障害者雇用調整金の取扱いについて、労働施策と福祉施策の連携を進めながら、引き続き検討することが適当」と、2022年6月の同分科会意見書は「雇用率制度におけるA型の利用者の扱いについては、実態把握に基づきA型が障害福祉制度においてどのように整理されるかも踏まえた上で、雇用率制度・納付金制度からの除外の可能性も視野に入れ、一方で様々な影響も考慮しつつ引き続き検討していくことが適当」と議論を継続してきました。
 今回の研究会においては、
<論点1> 雇用率制度の対象とすべきか(全国で適用される法定雇用率の算定式にA型事業所の雇用量を含めるか/A型事業所における雇用量を各法人において実雇用率として計上可能とするか)。
<論点2> 納付金制度等の対象とすべきか(調整金及び報奨金の支給対象とするか/特定求職者雇用開発助成金等の事業主負担財源による財政支援の支給対象とするか)。また、障害福祉サービスとしてのA型事業所に与える影響をどう考えるか。
<論点3> その他、事業協同組合等算定特例制度(特にLLP)や、特例子会社制度(グループ算定含む)におけるA型事業所の位置づけをどう考えるか。
について議論が行われましたが、報告書を見る限り、「雇用率制度から除外すべき」「雇用率制度の対象に引き続き含めるべき」等々と両方の意見が並列されており、何らかの方向性が示されるに至っていません。項の最後には、「通常の事業所に雇用されることが困難な方の就労の受け皿や、一般就労への移行支援といった、A型事業所が果たすべき役割について、雇用、福祉の役割分担など、両面から丁寧に検討し、制度見直しがもたらす社会的影響にも留意しつつ、議論を進めていくことが必要」と、やや見直しへの気持ちがにじみ出るような先送りの結論になっています。
 
 次に精神障害者について2つの論点があります。まず、身体・知的障害者には重度区分があり、1人雇えば2人分にカウント(重度の短時間労働者は0.5人のダブルカウントで1人分にカウント)されますが、精神障害者には重度区分がありません。一方、短時間労働者は身体・知的障害者の場合には0.5人分にカウントされますが、精神障害者である短時間労働者は、2018年4月に精神障害者の雇用義務が施行されたときに、0.5人分ではなく1人分にカウントする特例措置が設けられました。これは2022年度末までに、新規雇入れ又は手帳取得から3年間の者に限る特例措置として、省令附則に設けられたものです。ところが2022年改正に伴って、2023年度からはこの3年間の要件を外した上で、「当分の間」の特例措置として維持されています。また、2022年改正では、精神障害者である特定短時間労働者(週所定労働時間10~20時間未満)を0.5人分にカウントする特例措置(附則ではなく本則上の特例措置)も設けられています。
 こうした仕組みについて、2022年6月の労政審障害者雇用分科会意見書は「精神障害者の就労困難性と精神障害者保健福祉手帳の等級は必ずしも関係するものではないという意見等様々な意見があることを踏まえると、精神障害者の「重度」という取扱については、直ちにこれを設けるのではなく、調査・研究等を進め、それらの結果等も参考に、引き続き検討することが適当」としていました。今回の研究会においては、ハローワークの求職者情報やJEEDの調査研究結果が報告され、就職率は各等級を比較しても同じであり、また精神障害者の雇用に係る事業主の負担感や就業の課題も等級別で大きな違いはなかったことから、手帳の等級に比例して就労困難性が高くなるとは言えない結果でした。
 そこで、精神障害者について「重度」区分を設けることは、就労困難性やそれに伴う事業主負担が合理的に反映された雇用率制度とならないとされ、引き続き現行制度の運用を維持する方向で概ね意見の一致があったとされています。
 また精神障害者である短時間労働者の算定特例については、特例措置の継続論と恒久化論の二つの意見が交わされましたが、結論としては「当分の間、特例を維持することとし、恒久化の要否については、現場の雇用状況の推移も踏まえて引き続き検討する方向性で概ね意見の一致があった」と述べています。
 なお、雇用義務の対象でない特定短時間労働者(週所定労働時間10~20時間未満)については、現在実雇用率算定の対象外である週所定労働時間10~20時間未満の重度以外の身体・知的障害者や週10時間未満で働く障害者も含め実態把握を進め、引き続きその取扱を検討すべきとしています。
 
 最後に、雇用義務はかかっているけれども納付金の納付義務が免除されている常用労働者100人以下企業の扱いが論じられています。前回見たように、元々1976年改正時に雇用率1.5%で納付金制度が出発したときに、従業員67人で障害者1人分の納付金の支払義務が発生するはずでしたが、当分の間300人以下企業は納付金が免除され、その後法定雇用率が引上げられてもこの免除はそのまま維持され、ようやく2008年改正時に段階的に100人以下企業にまで縮小されたという経緯があります(2010年7月に200人以下企業、2015年4月に100人以下企業)。もっともこの時にも、雇用率は2.0%なので従業員51人で障害者1人分の納付金の支払義務が発生するはずなのに、従業員100人までは免除されるという隙間のある制度であったのです。
 その後も法定雇用率は引上げが続き、2018年4月から2.2%、2021年3月から2.3%、2024年4月から2.5%、そして2026年7月からは2.7%になります。雇用率が2.7%ということは、従業員38人で障害者1人分の納付金の支払義務が発生するはずです。それなのに従業員100人までは免除されるというのは、その隙間がますます拡大してきているということになります。
 この問題については、2022年6月の労政審障害者雇用分科会意見書は「常用労働者100人以下の事業主については、ノウハウ不足等により、障害者の雇用数が0人であるところが多く、雇用率未達成企業が半数以上となっている。また、コロナ禍での経営環境の悪化、雇用保険料率の引上げ、健康保険・厚生年金保険の適用拡大等、中小企業を取り巻く雇用環境等は厳しいものとなっている。そのため、常用労働者100人以下の事業主に対する納付金の適用範囲の拡大については、これらの事業主における障害者雇用が進展した上で、実施することが適当である。この点、100人以下の企業における法定雇用率達成企業割合の改善状況等を踏まえるなど、一定の雇用環境が整った場合に検討すべきとの意見があった」と、否定的なニュアンスになっていました。
 今回の研究会では、この問題について積極論と消極論の間でかなり激しい論戦が戦わされました。研究会の議事録を見ると、中小企業団体中央会、日本商工会議所などの経営側委員は、中小企業の厳しい経営環境や、中小企業特有の難しさ(業務の切出しや人員体制が薄い中での障害者である労働者のサポート体制等)もあり、十分な受入れ体制が整備できないまま無理に雇用しても、企業・障害者双方に好ましくない結果につながるとして、消極的な意見を繰り返しています。それに対し、日本視覚障害者団体連合、全国手をつなぐ育成会連合会、日本身体障害者団体連合会、全国精神保健福祉会連合会などの障害者団体に加え、労働側の日本労働組合総連合会や労働法等の研究者は、納付金の豊富義務の適用拡大を通じて、まずは「障害者雇用ゼロ企業」から1人目の雇用に踏み出す背中を押し、障害者の働く場を増やしていくべきとか、受入れの難しさは個別性が高く、中小企業である子とを持ってそれら全ての受入れの難しさがあるとはいえない等として、積極的な意見を展開しています。
 報告書自体はこの項目の最後のところで、「今後、検討を深めていく際には、こうした意見を十分に踏まえ、障害者雇用促進法の基本的考え方である社会連帯の理念に基づき、議論を進めていくことが必要である。併せて、最初の1人を雇用する際の負荷が特に大きいことも踏まえ、障害者雇用ゼロ企業等に対する雇用に向けた支援や、雇用後の定着支援を中心に、中小企業に対する企業支援機能を一層強化する具体的方法を検討していくことが必要である」と、やや積極的な姿勢にシフトしたかのような記述ぶりにも感じられますが、両論併記であることに変わりはありません。
 ちなみに、1976年改正時に中小企業が納付金の納付義務を免除された際には、その理由として、厳しい経済情勢や徴収コストの問題と並んで、「身体障害者の雇用は中小企業に多く、従業員300人以下の中小企業については全体を平均すれば、雇用率が達成されているのに対し、大企業においては身体障害者の雇用状況は悪い現状にあって、大企業における身体障害者の雇用状況の改善を図ることが身体障害者の雇用対策の大きな政策目的となっていることを考えるならば、納付金は、当分の間は、大企業のみから徴収することとする方がより政策的な妥当性が大きいと考えられること」を挙げていました(遠藤政夫『身体障害者雇用促進法の理論と解説』日刊労働通信社(1977年))。ところが、2025年12月に公表された「令和7年 障害者雇用状況の集計結果」によると、2025年6月1日現在で、従業員100人未満企業の実雇用率は1.94%と他の規模企業よりもかなり低くなっています。全体で2.41%である中で、1000人以上企業は2.69%と最も高く、500~1000人未満企業が2.41%、300~500人未満企業が2.27%、100~300人未満企業が2.18%、そして100人未満企業が1.94%と、大規模ほど障害者を雇用し、中小規模ほど雇用していないという状況になっています。半世紀前に納付金制度が成立したときとは正反対の状況になっているわけです。この事実は、この問題を考える上で、見逃すことのできない重要な意味を持っているように思われます。

 

首藤若菜『なぜ賃金は上がらないのか』

Rnh6ocgklyu4xxiqybqmvx0p1nl0jf2fpahtb6rz 首藤若菜さんの近著『なぜ賃金は上がらないのか 日本経済30年の陥穽』(講談社現代新書)をお送りいただきました。

https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000429123

食品から日用品まで、何もかも驚くほど高くなった。
スーパーで目にする野菜の値段が少しずつ上がっているなと思っていたら、「令和のコメ騒動」が起き、同じ価格でも内容量を減らす「ステルス値上げ」が普通になった。
長く続いたデフレの時代が終わり、生活必需品の値上がりが、暮らしを直撃している。
その分賃金などの収入が上がっていればいいのだが、一向にその実感はない。賃金の上昇率から物価の上昇分を引いた「実質賃金」は4年近くもマイナスが続いていることが示すように、その実感は、統計にもはっきり表れている。
物価上昇のしわ寄せが、暮らしを直撃しているのだ。
いったいなぜこんなことになってしまったのか。
急激な円安によって輸入品やエネルギー価格が上がったためなのか。
企業が値上げで儲かった分を労働者に還元せず、「内部留保」として貯めこんでいるためか。
日本人の働き方は効率が悪く、「労働生産性」が低いためか。
各企業の労働組合の交渉力が弱く、大企業の言うがままになってしまっているのか。
本書では、こうした俗説を一つひとつ検証し、その当否を探っていく。
もう一つ、いま労働の現場でもっともよく聴かれる言葉が「人手不足」である。
とくに飲食や宿泊などのサービス業では、客を集める人気店でも人出が足りないために接客ができず、予約を断るケースもある。
また、介護や医療などの現場の人手不足も深刻で、外国人材の手を借りないと維持できないことがはっきりしている。
なのになぜ、賃金は上がらないのか。

第一線の労働経済学者として活躍する筆者は、物流や運送業界などの現場の声を聴き、その実態を見ることから、日本の賃金が上がらない本当の理由を明かす。
人手不足に悩む労働の現場では、いままで8人で担っていた仕事を7人で回し、同レベルの成果を出す「効率化」を進めてきた。
しかし、現場の労働者の献身的な努力や「カイゼン」によって「効率化」すること自体が、実は、日本の低賃金を固定化している可能性がある、と筆者は言う。
それはいったいどのようなメカニズムによって起こっているのか。
緻密なフィールドワークを基礎とする研究を重ね、日本の低賃金の謎に真正面から挑んだ、画期的な論考。

この「なぜ賃金は上がらないのか」というスフィンクスの問いは、ここ数年間多くの人が問いかけ、私の『賃金とは何か』や河野龍太郎さんの『日本経済の死角』など、様々な答えをしてきたものです。

首藤さんは、ここ数年来追い続けてきた物流業界の実態をベースに、価格を上げられないためにそのツケを企業内で労働に回すということが繰り返されてきたことにその原因を見出します。

この辺の詳細については、先日行われた労働政策フォーラム「物流における労働問題を考える」でも語られたところです。

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しかし、本書で首藤さんはその先に論を進めます。

なぜ交易条件の悪化を企業内の賃金調整で凌いでしまうのか?

いや、凌げてしまうのか?

そこに、首藤さんは、これまでカイゼンや知的熟練などとともに日本の競争力の源泉として賞賛されてきた「現場力」がプラス要因からマイナス要因に転化してしまったという皮肉な構造を見出すのです。

・・・重要なのは、この現場力が発揮されていた時代背景である。高度成長期から安定成長期にかけて、日本企業は設備投資を行い、人員にも一定の余裕を持っていた。現場ごとにOJTを通じた教育訓練が行われ、改善提案をする能力が培われ、新たな投資が工程改革と結びつき、生産性が向上していった。そして、その成果は賃金の上昇や雇用の安定として、労働者にも還元されていた。現場の努力と企業の成長、賃金の上昇は、相互に結びついていた。

 しかし、本書で見てきたように、賃金が上がらず、価格も動かず、投資が抑制される状況が長期化する中で、現場に求められる役割は、次第に変質していった。人が減っても、どうにか仕事を回す。コストが増大しても、現場で帳尻を合わせる。投資が行われなくても、既存の設備を工夫して使い続ける。ここで行われていたのは、必ずしも生産性向上を目的とした改善ではない。本来であれば価格の見直しや投資によって調整されるべき問題が、日々の業務の中で吸収されるようになっていった。

 問題は、現場の労働者が怠けていたことでも、能力が不足していたことでもない。むしろ逆である。現場が優秀で、責任感が強かったがゆえに、調整の負担が現場に集中してきたのである。

 重要なのは、この現場の強さが、価格や投資による調整の代替として機能してきた点である。その結果、問題は解決されるのではなく、表面化しないまま先送りされてきた。価格は上がらず、投資も進まず、調整の負担だけが現場に蓄積されていく。現場の優秀さは、日本経済の強みであると同時に、調整の在り方を歪めてきた側面をもつ。

・・・すなわち現場の努力は、成長を支える改善であると同時に、価格を動かさない経済を成立させる調整装置としても機能していた。現場が頑張れば頑張るほど、構造的な問題は表面化しにくくなり、「まだ回っている」という認識が温存される。その結果、賃金や人員、労働条件にかかる負担は蓄積していく。ここで生じているのは、現場力の低下ではなく、その役割の転換である。成長を支える能力であった現場力は、価格と投資の不足を補う制度的装置へと変わってきた。

・・・今問われているのは、現場を称えることではなく、現場になにを背負わせてきたのかを見直すことである

現場に無理を聞かせられないような社会、日本以外のジョブ型社会は概ねそうですが、そういう現場がアホやから上が何とかせな回らへん社会では、こういう事態はそもそも起きようがないでしょう。

かつて40年前に自信満々の日本人が、欧米をみて「こいつら現場がアホや」「うちは現場が優秀ねん」と言っていた、そのツケが回り回って、今の事態をもたらしていると考えると、巡る因果の糸車の恐ろしさがひしひしと感じられます。

かつて、「スマイル0円が諸悪の根源」と論じたことがありますが、その伝で言うと、「優秀すぎる現場力こそが諸悪の根源」だったのかも知れません。

 

2026年6月22日 (月)

共産党職員の労働者性に決着

以前、日本共産党が「雇用契約を締結しても労働者性はない!」という奇妙奇天烈な主張をしているというので、紹介したことがありますが、結局労働者性を全面的に認めることになったようです。

雇用契約を締結しても労働者性はない!@日本共産党

 いうまでもなく、労働者性の問題は労働法の世界で焦点の一つとなっている最重要課題ですが、そこに今までどの研究者も唱えたことがないと思われる独自の見解を投げ込んできた非営利法人があるようです。既に本ブログでも取り上げてきている当該非営利法人に雇用されていた職員の解雇事案をめぐる裁判に、当該非営利法人が提出してきた被告準備書面のなかに、その独自の見解が明記されています。

当該非営利法人に解雇された職員であった神谷貴行さんのブログに引用されているその見解とは:

 「ぼくがかんがえた さいきょうの ろうどうほう」は社会では通用しない

原告は、『被告らは、被告準備書面(1)2頁(1)アにおいて、原告の労働者性を正面から認めた』などと主張する。しかし、被告らが被告準備書面(1)2頁(1)アで認否したのは、形式上「雇用契約の締結」を認めたに過ぎず、それをもって、ストレートに原告の「労働者性を正面から認めた」ことにはならない。すなわち、再三述べているとおり、被告県委員会の勤務員は党員でなければならないところ、当該勤務員の活動は、一般私企業のような利潤追求のために指揮命令を受けて労働力を提供するという関係にはない。この点について、原告は知悉しているはずであろうに、これをあえて無視しようとするところに、原告の欺瞞性を感じざるを得ない。

まともに労働法を勉強してきてしまった脳みそにはいささか理解しがたいことが書かれているようですが、この主張からすると、形式的に雇用契約を締結していても、それが労働者性を有するためには「一般私企業のような利潤追求のために指揮命令を受けて労働力を提供するという関係」になければならないようです。

いうまでもなく、現代の世界には、利潤追求のための営利法人ではない非営利法人が山のようにあり、そういう非営利法人と雇用契約を締結して働いている人びとが山のようにいますが、そういう人びとは形式的に雇用契約を締結しているだけで労働者ではないのでしょうか。これはなかなかすさまじい独自の見解といえましょう。

現代の労働法学で問題となっているのは、形式的に雇用契約ではない請負契約等であっても、就労の実態が労働者であれば、労働者性を認めるべきという話なのですが、この独自の見解によれば、全く逆に、形式的に雇用契約であっても、雇用主が営利活動ではない非営利法人であれば、労働者性は認められないということのようです。

そうすると、例えば医療関係者はことごとく労働者性はないことになりますので、医労連も違法の存在になるのでしょうか。それはあんまりというものでしょう。

41l7kw6agpl_sl500_ なお、リンク先の神谷さんのブログのエントリでは、さすが(除名されたとはいえ)元共産党員らしく、かつて学習指定文献として勉強したのであろうある本の一節が引用されています。

その志位和夫『Q&Aいま「資本論」がおもしろい 』(新日本出版社)にはこういう極めてまっとうなことが書かれていたのだそうです。

労働者とは何か? とても大事な質問です。労働者というと肉体労働に従事する人という見方があるかもしれませんが、それは違います。はるかに広い人々が労働者のなかに入ります。労働基準法では、「労働者とは、職業の種類を問わず、事業又は事業所に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」と定義されています。つまり、企業または事業所に労働を提供して賃金を支払われている人は、すべて労働者になります。(p.56-57)
現行法では労働者として扱われていない働き方をさせられている人も、すべて経済学の上では労働者です。(p.57) 

どうしたのでしょう。文句の付け所がないのですが・・・。

その日本共産党がようやく神谷さんの労働者性を全面的に認めたと、神谷さんのブログに書かれています。

日本共産党福岡県委員会に対する未払残業代請求訴訟の認諾による終結について

本日、福岡地方裁判所において、被告日本共産党福岡県委員会(以下「県委員会」といいます。)は、原告神谷貴行が提起していた未払残業代等請求訴訟(令和7年(ワ)第2423号 残業代支払請求事件)について、原告の請求を認諾しました。
 これにより、本訴訟は原告全面勝訴の内容で終了しました。

本件は、日本共産党が長く党職員を労働基準法上の「労働者」(同法9条)であると認めず、原告が2024年に内容証明を送っても無視される中でやむを得ず起こされました。原告が訴訟提起している別裁判(東京地裁令和6年(ワ)30571号地位確認等請求事件)においても、県委員会及び日本共産党は、勤務員につき「一般私企業のような利潤追求のために指揮命令を受けて労働力を提供するという関係にはない」「ストレートに原告の『労働者性を正面から認めた』ことにはならない」などと主張して、原告が労働者であることを正面からは認めておりませんでした。しかし、本裁判を通じて県委員会は原告が労働者であることを裁判上正式に認めざるを得なくなり、請求通りに支払うに至ったものです。日本共産党の104年の歴史において、このような結果は初めてのことになります。同様の問題に直面している全国の約2000人の同党職員にとっても、自らの権利を行使することの重要性を示す事例となることを期待しています。
 また、原告は東京地裁で、原告に対する共産党や県委員会による不当な除籍・解雇の撤回と不法行為(パワハラ)への賠償を求めて係争中であり、本件はその裁判にも重要な影響を与えると考えられます。

まあ、これはあまりにも当然の結論ですし、こんな事件で労働判例集に「日本共産党福岡県未払残業代請求事件」がでかでかと載って未来永劫学習されることになるのは、なんぼなんでも恥ずかしいと思ったのでしょう。

これに対して、もう一つの解雇・除籍裁判の方は、まさに日本共産党という典型的な傾向経営体であるので、職員の労働者性を全面的に認めたとしても、そう簡単な話ではなさそうですが、引き続き関心を持ってみていきたいと思います。

結社/経営体としての日本共産党

Jigazou_400x400 例の働き方改革の時に「ごはん論法」という名文句を案出し、左派関係者の間でミームとして一気に広がったことで我々労働関係者の間でも記憶されている神谷貴行(紙屋高雪)さんが、日本共産党を除籍・解雇されたとブログで書かれています。

日本共産党を除籍・解雇されました 

神谷さんを除籍・解雇した日本共産党の言い分が正しいのか、それとも神谷さんの言い分が正しいのか、といったことについてはここでは一切論じるつもりはありません。気分的には神谷さんに同情的ではありますが、ここで取り上げるのはそういうことではなく、「除籍・解雇」と異なる二つの概念が中ぽつでつなげて書かれていることに興味を惹かれたからです。

神谷さん自身はこう書かれています。

私・神谷貴行は、2024年8月6日付で日本共産党から除籍されました。
また、本日(2024年8月16日)付で日本共産党福岡県委員会から解雇されました。
これらについてはいずれも到底承服できないものです。

これを見る限り、政治結社たる日本共産党の一員としての党員籍を「除籍」されたことと、一個の経営体としてしんぶん赤旗等を発行する等の事業を営む使用者たる日本共産党から一方的にその雇用関係を解除(「解雇」)されたこととは、日付も異なり、別々の事柄であるようです。

前者が基本的にはよほどのことがない限り外部からの介入を認めにくい私的自治の世界に属するのに対して、後者はまさに使用者の一方的行為を外部から規制することが原則であるべき労働法の世界であり、とりわけ解雇に対しては解雇権濫用法理に従って、使用者たる日本共産党の言い分が許されるものであるかどうか厳格に審査さるべきものということになります。

とはいえ、経営体としての日本共産党は政治結社としての日本共産党と密接不可分であるはずで、結社の一員としてふさわしくないと当該結社(の意思決定者)が判断した以上、そのような者を労働者として使用することができないというのは十分立派な理屈であるという議論もありうるかもしれません。

112050118_20240816204801 つか、「社長の俺様に逆らうとはケシカラン。貴様なんかクビだぁ!」というたぐいの貴様ぁ解雇は、拙著『日本の雇用終了』にその実例が山のように溢れているように、日本の中小零細企業では結構日常茶飯事ですので、経営体たる日本共産党も、使用者としてはそうした貴様ぁ社長とよく似た性格であったということかもしれません。

ただ、下記裁判例(日本共産党愛知県委員会事件)に見られるように、日本共産党側は、そもそも神谷さんは雇用される労働者ではないと主張してくると考えられ、その意味ではこれは今流行りの「労働者性」をめぐる一事例ともいえることになります。

人さまの企業に対しては「労働者を守れ!」と叫ぶ一方で、自分のところで給料を払って働かせている人に対しては「労働者じゃないぞ!」と主張するというなかなか興味深い光景がみられることになりそうです。

なんにせよ、

今後のことは弁護士と相談して決めたいと思っていますが、もし訴訟になったらぜひみなさんに応援していただければ幸いです。

とのことなので、労働法研究者としてもなかなかに興味深いケースになっていく可能性があり、今後の動きについても注視していきたいと思います。

 

職工や女工は差別表現?

今、ある本の初校中ですが、校正の方の指摘に、「女工は差別表現」「職工は差別表現」というのが出てきて頭を抱えました。

いやいや、近代日本労働史を語るのに、最も基本中の基本の用語が差別だから使うなとなったら、およそいかなる歴史叙述も不可能でしょうに。

それともいまや、『女工哀史』も『職工事情』もタイトルを変え、中身も改竄しなければ出版禁止になるのでしょうかね。

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2026年6月18日 (木)

広田照幸『陸軍将校の教育社会史』書評再掲

日教組出身の立憲民主党議員古賀千景氏が「豊かな子供たちは自衛隊とかなりませんよ」と言ったとか言わないとかで騒然としているようですが、そもそも半世紀前の「教え子を戦場に送るな」の名残みたいな感覚が漂うのは別として言えば、相対的に豊かでない階層の人が一発逆転の出世を目指して軍隊に行く傾向があるのは古今東西を問わない事実でありましょう。

https://www.sankei.com/article/20260616-SP25IJHBBVEIZDC6OHRHLHP2SI/

これで思い出したのは、5年前に『労働新聞』の書評で取り上げた広田照幸さんの『陸軍将校の教育社会史』です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-9b4307.html

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『労働新聞』の毎月一回の書評、今回は広田照幸『陸軍将校の教育社会史』(上)(下)ちくま学芸文庫です。

https://www.rodo.co.jp/column/113917/

 本書は1997年に刊行された学術書の24年ぶりの文庫版である。しかし、今読んでもワクワクするほど面白い。著者の広田照幸は教育社会学者で、その関心は軍人さんの「滅私奉公」イデオロギーは本気だったのか?を確認することにある。とはいえ、いやいや本音は「立身出世」主義だったんだよという結論を導き出すために次々に繰り出される、さまざまな歴史資料のディテールのあれこれがたまらなく面白いのだ。それは、著者の問題関心からは少しずれるかも知れないが、いわば「陸軍将校のキャリアデザイン史」としての面白さである。
 将校の地位が約束された陸軍士官学校、幼年学校は、いうまでもなく戦前期日本のエリートコースの一つだった。しかし、旧制高校→帝国大学というエリートコースと比べると、少し違いがあった。それは「大学を出るには少なくとも一万円は用意しなければなるまい。専門学校でも三千や五千の金はかゝる筈である。(中略)現在家貧にして身を立てる方面と言へば軍部方面、商船方面、教育界以外にはない。陸海軍ならば、いかに貧しくても家系が正しくて人間が良ければ思ふまゝに活躍できる」と当時の受験案内書にあるように、より低い社会階層の若者の上昇ルートであったという点だ。貴族や富豪が軍人になった欧州諸国と違うところである。
 将校という組織幹部の調達方式として、明治初期には下士官から将校への昇進という道があった。彼ら下士官上がりの将校は尉官で終わっても嬉しいだけで文句はない。ところが1880年代以降はその道はほぼ閉ざされ、士官学校卒業生が初めから将校になるのが当たり前のコースになる。彼らにとって出世できずに尉官で終わるというのは面白くない。しかも軍人はかなり早期退職で、予備役になると元々資産がないものだから恩給だけでは生活が苦しくなる。ヨーロッパ各国の軍隊の将校は貴族や富豪が多いので、尉官で辞めても資産があるし、議員や重役になれるが、学力試験のみで選抜してきた資産なき日本の将校は辞めたら惨めなのだ。近代化の先生の筈のヨーロッパよりももっと近代的な人材選抜方式を採用したことが、かれらに現役としての地位にしがみつくことを強制する。これこそ軍国主義イデオロギーの形而下的実体である。広田は「これまで封建的後進性と批判されてきた軍隊組織の諸問題は、実は経済的基盤を欠いた将校の保身という観点から理解されるべき」と喝破する。
 そうした彼らが軍縮と称して軍人のクビを切りたがる文官・文民エリートに敵意を持つのは当然だろう。そして彼らにとっての干天の慈雨が満州事変であったのもよく理解できる。昇進が停滞し、俸給水準が相対的に低下し、早期退職を迫られたら生活難に直面していた軍人たちは、満州事変から日中戦争、大東亜戦争と戦線が拡大していく中で、「天皇への献身」「聖戦」の名の下で野心を実現する機会を与えられたのだ。評者は本書を読んで、「日本版メリトクラシーの興亡」と名付けたい衝動に駆られる。

 

 

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