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2025年3月27日 (木)

山本陽大『新興感染症と職場における健康保護をめぐる法と政策』

Youta25 JILPTの研究報告書No.232として、山本陽大さんの単独執筆になる『新興感染症と職場における健康保護をめぐる法と政策―コロナ禍(COVID19-Pandemic)を素材とした日・独比較法研究』がアップされました。

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2025/0232.html

山本さん得意の日独比較法研究ですが、取り上げたのは、コロナ禍でも(日本では)相対的に関心が乏しかった感染防止や健康保護といった安全衛生に関わる領域の法政策です。

Yamamoto_y2022_20250327123602 彼は2022年頃からこの問題に関心を向けていくつかJILPTホームページ上にリサーチアイというエッセイを書き、2023年にはある程度まとまったところでディスカッションペーパーにしていましたが、それを包括的にとりまとめたのが今回の報告書ということになります。

彼自身による要約を貼り付けておきますが、出来れば報告書自体をダウンロードしてじっくりと読んで頂く値打ちがあります。

Ⅰ 序章・第一章について

本報告書においては、まず序章において、コロナ禍がわが国の労働法および労働政策に対して提起した課題について、大まかに課題領域A)(=コロナ禍に起因する事業の縮小・休業における労働者の雇用維持・所得保障)と課題領域B)(職場という空間における人々のウイルスへの感染防止と健康保護)に区分したうえで、各領域における先行研究の状況を概観することで、特に課題領域B)をめぐる解釈論および立法政策論については、外国法(ドイツ法)との比較を踏まえ、検討する余地が残されていることを明らかすることにより、本報告書の目的と構成を設定した。また、続く第一章においては、第二章以下の理解に必要な限りにおいて、労働関係や公衆衛生をめぐる日・独の法制度について概説するとともに、両国におけるコロナ禍の推移とそれに対応するための(法)政策の形成・展開について、整理を行った。

Ⅱ 第二章について

そのうえで、第二章においては、テレワーク(在宅勤務)とワクチン接種に関するものを除き、職場内における新興感染症への感染防止対策をめぐり(使用者がかかる対策を積極的に講じようする局面と、講じようとしない局面の双方を含めて)労働関係上生じる法的諸課題について、網羅的に検討を行った。このような課題には、大まかにいって、 ① 使用者による感染防止対策の実施に関するもの、 ② 使用者による職場内における感染者(無症状の病原体保有者も含む)の把握に関するもの、 ③ 使用者による感染疑いのある者に対する(感染防止対策としての)自宅待機命令の可否、 ④ 感染症蔓延(パンデミック)下における使用者の労働者に対する出社・出張命令の可否に、区分することができる。これら課題 ① ~ ④ に関する本報告書における検討結果の要点は、以下の通りである。

上記のうち、課題 ① についてはまず、使用者が各職場において感染防止対策を適切に講じているという状況を実現するための政策的対応のあり方が問題となる。この点、日本では立法による規制は行われなかったが、コロナ禍においては、何らの感染防止対策を講じなかった企業も相当数存在していたことに鑑みると、今後の新たなパンデミック下においては、ドイツ法においてみられたように、使用者に対して感染防止対策の実施を法的に義務付ける規制を導入することは、立法政策として十分検討に値する。但し、職場内において労働者がウイルスに感染するリスクは、産業・業種、従業員規模、地域等によって多種多様であることからすると、規制のあり方としては、ドイツのコロナ労働保護規則において最終的に採用されたような、オーダーメイド型(リスクアセスメント型)の規制とすることが望ましい。具体的には、使用者には感染防止対策を実施すべき義務を課しつつも、各職場内における感染リスクの所在を踏まえた対策のあり方については、衛生委員会等における労働者側との協議を通じて、個々の職場ごとに判断・決定させる規制を、労安衛法中に定めることが考えられる。なお、かかる判断・決定に際して現・場の労使が参照できるよう、国がありうる感染防止対策のオプションを指針等で定めることも、併せて検討すべきである。

また、課題 ① に関しては、使用者が実施を決定した感染防止対策の遵守を労働者に対して強制できるかも問題となるところ、日・独両国において特に議論となったのは、使用者の労働者に対する業務命令としてのマスク着用命令の可否である。この点、確かに飛沫・エアロゾル感染の防止対策としてのマスクの有効性は一般的に認められているが、ドイツにおけるこの問題をめぐる裁判例や立法政策も踏まえると、上記命令の有効性は無条件に認められるものではなく、マスク着用にかかる使用者側の業務上の必要性と労働者側の不利益との比較衡量により判断すべきである。これにより、例えば労働者が発達障害を有する等の理由でマスクの着用が日常生活に重大な支障を来し、またそのことについて医師の診断書があるようなケースでは、上記命令が指揮命令権の濫用として無効となる場合もありうる。

続いて、課題 ② に関しては、使用者による職場内における感染者の把握手段として、労働者に対し、コロナ検査(特にPCR検査)の受検、検温およびCOCOAのような接触確認アプリの利用をそれぞれ強制することができるかが問題となる。このうちまず、PCR検査の受検および検温の強制は、(法定外)健康診断の受診命令と問題状況が類似していることから、同命令の有効性に関する従来の最高裁の判断枠組みが、PCR検査・検温にかかる命令に関しても有用と考えられる。そのうえで、具体的判断に当たっては、医学的侵襲の程度等の観点だけでなく、ドイツにおいて議論されているように、PCR検査・検温が労働者としての健康情報の収集としての側面を有することは、日本でも看過されてはならない。従って、上記命令の有効性判断に当たっては、当該使用者において収集された健康情報が適正に取り扱われる状態にあるか否かという観点を摂取すべきである。また、接触確認アプリの利用強制(命令)に関しては、労働者の私物スマートフォンに対してダウンロードを命じることは認められないほか、業務用スマートフォンであっても、上記命令の可否については、接触確認アプリに内在するプライバシー・個人情報保護に対するリスクという観点から、厳格に判断すべきである。

更に、課題 ③ の使用者による感染疑いのある者に対する(感染防止対策としての)自宅待機命令の可否に関しては、業務命令としての自宅待機命令の有効性に関する従来の裁判例の判断枠組みが有用と考えられる。そのうえで、ドイツ法における議論も踏まえると、上記命令の有効性判断に当たっては、一方では、当該労働者の具体的症状や過去の行動履歴に照らし、使用者側において自宅待機を命じることに業務上の必要性があるか否かを考慮すべきであるが、他方では、上記命令により労働者側に生じる不利益の程度についても、特に当該自宅待機の長さや代替措置(特に在宅勤務)による就労可能性という観点から考慮する必要がある。

最後に、課題 ④ の感染症蔓延(パンデミック)下における使用者の労働者に対する出社・出張命令の可否については、最高裁の従来の判例に照らせば、出社による勤務や出張により、労働者が感染症に罹患し、生命・身体に危険が及ぶことが客観的に予想される場合には、労働者はこれらの義務から免れうる。そのうえで、かかる判断に当たり、具体的に考慮すべき事情としては、ドイツ法の議論も踏まえると、使用者による職場における感染防止対策の実施状況、労働者側における感染した場合における重症化リスク、(特に出張の場合には)対象国・地域における感染リスクが挙げられる。いいかえれば、単に労働者が主観的・抽象的に感染への不安を抱いているというだけでは、出社・出張の義務から免れることはできない。

Ⅲ 第三章について

続く第三章においては、テレワークのなかでも在宅勤務に関するコロナ禍固有の検討課題として、使用者の労働者に対する在宅勤務命令の可否(課題 ① )、労働者の使用者に対する在宅勤務請求の可否(課題 ② )、使用者の在宅勤務労働者に対する出社命令の可否(課題 ③ )について、検討を行った。これら課題 ① ~ ③ に関する本報告書における検討結果の要点は、以下の通りである。

これらのうち、課題 ① ・ ② に関して、パンデミックが生じていない平時の問題としてみると、ドイツと類似して、憲法上住居の不可侵および私生活の自由(プライバシー権)が保障されている日本においては、使用者は労働者に対し在宅勤務命令権を持たないと解される一方、労働場所の決定は使用者による指揮命令権の対象事項であること等からすると、原則として労働者が使用者に対し在宅勤務請求権を持つこともないと解される。従って、平時においては、在宅勤務を実施するためには、使用者と労働者との間での個別の合意が必要となる。また、上記課題 ② の例外として議論がある、障害を有する労働者に対する使用者の合理的配慮として在宅勤務請求権については、ドイツ法との比較からは、仮に認められるとしても実際の適用場面は相当限定的と考えられる。

一方、課題 ① ・ ② に関して、パンデミック(非常事態)下の問題としてみると、使用者および労働者の双方について相手方に対する配慮義務として、在宅勤務に関する命令権や請求権を認める解釈、あるいはそのような権利を定める立法政策も考えられなくはない。もっとも、この問題に関するドイツ法の議論や立法政策を踏まえると、仮にかかる命令権や請求権を認めたとしても、同時に相当広範囲に例外の余地も認めざるを得ないことからすれば、パンデミック下においてはむしろ、労働契約当事者をして在宅勤務の可能性を模索させ、個別合意による実施へと誘導するような立法政策を講じることが望ましい。具体的には、緊急事態宣言等が発出されている状況下においては、使用者と労働者の双方に対して、在宅勤務の実施について互いに協議を行うことを義務付ける規制を、労安衛法中に置くことが考えられる。

更に、課題 ③ に関しては、従来在宅勤務を行ってきた労働者に対する使用者の出社命令の有効性については、出社を命じる使用者側の業務上の必要性と、それに従った場合に労働者に生じうる不利益との比較衡量が重要な判断基準となると考えられる。また、その具体的判断に当たっては、ドイツ法も参考に整理すると、前者に関しては、職務の性質や労働者側の行為態様や環境変化に起因する、在宅勤務の円滑な実施の妨げとなる事由が、また後者に関しては、出社・通勤に伴う感染・重症化による生命・身体への危険を生じさせ、あるいは在宅勤務以外での就労を困難ならしめる事由が、それぞれ考慮されるものと解される。なお、ドイツ法との比較からは、上記出社命令の有効性判断に当たり、使用者が事前予告等の一定の手続を踏んでいるかという観点を摂取することも、十分検討に値する。

Ⅳ 第四章について

更に、第四章においては、新興感染症に対するワクチンの接種をめぐり、職場という空間のなかで、あるいは労働関係上生じうる解釈論上または立法政策上の諸課題について、ワクチン接種の「促進」(課題 ① )と「強制」(課題 ② )という2つのベクトルに区分したうえで、検討を行った。これら課題 ① ・ ② に関する本報告書における検討結果の要点は、以下の通りである。

このうちまず、課題 ① に関して、職場という空間を活用したワクチン接種を促進するための政策的対応としては、日本でもドイツでもコロナ禍においてはいわゆる職域接種が行われたが、そのほかにも、ドイツ法との比較からは、使用者に対し、例えば助成金等によってワクチン休暇制度の導入を積極的に促すことや、労安衛法上の安全衛生教育の枠組みのなかでワクチン接種についての周知・啓発を義務付けることが、今後日本でも検討に値する。

一方、課題 ② に関しては、ワクチン接種の医学的侵襲の程度や人体に及ぼす影響、副反応のリスクに鑑みると、接種するか否かの判断は、(労働者を含む)個々人の自己決定(憲法13条)に委ねられるべきである。従って、ドイツ法における一般的理解と同様、少なくとも労働者一般との関係では、使用者が労働者に対し業務命令としてワクチン接種を義務付けること(直接強制)はできないと解される。これに対し、今後コロナ禍と同等あるいはそれ以上のパンデミック下においては、感染した場合に重症化・死亡のリスクの高い「脆弱な人々」(高齢者や患者等)との接触が不可避な医療・介護等従事者に対する関係では、使用者によるワクチン接種命令や、ドイツでみられたようなワクチン接種を間接的に強制する立法政策が問題となる可能性は否定できない。この場合、ドイツ法における議論を参考にすると、かかる命令や立法の有効性・合憲性判断に当たっては、(その時点における最新の科学・医学的知見を前提に) ① 医療・介護等従事者がワクチンを接種した場合に生じる副反応等のリスク、 ② 上記の意味での脆弱な人々を感染から保護すべき必要性、 ③ ワクチン接種の感染拡大防止にとっての有効性(特に感染予防効果)、 ④ ワクチン接種の直接的・間接的強制に代替しうるその他の手段の有無を考慮すべきである。

 

 

 

奥山俊宏『秘密解除 ロッキード事件』

71bgexdemzl_ac_uf10001000_ql80_ 『労働新聞』の月イチ書評、今回取り上げたのは奥山俊宏『秘密解除 ロッキード事件』(岩波現代文庫)です。

https://www.rodo.co.jp/column/194923/

 ロッキード事件と言っても、多くの読者にとっては歴史上の事件だろう。筆者は当時高校生であったが、田中角栄元首相が逮捕されるに至る日々のテレビや新聞の報道は今なお記憶に残っている。田中が逮捕された頃、『中央公論』に田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」というルポが載った。父が買ってきたその雑誌を読んで、ロッキード事件がアメリカの仕掛けた罠であり、独自の資源・エネルギー政策を試みた田中をアメリカが憎んだからだという見立てに感心したことを、半世紀後の今でも覚えている。

 ロッキード事件の真実とは何なのか? 今日に至るまで繰り返しロッキード本が刊行されてきていることからしても、それは日本人が常に問い続けてきた問題であった。これに対して、アメリカ政府が秘密指定を解除して公開された文書を徹底的に読み込んで、アメリカ側からの視点でロッキード事件を再構成してみせたのが、原著が刊行された2016年当時、朝日新聞記者であった奥山俊宏による本書である。彼は、ワシントンDCの国立公文書館や全米各地に散らばる各大統領図書館などで、膨大な資料の密林に分け入り、当時のアメリカ政府の中枢で何がどのように行われていたのかをリアルに再現する。

 その結果浮かび上がってきた姿は意外なものであった。アメリカ政府、とりわけニクソン、フォード政権で外交を担っていたキッシンジャーは田中角栄を嫌っていた。その嫌いっぷりは本書冒頭で繰り返し出てくる。ただし、それは田原の言う資源・エネルギー外交ゆえではなく、田中の粗野で粗雑なスタイルへの嫌悪感であった。とくに、日中国交回復に伴う日米安保条約の台湾条項問題で、「台湾条項は事実上消滅したということか」というメディアの問いに、勝手に「字句にこだわる必要もない」と答えたことに激怒したという。

 しかし、ロッキード事件そのものに対しては、アメリカ外交の闇を暴こうとする上院外交委員会多国籍企業小委員会(とりわけジェローム・ロビンソン)と、それを抑えようとするキッシンジャーらアメリカ政府とのせめぎ合いが激烈であった。田原の「虎の尾」説が成立する余地はない。もっとも、田中の名前はあるが中曽根の名前がないことを知って、心置きなく文書を日本の検察に渡したという可能性は否定しきれない。

 ところが、ロッキードで名前が出ながら無事だった他の政治家にとっては、「虎の尾」説はずっと心の中にわだかまっていたのではないか、というのが著者の見立てだ。とりわけ中曽根康弘は、三木武夫政権で自民党幹事長として真相解明を掲げながら、陰でアメリカ政府に対し「私は、合衆国政府がこの問題をもみ消すこと(MOMIKESU)を希望する」とのメッセージを送っていた。若き日には民族主義的であった中曽根が、アメリカ世界戦略の下で日本を「不沈空母」と呼ぶに至ったのは、アメリカの「虎の尾」を踏まないようにその行動に追従する道を選んだからではないか、というのだ。

 

 

 

 

2025年3月25日 (火)

なぜ公労使で労働立法をつくるのか@『日本労働研究雑誌』2025年4月号

777_04 本日、『日本労働研究雑誌』2025年4月号が刊行されました。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.html

特集は「その裏にある歴史 」で、次のようなラインナップです。

法学

なぜ労基法上の労働者と労組法上の労働者に違いがあるのか 鎌田 耕一(東洋大学名誉教授)

なぜ定年後に労働条件が切り下げられるのか 櫻庭 涼子(一橋大学大学院教授)

なぜ労働者派遣が労働者供給と区別されて合法化されたのか 本庄 淳志(静岡大学教授)

経済学

なぜ国が休業者に助成を行うのか 佐々木 勝(大阪大学大学院教授)

なぜ初任給はほぼ横並びなのか 上野 有子(一橋大学教授)

なぜ企業は従業員の人的資本に投資すべきか 小野 浩(一橋大学大学院教授)

労使関係

なぜ企業別組合が主流になったのか 呉 学殊(JILPT特任研究員)

なぜ多くの企業が同時期に賃上げ交渉をおこなうのか 李 旼珍(立教大学教授)

なぜ公労使で労働立法をつくるのか 濱口 桂一郎(JILPT労働政策研究所長)

経営学

なぜ属人給が残り続けているのか 金子 良事(阪南大学准教授)

なぜ企業が労働者の安全や健康に配慮するのか 堀江 正知(産業医科大学教授)

なぜ人事部は多くの権限を有するのか 青木 宏之(香川大学教授)

社会学・心理学・教育学

なぜ日本の労働者は長時間残業するのか 田中 洋子(筑波大学名誉教授)

なぜ日本の大企業では新卒一括採用がおこなわれているのか 大島 真夫(東京理科大学准教授)

なぜ学校が職業紹介をできるのか 濱中 義隆(国立教育政策研究所高等教育研究部長)

わたくしは、「なぜ公労使で労働立法をつくるのか」というのを書いております。

 労働法政策が他の政策分野と異なる特徴の一つとして、立法過程において労使団体の関与が規範とされている点がある。いわゆる「三者構成原則」である。これは今から100年以上前に国際労働機関(ILO)が設立されたとき以来の国際的な基準であり、戦後日本においても労働行政における審議会の公労使三者構成として確立し、今日でも労働政策審議会の構成として維持されているが、21世紀になってから規制改革サイドから三者構成原則に対する批判が相次いでいる。一方、20世紀末以来の政治改革論の帰結として政策決定における官邸主導の傾向が強まり、官邸の会議体で結論が決まり、その旨が閣議決定されてから、厚生労働省の三者構成審議会で形式的な審議が行われるという事態が進んでいる。本稿では、三者構成原則の始まりとその展開を跡づけつつ、近年の動向をやや詳しく見ていく。
 
1 ILOの三者構成原則

2 戦前日本と三者構成原則

3 終戦直後の三者構成原則

4 日本的三者構成システムの展開

5 規制緩和の波と三者構成原則

6 規制改革会議による三者構成原則批判

7 働き方に関する政策決定プロセス有識者会議

8 官邸主導と三者構成原則の空洞化

・・・・ もっとも、その後の立法過程では2015年に国会に提出されていた高度プロフェッショナル制度を盛り込むことをめぐって、審議会や場外、国会等でかなりのやりとりが見られた。これはもともと、労働側が全く入らない官邸の産業競争力会議において「労働時間と報酬のリンクを外す新たな労働時間制度の創設」が提起され、閣議決定された「日本再興戦略2014」で「時間ではなく成果で評価される制度への改革」が明記され、労政審から労働側の反対を付記した建議がなされ、それに沿って2015年に厚労省が法案を国会に提出したものの、3年間塩漬けにされていたものである。労働側としては、推進すべき時間外・休日労働の上限規制と阻止すべき労働時間規制の緩和とが合体されることにより、単純な対応が困難になり、神津会長が安倍首相に直接談判して、高度プロフェッショナル制度の導入要件を一部修正させるという行動に出たが、それが傘下産別の一部や他の労働団体からの批判を浴びることとなり、政労使合意を諦めざるを得なかった。
 これは三者構成原則の観点から見ても大変興味深い政治過程であったといえよう。十数年にわたって拡大強化されてきた官邸主導の政策過程の中で、排除されてしまいかねない労働側がいかに官邸主導の政治過程に入り込んでいくかが試された事例であった。都合のいいときだけ選択的恣意的に労働側を政策決定に関わらせる政治状況下にあって、単なる「言うだけ」の抵抗勢力に陥ることなく、その意思をできるだけ政治過程に反映させていくためにはどのような手段が執られるべきなのかを、まともに労働運動の将来を考える者には考えさせた事例であった。

 

 

 

 

スポットワークと日雇派遣@WEB労政時報

WEB労政時報に「スポットワークと日雇派遣」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/88808

最近、“スキマバイト”とか“スポットワーク”と呼ばれる働き方が注目されるようになりました。2025年1月にパーソル総合研究所が公表した「スキマバイト/スポットワークに関する定量調査」では、現在のスキマバイト人口を452万人と推計しています。新聞各紙もしばしば取り上げていますが、特に東京新聞は2024年12月から断続的に「スキマバイトの隙間」という連載記事を掲載し、この働き方への警鐘を鳴らしています。・・・・・

 

 

2025年3月24日 (月)

『賃金事情』で鈴木誠さんが『賃金とは何か』を書評

Suzuki_20250324131501 昨年の労働関係図書優秀賞を受賞した鈴木誠さんは、『賃金事情』で「人事制度改革にとって参考になる本」という書評コラムを連載されています。昨年4月20日号では、昔の『新しい労働社会』を取り上げていただいていたのですが、

『賃金事情』で鈴木誠さんが古い方の拙著を書評

A20250320 今回、3月20日号では一番新しい方、昨年刊行した『賃金とは何か』(朝日新書)を取り上げていただきました。

https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/chinginjijo/a20250320.html

 ベースアップと定期昇給という賃金の上げ方/上がり方という上部構造に対し、賃金の決め方(賃金制度)は下部構造をなす。そのため、本書は第Ⅰ部で賃金の決め方、第Ⅱ部で賃金の上げ方について議論し、第Ⅲ部で賃金の支え方、すなわち最低賃金制の確立と展開、および最低賃金類似の諸制度について取り上げている。・・・

 当然であるが、人事制度は労使関係によって構築される。だが、労使関係を労働者と使用者の関係とだけ捉えるのは不十分である。重要なのは、政労使が行為者であるという視点である。この点を再確認できる本書は、紛れもなく「人事制度改革にとって参考になる本」といってよいだろう。 

「紛れもなく「人事制度改革にとって参考になる本」」との言葉、有り難い限りです。

 

 

2025年3月22日 (土)

職場内の婚姻については、既に、3組の実例@宮崎産業経営大学

ここ数日で急激に話題が盛り上がりかけた例の宮崎産業経営大学法学部の職場内結婚を理由とする雇止め事件ですが、急転直下解決したようです。

宮崎産業経営大学 結婚雇い止め訴訟 和解成立

 宮崎市の宮崎産業経営大学で助教を務めていた女性が同僚との結婚を報告したら雇い止めにあったとして大学側を訴えた裁判で21日、宮崎地方裁判所で和解が成立したことが分かりました。
 大学側が雇い止めを撤回し、女性は来月以降も教員として働き続けるということです。・・・

同大学のホームページには、このような告知がアップされていましたが、

お知らせ

 係争案件については、和解が成立致しました。本学園は、処分を撤回し、二人の教職員については、従前のとおり、本学園のために頑張っていただくことになりました。
 宮崎産業経営大学は、大学が県内唯一の法学部を擁する大学として、在学生に対し今後も引き続き良質な教育を提供できるよう、すべての教職員、とりわけ女性の教職員の良好な就労環境を整え、二人の教職員の協力も得て、健全な大学運営を行ってまいります。 
 なお、本学園では、職場内の婚姻については、既に、3組の実例があることを申し添えます。

この最後のセンテンスがとても気になりました。わざわざこれを付け加えるということは、何かのメッセージであるように感じさせます。すでに3組も職場内結婚があるというのは、その3組すべてについて結婚を理由として退職してもらったというのでない限り(さすがにそういうことを得々とこの文書の中に書き込もうとするほどこの大学の当局者の感覚が鈍いわけではないでしょう)、それら前例については夫婦で同一職場で働いているということのように思われます。

とすると、本件について雇止めや配置転換をしたことには、単に同僚間で結婚したというだけではない、何か表に現れていない組織内の事情がありそうに見えます。そして、それをそれとなく示唆するために、わざわざ一見リダンダントに見える最後のセンテンスを付け加えたように見えます。

とはいえ、それを表にする気はないので、わざとこういう意味不明なような文書になってしまったのではなかろうか。それ以上は想像の域を超えますが、とにかく報道されているだけの田舎大学のけしからん話ではなさそうに思えます。

 

 

 

 

 

 

2025年3月21日 (金)

水町勇一郎『社会に出る前に知っておきたい 「働くこと」大全』

322403000551 水町勇一郎さんより新著『社会に出る前に知っておきたい 「働くこと」大全』(KADOKAWA)をお送りいただきました。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322403000551/

「働く」ってなんだろう? 「困った」ときどうする? 労働教育の決定版

なぜ働かないといけない? どんなふうに働く? 困ったとき誰に相談すればいい?

全社会人、そしてこれからキャリアを考え始める中・高・大学生に必要な「労働に関する知識」。本書では、労働の歴史から、日本での働き方の特徴、会社やキャリアの選び方、そして、実際に働くときの味方になる法律や制度まで、網羅して解説します。

本書では、「働くこと」に妙に詳しい年齢不詳の伊達に、高校生のさくらと悠太、大学生の真由、社会人2年目の宇野が質問し、教えてもらうというストーリーの流れに沿って展開します。
読み終えたときに「働くことの全体像」がわかり、「自分なりの労働観」を醸成することができる――学校も会社も教えてくれない、現代を生き抜くための必須知識がこの1冊で手に入ります。

後半の第3章、第4章は、労働法の青少年向けわかりやすい解説書ですが、前半の第1章、第2章は、労働の歴史から日本型雇用システムまで、結構突っ込んだ議論をしています。 

社会人2年目の宇野(♂)、大学Ⅲ年生の真由(♀)、高校2年生の悠太(♂)とさくら(♀)の4人に、職業・年齢不詳の謎の人物伊達(♂)がいろいろと教えてくれるという趣向ですが、第1章、第2章では結構深いやりとりをしているんですが、第3章、第4章になるとまあ内容的に仕方がないのですが、教わることの列挙という感じにならざるを得ません。

はじめに 「働くこと」をめぐって
第1章  そもそも「働く」ってなに?――働くことの【意味・歴史】
第2章  日本の「働き方」の特徴は?――働くことの【環境・制度】
第3章  実際に働き始めるとどうなる?――働くことの【選択・展開】
第4章  困ったときに頼りになるルールは?――働くときの【武器・知識】
おわりに 働くことの「未来」を考えてみよう

謎の人物伊達は水町さんの投影だと思うのですが、なかなか尻尾を出しません。

 

 

労働時間法制の改正に向けた論点@『労基旬報』2025年3月25日

『労基旬報』2025年3月25日に「労働時間法制の改正に向けた論点」を寄稿しました。

 厚生労働省は2024年1月23日から「労働基準関係法制研究会」(学識者10名、座長:荒木尚志)を開催してきましたが、去る2025年1月8日に報告書を取りまとめました。同報告書は直ちに同年1月21日の労働政策審議会労働条件分科会に報告され、今後具体的な法改正に向けた審議が展開されることになると思われます。この報告書は、労働基準関係法制に共通する総論的課題として、「労働者」、「事業」、労使コミュニケーションについて論ずるとともに、労働時間法制の具体的課題についていくつか突っ込んだ議論をしています。今回はこのうち労働時間法制について、今後労働条件分科会での審議につながっていくであろういくつもの論点について、ここで確認しておきましょう。
 
 まず、最長労働時間規制(実労働時間規制)についてですが、2018年改正(働き方改革)によって導入された時間外・休日労働時間の上限規制については、「現時点では、上限そのものを変更するための社会的合意を得るためには引き続き上限規制の施行状況やその影響を注視することが適当」としつつも、後述の情報開示や労働からの解放に関する規制は早急に対応可能な取り組みもあるとしており、そちらに重点を置く姿勢が示されています。
 その一つ目の企業による労働時間の情報開示ですが、企業外部への開示と内部への開示・共有からなります。前者は、労働市場の調整機能を通じて個別企業の勤務環境を改善していくいわゆるソフトロー手法の一環で、労働者が就職・転職に当たって、各企業の労働時間の長さや休暇の取りやすさといった情報を十分に得て、就職・転職先を選んでいけるようにすることが目的です。現在既に女性活躍推進法や次世代育成支援法において情報開示の仕組みが設けられているので、時間外・休日労働についても類似の仕組みを設けることが示唆されています。
 後者は、企業内部への労働時間の情報開示・共有によって個別企業の勤務環境の改善等を図ろうとするものですが、衛生委員会や労働時間等設定改善委員会への情報開示に加えて、36協定など労使協定を締結する際に過半数代表に対して情報を開示していくことが必須とされています。また管理職に対してその管理対象となる部署の時間外・休日労働時間の情報を共有し、改善を求めることも提起されています。さらに労働者個人に対する情報開示については、自主的な行動変容によって労働時間を短縮できるのはある程度働き方に裁量のある労働者に限られるのではないかとの懸念も示されています。
 テレワーク等の柔軟な働き方については、フレックスタイム制の改善とみなし労働時間制の2点から検討がされています。まずフレックスタイム制の改善ですが、現行制度ではフレックスタイム制を部分的に適用することはできず、テレワーク日と通常勤務日が混在する場合には活用しづらいので、テレワークの実態に合わせてフレックスタイム制を見直すことが提起されています。
 より大きな話はみなし労働時間制の活用です。事業場外労働にせよ、裁量労働にせよ、それらの要件を満たさなければみなし労働時間制を適用できませんが、仕事と家庭生活が混在しうるテレワークについて実労働時間該当性を問題としないみなし労働時間制がより望ましい働き方と考える労働者が選択できる制度として、一定の健康確保措置を設けた上で、自宅等でのテレワークに限定したみなし労働時間制を設けることを提起しています。この場合、その導入については集団的同意に加えて個別の本人同意を要件とし、制度適用後も本人同意の撤回を認めることとされています。これは、コロナ禍の前後に、規制改革推進会議等から繰り返し提起されていた問題意識に対応するものです。
 もっとも、報告書案ではこれに対する懸念が5点にわたって羅列されており、中抜け時間の実態把握やみなし時間制に対するニーズ調査などを踏まえた上で「継続的な検討が必要」という書き方になっているので、直ちに法改正に取り組もうという話にはなっていません。
 もう一つの大きな話は、裁量労働制、高度プロフェッショナル制度、管理監督者など実労働時間規制が適用されない労働者に対する措置です。この中でも前2者は制度導入過程で健康・福祉確保措置が設けられていますが、管理監督者にはありません。ただし、管理監督者は労働基準法の要件に合致する者がそのまま(許可や届出といった手続きなしに)労働時間規制の適用除外になるという制度になっており、健康・福祉確保措置を導入要件として設けている前2者の制度とは法律上の建付けが異なっています。そこで、報告書は「より効果的に健康・福祉確保措置を位置付けることができるよう、労働基準法以外の法令で規定することも選択肢として、その内容を検討すべき」としています。さらに、そもそも前2者は導入要件が厳格に定められているのに、管理監督者は法律の規定があるだけで、かなり野放し状態です。報告書案も「本来は管理監督者等に当たらない労働者が管理監督者等と扱われている場合があると考えられることから、現行の管理監督者等がどういった性質のものであるかを明らかにするため、その要件を明確化することが必要」と述べています。
 
 以上に比べ、より法改正への緊要度の高いものとして位置付けられているのが労働からの解放に関する規制についての記述です。これは、最長労働時間規制と表裏の関係にある概念で、労働から解放される時間をどれだけ確保しなければならないか、言い換えれば労働者の労働力の回復の時間や私生活の時間等をそれだけ確保するべきかという問題です。現行労働基準法上は、休憩、休日、年次有給休暇が該当し、労働時間設定改善法上の努力義務であるいわゆる勤務間インターバル規制も含まれます。ここが法改正の焦点になっている点に、労働時間法政策のシフトが窺われます。
 まず休憩については、1日8時間を大幅に超える長時間労働の場合には、時間外労働分についても6時間につき45分、8時間につき1時間の休憩を与えるべきとの案を検討しつつも、そもそも事前に把握できないし、休憩を取るよりも早く業務を終わらせて帰りたいということからも、そのような改正は不必要としています。またこれは以前から指摘されていることですが、工場労働を前提とした休憩の一斉付与の原則の見直しも検討すべきとしています。
 次の休日は、今回法改正を最も強く打ち出している項目です。現行制度では、法定休日は週1回の休日ですが、4週4休の変形休日制が認められています。他方、労災保険における精神障害の認定基準では、2週間以上にわたって休日のない連続勤務を行ったことが心理的負荷となる具体的出来事の一つとされており、4週4休を認める現行制度と齟齬が生じています。働き方改革で労災認定基準を労働時間の上限としたことからすれば、労基法上の変形休日制も見直すべきというのが本報告書の主張で、具体的には「13日を超える連続勤務をさせてはならない」旨の規定を盛り込むべきとしています。ただし、災害復旧等や安全上必要な場合には代替措置を設けて例外とすべきとしています。ここは明確に法改正事項です。
 休日に関しては、法定休日の特定という問題があります。現行法では、法定労働時間が1日8時間で1週40時間であるため、週休2日制をとる企業においては、法定休日1日と(法定外)所定休日1日が混在することとなっています。法定休日の休日出勤は35%の割増ですが、法定外休日の出勤は時間外労働になるので25%(月60時間を超えると50%)の割増で、法定休日がどの日であるかが特定されていないと混乱が生じ得ます。そこで「あらかじめ法定休日を特定すべき」ことを法律上に規定すべきとしています。ただし、そうすると、労基法35条の保護法益が、週一回の休日確保から、あらかじめ特定した法定休日の確保に変わってしまうことによる罰則適用の変化や、休日振替えの手続き、使用者が法定休日を指定する際の手続き(特にパートタイムやシフト労働者)など検討すべき課題も指摘しています。
 労働からの解放という問題意識の中核に位置するのが勤務間インターバルです。この制度については、私自身が2009年の『新しい労働社会』以来、EU指令を紹介しつつ唱道してきた経緯もあるのですが、2018年の働き方改革で労働時間設定改善法上に努力義務として盛り込まれています。本報告書は「抜本的な導入促進と、義務化を視野に入れつつ、法規制の強化について検討する必要がある」とかなり積極的な姿勢を示していますが、義務化の度合いについては、労働基準法による強行的な義務から始まって、労働時間設定改善法上で勤務間インターバル制度を設けることを義務付けること、勤務間インターバルが確保できるよう事業主に配慮を求める規定、労基法上で勤務間インターバル制度を就業規則の記載事項にすることなどさまざまな手法が列挙されています。またその内容についても、EU指令並みの11時間としつつ適用除外を設けたり代替措置を認めることに加えて、勤務間インターバル自体を11時間よりも短くして例外を絞るやり方、経過措置を設けることなども示されています。
 これとの関係で近年注目されてきている「つながらない権利」にも言及されていますが、勤務時間外の連絡と言ってもさまざまであり、まだまだ検討が熟しておらず、「こうした点を整理し、勤務時間外に、どのような連絡までが許容でき、どのようなものは拒否することができることとするのか、業務方法や事業展開等を含めた総合的な社内ルールを労使で検討していくことが必要」であり、そのような話合いを促進するためのガイドラインの策定等が示唆されています。
 年次有給休暇については、使用者の時期指定義務(5日間)や時間単位取得(5日間)の見直しが検討されましたが、いずれも必要性なしとされています。2024年12月25日に内閣府の規制改革推進会議が公表した「規制改革推進に関する中間答申」は、時間単位年休の付与日数の上限引上げを求めていましたが、それは受け入れないという意思表示のようです。一方で、ILO条約等本来の年次有給休暇が想定する長期間の休暇については「中長期的な検討」と先送りです。
 
 最後の大きな柱は割増賃金規制の見直しです。これについても、そもそも論のレベルでさまざまな議論が行われていますが、基本的には「実態把握を含めた情報収集を進め、中長期的に検討」というスタンスです。ただし、ある一点についてだけは明確に法改正を提起しています。それは。副業・兼業の場合の割増賃金の在り方です。現在は事業主を異にする場合であっても労働時間を通算して割増賃金を支払うこととされていますが、これに対しては企業の負担が重く、副業・兼業の促進という政策に沿わないと批判が強く、見直しが迫られていました。
 本報告書は、「賃金計算上の労働時間管理と、健康確保のための労働時間管理は分けるべき」という考え方に立脚し、労働者の健康確保のための労働時間の通算は維持しつつ、割増賃金の支払については通算を要しないよう制度改正に取り組むことを提起しています。これは、2020年に兼業・副業ガイドラインが改定された際にも、西欧諸国の法制を根拠に研究者から揃って提言されたことですが、結局割増賃金も通算することになってしまっていたもので、その再度の提起ということになります。この賃金計算上の労働時間管理と健康確保のための労働時間管理は分けるべきというのも、私が2009年の『新しい労働社会』以来主張していることです。
 私が労働時間法制について発言し始めた2000年代には、労働時間問題と言えばもっぱら残業代という賃金問題に集約され、健康確保という本来の重要な目的が見失われがちな傾向すらありましたが、その後の20年間で政策思想が本来あるべき方向に徐々にシフトしてきました。今回の報告書も基本的にはその方向性をさらに進めるものと理解することができます。直接法改正につながるものがどれくらいになるかは分かりませんが、一歩でも二歩でも進んでいくことが期待されます。

 

メンバーシップ型雇用社会は1300年の歴史!?

Aizawa 本日の日経新聞の「経済教室」に、一橋大学の相澤美智子さんが「男女格差解消、社会の体質改善が必要」を寄稿しているのですが、

男女格差解消、社会の体質改善が必要 相澤美智子氏 一橋大学教授

○男女格差の背景には長年のタテ社会構造
○メンバーシップ型雇用はタテ社会を反映
○「無限定性」の解消にジョブ型雇用導入を

相澤さんは、日本の男女格差を生み出しているのは、メンバーシップ型雇用という「日本版アンシャンレジーム」だと主張しているのですが、この「アンシャンレジーム」という用語法には、我々がジョブ型とメンバーシップ型という言葉で意味している以上の歴史認識があるようです。曰く:

・・・日本版アンシャンレジームと筆者が呼ぶのは、次のような状況である。

中国の影響を受け、わが国に律令天皇制国家が形成されたのは西暦700年ごろのことであった。まず天皇家と貴族層に「家」が形成され、この動きが武士、商人、そして農民層にまで及ぶのに約1000年の歳月を要した。長い年月をかけてわが国には、ほぼすべての人々が垂直的身分制的に編成されるタテ社会が形成された。・・・

戦後の日本国憲法は、人々が水平的(ヨコ)に結合する社会を創出すべく家制度を廃止し、両性の平等を定めた。しかし日本版アンシャンレジームないし身分制的タテ社会の伝統は、なお克服されていない。

法律に規定される夫婦同姓強制は、日本版アンシャンレジームの名残をもっともわかりやすく示す例である。また労働契約は、労働力と賃金の交換契約の外観を呈しているが、人々の意識においては身分契約(企業という団体に所属する身分を獲得する契約)のように意識されている。ここにも日本版アンシャンレジームを認めることができる。

企業における身分制的タテ社会は年功序列的人事や、人の能力を格付けする職能給制度などに認められ、正規・非正規労働者の著しい格差としても現れている。底に男女格差が複合的に重なる。

このように人を年齢、性別、雇用形態などによって身分制的に組織し評価するという日本企業特有の雇用のあり方を、最近では「メンバーシップ型雇用」と称することが多くなった。

メンバーシップ型雇用が確立したのは高度成長期の1960年代といわれている。この見方に従えば、この型の雇用は、成立からまだ60年程度しかたっていない。

しかし、メンバーシップ型雇用の本質が企業における身分制的タテ社会であるとの認識に基づけば、そうした社会編成の歴史は1300年に及ぶ。女性が活躍できない社会の基層に岩盤のごとく存在する、身分制的タテ社会の伝統克服が根本的課題である。・・・・

なんと、メンバーシップ型雇用には律令制導入以来の1300年の歴史があるということです。

でも、さすがにその歴史認識には異論を唱えたくなります。

そもそも、ジョブ型、メンバーシップ型という図式は「雇用」を前提にしています。そして、いうまでもなく社会の生産活動の大部分が「雇用」という契約関係によって遂行されるようになったのは、世界的に見ても産業革命以来のほんの200年あまりに過ぎず、日本では19世紀末以来の100年余りに過ぎません。

そして、産業革命期に「市場の挽き臼」でばらばらにされた労働者たちが、前近代の社会編成のある部分を蘇らせることでその復権を図っていったのが、労働法や社会政策の歴史に描き出されているわけです。西欧でも中世ギルドの伝統が労働組合として蘇ったり、労働者という「身分」に着目した労働者保護や社会保障が形成されていったわけですが、日本の場合、中世のギルドの伝統が弱かったことなどもあり、企業の「社員」という身分に着目した労働者保護や社会保障というかたちになりました。その点はもちろん重要であり、そこに「メンバーシップ型雇用」の特徴があるわけですが、でもそれはあくまでも産業革命後にいったんばらばらになった労働者の再統合のロジックとして前近代の社会編成のあるものが流入したのであって、雇用なんて働き方がほとんど存在しない古代社会から一貫して「メンバーシップ型雇用」が存在していたんだ、1300年の歴史があるんだ、というのは、さすがに無理があるのではないでしょうか。

細かな話をすれば、メンバーシップ型雇用は高度成長期に出来た60年の歴史ではなく、20世紀初頭に遡る約100年余りの歴史であり、とりわけ重要なエポックは戦時雇用統制、賃金統制等の経済統制であったと思いますが、それにしても、1300年の歴史というのは大風呂敷が過ぎるのではないか、と。

ちなみに、日本に律令制をもたらした中国では、大陸、香港、台湾いずれをとっても欧米以上のジョブ型雇用です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年3月18日 (火)

介護分野に特定最賃!?

共同通信の記事で、これは東京新聞から

介護分野へ特定最低賃金を検討 首相「政治主導で判断」

290047c5a1b07d3dc649c9c534b54a37_1-1 石破茂首相は17日の参院予算委員会で、介護などを担うエッセンシャルワーカーや成長産業分野での人材確保に向け、特定の産業に適用される「特定最低賃金」の導入を検討する考えを示した。「賃金が上がっていかないと、この国の経済は持たないとの強い認識を持っている。政治主導できちんと判断したい」と述べた。
 特定最低賃金は、都道府県ごとに適用される地域別最低賃金よりも、高く定めることが必要と認められた産業に適用する。首相は地方の賃上げ実現のため、施政方針演説で言及した全都道府県での「地方版政労使会議」の開催にも意欲を示した。国民民主党の田村麻美氏への答弁。

おお、これは踏み込んだ答弁ですね。UAゼンセン出身の田村麻美さんが質問したのですね。さすがです。

この問題については、昨年の『賃金とは何か』の最後のあたりで触れておりました。

81tj1p4qhol_sy466__20250318100501 3 特定最低賃金、公契約条例、派遣労使協定方式の可能性

 と、これで終わりにしてしまったら、いくらなんでも希望がなさすぎるのではないかと、読者から抗議が来そうです。もちろん、空っぽの箱をいかにもたいそうなものであるかのように舌先三寸で売り歩く行商人のような真似をする気はないのですが、職種別の賃金設定システムをある程度世の中に拡げていく手がかりとして、現に存在するいくつかの制度を検討してみたいと思います。
 まずは、半世紀以上にわたって経営側や規制改革サイドから無駄だから廃止せよと責め立てられながら、それをかいくぐって何とか生き延びてきた産業別最低賃金、現在の特定最低賃金です。二〇〇七年以後二〇年近くにわたる地域別最低賃金の大幅な引上げの煽りで、東京都をはじめとして特定最低賃金が地域別最低賃金に追い越され、無意味なものになってしまうという状況が広がっています。四〇年近く前に金子美雄が語った産業別最低賃金の意義は、当時からさらに組織率が下落(二〇二三年に一六.三%)する中で一層高まっています。しかしそれを実現する労働組合の力はさらに低下する一方です。では明るい展望はないのでしょうか。
 二〇二〇年から二〇二二年まで世界中を襲ったコロナ禍で改めて注目されたのは、私たちの日常生活を維持するための枢要な業務を担いながら低賃金や低い労働条件の下にある労働者たち、いわゆるエッセンシャルワーカーでした。その範囲は論者によって様々ですが、医療、介護福祉、保育、教育、自治体・公共交通機関などの公共サービス、ガス・水道・電気・通信など生活インフラ、物流、生活用品を扱うスーパーやドラッグストア、コンビニなどの小売業などが挙げられます。こうした特定の労働者層にターゲットを絞った賃金の底上げのためには、せっかく制度として維持された特定最低賃金を活用することが考えられてもよいのではないでしょうか。
 実は二〇一八年に日本医療労働組合連合会(日本医労連)が、看護師と介護職員にかかる特定最低賃金の申出を行っています。これは、同年七月二六日の中央最低賃金審議会にかけられ、申出者数が看護師で全体の九.五%、介護職員で全体の〇.八%に過ぎず、三分の一以上の合意の要件を満たしていないとして諮問の対象外とされています。現行制度を前提とすればその通りですが、一方で医療介護行政において、看護師や介護職員の処遇改善加算が行われてきていることを考えると、マクロ社会政策的な発想による対応があってもよいように思われます。

(追記)

あっという間に話が急展開しておりますな。

介護に特定最低賃金を検討で一致 待遇改善へ自公幹事長

自民党の森山裕、公明党の西田実仁両幹事長は18日、東京都内で会談し、介護分野の待遇改善に向け、特定の産業を対象とする「特定最低賃金」の適用を検討することで一致した。森山氏は記者会見で「介護の現場は職業意識だけでやれる話ではない。給料体系の中で特別に考えていくのは大事なことだ」と述べた。
 特定最低賃金は、都道府県ごとに設定する最低賃金よりも高くすることが必要と認められた産業が対象。労働者側と経営者側の申し出に基づき、都道府県の地方審議会が必要性を判断し、金額を決める。現在は鉄鋼業や自動車小売業などに適用されている。

 

2025年3月16日 (日)

シングルマザーの労働法政策@『季刊労働法』2025年春号(288号)

288_h1768x1108_20250316213401 『季刊労働法』2025年春号(288号)に「シングルマザーの労働法政策」を寄稿しました。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/12853/

 

はじめに

 「母子家庭の母及び父子家庭の父の就業の支援に関する特別措置法」という名前の法律があります。一見すると、高年齢者雇用安定法、障害者雇用促進法、青少年雇用促進法といった特定類型の人々を対象にした雇用対策立法のように見えますが、労働法の世界ではほとんど見ることができません。『労働関係法規集』(労働政策研究・研修機構)や『労働六法』(旬報社)のようなコンパクト版だけではなく、『労働総覧』(労働法令)や『労働法全書』(労務行政研究所)のような包括版の労働法令集においても、この法律は収録されていないからです。主だった労働法の教科書にもこの法律は登場してきませんし、過去何回か編纂された労働法講座でもこのトピックが取り上げられたことはありません。要するに、労働法の世界ではシングルマザーの問題は対象外のようです。
 もっとも、これはやむをえない面があり、この法律の所管は現在はこども家庭庁であり、同庁設置前は厚生労働省の児童家庭局でした。つまり、雇用対策ではなく福祉対策と位置付けられているため、労働法令集には載っていないのです。逆に、『社会福祉六法』(第一法規)のような社会福祉関係の法令集には、母子及び父子並びに寡婦福祉法や児童扶養手当法とともに収録されています。それならそれでいいではないか、ただでさえ問題山積の労働法がシングルマザーなんかに手を出さなくても、と考える人もいるでしょう。しかし、実は雇用助成金の対象者というかたちで、シングルマザーはごく僅かながら雇用対策の対象になっています。細々とした雇用対策はつながっているのです。さらに、1970年代には当時の野党から、障害者雇用促進法に倣って母子家庭の母の雇用促進法案が提案されたこともありました。
 今回はまことに周縁的なトピックに見えるかも知れませんが、シングルマザーをめぐる福祉政策の流れを概観しつつ、その中に垣間見える雇用対策的要素を確認していきたいと思います。

1 母子保護法
2 戦後の母子家庭対策
3 児童扶養手当法
4 母子福祉法
5 野党の母子家庭の母の雇用促進法案
6 雇用助成金
7 母子及び寡婦福祉法
8 2002年改正
9 母子家庭の母の就業の支援に関する特別措置法
10 近年の動向

 

2025年3月15日 (土)

スマイル0円が諸悪の根源(再掲)

「サービスはタダ」反省を 日本生産性本部・茂木会長

15年も昔のこれを再掲しろといわれたような気がしました。気のせいじゃありませんよね。

スマイル0円が諸悪の根源


日本生産性本部が、毎年恒例の「労働生産性の国際比較2010年版」を公表しています。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013.html

>日本の労働生産性は65,896ドル(755万円/2009年)。1998年以来11年ぶりに前年水準を割り込み、順位もOECD加盟33カ国中第22位と前年から1つ低下。

>製造業の労働生産性は米国水準の70.6%、OECD加盟主要22カ国中第6位と上位を維持。

>サービス産業の労働生産性は、卸小売(米国水準比42.4%)や飲食宿泊(同37.8%)で大きく立ち遅れ

前から、本ブログで繰り返していることですが、製造業(などの生産工程のある業種)における生産性と、労働者の労務それ自体が直接顧客へのサービスとなるサービス業とでは、生産性を考える筋道が違わなければいけないのに、ついつい製造業的センスでサービス業の生産性を考えるから、

>>お!日本はサービス業の生産性が低いぞ!もっともっと頑張って生産性向上運動をしなくちゃいけない!

という完全に間違った方向に議論が進んでしまうのですね。

製造業のような物的生産性概念がそもそもあり得ない以上、サービス業も含めた生産性概念は価値生産性、つまりいくらでそのサービスが売れたかによって決まるので、日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013/attached.pdf

この詳細版で、どういう国のサービス生産性が高いか、4頁の図3を見て下さい。

1位はルクセンブルク、2位はオランダ、3位はベルギー、4位はデンマーク、5位はフィンランド、6位はドイツ・・・。

わたくしは3位の国に住んで、1位の国と2位の国によく行ってましたから、あえて断言しますが、サービスの「質」は日本と比べて天と地です。いうまでもなく、日本が「天」です。消費者にとっては。

それを裏返すと、消費者天国の日本だから、「スマイル0円」の日本だから、サービスの生産性が異常なまでに低いのです。膨大なサービス労務の投入量に対して、異常なまでに低い価格付けしか社会的にされていないことが、この生産性の低さをもたらしているのです。

ちなみに、世界中どこのマクドナルドのCMでも、日本以外で「スマイル0円」なんてのを見たことはありません。

生産性を上げるには、もっと少ないサービス労務投入量に対して、もっと高額の料金を頂くようにするしかありません。ところが、そういう議論はとても少ないのですね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

(追記)

ついった上で、こういうコメントが、

http://twitter.com/nikoXco240628/status/17619055213027328

>サービスに「タダ」という意味を勝手に内包した日本人の価値観こそが諸悪の根源。

たしかに、「サービス残業」てのも不思議な言葉ですね。英語で「サービス」とは「労務」そのものですから素直に直訳すれば「労務残業」。はぁ?

どういう経緯で「サービスしまっせ」が「タダにしまっせ」という意味になっていったのか、日本語の歴史として興味深いところですね。

ちなみに、こちらはいまから10年前ですが、

勤勉にサービスしすぎるから生産性が低いのだよ!日本人は


産経の記事ですが、

http://www.sankei.com/politics/news/151218/plt1512180033-n1.html (労働生産性、先進7カ国で最低 茂木友三郎生産性本部会長「勤勉な日本が…残念な結果」)

日本の生産性が低いことは以前から繰り返し本ブログでも取り上げてきていますが、この新聞記事を見てがっくりきたのは、日本生産性本部のトップともあろうお方が、こんな認識であったのか、といういささかの絶望感でありました。


茂木会長は、「日本は勤勉な国で、生産性が高いはずと考えられるが、残念な結果だ」と評価した。

生産性のなんたるかがよくわかっていない市井の人々はよくこの手の間違いをしますが、さすがに日本生産性本部会長がこの言葉はないでしょう、と。


茂木会長は「労働人口が減少する日本が国内総生産(GDP)600兆円を達成させるためにも、生産性の向上が必要で、特にサービス産業の改善が求められる」と語った。

まさに、サービス業の生産性というのが何で決まってくるのかをしっかりと考えてこそ、その「改善」も可能になろうというものです。

あとはもう、以前から本ブログをお読みの皆様方にとっては今更的な話ばかりになりますが、せっかくですので、以前のエントリを引っ張り出して、皆様の復習の用に供しようと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8791.html (なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!)


依然としてサービスの生産性が一部で話題になっているようなので、本ブログでかつて語ったことを・・・、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

日本生産性本部が、毎年恒例の「労働生産性の国際比較2010年版」を公表しています。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013.html

>日本の労働生産性は65,896ドル(755万円/2009年)。1998年以来11年ぶりに前年水準を割り込み、順位もOECD加盟33カ国中第22位と前年から1つ低下。

>製造業の労働生産性は米国水準の70.6%、OECD加盟主要22カ国中第6位と上位を維持。

>サービス産業の労働生産性は、卸小売(米国水準比42.4%)や飲食宿泊(同37.8%)で大きく立ち遅れ。

前から、本ブログで繰り返していることですが、製造業(などの生産工程のある業種)における生産性と、労働者の労務それ自体が直接顧客へのサービスとなるサービス業とでは、生産性を考える筋道が違わなければいけないのに、ついつい製造業的センスでサービス業の生産性を考えるから、

>>お!日本はサービス業の生産性が低いぞ!もっともっと頑張って生産性向上運動をしなくちゃいけない!

という完全に間違った方向に議論が進んでしまうのですね。

製造業のような物的生産性概念がそもそもあり得ない以上、サービス業も含めた生産性概念は価値生産性、つまりいくらでそのサービスが売れたかによって決まるので、日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013/attached.pdf

この詳細版で、どういう国のサービス生産性が高いか、4頁の図3を見て下さい。

1位はルクセンブルク、2位はオランダ、3位はベルギー、4位はデンマーク、5位はフィンランド、6位はドイツ・・・。

わたくしは3位の国に住んで、1位の国と2位の国によく行ってましたから、あえて断言しますが、サービスの「質」は日本と比べて天と地です。いうまでもなく、日本が「天」です。消費者にとっては。

それを裏返すと、消費者天国の日本だから、「スマイル0円」の日本だから、サービスの生産性が異常なまでに低いのです。膨大なサービス労務の投入量に対して、異常なまでに低い価格付けしか社会的にされていないことが、この生産性の低さをもたらしているのです。

ちなみに、世界中どこのマクドナルドのCMでも、日本以外で「スマイル0円」なんてのを見たことはありません。

生産性を上げるには、もっと少ないサービス労務投入量に対して、もっと高額の料金を頂くようにするしかありません。ところが、そういう議論はとても少ないのですね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

(追記)

ついった上で、こういうコメントが、

http://twitter.com/nikoXco240628/status/17619055213027328

>サービスに「タダ」という意味を勝手に内包した日本人の価値観こそが諸悪の根源。

たしかに、「サービス残業」てのも不思議な言葉ですね。英語で「サービス」とは「労務」そのものですから素直に直訳すれば「労務残業」。はぁ?

どういう経緯で「サービスしまっせ」が「タダにしまっせ」という意味になっていったのか、日本語の歴史として興味深いところですね。

※欄

3法則氏の面目躍如:

http://twitter.com/ikedanob/status/17944582452944896

Zrzsj3tz_400x400>日本の会社の問題は、正社員の人件費が高いことにつきる。サービス業の低生産性もこれが原因。

なるほど、ルクセンブルクやオランダやベルギーみたいに、人件費をとことん低くするとサービス業の生産性がダントツになるわけですな。

さすが事実への軽侮にも年季が入っていることで。

なんにせよ、このケーザイ学者というふれこみの御仁が、「おりゃぁ、てめえら、ろくに仕事もせずに高い給料とりやがって。だから生産性が低いんだよぉ」という、生産性概念の基本が分かっていないそこらのオッサン並みの認識で偉そうにつぶやいているというのは、大変に示唆的な現象ではありますな。

(追記)

http://twitter.com/WARE_bluefield/status/18056376509014017

>こりゃ面白い。池田先生への痛烈な皮肉だなぁ。/ スマイル0円が諸悪の根源・・・

いやぁ、別にそんなつもりはなくって、単純にいつも巡回している日本生産性本部の発表ものを見て、いつも考えていることを改めて書いただけなんですが、3法則氏が見事に突入してきただけで。それが結果的に皮肉になってしまうのですから、面白いものですが。

というか、この日本生産性本部発表資料の、サービス生産性の高い国の名前をちらっと見ただけで、上のようなアホな戯言は言えなくなるはずですが、絶対に原資料に確認しないというのが、この手の手合いの方々の行動原則なのでしょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_b2df.html(労働市場改革専門調査会第2回議事録)

(参考)上記エントリのコメント欄に書いたことを再掲しておきます。

>とまさんという方から上のコメントで紹介のあったリンク先の生産性をめぐる「論争」(みたいなもの)を読むと、皆さん生産性という概念をどのように理解しているのかなあ?という疑問が湧きます。労働実務家の立場からすると、生産性って言葉にはいろんな意味があって、一番ポピュラーで多分このリンク先の論争でも意識されているであろう労働生産性にしたって、物的生産性を議論しているのか、価値生産性を議論しているのかで、全然違ってくるわけです。ていうか、多分皆さん、ケーザイ学の教科書的に、貨幣ヴェール説で、どっちでも同じだと思っているのかも知れないけれど。

もともと製造業をモデルに物的生産性で考えていたわけだけど、ロットで計ってたんでは自動車と電機の比較もできないし、技術進歩でたくさん作れるようになったというだけじゃなくて性能が上がったというのも計りたいから、結局値段で計ることになったわけですね。価値生産性という奴です。

価値生産性というのは値段で計るわけだから、値段が上がれば生産性が上がったことになるわけです。売れなきゃいつまでも高い値段を付けていられないから、まあ生産性を計るのにおおむね間違いではない、と製造業であればいえるでしょう。だけど、サービス業というのは労働供給即商品で加工過程はないわけだから、床屋さんでもメイドさんでもいいけど、労働市場で調達可能な給料を賄うためにサービス価格が上がれば生産性が上がったことになるわけですよ。日本国内で生身でサービスを提供する労働者の限界生産性は、途上国で同じサービスを提供する人のそれより高いということになるわけです。

 

どうもここんところが誤解されているような気がします。日本と途上国で同じ水準のサービスをしているんであれば、同じ生産性だという物的生産性概念で議論しているから混乱しているんではないのでしょうか。

>ていうか、そもそもサービス業の物的生産性って何で計るの?という大問題があるわけですよ。

価値生産性で考えればそこはスルーできるけど、逆に高い金出して買う客がいる限り生産性は高いと言わざるを得ない。

生身のカラダが必要なサービス業である限り、そもそも場所的なサービス提供者調達可能性抜きに生産性を議論できないはずです。

ここが、例えばインドのソフトウェア技術者にネットで仕事をやらせるというようなアタマの中味だけ持ってくれば済むサービス業と違うところでしょう。それはむしろ製造業に近いと思います。

そういうサービス業については生産性向上という議論は意味があると思うけれども、生身のカラダのサービス業にどれくらい意味があるかってことです(もっとも、技術進歩で、生身のカラダを持って行かなくてもそういうサービスが可能になることがないとは言えませんけど)。

>いやいや、製造業だろうが何だろうが、労働は生身の人間がやってるわけです。しかし、労働の結果はモノとして労働力とは切り離して売買されるから、単一のマーケットでついた値段で価値生産性を計れば、それが物的生産性の大体の指標になりうるわけでしょう。インドのソフトウェアサービスもそうですね。

しかし、生身のカラダ抜きにやれないサービスの場合、生身のサービス提供者がいるところでついた値段しか拠り所がないでしょうということを言いたいわけで。カラダをおいといてサービスの結果だけ持っていけないでしょう。

いくらフィクションといったって、フィリピン人の看護婦がフィリピンにいるままで日本の患者の面倒を見られない以上、場所の入れ替えに意味があるとは思えません。ただ、サービス業がより知的精神的なものになればなるほど、こういう場所的制約は薄れては行くでしょうね。医者の診断なんてのは、そうなっていく可能性はあるかも知れません。そのことは否定していませんよ。

>フィリピン人のウェイトレスさんを日本に連れてきてサービスして貰うためには、(合法的な外国人労働としてという前提での話ですが)日本の家に住み、日本の食事を食べ、日本の生活費をかけて労働力を再生産しなければならないのですから、フィリピンでかかる費用ではすまないですよ。パスポートを取り上げてタコ部屋に押し込めて働かせることを前提にしてはいけません。

もちろん、際限なくフィリピンの若い女性が悉く日本にやってくるまで行けば、長期的にはウェイトレスのサービス価格がフィリピンと同じまで行くかも知れないけれど、それはウェイトレスの価値生産性が下がったというしかないわけです。以前と同じことをしていてもね。しかしそれはあまりに非現実的な想定でしょう。

要するに、生産性という概念は比較活用できる概念としては価値生産性、つまり最終的についた値段で判断するしかないでしょう、ということであって。

>いやいや、労働生産性としての物的生産性の話なのですから、労働者(正確には組織体としての労働者集団ですが)の生産性ですよ。企業の資本生産性の話ではなかったはず。

製造業やそれに類する産業の場合、労務サービスと生産された商品は切り離されて取引されますから、国際的にその品質に応じて値段が付いて、それに基づいて価値生産性を測れば、それが物的生産性の指標になるわけでしょう。

ところが、労務サービス即商品である場合、当該労務サービスを提供する人とそれを消費する人が同じ空間にいなければならないので、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の高い人やその関係者であってサービスに高い値段を付けられるならば、当該労務サービスの価値生産性は高くなり、当該労務サービスを消費できる人が物的生産性の低い人やその関係者であってサービスに高い価格をつけられないならば、当該労務サービスの価値生産性は低くなると言うことです。

そして、労務サービスの場合、この価値生産性以外に、ナマの(貨幣価値を抜きにした)物的生産性をあれこれ論ずる意味はないのです。おなじ行為をしているじゃないかというのは、その行為を消費する人が同じである可能性がない限り意味がない。

そういう話を不用意な設定で議論しようとするから、某開発経済実務家の方も、某テレビ局出身情報経済専門家の方も、へんちくりんな方向に迷走していくんだと思うのですよ。

>まあ、製造業の高い物的生産性が国内で提供されるサービスにも均霑して高い価値生産性を示すという点は正しいわけですから。

問題は、それを、誰がどうやって計ればいいのか分からない、単位も不明なサービスの物的生産性という「本質」をまず設定して、それは本当は低いんだけれども、製造業の高い物的生産性と「平均」されて、本当の水準よりも高く「現象」するんだというような説明をしなければならない理由が明らかでないということですから。

それに、サービスの価値生産性が高いのは、製造業の物的生産性が高い国だけじゃなくって、石油がドバドバ噴き出て、寝そべっていてもカネが流れ込んでくる国もそうなわけで、その場合、原油が噴き出すという「高い生産性」と平均されるという説明になるのでしょうかね。

いずれにしても、サービスの生産性を高めるのはそれがどの国で提供されるかということであって、誰が提供するかではありません。フィリピン人メイドがフィリピンで提供するサービスは生産性が低く、ヨーロッパやアラブ産油国で提供するサービスは生産性が高いわけです。そこも、何となく誤解されている点のような気がします。

>大体、もともと「生産性」という言葉は、工場の中で生産性向上運動というような極めてミクロなレベルで使われていた言葉です。そういうミクロなレベルでは大変有意味な言葉ではあった。

だけど、それをマクロな国民経済に不用意に持ち込むと、今回の山形さんや池田さんのようなお馬鹿な騒ぎを引き起こす原因になる。マクロ経済において意味を持つ「生産性」とは値段で計った価値生産性以外にはあり得ない。

とすれば、その価値生産性とは財やサービスを売って得られた所得水準そのものなので、ほとんどトートロジーの世界になるわけです。というか、トートロジーとしてのみ意味がある。そこに個々のサービスの(値段とは切り離された本質的な)物的生産性が高いだの低いだのという無意味な議論を持ち込むと、見ての通りの空騒ぎしか残らない。

 

>いや、実質所得に意味があるのは、モノで考えているからでしょう。モノであれば、時間空間を超えて流通しますから、特定の時空間における値段のむこうに実質価値を想定しうるし、それとの比較で単なる値段の上昇という概念も意味がある。

逆に言えば、サービスの値段が上がったときに、それが「サービスの物的生産性が向上したからそれにともなって値段が上がった」と考えるのか、「サービス自体はなんら変わっていないのに、ただ値段が上昇した」と考えるのか、最終的な決め手はないのではないでしょうか。

このあたり、例の生産性上昇率格差インフレの議論の根っこにある議論ですよね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0c56.html(誰の賃金が下がったのか?または国際競争ガーの誤解)

経済産業研究所が公表した「サービス産業における賃金低下の要因~誰の賃金が下がったのか~」というディスカッションペーパーは、最後に述べるように一点だけ注文がありますが、今日の賃金低迷現象の原因がどこにあるかについて、世間で蔓延する「国際競争ガー」という誤解を見事に解消し、問題の本質(の一歩手前)まで接近しています。・・・・・

国際競争に一番晒されている製造業ではなく、一番ドメスティックなサービス産業、とりわけ小売業や飲食店で一番賃金が下落しているということは、この間日本で起こったことを大変雄弁に物語っていますね。

「誰の賃金が下がったのか?」という疑問に対して一言で回答すると、国際的な価格競争に巻き込まれている製造業よりむしろ、サービス産業の賃金が下がった。また、サービス産業の中でも賃金が大きく下がっているのは、小売業、飲食サービス業、運輸業という国際競争に直接的にはさらされていない産業であり、サービス産業の中でも、金融保険業、卸売業、情報通信業といたサービスの提供範囲が地理的制約を受けにくいサービス産業では賃金の下落幅が小さい。

そう、そういうことなんですが、それをこのディスカッションペーパーみたいに、こういう表現をしてしまうと、一番肝心な真実から一歩足を引っ込めてしまうことになってしまいます。

本分析により、2000 年代に急速に進展した日本経済の特に製造業におけるグローバル化が賃金下落の要因ではなく、労働生産性が低迷するサービス産業において非正規労働者の増加及び全体の労働時間の抑制という形で平均賃金が下落したことが判明した。

念のため、この表現は、それ自体としては間違っていません。

確かにドメスティックなサービス産業で「労働生産性が低迷した」のが原因です。

ただ、付加価値生産性とは何であるかということをちゃんと分かっている人にはいうまでもないことですが、世の多くの人々は、こういう字面を見ると、パブロフの犬の如く条件反射的に、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

いや、付加価値生産性の定義上、そういう風にすればする程、生産性は下がるわけですよ。

そして、国際競争と関係の一番薄い分野でもっとも付加価値生産性が下落したのは、まさにそういう条件反射的「根本的に間違った生産性向上イデオロギー」が世を風靡したからじゃないのですかね。

以上は、経済産業研究所のDPそれ自体にケチをつけているわけではありません。でも、現在の日本人の平均的知的水準を考えると、上記引用の文章を、それだけ読んだ読者が、脳内でどういう奇怪な化学反応を起こすかというところまで思いが至っていないという点において、若干の留保をつけざるを得ません。

結局、どれだけ語ってみても、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

とわめき散らす方々の精神構造はこれっぽっちも動かなかったということでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-fcfc.html(労働生産性から考えるサービス業が低賃金なワケ@『東洋経済』)

今年の東洋経済でも取り上げたのですけどね。

「日本の消費者は安いサービスを求め、労働力を買いたたいている。海外にシフトできず日本に残るサービス業をわざわざ低賃金化しているわけだ。またその背景には、高度成長期からサービス業はパート労働者を使うのが上手だったという面もある」(労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員)

こう考えると、サービス業の賃金上昇には、高付加価値化といった産業視点の戦略だけでなく、非正社員の待遇改善など労働政策も必須であることがわかる。「サービス価格は労働の値段である」という基本に立ち戻る必要がある。

 

 



 

連合の賃上げ第1次集計結果

昨日、連合の今春闘賃上げ第1次集計結果が発表されました。

前年を上回る回答引き出し!中小組合も5%超え! 有期・短時間・契約等労働者(時給)の賃上げ率は6%超え! ~2025 春季生活闘争 第1回回答集計結果について~

とりあえず、『賃金とは何か』(朝日新書)p235の定昇とベアのグラフを、2025年第1次集計分を追加してみました。

20251

 

 

2025年3月14日 (金)

財やサービスは積み立てられない(再掲)

13年前のエッセイを、一字一句変えることなく、そのまま再掲しなくちゃいけない、ということに、却って悩み深いものを感じざるを得ません。

財やサービスは積み立てられない

784241_l社会保険研究所の月刊誌『年金時代』5月号に、「財やサービスは積み立てられない」を寄稿しました。

中身は、本ブログで折に触れ書いてきたことですが。


 この期に及んで、未だに賦課方式ではダメだから積立方式にせよなどという、2周遅れ3周遅れの議論を展開する人々が跡を絶たないようです。

 この問題は、いまから十年前に、連合総研の研究会で正村公宏先生が、「積立方式といおうが、賦課方式といおうが、その時に生産人口によって生産された財やサービスを非生産人口に移転するということには何の変わりもない。ただそれを、貨幣という媒体によって正当化するのか、法律に基づく年金権という媒体で正当化するかの違いだ」(大意)といわれたことを思い出させます。

 財やサービスは積み立てられません。どんなに紙の上にお金を積み立てても、いざ財やサービスが必要になったときには、その時に生産された財やサービスを移転するしかないわけです。そのときに、どういう立場でそれを要求するのか。積立方式とは、引退者が(死せる労働を債権として保有する)資本家としてそれを現役世代に要求するという仕組みであるわけです。

 かつてカリフォルニア州職員だった引退者は自ら財やサービスを生産しない以上、その生活を維持するためには、現在の生産年齢人口が生み出した財・サービスを移転するしかないわけですが、それを彼らの代表が金融資本として行動するやり方でやることによって、現在の生産年齢人口に対して(その意に反して・・・かどうかは別として)搾取者として立ち現れざるを得ないということですね。

 「積立方式」という言葉を使うことによって、あたかも財やサービスといった効用ある経済的価値そのものが、どこかで積み立てられているかの如き空想が頭の中に生え茂ってしまうのでしょうか。

 非常に単純化して言えば、少子化が超絶的に急激に進んで、今の現役世代が年金受給者になったときに働いてくれる若者がほとんどいなくなってしまえば、どんなに年金証書だけがしっかりと整備されていたところで、その紙の上の数字を実体的な財やサービスと交換してくれる奇特な人はいなくなっているという、小学生でも分かる実体経済の話なのですが、経済を実体ではなく紙の上の数字でのみ考える癖の付いた自称専門家になればなるほど、この真理が見えなくなるのでしょう。

 従って、人口構成の高齢化に対して年金制度を適応させるやり方は、原理的にはたった一つしかあり得ません。年金保険料を払う経済的現役世代の人口と年金給付をもらう経済的引退世代の人口との比率を一定に保つという、これだけです。

 ところが、高齢者を優遇するなと叫んで、年金を積立方式にせよと主張するような経済学者に限って、一方では高齢者が働いて社会を支える側にまわるようにする政策に対しても、高齢者を優遇するなと批判することが多いようです。こういう安手の「若者の味方」が横行するのが、今日の悲劇かも知れません。高齢者を働かせずに現役世代に負担させ続けるのもダメなら、高齢者にも働いてもらって現役世代の負担を軽減するのもダメとなると、一体どういう政策が残ることになるのか。まさか「楢山節考」の世界ではあるまいと、心から祈るばかりですが。

2025年3月13日 (木)

令和6年度沖永賞

本日、労働問題リサーチセンターの令和6年度沖永賞の授賞式があり、わたくしも出席してきました。

https://www.rodorc.or.jp/recognize

受賞作は以下の3著書、1論文ですが、

Job_20250313200501 『ジョブ・クラフティングのマネジメント』 

    (著者)森永 雄太(上智大学経済学部教授)
    (発行所) 千倉書房

Chingin賃金の日本史-仕事と暮らしの一五〇〇年』 

    (著者) 高島 正憲(関西学院大学経済学部准教授)
    (発行所)吉川弘文館

Josei_20250313200601日本の女性のキャリア形成と家族

         雇用慣行・賃金格差・出産子育て 』 

    (著者) 永瀬 伸子(お茶の水女子大学基幹研究院教授)      
    (発行所) 勁草書房

Hihara労働におけるハラスメントの法的規律

  ―セクシュアル・ハラスメント、差別的ハラスメント及び

  「パワー・ハラスメント」に関する日仏カナダ比較法研究』 

    (著者) 日原 雪恵(山形大学人文社会科学部専任講師)    

    (掲載誌)法学協会雑誌 140巻1号1頁、3号347頁、5号547頁、7号829頁、9号1193頁、

         11号1463頁、141巻1・2号1頁(2023年1月~2024年1月)

永瀬さんの本はお送りいただいたときにここでご紹介していますし、日原さんの論文は法学協会雑誌連載時から読んでいました。お二人は以前からよく存じ上げています。

それに対して初めのお二人はこれまでお目にかかる機会はなかったのですが、じつは『賃金の日本史』の高島さんとは、ある一点で接点があったのです。

それは、「ちんぎん」の「ぎん」の字は、「金」か「銀」かという、まことにトリビアな、世間の普通の人はあんまり関心を持たないようなトピックに関心を持って、わざわざそういう文章を書いたりする奇特な人間同士であるという点だったんです。

賃金と賃銀

53c6df442fe541b49827497a70ce8134 『賃金の日本史』を書かれた高島正憲さんが、歴史書の老舗吉川弘文館のPR誌『本郷』の2023年11月号に「「賃銀」から「賃金」へ」というエッセイを寄稿されていたことに気がつきました。noteに載ったからですが。そこに、私の書いた小論が引用されていました。

「賃銀」から「賃金」へ 高島正憲

 そもそも、我われがあたりまえのように日常のなかで使っている「賃金」という言葉はいつから日本で広まりだしたのであろうか。書籍や論文、雑誌記事、ウェブなどいろいろと調べていると、やはりというか、なぜ「賃銀」ではなくて「賃金」なのかと同じような疑問を考えている人は多いようである。

 濱口桂一郎「賃銀と賃金」(『労基旬報』二〇二二年六月二五日号)では、「賃金」という表記は戦前から存在しており、特に法令上はその表記の方が多かったとして、法制史上の事例の考察と、そこから導き出される「賃銀」から「賃金」への移行についての仮説が紹介されている。たとえば、 一九三九年に公布された労働賃金を抑制する賃金統制令や賃金臨時措置令は、法令名そのものがまさに「賃金」であるし、それら法令は一九三八年の国家総動員法にもとづいたものだが、その本文にも「賃金其ノ他ノ従業条件」(第六条)という表記が確認される。また、法令上で「賃金」をさかのぼることができるのは一九一六年の工場法施行令で、条文中に「賃金」という表記が二〇箇所以降も確認することができ、それより五年前の一九一一年に公布された肝心の工場法には「賃金」が見当たらないことも指摘されている。

 よく知られているように、労働者保護の法令を作成する機運は、工場法制定に先立つこと数十年前の明治期半ばよりあったが、企業・財界よりの反対や政府の調整不足などで法案が作成・提出されるも長い間制定にはいたらなかった。それらの草案では「賃銀」や「賃銭」の表記となっていたが、他方、民法ではすでに「賃金」という表記がされており、またその定義するところも家賃、債権、雇人の給料など複数の意味で書かれるなど、用語としてはやや混乱した状況であったようである。その後、工場法の制定・施行過程で(意味が異なるとはいえ)民法に明記された「賃金」の表記が使われるようになり、やがて戦時下の統制関係の法令によって「賃金」の使用が確立した、という仮説となっている。

私の小論は、せいぜい明治以降の労働関係法令用語や社会政策学者の本くらいまでしか論じていませんが、古代からの賃金史を書かれた高島さんらしく、ここから話はさらに拡大し、明治初期から江戸時代までいろんな用例を紹介されています。

と、中世にまで遡ったあとに、最後のオチとして、21世紀になっても岩波文庫のマルクスの本は『賃銀・価格および利潤』(長谷部文雄訳) であるという話で締めくくっています。

1708078048670ynakg5pmc2 なお、改めていうまでもありませんが、高島さんの『賃金の日本史』は傑作です。是非ご一読を。

というわけで、本日は初めて高島正憲さんにお目にかかり、ちょっと変わった「賃金」論者同士としてご挨拶をさせていただきました。

それで本日のやることは終わりかな、あとはのんびり、と思ったら、そこに飛び込んできたのは・・・・・

 

 

永野仁美・長谷川珠子・富永晃一・石﨑由希子『詳説 障害者雇用促進法・障害者総合支援法』

77eb6295d62848159a62ae07c8e7b766 永野仁美・長谷川珠子・富永晃一・石﨑由希子『詳説 障害者雇用促進法・障害者総合支援法 多様性社会の就労ルールをひもとく』(弘文堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.koubundou.co.jp/book/b10108037.html

平成25年の大改正以降、〈障害者差別禁止〉と〈合理的配慮提供義務〉を軸として事業者に対して実効的な対応を義務づけ、障害者雇用の一層の前進を図っている障害者雇用促進法。そして、障害のある人が基本的人権のある個人としての尊厳にふさわしい日常生活や社会生活を営むことができるよう、必要となる福祉サービスにかかわる給付・地域生活支援事業などの支援を定める障害者総合支援法――。障害のある人の社会参画にとって「はたらく」ということは大きな位置を占めるものです。そこで本書は、まさに多様性社会の基本法をなすと言っても過言ではないこの2法の条文に則した解説を両輪としつつ、障害者権利条約、障害者基本法、障害者差別解消法といった関連諸法をも含めて体系的に整理・解説。当分野第一線の研究者らによる決定版です。

この四人のうち永野、長谷川、富永の3人は、以前に『詳説 障害者雇用促進法』を同じ版元から出していますが、

永野仁美・長谷川珠子・富永晃一編著『詳説 障害者雇用促進法』

永野・長谷川・富永編『詳説 障害者雇用促進法 <増補補正版>』

今回は、同じくらいの厚さの本の中で障害者雇用促進法は全体の約4割ほどに縮められていて、残りは主として福祉就労系の法令の解説になっています。

確かに、障害者の「はたらく」は、雇用労働と福祉就労にまたがっていて、両方を睨みながらでないと全体像が見えてこないところがあるので、本書のようなアプローチは重要だと思います。

一方で、雇用労働のところが縮んだために、いささかそそくさと簡述されている感が強まり、せっかく広い観点から書いているんだから、もちっと突っ込んでよ、という感想も持ちました。たとえば、2019年改正のもとになった国、地方自治体等の障害者雇用水増し問題も、単にけしからんというだけではなく、障害者の範囲が変わったきたことなど、制度の複雑な絡まり合いが背景にあるわけです。でも、そういうことを言い出すとどんどん膨れ上がってきて,本が分厚くなって売れるものでなくなるのでしょうね。

障害者雇用法制のすぐ先の延長線上にありながらあまり労働法界隈で注目されない障害者虐待防止法や障害者優先調達推進法がちゃんと詳しく紹介されているのは,本書の大きなメリットの一つだと思います。

第1部 障害者に関する法制度のあゆみ
 第1章 第2次世界大戦~1950年代:傷痍軍人から身体障害者へ
 第2章 1960年代:身体障害者雇用促進法と精神薄弱者福祉法の制定
 第3章 1970年代:雇用義務制度の確立と福祉工場の設立
 第4章 1980年代:対象となる障害者の拡大
 第5章 1990年代:障害者基本法の制定
 第6章 2000年代:多様な働き方への対応・障害者自立支援法の制定
 第7章 2010年代:障害者差別禁止・合理的配慮規定の導入
 第8章 2020年代:雇用と福祉のさらなる連携強化
第2部 障害者雇用促進法
 第1章 総則
 第2章 職業リハビリテーション
 第3章 差別禁止と合理的配慮
 第4章 雇用義務制度
第3部 障害者総合支援法
 第1章 総則
 第2章 支給決定の仕組み
 第3章 給付内容:訓練等給付を中心に
 第4章 障害福祉サービスの適切な提供
第4部 その他の関連諸法
 第1章 障害者権利条約
 第2章 障害者基本法
 第3章 障害者差別解消法
 第4章 障害者虐待防止法
 第5章 障害者優先調達推進法
第5部 その他の関連諸法
 第1章 就労支援法制
 第2章 労働関係法制
 第3章 所得保障法制

 

 

 

 

 

2025年3月12日 (水)

上林陽治・立教大学上林ゼミナール編著『大学生が伝えたい 非正規公務員の真実』

658633 上林陽治・立教大学上林ゼミナール編著『大学生が伝えたい 非正規公務員の真実』(明石書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.akashi.co.jp/book/b658633.html

教員・図書館職員・相談員など、日本の市区町村の非正規公務員割合が4割を超え、ワーキングプア化する中、この問題の第一人者である著者が、所属大学のゼミ生とともに現場取材を重ね、問題の解決に向けて考える。第一線のジャーナリストによる寄稿も収載。

非正規公務員問題を世に問い続けてきた上林陽治さんが、立教大学でゼミ生を募集する際に

「非正規公務員問題は日本の抱える問題の中でも最重要のものの一つと言われています。ゼミ生は『報道記者』担ったつもりで、この非正規公務員問題を調査し、当事者にインタビューし,報道するという過程を経験していただきます」

と募集し、これに応じて参加した20歳そこそこの大学二年生たちが、児童相談所、教育現場、公共図書館、ハローワークの現場に出向いて非正規公務員の人達から話を聞き、そして区役所の相談コーナーの非正規相談員で自殺した方の関係者を取材するなどしてまとめ上げた本です。ゼミの活動記録であるとともに、現代日本の断面図を若者たちが協力して描きだした記録になっています。

プロローグ:「書くという行為」について
はじめに

第1章 児童相談所――児童虐待に挑む現場第一線は非正規公務員[守田優也]
 非正規公務員に支えられる公共サービス
 児童相談所のリアル
 ジョブ・ローテーションと非正規依存の児童相談所
 虐待のおそれのある家庭を見守るという現場
 今後の日本を支える福祉に求めるもの
 指導教員から一言

第2章 教員の質が担保されない教育現場[櫻井晴菜]
 臨時的任用教員の実態
 初任者研修
 襲来する教員不足時代
 教育現場がブラックな背景
 おわりに:『「教員不足」への対応等について』の考察
 指導教員から一言

第3章 公共図書館の非正規公務員[佐藤千花]
 脅かされる非正規図書館員の雇用
 選ばれて非正規化した図書館
 見過ごされるやりがい搾取
 図書館は民主主義の砦
 現場の生の声から学ぶ
 指導教員から一言

第4章 女性を支える女性の非正規公務員──女性相談支援員、男女共同参画センターコーディネーター[上林陽治]
 困難を抱える人をおいて、逃げない
 女性相談支援員の置かれた状況
 PSMと処遇のアンバランス
 男女共同参画センターコーディネーターの場合
 軽んじられる男女共同参画事業
 専門性を蔑ろにする男女共同参画行政/寅子の叫びはいまも響く

 コラム1 スクールカウンセラー大量雇止めから考える公共サービスの崩落[藤田和恵]

第5章 ハローワーク相談員 声をあげる非正規公務員当事者たち──雇止めされる恐怖に抗して[秋田谷和哉]
 ハローワークの中の人の試練
 雇止めハラスメント
 現状変化を求め市民運動団体を創設
 指導教員から一言

第6章 ある相談支援員の自死から考える[山田優月]
 非正規公務員であった1人の女性の生涯
 裁判では聞き入れられなかった両親の主張
 非正規公務員のハラスメントの実態
 専門職として働く非正規公務員が有期雇用であることの弊害
 人権侵害
 指導教員から一言

 コラム2 非正規公務員問題とマスコミ[畑間香織]

 特別寄稿 地方紙で非正規公務員問題を追いかける[竹次稔]

結びに代えて
エピローグ:「世間」ではなく「社会」にむけて発信する

 

 

 

 

 

2025年3月11日 (火)

公務員法は78年前に純粋ジョブ型で作られたはずなんだが(1年だけ変えて再掲)

T3fet3rh_400x400 『労働新聞』にジョブ型の正しい解説を連載されている弁護士リチャードソンこと伊山正和さんが、こんなつぶやきを

職務給という仕組みは、ついに厚労省が「手引き」を公式に発行するまでのものとなりましたですな。 まあ、いろいろと申し上げたいところはございますが、ならば国家公務員の俸給表はなくなるのでありましょうか、というところかと存じます。

まあ、この「手引き」なる文書の出来不出来はあえて(武士の情けで)論じませんが、国家公務員の俸給表について申しますならば、それはもともと純粋ジョブ型だったんですよ。

公務員法は77年前に純粋ジョブ型で作られたはずなんだが・・・

でもなまじ公務員法制の歴史をちょっとでも知っていると、今頃になって「ジョブ型拡大」などという台詞の皮肉さがじわじわと感じられてしまうはずです。

なぜなら、今から77年前、1947年に国家公務員法が制定された時には、それはアメリカ直輸入の純粋ジョブ型の制度として設けられたものだったからです。詳細なジョブディスクリプションを作成し、ジョブに基づいてのみ採用することができ、ジョブに基づいてのみ給与を支払うことができると明記していたはずの国家公務員法が、それとは全く正反対の純粋メンバーシップ型で運用されるに至ってきたこと自体が、日本における法律と現実の乖離のもっとも典型的な実例であるわけで、その国家公務員法の担い手の人事院が70年ぶりにジョブ型なんて言い出しているということ自体、これ以上ない皮肉を感じないわけにはいかないはずですが、でもそもそもそんな歴史的経緯をわきまえている人自体がほとんど絶無に等しく、こういうことを言っても何を言ってるんだろうとぽかんとされるだけなのでしょうね、たぶん。

この問題については、2年前に『試験と研修』という雑誌に寄稿した「公務員とジョブ型のねじれにねじれた関係」が、わりとコンパクトにまとめているので、ご参考までに改めて掲載しておきます。

公務員とジョブ型のねじれにねじれた関係

1 純粋ジョブ型で作られた(はずの)公務員制度
 
 本稿の執筆依頼には「ジョブ型雇用を日本、特に公務に導入する際の課題」云々という表現があった。現代日本の公務員の世界がほぼ完全なメンバーシップ型で動いており、ジョブ型とは対極的な有り様であるというのは、誰もが同意する判断であろう。それゆえ、かくも対極的な「ジョブ型」を日本の公務員制度に導入するにはどうしたらいいのか、というのが最大の問いになるのも、これまた極めて常識的な認識と言えよう。さはさりながら、普通に公務員として日々働いているだけの者であれば格別、その職務上公務員制度に関わりを持つ者であれば、そこになにがしかのわだかまりを感じるはずである。いや感じてくれなければ困る。なぜなら、日本国の国家公務員法は今から75年前に、アメリカ直輸入の純粋ジョブ型の制度として作られたものだからだ。そして、2007年改正で条文として消えるまでの60年間、国家公務員法は(少なくともその条文上は)職階制というジョブ型の見本のような仕組みを中核とし、それに基づく任用制度と給与制度によって組み立てられてい(ることになってい)たはずだからだ。実際の運用とは真逆の看板を掲げ続ける後ろめたさからは解放されたとはいえ、現在の国家公務員法の基本構造はなお生誕時のジョブ型の母斑を残している。公務員制度とジョブ型雇用というテーマは、今なおねじれにねじれたものであり続けているのである。
 釈迦に説法の感もあるが、職階制とは何だったのか振り返っておこう。これは、幣原内閣の大蔵大臣であった渋沢敬三(栄一の孫)が招聘したフーバー率いる対日米国人事行政顧問団の指示によって国家公務員制度の中核として規定されたものであり、一義的には官職を分類整理し、格付することである。しかしそれで終わりではなく、それのみを「任用の資格要件」と「俸給支給の基準」としなければならないということが重要である。つまり、ある官職にいかなる人を就けるのか、そしてその者にいかなる給与を払うのかという、人事管理の2大根本事項を、分類整理され格付された職種と等級に基づくものにしなければならないのである。まさに、ヒト基準ではなくジョブ基準の人事管理を大原則として規定しているのが職階制なのだ。
 占領下ではこれに基づき職階法が制定され、さらに上級官職をジョブ型任用するためにS-1試験が遂行され、約4分の1の幹部職員が職を追われたという。こうしたことから職階制は他省庁から猛反発を受け、占領の終了とともに人事院が懸命に作成していた膨大な職級明細書はほぼ空洞化し、職階制は名存実亡の状態となった。では職階制に基づいて作られるはずの任用制度と給与制度はどうなったのか。
 1952年に人事院規則6-2(職員の任免)が制定され、人事院はその理念を「国家公務員法における任用とは官職の欠員補充の方法である。すなわち官職への任用であり、職員に特定の職務と責任を与えることであつて、職員に或る身分若しくは地位を与えることではない」と述べた。実際、同規則の規定ぶりはそうなっていたが、同規則第81条以下(経過規定)は、職階制が実施される日までは従前通りとし、そして職階制は永遠に実施されなかった。以来日本国においては、この当座の間に合わせの任用制度によって、「職員に或る身分若しくは地位を与えることであつて職員に特定の職務と責任を与えることではない」という純粋メンバーシップ型の運用がまかり通ってきたのである。
 一方給与制度は、1948年に「政府職員の新給与実施に関する法律第十四条に基づく職務による級別区分の基準」が設けられたが、この職務分類は「職務」を分類しておらず、最下級の1級職から最上級の15級職まで等級を分類しているだけであった。1948年改正国家公務員法はこの「職務分類」を国家公務員法の職階制規定に基づく計画と見なしたが、それは暫定的な措置であり、本来の職階制が実施されれば効力を失うはずであったが、その日は永遠に来なかった。正確に言えば、同法は期限切れで失効したが、それに代わって1950年4月に制定された一般職の職員の給与に関する法律が15級の職務分類の根拠規定を引き続き設けた。これも職階制が実施されるまでの暫定措置であり、そのことは同法第1条第3項に明記されていたが、やはりその日は永遠に来なかった。国家公務員法上には、職階制に適合した給与準則を制定し、これに基づくことなしにはいかなる給与も支払ってはならないと明記してあるにもかかわらず、給与準則が制定されることはなかった。そしてその結果、職務分類とはせいぜい給与法の別表に掲げる俸給表の違いでしかなくなってしまった。法律上は徹底したジョブ型給与制度を明記しながら、縦の等級区分は15級もあるのに、横の職務区分は一般のほかは税務、公安、船員しかないという、およそジョブ感覚の欠如したシステムが長年継続できた手品の種はここにある。

 

安周永『転換期の労働政治』

Normal_ed89cb2431674e9a8ba6da8116532ec6 安周永『転換期の労働政治 多様化する就労形態と日韓労働組合の戦略』(ナカニシヤ出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.nakanishiya.co.jp/book/b10132265.html

類似した状況の下で労働市場改革が進められてきた日韓両国。しかしその帰結は大きく異なるものであった。この違いはなぜ生じたのか。就労形態の多様化と不安定労働者の増加のなかで、労働組合はどのように労働者を代表し、利益を実現するべきか。

この著者の本は,以前『日韓企業主義的雇用政策の分岐』(ミネルヴァ書房)を大原雑誌で書評したことがあります。

https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/659-660-10.pdf

そのとき、「雇用政策や労働法の研究者が本書を読むと,その政治学的分析の是非巧拙よりも,素材たる雇用政策や労働法に対する認識にいくつかの疑問を持つ可能性があるからである。いや正直に言えば,評者が本書を通読した際に時折つまずいたのは,まさにそのような諸点であった」と述べたのですが、今回もいくつかの点で似たような感想を持ちました。

序章 労働政治の変容と日韓の相違点
  第1節 深刻化する企業主義的労働市場の問題
  第2節 日韓労働政策の改革
  第3節 労働組合と労働政治
  第4節 本書の構成

第1章 制度変化と労働組合の戦略
  第1節 制度変化の圧力
  第2節 新制度論の視点と争点
  第3節 制度変化に着目したアプローチとその問題点
  第4節 転換期における労働組合の戦略

第2章 日韓労働組合の歴史と戦略
  第1節 日韓労働組合の前史
  第2節 労働政策過程の特徴と変化
  第3節 労働組合の戦略と日韓の違い

第3章 企業別労使関係の慣行と労働者代表性の課題
  第1節 労働時間規制の変化と労働者代表問題
  第2節 労働時間短縮の歴史と契機
  第3節 時間外労働規制の政治過程と問題点
  第4節 労働者代表としての労働組合の課題

第4章 労働組合の戦略Ⅰ 不安定労働者の包摂
  第1節 プラットフォーム経済と新しい就労形態
  第2節 プラットフォーム就労者の保護政策
  第3節 労働組合の取り組み─ヨーロッパと日本
  第4節 労働組合の取り組み─韓国
  第5節 新しい働き方と労働組合の戦略

第5章 労働組合の戦略Ⅱ 政党と社会運動団体との提携
  第1節 日韓リベラル政党の浮沈と相違点
  第2節 民主党の失敗と日本の社会運動
  第3節 リベラル政党と政党対立軸の変化
  第4節 社会運動と労働運動との関係
  第5節 リベラル政党再生の道標

第6章 労働組合の戦略Ⅲ インサイダー・アウトサイダー戦略
  第1節 日韓働き方改革の類似点と相違点
  第2節 働き方改革をめぐる審議会での攻防
  第3節 働き方改革をめぐる国会での攻防
  第4節 アウトサイダー戦略の意義と限界

第7章 労働政治のダイナミズムと最低賃金の変遷
  第1節 最低賃金の政治化と韓国の変化
  第2節 最低賃金をめぐる労働組合の戦略
  第3節 最低賃金引き上げをめぐる攻防
  第4節 最低賃金をめぐる今後の論点

第8章 新たな労働運動の可能性
  第1節 組織転換と学校非正規労働者の組織化
  第2節 学校非正規労働者の特徴と待遇改善
  第3節 学校非正規労働者をとりまく環境要因
  第4節 非正規労働者の戦略的取り組み
  第5節 不安定労働者の組織化の可能性

終章 労働組合と民主主義の活性化に向けて
  第1節 日韓労働政治の分岐
  第2節 労働組合の課題と労働政治のこれから
  第3節 民主主義の危機と労働政治の役割

ただ今回は、労働政策へのアプローチの違いの根っこにある日韓労働組合の歴史の違いに遡って論じています。インサイダー戦略にせよ、アウトサイダー戦略にせよ、ゲームで自由に選べるわけではなく、それまでの歴史と経緯によって否応なく縛られてしまう面がある以上、そこを無視することはできません。一方で、韓国の労働組合が例えばプラットフォーム労働といった新たな課題に対して、より縛られずに積極的に行動できるというメリットを存分に振るっていることも第4章から浮かび上がってきます。

 

 

 

2025年3月 9日 (日)

連合会長 自民党大会で挨拶

B9aa40ca51b31fd66b14238b34e3ddcc_1 本日、連合の芳野友子会長が自民党大会に出席してあいさつをしたことはニュースになっていますが、連合のサイトにはそのあいさつ文が載っています。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/file_download.php?id=8320

 皆さま、こんにちは。連合会長の芳野でございます。本日は、立党70 年の記念すべき歴史ある党大会へお招きいただきありがとうございます。本日のご盛会を心よりお慶び申し上げます。
 連合会長が御党の大会に参加することで、内外から様々な意見が出ていることは承知の上で、本日は参加させていただきました。顧みますと、2003年に当時の笹森会長が、連合会長として初めて党大会に参加させていただきました。
 それから20 年が経過しましたが、この間、自民党の皆さまにも政府予算や各種政策について、連合はもとより産業別労働組合や企業別労働組合も適宜要請をさせていただいてきました。政治的な立ち位置の違いはありますが、対話を通じた相互理解は重要であると存じます。
 また、世界が大きく動いている中にあって、日本だけが一人負けしている場合ではありません。このように、経営者の代表と労働組合の代表が肩を並べて御党の大会に出席している意味は、政労使がともに政策を協議し、協力し合って国内外の問題を解決していかなければならないという姿勢の表れと受け取っていただきたいと存じます。その点からも、本日、お招きをいただきましたことに、重ねて御礼申し上げます。・・・

いままで、支持政党の二党のうち、立憲民主党に対しては共産との関係で厳しい姿勢を示す一方、国民民主党に対しては政策的にあまり文句を言ってこなかった感じだったのですが、ここにきて国民民主党が選挙で躍進しすぎていささか錯乱気味になり、そもそも労働組合の支持の上に成り立っている政党であることを忘れたかのような幹部のおかしな言動が目に余るようになってきたので、「別にあんたらでなくたっていいんだよ、自民党の方が言うことを聞いてくれるんなら」とくぎを刺すという意味もあるのかもしれません。

 

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