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2026年10月 7日 (水)

山崎憲『AI時代の労働・協働・公共性』

680724 山崎憲『AI時代の労働・協働・公共性 人間は何のために働き、生きるのか』(明石書店)をお送りいただきました。

https://www.akashi.co.jp/book/b680724.html

「AIは仕事を奪うのか」という問いを超えて、社会思想史を辿って労働の観念を問い直し、新たな時代の働き方・生き方を探る。人が人とつながり何かを一緒につくる関係まで企業が測定し所有する時代に、人間が働くこと、その先にあるものを考える必読の一冊。

メインタイトルを見ると、AI時代の労働の在り方を論じたアクチュアルな本という印象を受けますが、読み進んでいくとむしろ、副題の哲学的な問いが繰り返し出てきて、なんというか、労働に関わるあれやこれやは哲学的な問いのための素材として使われているようにも見えます。

なので、この本は恐らく読者を選びます。人によっては、そういう変に哲学的な問いが繰り返されること自体を「うざい」と感じて、途中でそっと閉じてしまいたくなる人もいるかも知れません。

でも「あとがき」を読むと、山崎さんはまさにそういう哲学的な議論がしたくてこの本を書いているのであって、トレードが解体してジョブが成立したとか、会社荘園制がどうしたとか、そういうここの議論を突き詰めたくてこの本を書いているのではないのです。

プロローグ AIは仕事を奪うのではない
 第1節 協働がスコアになる
  業務インフラはいつセンサーになったのか
  成果ではなく「つながり」が測られる
  見えない協働はなぜ放置できなくなったのか
  「なんのために生きるのか」の喪失
 第2節 「労働」「仕事」「活動」と、人間の条件からの逃避
  労働・仕事・活動は何を区別するのか
  公共空間は場所ではなく関係である
  協働の測定は「活動」を「労働」へ落とす
  臣民化と超越という二つの逃避
 第3節 疎外されない労働はありうるか
  疎外は消えず、対象を変えた
  奪われるのは仕事より交渉である
  協働の公共性とは何か
  本書の問いと論証の道筋

第1章 協働はどのように考えられてきたか
 第1節 協働を公共として考える系譜
  なぜ協働を公共として考えるのか
  市民的友愛は何を支えたのか
  複数性と「現れの空間」
  公共は対立を持続可能にする
 第2節 協働を制度として考える系譜
  市場以前、協働はどこに埋め込まれていたか
  脱埋め込みは自由と孤立を同時に生む
  取引と継続体という見方
  共有資源の統治から〈共〉の生産へ
  協働はなぜ有限な共有財なのか

第2章 市民は登場し、しかし工場労働は置き去りにされた
 第1節 所有を持つ市民という出発点
  自分の身体は自分のものである
  労働は所有の根拠になった
  契約は身分からの解放であった
  市民像に埋め込まれた所有者の影
 第2節 革命と権利の承認は誰を市民にしたのか
  宣言は人を権利主体として作った
  普遍を掲げながら、誰が排除されたか
  自由と平等の間にある友愛
  権利の承認と価値の承認を区別する
 第3節 工場労働はなぜヒューマニズムの外に置かれたのか
  同感は市場社会を支えられるか
  分業は豊かさと能力の萎縮を同時に生む
  請負から雇用へ――過程の支配権が移る
  労働力の売買は何を移転するのか
  市民は工場の門前で止まった
 第4節 近代の文法はなぜ管理社会と親和するのか
  契約化された個人はデータ単位になる
  分業はタスク化へ進む
  自律は自己管理へ変わる
  価値の評価が権利に入り込む

第3章 近代をどう捉えるか――産業主義と思想
 第1節 産業主義は世界をどう作り変えたか――収斂のロジック
  産業社会は共通の制度を必要とする
  「ルールの網」
  収斂は西欧化を意味するのか
 第2節 自律・承認・疎外――ドイツ観念論からマルクスへ
  自律――意志が自らに法則を与える
  承認――自由は他者との関係で現実になる
  疎外――労働の成果と活動が自分から離れる
 第3節 経済と歴史をどう捉えるか――歴史学派・カー・プラグマティズム
  経済は歴史の中で作られる
  歴史は現在と過去の対話である
  利害の調和
  行為の中で知り、制度を変える
 第4節 ウェーバー――神・天職・脱魔術化
  天職は仕事にどのような意味を与えたか
  禁欲は蓄積と規律を生んだ
  脱魔術化は意味を消し、手続きを残す
  鉄の檻からスコアの檻へ
 第5節 自律=観照か、複数性=活動か――決定不能という蝶番
  判断するために距離を取る
  活動は他者の前に現れる
  参加と距離を往復する
  決定不能を制度の問題へ送る
 第6節 AIは近代の自由と規律をどう組み替えるか
  自律が自己管理へ変わる
  承認が評価へ置き換わる
  協働が外部の力として戻る

第4章 トレードの解体とジョブの成立――協働はなぜ共有財なのか
 第1節 トレードとは何だったか――交渉される自治的労働
  トレードは技能と身分の共同体だった
  職務境界は何を守ったのか
  ジョブ・コントロール・ユニオニズム
  自治は誰を排除したか
 第2節 ジョブはどう成立したか――管理可能な職務への解体
  請負の解体と直接雇用
  雇用官僚制と内部労働市場
  ジョブは防御壁でもあった
  職務境界の解体と柔軟な配置
  エンプロイアビリティは誰の責任か
 第3節 取引と継続体としての組織
  分析単位を商品から取引へ移す
  交渉取引――拒否できる関係
  管理取引――命令と服従の秩序
  割当取引――集団がルールを決める
  ゴーイング・コンサーンとワーキング・ルール
  将来価値と労働の所有権移転
 第4節 行為の中で知る――制度の改変可能性
  習慣は制度を支え、制度は習慣を作る
  産業の論理と営利の論理
  問題から公共が生まれる
  制度は共同探究で改変できる
 第5節 交渉の不在化――本書の中心概念
  交渉の不在化とは何か
  誰が条件を変更できるのか
  三つの取引から見た交渉の不在化
 第6節 協働はなぜ有限な共有財なのか
  技能は個人にも企業にも帰属しない
  信頼と注意は使えば減る
  企業は果実を得るが、再生産費用は誰が負うか
  尊重された個人の協働か、統制を滑らかにする協働か

第5章 協働の功利的利用――金融資本主義の暴走と「王としての企業」
 第1節 金融資本主義の暴走と「資本をどう制御するか」
  企業はいつ私的政府になったのか
  所有と支配の分離
  秩序の危機としての労働争議
 第2節 独裁・革命・ニューディール――三つの応答
  自由放任はなぜ維持できなかったのか
  独裁――統一の名による対立の封鎖
  革命――所有関係の転覆
  ニューディール――対立の制度化
  ウィスコンシン学派と合理的価値
 第3節 科学的管理法はどう取り込まれたか
  組織的怠業と熟練の防御
  時間研究と知識の移転
  精神革命と交渉の後退
 第4節 会社荘園制とウェルフェア・キャピタリズム
  企業福祉と労使関係の内部化
  温情の制度化と雇用官僚制
  「近代の荘園」と協働の囲い込み
 第5節 メイヨーのエリート主義とリッカートの参加
  企業共同体の理想と人間関係論
  自己実現の理想と企業目的
  戦時動員と行動科学の巨大化
  参加型管理と協働の資源化

第6章 協働の発見と反転――心理を治める道具
 第1節 協働システムとしての組織
  協働としての組織
  誘因と貢献の均衡
  権威の受容と無関心圏
  組織存続のための協働
 第2節 発見はなぜ心理の管理へ反転したか
  所属感の生産性変数化
  所属感の測定と交渉の後退
  企業文化と規範的統制
 第3節 労働過程はどう支配されたか
  構想と実行の分離
  脱熟練化論の限界
  知識労働と協働の中で生まれる知識
 第4節 戦略と制度はなぜ協働を見えなくしたか
  企業境界と価値連鎖
  取引費用と階層統治
  組織能力と協働の資産化
  実践知と権利の空白
 第5節 批判はどこへ潜ったか
  制度構想から組織内部の批判へ
  管理の中立性への批判
  職場の公共性と独立した発言
  批判と制度の分離

第7章 協働はなぜ日本で公共概念にならなかったのか
 第1節 経営側が作った協働の制度
  保護から始まった協働
  福利・能率・調停の結合
  企業内交渉の制度化
  職場集団と心の組織化
  企業の外へつながる回路の細さ
  企業目的の内側に作られた協働
 第2節 批判的社会科学はなぜ協働へ向かわなかったのか
  国家と階級へ向かった批判
  生活と交渉を守る社会政策
  管理と交渉をつなぐ細い道
  労働研究から離れた主体性
  熟練と知識の企業能力化
  権限・所有・内面の分離
 第3節 協働を分けた学問領域
  経営と労働を一つに考える試み
  人間問題から人材管理へ
  協力の条件として測られる心
  仕事から離れる条件の個人化
  分かれた知識を結び直す場
 第4節 会社の内側に集められた承認
  会社身分制が配ったもの
  保護と協力の交換
  〈一人前〉から向上主義へ
  価値を示す場としての協働
  会社の外にあった協同の道
  制度の歴史が作った空白

第8章 AI管理社会――人間の条件の収奪と交渉の回復
 第1節 行動科学管理は何をAIへ渡したのか
  人間の条件と管理
  交渉取引・管理取引・割当取引
  管理知識の蓄積とAIによる統合
 第2節 AIによる協働の観察・配分・評価
  タスク化とプロセス管理
  協働のセンサーとしての業務インフラ
  組織ネットワーク診断と企業の視界
  動的プロフィールによる採用・配置・学習
  年次評価から連続的介入へ
 第3節 AI管理による人間の条件の収奪
  労働の内部に組み込まれた活動
  発言・関係・判断の企業資産化
  「活動」の「労働」化
  判断権の集中
  義務なき荘園
  協働の有限性と企業外の公共空間
 第4節 交渉の回復
  所有制度の変更と残る管理問題
  割当取引による管理限界の設定
  交渉取引による設計参加
  視界・判断権・異議申立ての共有
  三つの取引による協働統治
  「労働」内部の「活動」と公共空間
  コモン論の限界と交渉の公共性

終章 協働を公共へ返す
  協働の囲い込み
  労働を「仕事」と「活動」へ開く
  共同体幻想を超えて
  権利と交渉による多元的秩序
  有限な人間が問い続ける公共
  公共の継承

 あとがき
 参考文献

 

 

 

谷口明丈編『企業はどのように人を育ててきたか』

156bddb1704e4edfab2cf58eb6dc003f 谷口明丈編『企業はどのように人を育ててきたか——GE・日立・ジーメンスにおける人的資本の形成』(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.yuhikaku.co.jp/book/b10193585.html

GE・日立・ジーメンスを比較し,創業期から21世紀初頭までの人材育成制度の変遷を検証。技能労働者から経営幹部まで,教育制度はいかに戦略と結びつき,人的資本を競争優位へと転化させたのかを解明する。

GE,日立、ジーメンスという3社かける戦前、戦後、近年という3時期で計9章からなる比較経営史ということです。

序 章 課題とパースペクティブ(谷口明丈)
第1部 創業・発展期におけるエンジニアと熟練労働者──現場を担う人びとをどう育てたか
 第1章 ジーメンスにおける体系的企業内教育の形成──デュアル・システムの歴史的展開(田中洋子)
 第2章 GEにおけるエンジニアと熟練労働者の育成──テスト・コースと工場徒弟制を中心に(谷口明丈)
 第3章 日立製作所におけるものづくり人材の形成(菅山真次)
第2部 総合電機時代における管理者(マネジャー)──組織を担う人びとをどう育てたか
 第4章 GEにおけるマネジャー教育の改革とクロトンビル経営研修所の設立(宮田憲一)
 第5章 日立製作所における経営者教育の確立──経営研修所設立前後を中心に(長谷部弘道)
 第6章 ジーメンスのエンジニア・事務職員に対する教育訓練システム(石塚史樹)
第3部 「選択と集中」期における経営幹部(エグゼクティブ)──戦略を担う人びとをどう育てたか
 第7章 GEにおけるオフィサー養成の転換とクロトンビル経営研修所の改革(宮田憲一)
 第8章 「日立マン」から「グローバルリーダー」へ──日立総合経営研修所の変化を中心に(長谷部弘道)
 第9章 ジーメンスにおける経営者能力の養成システム(石塚史樹)
 終 章 総括とインプリケーション(谷口明丈)

ジーメンスが想像以上に「メンバーシップ型」であるというのが恐らく多くの読者に印象づけられる事実ではないでしょうか。

第9章に、ローラント・ブッシュ社長の履歴が載っていますが、

エアランゲン・ニュリンベルク大学及びグルノーブル大学で物理学を専攻し、博士号を取得して、

1994年に本社の中央R&D部門のプロジェクト長として職歴を開始し、

1995年本社の燃料電池技術のスペシャリスト職、

1997年上記に加え本社自動車技術事業部における戦略計画担当の事業部取締役アシスタント、

1998年本社スタッフ部門の中央品質管理、社内コンサルティング、情報マネジメントの長、

2001年本社スタッフ部門の戦略・社内コンサルティングの長、上記役職にあってジーメンスがM&Aした企業をSiemense VDO Automoteveとして統合

2002年子会社Siemense VDO Automoteveのインフォテインメント事業分野の長

2005年上記子会社のアジア太平洋部門の代表及びCEO

2007年本社の輸送システム事業部の大量輸送事業分野の長

2008年本社のスタッフ部門の企業戦略・コーポレートディベロプメントの長

2011年ジーメンスの取締役に任命

2019年ジーメンス副社長及び労働重役に任命

2020年加えてデジタル事業、スマート・インフラストラクチャー&モビリティ事業の最高責任担当

2021年ジーメンス社長に任命

最初こそ技術屋的なポストですが、その後はまことに何でもありのジョブ・ローテーションでゼネラリスト的人事経路ですね。

 

 

2026年10月 5日 (月)

EUクオリティ・ジョブ法第2次協議に対する労使団体の反応

去る7月20日に行われたクオリティ・ジョブ法に関する欧州委員会の労使団体に対する第2次協議に対して、欧州労連(ETUC)と欧州経団連(ビジネス・ヨーロッパ)がそれぞれけっこう膨大な意見書を公表しています。

ETUC Reply to Second-phase consultation of social partners under Article 154 TFEU on possible EU action to improve working conditions, health and safety at work and implementation of workers’ rights – Quality Jobs Act

BusinessEurope’s response to second-phase consultation of social partners under Article 154 TFEU on possible EU action to improve working conditions, health and safety at work and implementation of workers’ rights – Quality Jobs Act

エステル・リンチETUC事務局長の談話:

“The Commission has correctly diagnosed many of these huge challenges, which puts a responsibility on them to bring forward real solutions. 

"The haphazard way in which AI has been introduced into workplaces has led to widespread abuses that are playing their part in a dangerous rise in psychosocial risks.

“Clearly, tinkering with existing legislation is not going to be sufficient to deal with a technology revolutionising our workplaces. 

“The same commitment must be shown to tackling the widespread abuse of subcontracted workers, the green transition, the right to disconnect, or the 16 million people living in poverty despite working."

「委員会は、こうした数多くの重大な課題を的確に認識しており、それゆえに実効性のある解決策を提示する責任を負っています。

職場へのAI導入が無秩序に行われた結果、広範な形での不適切な利用が横行し、それが心理社会的リスクの危険な増大の一因となっています。

職場に革命をもたらしているこの技術に対処するには、既存の法規制を小手先で修正するだけでは不十分であることは明らかです。

下請け労働者の広範な不当な扱いや、グリーン・トランジション(環境に配慮した経済への移行)、『つながらない権利』、あるいは働いているにもかかわらず貧困状態にある1,600万人もの人々といった問題への取り組みにおいても、同様の姿勢が示されなければなりません。」

 

 

佐藤博樹・武石恵美子編『ホワイトカラーの働き方・暮らし方 』

82075d06e9b746a78b7f537466c4f426 佐藤博樹・武石恵美子編『ホワイトカラーの働き方・暮らし方 国際比較からみる日本の課題』(東京大学出版会)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

https://www.utp.or.jp/book/b10171858.html

DXの進展やグローバル化など、雇用を取り巻く環境に構造変化が起きている。この変化に対して、「日本的」といわれる雇用システムにおける働き方やキャリア形成で的確に対応できるのか? 日本の雇用の現場の課題について、国際比較調査から多角的にとらえる。

序 章 国際調査から日本の課題に接近する(武石恵美子・佐藤博樹)
第1章 5カ国の雇用制度と働き方・生活のあり方――労働時間を規定する要因は何か?(佐藤博樹) 
 
Ⅰ 日本の働き方の特徴は何か
第2章 ダイバーシティ経営の効果分析にみる日本の課題(武石恵美子)
第3章 働く人のキャリア自律の醸成に資する職場の要因(松原光代)
第4章 能力開発行動とダイバーシティマネジメント――新しいスキルの習得に着目して(池田心豪)
第5章 組織内キャリア自律と個人の能力開発行動(高村 静)
第6章 在宅勤務の普及実態と仕事と生活の両立(高崎美佐)
第7章 日本の管理職の部下育成行動の特徴とその規定要因(坂爪洋美)
第8章 職場の問題解決行動の国際比較――多様性と発言経路の影響に着目して(松浦民恵)
第9章 勤続意向を規定する要因――ワーク・ライフ・バランスと職場マネジメントの視点から(朝井友紀子)

Ⅱ 日本の暮らし方の特徴は何か
第10章 仕事と生活の時間配分にみる日本の課題(高見具広)
第11章 子育て社員の働き方とキャリア(矢島洋子)
第12章 育児休業などの取得に対する上司・同僚の態度とその規定要因(田中 茜)
第13章 なぜ長時間労働は解消しないのか――Work intensity of a household(百瀬由璃絵)

総論にあたる第1章では、佐藤博樹さんが5カ国調査に基づいて、「ジョブ型」「メンバーシップ型」という理念型的な類型化がどのくらいまで当てはまり、どのくらいまで当てはまらないのかを概観しています。

もちろん、理念型は理念型なので現実とは多かれ少なかれずれがあるのは当然なので、おおむねは、欧米はジョブ型的であり、日本はメンバーシップ型的ではあるものの、それぞれにそうでない面もけっこうあるという、いかにもなるほどという結果になっています。

採用:訓練可能性重視の新卒採用か、即戦力重視の経験者採用かにしても、職場や業務の変更:会社主導か、個人主導かにしても、給与制度:給与水準を決めるのは、職能か職務かにしても、おおむね日本は前者寄りで欧米は後者寄りではあるけれど、そうでない面もそこそこあるという、まあ常識的な結果です。

ところが、ある項目については、まったく逆の結果が出ています。つまり、日本型雇用システムの特徴であると考えられてきたことが、むしろ欧米よりも希薄であるという結果が出ているのです。それは、能力開発:職場でのOJTによる能力開発か、社員による自己投資かについては、日本側の自己認識が正しくなかったということが明らかになっています。

・・・上記の分析によると、これまで日本企業では、OJTによって人材育成が行われているとの理解が一般的であった。しかし、管理職と一般職の両者の調査結果を見ると、日本の管理職は、他の4カ国の管理職に比較して、部下育成につながる業務配分やアドバイスを行っていないことが明らかになった。・・・日本の管理職は、部下育成のために時間を割くゆとりがないだけでなく、職場の要員不足など能力向上につながる業務を部下に割り振ることが難しい状況がある可能性があろう。さらに部下育成に取り組むことが管理職の人事評価に結びついていない人事制度上の課題も考えられる。

これはなかなかに皮肉な結果です。OJTこそが日本型雇用の誇るべき最大の特徴であるというのは、とりわけ1970年代から80年代にかけての日本型雇用礼賛の時代に盛んに鼓吹された議論であり、そこから日本型雇用の特徴を「能力開発主義」と位置づけるイデオロギーが盛んに論じられたことは周知の通りですが、実はその部分こそが一番日本の特徴ではなかった点であったというのですから、これ以上の皮肉はないでしょう。

拙著『スキルとデキル』でも、当時の学者や政府によるOJT礼賛論がかなりの紙数で紹介されていますが、読み返すと皮肉の感を禁じ得ません。

・・・1970年代後半から1990年代前半までの企業主義の時代に流行した内部労働市場志向の労働経済学理論の代表格が小池和男の知的熟練論です。1981年に刊行された『日本の熟練』(有斐閣選書、1981年)では、冒頭で日本を「超先進国」と礼賛し、とりわけその「めざましい人材形成」を褒め上げています。同書によれば、「今日熟練形成の主要な途は、学校、職業訓練所、徒弟制ではなく、はたまた企業内で教育訓練と銘打って行う訓練コースでもなく、断然OJT(on-the-job-training)、つまり仕事に就きながらの訓練」なのです。それゆえ「どの仕事に配置されるかが、熟練形成の決め手」となり、さらに「ある仕事を行うことが、その仕事に対してだけでなく、関連する他の仕事への訓練ともなるとき、OJTは最も効率的になる」のです。小池はこれを「幅広い熟練」と呼び、これこそが欧米のブルーカラーと異なり、日本のブルーカラーが仕事のやり方を現場で工夫していく根拠であると説くのです。

 1991年に刊行された『仕事の経済学』(東洋経済新報社、1991年)では、日本の現場労働者がふだんと違った作業や異常への対応ができる点で欧米の労働者と異なると論じ、それを分離方式に対する統合方式と呼び、そうした知的熟練を生み出す上で中核的な方法こそOJTであると説きます。同書は、「かつて養成工のOff-JTは3~4年とながかったが、すでに姿を消した」と述べ、「大半の生産労働者は技能をもたずに、職場に配置される。職場でのOJT、つまり実務訓練こそが技能形成の主役なのである」と言うのです。

 この思想は、世間の流行が外部労働市場志向へ、オフィシャルなOff-JTへと移行しつつあった1997年に刊行された『日本企業の人材形成』(中公新書、1997年)でも全く変わらず、「この本の特色は、巷の大合唱とはまったく反対に、実務訓練に光を当てることにある」、「ひとたびOJTに注目すれば、日本の人材開発方式のもっとも重要な特徴、長期の人材開発という特徴が明らかになる」と、その優秀性を説いてやみません。この時期、彼の知的熟練論は労働経済学者だけではなく、政策担当者の間でも流行し、後述のように日本の職業能力開発政策に大きな影響を及ぼしていきました。・・・

 ・・・前述のようなOJT礼賛の流れの中で、これまでの「職業訓練」という言葉でイメージされる職業訓練観を一新し、新しい職業能力開発観に基づく法律として、1985年6月に法改正が行われ、職業訓練法が職業能力開発促進法になりました。もっとも、法律の名称変更に先立って1984年7月に、本法を所管する行政組織の名称が職業訓練局から職業能力開発局に変わっていました。これは、臨時行政調査会(いわゆる第二次臨調)で職業安定局と職業訓練局の統合が求められたのに対し、「能力を作る行政」としての独自性を主張したことによるものです。

 新生職業能力開発局に設置された企業内教育研究会は1984年11月に「新しい『学習企業』をめざして」と題する報告書をとりまとめましたが、その中で、職業能力開発パラダイムの転換として、OJTを基底に据えて、日本的人材育成システムをより活性化させ、その機能をフルに発揮させていくことを求め、企業は新時代に求められる職業人を積極的に育成する新しい「学習企業」に移行すべきだと主張しました。かつて見よう見まねだと批判していたOJTに対する評価が180度転換しているのは、歴史的文書としてその時代の空気をよく表していると言えます。・・・

もっとも、ここには、それまでOJTによるスキル習得の慣行が根付いていたブルーカラー職場の事実認識と、そうではなかったのに自分たちのやっているいい加減な代物をOJTだと勝手に持ち上げてしまっていたホワイトカラー職場の事実誤認とが、複雑骨折するように入り組んでしまったということなのかも知れません。

(追記)

この話を聞いて、「あれ?なんだかちょっと前に似たような話を聞いたぞ」と感じたあなた。ピンポーン。これです。

「日本の強みは人事異動とOJT」は嘘。幻想を捨て、一から日本型の能力開発を@リクルートワークス研究所インタビュー

歯に衣を着せずに相当にズバズバ発言しておりますので、心してお読みください。

——Global Career Survey 2024の結果をご覧になって、率直にどう思われましたか。
 
一番おもしろかったのが、皆さんもそうだと思いますがOJTに関してです。これぞ日本の特徴だ、強さだと言ってきたのが全然そうじゃなかったじゃないか、というのがおもしろくて。・・・・・
——ホワイトカラーの人たちは、何をもってOJTと感じているのでしょうか。
 
はっきり言って、皆さん薄々感じているんじゃないですか。2年か3年おきに人事異動で新しい職場に飛ばすのをOJTと称しているだけじゃないかって。・・・・・・
——先ほど先生がおっしゃった人事異動も、実際に経験がある人が非常に少なかった。頻繁な配置転換を通してジェネラリストを育成しているという日本の特徴が実際には見られなかったことは、どのように受け止められますか?
 
これもおもしろいデータでした。パート有期法第8条に、“通常の労働者”という概念があります。正社員として業務や配置が転々と変わっていくのが通常の労働者で、そうでないのが短時間労働者とか有期労働者と書いてあります。企業の方に人事権があるかどうかの違いを言っているわけです。でも実際には異動していなかった。・・・・・・
——先ほど、ホワイトカラーには能力評価システムが存在しないという話がありました。なぜないのでしょうか。
 
厚生労働省でも、繰り返し作っていますが、全部失敗してきています。企業で使われないのです。役に立たないから使わないのでしょうね。・・・・・・
——最後に、日本企業にとってここからどういう道があるのか、希望があるとしたらどんなことなのか、伺いたいです。
 
日本はもう駄目だ、駄目だと言われながら、日本には人事異動とOJTの強みがあって、この良さをちゃんとうまく使っていけばやがて復活するだろうという、恐らく唯一の希望が、今回のこの調査で、見事に粉々にたたきつぶされた(笑)。・・・・・・

 

 

 

本書は「終章」に尽きる

322511000924_20261005122801 せるげいさんが、ブクログで拙著『スキルとデキル』をたった一言で寸評しているのですが、

https://booklog.jp/users/serugey/archives/1/4040825705

本書は「終章」に尽きる。
「終章」さえ読めば、日本社会で求められる能力の欺瞞性が良くわかると思った。

いやまあ、確かに、読者へのメッセージは終章と「おわりに」の合わせて16ページほどに尽きるといえばその通りなのですが、それを渾身の思いを込めて言い切るためには、それに先立つ240ページにわたる近現代日本における職業教育訓練をめぐる政策と思想の有為転変の歴史の叙述が必要不可欠なのです。

それなしに、いきなり終章だけ読まされても、恐らく読者の多くは「それってあなたの独自の見解に過ぎませんよね」という感想しか抱かないでしょう。ふうーーん、そういう意見もあるんだね、じゃあね、と。

「日本社会で求められる能力の欺瞞性」を、単なる口先で主張しているだけの代物ではないということを、これでもかこれでもかと歴史的証拠書類を積み重ねているのが膨大な歴史編ですので、できれば、本屋さんの店頭で、終章と「おわりに」だけ立ち読みして、「ふむ、なるほど、そういうことね、よく分った」と分っちゃわないでください。

 

 

能力主義とは何か?@『生活協同組合研究』2026年10月号

Kenkyu_260928_01_01 『生活協同組合研究』2026年10月号に「能力主義とは何か?」を寄稿しました。

https://ccij.jp/book/kenkyu_20260928_01.html

「労働における「能力主義」を解きほぐす」という特集の中の一本です。

 近年、日本の労働政策において「能力」や「スキル」を重視する傾向がみられる。「リ・スキリング」や「学び直し」の促進、職務給の導入をめぐる議論は、その一端である。こうした議論の背景には、働き方の多様化や人手不足への対応に加え、長期雇用や年功的処遇を基調とする従来の雇用慣行を見直し、職務に必要な能力やスキルを明確にし、それらを評価や処遇に反映する雇用システムへの転換を図ろうとする政策意図がある。

 能力にもとづいて労働者を評価し、その評価を処遇に反映することは、雇用システムの客観性、透明性、公平性を高めるとともに、生産性の向上につながるものとして期待されている。一方で、どのような能力を評価の対象とするのかは自明ではない。目に見えやすい能力や数値化しやすい成果が評価の対象となりやすい一方で、周囲への支援や調整、ケアといった営みは、組織の維持や発展に不可欠であるにもかかわらず、その価値が見えづらい場合も少なくない。能力評価をめぐっては、何を評価することが適切なのか、評価の枠組みからこぼれ落ちているものがないかを問う視点も求められる。

 とりわけ生協をはじめとする協同組合にとって、「協同」という理念と能力主義の関係は重要な論点である。個人の成果や競争を重視する考え方と、人と人との協力や支え合いを重視する考え方を、どのように両立させることができるのか。この問いは、協同組合における働き方や組織運営のあり方を考えるうえで欠かせない。

 このような背景をふまえて、本特集では、労働者に対する評価指標として能力やスキルが重視されるようになった歴史的経緯をたどりつつ、能力を評価し、それを処遇に反映することの難しさについて掘り下げたいと考えた。計6名の論者に論稿をご執筆いただいたほか、2020年に人事制度改革を行い、仕事の成果や職員の成長度を処遇に反映する仕組みを導入した生活協同組合コープやまぐちへの取材稿も収録した。

 職務に必要な能力やスキルを評価するという考え方は分かりやすいが、実際にどのような能力を評価するのかを定めることは決して容易ではない。ある能力を高く評価することで、他の重要な能力の価値が見落とされてしまうことはないだろうか。また、能力や成果を重視するのであれば、それを育む責任を労働者個人の努力だけに委ねず、職場や社会がどのように支えていくのかという視点も重要である。本特集が、人々の多様な能力をどのように捉え、生かし、支えていくのかという問いについて考える契機となれば幸いである。

能力主義とは何か?(濱口桂一郎)
「能力」よりもこれからの職場に不可欠なまなざし──可謬性としての愛──(勅使川原真衣)
モヤモヤ対話や組織内ダイアローグを通じたケアしあう協同組合へ(竹端 寛)
能力主義とジェンダー──社会公正の追求と労働者間の連帯を考える──(金井 郁)
雇われない働き方における能力主義に自営業者・フリーランサーはどのように向き合っているのか(松永伸太朗)
コラム1 能力とは誰が,どう決めるのか(栗田隆子)
コラム2 コープやまぐちの人事制度改革(原岡辰也(聞き手:中村由香))

拙論は、先月刊行した『スキルとデキル』の一部を要約したような内容です。

はじめに
 近年、日本政府は「リ・スキリング」を大々的に唱道している。安倍政権時の日本再興戦略から始まり、近年も岸田政権時の「三位一体の労働市場改革」から、現高市政権下の「人材育成システム改革ビジョン」に至るまで、スキル、つまり具体的な職務(ジョブ)を遂行する技能(スキル)を身につけ、向上することが政策の中心課題として掲げられている。ところが、政府が鉦や太鼓でリ・スキリングを煽り立てても、肝心の企業や労働者の側は、笛吹けども踊らずという状態が続いているようだ。
 スキルと似た言葉に「能力」がある。戦後日本では、この「能力」という言葉が企業の人事管理の中心を占めてきた。日本経営者団体連盟(日経連)が1969年に出した有名な『能力主義管理』以来、日本企業は能力主義に基づいて人事管理を行なってきたとされている。企業は何よりも従業員の能力開発と能力評価を重視してきたというのである。半世紀以上にわたって企業は能力開発に努めてきたにもかかわらず、今になって政府からリ・スキリングを求められるとはどういうことなのだろうか。この「能力」とスキルとはどういう関係にあるのだろうか?本稿では、戦後日本におけるスキルと「能力」の込み入った関係を歴史的に解説していきたい。
1 技能者養成の時代
2 生活給と職務給
3 職能給への移行
4 「能力」による説明の陥穽
5 「能力」のもう一つの顔
6 日教組の「能力主義」批判
7 ジョブ型、職務給、リ・スキリング再び
8 なぜ笛を吹いても踊らないのか
  

2026年10月 4日 (日)

pairuさんの拙著要約と解説

322511000924_20261004165301 pairuさんがnoteで、拙著『スキルとデキル』を大変丁寧に要約解説していただいた上に、その意義を論じていただいております。

https://note.com/ready_honest8301/n/n066e6462218e

 「仕事ができる」と言うとき、日本人は何を見ているのか。
C言語が書けることか。
それとも、C言語を知らなくても「あいつなら何とかする」と思わせる何かか。
150年分の職業訓練の歴史をひっくり返すと、日本社会がずっとこの2つを取り違えてきたことが見えてくる。

と、ここから拙著の各章ごとにその内容を大変詳しく解説していくのですが、その後に、本書の意義を次のように述べていただいていて、書いた本人が思わずそうだったのか、と思ったくらいです。

①本書が一貫して示しているのは、「日本人はなぜリスキリングしないのか」という道徳的な問いを、「なぜ日本の労働市場は、スキルという商品を独立した価値として買う仕組みになっていないのか」という制度の問いへ置き換える視点だ。
著者は、日本の職業能力史を「古い能力主義から新しいスキル主義へ」という一直線の進歩として描かない。
むしろ、スキル重視からデキル重視へ、そして再びスキル重視へという振り子の動きとして描いている。
この振り子構造を発見的に提示したところに、本書の学術的な芯がある。
前著『ジョブ型雇用社会とは何か』や『賃金とは何か』が示してきたジョブ型・メンバーシップ型という枠組みを、職業訓練という具体的な政策史の側面から裏づけ直す位置づけの本だと読める。 

②この本のいちばんの見どころは、「能力」という、あまりに手垢のついた日常語を、150年という射程で丹念に解体してみせる作業の粘り強さにある。
普通、能力主義批判というジャンルは、道徳的な糾弾か、抽象的な理論のどちらかに寄りがちだ。本書はそのどちらでもない。
1958年の職業訓練法、1969年の『能力主義管理』、1985年の職業能力開発促進法という、地味だが確かな制度の年号を丹念に積み重ねることで、「デキル」という言葉の重さを実証的に組み立てている。
高度成長の初期にはスキル重視の時代があった、という指摘も見どころのひとつだ。
多くの読者は「日本はもともと年功と根性の国だった」と思い込んでいるはずで、そこにいったんスキル重視が存在していたという事実を差し出す構成は、著者ならではの粘り強い史料の掘り方を感じさせる。

ここまでは確かに私自身の意図するところではありましたが、その後にここまで深読みされていて、著書自身がそうも読めるのかと思ったところです。

 ③これは本書の外側からの読み替えで、著者の意図からはかなり離れる。
本書が描く「スキル」対「デキル」の対立を、労働の話としてではなく、人が他者をどう理解しようとするかという、より広い認知の問題として読み替えることもできる。
「この人は何ができるか」という問いは、対象を分解して検証できる。
だが「この人はデキるか」という問いは、対象を分解できない全体的な印象に依存する。これは、人間が他者の能力を評価するときに使う、2つの異なる認知の様式の違いだと見ることもできる。
だとすれば、日本のメンバーシップ型雇用が「デキル」を好んだのは、単に制度の選択の結果というより、分解できない全体評価のほうが、直感的に処理しやすいという、人間の認知的な傾きと相性がよかったからだとも読める。

 

 

2026年10月 2日 (金)

『企業組織再編に関する労働法制』

Saihen JILPTの海外労働情報26-10『企業組織再編に関する労働法制―ドイツ、フランス、イギリス―』が公開されました。

https://www.jil.go.jp/foreign/report/2026/pdf/26-10.pdf

2024 年の第 213 回通常国会で「事業性融資の推進等に関する法律」が成立し、その附帯決議として「「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針」については、政府において、専門的な検討の場を設け、新たな企業価値担保権の創設を踏まえて必要な見直し等を行うこと。加えて、合併・事業譲渡をはじめ企業組織の再編に伴う労働者保護に関する諸問題については、その実態把握を行うとともに、速やかに検討を進め、結論を得た後、必要に応じて立法上の措置を講ずること」とされ、必要な検討等が実施される予定である。この検討に当たっては、附帯決議の後段に係る対応として、海外における組織再編に伴う労働関係法制及び実務上の影響に関する実態把握が必要であると考えていることから、当機構ではこのための調査を実施することとした。
具体的には、組織再編に伴う各国の労働法制の現状を把握するため、労働法の専門家に各国等(EU、ドイツ、フランス、イギリス)における組織再編に伴う労働関係の法制度の現状や裁判例、議論の動向、実務上の課題等について情報収集していただき、本報告書にとりまとめた。

各国ごとの執筆者は以下の通りです。

EU・ドイツ 橋本陽子 学習院大学学生センター所長兼法学部教授

フランス 細川良 青山学院大学法学部教授

イギリス 志水深雪 明治大学専門職大学院法務研究科専任教授 

 

『欧米諸国における賃金制度とその運用』

Shokumukyu JILPTの資料シリーズNo.308『欧米諸国における賃金制度とその運用―文献等調査結果―』が公開されました。

https://www.jil.go.jp/institute/siryo/2026/documents/0308.pdf

.各国の概要
①ドイツ
ドイツでは、最低賃金法、産業別労働協約、協約外部門における労使協議制が重層的に賃金を規律し、安定的な報酬支給を支えている。企業を超えた報酬情報についても、ドイツに特化したサラリーサーベイを通じて共有されている。1970年代以降は仕事基準の職務評価と役職グレードが普及し、1990年代後半からはグローバル標準の社員格付けや成果主義が浸透した。ただし、世界金融危機やコロナ禍を経て、その一辺倒からの修正もみられ、労使協議を通じた報酬水準の維持や支給ルールの調整が行われている。

②フランス
フランスでは、国、産業・業界、企業・事業所という複数のレベルが相互に影響しながら賃金を決定している。国レベルでは比較的高水準の最低賃金(SMIC)が重要な役割を果たし、低い組合組織率にもかかわらず、拡張適用制度によって産業別労使協約がほぼすべての民間労働者をカバーする。一方、協約が企業の賃金決定に及ぼす影響は産業によって異なる。近年では、カードルの再定義や、金属・鉄鋼産業における職務評価を基礎とした新たな職種・賃金制度の導入など、従来の賃金秩序を見直す動きが進んでいる。

③スウェーデン
スウェーデンでは、高い労働組合組織率と労働協約適用率を背景に、産業別交渉と企業レベルの賃金決定を組み合わせた仕組みが形成されている。産業別協約は職種・職務別の賃率を直接定めるのではなく、最低賃金や賃金決定の一般的ルールなどを規定する。近年は賃上げ率を定めない「数値なし協約」も拡大し、企業レベルへの分権化が進んでいる。企業では評価に基づく賃金決定がブルーカラー、ホワイトカラー双方に広がっているが、その運用には労働組合も関与しており、分権化と集団的労使関係が併存している。

④イギリス
イギリスでは、企業が職務分析と市場賃金情報を組み合わせて賃金を決定している。上級役職者や高度専門職では個人別の賃金決定もみられ、昇給には成果、ポテンシャル、コンピテンシー、スキルなどが考慮される。他方、賃金情報の不透明性や男女間賃金格差が政策課題となっており、最低賃金・生活賃金や情報開示を通じた規制が強化されている。組合組織率は低下しているものの、近年は法制度の改革を背景に労働組合の役割を再強化する動きもみられる。

⑤アメリカ
アメリカの報酬決定は、外部労働市場の市場賃金を重視する市場志向性を特徴とする。近年は職務評価による職務価値よりも市場価格を重視する傾向が強まり、給与レンジを市場水準と連動させ、昇給マトリクスやエクイティ調整によって市場との乖離を補正する仕組みが形成されている。一方、役割、職群、職務レベルなどの枠組みを用いて、市場価格を企業内部の人事・報酬制度へと翻訳している。近年のスキルベース化や給与透明化も、市場志向的な報酬システムを再編する新たな動きとして位置づけられる。

2.事実発見と今後の検討解題
①各章の内容から、欧米では「職務給」と単純化することは難しいことが示唆される。アメリカのホワイトカラーセクターで見られた制度設計における役割(Role)基準を導入する試みは、その最たる例であろう。イギリスにおいてもポテンシャルやスキルが賃金決定において考慮されている。また、ドイツの管理職層では、年功が賃金決定における重要な基準となっている。さらに、スウェーデンではブルーカラーにおいても能力給の導入が進んでいる。

②賃金制度の設計において各国間で共通する動きがあることも示唆された。ドイツやスウェーデンの章で見られたように、職務評価の方法として外部のグローバルコンサルティング会社の活用が挙げられていた。かつては国ごとに独自の評価基準で評価されていたものが、グローバル標準の基準を採用する動きが強まっている可能性がある。また、マーケットデータの活用についても、職種によって異なることがアメリカの章などからは示唆される。

③ドイツ、フランス、スウェーデンなど調整型市場経済に位置づけられるヨーロッパ諸国では、職種間で賃金決定において相違が確認された。ホワイトカラーの中でも管理職、大卒専門職、それ以外のホワイトカラーで異なっている可能性が高いことが各章の発見から示唆される。

③イギリスの章では、賃金決定に対して団体交渉が影響していることが指摘されていた。また、ドイツやスウェーデンの章では、賃金制度の設計や運用において労働組合などの労働者の集団的発言機構が関与している例も見られた。

④今後の検討課題として、次の4点が挙げられる。第1に、欧米諸国の賃金制度の実態とその変化の方向性を明らかにすることである。各国では、職務に加えて、役割、能力・スキル、成果、勤続など複数の要素が賃金決定に用いられており、グローバルコンサルティング会社による職務評価やマーケットデータの活用も広がっている。こうした制度や情報が、等級制度、給与レンジ、個人別賃金の決定にどのように反映されているのかを把握する必要がある。第2に、同一国内における職種・従業員層間の相違を明らかにすることである。ブルーカラーとホワイトカラーに加え、管理職、大卒専門職などによって、適用される賃金制度や市場賃金情報の利用方法が異なる可能性がある。第3に、賃金制度の設計・運用における集団的発言機構の役割とその影響を明らかにすることである。労働組合や従業員代表が制度設計、評価、個人別昇給などにどのように関与し、それが賃金決定や企業の人事管理にいかなる影響を及ぼしているのかについて、実査を通じて検討する必要がある。第4に、政策の影響である。最低賃金以外にも労働者個人の賃金水準に影響を与えることが予想される法政策は存在する。労働政策は欧米諸国の賃金決定にいかなる影響を与えているのか。また、当事者はそのような政策をどのように感じているのか。政策が現場に与える影響について、情報を収集する必要がある。 

なお、各国ごとの執筆者は以下の通りです。

序章 池添弘邦 労働政策研究・研修機構 統括研究員

ドイツ 石塚史樹 明治大学経営学部 教授

フランス 野原博淳 フランス国立労働経済・社会学研究所 研究員

序章・スウェーデン 西村純 中央大学商学部 准教授

イギリス 中村天江 連合総合生活開発研究所 主幹研究員

アメリカ 樋口純平 同志社大学社会学部 准教授 

 

2026年10月 1日 (木)

クィン・スロボディアン『破壊系資本主義』@『労働新聞』書評

08091142_6a77e90731dc6  月例の『労働新聞』書評ですが、今回はクィン・スロボディアン『破壊系資本主義』(みすず書房)です。

https://www.rodo.co.jp/column/226251/

 オビに書かれた「自由と民主主義は両立しない」、「離脱せよ!」とはベンチャー投資家ピーター・ティールの言葉だ。めんどくさい民主主義を捨てて資本主義を自由に羽ばたかせよ。この理想を最初に説いたのはミルトン・フリードマンであり、説いた場所は1970年代の植民地香港だった。イギリス領でありながら植民地であるがゆえに本国の民主主義は適用されず、しかし隣接する共産中国とは対照的に徹底した市場原理に基づく経済運営だけは完璧だ。それゆえに、当時経済停滞に喘ぐ英米をはじめとする西側諸国に対する力強い代替選択肢の提示となった。この民主主義なき資本主義という理想は、その後世界のあちこちにさまざまな形で広がっていく。

 香港の宗主国であるイギリスはサッチャー首相の下で、テムズ川下流にドックランズを開発し、民間所有の公共空間での住民や労働者の権利を制限する。運輸一般労組は1世紀前に同労組結成のきっかけとなったストライキが起こった地で、ストライキを差し止められた。

 一方、香港方式を独立国としてより精緻に遂行したのがシンガポールだった。そしてそのシンガポールを経済発展のモデルとしたのが鄧小平率いる共産党一党独裁の中国であった。深圳(しんせん)をはじめとする経済特区は、この民主主義なき資本主義を純粋培養する「ゾーン」という形で世界中に広がっていく。

 そしてアメリカは、中世の城郭都市の再現ともいうべきゲーテッド・コミュニティで覆われていく。地元の地方政府が関与できない「荘園」の繁殖だ。

 ここまでは一応なんとなく知っていることだが、その先に繰り出されるさまざまな事例は驚くものも多い。たとえば、アパルトヘイト下の南アフリカのシスカイという黒人「国家」で行われたネオリベラル政策。大公ハンス・アダム2世の下で、信託制のタックス・ヘイブンとして発展した「株式会社国家」リヒテンシュタイン。破綻国家ソマリアで、リバタリアン弁護士のファン・ノッテンが地元の部族と作り上げようとした無政府資本主義の理想郷ソマリランド。

 そして、単なる経済特区ではなく、かつての租借地のように国内法が一切適用されないホンジュラスの「プロスペラ」というゾーン。これは、2018年にノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマーのチャータード・シティ構想を実現したもので、憲法違反だと訴えた地元弁護士は射殺された。現時点での最大の成功例は砂漠の海上都市、アラブ首長国連邦のドバイだろう。

 次々に繰り出されるこれらの事例は、今や世界のここかしこで「破損」が起こっていることを教えてくれる。そう、本書の原題は「Crack-up Capitalism」(破損資本主義)なのだ。

 本書の最後に登場するのは再び香港だ。民主主義を希求した香港住民の企ては、「共産党」という名の下に民主主義なき資本主義の道を驀進する中国政府によって完膚なきまでに叩き潰された。フリードマン万歳!

 

 

 

 

 

 

2026年9月30日 (水)

葦名ふみ『議会報道のメディア史』

E9f9173b589e4bc0ba8e0835272abe56 葦名ふみさんの『議会報道のメディア史 漫画から国会中継まで』(吉川弘文館)をお送りいただきました。わざわざありがとうございます。

https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b10172239.html

1890年に帝国議会が開設したとき、議会を報じる手段は新聞など活字メディアが中心だった。漫画・写真・ラジオ・ニュース映画など、次々に登場した最先端のメディアは、議会報道の世界にいかに進出していったのか。テレビ登場までの様々な出来事を振り返り、個性あふれる政治家たちのエピソードも交えながら、メディアと議会の関係を考える。

というわけで、写真から漫画、ラジオ、テレビといったメディア史の観点から近現代日本の議会史を描いた、なかなか類書のない本だと思います。

個人的に面白かったのは、終戦直後の吉田茂内閣で蔵相を務めていた池田勇人の「失言」でした。例のドッジラインで緊縮政策に転換した頃です。

これって、はじめの大したことのなかった「失言」を、なまじ「解説」しようとしてますます「失言」ぶりが深まっていくという、世の中にけっこうありそうな話だったんですね。

最初はニュース映画のインタビューで、

企業は税金で非常に苦しんでいるようで心中事件なども起きているようですが、それについてご感想は如何でしょうか。

(池田勇人蔵相の回答)

いやあ、税金が高いから死ぬるというのはどうかと思いますが、とにかくまあインフレ時代から経済安定に向かっていく過渡期には個々の場合には起こるということはこれはありうると思います。

これが翌日の新聞で大きく報じられて、衆議院予算委員会で発言の真意を問われ、

「五人や十人が倒産しても仕方がない。こういう意味は、中にはインフレになれて当然落伍しなければならない人があるかも分らない。そういう人は倒産することがあるだろう、と言っているのであります」「何と申しましても表現の仕方が悪かったのか、ああいう風に出たのでありますが、あれは私の真意ではない。ほんとうはとにかく一人の倒産者も自殺者もないように、日夜努力しているのが、私の真情であるのであります」

と答えたのですが、この釈明がさらに「失言」となり、野党から不信任案が出されたがこの時には否決されました。

その2年半後、またも国会でこの池田発言を質問されて、

「私の心境は、インフレ経済から安定経済に参りますとき、それが倒産をし、しこうしてまた倒産から思い余って自殺するようなことがあっても、お気の毒でございますが、やむを得ないということははっきり申し上げます」

と、釈明どころか火に油を注ぐような発言をし、今度は池田蔵相の不信任決議案が可決され、池田は辞任することになったという話です。

言ってることは、タカ派経済政策の立場からすれば一貫しており、その観点からすれば筋を通した硬骨漢ということになるのでしょうけど、メディア時代の政治家としては、言うことは同じでももう少しものの言い方に気をつけた方が良かったのかも知れません。

最近だったら、ネット上での発言を解説しようとしてますます火に油を注ぐということが日常的に見られますが、その手の事例の濫觴といえるのでしょうかしらん。

 

 

 

 

 

強いストレスを感じる労働者 67.5%@『労務事情』2026年10月1日号

706c8c56d1b7406188dfb65340fc45ca 『労務事情』2026年10月1日号に「強いストレスを感じる労働者 67.5%」を寄稿しました。

https://www.sanro.co.jp/book/b10205633.html

◎数字から読む 日本の雇用 濱口桂一郎
 第50回 強いストレスを感じる労働者 67.5%

 

 

 

2026年9月29日 (火)

青柳春夏『日本のリカレント教育政策の制度的限界に関する研究』

東京大学公共政策大学院のホームページに、学生の研究論文として、青柳春夏『日本のリカレント教育政策の制度的限界に関する研究』がアップされています。

https://www.pp.u-tokyo.ac.jp/wp-content/uploads/2026/09/9f2c12538c2bc43cc61998523a5acd77.pdf

 近年、リカレント教育(リスキリング)は、重要な政策課題に位置づけられている。第四次産業革命やデジタル化の進展等を背景に、働きながら学ぶ仕組みの整備が各国で進められている。世界経済フォーラムは 2020 年に「リスキリング革命(Reskilling Revolution)」を掲げ、2023 年までに 10 億人のリスキリングを目指すと発表した(世界経済フォーラム HP)。この動きは、人的投資を経済成⾧戦略の中核に位置づける国際的潮流を象徴するものである。
 日本においても、第二次安倍政権以降、「学び直し」や「リカレント教育」は成⾧戦略の重要な柱として言及されてきた。2013 年に閣議決定された第 2 期教育振興基本計画以降、「社会人の学び直し」が政策課題として設定され、様々な政策が行われてきた(岩崎, 2020)。岸田政権は、所信表明演説において 5 年間で 1 兆円規模のリスキリング支援を行うと表明し、構造的な賃上げの実現に向け、労働移動・人的投資の重要性について言及した(日本経済新聞, 2022)。
 ところが、こうした積極的な政策主張にもかかわらず、日本におけるリカレント教育は活発とは言い難い。OECD の”Adult learning Dashboard”によると、日本の成人は他の OECD 加盟国に比べて training の参加率が低いことが報告されている(OECD, n.d.)。
 アジア太平洋地域 14 の国と地域と比較した調査では、勤務先以外での学習や自己啓発について「特に何も行っていない」と回答した割合が 46.3%で、14 の国と地域の中で最も高い(パーソル総合研究所, 2019)。すなわち、日本ではリカレント教育が政策上は強調されながらも、実態としては十分に普及しているとは言えないという状況が存在している。・・・

 では、両政権の積極的な政策にもかかわらず、社会の側では十分に変化が起きていない。この乖離を、単なる政策運営上の問題ではなく、制度的な問題として捉えるのが本研究の出発点である。・・・

というわけで、まさに拙著『スキルとデキル』と同じ問題意識に立って、それをアカデミックな論文として論じたものです。

実はこの青柳春夏さんという名前には見覚えがありました。わたしは2024年度まで東京大学公共政策大学院で労働法政策の授業を1コマ受け持っていたのですが、その最後の年度の受講生の中に青柳春夏さんがいたのです。

その時に1回分の講義として職業教育訓練政策について話したことが出発点になって、こうやって素晴らしい研究成果として開花するに至ったことは、とても嬉しく思います。

 

 

2026年9月28日 (月)

荒木尚志・菅野和夫・山川隆一『詳説 労働契約法 <第3版>』

79720d8800d04c1fa7a59dfcb65c75e6 荒木尚志・菅野和夫・山川隆一『詳説 労働契約法 <第3版>』(弘文堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.koubundou.co.jp/book/b10194014.html

 2018年の改正で労契法20条が削除され、パート有期労働者法8条に統合されたことを踏まえ、同8条と関連規定(均衡・均等待遇)を本書に組み込んで詳しく解説。法改正等をフォローし、第2版以降の裁判例や学説の発展を含めた法全体の意義と経緯、条文解釈、今後の課題を詳論。実務の動向にも目を配った12年ぶりの改訂版です。
 労働者個人と会社の雇用契約ルールを明確にすることを目指した労働契約法全体を、労働法研究者を代表する3人の著者が充分に討議を重ねて書き上げた書。

第2版を頂いたのが2014年ですから,確かに「12年ぶり」です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-e46a.html

初版は2007年の労働契約法制定を受けて、第2版は2012年の有期関係の改正を受けてだったのに対し、今回の第3版は2018年の働き方改革で旧第20条が引っこ抜かれたのを受けてだとするとちょっと時間が空きすぎていますが、その旧第20条が合体したパ有法第8条の「同一労働同一賃金」と称する指針が改定されたのを受けてということで、今回の刊行に至ったようです。

いうまでもなく、そのガイドラインが標榜する「同一労働同一賃金」という看板に対しては、鋭い批評の言葉が投げつけられています。もちろん、私と違って羊頭だの狗肉だのといった下品な表現は一切されていませんが、でも気持ちが伝わってくる叙述にはなっています。

・・・しかしながら、「同一労働同一賃金」とは、従来、各産業における職務の種類とグレードに対応した賃金額の詳細な基準が産業別労働協約によって超企業的(産業横断的)に樹立されている欧州社会における、「職務内容(その種類・グレード)が同一であれば同一の賃金を支払うべし」との発想に立った欧州における処遇の原則(グレード制職務給原則)として理解されてきたものである。これに対し、働き方改革関連法が法制化した均衡・均等待遇原則は、「わが国の雇用慣行」(新卒採用から定年退職までの長期的雇用関係に対応した年功的賃金処遇制度と、パート・有期労働者についての時間当たり職務給制度)に「充分留意」して、それまで労働契約法に規定されてきた有期労働者のための均衡待遇の原則をパート・有期労働者についてほぼそのまま継承するものであって、日本独特の待遇均衡か政策を法規範化したものである。・・・

なお、第2版のときに,解雇の金銭解決についての記述に対して、ちょっと異論を挟んだことがありましたが、12年後の今回も基本的な考え方は変わっておられないようです。

・・・この傾向が進めば、濫用的解雇について、金銭解決制度(金銭解決の強制的達成を可能とする制度)を要請する必要性は労働者側にはもはや存せず、使用者側のみに存するということになる。解雇紛争の金銭解決は、制度設置の必要性は著しく少ないのみならず、使用者側にのみ必要性が存在するという偏頗な状況ともなりつつあるのである。

 

 

 

 

 

 

2026年9月27日 (日)

小泉防衛相が全駐労の結成80周年記念祝賀会に出席

Htmjmktbiaabv7q 小泉防衛大臣がX(旧twitter)で、全駐労の結成80周年記念祝賀会に出席したと述べています。

https://x.com/shinjirokoiz/status/2104036016139186367

昨日は米軍基地で働く日本人基地従業員の労働組合「全駐留軍労働組合(全駐労)」の結成80周年記念祝賀会に出席しました。防衛大臣は「雇用主」の立場にありますが、今までは全駐労のこのような会に防衛省からは政務三役(大臣・副大臣・政務官)は出席したことはなく、局長も初めて出席したと昨夜話していました。それでもなお、防衛大臣として初めて私が出席したのは、地元の横須賀に米軍基地があり、そこで働く日本人基地従業員の皆さんこそが日米同盟の現場を支えてくれていることを実感しているからです。その皆さんの労働環境を改善するために「雇用主」である防衛大臣として防衛省あげて全力を尽くす決意をお話しさせていただきました。・・・

駐留軍労働者の雇用労働関係はなかなか複雑ですが、ざっくりいうと日本政府(防衛省)が派遣元であり、米軍が派遣先という派遣労働関係に近いところがあります。

ですので、派遣元の防衛相は雇用契約上はまさに使用者ですが、労働力の利用者である米軍に対して労働者の労働条件の改善を要求する立場でもあります。

米軍基地の中で働く駐留軍等労働者の皆様は、日米同盟を現場で支え ていただいている重要な役割を担っておられる大切な方々です。私は、防衛大臣に着任して以降、駐留軍等労働者の労働環境の改善に精力的に取り組んでまいりました。

本年3月には長い間解決されなかった 「子の看護休暇の拡充」を実現させました。しかし、まだ実現していない課題が多くあります。 その中でも特に、全駐労の皆様が実現を強く要望されている「介護休暇の完全有給化」、「定年年齢の65歳までの段階的な引き上げ」、「祝日の追加」、この3つの課題については、可能なものは年末までに、遅くとも3月までには全て実現させる、そのような決意をもってアメリカ側との協議を進めていく考えです。

とはいえ、小泉さんが言うようにこれまで防衛庁/防衛省は労働組合をあまり身内だと意識してこなかったようです。むしろ、かつて非武装中立を掲げ自衛隊や在日米軍を敵視していた社会党を支持する労働組合に対して敵視政策をとっていた感覚が続いていたのかもしれません。

実際、かつて日本社会党の委員長として「非武装中立」を唱えた石橋政嗣は、全駐労出身だったわけです。

そういう感覚を変えるには、小泉さんのような過去にとらわれない行動力が必要だったのかもしれません。

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2026年9月26日 (土)

習近平は蒋介石のイデオロギー的嫡子か

アメリカと中国が第二次大戦で同盟国であったというのは全くその通り。

ただしその「中国」は蒋介石率いる国民党の中華民国であった。

ルーズベルト大統領のアメリカ合衆国とトランプ大統領のアメリカ合衆国は同じ「アメリカ」だが、

蒋介石の中華民国と習近平の中華人民共和国は別の国だ。

・・・・・・・・・・・・

というのが、まあ普通の認識なんだろうけど、もしかしたら習近平の頭の中ではそうでもないのかもしれない。

そもそも今の中華人民共和国は一党独裁の資本主義国家であって、毛沢東が理想として掲げた清貧の共産主義とはかけ離れているし、マルクスだのエンゲルスだのといった「お経」を信じている人はほとんどいなさそうだ。

一方、レーニン主義的な一党独裁体制の下で、もっぱら中華ナショナリズムを掲げ、「国恥」を雪ぎ、「中華復興」を目指すというのは、まさにかつてアメリカの同盟国であった中華民国の蒋介石の思想そのものであるように見える。

もちろん中国共産党総書記自らが「マルクス主義も毛沢東思想も下らん。大事なのは中華ナショナリズムだ」などとは口が裂けても言うわけはないけれども、実のところその頭の中はかつての蒋介石とほぼ同じなのではないかと思われる。

とすれば、トランプと習近平が仲良く同盟国の過去を共有して意気投合して見せるのは、単なる国際政治上の外交辞令にとどまらず、少なくとも習近平にとっては(共産主義などという一党独裁を維持するための信じてもいない表層のお経よりも)中華ナショナリズムという本音に即したものなのかもしれない。

これに対して、台湾の民進党政権が「いやいや同盟国だったのは中華民国だ」と言って見せてるのもまた皮肉な話で、彼らは実のところそのロジックを内心否定したくて仕方がない側なのだ。

蒋介石が生きていたら心の底から激怒して、「ふざけるな、必死でアメリカと同盟して戦争に勝ったのは俺だ、内陸に引っ込んでた毛沢東の後継者如きが何を言う」と喚き散らしたであろうが、今の台湾政府はそういう感覚を受け継いでなどいないし、むしろ正反対だろう。

何とも二重三重に捩じれた話ではあるけれども、捩じれに捩じれた挙句に、共産党の習近平は国民党の蒋介石のイデオロギー的嫡子ではないかという誰も怖くて言えないけれども目の前に赤裸々に露呈している真実が浮かび上がってくるようだ。

 

 

 

2026年9月25日 (金)

加藤敏幸インタビュー by 仁田道夫

Jihou202609 全基連発行の『中央労働時報』9月号に、先日『労使関係からみる戦後という時代』という大著を出された仁田道夫先生が、加藤敏幸さんにインタビューされている記事がのっていました。「シリーズこの人に聞く労使関係第15回」です。

https://www.zenkiren.com/teiki-book/top.html#jihou

・シリーズ この人に聴く労使関係(第15回)
  どこにあっても現場感覚を忘れない。
     電機連合名誉顧問、元全民労協事務局次長、
          元連合労政局長、元三菱電機労働組合中央執行委員長

    加藤 敏幸氏(1)

Wikipediaで「加藤敏幸」を検索すると、冒頭

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%95%8F%E5%B9%B8

前参議院議員(2期)。民進党参議院国会対策委員長、参議院外交防衛委員長、国土交通委員長、外務大臣政務官(野田内閣)を歴任。

と出てきて、もっぱら政治家としての活動ばかりが書かれていますが、もちろん労働関係者にとっては電機労連、全民労協、連合で活躍した労働組合運動家以外の何者でもないでしょう。

私が見知っているのは、連合の幹部としてさまざまな労働政策に関わっていた姿ですが、このインタビューでは、そもそも彼が労働組合運動に入るきっかけになったある事件から始まります。加藤さんが新居浜工業高等専門学校を卒業して三菱電機に入社した当時、

加藤 ・・・入社1年目は、現場で見習いとして研修を受けて、その後正式に製造管理部整備課に配属されました。翌1970年の春闘時期には,職場集会が何度も開かれていました。昼休みに職場の「支部委員」が前の方に出て、今回の要求内容や今後の交渉のポイントを説明するために、「お手元の要求書をご覧下さい」と話す。説明の中に登場した「生計手当」(社内規則での表記。扶養家族の種類と数、居住地域によって決まるいわゆる「家族手当」。以下文中では「家族手当」と表記)という言葉に違和感を覚えました。

 「何か質問は?」との振りがあったので、私は思わず手を挙げてしまったのです。相手が誰であろうが、昔から余り物怖じしない性格が災いしました。

 「仕事をしに来ているのに、家族が多い人と少ない人で手当に差がつくのはおかしくないですか。家族の人数と仕事の中身は関係あるのですか」と。

仁田 ずいぶんストレートですね(笑)。

加藤 当時、私は独身でしたから、遠慮することなく言い放ったのです。心の底には「家族が多いからといって、そんなに威張るなよ」ぐらいの気持ちがあったのだと思います。その質問で周りは一瞬にしてシーンと静まりかえりました。職場集会終了後、係長曰く、「ああいうこと言ってくれるな」と。得心がいかない私が「何でですか」と問い返すと係長は「俺は家族四人いるからな」と(笑)。「それは失礼しました」と謝りました。

これは、もしもっと前に出ていれば、『賃金とは何か』に引用してもいいくらい、生活給をめぐる労働組合主流派と若手組合員の対立構図がよく現われていますね。若き加藤青年はジョブ型青年だったのです。

仁田 多分、それで終わりにならなかった?

加藤 終わりどころか大きな始まりになりました。入社翌年の7月、次の任期の支部委員1名を選ぶときに、1票を除いて全部に私の名前が書かれいたのです。「何でだ」と聞いたら、「支部委員を1回やらせて、教育し直せ」というのが職場の総意だったと(笑)。そんな経緯で、1970年8月から1年(後年には2年)任期の支部委員になりました。

なんと、分ってない若者に生活給思想を「教育し直す」ために組合役員にさせられたのが出発点だったというわけです。

その後、労働組合活動を長年続け、最後は政治家にもなった加藤さんは、この問題についてこう振り返っています。

加藤 最後に、家族手当の話です。最初にお話ししたとおり、私が新入社員のときに家族手当に異論を唱えたことが,労働運動に関わる一つのきっかけになりました。家族の有無で賃金に差をつけるのは、合理性に欠ける。賃金はあくまで労働の対価であるべきだ、と若い私は考えていたからです。

 戦後の日本で家族手当がしぶとく残った背景には、「国が信頼できなくなったときでも、人々が拠り所にしたのは家族だった」という歴史的事情がある、という見方もあります。家族をまるごと抱え込んで面倒を見る会社、というモデルが,労働者にも経営者側にも魅力的に映った時期があったのでしょう。

 とはいえ、合理主義的な理系の若者からすれば、「家族が多い人が偉いのか」「家族のいない人を差別していいのか」という疑問は当然です。その意味で、あのとき職場の仲間の多くが「家族手当の議論であそこまで言った奴がいたから,面白そうなので一票入れてみよう」と支部委員選挙で名前を書いてくれたのかも知れません。私にとっては迷惑だったのかはともかく、大きな転機であり、答え合わせのような出来事でした。・・・

 

 

 

 

 

 

 

オベリスクさんの拙著書評

322511000924_20260925112801 拙著が出るたびにブログ「オベリスクの備忘録」で書評していただいているオベリスクさんが、早速『スキルとデキル』にも丁寧な書評をしていただきました。

https://obelisk2.hatenablog.com/entry/2026/09/24/085246

・・・買ったばかりの濱口先生の本を読み始める、ざっと第四章まで読んだ、というか、わたしの雑な頭ではきちんと読めず、これも目を通した、くらいのレヴェルであろう。正直、濱口先生と自分とでは世界観や人間観が随分ちがうし、「スキル」も「デキル」もあんま興味ねーよなーって思っていたのだが、やっぱり地に足のついた、優秀な学者の本を読んで、おもしろくないわけないか、ってなったわ。
 でも、題名はともかく、近現代日本の「職業教育」の歴史を記述した本じゃないの、って思ったね。はっきりいって、わたしの何も知らない世界で、ま、それもおもしろい。・・・

はい、その通りです、タイトルはややキャッチーですが、本文の大部分は「近現代日本における職業教育訓練の歴史」とでも題するのがふさわしいような内容になっております。

・・・「職業教育」ってのは(いや、学校教育全般がそうだが)、いうまでもなく「国策」だよね。最初は国も、労働者に「スキル(技術)」を求めていた。それが変わり始めるのは七十年代半ばだという。その最大の駆動力は「賃金制度における職能給の一般化」(p.131)。このあたりは、濱口先生の他の本で勉強した筈だが、わたしの雑な頭のせいで、もう忘れてしまった。また、ホワイトカラーとブルーカラーの関係性も、かかわっているという。
 とにかくその時点で、「会社」が新入社員にもとめるものは仕事にすぐに役立つ「技術(スキル)」ではなく、なんだかわからない「能力」というものになってきて、濱口先生はそれを本書で「デキル」(なんでもできる「能力」)と呼んでおられる。スキルそのものは、(学校じゃなくて)OJT によって「会社」が現場で教える、と。
 わたしのようなバブル世代は、まさに「デキル」の時代の子だったな。わたしは大学で物理学を学んでいたのだが、当時、商社や銀行から、いっぱいおさそいがあったくらいで(物理学が役立つとは到底思えない)、あれはなんだったんだろう、てなもんである。・・・

「大学で勉強してきたことは全部忘れろ、会社が現場で一から教えてやる」が常識化した時代でした。

で、だからこそ、本書197ページで、ロースクールのはなしの関連で言及した明治大学法学部の民法不合格留年事件が社会問題になったりしたわけです。

 

 

 

2026年9月24日 (木)

変形労働時間制の見直し議論@『労基旬報』2026年9月25日号

『労基旬報』2026年9月25日号に「変形労働時間制の見直し議論」を寄稿しました。

 去る7月21日に閣議決定された『日本成長戦略』は、注目されていた労働時間法制については「2026年夏以降の労働政策審議会において 議論を行う」と先送りし、現に今労政審労働条件分科会で議論されていますが、そこに載せられた議題は、経団連が熱心に主張している裁量労働制の拡大だけではなく、変形労働時間制の見直しも含まれています。

・・・また、変形労働時間制については、他律的な要因に十分対応できていない現場の実態や、労働者の生活時間や予見可能性の確保にも留意しつつ検討を進める。・・・

 もともと日本成長戦略会議労働市場改革分科会では、経団連が裁量労働制の拡大を主張する一方で、日本商工会議所(日商)は運輸、宿泊・飲食、建設等の特定業種で特に人手不足が深刻だと指摘した上で、業種ごとの実情にそぐわない時間外労働の上限規制を見直すべきだと主張していました。しかし、安倍政権の働き方改革で導入された法律上の時間外上限規制を直接緩和することはさすがに無理筋であったために、この時の日商の要望で実現したのは、法令を超えて月45時間超の時間外労働まで指導対象としている運用の見直しにとどまりました。

・・・労働基準監督署の監督指導において、時間外労働が 45 時間を超えた場合には適法であっても指導対象となるなど、過度な指導が企業活動を委縮させているとの声がある。労働基準監督署が行う指導は透明性を高めるとともに法制度の違反に対してのみ行うべき。・・・

 この運用見直しは既に、去る8月19日に労働基準局労働条件政策課及び監督課から公表されています。

 時間外・休日労働時間数のみに着目して1か月45時間以内への削減を求める一律の指導を見直し、各事業場が36協定で定める健康及び福祉を確保するための措置の実施状況を重点的に確認し、確認した状況に応じた必要な指導を行うこととします。なお、個々の事業場の実態を踏まえて、過重労働による健康障害が生じるおそれが高い場合には、引き続き必要な指導を行います。

 これに代えて日商が持ち出したのが変形労働時間制の見直しでした。これが上記日本成長戦略に盛り込まれたわけですが、その間、内閣府の規制改革会議ではこの問題が集中的に取り上げられました。すなわち、4月14日の同会議働き方・人への投資ワーキング・グループでは、経団連が裁量労働制の見直しを論じたのに対し、日商と全国建設業協会(全建)が変形労働時間制の見直しを訴えたのです。日商によれば、時間外労働上限規制によって支障が生じている企業は宿泊・飲食業、運輸業、建設業に多く、上限規制への対応が困難な理由として、天候・トラブルや前工程の遅れに伴う工期の短縮、顧客ニーズによる繁忙など他律的な要因での対応を挙げ、次のような見直しを求めています。

・こうした問題の解決策として、労働時間を柔軟に配分できる変形労働時間制の運用緩和を求める声は多い。他方で、現行制度では勤務日・勤務時間の柔軟な変更が認められていないことから、突発的な事象への対応が難しい。
・天候や取引先都合、工期の遅れ等へ対応するため、計画申請後の変更を認める措置や、労使合意を得る期間(30日前)の短縮などを通じ、より柔軟に活用できる制度として要件を緩和すべき。
・また、手続き面での煩雑さや制度の分かりづらさについての声も多いことから、手続きの簡素化や働き方改革推進支援センター等の支援機関による導入のサポートも同時に実施すべき。

 また全建は建設業特有の事情を踏まえて、変形労働時間制をもっと活用しやすくしてほしいと、より具体的な要望をしています。

○要望1 30日前に天候は予想できない。
⇒30日前までに定める必要のある(1)④の勤務カレンダーを事後作成又はせめて前日での作成で対応を可能に
⇒勤務カレンダーを30日前までに作成した場合でも、労働者の同意を得た上で、事後的に変更又はせめて前日での変更を可能に
⇒勤務カレンダーを日を特定せず、例えば、週単位又は月単位で労働日数・労働時間を定め、 天候に応じて臨機応変な対応を可能に
○要望2 手続が複雑・煩雑で対応できない。
⇒例えば、(1)の労使協定ではなく、現場単位で労働者の同意を得た上で可能にすることや (2)の就業規則の整備を不要にしたり、(3)の監督署への届出を省略するなど、手続の簡素化を

 この議論を受けて、日本成長戦略と同じ7月21日に閣議決定された規制改革実施計画では、裁量労働制の拡大の前にこの「1年単位の変形労働時間制における労働日数等の特定の在り方」について極めて詳細な要望を書き連ねた上で、次のように規制改革を行なう旨を明記しました。実施時期は「令和8年検討開始、早期に結論、結論を得次第速やかに措置」とされています。

・・・以上の声や指摘を踏まえ、心身の健康維持を前提に柔軟で多様な働き方を実現する観 点から、1年単位の変形労働時間制について、厚生労働省は、規制改革推進会議での議論や制度運用状況等の実態も踏まえ、予期しなかった事情にも柔軟に対応できるようにすることについて、労働者の予見可能性の確保についても十分留意しつつ、労働政策審議会において検討し、結論を得次第、速やかに所要の措置を講ずる。・・・

 一方、日本成長戦略会議労働市場改革分科会では6月2日の取りまとめにおいて、次のように変形労働時間制の見直し論と慎重論を併記していました。

○ 変形労働時間制は繁閑に応じて労働時間の配分を可能にする制度であり、労使の話合いにより労働時間短縮や法定労働時間枠の有効活用につながりうるが、天候の変化や取引先との関係等によって繁忙が大きく左右されることに十分対応できず、「30 日前」要件の短縮や特定後の勤務日変更を認める等の見直しを検討すべき、現場の実情に合わせた柔軟な設計の検討が必要であるが、労働者の予見可能性や健康確保が最優先であり、その客観的要件を明確化するなど限定的であることを前提に議論すべきとの意見があった。
○ 他方、原則の法定労働時間を超過することも可能となる例外的な制度であり、労働者保護の観点から様々な要件が課されている趣旨を踏まえれば、長時間労働の常態化や労働者のリカレント教育、リ・スキリングを含む生活時間設計を損なう要件緩和などは行うべきでないとの意見があった。

 この後に、「変形労働時間制については、他律的な要因に十分対応できていない現場の実態や、労働者の生活時間や予見可能性の確保にも留意しつつ検討を進める必要がある」という一文が書かれ、それがそのまま冒頭に紹介した『日本成長戦略』における「検討」の一文として盛り込まれたわけです。
 労政審労働条件分科会では既に7月14日から本格的な議論が始まっていますが、ここでは変形労働時間制のこれまでの経緯についてごく簡単におさらいしておきましょう。
 もともと1947年に労働基準法が施行されたときに、就業規則により4週間単位の変形労働時間制が可能でしたが、1987年の改正により、これが1か月単位の変形労働時間制となるとともに、新たに3か月単位の変形労働時間制と1週間単位の非定型的労働時間制が導入されました。この時にはフレックスタイム制や専門業務型裁量労働制も導入され、これら新たな制度の導入には過半数組合又は過半数代表者との労使協定が必要となりました。既存の1か月単位変形制は就業規則で導入可能のままです。さらに、新たに導入された3か月単位と1週間単位の変形制は、1日10時間(、1週52時間)という上限も設定されました。上限といっても、これを超えると時間外労働になるというだけではありますが。
 この3か月単位変形制が、1993年改正で1年単位の変形労働時間制となり、この時に対象期間を3か月以上に区分する場合には、各期間30日前に労働日、労働時間を特定することとされ、さらに1998年改正により対象期間を1か月以上に区分することが可能となりました。ただし、各期間の30日以上前に特定することが条件ですので、これが今回日商や全建が求める見直しの対象ということになります。
 もともと3か月単位/1年単位変形制とは、季節による業務の繁閑が著しい分野を想定して作られた制度ですから、この時期は忙しいがこの時期が暇だというようなことはほぼ予想できるので、30日前までに特定させることは特段不自然ではなかったのでしょう。ところが、今回日商や全建が求めている見直しの理由に挙がっていることを見ると、事前に予測しがたい気候の状況等に即時に対応できるようにしたいという話なので、これまでの制度設計の想定とは食い違いが生じているように見えます。
 労政審ではもちろん裁量労働制を巡る論戦が主戦場になりますが、変形労働時間制がどのように扱われていくかについても、引き続き注視していきたいと思います。

 

『スキルとデキル』にAmazonレビュー

322511000924_20260924092101 『スキルとデキル』にAmazonレビューがつきました。shiroさんの「歴史的経緯を踏まえた深い理解を得ることができる良書」との評価です。

https://www.amazon.co.jp/dp/4040825705

この著者の、雇用制度などに関するこれまでの著作は、単に現状を記述するだけではなく、そこに至った歴史的経緯からしっかりと紹介するものである。本書も、単なる時流に乗った直近の流れだけではなく、明治以降のわが国の職業訓練の歴史から説き起こしたものであり、現在ついての深い理解を助ける良書である(ただ、前著も含めてやや詳細に過ぎる感もないわけではなく、意識して読まないと逆に大きな流れを掴み損なう恐れもあろう)。そういう点を承知の上で読むと、(この著者の他書と同様に)単なるHOW TO式の底が浅い本と違って、流れの本質を理解できると考える。

執筆の趣旨を深く理解いただいた書評で有り難いです。「前著も含めてやや詳細に過ぎる感もないわけではなく、意識して読まないと逆に大きな流れを掴み損なう恐れもあろう」とのご批判は、正直どこまで書き込むか悩んだところも多いのですが、自分ではかなり分量を少なくして、かつごく僅かですが昔の事例の証言も入れたりして、読みにくさを少なくしようと努めたつもりではあります。

 

 

 

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