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2021年5月 3日 (月)

高校「公共」教科書にジョブ型、メンバーシップ型が登場

Img3717x1024 依然として、メディア上に流れる「ジョブ型」という言葉の9割方は、成果主義とごっちゃにしたような見当はずれのジョブ型論ですが、そういう手合いにまず読んでもらうのにふさわしそうな高校の教科書が出たようです。教育図書の「公共」。

https://www.kyoiku-tosho.co.jp/2021/03/27/843/

2022年度から公民科教育は大きく変わります。
知識を覚えるだけの暗記科目から,主体的に社会にかかわる「考える公民科」へ。
新科目「公共」は「現代社会」の焼き直しではありません。
今,目の前で起こっている社会課題,高校生が近い将来直面する不安,それらにについて思考し議論するための材料として教育図書の「公共」は作られています。
新しいスタイルの教科書で,新しい公民科の扉を開けましょう。

そのテーマ学習の筆頭に、「【ジョブ型かメンバーシップ型か】働き方について深く考えるための公共の授業」なるページがあり、

https://www.kyoiku-tosho.co.jp/news_list/1905/

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憲法記念日に人権を考える・・・hamachan版

本日、憲法記念日ということもあり、本ブログで過去、人権について書いたエントリをいくつかお蔵出しします。

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http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-baa7.html(りべさよ人権論の根っこ)

ユニオンぼちぼち リバティ分会(大阪人権博物館学芸課・教育普及課分会)のブログに、興味深い記述がありました。

http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/blog-entry-308.html権利と聞いて何をイメージしますか?

・・・次に、今まで受けてきた人権教育、人権啓発の内容について質問します。
 被差別部落、在日コリアン、アイヌ民族、障害者、パワーハラスメント・セクシュアルハラスメント、ジェンダー、人種差別など、その特徴は個別の差別問題があげられることです。

権利に対して抱いているイメージが抽象的か具体的かについては、そのおよそ7割が抽象的だったと答えてくれます。身近かどうかについても、6~7割程度が「身近ではない」に手を挙げます。
 受けてきた人権教育・人権啓発を数多く書いてくれる人も中にはいるのですが、「働く権利」と書く人はほとんどいません。子どもでは皆無です。

この質問を考えたときに想像していた通りの結果にはなっているのですが、これが現状です。日本社会で権利がどのように受けとめられているかがよく分かりますし、状況はかなり深刻ではないかと感じています。
 人権のイメージが抽象的で自分に身近なものとは感じていないのですから、これではなかなか自分が人権をもっていると実感することはできません。まさに人権は、特別な場で特別な時間に学ぶものになってしまっています。
 最後に、「人権は誰のものですか?」と聞くと、多くの人は「全ての人のもの」と答えます。なのに、人権について繰り返し聞いたこれらの質問を考えるとき、自分に関わる質問だと感じながら考える人は多くないようです。「みんなのもの」なのに、そこに自分はいないのでしょうか。

まさにここに、世界でごく普通に認識されている人権とはかなり異なる日本における「人権」のありようが透けて見えます。

なぜこのような現状になっているのか。その問題を考えるとき、従来おこなわれてきた人権教育や啓発の問題を考えざるを得ません。
 質問に対する答えにも書いたように、人権教育や啓発でおこなわれている大半は、個別の差別問題に対する学習になっています。リバティに来館する団体が学芸員の解説で希望するテーマも、やはり多くは部落問題や在日コリアン、障害者の問題などになっています。
 もちろんこれらの問題も、被差別者の立場以外の人にこそ、自分自身が問われている問題だと考えて欲しいと思っています。しかし、リバティに来る子どもたちを見ていると、人権学習は固くて、重くて、面白くない、自分とは関係ないものだと感じていることがよく分かります。
 人権のイメージを聞かれて、「差別」と書くのも、人権学習は差別を受けて困っている人の話だと思っていることが影響しているのかもしれません。
 このような意識を変えていくためにこそ、労働に関する問題と働く権利の話を伝えていくことが必要だと思っています。

この異常に偏った「人権」認識が、例えば赤木智弘氏の「左派」認識と表裏一体であることはいうまでもありませんし、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

男性と女性が平等になり、海外での活動を自己責任と揶揄されることもなくなり、世界も平和で、戦争の心配が全くなくなる。
で、その時に、自分はどうなるのか?<
これまで通りに何も変わらぬ儘、フリーターとして親元で暮らしながら、惨めに死ぬしかないのか?

をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。

ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。自分の言論によって自分が幸せにならない。このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。

よくぞ気がついたな、若いの。生粋のプロレタリアがプチブルの真似事をしたってしょうがねえんだよ、俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ、と、あんたは言うべきだったんだ、と、オールド左翼オヤジは言うでしょう。

そして、人権擁護法案に対するこういう反応の背後にあるのも、やはり同じ歪んだ人権認識であるように思われます、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirotakaken.html(ミニ・シンポジウム「教育制度・教育政策をめぐって(2)――教育と雇用・福祉」 )

数年前に、若者関係の議論がはやった頃に結構売れたのが、フリーターの赤木智弘さんが書いた本です。その中で、彼は「今まで私は左翼だったけど、左翼なんかもう嫌だ」と言っています。彼がいうには、「世界平和とか、男女平等とか、オウムの人たちの人権を守れとか、地球の向こう側の世界にはこんなにかわいそうな人たちがいるから、それをどうにかするとか、そんなことばかり言っていて、自分は左翼が大事だと思ったから一生懸命そういうことをやっていたけど、自分の生活は全然よくならない。こんなのは嫌だ。だからもう左翼は捨てて戦争を望むのだ」というわけで、気持ちはよくわかります。
 
 この文章が最初に載ったのは、もうなくなった朝日新聞の雑誌(『論座』)です。その次の号で、赤木さんにたいして、いわゆる進歩的と言われる知識人たちが軒並み反論をしました。それは「だから左翼は嫌いだ」と言っている話をそのまま裏書きするようなことばかりで、こういう反論では赤木さんは絶対に納得しないでしょう。
 
 ところが、非常に不思議なのは、彼の左翼の概念の中に、自分の権利のために戦うという概念がかけらもないことです。そういうのは左翼ではないようなのです
 
 もう一つ、私はオムニバス講義のある回の講師として、某女子大に話をしに行ったことがあります。日本やヨーロッパの労働問題などいろいろなことを話しましたが、その中で人権擁護法案についても触れ、「こういう中身だけど、いろいろと反対運動があって、いまだに成立していない」という話を、全体の中のごく一部でしました。
 
 その講義のあとに、学生たちは、感想を書いた小さな紙を講師に提出するのですが、それを見ていたら、「人権擁護法案をほめるとはけしからん」という、ほかのことは全然聞いていなかったのかという感じのものが結構きました。
 
 要するに、人権を擁護しようなどとはけしからんことだと思っているわけです。赤木さんと同じで、人権擁護法とか人権運動とか言っているときの人権は、自分とは関係ない、どこかよその、しかも大体において邪悪な人たちの人権だと思いこんでいる。そういう邪悪な人間を、たたき潰すべき者を守ろうというのが人権擁護法案なので、そんなものはけしからんと思い込んで書いてきているのです。
 
 私は、正直言って、なるほどと思いました。オムニバス講義なので、その後その学生に問い返すことはできませんでしたが、もし問い返すことができたら、「あなた自身がひどい目に遭ったときに、人権を武器に自分の身を守ることがあり得るとは思いませんか」と聞いてみたかったです。彼女らの頭の中には、たぶん、そういうことは考えたこともなかったのだと思います。
 
 何が言いたいかというと、人権が大事だとか憲法を守れとか、戦後の進歩的な人たちが営々と築き上げてきた政治教育の一つの帰結がそこにあるのではないかということです。あえて毒のある言葉で申し上げますが。
 
 少なくとも終戦直後には、自分たちの権利を守ることが人権の出発点だったはずです。ところが、気が付けば、人権は、自分の人権ではなく他人の人権、しかも、多くの場合は敵の人権を意味するようになっていた。その中で自分の権利をどう守るか、守るために何を武器として使うかという話は、すっぽりと抜け落ちてしまっているのではないでしょうか
 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-3e81.html(自分の人権、他人の人権)

https://twitter.com/YuhkaUno/status/494839766626492419

人権教育というのは、まず「あなたにはこういう権利がある」ということを教えることだと思うんだけど、日本の人権教育は「弱者への思いやり」とかで語られるから、人権というのは「強者から弱者への施し」だと考えるようになるんだと思う。

もっというと、だから人権を目の敵にする若者たちがいっぱい出てくるわけです。

ということをだいぶ前から言い続けてきているわけですが・・・。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirotakaken.html

 残りの3分の1の時間で、想定される小玉先生の話に対するコメントをします。本田さんの言い方で言うと、「適応と抵抗」の「抵抗」になります。
 
数年前に、若者関係の議論がはやった頃に結構売れたのが、フリーターの赤木智弘さんが書いた本です。その中で、彼は「今まで私は左翼だったけど、左翼なんかもう嫌だ」と言っています。彼がいうには、「世界平和とか、男女平等とか、オウムの人たちの人権を守れとか、地球の向こう側の世界にはこんなにかわいそうな人たちがいるから、それをどうにかするとか、そんなことばかり言っていて、自分は左翼が大事だと思ったから一生懸命そういうことをやっていたけど、自分の生活は全然よくならない。こんなのは嫌だ。だからもう左翼は捨てて戦争を望むのだ」というわけで、気持ちはよくわかります。
 
 この文章が最初に載ったのは、もうなくなった朝日新聞の雑誌(『論座』)です。その次の号で、赤木さんにたいして、いわゆる進歩的と言われる知識人たちが軒並み反論をしました。それは「だから左翼は嫌いだ」と言っている話をそのまま裏書きするようなことばかりで、こういう反論では赤木さんは絶対に納得しないでしょう。
 
 ところが、非常に不思議なのは、彼の左翼の概念の中に、自分の権利のために戦うという概念がかけらもないことです。そういうのは左翼ではないようなのです。
 
 もう一つ、私はオムニバス講義のある回の講師として、某女子大に話をしに行ったことがあります。日本やヨーロッパの労働問題などいろいろなことを話しましたが、その中で人権擁護法案についても触れ、「こういう中身だけど、いろいろと反対運動があって、いまだに成立していない」という話を、全体の中のごく一部でしました。
 
 その講義のあとに、学生たちは、感想を書いた小さな紙を講師に提出するのですが、それを見ていたら、「人権擁護法案をほめるとはけしからん」という、ほかのことは全然聞いていなかったのかという感じのものが結構きました。
 
 要するに、人権を擁護しようなどとはけしからんことだと思っているわけです。赤木さんと同じで、人権擁護法とか人権運動とか言っているときの人権は、自分とは関係ない、どこかよその、しかも大体において邪悪な人たちの人権だと思いこんでいる。そういう邪悪な人間を、たたき潰すべき者を守ろうというのが人権擁護法案なので、そんなものはけしからんと思い込んで書いてきているのです。
 
 私は、正直言って、なるほどと思いました。オムニバス講義なので、その後その学生に問い返すことはできませんでしたが、もし問い返すことができたら、「あなた自身がひどい目に遭ったときに、人権を武器に自分の身を守ることがあり得るとは思いませんか」と聞いてみたかったです。彼女らの頭の中には、たぶん、そういうことは考えたこともなかったのだと思います。
 
 何が言いたいかというと、人権が大事だとか憲法を守れとか、戦後の進歩的な人たちが営々と築き上げてきた政治教育の一つの帰結がそこにあるのではないかということです。あえて毒のある言葉で申し上げますが。
 
 少なくとも終戦直後には、自分たちの権利を守ることが人権の出発点だったはずです。ところが、気が付けば、人権は、自分の人権ではなく他人の人権、しかも、多くの場合は敵の人権を意味するようになっていた。その中で自分の権利をどう守るか、守るために何を武器として使うかという話は、すっぽりと抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-4543.html(リベサヨにウケる「他人の人権」型ブラック企業)

みなみみかんさんの鋭い直感:

https://twitter.com/radiomikan/status/505024778688684034

たかの友梨もワタミもそうなんだけど、児童養護施設に寄付したり東南アジアの子供ために力を入れたりしてるんだけど、自社の社員に対する扱いがアレで、もうなんかアレという他ない。

だから、そういう「他人の人権は山よりも高し、自分の人権は鴻毛よりも軽し」って感覚こそ、あの赤木智弘氏がずっぽりとその中で「さよく」ごっこしていた世界であり、そんなんじゃ自分が救われないからと「希望は戦争」になだれ込んでしまった世界であるわけです。

自分の人権なんかこれっぽっちでも言うのは恥ずかしいけれど、どこか遠くの世界のとってもかわいそうな人々のためにこんなに一生懸命がんばっているなんて立派なぼく、わたし、という世界です。

そういうのを讃えに讃えてきたリベサヨの行き着く果てが、末端の労働者まで社長に自我包絡されて、こんなに自分の人権を弊履の如く捨て去って他人の人権のために尽くすスバラ式会社・・・というアイロニーに、そろそろ気がついてもよろしいのではないかと、言うてるわけですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年5月 2日 (日)

ピケティのバラモン左翼論は3年前から

Images なんだか今頃になって、またぞろトマ・ピケティのバラモン左翼論がバズっているようですが、この言葉をおそらく初めて紹介したこのエントリは、もう3年以上前になります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-83eb.html(バラモン左翼@トマ・ピケティ)

21世紀の資本で日本でも売れっ子になったトマ・ピケティのひと月ほど前の論文のタイトルが「Brahmin Left vs Merchant Right」。「バラモン左翼対商人右翼」ということですが、この「バラモン左翼」というセリフがとても気に入りました。・・・

ふむ。思いついた言葉がすべてで、それがそのままタイトルになったという感じですが、確かに「インテリ左翼」とかいうだけでは伝わらないある種の身分感覚まで醸し出しているあたりが、見事な言葉だなあ、と感じました。  

 

 

中国の左翼は日本の右翼または張博樹『新全体主義の思想史』

452526 アメリカがバイデン政権になって、米中対立が本格的に専制対民主の対立になりつつある今、前から気になっていながらそのままになっていた張博樹『新全体主義の思想史』を通読しました。

https://www.hakusuisha.co.jp/book/b452526.html

習近平体制を「新全体主義」ととらえ、六四以後の現代中国を壮大なスケールで描く知識社会学の記念碑的著作。天安門事件30年を悼む

著者の張博樹さんは、中国社会科学研究院を解雇され、コロンビア大学で現代中国を講じている言葉の正確な意味でのリベラル派中国知識人ですが、そのリベラル派から新左派、毛左派、紅二代、ネオナショナリズムに至るまで、現代中国の9大思潮を、時にはそのインチキなロジックを赤裸々に分析しながら描き出した大著です。

著者を含むリベラル派については、訳者の石井知章、及川淳子さんらによる紹介がされていますし、妙にポストモダンめいたレトリックを駆使して中国共産党政権を擁護する汪暉ら新左派についても、なぜか日本にファンが多いようで、やはり結構翻訳されていますが、それ以外の種々様々な思想ないし思想まがいについては、これだけ包括的に描き出したものはちょっとないでしょう。そして、本書に描かれた時に精緻めかした、時にやたらに粗雑な「左派」という名のロジックの数かずを読み進んでいくと、なんだか似たようなロジックを日本語でも読んだ記憶があるなという感想が浮かんできます。

それは、意外に思われるかもしれませんが、『正論』とか『WILL』とか『hanada』といったいわゆる右翼系オピニオン雑誌によく出てくるものとよく似ていて、そうか、中国の左翼というのは日本の右翼の鏡像みたいなものなんだな、ということがよくわかります。

まあ、それは不思議ではなく、普遍的な近代的価値観を目の敵にするという点では、日本の右翼と中国の左翼は全く同じであって、ただどちらもそれがストレートではなくねじれている。

日本の右翼は、本音ではアメリカ占領軍に押しつけられた憲法をはじめとする近代的価値観が大嫌いなのだが、(ほんとはよく似た)中国共産党と対決するために、アメリカの子分になって、アメリカ的価値観に従っているようなふりをしなければならない。

中国の左翼は、本音は中華ナショナリズム全開で、欧米の思想なんて大嫌いなのだが、肝心の中国共産党が欧米由来のマルクス主義をご本尊として崇め奉っているので、論理めちゃくちゃなマルクス神学のお経みたいな議論をやっている。

というのは、もちろん著者の意図とはかけ離れた、日本の一読者の斜め下からの感想に過ぎませんけど。

 

 

2021年5月 1日 (土)

それは労働者性ではなく利益代表者性の認定

Kantoku_20210501130701 今年2月にまとめた報告書『労働者性に係る監督復命書等の内容分析』は、実務的にはなかなか興味深い内容のものだと思っているのですが、判例に目が行きがちな研究者の方々にはあまり関心を呼ばないようで、ようやく大内伸哉さんに取り上げていただきました。

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2021/0206.html(労働政策研究報告書 No.206 労働者性に係る監督復命書等の内容分析)

労働基準監督署において取り扱った労働者性に係る事案の内容分析を通じて、1985年労基研報告の労働者性判断基準の運用実態を明らかにする。 

http://lavoroeamore.cocolog-nifty.com/amoristaumorista/2021/04/post-399877.html(労働者性について)

 もう一つが,労働政策研報告書No. 206『労働者性に係る監督復命書等の内容分析』です。これは濱口桂一郎さんが担当しています。労働者性をめぐって現場でどのような問題が起きているのかを,行政の文書である監督復命書と申告処理台帳を分析して解明しようとするものです。行政の現場では,労働者性の判断を実際に求められることがあるわけですよね。実は私の提案する事前認証手続の一つは,そうした行政での労働者性の判断をフォーマルな手続として整備し,その判断をファイナルなものとすることです。これにより紛争防止ができればというのが狙いです。・・・

憲法の保障する裁判を受ける権利が保障されている以上、行政の行為をファイナルにするのは難しいとは思いますが、もっとフォーマルな手続にするという発想はあり得るとは思います。

さて、大内さんはそれに続けてこう述べるのですが、これはいささか誤解されているようです。

実は,現行法でも,労働者性の判断についてのフォーマルな事前手続を定めたとみられるものがあります。一つは,労組法関係ですが,地方公営企業等の労働関係に関する法律52項は,「労働委員会は,職員が結成し,又は加入する労働組合……について,職員のうち労働組合法第二条第一号に規定する者の範囲を認定して告示するものとする」となっています(労働委員会規則28条以下)。実際にこのような認定・告示がされているのか,よく知りませんが,こういう手続があること自体,興味深いです。・・・

この「労働組合法第二条第一号に規定する者 」というのは、「役員、雇入解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とに直接に触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者 」であり、世間で言うところの管理職ですね。実際、これに基づいて制定されている地方労働委員会告示では、局長とか次長とか所長といったのが並んでいます。これらは労働者性とは関係がありません。

さらにそれに続けてこう書かれていますが、

あるいは,実態がよくわかってないのですが,生活困窮者自立支援法16条に基づく生活困窮者就労訓練事業では,いわゆる中間的就労として雇用型と非雇用型とがあり,そのどちらに該当するかは,「生活困窮者自立支援法に基づく認定就労訓練事業の実施に関するガイドライン」によると,「対象者の意向や,対象者に行わせる業務の内容,当該事業所の受入れに当たっての意向等を勘案して,自立相談支援機関が判断し,福祉事務所設置自治体による支援決定を経て確定する」となっています。「非雇用型の対象者については、労働者性がないと認められる限りにおいて、 労働基準関係法令の適用対象外となる」とされているので,この手続で労働者性の判断が確定するわけではないのでしょうが,行政が労働者性の判断の前さばきをしているとみることができそうですね。こうした行政実務の実態がどのようになっているのかも知りたいところですね。・・・

これもやや誤解があるのではないかと思うのは、福祉行政も行政に違いはないでしょうが、労働者性の判断に関する権限は何ら与えられているわけではなく、労働基準行政から見れば一般民間企業における業所管官庁と何ら変わらないと言うことです。製造業の工場現場の労働者性の判断に経済産業省が何ら権限を持たず、建設現場の一人親方の労働者性の判断に国土交通省が何ら権限を持たないのと全く同じです。仮に何か「前さばき」まがいのことをしたからといって、それが権限を有する労働基準行政の判断を(事実上はともかく)法制的には左右するものではありません。

 

 

 

 

 

 

 

拙評釈に担当弁護士ご本人がニヤリ

先月、労働判例研究会で評釈した労働審判(口外禁止条項)事件(長崎地判令和2年12月1日)(労働判例ジャーナル107号2頁)のレジュメをひっそりと拙ホームページにアップしていたところ、当該事件の担当弁護士の中川拓さんに見つけられてしまったようで、

http://hamachan.on.coocan.jp/rohan210409.html(労働審判における口外禁止条項の相当性と国家賠償責任)

https://twitter.com/takun1981/status/1387973592411901953

Sdnvb8i4_400x400 濱口桂一郎氏のウェブサイトに,「労働審判における口外禁止条項の相当性と国家賠償責任」の判例評釈があることを発見(エゴサーチで出てきた)。今年4月9日の「東京大学労働判例研究会」で報告された模様。とても参考になる内容。「負けるが勝ちの名判決」の項目にはニヤリ 

担当弁護士にニヤリとされて、わたくしも内心ニヤリとしました。

そのニヤリの部分は以下の通り:

2 負けるが勝ちの名判決
 
 しかしながら上述のように、まことに皮肉なことながら、この労働審判における口外禁止条項の違法性を認めながら、形式上の訴訟の目的物である国家賠償請求を「特別の事情」の不存在を理由に棄却することによって、本判決はX側にとって完全無欠の名判決として完成する。なぜなら、本件訴訟自体では被告の国が勝訴しているために、敗訴した原告側が控訴しない限りこれで確定してしまうことになり、つまりA社は自らが関与し得ないところで口外禁止条項の効力が失われるという結果だけを甘受しなければならなくなるのである。
 X側がそこまで読んだ上で本件国家賠償請求訴訟を提起したのかどうかは分からないが、A社にとっては、X側が口外禁止に同意していた解決金額まで明らかになってしまったのであるから、予想外の展開ということになろう。かかる判決が下級審とはいえ確立してしまうと、今後労働審判において口外禁止条項を附することは極めて困難になると思われる。それが本判決の最大の効果であるとすると、その意味は極めて大きいものがあるといえる。 

 

 

2021年4月30日 (金)

EUの新AI規則案と雇用労働問題@JILPTリサーチアイ

JILPTリサーチアイに、「EUの新AI規則案と雇用労働問題」を寄稿しました。

今や猫も杓子もAIでなければ夜も明けない有様で、AIが雇用に及ぼす影響についての議論は汗牛充棟ですが、そのAIと具体的な雇用管理上の労働法との関係については、あまり突っ込んで議論はされているようには見えません。先週EUが公表したばかりのこの規則案は、じっくり読めば読むほど、考えるネタを提供してくれます。

https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/060_210430.html

去る4月21日、EUの行政府たる欧州委員会は新たな立法提案として「人工知能に関する規則案」(COM(2021)206)[注1]を提案した。同提案は早速世界中で大反響を巻き起こしているが、本稿では必ずしも日本のマスコミ報道で焦点が当てられていない雇用労働関係の問題について紹介し、政労使の関係者に注意を促したい。

EUのAIに対する政策は過去数年にわたって着実に進められてきた。2018年4月にはAIに関するコミュニケーションでその姿勢を示し、同年12月にはAIに関する協調計画を策定した。2020年2月にはAI白書をとりまとめて一般協議に付した。同協議への各界の意見を踏まえて、今回AI規則案を提案するに至ったのである。EU法制において、規則は指令と異なり、加盟国の法律に転換する必要なく直接EU域内に適用される。適用対象はEU企業やEU市民に限られない。EU域内に関わりを持つ限り、日本企業も中国企業もすべて適用されるのである。

本規則案では、AIをそのリスクによって4段階に分けている。最も上位にあるのが基本的人権を侵害する可能性の高い「許容できないリスク」であり、潜在意識に働きかけるサブリミナル技術、政府が個人の信用力を格付けする「ソーシャルスコアリング」、そして法執行を目的とする公共空間での生体認証などが含まれる。これらは中国では政府が先頭に立って全面的に展開されているものであるが、EUはその価値観からこれらを拒否する姿勢を明確にしている。規則案の公表以来、世界中のマスコミが注目しているのもこれら最上位のリスクを有するAIに対する禁止規定である。

しかしながら、その次の「ハイリスク」に区分されているAI技術の中には、雇用労働問題に深く関わるものが含まれている。ハイリスクのAIは利用が可能であるが、本規則案に列挙されているさまざまな規制がかかってくるのである。まずは、本規則案附則別表Ⅲに列挙されているハイリスクAIのうち、雇用労働に関わるものを示そう。

3 教育訓練
(a) 自然人の教育訓練施設へのアクセスまたは割り当ての目的で用いられるAIシステム
(b) 教育訓練施設における受講生の評価及び受入のために広く用いられる試験への参加者の評価のために用いられるAIシステム
4 雇用、労働者管理及び自営へのアクセス
(a) 自然人の採用または選抜、とりわけ求人募集、応募のスクリーニングまたはフィルタリング、面接または試験の過程における応募者の評価、のために用いられるAIシステム
(b) 労働に関係した契約関係の昇進及び終了に関する意思決定、課業の配分、かかる関係にある者の成果と行動の監視及び評価に用いられるAIシステム

とりわけ4は、入口から出口まで雇用管理の全局面にわたってAIを用いて何らかの意思決定をすることが本規則の適用対象に入ってくることがわかるだろう。こういったハイリスクAIを用いる場合には、本規則案に規定されているさまざまな規制がかかってくるのである。まず、リスクマネジメントシステムを設定しなければならず(第9条)、データガバナンスを確立しなければならない(第10条)。設置前に技術的ドキュメンテーションを行い(第11条)、運用中は常に記録(ログ)がなされ(第12条)、ユーザーへの透明性と情報提供が求められ(第13条)、そして人間による監視(human oversight)が要求される(第14条)。これは、AIシステムが用いられている間ずっと自然人により監視されているべきということで、安全衛生や基本的人権へのリスクを最小限にするためのものである。

本規則案ではさらに、ハイリスクAIシステムのプロバイダーに対しても、クオリティマネジメントシステム(第17条)、技術的ドキュメンテーション(第19条)、適合性評価(第19条)、自動生成ログ(第20条)、是正措置(第21条)、通知義務(第22条)、当局への協力(第23条)が課せられており、また販売業者、輸入業者、利用者その他の第三者などの責任も規定されている。規定ぶりは詳細を究めており、ここではいちいち紹介しきれないが、関心のある向きは是非EUのホームページで規則案を一瞥していただきたい。

本規則案はもちろん、EUで経済活動している日本企業にとっては重要なものであるが、それだけではなく、急激に発展するAIに対してどのように対応すべきかを考える上で、日本の政労使の関係者にとってもきわめて示唆的な内容であろう。周知の通り、2019年8月、募集情報等提供事業であるリクナビを運営するリクルートキャリアが、募集企業に対し、募集に応募しようとする者の内定辞退の可能性を推定する情報を作成提供したと報じられ、厚生労働省が業界団体に対して注意喚起するという事件があった。これ自体は新卒一括採用という日本独自の雇用慣行がもたらしたものであるが、上記別表4の各号列記の雇用管理事項についても、すでにかなりの企業でAIの利用が進んでいると言われており[注2]、現時点ではなんら規制の網はかぶせられていない状況である。

これからのAI時代の労働法規制のあり方を考える上でも、今回のEU規則案は絶対に目が離せない内容である。今後、欧州議会での審議の状況も含めて、随時その進展を報告していきたい。

脚注
注1 Proposal for a Regulation laying down harmonised rules on artificial intelligence (Artificial Intelligence Act) | Shaping Europe's digital futurenew window

注2 その一端は、倉重公太朗編集代表『HRテクノロジーで人事が変わる』(労務行政研究所)に描き出されている。

【GoTo書店!!わたしの一冊】第17回 十川陽一『人事の古代史―律令官人制からみた古代日本』

61npu1b1ql245x400 『労働新聞』に代わる代わる執筆している【GoTo書店!!わたしの一冊】ですが、また私の番が回ってきました.今回は十川陽一『人事の古代史―律令官人制からみた古代日本』という、一見古代史ファン向けの歴史本ですが、これが面白いんです。

https://www.rodo.co.jp/column/105168/

職能資格制は有史1000年

 人事といっても古代日本、律令制を導入して左大臣だの中納言だのとやっていた時代の人事の本だ。ところがこれがめっぽう面白い。歴史書としてもそうだが、人事労務管理の観点からも大変興味深いのだ。
 律令制以前の日本はウジ社会。要するに豪族たちの血縁原理でもって世の中が動いていたわけだが、諸般の事情で中国化せねばならなくなり、身の丈に合わない律令制というやたらに細かな法制度を導入することになった、というのは読者諸氏が高校日本史で勉強した通り。
 ところがその人事制度を見ていくと、本家の中華帝国とは一味違う仕組みになっているのだ。日本の律令制では、官人にまず位階を付与する。正一位から少初位下までの30段階のあれだ。これとは別に官職というのがある。大納言とか治部少輔とか出羽守とかのあれだ。そして、これくらいの位階ならこれくらいの官職というのが大体決まっている。大納言は正三位、治部少輔や出羽守は従五位という具合だ。ところが元になった唐の律令制ではそういう風になっていない。吏部尚書は正三品、御史大夫は従三品とか言っても、それは官職のランクにすぎない。ヒトについたランクではない。逆に言えば、日本ではまず人にランクをつけて、それからおもむろに官職を当てはめるのだ。
 あれ?どこかで聞いたような話だと思わないだろうか。そう、古代日本の律令制は職能資格制であるのに対して、中国の律令制は(そう言いたければ)ジョブ型なのだ。その結果何が起こるか。位階はあってもはめ込むべき官職のないあぶれ者が発生する。これを「散位(さんに)」と呼ぶ。仕事がないので散位寮というところに出仕させるのだが、六位以下では無給になる。正確に言うと、五位以上には位封など身分給があるが、六位以下は職務給だけなので、散位だと収入がなくなる。そこで、写経所でアルバイトをする。博物館に展示してあるあれだ。写経所は令外の官司(律令外の公的機関)であり、ある意味あぶれた官人のための公共事業という側面もあったようだ。これが出来高払いで、誤字脱字があると減給される。日本の課長になれない参事二級が「働かないおじさん」やっても基本給はもらえるのに比べると、なかなか厳しい世界だ。
 ちなみに、ジョブ型の中国では、「散位」はないが「散官」がある。中身のない官職なのだが、開府儀同三司とか驃騎大将軍とかやたらに偉そうな名前が付いている。思い出すのは前回紹介した『ブルシット・ジョブ』に出てきたブルシット・ジョブのジョブ・ディスクリプションを延々と作る人の話だ。
 時は流れ、イエ社会が諸般の事情で近代化せねばならなくなってからも、似たようなことが起こっているのは御承知の通り。まずヒトにランクをつけるというやり方は千年以上経っても変わらないようだ。「雇用問題は先祖返り」というのは、数年前に『HRmics』誌に連載した時のタイトルだが、千数百年前のデジャビュを演じていたとはさすがに知らなかった。

 

 

 

2021年4月28日 (水)

日本の高齢者雇用政策-高年齢者雇用安定法を中心に@『エルダー』2021年5月号

Image0_20210428134001 『エルダー』2021年5月号に「日本の高齢者雇用政策-高年齢者雇用安定法を中心に」を寄稿しました。

https://www.jeed.go.jp/elderly/data/elder/

1 60歳定年の努力義務(1986年)まで
2 65歳継続雇用政策の始まり
3 65歳までの継続雇用政策と年齢差別禁止政策の交錯
4 70歳までの「就業確保措置」
5 ずっと裏道の外部労働市場政策

それは「最低賃金」じゃない@バイデンの大統領令

20210427ds34_p 昨日、アメリカのバイデン大統領が最低賃金を15ドル(1600円)に引き上げたと報じられていますが、

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021042701127 (最低賃金1600円に引き上げ 大統領令で3割超―米)

【ワシントン時事】米ホワイトハウスは27日、バイデン大統領が連邦最低賃金を現在の時給10.95ドル(約1200円)から3割超引き上げ、時給15ドル(約1600円)にする大統領令に署名すると明らかにした。政権が重視する所得格差の是正を目指し、労働者収入の底上げを図る。

いやこの見出しはミスリーディングでしょう。

記事の先の方ではちゃんと書かれていますが、

・・・連邦政府機関と契約する業者が対象。2022年1月30日以降の新規雇用について、最低時給15ドルを従業員に支払うよう求める。既存の雇用契約についても同年3月末までに義務付ける。

これはいわゆる公契約条例の連邦政府版であって、それを「連邦最低賃金」と呼ぶのは、まさにその名に値する公正労働基準法による連邦最低賃金(今なお7.25ドル、今年15ドルに引き上げる法案が提出されているが共和党が反対)と紛らわしいので、やめてほしいところです。

その大統領令はこちら

https://www.whitehouse.gov/briefing-room/presidential-actions/2021/04/27/executive-order-on-increasing-the-minimum-wage-for-federal-contractors/(Executive Order on Increasing the Minimum Wage for Federal Contractors)

なお、本当の最低賃金については、アメリカ労働省の最低賃金のページを参照のこと。

https://www.dol.gov/general/topic/wages/minimumwage

 

 

 

 

 

 

本日はコロナ禍の国際労働者祈念日

Arton2435802d4c 例によって、日本の労働組合はスルーしていますが、本日は国際労働者祈念日(International Workers’ Memorial Day)です。

国際労連のサイトから

https://www.ituc-csi.org/international-workers-memorial-day-2021?lang=en

 As workers around the world who have lost their lives to workplace accidents and disease are commemorated on 28 April, trade unions are pressing two key demands to save lives.

世界中の職場の労働災害や職業病で命を失った労働者が4月28日に祈念される。・・・

2. COVID-19 must be classified as an occupational disease. This would provide enhanced protection for workers and enable access to compensation funds for families of workers who die or are infected with Covid-19 at work. Last year, global unions called on the ILO to list Covid-19 as an occupational disease and an initial ITUC survey of 58 countries shows that, so far, only 26 have taken this step. In some cases this coverage is restricted to workers in the health sector. 

新型コロナは職業病と類別されなければならない。・・・

 

 

2021年4月27日 (火)

メンバーシップ型社会のねじれたリカレント教育@『IDE現代の高等教育』2021年5月号

Image0_20210427121201 『IDE現代の高等教育』2021年5月号に「メンバーシップ型社会のねじれたリカレント教育」を寄稿しました。

https://ide-web.net/newpublication/blog.cgi?n=13&category=001

特集は「リカレント教育の新局面」で、次のようなラインナップです。

リカレント教育の新局面 金子 元久
メンバーシップ型社会のねじれたリカレント教育 濱口桂一郎
大学院におけるリカレント教育 鈴木 久敏
産業界からみたリカレント教育 宮田 一雄
女性のためのリカレント教育 坂本 清恵
高知大学の地域連携 櫻井 克年
上智大学プロフェッショナル・スタディーズ 曄道 佳明
国際化サイバーセキュリティ学特別コースCySec  寺田 真敏
リカレント教育としての大学通信教育 高橋 陽一
大学・大学院が社会人学習者から選ばれる存在となるために 乾 喜一郎
大学におけるリカレント教育に関する制度整備の変遷等について 一色 潤貴
米国の成人教育の新たな潮流:マイクロクレデンシャル 溝上智惠子
フランスの成人教育の新局面  夏目 達也 

私のはタイトルからもわかるように、なぜ日本ではリカレント教育が本来の趣旨とは違うものになってしまうのかを、雇用システム論の観点から解きほぐしています。

 リカレント教育という言葉はもう半世紀以上の歴史を重ねているが、今日「人生100年時代」とか「第4次産業革命」という掛け声とともに再び政策の前面に出てきている。しかしながら、わたくしが「メンバーシップ型」と呼ぶ独特の雇用システムのもとでは、そのありようは長らくねじれたままであったし、今日においてもなおそのねじれの延長線上に論じられているように見える。本稿では、そのねじれのよってきたる所以を若干でも解きほぐしてみよう。
 
そもそも「リカレント教育」とは・・・
ジョブ型社会の「リカレント教育」
メンバーシップ型社会のOJTとその機能不全
職業能力評価制度の機能不全

・・・昨年来「ジョブ型」という言葉が異常に氾濫しているが、その内実はほとんど成果主義でしかなく、本気でジョブとスキルに基づく雇用制度に移行しようと考えている企業はほとんど見当たらない。その証拠に、ずぶの素人をOJTで鍛える新卒採用モデルに変化の兆しは全くなく、大学側もそういう企業行動を大前提に、ジョブのスキルなどよりも(潜在能力と意欲を最大限見せかける)シューカツのスキルに注力する「キャリア支援」に専念している。変わらぬメンバーシップ型社会におけるねじれたリカレント教育という立ち位置は、当分変わりそうもない 。

 

『日本労働研究雑誌』2021年5月号(No.730)

730_05 『日本労働研究雑誌』2021年5月号(No.730)は「教員の職場環境」が特集です。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2021/05/index.html

特集:教員の職場環境

提言 教員の職場環境 広田照幸(日本大学教授)
解題 教員の職場環境 編集委員会
論文 教員の過剰労働の現状と今後の課題 大内裕和(中京大学教授)
公立学校教員の労働時間概念─労働基準法を潜脱する改正給特法の問題 髙橋哲(埼玉大学准教授)
組織開発による教員の長時間労働是正の取り組み─校長研修におけるチェンジエージェントの育成を通じて 町支大祐(帝京大学講師)・辻和洋(國學院大學特任助教)・中原淳(立教大学教授)・柳澤尚利(横浜市教育委員会主任指導主事)
学校は変われるか─職員室の内と外から教師の働き方を考える 内田良(名古屋大学准教授)
教員研修の現状と今後の職能開発の在り方 安藤知子(上越教育大学教授)
教員の人事考課に基づく昇給制度の運用と改定─ある自治体の労使交渉に着目して 岩月真也(同志社大学助教)
教員の職場環境の国際比較─OECD・TALISから見えてくるもの 杉浦健太郎(国立教育政策研究所総括研究官)
論文(投稿)公立小中学校教員の生活満足度を規定する要因 神林寿幸(明星大学教育学部常勤講師) 

このテーマではおなじみの顔ぶれもいればそうでない方もいますが、そのうち教員の人事考課と労使交渉を論じている岩月さんについて一言。いや、中身はこの要約のとおりなんですが、

本稿は人事考課に基づく昇給制度がいかに運用され,その制度がいかに改定されたのか,何が変わったのかを明らかにする。加えて,賃金・人事制度の変化を踏まえ,教員の働き方改革に対する論点を提示した。研究方法としては労使関係論の視点から,A県における人事考課に基づく昇給制度の運用と改定をめぐる2017年の労使交渉に焦点をあてた。2017年交渉の結果,組合側の要求が一部反映し,監督職層に対する5%の付与率が撤回されたとはいえ,改定された昇給制度は,従来は3号昇給であった教員を2号昇給とし,また従来は2号昇給であった教員を1号昇給とするルールへと変貌した。労働力取引の観点からみれば,日本の教員については賃金の個別的取引が主軸であるといえる。総じて,教員の世界においても,校長や教育委員会による人事考課が個々の教員の賃金に及ぼす影響力が増大し,組合側が一定程度は抑制しているとはいえ,日本の民間組織と同様に,賃金の個別化が漸進的に進んでいる。教員の働き方改革に対する論点として,①人事考課に基づく賃金のルールをいかに形成するかについての議論,②人事考課を土台とする教員の職務の無限定性の議論,③労使関係の役割,④労労関係の議論の必要性に言及した。最後に今後の研究課題として,賃金制度の裏側にある,仕事のルールの解明の必要性を提示した。

ここではその肩書きについて。目次やタイトル下には「同志社大学助教」とありますが、最後のプロフィール欄には「2021年4月より労働政策研究・研修機構研究員」とあるように、今月からJILPTに来ています。最終校正で直せなかったのでしょうか。

41cyh3aradl_sx348_bo1204203200_ ちなみに、岩月さんは昨年10月に『教員の報酬制度と労使関係――労働力取引の日米比較』(明石書店)を出しています。これはなかなかか読み応えのある本です。

 

 

 

 

2021年4月24日 (土)

労務屋さんに『団結と参加』を取り上げていただく

04021351_6066a2d0a83c9 先月刊行した『団結と参加』を、ようやく労務屋さんに取り上げていただきました。

https://roumuya.hatenablog.com/entry/2021/04/24/151722

実は数日前、都内某所で、財界や学界の皆様に、例によっていい加減なジョブ型論を叩くみたいな話をしに行ったところ、なんと労務屋さんがでんといらして、「久しぶりに会社に行って、山のような本と一緒に、本書を受け取ったので、そのうちブログに書きます」とのことでした。ここ数日、怒濤のごとく献呈本の紹介を書かれていて、ようやく拙著の番が回ってきたようです。

まあ、集団的労使関係の歴史なんて、自分でも今時人気のないテーマであることは重々承知ですが、でもこういうのは必要だよね、というつもりで書いておりますので、労務屋さんのこういう言葉は大変ありがたいエールとして身にしみます。

  某財閥系シンクタンクの研究会で若手からベテランまで多くの企業の人事担当者と調査を通じて交流・議論する機会があり、昨年は新卒一括採用と長期雇用のこれからみたいなテーマで活動したのですが、その中で痛感したのが集団的労使関係に対する関心の低さでした。財閥系の大企業ですから立派な労組があるわけですが、採用や個別人事をやっている人には存在感が薄いようです。労組自身が労働者代表制の導入を求めるような状況下で、それでも昨年は推定組織率が久々に上昇しています。私は繰り返し集団的な合意による規制のオプトアウトの拡大を主張してきていますが、その当事者はやはり実力行使の手段を持ち経営と緊張感をもって向き合える労働組合であるべきだろうと考えます。そうした中で、この本が、「オビ」にうたわれているように「世界の集団的労使関係の歴史を法的視点から改めて見直し、新たな捉え方、考え方を示唆する」ことに期待したいと思います。

ついでながら、上記その都内某所では、大学時代以来ほぼ40年ぶりに再会した方もいらして、懐かしい思いをいたしました。

もひとつついでながら、その都内某所に呼ばれる際には全然存じ上げなかったのですが、行ってみたら、私を呼んでジョブ型の話をさせろと提起されたのは本田由紀さんだったそうです。世の中広いようで狭いと感じた一日でありました。

 

2021年4月23日 (金)

佐々木亮『武器としての労働法』

51vlvcg3zul_sx338_bo1204203200_ 労働弁護士の佐々木亮さんから『会社に人生を振り回されない 武器としての労働法』(KADOKAWA)をお送りいただきました。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322007000069/

人は生きていくためにお金を稼がなければなりません。
お金を稼ぐための方法は、「働くこと」です。

社員、契約社員、派遣、アルバイト、フリーランス……。

雇用形態が多岐にわたるなか、「働くこと」のトラブルもまた多岐にわたる時代になりました。
自分に原因があろうとなかろうと、問題に直面することもあるのです。
生活に直結するだけに、渦中にいるとそのストレスは日に日に大きくなります。
そして世の中では、「泣き寝入り」してしまう人が後を絶ちません。

本書は、そんな働く人のために「労働法」という名の武器を与えます。

トラブルを乗り切るために大切なのは、あなたの働き方を「深く知る」ことです。
よくあるトラブルを雇用形態ごとに紹介。そのさいの対処方法(解決策)を示します。

難しい法律用語をできるだけ避け、分かりやすさを重視した、いままでにない解説書です。

大事なところはゴチックにして、さらに黄色の傍線を引いているんですが、その箇所が1頁に何カ所も出てきて、正直目がちかちかします。

できるだけ何も知らない素人さん相手に、分かりやすく必要な情報がすっと入るように入るようにと工夫されていることは分かるのですが、ある程度分かってしまっている人には、やたらにしつこくうるさいほどにこれでもかこれでもかという感じの本に仕上がっています。

まあ、まさに上の書影のオビにあるように、「泣き寝入りしないための対処法」のイロハのイを語っているほんです。

そういう本なので、あまり中身に突っ込むのもどうかという気がしますが、冒頭の雇用形態の説明のところで、「正社員」を無期、フルタイム、直接雇用の3要素を満たしたものだといい、無期契約社員とか、フルタイムパートというのはあり得ないといっているのは、法律学と社会学をごっちゃにしている感があります。

それこそ「正社員」というのは法律上の概念でも何でもないので、3要素を満たしていても、つまり欧米のジョブ型社会であれば立派なレギュラー・ワーカーであっても、特殊日本的意味における「せいしゃいん」でないというのは現に存在するわけです。実のところ、正社員というのは身分概念であり、会社が「メンバー」と認めた者のことなので、無期でフルタイムで直接雇用であっても、会社の一員とは認めてやらないぞというのが、まさにその無期契約社員だのフルタイムパートといった、一見語義矛盾のような、しかし現実社会にれっきとして存在するひとびとであるわけですから。

そして、実を言えば、それは法律上の概念でもある。パート有期法にいう「通常の労働者」ってのは、その3要素を満たしていても、「当該事業所における慣行その他の事情からみて、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されることが見込まれる」のでない限り、通常の労働者扱いしてくれないわけです。これこそが特殊日本的意味における「せいしゃいん」の定義なのであってみれば、企業が好きなように人事異動で配転できて、それを拒否するような輩は懲戒解雇してもかまわないような「正社員」でない限り、無期であろうがフルタイムであろうが「せいしゃいん」扱いしてくれないわけですよ。

それは世界標準からすればおかしな雇用形態概念ではあるけれども、現実の日本ではそうなっているということはやはりちゃんと説明しておく必要はあると思います。

 

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