2018年11月15日 (木)

『新入社員に贈る言葉』

Bk00000528例によって経団連出版の讃井暢子さんより、経団連出版編『新入社員に贈る言葉』をお送りいただきました。

http://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=528&fl=

本書は、日本のさまざまな分野の第一線で活躍している50名の方々が、働くとはどういうことか、充実した人生を送るコツは何かなどを、学窓を巣立って社会人となる方々に向けて贈る、励ましの言葉や職場生活へのアドバイスです。

というわけで、どういう方々が言葉を贈っているのかというと、

大畑大介/有働由美子/佐々木俊弥/土井善晴/古市憲寿/豊長雄二/千住 博/佐山展生/大田弘子/coba/山崎直子/中西宏明/寺川寿子/松井孝典/ピーター・フランクル/清家 篤/西郷真理子/森田正光/本川達雄/伊丹敬之/茂山七五三/ウェイウェイ・ウー/古賀信行/山田五郎/青木奈緒/大野和士/西垣 通/岸本葉子/松沢哲郎/嵐山光三郎/池野美映/片桐貞光/勅使河原茜/石川九楊/轡田隆史/中島誠之助/岩松 了/香山リカ/佐伯啓思/米本昌平/川畠成道/ランディー・チャネル宗榮/井原慶子/箭内道彦/藤原美智子/荒俣 宏/小泉武夫/富田 隆/川島英子/川勝平太

ふむむ、こういうメンツを見たら、やはりこの人の言葉を確かめたくなりますよね。

古市憲寿 会社組織は、ゲームと違って時に不条理で無慈悲だけど、ゲーム以上に楽しい冒険ができる可能性があります。

いやいや、あんたがそれをいうかね、というのはおいといて。

まあ、どの人の「贈る言葉」を読んでも、人生の先輩たちというのは、かくもてんでに勝手なことを口走っていれば済む程度の人たちなんだなあ、と半ばあきれることができれば、会社の先輩たちに対しても同じように安心して向かい合うことができるかもしれません。そういう意味において、大変役に立つ「贈る言葉」たちだというと、作った人は怒るかもしれませんが・・・。

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ロナルド・ドーアさん死去

Eminent_dore労働研究だけではなく、日本社会研究の世界的巨人というべきロナルド・ドーアさんが亡くなったそうです。

https://twitter.com/nippon_en/status/1062842109957365761

Veteran researcher on Japan's society and economy Ronald P. Dore has passed away at age 91. May he rest in peace.

51986lf2mgl__sx351_bo1204203200_ドーアさんといえば、なによりもまず『イギリスの工場・日本の工場―労使関係の比較社会学』でしょう。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%B7%A5%E5%A0%B4%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B7%A5%E5%A0%B4%E2%80%95%E5%8A%B4%E4%BD%BF%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%AE%E6%AF%94%E8%BC%83%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BBP-%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%A2/dp/4480080597/ref=pd_lpo_sbs_14_img_0?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=ERJCT8Z5XG46C121CQVM

これ、日本とイギリスの雇用システムの違いを現場レベルを精密に調べてみごとに描き出した今なお古典中の古典です。

拙著『働く女子の運命』でも、その記述をちょびっと引用させてもらっています(p149)。

Doreその後も割と時事的な本をたくさん出されていますが、私にとって懐かしいのは、大学1年生のゼミで読まされた『学歴社会新しい文明病』です。一生懸命レジュメを作って報告した、ような記憶がかすかにありますが、実のところどうだったか歴史の彼方におぼろであんまり覚えていない・・・。

https://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%96%87%E6%98%8E%E7%97%85-1978%E5%B9%B4-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%80%883%E3%80%89-R-P-%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%A2/dp/B000J8OSS8/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1542246131&sr=1-2&keywords=%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%96%87%E6%98%8E%E7%97%85

(追記)

ちなみに、『POSSE』40号で散々腐されている賃金引き上げで景気回復論は、このドーアさんが唱えたこともあり、本ブログでも紹介しています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_7d29.html(最低賃金引き上げは悪くない )

・・・これは、以前ロナルド・ドーア先生が主張していた議論とよく似ていますね。

2001年12月号の『中央公論』に、ドーア先生は「私の「所得政策復活論」―デフレ・スパイラル脱出の処方箋」という論文を寄せ、「財界が音頭をとって賃金“引き上げ”を断行せよ」と主張したことがあります。

正直言って、『近代の復権』のあの教条的市場原理主義的マルクス主義者の松尾さんと労働組合シンパで日本型システムに好意的な資本主義の多様性論者のドーア先生とが頭の中でぴたりと嵌らないのですが、結果的に同じことを主張されていることには違いないのですよね。・・・

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-ea1d.html(リフレ派を遙かに超えるドーアノミックス)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-200e.html(冨山和彦氏の最賃革命論)

・・・この手の議論は古くはドーア氏が中央公論で展開してたし、結構支持者も多い議論ではあるんですが、言ってる人が言ってる人だけに、人文系の皆様は反発するんでしょうね。

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ジョブ型責任とメンバーシップ型責任(再掲+α)

Wezzyというwebマガジンに、松尾匡さんが「安田純平氏バッシングに見る「悪いとこどり」の日本型「自己責任」論の現在」という文章を寄せていて、大変懐かしく思いました。

https://wezz-y.com/archives/60886

10月23日、シリアで3年間拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏が解放された。その直後、安田氏の拘束が判明したときからネットで根強かった、「自己責任論」を理由とした安田氏への批判が溢れかえるようになる。こうした批判は、2004年のイラク日本人人質事件でも見られたものだ。このときも、日本人を誘拐し人質として拘束した武装勢力から提示された自衛隊の撤退という解放条件に対し、一部のメディアが自己責任論を展開し被害者をバッシングしていたのだ。

立命館大学の松尾匡教授は著書『自由のジレンマを解く』(PHP研究所)の中で、日本型「自己責任」論は「悪いとこどり」をしていると指摘する。イラク日本人人質事件から14年経ったいまでも起こる「自己責任論」について、改めて日本型「自己責任」論の問題点を探りたい。

Bk_jiyuu何が懐かしい、って、その『自由のジレンマを解く』のもとになったシノドスの連載のときに、本ブログでコメントをしたのが、その次に反映されて、この本の中にも残っているからです。

まず最初のシノドスの松尾さんの文章。

https://synodos.jp/economy/10051(「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり)

それに対する本ブログでのコメント。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-608b.html(ジョブ型責任とメンバーシップ型責任)

・・・ここで松尾さんが例に引いているのは、イラクで拘束された3人に対する日本のバッシングと外国の賞賛ですが、松尾さんの言う「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の区別は、なぜ日本の企業で成果主義がおかしな風になるのかを理解する上でも有用でしょう。

成果主義というのはいうまでもなく成果(あるいは成果のなさ)に応じて賃金を支払うことですが、それが可能であるためには最低限、その成果(あるいは成果のなさ)が当該労働者の自己決定に基づいて生じたものである必要があり、そのためには自己決定が可能な程度にはその労働者の職務が明確であり、権限が明確であり、逆に言えば上司その他の第三者の介入によって当該成果(あるいは成果のなさ)が生じたのであれば当該第三者にその責任を追及しうる程度にはデマケがはっきりしている必要があります。

でも、それが一番、日本の企業が絶対にやりたくないことなんですね。

職務が不明確であり、権限が不明確であり、誰の責任でその成果(あるいは成果のなさ)が生じたのか、デマケが誰にもわからないようになっているそういう世界で、なぜか上からこれからは成果主義だというスローガンと発破だけが降りてきて、とにかく形だけ成果主義を一生懸命実施するわけです。

そうすると、論理必然的に、松尾さんの言う「集団のメンバーとしての責任」の過剰追求が始まってしまう。もともと職務も権限も不明確な世界では、責任追及も個人じゃなくて集団単位でやるという仕組みで何とか回していたから矛盾が生じなかったのですが、そこで個人ベースの責任を追及するということになれば、「みんなに迷惑かけやがってこの野郎」的な責任追及にならざるを得ず、「俺だけが悪いわけじゃないのに」「詰め腹を切らす」型の個人責任追及が蔓延するわけですね。

まさに、自己決定がないのに、自己決定に基づくはずの責任を、集団のメンバーとしてとらされるという、「悪いとこ取り」になるわけで、そんな糞な成果主義が一時流行してもすぐに廃れていったのは当然でもあります。

この議論、もっと発展させるとさらに面白くなりそうな気がするので、松尾さんにはこの場末のブログから励ましのお便りを出しておきます。

それを受けて、松尾さんの議論がさらに展開していきます。

http://synodos.jp/economy/10431(「流動的人間関係vs固定的人間関係」と責任概念)

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これはまたなんとも古典的なマルクス主義

Hyoshi40 昨日お送りいただいた『POSSE』40号、特集の「教員労働問題と教育崩壊」は私の紹介した佐藤隆さんの記事を含めて読みでのあるものが並んでいますが、それ以外の記事についていうと、おそらくPOSSEサイドは力こぶが入っているのだろうと思われながら、内容がいささか失望的なものもありました。

「経済成長」は長期停滞の処方箋か? ――『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう―レフト3・0の政治経済学』への応答

宮田惟史(駒澤大学准教授)×藤田孝典(NPO法人ほっとプラス代表理事)×今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

これ、鼎談という触れ込みですが、実質的にはマルクス経済学者の宮田さんがほとんど一人で理論的な立場から経済理論を展開し、藤田さんと今野さんはただひたすらご質問させていただき、そのお説を拝聴している感じになっています。正直言って、福祉や労働の現場で活動している立場からの議論になっていない感があります。

批判されている本は、松尾匡さんの経済理論をイギリスの労働者階級の現場感覚からブレイディみかこさんが裏打ちする構造になっているのに対し、批判の方はどうなんだろうかという印象です。

その宮田さんの論ずるところは、正直言うと、ある種の傲慢なリフレ派の議論に対する痛烈な批判が聞けるのかなとそこは内心期待していたのですが、それどころかケインズ以前の誠に古典的なマルクス主義を聞かせられている感がありました。古典的なマルクス主義というか、19世紀的、古典派的な発想が濃厚で、いや今時それでいくの?と。

今野 なるほど、ちなみに、賃金の上昇による消費需要の増加を通じて有効需要を拡大させ、経済成長を実現していこうという議論も根強くあると思いますが、いかがでしょうか。

宮田 賃金の上昇と経済成長を両立できるのかという問題ですね。ポストケインズ派やマルクス派の一部も含めて、賃金上昇による消費需要の増大によって有効需要を拡大させれば、力強い経済成長を取り戻せるという考え方が広く影響力を持っています。確かに社会的に見ると賃金上昇によって一定の消費需要の拡大条件が与えられ、売上高も増大する可能性が生まれ、その限りでは経済成長に寄与します。しかし忘れてはならないのは、賃金上昇は社会全体の利潤を食いつぶし、利潤率の低下に、したがって投資需要の低下傾向にもなるということです。確かに資本蓄積が進み労働力需要が高まると、一時的に賃金が上昇しますが、その蓄積の進行に伴う賃金上昇は利潤量を減少させ、いずれは経済成長率の減退に結びつかざるを得ません。要するに資本主義社会において賃金上昇と経済成長というのは両立するのではなくて、本質的には相対立するということが大事なのです。・・・

なるほど、古典的マルクス主義者というのは、古典的自由主義者と見まごう程資本主義の本来あるべき姿なるものに誠に忠実で、それから逸脱するような思想に対しては同じくらい強烈に批判的なんですね。資本家の利潤追求という資本主義の本旨に反して賃金上昇で経済成長なんていうのは、短期的には有用でも長期的な資本主義にとって許しがたいわけです。

ややきつい言い方をすると、POSSEさん、いまどきこんなケインズを罵る19世紀資本家みたいな寝言を繰り広げているようではあんまり未来はないですよ。

そして、松尾マルクス経済学に理論闘争を挑むとか考える前に、ブレイディみかこさんの伝えてくれるイギリス労働者階級のリアルな姿を、藤田さんや今野さんがリアルに体験している日本の労働者や下層階級の現実といかにすり合わせるべきかを考えた方が、こんな古典的経済学の眠くなるような講義を拝聴しているよりも百万倍役に立つような気がします。

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2018年11月14日 (水)

Japan’s Employment System and Formation of the “Abuse of the Right to Dismiss” Theory

JILPTの英文ページに、「Japan’s Employment System and Formation of the “Abuse of the Right to Dismiss” Theory」を寄稿しました。

https://www.jil.go.jp/english/researcheye/bn/RE024.html

と言っても、中身は先日発行された『Japan Labor Issues』11月号に掲載したものと同じです。

PDFファイルではなく、ホームページ上にベタで英文が書かれている点が違うだけですが、こちらの方が読みやすいと思われる方は、こちらでお読みください。

なお、英文なんかめんどくさい、日本語で読ませろ、という方はこちらをどうぞ。

https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/024_171215.html

In Japanese labor studies, it is common to think of long-term employment practice as a major characteristic of Japan’s employment system and to position the “abuse of the right to dismiss” theory (Kaiko-ken ranyō hōri)[Note 1] as part of the legal framework supporting it. This perception is not necessarily mistaken, but viewing it too simplistically is not appropriate for the following reasons.

First, regarding constraints on dismissal as the most prominent feature of Japan’s employment system, is not a very appropriate or effective means of comparing laws of Japan with those of developed Western countries other than the United States. In terms of comparative law, only the United States is an outlier in that it continues to uphold companies’ freedom to dismiss employees at will. In other Western countries, legislation requiring just cause for dismissal has been developing, albeit with varying  degrees.

Second, from this standpoint, we can say that what distinguishes Japan is that restrictions on dismissal have been developed exclusively in courts through an accumulation of judicial precedents, without going through legislation, whereas they have developed through legislation in Western countries.

In other words, viewing the abuse of the right to dismiss theory and Japan’s employment system as virtually synonymous is incorrect in that it treats American freedom to dismiss employees, which is the exception rather than the rule, as a universal international standard. Furthermore, it is considered to run the risk of giving a false impression that the transformation of Japan’s employment system might inevitably cause the loosening of dismissal regulations. This article seeks to clarify the relationship between Japan’s employment system and the abuse of the right to dismiss theory through historical analysis of the process by which the theory was formed.

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非正規労働者よりも権利のない非正規官吏という奇怪

くろかわしげるさんのこのツイートは、

https://twitter.com/kurokawashigeru/status/1062492374742384640

公務員の非正規労働者の問題、行政法学者の奇妙奇天烈な法解釈による影響が大きい。原則で明文化されてもない公法私法二元論を、なぜか公務員労働法制に関してはどんな法文よりも上位に徹底的に適用されて、職務限定で労働者性しかないような非正規職員に神聖な公務労働の制約が全適用されます。

ここ数年来、労働法政策の講義で話してきていることであり、先週の法政大学院での最終回でも喋ったことですが、戦後日本の公務員法制は、それなりに首尾一貫した合理的な二つの全く異なる制度を、混ぜるな危険!という警告にもかかわらず混ぜて作り上げてしまったために、世界に類を見ない得体の知れない奇怪きわまる代物になってしまったのです。

第1のシステムは、ドイツ法型、戦前期日本法型の公法私法二元論に基づくシステムです。

このシステムにおいては、公的部門には全く異なる二種類の人々が居ます。一つ目は官吏であり、公法たる行政法に基づき任用されて公法上の身分保護を受け、公法上の任務遂行義務を果たします。

もう一つは(公共機関に雇われる)職員や労働者であって、私法たる民法の雇用契約規定に基づいて採用され、私法上の権利義務関係に基づき労務を提供してその対価たる報酬を得ます。その法律関係は民間企業の職員、労働者と全く変わりませんが、(身分ではなく)職務の公益性による制限はあります。

戦前の日本はまさにこのシステムでした。それゆえ、国や地方公共団体に雇われる雇員・傭人にもフルに民法が適用され、また1926年の労働争議調停法でも、交通機関、郵便、電信、電話、水道、電気、ガス、陸海軍の工場等で働く労働者にも原則として争議権があることを前提としつつ、公益事業については強制調停方式を採り、調停なるまでは争議行為を禁止するという法制であったのです。

第2のシステムは英米法型です。アングロサクソン諸国にはそもそも法律を公法と私法に分けるなどという発想はありません。女王陛下に雇われている007も、民間企業に雇われている探偵も、同じコモンローの下にあります。公務員という『身分』はありません。従事しているジョブが公益性が高ければそれに基づくさまざまな制約が課せられることはあっても、それはいかなる意味でもドイツ法的な、あるいは戦前期日本法的な意味での「身分」ではないのです。

そういう英米法で物事が動いているアメリカに、戦後日本は占領されました。そして、ドイツ法型だった公共部門従事者関連法制は、アメリカ型に変わった・・・はずでした。少なくとも戦後初期の法律の文言は、どこをどう読んでもアメリカ型の法律になっています。そしてそれを前提に、公法上の官吏と私法上の雇員・傭人を峻別する戦前型法制は否定され、公務に従事する人はみんな同じ公務員という法制になりました。いうまでもなく、英米法を前提にした戦後公務員法制におけるこの「公務員」とはいかなる意味でも戦前の官吏のような意味での「身分」ではなく、その従事する職務が公共的なジョブであるという以上のものではなくなったはずでした。

ところが、法律の条文上から姿を消した公法私法二元論が、霞が関の官僚たちととりわけ行政法学者たちの脳裏には牢固として残っており、その六法全書には存在しない講学上の概念が、すべての行政関連法規を駆動する万能の道具として機能していきます。本来公法私法を区別しない英米法型の公務員であるはずのものが、ドイツ型、戦前日本型の官吏であるかのように思い込まれ、それを大前提にすべてが動かされていきます。

その結果何が起こったか?

ドイツであれば現在でもベアムテではなく、アンゲシュテルテやアルバイターとして民法の雇用契約と労働法の規定によって規制されている人々が、戦前の日本でも官吏ではなく雇員、傭人として民法の雇用契約と(数少なかったとはいえ)労働法の規定によって規制されていた人々が、全部ひっくるめて法律上は「公務員」、脳内概念としては「官吏」になってしまったのです。

こんな訳の分からない公共部門法制をとっている国はほかに見当たりません。混ぜてはいけないものを、(法律を作ったときは混ぜるつもりではなく、入れ替えるつもりだったのに)結果的に混ぜてしまった得体のしれない空前絶後の法制度なのです。

その結果、いかなる非常勤職員と雖も公務員法上は任用に基づく公務員であり、従って戦後行政法学の脳内法理に従ってれっきとした官吏であり、それゆえ官吏としての身分保障の代わりに私法上の保護は一切奪われることになり、しかしその官吏としての身分保障なるものはどこにもないという、とんでもない世界が作り出されたのですね。本来の官吏よりも民間労働者よりも権利のない非正規官吏という代物が。

ここで重要なこと。それは、これは誰かがそういうふうにしようと図ってこうなったものではない、と言うことです。

そう、混ぜないで使えばどちらもそれなりにまとも動くはずの制度を、混ぜてしまったために生み出された妖怪人間ベムだったのです。

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ドイツの極右、ポーランドの極右、日本の極右、韓国の極右

極端な自民族中心、優越と、他民族に対する侮蔑、攻撃を掲げる政治勢力は、世界中どこでも極右と言われる、はずです。

かつてナチスを生み、ポーランド等を侵略し、ユダヤ人等を虐殺したドイツという国でそのような主張をする人々であっても、

かつてそのナチスドイツに侵略され、住民を虐殺され、国土を破壊されたポーランドという国でそのような主張をする人々であっても、

どちらも極右という正しい呼び名で呼ばれます。かつて侵略された被害者国家ポーランドの排外ナショナリストは右翼じゃなくて左翼だと認めてくれるわけではない。

なぜか極東に来ると、そういう物の道理が通りにくくなる傾向があるようです。

9784569826646ひどい目に遭った国の排外ナショナリズムが左翼だというのなら、その被害者ナショナリズムのもっとも典型的な例は、おそらく竹田恒泰氏の『アメリカの戦争責任』(PHP新書)でしょう。

そこでいっていることのある部分は必ずしも歴史的事実の次元で間違っているわけではないけれども、だからといって、アメリカのリベラル派が竹田氏をアメリカ帝国主義の虚偽を曝露した正義の論者だと持ち上げたという話は聞いたことがありません。

それは当たり前でしょう。

極端な自民族中心、優越と、他民族に対する侮蔑、攻撃を掲げる政治勢力は、世界中どこでも極右と言われる、はずです。

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『POSSE』第40号

Hyoshi40『POSSE』第40号をお送りいただきました。今回の特集は「教員労働問題と教育崩壊」です。

http://www.npoposse.jp/magazine/no40.html

学校教育を現場で支えるのは教員だ。
しかしその教員の労働はいま、崩壊の危機にある。
過労死水準を超える長時間労働、支払われない残業代、部活動の負担の重さ……
教員を取り巻く労働環境は悪化の一途をたどっている。
本特集では学校教育のあり方を教員の労働という視点から捉えなおし、
教員自身による労働環境の改善の取り組みを紹介していく。

記事は次の通りですが、

職員室から「働き方改革」を始めよう
――過熱化する教育現場を変えるために

内田良(名古屋大学准教授)

部活問題対策プロジェクトの取り組み
小阪成洋(部活問題対策プロジェクト)

部活動指導の外部化は教員労働改革の切り札となるか
本誌編集部

「ブラック私学」とどう闘うか
――関西大学付属校教員の不当解雇

本誌編集部

私学教員の働き方を変えるための闘い
――東京私立学校教職員組合の取り組み

峰崎明美(日教組私学・東京私立学校教職員組合書記次長)

私学教員の労働組合はどのように闘ってきたのか?
――戦後直後から九〇年代、現在までの運動の歴史

山口直之(全国私教連書記長)×増田啓介(東京私教連書記長)

給特法を産み落とした戦後教員労働運動の「献身性」
――日本の無限定な教員、ヨーロッパの専門職の教員

佐藤隆(都留文科大学教授)

「私学教員ユニオン」結成とその取り組み
――からの教員の働き方改善の実践

私学教員ユニオン

書評 内田良・斉藤ひでみ 編著
『教師のブラック残業――「定額働かせ放題」を強いる給特法とは?!』

本誌編集部

このうち、歴史的経緯をほじくるのが好きな私の感性に合ったのが、佐藤隆さんの文章です。「日本の無限定な教員、ヨーロッパの専門職の教員」というのは、メンバーシップ型、ジョブ型という話なのですが、それが戦後教員労働運動の流れと密接に関連しているという、なかなかほかでは出てこないお話です。

意外なことに、この特集でも最大の悪役にされている給特法は、文部省だけではなく労働組合からも提起されたものだったというのです。この辺の経緯はやや分かりにくいのですが、

・・・教員労働の特殊性の一つとして、その無限定性があります。どこからどこまでが教師の仕事なのか、いつになったら終わるのかは、その教師しか判断できない。学校から帰っても教材研究をしたり、生徒の成績を付けたり、それから生活指導・生徒指導。場合によっては警察まで出かけていって生徒を連れ戻したり、何か事故があったら校外でも生徒を助けにいったりしなくてはいけない。

このように教師の仕事が時間に換算できないという議論は、労働組合と文部省の双方から出ていました。当時、日教組側も、教員労働は特殊だとして、給特法を求めていたのです。他方で日教組は、労働時間だとはっきりしている時間については超過勤務として認め、労基法37条を適用しろという二本立ての要求も出していたわけです。

そこで、日教組の中で、教師は「労働者」なのか「聖職」なのかという議論が起きた。ただ、これは給特法そのものから派生した問題ではなくて、労働運動の戦術としてもともと考えられたものです。・・・・・

そういう意味で、日教組が給特法を一方で求め、網一方で労基法37条適用を求めたというのは、両方の潮流の「妥協」の産物といえるかも知れません。繰り返しますが、社会党系=労働者論、共産党系=聖職論とはっきり区分できるわけではありません。お互いにどちらの側面をヨリ強く打ち出すかという力点の置き方が当時の議論の焦点だったと思います。

というわけで、上記引用の冒頭に出てくるような無限定的な教師の働き方を当然の前提とした教員労働運動という点では、両方にそれほどの違いがあるわけではなかったともいえるでしょう。

まさにこの点が日本の教師とたとえばヨーロッパの教師の違いなのでしょう。

・・・「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンが有名ですが、平和と民主主義を実現するための教育を打ち立てなければならないというのが強健運動の趣旨でした。このような教員組合は、世界的に見て非常に珍しいものです。ほとんどないと言っていいと思います。多くの国の教員労働運動の目的はやはり労働条件改善が中心ですから。

一方で、ヨーロッパの教師たちの仕事はもともと授業に限定されてきました。休み時間にはこどもを見ない。いまはそうでもなくなっていますが、休み時間などには親などの教員ではない人がこどもを見ている。授業が終わったら教室に鍵をかけて、全部外に出してしまう場合もあります。

まさしく授業というJOBのみがそのディスクリプションに書かれており、それ以外のことは「私のjobにあらず」といえる社会の限定正社員ならぬ限定教育労働者と、学校というコミュニテイに生徒ともにどっぷりと所属し、その所属メンバーにかかわることであれば、いつでもどこでも何でもすべてじぶんの仕事になってくる無限定聖職and/or無限定教育労働者との間に横たわる深淵は、想像以上に深いようです。

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2018年11月13日 (火)

障害者のテレワークと在宅就業@WEB労政時報

WEB労政時報に「障害者のテレワークと在宅就業」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=808

 本連載の第120回「障害者雇用率「水増し」問題の法制度史的根源」(9月18日)で経緯を解説した国や地方公共団体の障害者雇用率が水増しされていた問題は、その後10月23日に公務部門における障害者雇用に関する関係閣僚会議において「公務部門における障害者雇用に関する基本方針」が決定され、再発防止に取り組むとともに、法定雇用率の速やかな達成に向け取り組み、また国・地方公共団体における障害者の活躍の場を拡大することなどが謳われています。

 一方その後も、財務省等が障害者向けに行った非常勤職員の求人で、応募条件に「自力で通勤できる」といった差別的な内容があったことが報じられ、麻生財務大臣も「障害者雇用に関する意識が低い、対応がずさんだ、と言わざるを得ない」と語るなど、障害者雇用問題は尾を引き続けています。自力で通勤できない障害者にも雇用就業機会が奪われてはならないことはもちろんですが、そのためには他の人の助力で通勤するという選択肢とともに、そもそも通勤しなくてもいい勤務形態、就業形態を工夫することも必要です。・・・・

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2018年11月12日 (月)

濱口桂一郎は嫌いでも、日本の労働法政策は嫌いにならないで

11021851_5bdc1e379a12a 沼田ロクロウさんが『日本の労働法政策』をお買い上げいただいたとのことです。

https://twitter.com/numatarokurou2/status/1061920209101942784

濱口桂一郎氏の『日本の労働法政策』を買ってきた。県内の書店に置いてあるとは思わなかった。1冊しかなかったのですぐゲット。 分厚い。重い。外に持ち歩いて読むのは無理だ。

率直に言って、僕は著者がかなり嫌いなんだけど、論理の鋭さと歴史叙述の正確性は信頼しているので、レファレンスとして。

濱口桂一郎は嫌いになっても、『日本の労働法政策』は嫌いにならないでください…、なんてことを言ってる場合じゃないな。

いや、こういう沼田ロクロウさんのような、わたくし(の議論の方向性?)を嫌っていても、その論理と歴史叙述を信頼してくださる方こそ、本当の意味での有難い読者だと思っています。

世の中には、言っていることの方向性は共感するのに、その議論の水準がトホホすぎる人もいれば、どうしても賛成できない議論を展開しているのに、その理路には頷かざるを得ない人もいます。そこがちゃんと腑分けできる方こそ、たとえ敵味方であっても信頼できる相手だし、その反対はその反対。ダメ議論を味方だからと後生大事にする人はそれだけでダメ人間。

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『日中の非正規労働をめぐる現在』の予告

今月末、お茶の水書房から、石井知章編著『日中の非正規労働をめぐる現在』が刊行される予定です。

http://rr2.ochanomizushobo.co.jp/products/978-4-275-02097-0

日中双方の研究者によるネット経済下の非正規労働分析。日中間で共通して抱える非正規労働問題を考え、将来に向けた処方箋と、その打開策を、社会的連帯としてお互いに模索する。

目次は次の通りで、

第Ⅰ部 日本における非正規労働の過去と現在

1 非正規労働の歴史的展開 濱口桂一郎

2 日本における非正規雇用問題と労働組合--1998~2009を中心に--龍井葉二

3 非正規労働者の増加、組合組織率の低下に対して、日本の労働組合はいかに対応してきたのか--コミュニティ・ユニオンの登場とその歴史的インパクト--高須裕彦

4 過労死問題の法と文化 花見忠

5 日本における過労死問題と法規制 小玉潤

6 非正規労働者と団結権保障 戸谷義治

7 能力不足を理由とする解雇の裁判例をめぐるに忠比較 山下昇

第Ⅱ部 中国における非正規労働の新たな展開

8 雇用関係か、協力関係か--インターネット経済における労使関係の性質--常 凱・鄭 小静

9 独立事業者か労働者か--中国ネット予約タクシー運転手の法的身分設定--范 囲

10 グローバル規模での経済衰退と労働法 劉 誠

11 中国経済の転換期における集団労働紛争の特徴と結末--個別案件の分析と探求を中心に--王 晶

12 中国新雇用形態と社会保険制度改革 呂 学静

13 非正規労働者の心理的志向性に関するモデルケース 曹 霞・崔 勲・瞿 皎皎

14 「法治」(rule by law) が引き起こす中国の労働問題--「城中村」の再開発と「低端人口」強制排除の事例から--阿古智子

15 中国の非正規労働問題と「包工制」 梶谷懐

16 中国における新たな労働運動、労使関係の展開とそのゆくえ 石井知章

お分かりのように、本ブログで何回か紹介してきた昨年5月に明治大学で開催された第三回日中雇用、労使関係シンポジウムの報告を一冊の本にまとめたものです。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~china/report/2017/news_20170528

ただ、わたくしの担当した第1章は、報告でしゃべった内容よりもだいぶ膨らませています。

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2018年11月10日 (土)

その疑問に『日本の労働法政策』

yamachanさんがこういう疑問をつぶやいていますが、

https://twitter.com/yamachan_run/status/1061038965514354688

ふと思ったのだが、未払賃金立替払いの上限額が年齢で大きく変わることに批判はないのかな・・
実務上、労基署に認定されるのは零細企業だから上限額を超過する賃金が約定されていることは少ないだろうけれども。

11021851_5bdc1e379a12a 『日本の労働法政策』の605頁から606頁にかけての項で、その点についてもこう触れておきました。

・・・この制度の大きな特徴は、破産宣告、特別清算開始命令、整理開始命令、和議開始決定、更生手続開始決定といった裁判上の倒産に加えて、実態上の95%に及ぶ事実上の倒産状態をも対象に含めたことにある。これは中小企業について、事業活動が停止し、再開する見込みがなく、かつ、賃金支払能力がない状態になったことについて、退職労働者の申請に基づき、労働基準監督署長の認定した場合とされており、制度の実効性を著しく高めた*11。
 立替払の額は、当初は平均賃金の3か月分の80%とされ、平均賃金の上限を13万円としていた(よって立替額の上限は31.2万円)が、1979年に政令が改正され、未払額の上限を51万円に設定し、その80%を立替払することとされた(よって立替額の上限は40.8万円)。1988年には、定期賃金や退職金には年齢階層ごとに相当の差があることから年齢に応じて上限を設定することとされ、45歳以上は150万円(立替額120万円)、30歳以上45歳未満は120万円(立替額96万円)、30歳未満は70万円(立替額56万円)とされた。その後額は何度か引き上げられたが、年齢別の枠組みは変わっていない(現在は未払額の上限がそれぞれ370万円、220万円、110万円。立替額はそれぞれ296万円、176万円、88万円)。これは1986年の労災保険法の改正にも見られる内部労働市場中心の考え方の政策的反映と言えるが、外部労働市場を重視しつつある現在においては疑問が呈せられる可能性もある

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2018年11月 9日 (金)

小林美希『ルポ中年フリーター』

51sbgbmqx9l__sx320_bo1204203200_小林美希さんより『ルポ中年フリーター 「働けない働き盛り」の貧困』(NHK出版新書)をお送りいただきました。

小林美希さんといえば、いまから10年以上前に『ルポ 正社員になりたい―娘・息子の悲惨な職場』や『ルポ“正社員”の若者たち―就職氷河期世代を追う』で就職氷河期世代の若者(正確に言えば当時もすでに年長若者層でしたが)の実態をルポし、世論を喚起した一人です。

その後看護や保育や母子家庭や、果ては「夫に死んでほしい妻たち」やらにまで手を広げていましたが、今回、原点ともいうべき氷河期世代の、今となってはれっきとした「中年」の人々に再び焦点を当てています。

こんなにも不幸な世代を作ったのは、誰だ?
バイト3つを掛け持ちして休みゼロの43歳男性、「妊娠解雇」で虐待に走った41歳女性、手取り17万円で地方医療を支える臨時公務員37歳男性──。非正規雇用で働く35~54歳の「中年フリーター」が、この国では増加の一途を辿っている。なぜ彼らは好景気にも見放されてしまったのか? フリーターを救う企業はあるのか? 豊富な当事者取材から「見えざる貧困」の実態を描きだす。

内容は以下の通りですが、

序章 国からも見放された世代
   非正規から抜け出せない
   新卒は空前の売り手市場だが……
   見過ごされてきた中年層の労働問題
   就職氷河期世代の放置が作った歪み
   このままでは生活保護が破綻する
   筆者の原体験
   無気力化した日本の働き盛り
   本書の構成

第一章 中年フリーターのリアル
 1 とある中年男性の絶望──健司さん(38)の場合
 2 「景気回復」から遠く離れて
 3 結婚できるのは正社員だけ?
 4 「法令順守」が生んだ非正規
 5 農業のブラックな職場
 6 「非正規公務員」の憂鬱

第二章 女性を押さえつける社会
 1 子どもを産ませない職場
 2 閉ざされた「正社員」への道
 3 「妊娠解雇」の衝撃
 4 介護・看護職と非正規公務員
 5 「妊娠解雇」から児童虐待へ──多恵さん(41)の場合

第三章 良質な雇用はこうして作る
 1 雇用のミスマッチをどう減らすか──富山県の場合
 2 皆を幸せにするオーダーメイド雇用──小野写真館の場合
 3 社長の仕事は「人の目利き」──ノーブルホームの場合
 4 「ものづくり×女性」の最前線
 5 社員一人ひとりが輝く職場

終章 中年フリーターは救済できるか

ここでは本書でも何回か引用されているJILPTの「壮年非正規労働者」に関する報告書を紹介しておきます。

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2014/0164.html労働政策研究報告書No.164『壮年非正規労働者の仕事と生活に関する研究―現状分析を中心として―』

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2015/0180.html労働政策研究報告書 No.180『壮年非正規雇用労働者の仕事と生活に関する研究―経歴分析を中心として―』 )

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2017/0188.html労働政策研究報告書 No.188『壮年非正規雇用労働者の仕事と生活に関する研究―正社員転換を中心として―』

若年非正規雇用労働者の増加が問題視されてから20年以上が経ち、最初に「就職氷河期」と呼ばれた時期に学校を卒業した人が40歳台となるなか、もはや「若年」とは呼びにくい、35~44歳層の非正規雇用労働者が増加している。その人数は、有配偶女性を除いても、2015年時点で150万人となっている。

このような背景のもと、JILPTでは2012年度より「壮年非正規労働者の働き方と意識に関する研究」に取り組み、2012年に個人ヒアリング調査、2013年に全国アンケート調査を実施してきた。これまで得られた知見を要約すると、次のようになる。

  • 男性・無配偶女性の壮年非正規雇用労働者は、若年非正規雇用労働者よりも消極的な理由から非正規労働を選択していることが多い。そして、自らが生計の担い手である場合が多いにもかかわらず、正社員とは異なり若年期から壮年期にかけて職務が高度化せず、賃金・年収も上がりにくい。
  • そのため、壮年非正規雇用労働者は、若年非正規雇用労働者よりも貧困に陥りやすく、生活に対する不満が強い。また、年齢が高いこともあり健康問題を抱えている場合も多い。
  • 男性・無配偶女性の壮年非正規雇用労働者の多くは、若年期には正社員として働いていた経験を持つ。そのことを踏まえて、人々が正社員の仕事を辞めて非正規雇用に就くメカニズムを探ったところ、正社員として勤務していた職場で過重労働の経験、ハラスメントを受けた経験があるとする者ほど、その後、非正規雇用に転じる傾向があった。
  • 男性・無配偶女性の壮年非正規雇用労働者の正社員への転換希望率は、若年非正規雇用労働者のそれと変わらない。30歳以降になると非正規雇用から正社員への転換が起こりにくくなることは否めないが、高い年齢であっても職業資格の取得等により正社員転換確率を高められる可能性がある。

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「建設労働の法政策」@建設政策研究所

Logo 建設政策研究所で「建設労働の法政策」の講演をします。

http://kenseiken.d.dooo.jp/

講演:「建設労働の法政策」
濱口 桂一郎 氏
(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 研究所長)
建設労働をめぐる法政策について、歴史的変遷を中心にご講演頂きます
◇日  程 2018年11月22日(木) 15時~17時
◇会  場 国土交通労働組合 王子会館(東京都北区)

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2018年11月 8日 (木)

お客さまへの笑顔は同意にあらず

一昨日(11月6日)に最高裁が下した判決は、直接には公務員の停職処分にかかわる事件ですが、昨今話題の顧客によるハラスメントの問題に対しても示唆するところが大きいと思われますので紹介しておきます。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/104/088104_hanrei.pdf

平成30年11月6日最高裁判所第三小法廷判決(破棄自判)

地方公共団体の男性職員が勤務時間中に訪れた店舗の女性従業員にわいせつな行為等をしたことを理由とする停職6月の懲戒処分について,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した違法があるとした原審の判断に違法があるとされた事例

まず、この原告男性がなにをやったかというと、

被上告人は,勤務時間中である平成26年9月30日午後2時30分頃,上記制服を着用して本件店舗を訪れ,顔見知りであった女性従業員(以下「本件従業員」という。)に飲物を買い与えようとして,自らの左手を本件従業員の右手首に絡めるようにしてショーケースの前まで連れて行き,そこで商品を選ばせた上で,自らの右腕を本件従業員の左腕に絡めて歩き始め,その後間もなく,自らの右手で本件従業員の左手首をつかんで引き寄せ,その指先を制服の上から自らの股間に軽く触れさせた。本件従業員は,被上告人の手を振りほどき,本件店舗の奥に逃げ込んだ。

で、これに対して原審はこう判断して、請求を認容したわけですが、

被上告人による行為1は,以前からの顔見知りに対する行為であり,本件従業員は手や腕を絡められるという身体的接触をされながら終始笑顔で行動しており,これについて渋々ながらも同意していたと認められる。・・・

行為1は,・・・犯罪行為であるが,本件従業員及び本件店舗のオーナーは被上告人の処罰を望んでおらず,そのためもあって被上告人は行為1について警察の捜査の対象にもされていない。・・・

・・・行為1が悪質であり,被上告人の反省の態度が不十分であるなどの事情を踏まえても,停職6月とした本件処分は重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠く。したがって,本件処分は,裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したものであり,違法である。

最高裁はそれを否定しました。

しかし,上記①については,被上告人と本件従業員はコンビニエンスストアの客と店員の関係にすぎないから,本件従業員が終始笑顔で行動し,被上告人による身体的接触に抵抗を示さなかったとしても,それは,客との間のトラブルを避けるためのものであったとみる余地があり,身体的接触についての同意があったとして,これを被上告人に有利に評価することは相当でない。上記②については,本件従業員及び本件店舗のオーナーが被上告人の処罰を望まないとしても,それは,事情聴取の負担や本件店舗の営業への悪影響等を懸念したことによるものとも解される。

「お客様は神様です」という言葉が、どんな無理無体でも笑顔で受入れなければならないかのように言われる日本社会では、こういう行為に対してやられた女性従業員が終始笑顔で対応し、経営者側も事を荒立てないようにしようという傾向が強いわけですが、それを理由にやった行為がたいしたことでないかのように主張するわけにはいかないよ、というまことにまっとうな判断でしょう。

そして近年、顧客によるセクハラや嫌がらせが頻発している状況を考えると、この最高裁の判断は拳々服膺すべき内容があるように思われます。

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