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2021年12月 2日 (木)

中野慶『小説 岩波書店取材日記』

1197 中野慶『小説 岩波書店取材日記』(かもがわ出版)をお送りいただきました。

http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/sa/1197.html

実在する版元を舞台にした実験的ユーモア小説。吉野源三郎の志を受け継ぎ、理想の職場をめざした人々の夢と葛藤と。新人の女性コンサルタントがその軌跡を探索するユーモアあふれるストーリー。名著が次々登場し、戦後の日本を映し出します。

太めの帯に「リアルすぎるユーモア小説です」とあるのですが、そのリアルさがおそらく岩波書店関係者にとってはひしひしと感じられるようなものなのだろうな、と想像はされるのですが、いささか楽屋話に満ち満ちていて、部外者にとってはやや疎外感も感じられ、ユーモア小説として楽しめるのかといわれると、うーん、という感じではあります。

中野慶というのはペンネームで、本名は大塚茂樹さん。1957年生まれ。岩波書店の編集者として単行本や現代文庫を担当する。2014年早期退職して著述業、とのことですが、その匂いは全編に満ちています。第1日目に主人公が岩波書店を訪問した時に、階段の上から降りてきた老人I先生がケインズの本を書いた経済学者だとか、長らく残業代のない一律年功賃金だったことに、この社の月刊誌に載った論文の「やりがいの搾取」だとか、おそらくニヤニヤすべきポイントはあちこちにあるのでしょう。

ちなみにこの出版社の残業代問題は、編集という本来的に高度プロフェッショナルな職種と、そうでもない職種とを、まさに日本型雇用の典型として等しく同じ社員として一律平等に扱わねばならないことの一つの帰結だったのでしょうが、その出版物の紙上で残業代ゼロを批判することとの微妙なずれは、しかしながら公然と語られるものではなかったことは、本書におけるさりげなさそうな記述ぶりにもちらりと現れていますね。

ちなみに、終わり近くに、

・・・新しい労働社会を提起する一冊の問題意識に、国友さんは影響されている。・・・・

という1行が出てきますが、拙著も読まれたようです、ご苦労様ですね。

 

 

【GoTo書店!!わたしの一冊】張博樹『新全体主義の思想史 コロンビア大学現代中国講義』

07275x400労働新聞に月一回で連載している【GoTo書店!!わたしの一冊】ですが、今回は張博樹『新全体主義の思想史 コロンビア大学現代中国講義』(白水社)です。

https://www.rodo.co.jp/column/117797/

 先月の本欄では、柯隆『「ネオ・チャイナリスク」研究』を取り上げた。最近のますます全体主義化する中国の姿を捉えるには、経済面だけでなく思想面からのアプローチも必要だろう。

 著者の張博樹は、中国社会科学研究院を解雇され、現在コロンビア大学で現代中国を講じている言葉の正確な意味でのリベラル派中国知識人だが、そのリベラル派から新左派、毛左派、紅二代、ネオナショナリズムに至るまで、現代中国の九大思潮を、時にはそのインチキなロジックを赤裸々に分析しながら描き出した大著である。

 著者を含むリベラル派については、訳者の石井知章、及川淳子らによる紹介がかなりされてきているし、妙にポストモダンめいたレトリックを駆使して中国共産党政権を必死に擁護する汪暉ら新左派についても、なぜか日本のポストモダン派にファンが多いようで、やはり結構翻訳されている(そのお筆先みたいな研究者もいるようだ)。しかし、それ以外の種々様々な思想ないし思想まがいについては、これだけ包括的に描き出したものはほかに見当たらない。そして、本書に描かれた、時に精緻めかした、時にやたらに粗雑な「左派」という名のロジックの数々を読み進んでいくと、何だか似たようなロジックを日本語でも読んだ記憶があるなという感想が浮かんでくる。

 それは、意外に思われるかもしれないが、『正論』、『WILL』、『hanada』などのいわゆる右翼系オピニオン雑誌によく出てくるあれこれの論説とよく似ていて、「そうか、中国の左翼というのは日本の右翼の鏡像みたいなものなんだな」ということがよく分かる。もちろん、それは不思議ではなく、普遍的な近代的価値観を欧米の文化侵略として目の仇にし、「万邦無比の我が国体」をひたすら褒め称えるという点では、日本の右翼と中国の左翼は全く同型的であって、ただどちらもそれがストレートに表出するのではなく、それぞれにねじれているのだ。

 日本の右翼は、本音ではアメリカ占領軍に押し付けられた憲法をはじめとする近代的価値観が大嫌いだが、(本当はそっくりな)中国共産党と対決するために、アメリカの子分になって、アメリカ的価値観に従っているようなふりをしなければならない。自由と民主主義のために共産主義と闘うといっているうちは良いが、ことが国内の個人の自由にかかわってくるとそのズレが露呈する。

 一方、中国の左翼は、本音は中華ナショナリズム全開で、欧米の思想なんて大嫌いなのだが、肝心の中国共産党が欧米由来のマルクス主義をご本尊として崇め奉っていることになっているので、論理めちゃくちゃなマルクス神学のお経みたいな議論をやらざるを得なくなる。

 それにしても、本書に出てくる張宏良の「中国の夢は三大復興であり、それは中華民族の偉大な復興、社会主義の偉大な復興、東方文化の偉大な復興」だという言葉は、我が大日本帝国において戦時中一世を風靡した「近代の超克」論を彷彿とさせる。現代中国の今の気分は中華版大東亜共栄圏なのかもしれない。

なんだかポストモダン派をdisっているみたいですが、考えてみればポストモダンの大先輩は戦時中に「近代の超克」を唱えた京都学派の皆さまであったと考えれば、別に不思議でもないような。

 

 

2021年12月 1日 (水)

EUプラットフォーム労働指令案をめぐる水面下の暗闘

EUにおけるプラットフォーム労働をめぐる政策の推移についてはこれまでも随時紹介してきましたが、欧州委員会の週間予定表によれば、来週の12月8日にプラットフォーム労働者の労働条件指令案が提案されることになっています。

が、やはりこの問題はそうスムーズには行かないようで、水面下でいろいろと暗闘があるようです。

メディアの性格はよく知らないのですが「BRAVE NEW EUROPE」(オルダス・ハックスリをもじってるようです)というネットメディアに、「Gig Economy Project – Open letter to EU Commission: Don’t ‘water down’ plans to regulate platform work」という記事が載っていて、ベルギー、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イタリアの労働相が連名で、この指令案をちゃんと提出しろというオープンレターを出したとか。

https://braveneweurope.com/open-letter-to-eu-commission-dont-water-down-plans-to-regulate-platform-work

その背景として、ウーバーなどのプラットフォーム企業が懸命に指令案を出さないようにロビイングしているようです。

このオープンレター、欧州労連のホームページにも載っていますね。

https://www.etuc.org/en/document/open-letter-president-european-commission-ursula-von-der-leyen-ambitious-european

全く個人的な都合で言えば、欧州委員会がこの指令案を来週12月8日に出してくれることを前提に、その紹介記事を某紙新年号に書く予定なので、先延ばしされると大変困るんです。

2021年11月27日 (土)

当面のイベントいくつか

新日本法規財団無料セミナー 日本型雇用の課題とこれからの雇用社会~昭和的働き方から脱却せよ~

https://www.sn-hoki.co.jp/seminar/seminar1754972/

 2021年11月29日[ライブ配信]

■倉重 公太朗(倉重・近衛・森田法律事務所)
■白石 紘一(東京八丁堀法律事務所)
■濱口 桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構)
■芦原 一郎(弁護士法人キャストグローバル) 

第1部 ジョブ型雇用の誤解とメンバーシップ型雇用の矛盾(40分)[講師]濱口桂一郎氏
    昨今流行している浅薄な「ジョブ型」論の誤解を暴いた上で、日本的なメンバーシップ型雇用が様々な労働法分野で矛盾をもたらしている姿を描き出します。

第2部 雇用改革のファンファーレ(40分)[講師]倉重公太朗氏
    日本経済低迷の根幹にあるのは、閉塞的な日本的雇用システムにあるのではないかという指摘も多くされるようになってきました。雇用の流動性が低く、働きがいが見いだせない中で、企業として、個人として、ひいては日本の雇用社会として、どのような方向性を目指すべきなのか。これからの雇用社会について、考え、ディスカッションできればと思っております。以前は解雇規制の「か」の字を出しただけで議論にならない程でしたが、真剣に未来のために何をすべきなのか、堂々と語っていきたいと思います。是非、一緒に考えましょう。

第3部 人事と“市場”の接続へ向けて(40分)[講師]白石紘一氏
    日本型雇用の一つの特徴として、内部に閉じた労働市場がありました。もっとも、最近では、労働市場はもちろんのこと、資本市場においても、雇用・労働に対する外部からの注目が高まっており、人事としても、外部への情報発信を一層心掛ける必要が出てきています。本セミナーでは、昨今、具体的にどのような制度が設けられているのかなどをご紹介します。

第4部 パネルディスカッション「日本型雇用の何が残り、何が変わるか」(45分)
    [モデレーター]芦原一郎氏 [パネリスト]濱口桂一郎氏、倉重公太朗氏、白石紘一氏
    筋書きのないパネルディスカッションです。時間の許す限り、視聴者の皆さんの意見や感想、質問なども積極的に取り入れていきたいと思います。パネラーと視聴者が、日本型雇用の実態と問題点、あり方について、具体的なイメージを共有し、今後の企業経営や組織運営のヒントをできるだけたくさん得られるように運営したいと思います。 

明治大学国際労働研究所 設立記念講演会

https://www.isc.meiji.ac.jp/~itls/report/

2021年12月4日(土) 午後4時から6時
1. 主催者挨拶 石井 知章(明治大学国際労働研究所代表)
2. 記念講演
 〇 テーマ「デジタル時代の労働法のフロンティア」
 〇 講師 濱口 桂一郎 氏(労働政策研究・研修機構労働政策研究所長)
 〇 コメンテータ 山崎 憲 氏(明治大学経営学部准教授)
 〇 講演要旨
  ▼ デジタル時代の労働社会の行方
  ▼ フリーランス問題の歴史と現状
  ▼ 諸外国やEUのフリーランス問題への対応状況
  ▼ 人工知能(AI)の採用から労働者管理への利用がもたらす問題 

 

 

 

2021年11月26日 (金)

『POSSE』49号

2a2a7d089ed62cd5d2cb 『POSSE』49号をお送りいただきました。

https://info1103.stores.jp/items/619467621bfe19110afc7602

◆特集「ケアの市場化の果てに」

「小泉改革以降の新自由主義的な政策を転換する」。2021年秋、岸田首相がそう言って掲げた「新しい資本主義」が注目されている。そこには、「公的部門」で働く人々への「分配」も含まれている。
 しかし、2000年代以降、ケアや公共サービスの職場をここまで歪めてきたのは、その責任を国や自治体から営利企業に開放した「市場化」そのものにほかならない。同時に、自治体の内部さえも市場の論理に侵食されていった。この根幹に手をつけず、「分配」だけで何が変わるというのだろうか?
 この20年間で市場がケアにもたらした変化を直視することが必要だ。特にケアワーカーたちの労働の現場では、一体何が起きてきたのか。低賃金、長時間労働、非正規雇用、サービスの質の劣化、利用者の虐待、事業撤退、「ブルシットジョブ」、外国人労働者……。保育、介護、教育、児童相談所、保健所などさまざまな分野から検証していく。そこから、ケアをめぐる新しい労働運動を構想していきたい。

座談会 ケアの市場化の20年と、崩壊する介護・保育の現場―労働の視点から福祉現場を再生する展望を描く
小林美希(ジャーナリスト)×松田貴弘(京都民医連事務局長)×後藤道夫(都留文科大学名誉教授)×三浦かおり(介護・保育ユニオン共同代表)

なんですが、冒頭のこの座談会のトーンにはかなり異論があります。

ケアの市場化がけしからんという言い方は、あたかも市場化以前は全てが公的サービスで賄われていたかの如き印象を与えますが、そうではありません。とりわけ最大の問題である高齢者介護の領域においては、官から民へという風にものごとを捉えること自体がごまかしであって、むしろ、家庭の中に美風として私的(プライベート)なことだと押し込められていたことが、そうではなくて公的(パブリック)なことなんだ、だから(サービス提供者は官民様々であっても)公的なサービスとして行われるべきなんだという大きなシフトが起こったことに着目すべきです。それ以前の日本の介護をごく一部の公的サービスで捉えること自体が間違いで、表に出てこない「恍惚の人」の地獄絵図こそが介護保険を作り出したというのは、この分野を研究した人であれば周知のことだと思うのですが、どうもそこの認知が歪んでいるように思われます。介護保険の20年がいろいろと問題だらけであることは確かですが、それ以前がバラ色だったかのように描くのはいかがなものかと思いますよ。

とはいえ、ほかの記事は結構読みでがあります。特に、上林さんの議論はもう何回も紹介していますが、

ブルシットジョブに喰われるエッセンシャルワーク―公務労働のリアル
上林陽治(公益財団法人地方自治総合研究所委嘱研究員)

やはり何回も読まれる必要があります。

 

 

機微に触れる個人情報の漏洩

5sy4ret_400x400 悲報学部卒の弁護士の堀新さんが、最も機微に触れる個人情報を漏洩しているようでありますな。

https://twitter.com/ShinHori1/status/1464105419534602240

学生時代、学科の数年上の先輩で、卒業後に法学部にも再入学してから旧労働省に勤務してた先輩がいて、ある時コンパで「学科の卒論は、ぎりぎりになった頃に、酒を飲んで一気に一晩で書いた。後で読み返したら意味がわからない内容になっていた」という話をしてくれた。濱口桂一郎さんである。

中身は全て忘れてしまったので、一切のお問い合わせには応じられませんので悪しからず。

(追記)

ついに怪物にされました・・・

https://twitter.com/jituwa_erojj/status/1464181804051492869

濱口桂一郎さん懐かしいです。会ったことありませんが某パソ通の議長で別板の住人であった私を自板に誘ってくれた。wikiもgoogleもないのに次から次へとチャット状態で知識を披露し、もう怪物だった。

 

 

2021年11月25日 (木)

芳野連合会長の注目すべき発言

連合のHPに、11月18日の記者会見の動画と文字起こしが載っています。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/rengotv/kaiken/20211118.html

例によってマスコミの皆さんは政治政局の話が大好きで、どの党がどうとかこうとか、そういう記事ばかりがデスク受けして載るんだろうな、というのはよくわかりますが、そういうのだけ見てたんではもったいないようなやり取りもちゃんと交わされています。

そのうち、最近はやりの「安い日本」の元凶という意味で、芳野会長が大変本質的なことにちらりと触れているところがあったので、ちょっと引用しておきますね。

・・・・あともう1つは先ほど少し触れた適正価格の問題ですが、おそらくこれまで労働組合としても物価が上がるということに対しては消極的だったかというふうに思います。前回の記者会見のときにも申し上げたかもしれませんが、私たちが消費者の立場で考えるのか労働者の立場で考えるのか、そこでまた変わってくると思います。私自身も、例えば良いもの安く買いたいと誰でもが思うことで、ただそれを通してしまうと、じゃあそこで物を作っている人たちの製品の価値もそうですし、物を作っている人たちの価値も下げてしまうということになるかと思うので、そこは私たち消費者もきちっとその物づくりをしている労働者のことも考えながら適正な価格できちっと買っていく。で、そこでは賃上げ、まあ賃金というと企業側はコストにはなりますが、賃上げも含めたその価格設定にして、そうすれば中小の人たちも給与が、賃金が上がりますから、そうなると消費にも回るということで、ある意味そういう好循環に持ってきたいっていう考え方です。日本全体がこう物価が上がっていくということになかなか理解を示すということは難しいのでどこまでできるかというのはありますが、適正価格はそういうことだというふうに思いますので、それは連合の中でもしっかり議論していきたいと思います。

ここはとても重要なことに触れているんですが、マスコミの方々にはあまり関心がなかったのか、そのままスルーされてる感じですね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/11/post-6a801f.html(労働者が消費者意識を高めたら賃金が上がらなくなった件について@WEB労政時報)

・・・・・今から30年前、昭和から平成に変わった頃の日本では、(今では信じられないかも知れませんが)「高い日本」が大問題であり、それを安くすることが労使共通の課題であったのです。1990年7月2日、連合の山岸会長と日経連の鈴木会長は連名で「内外価格差解消・物価引下げに関する要望」を出し、規制や税金の撤廃緩和等により物価を引き下げることで「真の豊かさ」を実現すべきと訴えていました。同日付の物価問題共同プロジェクト中間報告では、政府、企業、労働組合、消費者が果たすべき役割の4本柱を次のように掲げていました。
1.公的規制の緩和・撤廃
2.市場原理の徹底・公正競争の促進
3.消費者重視の徹底、国民生活の質的向上に貢献する産業構造への転換
4.政府、企業、労働組合、消費者の連携・協力
 なるほど、賃金を、つまり生産要素の価格を引き上げることが第一義のはずの労働組合が、企業や消費者と連携して価格の引下げに向けて全力投球してくれるのであれば、その後の日本社会がその通りの道筋を辿っていくことに何の不思議もなかったことになります。
 当時の連合はなぜそういう発想だったのでしょうか。同中間報告には、「労働組合は、職業人の顔とともに、消費者の顔をもつ」とか、「企業に対しては、労使協議の場等を通じて、消費者の声を産業・企業に反映し、消費者の利益を重視する経営を目指すよう、促す」べきだとか、挙げ句の果ては「労働組合自らが消費者意識を高め、消費者に対しては物価引下げに必要な消費者意識や消費者世論の喚起に努めるべき」とまで言っていたのです。消費者にとって嬉しい「安い日本」は労働者にとって嬉しくないものではないのか、という(労働組合本来の)疑問が呈されることはなかったようです。
 マクロ経済面については、1993年8月の日経連内外価格差問題研究プロジェクト報告がこのようなバラ色の未来像を描き出していました。
「物価引下げ→実質所得向上→経済成長」
 物価引下げによる実質所得の向上は、当然、国全体の実質購買力の増加となる。1992年度の数字で考えれば、仮に3年で10%の物価が引き下げられれば、毎年約9兆円の実質所得の向上になるが、これは各年度の雇用者所得を約4%程度も引き上げるのと同じ数字になるということも認識すべきである。
 その結果は、国民は新しい購買力を獲得し、そこから商品購買意欲の高まりが生まれる。それにより、企業としても、新商品開発、新産業分野への参入など積極的な行動がとれるようになり、将来の市場動向の安定をみて、研究開発や新規設備投資を行いやすい環境となる。このように、個人消費と設備投資の拡大は、経済成長を大いに刺激することになる。
 その後の失われた30年のゼロ成長は、このもっともらしい経済学的論理回路が100%ウソであったことを立証しています。名目賃金も実質賃金も下がり続け、国民の購買力も縮小する中で、その商品購買意欲も(その貧しさに見合った形で)収縮していき、企業の研究開発や設備投資も欧米どころか中国など他のアジア諸国にも見劣りする水準にまで後退し、これら全てが日本の経済力の劇的な引下げに大きく貢献してきたことはもはや明らかでしょう。よくぞこんなバラ色の未来図を白々しくも描けたものです。・・・・・

ジョブ型もメンバーシップ型も天使でもなければ悪魔でもない

口が酸っぱくなるくらい言い続けている割に、全然理解されないのが、ジョブ型とかメンバーシップ型というのは、一方をこの世のものならぬくらい褒め称えたり、他方をあの世のものであるかのごとく罵倒しつくしたりするような類のホットな価値概念などではなく、現実に存在する雇用システムを類型化してできた事実認識のための枠組みであるという点でしょう。

まあ、ジョブ型を世界中で追求されるべき新商品であるかのごとく売り込みを図る一部経営コンサルやその尻馬に乗るマスメディアがその手の印象操作をやりまくるのは、彼らの生計の道であるということを考えればやむを得ないとも言えますが、そういう手合いのおかげで、あちこちでこういうことを繰り返し言い続けなければならないこっちの身にもなってくれよと、まあぼやきたくもなるわけです。

2020年には突如として「ジョブ型」という言葉が流行し、ネット上で「ジョブ型」を検索するとほぼ毎日数十件の新しい記事がヒットするという状態が続きました。これは、同年1月経団連が公表した『2020年版 経営労働政策特別委員会報告』が大々的にジョブ型を打ち出したことによるものですが、記事の多くは一知半解で、間違いだらけのジョブ型論ばかりが世間にはびこっています。

「ジョブ型」「メンバーシップ型」というのは、言葉自体は私が十数年前に作った言葉ですが、概念自体はそれ以前からあります。これは現実に存在する雇用システムを分類するための学術的概念であり、本来価値判断とは独立のものです。つまり、先験的にどちらが良い、悪いという話ではありません。

一方、商売目的の経営コンサルタントやそのおこぼれを狙う各種メディアは、もっぱら新商品として「これからはジョブ型だ!乗り遅れるな」と売り込むネタとのみ心得ているようです。そのためジョブ型とは何か、メンバーシップ型とは何かという認識論的基礎が極めていい加減なまま、価値判断ばかりを振り回したがる傾向が見られます。

そもそもジョブ型は全然新しくありません。むしろ産業革命以来、先進産業社会の企業組織の基本構造は一貫してジョブ型だったのですから、戦後日本で拡大したメンバーシップ型の方がずっと新しいのです。

その日本でも、民法や労組法や労基法といった基本労働法制は全部ジョブ型でできています。それとメンバーシップ型でできている現実社会との落差を、さまざまな判例法理が埋めてきているのです。また、日本でも高度成長期の労働政策はジョブ型を志向していました。1970年代半ばから1990年代半ばまでのほんの20年間には、「新商品」としてメンバーシップ型礼賛論が溢れましたが、すぐに古びたのです。

と思ったら、今度は180度逆方面から、こういう手合いの経営コンサルと同じように(うすっぺらな)ジョブ型をもてはやしているかのごとく妙な攻撃めいた言いがかりをつけられているようでもあり、なかなかしんどいものでありますな。

いうまででもなくジョブ型の方が古臭く、メンバーシップ型の方が新商品だったのですよ。1970年代から1980年代にはね。当時はドーア先生はじめとして、日本型雇用こそが人類の未来だという議論が一世を風靡したもんです。

ジョブ型は大変硬直的だからダメなんだ、メンバーシップ型はこんなに柔軟だから凄いだろう。いやいや全くその通り。社会全体の持続可能性を抜きにして、その局面だけに着目すれば、今でも全くその通り。

ジョブ型の古さ自体は何の変りもない。ただ変わったのは、流行の意匠としてさっそうと登場したメンバーシップ型の雇用が、そんな最先端がどうのこうのという、経営コンサルが言いつのりたがる局面なんかではなく、女性、中高年、非正規労働者等々といった、そういう流行を追いたがる連中の眼にあまり入らないけれども、社会全体の持続可能性という観点からはこの上なく重要な部分において、かなり致命的な欠陥を示してきたということなんだが、そこが経営コンサル的感性の持ち主にはあまり目に入らないんだろうな。

 1980年代には、世界的にもこの日本型雇用システムこそが日本の圧倒的な経済的競争力の源泉であるともてはやされていましたが、その時期においても、誰がそれで得をし、誰が損をしていたかを考えると、性と年齢でかなり差がありました。

 日本型雇用で得をしていたのは若者です。ジョブ型社会というのは、「この仕事ができる」人が優先して雇われる社会です。若者というのは定義上中高年よりも経験が乏しく技能が劣ります。それゆえに労働市場で不利益を被り、卒業してもなかなか職に就けず、失業することが多いのです。ところが日本では、仕事の能力が劣っていることが明らかな若者ほど好んで採用されます。ところが一方、職安には中高年が長い列を作っていました。日本型雇用で損をするのは中高年です。いったん失業したら、技能も経験もあるのに嫌がられ、なかなか採用してもらえません。

 若者といい中高年といい、暗黙のうちに想定されていたのは男性です。実のところ、日本型雇用システムにおいて一番割を食っていたのは女性です。男女均等法以前の日本企業においては、男性は新卒採用から定年退職までの長期雇用が前提であるのに対して、女性は新卒採用から結婚退職までの短期雇用が前提で、その仕事内容も男性社員の補助業務が主でした。結婚退職した後は、主婦パート以外に働く場はほとんどありませんでした。

 1990年代半ば以降、日経連の『新時代の「日本的経営」』に示されるように、長期蓄積能力活用型という名で正社員を絞り込みつつ、雇用柔軟型という名の非正規雇用が拡大していきました。それまでのように若者は誰でも正社員になれる時代ではなくなり、正社員コースに入りこめなかった氷河期世代の若者は非正規労働に取り残されたまま今日中高年化しつつあります。この格差問題こそ、メンバーシップ型雇用社会が未だに解決できていない最大の矛盾です。また、若い男性を前提にした無限定な働き方と、家事育児負担を負った既婚女性との矛盾も大きくなっています。

 こうして矛盾だらけになった(古びた新商品としての)柔軟すぎるメンバーシップ型を見直し、もっと硬直的なジョブ型の要素を持ち込もうというのが「働き方改革」であって、その意味ではこれは復古的改革というべきものです。

この期に及んで、ジョブ型は古いんだぞ、日本はすでに1960年代から「脱ジョブ化」していたんだぞ、偉いだろう、みたいな議論をやってられる感性が正直信じられない。いや全くその通りなんだが、その帰結が今の姿なんだが。

 

 

 

 

 

『週刊金融財政事情』で河野龍太郎さんが拙著を書評

A_z_3419 『週刊金融財政事情』という雑誌は正直今までほとんど縁がない雑誌でしたが、その11月23日号に、BNPパリバ証券の河野龍太郎さんが拙著の書評を書いていただいています。

https://store.kinzai.jp/public/item/magazine/A/Z/

接著の意図をとてもよく理解していただいている有難い書評です。

 

シルバーハート事件評釈(英文)@『Japan Labor Issues』12月号

Jli12 JILPTの英文誌『Japan Labor Issues』12月号がアップされました。

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2021/035-00.pdf

● Eulogy A Dazzling Brilliance: In Memory of Dr. Tadashi Hanami NAKAJIMA Shigeya
● Trends News: Four Plans Setting the Course for Future Policy: Supporting Human Resources Development and Work Styles for a New Era
Key topic: The 2021 Shunto: Results and Identified Issues from a Broad Range of Discussions Amid the COVID-19 Pandemic OGINO Noboru
● Research Article: COVID-19-Related Job Separation and Income Decline in Japan TAKAHASHI Koji
● Judgments and Orders Reduction in the Shifts of a Non-standard Shift Worker The Silverheart Case HAMAGUCHI Keiichiro

冒頭に、中嶋士元也さんによる花見忠さんへの追悼の辞がありますが、これはJIL雑誌に載っている和文の英訳ですね。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2021/12/pdf/001-002.pdf

記事としては、荻野登さんの2021年春闘の分析と、高橋康二さんのコロナ離職と収入減の論文ですが、その後にわたしがシルバーハート事件の評釈を書いています。これは昨年末から急に話題になったいわゆるシフト制が問題になった数少ない裁判例です。

悩んだのはいわゆる「シフト制」をどう英語にするかで、ただの「shift work」では鉄鋼や病院の二交代三交代などの普通のシフト労働になってしまうので、「non-standard shift work」と表現してみました。

 

 

 

 

 

 

児童手当の所得制限について

例の18歳未満への10万円給付の話が飛び火して、児童手当そのものの所得制限について世帯主収入から夫婦の収入合算へという議論になりつつあるようです。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/144619(児童手当の支給要件「世帯収入合算方式に」 10万円給付巡り、与党内から求める声)

政府の経済対策に盛り込まれた18歳以下への10万円相当の給付を巡り、所得制限を準用した児童手当の支給要件を、世帯内で主となる稼ぎ手の収入に基づく現行方式から、世帯内で収入を合算する方式に見直すよう求める声が、自民党内から上がり始めた。共働き世帯が主流の現状に制度が合わなくなっているとの考えからだ。だが合算方式だと支給対象外となる共働き世帯が多くなるため、与党内で反対意見も根強い。

Ce14a3f7e07114eac0d744249d94071d_1 ・・・児童手当制度の創設は約半世紀前の1972年。支給要件となる世帯の収入が夫婦のどちらか一方となった理由について、内閣府の担当者は「当時は、専業主婦がいる世帯が今より多かったという状況の違いもある」と説明する。

 だが現状は、制度創設時とは世帯の在り方が大きく変化している。独立行政法人「労働政策研究・研修機構」によると、80年は専業主婦が1114万世帯、共働きが614万世帯と専業主婦世帯が主流だったのが、90年代にほぼ同数となり、以降は共働き世帯が逆転した。

この話の文脈で言えばまさにこういうことなんですが、一方で児童手当という制度の創設の原点に立ち返って考えると、そもそも当時も今も企業が支払う年功賃金でもって子どもの養育費用を賄うという在り方を変えていくための制度的な枠組みとして(企業の家族手当に代わる)公的な児童手当が構想されたという歴史的経緯があり、だから本来は所得制限なしに支給されるものとして(つまり、公的児童手当があるから企業は家族手当を支給しなくてもいいという風になるべきものとして)構想されながら、実際には所得制限付きのものとして作られ、企業の年功賃金や家族手当は変わらず、その結果児童手当は無用の長もの扱いされ続けて半世紀経ったわけです。民主党政権時の子ども手当がバラマキとして非難集中したのも記憶に新しいところです。

このあたりの経緯については『ジョブ型雇用社会とは何か』の第3章第3節でも触れましたが、結局半世紀以上経ってもこの構造自体に変わりがないということが露呈した騒ぎでもあります。

 

 

2021年11月22日 (月)

岩波書店の『図書』12月号で「著者からのメッセージ」

1848_o 岩波書店の広報誌(だよね)の『図書』12月号の「著者からのメッセージ」に、『ジョブ型雇用社会とは何か』についての簡単な自己紹介文を寄稿しております。

 昨今ジョブ型という言葉が氾濫しています。日本的なメンバーシップ型と対比してこの言葉を作ったのは私自身ですが、マスコミに溢れるジョブ型論はほとんど一知半解で間違いだらけです。
 中でも目に余るのが、労働時間ではなく成果で評価するのがジョブ型だという議論です。頻繁に紙面で目にするためそう思い込んでいる人が多いのですが、九割方ウソです。むしろ、ジョブ型社会では一部の上澄み労働者を除けば仕事ぶりを評価されないのに対し、メンバーシップ型では末端のヒラ社員に至るまで評価の対象となります。ただその評価の中身が能力や意欲に偏り、成果による評価が乏しいために、日本の管理職はぬるま湯に安住しているという批判が出てくるのです。
 ジョブ型、メンバーシップ型というのは、現実に存在する雇用システムを分類するための学術的概念で、本来価値判断とは独立のものです。世に横行するジョブ型論者はあたかも新商品の売り込みネタとでも心得ているかのようで、本書はいい解毒剤になるのではないかと思います。

なお、本日岩波の編集部から連絡があり、第4刷が決まったようです。これもすべて皆様の熱いご支持の賜物と感謝申し上げます。

 

EUレベル労働協約の指令化拒否に最終判決@『労基旬報』2021年11月25日号

『労基旬報』2021年11月25日号に「EUレベル労働協約の指令化拒否に最終判決」を寄稿しました。

ややマニアックな話題だと思われるかも知れませんが、先日の日本労働法学会138回大会のワークショップで井川志郎さんが話したことのいわば裏側の話にあたり、こういうことも念頭において考えることが必要ではないかという意味では、けっこう本質的な問題を提起しているテーマでもあります。

 私は1998年にEU代表部から帰国して以来、EU労働法の解説、あるいはむしろ宣伝に努めてきましたが、その中でも最大の目玉商品は、1991年のマーストリヒト条約附属社会政策協定で導入され、現在はEU運営条約に規定されているEUレベル労働協約の指令化という制度でしょう。2007年から2009年にかけて、日本で労働政策に関する三者構成原則についての議論が盛んに行われた頃には、私はこのEUの仕組みをあちこちで説明する機会がありました。その頃私が書いた「労働立法と三者構成原則」(『ジュリスト』2008年12月15日号)には、「EC設立条約という憲法的規範のレベルで、労使団体の関与やイニシアティブが規定されており、いわばコーポラティズムが立法における民主制の現れとして明確に位置づけられている」とか、「議会民主制と並ぶもう一つの民主制原理を労働立法過程の中に持ち込むものと評価しうる」などと述べていました。
 この評価自体は、私は今も変わることはありませんが、肝心のEUの方が、その後この仕組みに対して必ずしも熱意を持たなくなっていったように見えます。それはいくつかの面がありますが、まず、1997年のアムステルダム条約により男女均等待遇について別の立法根拠が設けられるとともに,性別,人種・民族,宗教・信条,障害,年齢,性的指向を理由とする差別に対する立法に関する規定が新たに導入され,差別禁止政策という労働法の重要な分野が労使立法システムから事実上あるいは法的に外されたのです。
 一方2001年以来,条約上の根拠のないまま欧州委員会通知(COM(2002)704)に基づき,広く市民社会団体等への一般協議が行われ、2009年のリスボン条約により、これが条約上の仕組みに昇格するに至りました。今日まで、2006年の労働法の現代化に関する協議をはじめ、労使立法の基軸に位置するような内容を扱いながら,労使団体への協議ではなく,広く一般への協議という形のみをとることも多く、労働側の強い反発を招いています。
 しかしながら、欧州委員会がEUレベルの労使団体に協議を行い、これを受けた労使団体間で交渉が行われ、労働協約が締結され、労使団体の申出を受けた欧州委員会がそれを指令案として提案し、閣僚理事会がそれを指令として正式に採択するという、この労働立法サイクル自体に変わりはないはずでした。労使団体側が指令にしてくれなくてもいい、自分たちで実施するという自律協約もテレワークやハラスメントなど出てきたとはいえ、本筋はEUレベル労働協約の指令化だと、みんな思っていたはずです。しかし、2010年代に入るとそれがだいぶ怪しくなってきました。
 最初に問題が持ち上がったのは、欧州委員会の協議に基づくのではなく、EUレベルの業界労使の間で自発的に交渉を初めて締結した労働協約の指令化についてでした。2012年4月26日にEU理美容協会(Coiffure EU)と欧州サービス労連(UNI europa)の間で締結された「理美容部門における労働安全衛生の保護に関する欧州枠組協約」(European framework agreement on the protection of occupational health and safety in the hairdressing sector)を、EU運営条約第155条に基づき指令として法的拘束力あるものとすることを求めたのです。
 この協約は、アレルギー反応を引き起こす危険性のある皮膚刺激的な化学物質に長時間曝されないような措置を使用者に求めるほか、労働環境に関わるさまざまな規定を盛り込んでいます。そしてこの段階では、欧州委員会は本協約を「労使による労使のための、小企業にテーラーメードの規制」であり、「合意された防止措置を実施する費用は低」く、「病休や転職を減らす効果は高い」と高く評価していました。
 ところが同年10月、オランダを初めとして、イギリス、ドイツ、エストニア、フィンランド、スウェーデン、ルーマニア、クロアチア、スロベニア、ポーランドといった諸国の政府が、この分野におけるいかなる規制にも反対するという意見書を提出しようという動きがあると、欧州サービス労連が公表し、同年11月にはEU理美容協会と欧州サービス労連が本協約を擁護する共同声明を発表しました。
 欧州委員会は翌2013年10月2日、EUの規制改革プログラム(REFIT)の一環として撤回される提案等を示しましたが、その中に「欧州委員会が行動をとらない分野の例」として、「ノーアクション:現在の任期の間、欧州委員会は理美容業の労働安全衛生における立法を提案しない。EU運営条約第155条に基づき、労使団体は欧州委員会に理美容従事者の安全衛生規則に関する協約を実施する指令を提案するよう求めた。欧州委員会は現在の任期中そのような協約を提案しないと決定した。本協約の適切さとEU付加価値性がまず十分に審査されなければならない。2012年には中小企業が本分野における立法が繁雑で費用がかかることを示した。労働安全衛生分野におけるEU法制の総体的な評価が現在進行中であり、労使団体への特定の協議もそれに含まれる。その結論は2015年には示される。それがこの立法分野におけるさらなる展開を指し示すであろう」という一節が含まれていたのです。事実上の拒否回答です。これに対してEU理美容協会と欧州サービス労連は遺憾と怒りの意を表明し、過去20年間発展してきた労使対話へのアプローチを完全に変えるものだと批判しました。
 その後、理美容業労使は新たな協約の締結に向けて交渉をしていましたが、2016年6月23日には新たな「理美容部門における労働安全衛生の保護に関する欧州枠組協約」の締結が発表されました。その前文でも2012年協約と同様、EU運営条約第155条に従い本協約をEU加盟国で拘束力あるものとする決定のため、欧州委員会に本協約を理事会に提出することを求めています。しかし欧州委員会の拒否の姿勢は変わらず、やり取りの結果2019年12月4日、両者はこの自律的に締結した協約を自律的に実施することとなったようです。
 同様の問題が欧州司法裁判所に持ち込まれるに至ったのが、2015年12月21日に欧州公行政経営者協会(European Public Administration Employers, EUPAE)と労働組合行政代表(Trade Uninon's National and European Delegation, TUNED)の間で締結された「中央政府行政の公務員及び被用者への情報提供及び協議のための一般枠組み」(General framework for informing and consulting civil servants and employees of central government administrations)という協約です。こちらはさらに複雑なことに、純粋な意味での自律協約ではなく、欧州委員会によるEUレベル労使団体への協議に基づいていました。2015年4月10日に行われた労働者への情報提供・協議に関するEU諸指令の統合に関する第一次協議です。この協議文書(COM(2015)2303)には、情報提供・協議諸指令の適用範囲について公企業以外の公的部門にも拡大すべきかどうかという論点が明記されていました。
・・・適合性チェックはEU諸国の公行政において情報提供・協議の権利がどの程度まで行使されているのかを、とりわけいくつかの国で生じている公的部門のリストラの文脈において、検討する必要があると指摘した。
 多くの加盟国では、公的部門は厳しい財政制約の中で効率化のために重要な改革を進めつつある。しばしばそれら改革は大規模なリストラとその結果の大量解雇や労働条件の変更をもたらす。公的部門労働者の雇用関係もますます民間部門の契約に近づいている。官吏と雇員の区別も次第に不分明になっている。これらを踏まえ、欧州委員会は加盟国に対し、雇用関係の性質にかかわらずリストラ上質枠組みを公的部門に適用することを呼びかける。
 この文脈で情報提供・協議諸指令について、公行政がその人的適用範囲に含まれるのか等を検討する機会である。・・・
 EUPAEとTUNEDにより設けられた欧州中央政府行政労使対話委員会(SDCCGA)はこの協議に反応して、同年6月2日から条約に基づく拘束力ある協約に向けた交渉を開始し、同年12月21日に協約の締結に至りました。
 同協約は必須協議事項として、労働安全衛生、労働時間とワークライフバランス、組織構造やサービスの変更が雇用に及ぼす影響を挙げるとともに、各国法制や労使対話に従って報酬、訓練、男女平等、社会保護も情報提供・協議の対象としうるとし、守秘義務や被用者代表の保護等も規定しています。とりわけ前文で、特定の公的被用者が適用除外される場合には正当な理由が必要で、本協約の目的に照らして例外を見直すべきと述べている点は重要です。
(前文)・・・これらの理由から、委員会は全ての公的被用者が情報提供と協議の権利を享受することが枢要だと考える。国内法で特定範疇の公的被用者に例外を定める場合、その例外は正当な理由が必要である。委員会は加盟国に対し、本協約の目的に照らしてこれら例外を再検討し、新たな例外を設ける場合はその目的を無視しないよう奨励する。
 翌2016年2月1日、両者は共同で欧州委員会に対し、同協約を実施する理事会決定案の提出を求めましたが、同年3月5日、欧州委員会はこれを拒否したのです。そこで2018年5月15日、欧州公共サービス労連(EPSU)とその事務局長によって欧州委員会に対する訴えが提起されました。EU労使対話の歴史上空前絶後の事態です。これに対する一般裁判所の判決(T?310/18(EPSU v Commission))は2019年10月24日に下されましたが、訴えは却下されました。これに対してEPSU側は控訴し、2021年9月2日に大法廷の判決(C-928/19P)が下されました。結論は再び却下でした。
 その理由は、EU運営条約第155条第2条の「EUレベルで締結された労働協約は、・・・締結当事者の共同要請により、欧州委員会からの提案に基づく閣僚理事会決定により実施されるものとする」の「shall be implemented」は、欧州委員会に決定案を義務づけるものではなく、提案するかしないかの裁量を認めるものであるということです。「shall」が義務づけでないというのはその通りでしょうが、そもそも立法府たる理事会には当然その協約に基づく決定案を採択するかしないかの権限があり、採択を義務づけられているわけではないという当然の理路とごっちゃになっている感があります。マーストリヒト時の立法経緯からすれば、ここでの欧州委員会の役割は何も余計なものをつけずに理事会に協約を送り届けるだけの「子どもの遣い」であって、理事会の判断に委ねないという裁量権があるというのはいささか違和感が残ります。
 この問題がいささか複雑なのは、理美容業協約の時は新自由主義的なバローゾ委員会であったのに対し、今回の中央行政協約は「欧州社会権基軸」を掲げて新自由主義からの脱却を訴えたユンケル委員会の下で行われているということです。30年間欧州委員会雇用社会総局に勤務して労使関係課長等を務め*1、2018年に欧州労働組合研究所(ETUI)に移ったジャン・ポール・トリカール氏は、昨年の論文「昔々欧州労使対話がありました」*2で大変厳しい批判を加えています。
・・・欧州労使対話は労使団体とEU機関とりわけ欧州委員会の間の信頼感の下で発展したが、今や不信と憤激がこの関係を彩っている。・・・2010年代半ばの労使対話の衰退を考えれば、欧州労使対話の再提起はいい機会だ。こうしてユンケル委員会は労使団体との信頼を回復することができた。しかし、バローゾ委員会時代以来の欧州労使交渉から生ずる立法への敵意ある態度を変えず、欧州労使対話の役割を著しく弱めたのである。
 

*1筆者のEU日本政府代表部在勤時代にはお世話になった。
*2Jean-Paul Tricart 'Once upon a time there was European social dialogue'("Social Policy in the European Union 1999-2019 : the long and winding road" ETUI(2020))

 

諸外国における「シフト制」労働をめぐる法規制の展開@『労働法律旬報』No.1996(11月下旬号)

595343 『労働法律旬報』No.1996(11月下旬号)が「諸外国における「シフト制」労働をめぐる法規制の展開」という特集を組んでおりまして、

https://www.junposha.com/book/b595343.html

[特集]諸外国における「シフト制」労働をめぐる法規制の展開
解題=濱口桂一郎+山本陽大…………06
EUにおける「シフト制」労働に対する法規制=濱口桂一郎…………07
ドイツにおける呼出労働をめぐる法規制の現状=山本陽大…………14
フランスにおける「シフト制」労働に関わる法規制=石川茉莉…………23
イギリスにおけるゼロ時間契約に係る政策動向=滝原啓允…………29

そのうちのEU編をわたくしが執筆しております。

この「シフト制」は、ここ1年ばかり日本で注目されているいわゆるシフト制で、ヨーロッパ諸国でいうshift workではなく、むしろon-call work とかon-demand workとか言われている非典型就労形態のことです。

この問題の比較法研究は恐らく初めてではないかと思われ、いろいろと参考になるのではないかと思います。

 

 

労働者が消費者意識を高めたら賃金が上がらなくなった件について@WEB労政時報

WEB労政時報に「労働者が消費者意識を高めたら賃金が上がらなくなった件について」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/login.php

最近、「安い日本」がホットな話題になっています。日経新聞の中藤玲記者が書いたそのものズバリの『安いニッポン-「価格」が示す停滞』(日経プレミアシリーズ)は、特にその第2章(人材の安い国)で年功序列(がもたらす初任給の低さ)や横並びの賃金交渉、さらには「ボイスを上げない日本人」に、低賃金の原因を求めています。その理路は相当程度同感できるものではあるのですが、実はそもそも、「安い日本」は経済界と労働界が共同して求め、実現してきたものではないのか、という疑問もあります。
 今から30年前、昭和から平成に変わった頃の日本では、(今では信じられないかも知れませんが)「高い日本」が大問題であり、それを安くすることが労使共通の課題であったのです。・・・・・

2021年11月20日 (土)

坂井豊貴さんが朝日新聞で書評

71ttguu0eal_20211120084401 本日の朝日新聞書評欄で、坂井豊貴さんが『ジョブ型雇用社会とは何か』を取り上げています。

https://book.asahi.com/article/14484997

日本では通常、雇用契約に職務が記載されない。その組織で働くことが書かれているだけで、どんな職務に就くか分からない。それは使用者の命令によって定まる。こうした契約をメンバーシップ型という。これと対照的なのは職務が記載されているジョブ型だ。・・・・

と、本書の内容を的確に要約していただいたうえで、最後に

・・・・著者はジョブ型とメンバーシップ型の区別を起点として、日本や他国の労働市場の特徴を、鮮やかに説明する。読者は「ジョブ」の概念をつかむことで、読む前とはまるで別の社会像が見えてくる。瞠目(どうもく)の読書体験である。

と評価していただいています。「瞠目」という言葉で評していただいたのは初めてだと思います。

[音]ドウ(ダウ)(慣) [訓]みはる 

 

 

 

 

2021年11月19日 (金)

笹島芳雄『70歳就業時代の 雇用・賃金改革』

190 笹島芳雄さんの『70歳就業時代の 雇用・賃金改革-高齢者を活かす定年制とジョブ型賃金-』(労働法令)をお送りいただきました。

https://www.rodohorei.co.jp/c/act/Detail.do?id=190

70歳までの就業を促進する、改正高年齢者雇用安定法が2021年4月から施行され、どの企業も希望する従業員が70歳まで働いて収入が得られるように工夫しなければならなくなりました。
本書は、雇用・賃金のスペシャリストである著者が、その背景と動向を解説すると共に、高齢者の職業能力をフル活用するための人事管理のポイントを詳述しました。

副題にあるように、65歳定年制と並んで「ジョブ型賃金」というのが一つの目玉ですが、もちろん、「ジョブ型賃金」とは「ジョブ型雇用」ではありません。

日本的な長期雇用の人事管理の中に、ジョブ型社会で一般的な職務給を、きちんとした職務評価制度とともに導入しようという話です。

第1部 高齢者活用の時代と70歳就業法
    第1章 高齢労働力活用の時代
        高齢化・少子化の進行と人口減少/高齢労働力の将来見通し/高齢者の職業能力の水準
    第2章 高齢者生活の安定と雇用・年金問題
        公的年金の支給開始年齢と支給水準/高齢者の生活安定策と公的年金/高齢者の高い就労意欲
    第3章 高齢者活用に向けた70歳就業法
        高年齢者雇用安定法の変遷/70歳就業法(改正高年齢者雇用安定法)のポイント/
        70歳就業法(改正高年齢者雇用安定法)の内容/70歳就業法への企業の対応策

第2部 全社員統一型65歳定年制の推進
    第4章 65歳定年制、再雇用制度の比較と年齢差別禁止
        定年制と再雇用制度の現状/再雇用制度の一般的特徴/65歳定年制のメリット・デメリット/
        再雇用制度のメリット・デメリット/年齢差別禁止・定年制廃止と65歳定年制
    第5章 65歳定年制推進の動きと2種類の65歳定年制
        必要な65歳定年制の推進/65歳定年制への政労使の姿勢/2種類の65歳定年制とそれぞれのメリット・デメリット/
        2種類の65歳定年制の選択問題
    第6章 65歳定年制事例の活用
        「全社員統一型65歳定年制」企業の事例/「高齢者分離型65歳定年制」企業の事例

第3部 ジョブ型賃金の推進・活用
    第7章 「ジョブ型賃金システム」とこれからの賃金制度
        ジョブ型賃金システムとは何か/ジョブ型賃金に向かう日本の賃金制度/ジョブ型賃金の推進要因/
        能力・実績主義(成果主義)の推進とジョブ型賃金
    第8章 65歳定年制の賃金制度と同一労働同一賃金
        70歳就業時代の賃金制度の基本的方向/職能給と職務給の比較/「全社員統一型65歳定年制」の基本給体系のあり方/
        ジョブ型賃金を補完する取り組み/「同一労働同一賃金」規定と高齢者雇用
    第9章 ジョブ型賃金とジョブ等級制度の設計
        職務給と職務等級制度の関係/職務等級制度の構築と職務記述書/職務評価の実施とコンサルタントの利用/
        序列法による職務評価/職位法による職務評価/分類法による職務評価/分類法の応用事例/
        要素別点数法による職務評価

そんなことができるのだろうか、という気もしますが、でも考えてみれば、逆の組み合わせはあるんですよね。病院は医師も看護師もいろんな検査技師も事務職も、それぞれジョブのデマケがはっきりしていてジョブ型なんですが、でも賃金処遇制度は年功制になっていますし、大学教授の皆さんも(最近は事務作業に追われてもはやジョブ型じゃなくなりつつあるのかもしれませんが、一応ジョブ型だという前提で)賃金処遇は見事な年功制です。

なのでその逆も十分あり得るのかもしれません。もっとも入口が新卒一括採用のままでは若年期にジョブ型賃金も無理でしょうから、ある程度年数が経ったところからということになるのでしょうが。

 

 

2021年11月17日 (水)

だったら・・・

だったら、あたかも欧米社会でやっているのと同じことをやろうとしているかのように人を誤解させる「ジョブ型」なんていう、人を惑わす看板を掲げるのをきっぱりとあきらめて、正直に「自社型」とだけ言えばよいだけのこと。

「自社型」という看板では呼び込めない善男善女を「ジョブ型」という看板で呼び込もうという下心がある限りは、批判を免れないと思うね。

まるで、欧米では日本と異なり下っ端に至るまでみんな厳格な成果主義で査定されているかの如き嘘っぱちを、「ジョブ型」というもっともらしい看板を掲げて素人諸氏に思い込ませるなどといういんちき芸をやっているうちは、はいそうですかというわけにはいかないな。

別になんたら選手権に出ようが出まいが勝手ではあるけれども、れっきとした羊肉料理店があるにもかかわらず、いかにもそれらしい風情で羊頭を掲げて狗肉を売るのは、人から詐欺商売といわれても仕方がないんじゃないかな。

どうしても「ジョブ型」という言葉を使いたいなら、中国共産党を見習って、「習近平新時代の日本の特色あるジョブ型」くらいにしておけば、さすがに誤解する人はいなくなると思うよ。

2021年11月16日 (火)

『情報労連REPORT』11月号

2111_cover 『情報労連REPORT』11月号が届きました。特集は「「労働時間」問題の現在地」です。

http://ictj-report.joho.or.jp/2111/

その中で、細川良さんが「フランスで法制化された「つながらない権利」日本での導入は可能か? 」を解説していますが、読んでいくとこういう記述があります。

2111_sp05_face ・・・ただし、日本とフランスでは前提となる文化が異なります。フランス社会はプライベートをとても大切にします。また、契約以外の仕事はやらないという意識も強くあります。

一方、日本では勤務時間外や自分の職務以外でも仕事をする意識が強いため、「つながらない権利」を確認したとしても、それを担保するには、より強い対策が必要になるかもしれません。

また、社内で協約を締結したとしても、社外の取引先や顧客からの要請は断りづらいという課題もあります。その場合、社内のルールを取引先などに積極的にアピールする必要が出てきます。

フランスでは、労働協約は公的な性格を持っているため、産業別の労働協約は官報に掲載されます。また、企業別の協約もウェブで公表することが多いです。このように協約が公表されていれば社外の取引先などにも説明しやすいですが、日本では協約が外部に公表されることはほとんどありません。社内でルールを決めたとしても、社外にどうアピールするかが課題になりそうです。・・・

まあ「呼出待機」という風習が根強く残る日本では、「つながる義務」の感覚の方が強いのかもしれません。

 

 

 

 

 

2021年11月15日 (月)

成果主義が一般的でない米国社会で成果主義を普及させるには・・・・

先日の「牛島信さんの拙著への感想が面白い」というエントリに、野々宮さんという方からこういうコメントが付きまして、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/11/post-007763.html#comment-120755822

下記のような、togetter.を見ましたので参考までに
”米国大で「米国で成果主義を普及させるには」というお題に同級生が皆頭を抱えていた→ 「成果主義の国」という固定観念の日本人として大混乱した経験”

その元ツイートはこちらですが、

https://twitter.com/Hiroshi99857672/status/1459306262877769729

以前授業でディスカッションの場があったんだけど、そのテーマが「成果主義が一般的でない米国社会で成果主義を普及させるには」で、米国人同級生は「それは米国では無理だよね...」などと皆頭を抱えており、「米国は成果主義の国」という固定観念を日本で植え付けられた私は一人で大混乱していた。

このツリーではその後コネ社会だからアファーマティブアクションだ云々という話になっているようですが、いやそもそも、一番根っこのところで、ジョブ型社会というのは日経新聞や世に溢れる人事コンサル諸氏が煽り立てるのとは全く異なり、日本でやたら盛んな成果主義とは正反対なんだという、一番肝心のことが、日本では全く正反対に信じ込まされているという点に問題の根源があるわけですよ。

71ttguu0eal_20211115094501 この点こそ、『ジョブ型雇用社会とは何か』という本を今この時点で世に出さないとまずいな、と思うに至った最大の理由でもあるわけです。

ジョブ型は成果主義ではない
 しかし、この解説で一番問題なのは、「労働時間ではなく成果で評価する」というところです。あまりにも頻繁に紙面でお目にかかるため、そう思い込んでいる人が実に多いのですが、これは9割方ウソです。どういうことでしょうか。
 そもそも、ジョブ型であれ、メンバーシップ型であれ、ハイエンドの仕事になればなるほど仕事ぶりを厳しく評価されますし、ミドルから下の方になればなるほどいちいち評価されなくなります。それは共通ですが、そのレベルが違うのです。多くの人の常識とは全く逆に、ジョブ型社会では一部の上澄み労働者を除けば仕事ぶりを評価されないのに対し、メンバーシップ型では末端のヒラ社員に至るまで評価の対象となります。そこが最大の違いです。
 これは、ジョブ型とはどういうことかを基礎に戻って考えればごく当たり前の話です。ジョブ型とは、まず最初に職務(ジョブ)があり、そこにそのジョブを遂行できるはずの人間をはめ込みます。人間の評価はジョブにはめ込む際に事前に行うのです。後はそのジョブをきちんと遂行できているかどうかを確認するだけです。大部分のジョブは、その遂行の度合を事細かに評価するようにはなっていません。ジョブディスクリプションに書かれた任務を遂行できているか、それともできていないかをチェックするだけです。それができていれば、そのジョブにあらかじめ定められた価格(賃金)が支払われます。これがジョブ型の大原則であって、そもそも普通のジョブに成果主義などはなじみません。例外的に、経営層に近いハイエンドのジョブになれば、ジョブディスクリプションが広範かつ曖昧であって、できているかできていないかの二分法では足らず、その成果を事細かに評価されるようになります。これが、多くのマスコミや評論家が想定する成果主義の原像でしょう。しかし、それをもってジョブ型の典型とみなすことは、アメリカの大学が全てハーバード大学のビジネススクール並みの教育をしていると思い込む以上に現実離れしています。

ヒラ社員まで査定する日本
 これに対し、日本のメンバーシップ型社会においては、欧米の同レベルの労働者が評価対象ではないのと全く正反対に、末端のヒラ社員に至るまで事細かな評価の対象になります。ただし、そもそも入社時に具体的なジョブのスキルで評価されているわけではありませんし、入社後もやはり具体的なジョブのスキルで評価されるわけではありません。では彼らは何で評価されているのかというと、日本の会社員諸氏がみんな重々承知のように、特殊日本的意味における「能力」を評価され、意欲を評価されているのです。人事労務用語でいえば、能力考課であり、情意考課です。この「能力」という言葉は要注意です。これは、いかなる意味でも具体的なジョブのスキルという意味ではありません。社内で「あいつはできる」というときの「できる」であって、潜在能力、人間力等々を意味します。また情意考課の対象である意欲とは、要は「やる気」ですが、往々にして深夜まで居残って熱心に仕事をしている姿がその徴表として評価されがちです。業績考課という項目もありますが、集団で仕事を遂行する日本的な職場で一人ひとりの業績を区分けすることは難しく、本来の意味での成果主義は困難です。
 このように、ハイエンドではない多くの労働者層についてみれば、ジョブ型よりもメンバーシップ型の方が圧倒的に人を評価しているのですが、ただその評価の中身が、「能力」や意欲に偏り、成果による評価は乏しいのです。問題があるとすれば、この中くらいから末端に至るレベルの労働者向けの評価のスタイルが、それよりも上位に位置する人々、経営者に近い管理する側の人々に対しても、ずるずると適用されてしまいがちだということでしょう。ジョブ型社会において彼らのカウンターパートに当たるエグゼンプトとかカードルと呼ばれる人々は、ジョブディスクリプションに書かれていることさえちゃんとやっていれば安泰な一般労働者とは隔絶した世界で、厳しくその成果を評価されているのに、日本の管理職はぬるま湯に安住しているという批判はここから来るのです。そしてその際、情意考課で安易に用いられがちな意欲の徴表としての長時間労働が槍玉にげられ、「労働時間ではなく成果で評価する」という、日経新聞で毎日のようにお目にかかる千篇一律のスローガンが生み出されるというわけです。
 もちろん、ハイエンドの人々は厳しく成果で評価されるべきでしょう。その意味で、「9割方ウソ」の残り1割はウソではないと認めてもいいかも知れません。しかし、そういう人はジョブ型社会でも一握りの上澄みに過ぎません。ジョブ型社会の典型的な労働者像はそれとは全く異なります。もし、ジョブ型社会ではみんな、少なくともメンバーシップ社会で「能力」や意欲を評価されている末端のヒラ社員と同じレベルの労働者までがみんな、成果主義で厳しく査定されているという誤解をまき散らしているのであれば、それは明らかにウソであると言わなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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