仁田道夫『労使関係からみる戦後という時代』(日本評論社)をお送りいただきました。今どき珍しい(戦前もちょっと入った)戦後日本労使関係史の大冊です。
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/9773.html
大小様々な戦後労働運動の実相をつぶさに描写する。歴史のはざまに揺れ動いた人びとに光をあて、記憶にとどめる労使関係史の新たな形。
目次は下にコピーしますが、大きく第1部の「戦後という時代の労使関係史をたどる」と第Ⅱ部の「列伝」にわかれ、司馬遷の史記のごとく、通史プラス事件史の「本紀」と労使関係に関わる人物伝の「列伝」からなる史書のスタイルとなっています。
両者はもちろん絡み合っており、例えば、第Ⅰ部第3章第5節の「「外組」の旗を掲げて——生命保険営業職員労働運動の出発」と、第Ⅱ部第3章第3節の「小林中」の「3 富国生命外務従業員組合役員解雇をめぐる労使紛争」とが響き合っています。
ちなみに、この生保営業職員の話は、ちょうど先日読んだばかりの金井郁・申琪榮『「生保レディ」の現代史 保険大国の形成とジェンダー』(名古屋大学出版会)のテーマとも響き合っています。こちらも面白いのでどうぞ。
https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-1214-0.html
さて、労使関係がすっかり人気がなくなり、まともな労使関係の歴史の本がほとんどなくなった現在、第1部の通史や事件史もとても貴重ではありますが、やはり本書の真骨頂、これぞ仁田先生の仁田節全開というべきは第Ⅱ部の列伝でしょう。
この人選が何とも渋い。おそらく、労働関係者でも、ここに出てくる計31人のうち、半分でも知っていれば上等ではないでしょうか。
労働運動家たち13人のうち、誰でも知ってるのはたぶん高野実くらいでしょう。滝田実や太田薫はいろんなところに顔を出すけれども、一節を充てて論じられてはいません。でも、そういう無名の労働運動家たちの活動の上に戦後労使関係が築かれていったということがわかります。
ちなみに、その労働運動家の中に、誰でも名前を知っているけれども、労働運動家としては全く認識されていないある女優の名前があります。第Ⅱ部第1章第6節「水の江瀧子と飛鳥明子」の水の江瀧子です。実は彼女は戦前松竹でストライキを先導してるんですね、
この松竹の「桃色争議」については、ちょうどNHKの朝の連続テレビ小説で「ブギウギ」をやっていたころに、本ブログでも取り上げたことがあります。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/10/post-120fc7.html
朝の連続テレビ小説「ブギウギ」は、いよいよ桃色争議が佳境に入っていくようですが、そういえば2年前に紹介した『日本人の働き方100年 定点観測者としての通信社』に、この桃色争議の写真があったのではないかと思い出しました。
テレビでは「梅丸少女歌劇団」となっていますが、もちろんこれは現実に存在した松竹少女歌劇団のことです。この少女たちが、1933年(昭和8年)に起こしたのが、有名な桃色争議です。
『日本人の働き方100年 定点観測者としての通信社』に載っているこの写真は、東京の水ノ江滝子を中心とする争議団で、大阪の三笠静子(テレビでは福来スズ子)らが参加したものではありませんが、でも当時の争議の雰囲気が良く伝わってきます。

経営者たちも、前田一とか森田良雄とか実に興味深い人を取り上げてくるし、行政関係者でも松崎芳伸とか賀来才二郎とか、ほんとに興味をそそられる。実は、『労働法政策』を書くときに、賀来才二郎の『ふていのやから』を読んで、京大哲学科を出て神戸市役所でハロワ業務をやってた人が中労委事務局に入り込み、労政局長として1949年改正と1952年改正に携わるという、おそらく戦前にも戦後にもありえないような疾風怒濤時代ならではのキャリアに感心したことを思い出しました。
最後の源氏鶏太がなぜ出てくるのか?今やこれも絶滅危惧種のサラリーマン小説の始祖たる源氏鶏太の出世作『三等重役』こそが、戦後日本のサラリーマンの出世の先の存在としての経営者が支配する戦後日本型コーポレートガバナンスをその出発点において描き出したものだからなんですね。
実は、かつて海老原嗣生さんの雑誌『HRmics』に連載していた「原典回帰」の、『働き方改革の世界史』にまとめた後に第36号に寄稿した「経済同友会企業民主化研究会編『企業民主化試案』」において、この源氏鶏太の『三等重役』をちょびっと引いたところがありました。
https://hamachan.on.coocan.jp/hrmics36.html
1 労働攻勢の中の三等重役たち
さて、その新装開店の第1回目に取り上げるのは、終戦直後の1947年に刊行された経済同友会企業民主化研究会編『企業民主化試案』です。経済同友会という団体は今日も存在しており、経団連とは一味違った立場からいろいろと提言活動を行っていますが、もともとは、終戦直後の激動の中で、若手経営者たちの自発的な集まりとして出発した団体です。その背景事情からみていきましょう。
敗戦とともに労働運動は解放、助成され、労働組合は燎原の火のように広がりました。しかしながら、その労働組合は産業別でもなければ職業別でもなく、企業ごとにホワイトカラー職員とブルーカラー労働者を包含した組織として誕生したのです。これらの特性は戦時中の産業報国会が持っていたものでした。戦後の企業別組合は、いわば産業報国会の主導権を労働運動が握る形で形成されたと言えます。
この頃、労働争議戦術として生産管理闘争が注目されました。生産管理とは、労働組合が経営者に代わって生産を再開し、自主的に生産業務を管理するものです。思想的には戦前の自主的工場委員会に連なるものと言えますが、背景としては企業が生産サボタージュを行っているため、ストライキが有効な争議戦術とならなかったことがあります。経営者に代わって労働組合が戦後の生産復興に当たるのだという誇りもあったようです。なによりも、ごく少数の経営幹部を除き、経営実務に当たってきたホワイトカラー職員がこぞって労働組合に参加したため、生産管理が現実に可能となったことが重要でしょう。その意味で、これは過激な形態の経営参加の試みであったとも言えます。
一方、恒常的な経営参加のメカニズムとして、多くの労働組合は労働協約により経営協議会を設立し、労働条件のみならず、人事、経理や経営方針まで協議の対象としていきました。1946年には政府の諮問により中労委が「経営協議会指針」を答申し、労働組合の半数近くが経営協議会を設置していました。
これに対し、労働運動に肩入れしていたGHQは、戦争に協力してきた経営者には大変厳しい姿勢で、財閥解体で大企業を分割したうえに、財界人の公職追放で経営陣の相当数をその職からパージしたのです。その結果、どの会社でも社長以下重役連は追放され、代わって上級管理職、場合によっては中級管理職だったようなホワイトカラー職員たちが、空いた重役ポストにはめ込まれたのです。彼らを人呼んで三等重役と言いました。ちなみに、源氏鶏太のその名も『三等重役』(新潮文庫)という小説では、社長が公職追放されたため総務部長から社長になってしまった主人公の桑原が浦島人事課長とともに社内の事件を解決していきますが、似たような状況は当時の日本のあちこちに見られたのでしょう。
まさにそういう三等重役たちが結成したのが、話は戻りますが経済同友会だったのです。その設立趣意書では、自分たちを「中堅経済人」と称しています。戦前来の資本家たる経営者とは異なり、経営管理という技能でもって企業に貢献する大学卒のホワイトカラー職員という自己イメージを持った人々が、敗戦という社会の激変の中で経営者という立場に置かれたときに、彼らがどういうイデオロギーを発信することになったのか、それが今回紹介するこの本を理解するうえで不可欠な歴史認識です。
この敗戦直後の時期は、激しく対立しぶつかり合っている労働組合と経営側の両方ともにおいて、(ブルーカラー労働者と資本家という)戦前来の主力選手がやや後方に退き、どちらもホワイトカラー職員がその知識と能力を振り絞って活躍していた時代だったのです。・・・・・
6 企業民主化試案は戦後日本社会の設計図か?
ここまで『企業民主化試案』と題された70年以上も前の本の中身を紹介してきました。前述したように、そのあまりの急進さゆえに、経済同友会の名で刊行することもできず、あくまで大塚万丈を始めとする経済同友会企業民主化研究会の意見として出すしかなかったものですし、大塚自身がその直後の1950年に死去したこともあり、その後はほとんど忘れ去られ、議論にのぼせられることもなく推移してきました。もし連綿と切れ間なく読み継がれてきた本を古典と呼ぶのであれば、本書はいかなる意味でも古典の名に値しません。大きな図書館の閉架書庫の奥の、誰もそこまで入ってこないような埃だらけの一角にひっそりと眠っている膨大なロングテールの一冊に過ぎません。
しかしながら、刊行物としては長らく忘れられてきたものであっても、そこに書かれた思想という観点で見れば、ある意味で戦後日本社会の根本思想を打ち立てたものということもできるかもしれません。いや、本書が提起した法律面における会社のあり方については、明治時代に作られた民法や商法の基本構造は何ら変わりませんでした。戦後75年間、会社とはそのメンバーである株主の所有物であり、経営者とは株主の代理人として利潤の最大化に挺身すべきものであり、労働者とは会社の外部の第三者であって、雇用契約によって労働を提供し報酬を受け取る債権債務関係にあるに過ぎません。累次の労働法もこの基本構造を何ら変えるものでないということは、拙著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)で口が酸っぱくなるほど説明したところです。
でも、私が同書でなぜ口が酸っぱくなるほどそれを説明しなければならなかったのかといえば、世の中の圧倒的に多くの人々が、そういう実定法の建前を全く認識せず、労働者こそが会社のメンバーであり(私のいう「メンバーシップ型」)、株主こそ会社にとって外部の第三者だと思い込んでいたからでした。そう。『経営民主化試案』という本は忘れられても、そのイデオロギーはすべての日本人の頭の中を支配するミームとなったのです。
会社法上は戦後一貫して株主総会こそが会社の最高意思決定機関でしたが、現実の日本社会においては、株主総会というのは余計な文句を言わせずにしゃんしゃんで済ませるべきものであり、そのためには総会屋という私的暴力装置を使ってうるさい株主を黙らせることが暗黙の規範となっていました。一方で、何ら法律上の根拠規定のないまま、労働者は「企業における主体としての地位を占めるに至」ります。株主には常に保障される基本配当などない一方で、労働者には利潤分配的性格のボーナスが拡大していきます。こういう姿を見て、1987年に経営学者の伊丹敬之が唱えたのが「人本主義企業」という概念でしたが、そのミームは実は終戦直後の大塚万丈に淵源していたのです。
そして、前項で見た労働組合の位置づけこそが、大塚構想に近い形で企業のインサイダーになってしまった日本の企業別組合の置かれた苦衷を予言するものになっていることも見逃せません。現実の企業が資本家の支配するものであり、労働者の利益を重視しないものである限り、猛烈な闘争を繰り広げていた労働組合も、その企業が株主なんかよりも労働者の利益を重視するようになると、振り上げた拳の落としどころを失います。そう、理屈の上では逃げの議論に過ぎなかったとはいえ、「よくよくの場合でない限り、罷業権の行使迄には至らないであらう」とはその後の日本社会の姿そのものであり、憲法や労働組合法に労働争議の権利が明記されていても、それは「罷業権を認むるといふことも一応最後の安全弁を残して置くといふ趣旨のものに過ぎない」ものとなっているのです。
ここまで見てくると、『企業民主化試案』こそ戦後日本社会の設計図であったといえるのではないでしょうか。
というわけで、あまりにも膨大な本書のうちのごく一部しか紹介できませんが、今どきこんな600ページを超える労使関係史の大冊をじっくり読める機会はほとんどないでしょうから、是非興味を持ったところからでも読むことをお勧めします。
第Ⅰ部 戦後という時代の労使関係史をたどる
第1章 戦後の始まり
第1節 改革と希望
第2節 鉄鋼業における単位労働組合の成立
——戦前運動経験との関り
第2章 戦前の経験をふりかえる
第1節 戦前期における労働運動の形成
第2節 団体交渉権を求める——1921年の闘い
第3節 ILO創設と労使の対応
第4節 京浜小唄と『鶴鉄労働運動史』
第3章 戦後直後期——改革と動乱の中で
第1節 「完全雇用」を求める――1946年の海員争議
第2節 戦後直後期における労働運動の形成と展開
第3節 中労委争議調整史談
第4節 日本共産党が揺れうごく——団体交渉権をめぐって
第5節 「外組」の旗を掲げて
——生命保険営業職員労働運動の出発
第4章 占領政策の転換
第1節 占領政策転換と戦後直後型労働運動の解体
第2節 昭和24年労組法改正過程
第3節 昭和24年労組法改正と協約交渉
——日本油脂の事例
第5章 1950年代——模索とその帰結
第1節 労働運動の再生と定着——1950年代の労働運動
第2節 総評労働運動の旗手・炭労の光と影
第3節 近江絹糸争議と争議調停
第4節 生産性向上運動と中山伊知郎
第5節 三池争議異聞
第6節 職人の組織化
第Ⅱ部 列伝
第1章 戦前派労働運動家たち
第1節 高野実
第2節 辻井民之助
第3節 井堀繁雄
第4節 鶴五三
第5節 津脇喜代男
第6節 水の江瀧子と飛鳥明子
第2章 戦後派労働運動家たち
第1節 原田鼎と磯田一吉
第2節 蔀充
第3節 桂あや子
第4節 馬場大静
第5節 森勝治
第3章 経営者たち
第1節 前田一
第2節 森田良雄
第3節 小林中
第4節 櫻田武
第4章 労働省と中労委事務局
第1節 冨樫総一
第2節 松崎芳伸
第3節 賀来才二郎
第4節 馬淵威雄
第5節 中島徹三
第6節 林田丁介
第7節 北村久寿雄
第8節 花井寔
第9節 庵谷磐
第10節 林芳郎
第11節 渡会春枝
第5章 学者と小説家
第1節 末弘厳太郎
第2節 氏原正治郎
第3節 源氏鶏太
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