奨学金破産の解消法

西川純さんのブログで、「奨学金破産の解消法」というエントリが上がっています。なかなかに刺激的に表現も含まれていますが、物事の本質をズバリと斬り込んでいますので、一服の清涼剤として是非服薬することをお奨めします。

ちなみに私はここまでラディカルではなく、中長期的にはいったん社会に出て就労してから大学進学というスタイルが一般化することを展望しつつも、当面は「18歳主義」は簡単になくならないだろうという前提で、いかに教育の職業的レリバンスを高められるかという生ぬるい考え方でいますが。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20160829/1472423090

・・・奨学金破産の原因は奨学金ではなく、大学を卒業しても正規採用にならない点です。その原因は正規採用に値する能力、つまり、採用後直ちに給料分稼げる能力を大学が与えていないからです。

・・・大学進学率の高い国では、高校卒業後に直ちに大学に進学するのはトップ大学に進学する一部だけです。多くは就職します。日本もそうなればいいと思います。
 大学で学びたい人は数年間働いて、お金を貯めます。つまり、借金で大学に学びません。それだけの覚悟と意欲を持つ人だけが大学に進学します。働いてから大学に学ぶのですから、働いたことのない高校生とは選択の視点が違います。似非ジョブ型には厳しい目を向けます。結果として本当の専門職大学に学生は集まりますが、似非専門職大学には集まりません。

そこから、高校教師への提言もシビアなものになります。

・・・じゃあ、我々教師(特に高校教師)は何が出来るか?
 偏差値60を下回る子にはジョブ型大学を薦めるべきです。
 偏差値55を下回る子には大学進学は勧めず専門学校を薦めるべきです。そして、それを上回ることを学びたいならば、お金を貯めて大学に進学することを勧めてください。借金するとどうなるかを教えてください。

実際には、日本の企業の側がそれに対応できるような体制になっていないので、このジョブ型社会ではあまりにも正当なサジェスチョンがかえって逆効果をもたらせてしまうというもまた現実の日本の姿でもあるわけですが。

西川さんのブログを見るたび、自分の生ぬるさを思い知らされる尖ったエントリです。

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それってますますインターンじゃなくなる

日経夕刊に、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS28H2H_Z20C16A8MM0000/(インターン日数短く 経団連「最低3日」軸に)

経団連は年内にも、会員企業向けの採用活動の指針で定めているインターンシップ(就業体験)の下限日数を短縮する方向だ。現在は最低5日間としているが最低3日間に引き下げる案が軸となる。インターンを開く企業は増えており、学生の関心も高まっている。日数を減らすことで企業が実施回数を増やせば、学生も参加しやすくなる。

何をやろうが基本的に自由なので(少なくとも法的には何ら規制はないので)、別にとやかく言うつもりもありませんが、ただでさえインターンシップというのはおこがましいただの社会科見学に毛が生えたようなものが、毛も生えていないようなものになるのだろうな、と。

そもそも、インターンシップとは、ジョブ型社会でのジョブのスキルでもって採用されるかどうかが決まるような社会、すなわち言葉の正確な意味での就「職」がある社会において、ほっといたら採用して貰えないようなスキルの無い若者に、企業の中で実際に仕事を体験することで採用して貰えるようなところまで引き上げようという話なので、そんなものは何も求められず、まっさらな方が喜ばれるような社会においては、少なくとも就「職」しやすくするための仕組みとしてはほとんど意味が無いわけです。

Ebiharaこの問題については、海老原嗣生さんが先月、まとまった形で論じておられますので、是非そちらをご参照ください。

http://blogos.com/article/183980/(「インターンシップが若者を救う」論を駁す① 大手の早期横並びインターンというかつて来た道)

http://blogos.com/article/184058/(「インターンシップが若者を救う」論を駁す② 早期インターンでも中小はやっぱり不人気)

http://blogos.com/article/184269/(「インターンシップが若者を救う」論を駁す③ 欧米のエリート・インターンシップは年収600万円!? )

・・・仕事を覚えるためには、それくらいハードな実習が必要なのだ。職務別採用の世界で職にありつくためには、こうした下積みが必要となる。日本のように、1週間程度のアトラクションでインターンシップが事足りるのは、その前提に未経験者を採用するという、新卒慣行があるからだ、と気づいてほしい。

http://blogos.com/article/184344/(「インターンシップが若者を救う」論を駁す④欧州のインターン=偽装雇用=ブラックという構図)

雇用システム論への理解抜きに表層だけ捉えて雇用問題を論ずるとおかしなことになるというのはあちこちで見られますが、インターンシップなどはその典型といえるテーマでしょう。

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教師は労働者にあらず論

4623040720_2金子良事さんがときどき思い出したように『労働法政策』についてつぶやくのですが、

https://twitter.com/ryojikaneko/status/769927206101364738

濱口『労働法政策』を読み返しているけど、面白い。田中耕太郎文相が教師の争議権を禁止しようとしたら、GHQがダメといって否定された話のあとに、さらっと次のように書いてる。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/769927408015187968

「教育関係者に根強い「教師は労働者にあらず論」があっさり否定されたわけで、その後も現在にいたるまで私立学校教員の争議権が否定されたことは一度もない」いろんな意味で、勘所だわ。

いや別に勘所も何も、文字通りなんですけど。

ただ、日教組が(今日に伝えられているもっぱら「教え子を戦場に送るな」的なイデオロギー的な文脈だけではなく)そういうまさに教育労働者の労働条件を改善するための労働運動そのものとしての文脈でもマクロ社会的アクターとして議論されていた、という歴史的事実自体がほとんど忘れ去れてしまっていることが問題なんだと思います。

ましてや、そういう教育労働者の本来的な労働運動としての日教組に対して、(政治イデオロギー的にはむしろより急進的なはずの)共産党が「教師は聖職だ」といって水をぶっかけていたこととかは、今ネット上で一生懸命リベサヨ叩きをしている人々のほとんどすべてが知らないのでしょうし。

本ブログでも繰り返し言っているように、その文脈が希薄化してしまったことが、今日の教育労働現場の様々なブラック的な労働問題の一つの遠因にもなっているように思います。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/vs_eccf.html(プリンスホテルvs日教組問題の文脈)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-4ed1.html(日本教職員組合の憲法的基礎)

※欄

正直言って、わたしは政治結社としての日教組を擁護する気持ちはありません。勝手に右翼と喧嘩してればよろしい。

しかし、全国の教育労働者の代表組織には、重要な存在意義と責任があります。近年、労働者としての権利主張をすること自体がけしからんかのような言論も多く見られるだけに、そこはきちんと言っておく必要がありましょう。わたしははじめからそこにしか関心はありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-b495.html(今こそ、教師だって労働者)

・・・しかし、ここで描かれている教師たちの姿は、ブラック企業で身をすり減らし、心を病み、自殺に追い込まれていくあの労働者たちとほとんど変わらないように見えます。

そう、これは何よりもまず「労働問題」、教師という名の労働者たちの限りなくブラックに近づいていく労働環境について問題を提起した本と言うべきでしょう。

彼ら教師たちの労働環境をブラック化していく元凶は、「教育問題」の山のような言説の中に詰め込まれている、文部省が悪いとか日教組が悪いとか、右翼がどうだとかサヨクがどうだとか、そういう過去の教育界の人々が口泡飛ばしてきた有象無象のことどもとはだいぶ違うところにあるということを、この秀逸なルポルタージュは浮き彫りにしています。

それは、親をはじめとした顧客たちによる、際限のないサービス要求。そしてそれに「スマイルゼロ円」で応えなければならない教師という名の労働者たち。

今日のさまざまなサービス業の職場で広く見られる「お客様は神さま」というブラック化第一段に、「この怠け者の公務員どもめ」というブラック化第2段階が重なり、さらに加えて横町のご隠居から猫のハチ公までいっぱしで語れる「教育問題」というブラック化第3段階で、ほぼ完成に近づいた教育労働ブラック化計画の、あまりにも見事な『成果』が、これでもかこれでもかと描かれていて、正直読むのが息苦しくなります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-ad08.html(認識はまったく同じなのですが・・・)

・・・ただ、それこそ大阪方面の出来事の推移を見てもわかることですが、日教組の労働組合としての本質ではない部分を意識的にフレームアップする政治意図と、その労働組合としては本来非本質的な部分を自分たちのこれこそ本質的な部分だと思いこんでいるある種の人々のパブロフの犬的条件反射的行動様式とが、ものの見事にぴったりと合わさって、政治結社としての日教組という定式化されたイメージを飽きもせず再生産するメカニズムが働き続けているという、(おそらく心ある労働運動家だけではいかんともしがたい)どうしようもなさがその根っこにあるので、この金子さんのそれ自体としてはまことに正しいつぶやきが、何の役にも立たないという事態がそのまま続いていくわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-92c4.html(公教育における集団的労使関係欠如の一帰結?)

・・・戦前以来の、そして右翼も左翼も共有してしまっている「教師は聖職」だから労働条件如きでぐたぐた文句を言うな感覚。

日教組自身がニッキョーソは政治団体という右翼側の思い込みに乗っかって政治イデオロギーの対決ばかりに熱中してきた歴史。

そういう空中戦ばかりの教育界で、全てのツケを回す対象とされてきた国法が認めてくれている残業代ゼロ制度。

そして何よりかにより、他の全ての国における「教師=教育というジョブを遂行する専門職」が共有されず、学齢期の子供(ときどきガキども)の世話を(学校内外を問わず、いつでもどこでも何でも)全て面倒見るのが仕事という、典型的にメンバーシップ型の教師像。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-cdda.html(日教組婦人部の偉大な実績)

・・・なんにせよ、日教組といえば妙な政治的イデオロギーの眼鏡越しでばかり論じようとする傾向が強いだけに、こういうまことにまっとうな労働組合としての本来あるべき政治活動を実践し、法律として実現させてきた日教組婦人部の歴史を、きちんと見直していく必要があると思われます。

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本庄著への毛塚批評@JIL雑誌

674_09日本労働研究雑誌9月号は、「人口構造の変化」という特集で、小峰隆夫、今野浩一郎氏らの論文を始めなかなか興味深く、とりわけ柳澤武さんの「高年齢者雇用の法政策」は、私の書いてきたものとほぼ同じ対象を取り上げているだけに、興味深く読みました。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.html

が、

215929ここでは、毛塚勝利さんによる本庄淳志著『労働市場における労働者派遣法の現代的役割』に対する書評について。

このうち、3つめの「疑問」として提示されている均等待遇原則への掘り下げ不足という批判は、本庄さんの立論に対するかなり刺さる批判になっているように思われます。

日本型雇用慣行への悪影響への懸念から制限的に作られた日本型派遣法について、それよりもむしろ派遣労働者の保護に重点を置いた制度にするべきと言うのであれば、西欧型の均等待遇規制を「非現実的」と一蹴するのは首尾一貫していないではないか、という一種の自己矛盾追及論法です。

確かにここで本庄さんは一種の妥協をしているように見えます。

ただこの論法で追及すると言うことは、逆に日本型雇用を崩すからという理由で派遣の拡大に反対する根拠もなくすことになるので、他の論者の方々が同じような指摘をできるかどうかは分かりません。

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労働協約を締結できるユニオン

昨日、エステユニオンがエステ界の最大手TBCと労働協約を締結したと報じられており、

http://www.asahi.com/articles/ASJ8V4WNRJ8VULFA01C.html (朝日:TBC、外部労組と「ホワイト求人労働協約」締結)

http://mainichi.jp/articles/20160827/k00/00m/040/069000c (毎日:エステ・ユニオン TBCと労働協約締結 固定残業代明示)

そのエステユニオンのブログに詳しい解説が載っていますが、

http://esthe-union.sblo.jp/article/176628406.html (エステティックTBCとエステ・ユニオンは「ホワイト求人労働協約」を締結しました!)

この度、エステティックTBC(TBCグループ株式会社)とエステ・ユニオン(総合サポートユニオンエステ支部)は、「ホワイト求人労働協約」(就活安心労働協約)という日本初の求人に関する包括的労働協約を締結しました。この協約は、求人に関する情報公開を会社が積極的に行うこと、労働契約は求人を下回らないことなどを約束することによって、求職者が安心して就職できるようにすることを目的としています。

 本日、エステティックTBCとエステ・ユニオンは、厚生労働省にて共同記者会見を行い、労働協約の締結とその内容について発表しました。

協約の中身はリンク先を見ていただくことにして、やはりエステユニオンというもともとは個別紛争解決型の典型的な外部ユニオンが、労働市場のあり方を規制する本来的なトレード・ユニオンとして労働協約というルール形成能力を獲得するにまで至っているということが、もっとも注目すべき点でしょう。

もともとトレード・ユニオンとはそういうもののはずですが、内部労働市場に閉鎖された企業別組合には、その企業内部のルール形成能力はあっても、それを一歩出ると何もできないし、一方その企業の外側で活動するいわゆる「ユニオン」はもっぱら個別の紛争を解決する能力のみによって評価されるにとどまり、それを超えた労働市場のルール形成能力はないものとみられていました。どちらも、トレード・ユニオンではなかったわけです。

その意味で、もちろん特殊な業界の一企業との協約に過ぎないということを前提にした上で、注目すべき協約であることは間違いないように思われます。

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それ、ジョブ型じゃねえし

なんだかこれが話題になっているようですが、

http://anond.hatelabo.jp/20160826202909 (即日解雇された)

これにこういうコメントがあったので、いやそれはちょっと違うでしょ、と。

https://twitter.com/ohtsuka/status/769314437366886400

気の毒ではあるけれどメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用に移っていく過程でよく見られる光景になるのだろうな。

そもそも、ジョブ型だから即日解雇が許されるなんてのがトンデモ系の誤解ですが、そこは別としても、本件そもそも入り口からして全然ジョブ型じゃねえし。

面接では、あくまで私は未経験でその事が不安でしたが、社長が「それは了解している。ただ、君のポートフォリオを見る限り、見込みがあると思った」と言ってくれ嬉しく思い、頑張ろうと思いました。

入社して最初の週は社長の方からも、ひと月ぐらいはゆっくり色々と覚えていってくれと言われました。

って、完璧にメンバーシップ型の入り口じゃん。

未経験でも「見込みがある」からと採用しといて、

「もう来なくていい。お疲れ様でした。会社都合だと君も次の職探し大変だろうから退職届書かせてあげる。書いたら帰って」

ってのは、これはもうまともなジョブでもメンバーシップでも何でもないでしょ。

つか、こういうのをこれからの「ジョブ型」だと宣伝してしまう人が出てきてしまうのだなあ、と。

念のため付け加えておくと、ホントのジョブ型ではこういう人は採用してもらえないので、こういう悲劇には起こりにくい代わりに、若者未熟練労働者の失業がたまるわけです。

さらについでにいうと、正面からの採用はジョブ型しかないので、未経験の若者のためにインターンシップとかトレイニーシップとかいうバイパスを設けて、無給や薄給でいろんな仕事をやらせながら徐々にスキルをつけさせて、やがては明確な職務記述書に基づいた正規採用に至るというコースがあるわけですね。

その意味では日本のメンバーシップ型正社員というのはジョブ型社会の見習い期間を職業生活の全期間に引き延ばしたようなもので、一種の幼型進化かもしれません。

それはともかく、こういうといいようですが、それを悪用して、インターンシップという名目で若者をいつまでも無給や薄給で便利に使おうというジョブ型社会ならではのブラック企業も後を絶たないわけです。

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第31回女性労働問題研究会(再掲)

明日、第31回女性労働問題研究会で「日本型雇用と女子の運命」についてお話をしますので、再掲しておきます。

Ww

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愛知県経営者協会特別講演会のお知らせ

愛知県経営者協会特別講演会のお知らせが同協会HPにアップされているので、こちらでも広報しておきます。

Aichi

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「憎税」りふれはのアイドル クーリッジ

あんこれさんの「ニュースの社会科学的な裏側」が、なかなかに皮肉なエントリを書いています。

http://www.anlyznews.com/2016/08/blog-post_20.html (緊縮財政を主張する全ての皆さまへ)

どうもある種のりふれはの人が、緊縮財政を批判するツイートのつもりで、アメリカのクーリッジ大統領の「必要以上の税を集めるのは合法的強盗である」という台詞を引用していたらしいのですが、もちろんクーリッジ大統領は「緊縮財政の守護天使のような存在」であり、「大恐慌以前の市場原理主義者、シバキの代表」であります。『ただひたすらに「頑張る」というスローガンだけで、たいていの問題は解決できる』と言う名言が残っているんだそうです。

その昔世界史の教科書で読んだのを思い出していただければ、クーリッジの次のフーバー大統領のときにあの大恐慌が起こり、それでルーズベルトのニューディール政策が始まったわけです。思い出しましたか?

あんこれさんはこの歴史感覚の欠如した自分に都合の良い言葉尻だけに条件反射する愚かさをあざ笑っている訳なんですが、もうすこしつっこむと、ここにある種の「りふれは」の本性-ただひたすらに「憎税」-がにじみ出ているということもできるように思われます。

その帰結は、もちろん言うまでもなく、クーリッジ大統領の経済政策の追求以外の何物でもないわけで、その意味ではむしろ、あんこれさんの皮肉は皮肉ですらなく、この手のりふれはの明白な本性を明らかにしたというだけだったのかもしれません。

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「契約社員という不思議」 @『労基旬報』2016年8月25日号

『労基旬報』2016年8月25日号に「契約社員という不思議」を寄稿しました。「不思議」、って何が?

 以前にも本連載で述べましたが、「契約社員」という言葉は二重三重に奇妙な言葉です。そもそも日本国の法律上「社員」というのは出資者という意味なので、正社員も派遣社員もみな変なのですが、それを括弧に入れて社員とは労働者という意味だとしても、正社員だって派遣社員だってみんな雇用契約に基づいて働いているはずなので、わざわざ「契約」社員と呼ぶのは奇妙です。まあ、派遣社員は間接雇用で、直接雇用契約関係にないから「契約社員」と呼べないというのは分かりますが、それは枝葉末節。契約社員をわざわざ「契約」社員と呼ぶのは、正社員は「契約」などという無粋な関係じゃない、と働く側も働かせる側もみんな思っているからなのでしょう。つまり、正社員とは「身分」であると。まさに、日本型雇用システムのメンバーシップ感覚をそれとのコントラストによって如実に表している言葉が、この「契約社員」という言葉なのです。

 ところが、では「契約社員」とは一体どういう人々のことなのか?と改めて問うと、これほどつかみ所のない言葉はないのではないかというくらい、訳が分かりません。つまり、非正規社員と呼ばれる人々の中でどういう特徴を持った人々なのかということです。恐らく一般的なイメージでは、直接雇用であるという点で派遣社員と区別され、フルタイムであるという点でパートやアルバイトと区別される、というところは共通でしょう。しかしそれ以上になにがしかの専門職的イメージをもって語られる場合もあれば、全くそのような意味合いなく使われることもあります。後者の場合、フルタイム・パートと呼ばれる人々(これまた論理的にはむちゃくちゃな言葉ですが)と何が違うのか全く分かりません。さらに、「契約」という言葉のニュアンスからか、雇用契約ではなく請負・委託契約によって就労する個人請負労働者のことを「契約社員」と呼ぶ例もあるようです。

 従って、論理的整合性を命の次に大事にする労働法学の世界では「契約社員」などという不可解な言葉を不用意に使うことはあまりなく、権利義務関係について語るときにはたとえば「直接雇用有期フルタイム労働者」などと外延の明確な言葉を使うわけですが、労働実務家の世界では現実に使われる言葉こそが現実を映しているというわけで、「契約社員」という言葉が氾濫することになります。

 この不思議な「契約社員」という言葉はいつ頃から使われるようになったのでしょうか。学術情報ナビゲータ(Cinii)で検索してみると、1990年代までは圧倒的に労働関係実務雑誌にばかり出現しています。最初に本格的な特集を組んだのは『労政時報』1988年2月12日号の「契約社員制度はどう運用されているか」で15社の事例をかなり詳しく紹介しています。その後、1995年2月3日号「雇用多様化時代における契約社員制度の実際」、1996年11月8日号「契約社員制度-進むフロー型人材活用の実際」、1998年3月20日号「幅広い分野で活用進む契約社員制度」、同年10月16日号「契約社員制度の現状と動向」といった具合で、事例紹介を繰り返しています。また『労務事情』も1996年8月15日号で「96年女子パートと雇用形態多様化の実態」を特集して以後、1997年1月15日号「わが社の契約社員」、1998年1月15日号「わが社の契約社員・派遣社員活用」と事例紹介を載せていきます。

 1988年の『労政時報』では、特集名は「契約社員」ですが、各事例は「嘱託社員」「準社員」「ベンチャー要員」「専門社員」「挑戦社員」などさまざまな名称になっています。後になるにつれ、「契約社員」に統一されていく様子も窺えます。また、個々の事例を見ていくと当初から専門職的な位置づけをしている者とそうではない者が混在していたことも分かります。キーになる概念は「フロー型人材活用」であり、いわゆる正社員のストック型人材活用に対し、(専門職かどうかは別にして)基幹的な業務を即戦力として遂行する人材と位置づけられていたようです。

 実は、「契約社員」で検索するとヒットするものの、これに含めていいかどうか迷うのが『労政時報』1978年11月10日号の「有期契約社員の雇用実態を探る」です。「契約社員」の最初の特集の10年も前です。ここに並んでいるのは「特別嘱託」「パート、季節工、期間工」「嘱託社員」「ファッションコンパニオン」「特定社員」(=女子販売員)「パート・契約制社員」(=優秀なパートの登用)「販売社員」「準社員」「クルー」(=学生アルバイト)といった名称で、かつての臨時工の残存や当時非正規の中心だった主婦パート、学生アルバイトの基幹化型が中心ですが、若干後の契約社員の先行型も見られます。ただし、重要なのはその多くが家計維持型ではなく家計補助型と社会的にみなされる類型の人々(女性)を対象にしていたことでしょう。このことは、この特集号に掲載されている安西愈弁護士の「有期雇用契約をめぐる法的意義と留意点」の次の記述に明らかです。

 パートタイマー等の有期雇用契約を締結して雇用するに当たって注意すべきことは、雇用される労働者側にいわゆる終身雇用者となることに不適当な事由のある者を雇用しなければならないということである。・・・主婦、学生、兼業者等家庭生活等と両立した責任と義務の比較的軽い、また、中高年齢者等、年功賃金の適用不適当な、企業との関係も、希薄な雇用を望む就労者側の要望と合致した制度であるということになる。

 ・・・この点が実にポイントであって、生計維持の主体となっている男子をパートタイマーとか嘱託とかという名称のみで雇用し、契約の更新を繰り返しながら、「あなたは臨時社員だから仕事がなくなったので雇止めにする」という具合にはいかないのである。

 今日の目から見ると大変ジェンダーバイアスに満ちた文章に見えるかも知れませんが、この頃はまだこういう性差別的な形での非正規化への歯止めが効いていたということの裏返しでもあります。そういう時代には後に一般化するような意味での「契約社員」という言葉はまだ存在していなかったわけです。逆にいえば、こうした性別と年齢に基づく非正規化への歯止めが外れつつある状況の中で産み出されたのが、1988年以降実務誌で特集されていく「契約社員」であったと言えるかも知れません。

 こういう実態の進展を、いささか専門職的なバイアスを強く示しながら定式化したのが、1995年の有名な日経連の『新時代の「日本的経営」』における「高度専門能力活用型」であることは周知の通りです。そして、そのイメージに基づいてその後10年近くにわたって、労働契約の上限規制の延長(1年→3年→5年)などが行われたこともよく知られています。しかし20年以上経った今、天下三分の計で3大雇用類型の一つになるはずだった高度専門能力活用型はほとんど拡大せず、雇用柔軟型が量的に拡大するともに質的にも基幹化していったということも明らかになっています。やがて2000年代に入ると、契約社員を労働法的に捉えた有期契約労働者という概念が法政策の焦点になっていき、議論の末2012年労働契約法改正で無期転換や不合理な労働条件の禁止が規定されるに至ったことも周知のところです。

 パート店長やアルバイト店長が普通に存在するようになった今日、「契約社員」という言葉は、パートやアルバイトと違い性別や年齢にニュートラルな非正規社員と指す言葉として落ち着いているようです。

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山野晴雄さんの専門職業大学観

山野晴雄さんの「三鷹の一日」ブログで、専門職業大学についてこう語られています。

http://yamatea.at.webry.info/201608/article_7.html(「専門職業大学」)

・・・このアンケート結果からは、高校教員には専門職業大学に対して関心が持たれておらず、内容も理解されていないことが分かります。児美川さんが「今のところの教育界には、専門職業大学の創設をめぐって話題が沸騰するといった気配は、まるで感じられない。高校教育の関係者でさえ、関心を持つ者はほとんどいないのではないか」と書かれている通りの結果となっています。

専門職業大学(専門職大学)の創設が、既存の大学や専門学校にどのような影響をもたらすのか、もう少し様子を見る必要がありますが、少なくとも、実践的な職業教育に特化した新大学が創設されることは、大学などのアカデミックな教育を上に、職業教育を下に見る社会的風潮に風穴を開ける可能性があることに期待しています。これまで大学、特に文系の大学は「職業実践的な教育から隔離されたアカデミックな機関だという壮大なフィクション」を守り続けてきましたが(濱口桂一郎『若者と労働』中公新書クラレ、2013年)、「教育と職業の密接な関係」に向けた新大学の創設は、大学の位置づけを変え、「教育と職業の密接な無関係」を名実ともに「密接な関係」に転換していく突破口になる可能性を持っているからです。

まあ、レリバンスという文字を見ただけで逆上的反応をされる方々もおられるようですから・・・。

ただ、こういうやや大上段の話よりも、昨今話題の「絶望の国の不幸な奨学金」現象が何故ここまで拡大してしまったのかという問題に、関係者はもう少し真摯に取り組む必要があるようには思います。

所詮卒業したら役に立たない会社から全部忘れろと言われるような中身しかやっていない、と、(実際にはどうかは別にして)世間一般の共同主観では思われてしまっているような、そんな大学教育のためのコストを、どうして社会全体が負担しなければならないのか、そんなもの親が負担するのが当たり前だろ、という根っこにある感覚です。

それがもはや親が負担できない状況が拡大する中で、返済しなければならない有利子奨学金と、膨大な時間を吸収する時にはブラックなアルバイトで絞り出したお金を集めるという結構なビジネスモデルが、いつまで持続可能なものなのかは、のんきな大学関係者の皆様と言えども、そろそろ真面目に考えた方がいいようには思います。

詳しくは下記『POSSE』寄稿(予定)論文をご参照のこと。

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絶望の国の不幸な奨学金@『POSSE』32号

昨夜NHKで奨学金問題のドキュメンタリが流れたそうですが、奨学金問題と言えば、来月刊行予定の『POSSE』32号がこんな特集をしています。

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784906708314

★特別寄稿★ベルンハルト・シュミット「フランスにおける労働法改正への抗議運動」

【特集】「絶望の国の不幸な奨学金」
木村草太「憲法から考える奨学金と大学進学」
大内裕和×布施祐仁「経済的徴兵制と奨学金(仮)」
濱口桂一郎「日本型雇用と日本型大学の歪み」

【単発】
温野菜殺人未遂事件(仮)
シャンティについて(仮)
『マルクスとエコロジー』発刊記念対談(仮)
ブラック部活顧問問題(仮)

【連載】
今どきの大学生
労働事件ファイル
ブラック企業のリアル
労働問題ニュース解説
労働と思想 カール・シュミットーー労働と遊び 大竹弘二
ともに挑む、ユニオン
POSSE最新ブックレビュー

NHKの報道をめぐって某女子高生が貧乏か貧乏じゃないかで炎上騒ぎになっているそうですが、この問題も根っこではつながっている話でしょう。

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倉重公太朗編集代表『民法を中心とする 人事六法入門』

9784897616155500倉重公太朗編集代表『民法を中心とする 人事六法入門』(労働新聞社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.rodo.co.jp/book/9784897616155/

これはなんというか、労働法以外の法律の超簡便な入門書ですね。

 労働法の本質的理解を進めるには、その基礎となる労働法以外の基本六法(憲法・民法・刑法・会社法・民事訴訟法・刑事訴訟法)を理解することが極めて有益です。しかし、基本六法については、法学部出身でもない限り、学んでいる方は多くないでしょう。
 本書は、人事労務に携わる方や社会保険労務士の方向けに、上記の法律を「人事」向けに特化して解説しています。また、基本六法以外にも、人事労務に携わる方が体系的に勉強することが少ないであろう労働組合法や労働委員会規則、個別労働紛争の解決手続に関する解説もしています。

どれくらい入門書かというと、ここに試し読みできるページが載ってて、冒頭の目次に続いて憲法の総論があって、立憲主義とは何かとか個人の尊重とはそういうことかが、ごくごく簡単に解説されています。でも、よくわからずに勝手なこと言っている人にとってはいい勉強材料かも知れません。

http://mixpaper.jp/scr/viewer.php?id=57aab0a6355f7

まあでもそういう目的ではなく、これは労働法を扱う実務家、人事部員や社会保険労務士が、わきまえておくべき労働法以外の法律知識をコンパクトにまとめたものなので、分量的に一番多いのはやはり民法です。そのはじめの方で、権利濫用の代表的な例としてどっかの温泉とかどっかの松とかがでてきて、その昔法学部を出たきり真面目に勉強していない人にとっては懐かしいかも知れません。

本書はそういういわゆる六法だけでなく、個別労働紛争解決手続や労働組合法・労働委員会規則についても手際よく解説しています。たしかに、労働問題とりあえずのこれ一冊という感じです。

あと、目次には並んでいないのですが、コラムが結構面白いです。

9784863193659051403編集代表の倉重公太朗さんは、安西法律事務所の若手俊英で、『なぜ景気が回復しても給料は上がらないのか 労働法の「ひずみ」を読み解く』(労働調査会)や『企業労働法実務入門』(日本リーダーズ協会)などで有名です。

所属する経営法曹会議の『経営法曹』185号で、拙著『日本の雇用終了』を書評していただいたこともあり、その見識にはいつも敬意を表しているところです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6182.html(倉重公太朗さんの『日本の雇用終了』書評)

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雇用環境・均等局を新設?

今朝の産経新聞の1面トップは、「厚生労働省が「働き方改革」へ組織改編 雇用環境・均等局や人材開発局を新設」です。

http://www.sankei.com/economy/news/160824/ecn1608240005-n1.html

 厚生労働省は23日、安倍晋三首相が第3次再改造内閣での「最大のチャレンジ」と位置付ける「働き方改革」に対応するため、関係部局の大幅な組織改編に着手する方針を決めた。働き方改革に特化した「雇用環境・均等局」の新設が柱。平成29年度の機構・定員要求に、保健医療政策の司令塔となる事務次官級の医系技官ポスト「医務総監」の創設とともに盛り込む方向だ。

他の新聞には出ていないようなので、真偽の程は定かではありませんが、今年度から都道府県労働局で行われた組織改編の本省版という感じもします。

 雇用環境・均等局は、働き方改革を強力に推進するため、(1)同一労働同一賃金の実現など非正規労働者の処遇改善(2)女性活躍や均等処遇の推進(3)長時間労働削減などワークライフバランスの実現(4)短時間・在宅労働の雇用環境改善-を主な業務とし、現在の労働基準局や職業安定局などから担当課を移行させる。

まあ、確かにパートは雇児局、有期は基準局、派遣は安定局というばらばらの状態ではなかなか統一もとりにくいので、非正規関係をここに集めるというのはよくわかる反面、長時間労働の削減の話を、監督行政を所管する基準局から離してしまっていいのか、という議論もありそうです。

Ecn1608240005p1

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『働く女子の運命』が第3刷

Img_752f5d874047328e26f434ce08fbda5読者の皆様のおかげで、『働く女子の運命』(文春新書)に第3刷がかかりました。本当にありがとうございます。

この間にマスコミ、ブログやツイッター等ネット上、各種書評サイトでいただいた書評は、こちらにまとめてあります。

http://hamachan.on.coocan.jp/bunshunbookreview.html

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