ここ数日、日本維新の会の一部議員による国民健康保険逃れの問題が新聞を賑わしていますが、政治スキャンダルとしての追及は政治部記者や政治学者にお任せするとして、労働社会政策に関わる人間であるならばまず何よりも、なんで労働者じゃないのに国民健康保険を逃れて健康保険に入れるのか?というそもそもの疑問に立ち向かわなければならないはずです。
いうまでもなく、日本の社会保険制度は、労働者向けの健康保険、厚生年金と非労働者向けの国民健康保険、国民年金からなっています。とはいえ、実態としては、労働者でありながら健康保険や厚生年金から排除されて国民健康保険や国民年金に追いやられている非正規労働者がかなりいるわけですが、その逆というのは本来あり得ないはずです。
法人代表者というのは、労働者じゃないにもかかわらず、「社員」の延長というメンバーシップ感覚に基づいて、不利な国民健康保険じゃなくて有利な健康保険に加入できるようにしてしまったことが、どういうおかしな事態を招き、そして健康保険法上だけで通用する特殊な労働者概念というおかしな代物を生み出してしまったことが、お分かりになると思います。
7 法人代表者の扱いと健康保険法と労災保険法の間隙
(1) 「間隙」の誕生
さて、終戦直後に健康保険法から労災保険法が分離独立した時に時計の針を戻しましょう。これにより、健康保険法は「被保険者ノ業務外ノ事由ニ因ル疾病、負傷若ハ死亡又ハ分娩ニ関シ」保険給付をする制度であることが明記されました。被保険者とは被用者であり、その業務上の傷病は労災保険法に委ねられたのですから当然です。
一方、国民健康保険法は引き続き業務上外の区別はありません。1938年国民健康保険法はこう規定していました。
第一条 国民健康保険ハ相扶共済ノ精神ニ則リ疾病、負傷、分娩又ハ死亡ニ関シ保険給付ヲ為スヲ目的トスルモノトス
戦後1958年の新国民健康保険法もこう規定しています。
(国民健康保険)
第二条 国民健康保険は、被保険者の疾病、負傷、出産又は死亡に関して必要な保険給付を行うものとする。
もっとも、上述のような経緯で、この段階でも、また現在においても、本来健康保険法の適用対象となるべき被用者のすべてが健康保険の被保険者になっているわけではなく、零細個人事業所の被用者や最近では(適用拡大されつつあるとはいえ)非正規労働者が国民健康保険に回されています。しかし彼らも労働法上はれっきとした労働者ですから、当然労働基準法の労災補償規定が、それゆえ(これまた戦後すぐには全面適用ではありませんでしたが、現在では完全に)労災保険法が適用されます。そこで、国民健康保険法が適用されている労働者の業務上の災害については、労災保険法が優先的に適用されるという調整規定が設けられています(第56条)。
このように適用がダブる場合は調整規定で対処すればいいのですが、いずれの法律も適用されない間隙が生じてしまう場合には、そういうわけにはいきません。しかし、法律の条文を見る限り、そのような事態が起こる可能性は本来ないはずです。労働者の業務上の傷病は健康保険適用者であろうが国民健康保険適用者であろうが労災保険が面倒を見るのであり、労働者ではない自営業者などの業務上の傷病は国民健康保険が面倒を見るのですから、法律条文上に間隙が存在する余地はありません。しかし、法律の条文からは読めないような「解釈」を通達レベルでやってしまうと、法律制定時には想定されていなかったような間隙が生み出されてしまう可能性が生ずるのです。
1949年7月、厚生省は、法人の代表者又は業務執行者の被保険者資格について」(昭和24年7月28日保発第74号)という局長通達を出しました。
法人の理事、監事、取締役、代表社員及び無限責任社員等法人の代表者又は業務執行者であつて、他面その法人の業務の一部を担任している者は、その限度において使用関係にある者として、健康保険及び厚生年金保険の被保険者として取扱つて来たのであるが、今後これら法人の代表者又は業務執行者であつても、法人から、労務の対償として報酬を受けている者は、法人に使用される者として被保険者の資格を取得させるよう致されたい。
なお、法人に非ざる社団又は組合の総裁、会長及び組合及び組合長等その団体の理事者の地位にある者、又は地方公共団体の業務執行者についても同様な取扱と致されたい。
このため法人代表者等は医療保険上は労働者として業務外の傷病について高い給付水準を享受できることとなった代わりに、労災保険上は労働者ではないためその給付を受けられず、かといって国民健康保険には加入していないのでその業務上傷病給付を受けることもできないという、いわば制度の谷間にこぼれ落ちてしまいました。これに対処する法政策は、長らく労災保険の特別加入制度しかありませんでした。
(2) 労災保険の特別加入
労災保険は本来、労働基準法適用労働者の労働災害に対する保護を目的とした制度であり、労働者でない中小事業主や自営業者は対象としていません。しかし、これら非雇用労働者の中には業務の実態から見て労働者に準じて保護するにふさわしい者が存在することから、1965年労災保険法改正により一定範囲について特に労災保険への加入を認めることとされました。これが特別加入です。
しかしながら、実はそれ以前から通達による擬制適用という形で特殊な取扱いが認められていました。まず1947年11月に、「土木建築労働者についての労働者災害補償保険法適用に関する件」(昭和22年11月12日基発第285号)が次のように指示していました。
土木建築事業についての労働者災害補償保険法の適用に関しては、法第三条第一項第三号に規定するところであるが、土木建築事業の特殊性として、その労働者の一部には恒常的雇用関係を有するものでなく、時に労働者として他に使用される場合もあるが、他面所謂一人親方として営業者とみなされるべき場合の多いものがある。しかも、その実態は一般労働者と同様自ら労務に従事するものであるから、業務上災害を被る危険に曝されているものである。
ついては、かかる土木建築事業に従事する特殊労働者の立場を考慮し、特に左記によりこれを取扱い本法による保護を受けしむるよう致したい。
記
一、自ら業者の立場に立つ労働者が保険法の適用を希望する場合には、それら労働者によって任意組合を組織せしめ、その組合をもって便宜保険法上の使用者として、保険加入の申込みをなさしめること。
やがて、1963年10月の労災問題懇談会報告において「自営業主、家内労働者への適用を考慮すべき」との意見が出され、これを受けた労災保険審議会は1964年7月、「一人親方、小規模事業の事業主及びその家族従業者その他労働者に準ずる者であって、労働大臣の定める者については、原則として団体加入することを条件として、特別加入することを認める」と答申しました。労働省は翌1965年3月法案を提出、6月には成立に至りました。
これにより、中小規模事業主とその家族従業者、一人親方とその家族従業者及び特定作業従事者について、特別加入制度が設けられました。中小事業主に特別加入を認めたのは、事業主が労働者とともに労働者と同様に働くことが多く、労働者に準じて保護するにふさわしいことに加えて、特別加入を通じて中小企業の労災保険への加入を促進しようという政策意図が働いていました。一人親方については、土木建築事業のほか、自動車運送(個人タクシーやトラック)、漁業が認められました。また特定作業従事者としては、危険な農機具を使用する自営農業者が指定されました。
その後、1970年に家内労働法が制定され、危険性の高い作業を行う家内労働者等が特定作業従事者に指定されました。具体的には金属加工、研磨作業、履物製造加工、陶磁器製造、動力織機等です。また、1976年には一人親方に林業と配置薬販売業が加えられ、1980年には廃品回収業も加えられています。
しかしながら、労災保険の特別加入はあくまでも任意の制度なので、強制適用保険としては依然として間隙が存在する状態のままでした。
(3) 2003年通達
2002年6月7日の衆議院厚生労働委員会で、民主党の大島敦議員がこの問題を取り上げ、坂口力厚生労働大臣が「谷間があってはいけませんので、このほかにもそうした問題がないかどうかもあわせてちょっと検討させていただいて、そして、谷間を至急なくするようにしたいと思います」と答弁しました。
これを受ける形で、2003年7月に保険局長名の通達「法人の代表者等に対する健康保険の適用について」(平成15年7月1日保発第0701002号)が発出されました。
健康保険法(大正11年法律第70号。以下「法」という。)は、業務外の事由による疾病等に関して保険給付を行うこととされているため、業務遂行の過程において業務に起因して生じた傷病は、健康保険の給付対象とならない。
一方、法人の代表者又は業務執行者(以下「代表者等」という。)は、原則として労働基準法(昭和22年法律第49号)上の労働者に該当しないため、労働者災害補償保険法(昭和22年法律第50号)に基づく保険給付も行われない。
しかしながら、極めて小規模な事業所の法人の代表者等については、その事業の実態等を踏まえ、当面の措置として、下記のとおり取り扱うこととしたので、その実施に当たり遺憾のないよう取り扱われたい。
記
1 健康保険の給付対象とする代表者等について
被保険者が5人未満である適用事業所に所属する法人の代表者等であって、一般の従業員と著しく異ならないような労務に従事している者については、その者の業務遂行の過程において業務に起因して生じた傷病に関しても、健康保険による保険給付の対象とすること。
2 労災保険との関係について
法人の代表者等のうち、労働者災害補償保険法の特別加入をしている者及び労働基準法上の労働者の地位を併せ保有すると認められる者であって、これによりその者の業務遂行の過程において業務に起因して生じた傷病に関し労災保険による保険給付が行われてしかるべき者に対しては給付を行わないこと。
このため、労働者災害補償保険法の特別加入をしている者及び法人の登記簿に代表者である旨の記載がない者の業務に起因して生じた傷病に関しては、労災保険による保険給付の請求をするよう指導すること。
3 傷病手当金について
業務遂行上の過程において業務に起因して生じた傷病については、法人の代表者等は、事業経営につき責任を負い、自らの報酬を決定すべき立場にあり、業務上の傷病について報酬の減額等を受けるべき立場にないことから、法第108条第1項の趣旨にかんがみ、傷病手当金を支給しないこと。
4 適用について
本通知は、本日以降に発生した傷病について適用すること。
これは、現に起きている問題に当面の措置として対応したものとしてはそれなりに評価し得ますが、そもそも健康保険法第1条の「業務外」という明文の規定に明らかに反する取扱いですし、被保険者5人未満という基準も、被用者保険としての強制適用基準をここに持ち出してくることに論理的因果関係は見当たらず、意味不明なところがあります。
(4) 2013年改正
その後、2012年に健康保険法上の被扶養者であるシルバー人材センター会員の就業中の負傷が健康保険法の給付を受けられないことが社会問題となりました。厚生労働省は急遽健康保険と労災保険の適用関係の整理プロジェクトチームを設置して検討を行い、同年10月のとりまとめにおいて、健康保険に関しては次のように対応方針を整理しました。
○ 健康保険における業務上・外の区分を廃止し、請負の業務(シルバー人材センターの会員等)やインターンシップなど、労災保険の給付が受けられない場合には、健康保険の対象とする。
○ その上で、労使等関係者の負担に関わる変更であるため、変更の方法(法改正の要否)、遡及適用の要否、役員の業務上の負傷に対する給付の取扱いを含め、社会保障審議会医療保険部会で審議を行い、結論を得る。
その後、社会保障審議会医療保険部会で審議され、翌2013年1月の「議論の整理」においては、「議論では、労災保険と健康保険のどちらの給付も受けられない者を救うことは必要であるなどの意見があった。その上で、労災保険の給付が受けられない場合には、健康保険の対象とすべきであり、請負などの働き方の形態にかかわらず、労働者性のある業務に起因する負傷等については、引き続き、労災保険が健康保険に優先して給付されるべきであるとした事務局の案については異論がなかった」とされる一方、「なお、労働者性のない役員の業務に起因する場合に、『被保険者が5人未満である適用事業所に所属する法人の代表者等であって、一般の従業員と著しく異ならないような労務に従事している者について、健康保険の給付の対象とすること』という現行の取扱いを継続することについても異論がなかった」とされています。これを受けて同年3月に健康保険法改正案が国会に提出され、同年5月に成立しました。
この改正により、健康保険法の第1条が次のように改正され、「業務外」が「(労災保険法の)業務災害以外」になりました。業務上か業務外かと言われたら業務上だけれども、労災保険が面倒を見てくれる業務災害に当てはまらないものはこちらで面倒を見るというわけです。
(目的)
第一条 この法律は、労働者又はその被扶養者の業務災害(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)第七条第一項第一号に規定する業務災害をいう。)以外の疾病、負傷若しくは死亡又は出産に関して保険給付を行い、もって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。
そして、新たに第53条の2が設けられました。
(法人の役員である被保険者又はその被扶養者に係る保険給付の特例)
第五十三条の二 被保険者又はその被扶養者が法人の役員(業務を執行する社員、取締役、執行役又はこれらに準ずる者をいい、相談役、顧問その他いかなる名称を有する者であるかを問わず、法人に対し業務を執行する社員、取締役、執行役又はこれらに準ずる者と同等以上の支配力を有するものと認められる者を含む。以下この条において同じ。)であるときは、当該被保険者又はその被扶養者のその法人の役員としての業務(被保険者の数が五人未満である適用事業所に使用される法人の役員としての業務であって厚生労働省令で定めるものを除く。)に起因する疾病、負傷又は死亡に関して保険給付は、行わない。
これはしかし、2003年通達の扱いを維持しただけなのかも知れませんが、逆に法制的には大きな問題をもたらしたように思われます。
(5) 健康保険法上の労働者概念
この2013年改正による第1条の文言を見て、何か違和感を感じなかったでしょうか?戦後労災保険が分離した時の第1条はこうでした。
第一条 健康保険ニ於テハ保険者ガ被保険者ノ業務外ノ事由ニ因ル疾病、負傷若ハ死亡又ハ分娩ニ関シ保険給付ヲ為シ併セテ被保険者ニ依リ生計ヲ維持スル者(以下被扶養者ト称ス)ノ疾病、負傷、死亡又ハ分娩ニ関シ保険給付ヲ為スモノトス
ここに「労働者」という言葉は出てきません。それに相当するのは、第13条の「使用セラルル者」でした。そして、1949年通達は法人代表者等も「使用される者」として被保険者になるという言い方をしていました。
ところが、2002年に健康保険法が文語カタカナ書きから口語ひらがな書きに改正された際、こうなったのです。
(目的)
第一条 この法律は、労働者の業務外の事由による疾病、負傷若しくは死亡又は出産及びその被扶養者の疾病、負傷若しくは死亡又は出産に関して保険給付を行い、もって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。
どういう理由かは分かりませんが、健康保険法の適用対象は「労働者」だと明記されたのです。ということは、1949年通達も法人代表者等を「労働者」であると解釈したものになります。もちろん以前からそうだったのですが、それが明白となったわけです。おそらくこれは、1954年改正厚生年金保険法が「労働者の老齢、廃失、死亡又は脱退について保険給付を行い、労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的と」していることに足並みをそろえたのでしょう。
もちろん、これにより健康保険法と厚生年金保険法に共通し、労働法とは明確に異なって法人代表者を含む「労働者」概念が明確化されたわけですが、だとすると、上記改正による第53条の2はかえって説明がつきにくい代物になってしまったように思われます。
改めて新第1条を素直に読めば、法人代表者も含む「労働者」の(労災保険法の)業務災害以外の傷病に保険給付を行うと書いてあります。労災保険が面倒を見てくれない「労働者」の業務上傷病はこれに当たりますから、当然健康保険で面倒を見てくれるはずです。それなのに、れっきとした健康保険法上の「労働者」であるはずの(従業員5人以上の)法人役員のそういう業務上傷病は面倒を見ないと規定しているのです。
これまでは、健康保険法と労災保険法の間隙は現実には深刻な問題ではあっても、法令条文上には出てこない通達実務上のものでした。ところが2013年改正は皮肉にもその間隙を法令文言上に露呈させてしまったのです。
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