2018年10月22日 (月)

HRmicsなんとか満10歳!みなさまに恩返しDay

M03xt3m4 本日夜、海老原さんのニッチモの「HRmicsなんとか満10歳!みなさまに恩返しDay」なる、これまたすさまじいイベントに顔を出してきました。

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/0168yazprcge.html

何がすさまじいかというと、

HRmicsは2008年10月1日に創刊されました。人事―雇用―経営―経済をいっしょくたにしてしまおう、という意図のもとにできたこの雑誌の10周年を記念して、感謝祭を開催あさせえていただsきます。パーティの主役は、この雑誌が紡いだご縁。10年間で縁を深めたすごい識者が次々登壇くださります。主役級の識者が学会・業界を超えて旬の話題について語る、他ではありえないような、不思議な催しにいたします。

まじめな企画としては、

Progrm③経済誌じゃありえない!財政タカ派とリフレ派の真剣激論    

鶴光太郎×飯田泰之「アベノミクスのこれまでとこれから」   ともに政府経済政策のブレーンとして活躍著しいお二人ですが、金融政策に関する根本的な考え方は正反対。果たして安倍政権の金融政策は生か否か!

鶴さんと飯田さんという規制改革会議で雇用を担当する前任と後任が、経済政策でガチでぶつかるというなかなか見られない企画

ふざけた企画としては、

Progrm④リアル版ロゴス&パトス 森戸英幸と編集担当の3美女対決 

 「女心も森戸式で読み解けるもんだよね」         超人気連載だったロゴ×パトのスピンオフ企画。この企画の担当編集女子3名が、色々なプレゼンを行い、その真偽を森戸先生が読み解いていきます。果たして最後は「森戸スゲー」となるか?

これはもう、ちょっと口外できないようなセリフが飛び交っていましたね。

そして挙句の果てには、

Progrm⑤巨頭鼎談 佐藤博樹×濱口桂一郎×権丈善一  with常見陽平 

「HRmicsの存在価値とニッチモに期待すること」      雇用・人事管理・社会保障のご意見番たる三巨頭にお集まりいただきHRmicsについて大いに語っていただきます。他の人事経営誌がともすれば研究発表やトレンドウォッチに終始しがちな中、本誌はジャーナリズムを志向し、オピニオンを張ってきたその姿勢について、ご指導・ご教導いただこうという会の〆にふさわしい企画。

これはもう、常見陽平さんの50年前の全共闘をほうふつとさせるアジ演説さながらの司会ぶりが天下一品でした。

416ykfuepl_sx344_bo1204203200_ なお、プレゼントとして配られた

特別プレゼント①新刊 『人事の成り立ち~名著で読み解く日本型雇用の本質と功罪~』 (白桃書房,2500円)

については、改めてエントリを起こして紹介しますね。

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玄田有史編『30代の働く地図』

376419玄田有史編『30代の働く地図』(岩波書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.iwanami.co.jp/book/b376419.html

多様化する会社との契約関係,転職や副業の実態,「テイラーワーカー」という新しい働き方,賃金と報酬,利用できる教育訓練制度,健康問題,これからの家族の姿やネットワークづくりなど.人生の岐路にある30代を念頭に,働くことにまつわる,知っているようで知らなかった事実や気になる事実を,11の切り口から整理・解説.

全労済協会の研究会が元になった本ではあるんですが、いままでの何かある分野で議論を提起するというよりは、30代の若い働く人々へのメッセージみたいな感じの仕上がりになっていて、これは玄田テイストですね。

でも、必ずしも全部そういう感じの文章というわけではなく、ちょっととんがった感じで論じている文章もあります。

おそらくこの中では、第5章の「テイラーワーカーとは-働く柔軟性を問い直す」という高橋陽子さんの文章が、最近話題の柔軟な働き方をする雇用類似の自営業を扱っていて、此の問題に関心のある人は読んで置いて損はないと思います。

そもそも、テイラーワーカーって何だ?これは高橋さんの造語のようで、

・・・そもそも働く柔軟性とは何なのだろう。Uberドライバーの例から推測すると、働く柔軟性には2つの条件があるようだ。1つは労働時間の短さ。そしてもう一つは、労働時間のスケジュールを自分の判断で、そして瞬時に変更できることだ。この2つの条件がいずれも認められて働く労働者のことを、特にフルタイムで働く自営業種、企業に雇用されて働くパートタイマーと明確に区別するために、ここでは便宜上「テイラーワーカー」と呼ぶことにしたい。テイラーはテイラーメイドのテイラーであり、「誂え」すなわち「自分の思い通りに作る」ことを意味する。テイラーワーカーは、自分の都合でワークスケジュールを誂えるからである。

うむ、この「テイラーメイド」が、実はアルゴリズムに支配されてしまっているというのが最近の欧米の議論でよく言われることなんですが、でもあえて一つの用語を拵えて論じていこうという姿勢は立派です。

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健康保険法上の労働者概念の誕生@『労基旬報』2018年10月25日号

『労基旬報』2018年10月25日号に「健康保険法上の労働者概念の誕生」を寄稿しました。

 戦前1922年に健康保険法が制定された時は、適用対象は工場法と鉱山法の適用を受ける職工だけでしたが、保障される傷病は業務上と業務外の両方が含まれていました。業務上傷病については工場法で工業主の扶助義務(労働災害補償義務)は規定されていましたが、それを担保する公的保険制度は業務外と一緒になっていたのです。
 戦後、労働基準法と一緒に労働者災害補償保険法が成立し、すべての労働者のすべての業務上傷病は労災保険制度で面倒を見ることとなりました。これにともない、健康保険法第1条が「健康保険ニ於テハ保険者ガ被保険者ノ業務外ノ事由ニ因ル疾病、負傷若ハ死亡又ハ分娩ニ関シ保険給付ヲ為シ併セテ被保険者ニ依リ生計ヲ維持スル者(以下被扶養者ト称ス)ノ疾病、負傷、死亡又ハ分娩ニ関シ保険給付ヲ為スモノトス」と改正されました。これで、業務上の世界と業務外の世界はきれいに別れたはずですが、その数年後に厚生省がこういう通達を出して、混乱のもとをつくってしまったのです(昭和24年7月28日保発第74号)。
 法人の理事、監事、取締役、代表社員及び無限責任社員等法人の代表者又は業務執行者であつて、他面その法人の業務の一部を担任している者は、その限度において使用関係にある者として、健康保険及び厚生年金保険の被保険者として取扱つて来たのであるが、今後これら法人の代表者又は業務執行者であつても、法人から、労務の対償として報酬を受けている者は、法人に使用される者として被保険者の資格を取得させるよう致されたい。
 このため法人代表者等は医療保険上は労働者として業務外の傷病について高い給付水準を享受できることとなった代わりに、労災保険上は労働者ではないためその給付を受けられず、かといって国民健康保険には加入していないのでその業務外傷病給付を受けることもできないという、いわば制度の谷間にこぼれ落ちてしまいました。これに対処する法政策は、長らく労災保険の特別加入制度しかありませんでした。
 2002年6月7日の衆議院厚生労働委員会で、民主党の大島敦議員がこの問題を取り上げ、坂口力厚生労働大臣が「谷間があってはいけませんので、このほかにもそうした問題がないかどうかもあわせてちょっと検討させていただいて、そして、谷間を至急なくするようにしたいと思います」と答弁しました。
 これを受ける形で、2003年7月に保険局長名の通達「法人の代表者等に対する健康保険の適用について」(平成15年7月1日保発第0701002号)が発出されました。
 被保険者が5人未満である適用事業所に所属する法人の代表者等であって、一般の従業員と著しく異ならないような労務に従事している者については、その者の業務遂行の過程において業務に起因して生じた傷病に関しても、健康保険による保険給付の対象とすること。
 これは、現に起きている問題に当面の措置として対応したものとしてはそれなりに評価し得ますが、そもそも健康保険法第1条の「業務外」という明文の規定に明らかに反する取扱いですし、被保険者5人未満という基準も、被用者保険としての強制適用基準をここに持ち出してくることに論理的因果関係は見当たらず、意味不明なところがあります。
 その後、2012年に健康保険法上の被扶養者であるシルバー人材センター会員の就業中の負傷が健康保険法の給付を受けられないことが社会問題となりました。厚生労働省は急遽健康保険と労災保険の適用関係の整理プロジェクトチームを設置して検討を行い、その後社会保障審議会医療保険部会で審議され、これを受けて同年3月に健康保険法改正案が国会に提出され、同年5月に成立しました。
 この改正により、健康保険法の第1条が次のようになりました。
(目的)
第一条 この法律は、労働者又はその被扶養者の業務災害(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)第七条第一項第一号に規定する業務災害をいう。)以外の疾病、負傷若しくは死亡又は出産に関して保険給付を行い、もって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。
 そして、新たに第53条の2が設けられました。
(法人の役員である被保険者又はその被扶養者に係る保険給付の特例)
第五十三条の二 被保険者又はその被扶養者が法人の役員(業務を執行する社員、取締役、執行役又はこれらに準ずる者をいい、相談役、顧問その他いかなる名称を有する者であるかを問わず、法人に対し業務を執行する社員、取締役、執行役又はこれらに準ずる者と同等以上の支配力を有するものと認められる者を含む。以下この条において同じ。)であるときは、当該被保険者又はその被扶養者のその法人の役員としての業務(被保険者の数が五人未満である適用事業所に使用される法人の役員としての業務であって厚生労働省令で定めるものを除く。)に起因する疾病、負傷又は死亡に関して保険給付は、行わない。
 そもそもからすると、労働法上の労働者ではあり得ない法人代表者を、企業メンバーシップ感覚から健康保険の被保険者にしてしまったというボタンの掛け違いから生じたことなのです。しかしながら、この法改正までは、少なくとも法令の文言上は健康保険の対象は労働者だけであり、会社の取締役まで含めているのは行政の運用に過ぎないということもできたのですが、法改正にまで至ってしまったことにより、労働法上の労働者概念とは明確に異なる健康保険法上の労働者概念が実定法上に生み出されてしまいました。

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賃金の決め方・上がり方@『大原社研雑誌』11月号

『大原社会問題研究所雑誌』11月号(721号)が、「賃金の決め方・上がり方」という特集を組んでいて、大変面白いものになっています。

禹宗杬さんの解説にあるように、日本の賃金制度についての小池和男さんと遠藤公嗣さんの理論を強く意識して、そのいずれにも疑問を呈するというラインナップになっています。

はじめの金井郁さんのは、知的熟練で賃金が上がるといいながら職場でいちばん熟練を積んでいるパートがいちばん低いじゃないかという昔からある話を、生命保険の営業職女性を例に論じたもので、ここまではみんな分かっている話という感じですが、次の垣堺淳さんのは、外資に買われてアメリカ流の職務給に全面的に変わったはずの某生保会社において、なお賃金の上がり方は右上がりの傾向が残り、それは人事査定が必ずしも職務関連的な評価方法ではなく、主観的要素の多い方法を採っているからだという話です。

ふむ、賃金制度設計自体はジョブ型にしても、その運用が主観的評価というメンバーシップ型だと、日本的な右上がりの賃金カーブになるというわけですね。ちなみに、垣堺さんはジブラルタ生命保険にお勤めだそうです。

最後の禹宗杬さんは一気に風呂敷を広げて、他のアジア諸国の賃金を見ても、職務基準と属人基準を組み合わせて決めているのではないかと論じていきます。その上がり方は熟練では説明がつかず、生活向上を望む労働者の願望に答えるためなんだ、ということで、こういう意味では小池理論とは全く逆の方向から、しかし日本は決して特殊ではなくむしろ諸外国と日本は似たようなものだという議論になっているところが、これまでの賃金論のねじれを逆向きにねじり上げるような議論で、大変興味をそそられました。

あと、特集以外に、吉田誠さんの「1950年前後における先任権の日本への移植の試み」という論文が、いままで知られていなかった歴史の裏面のエピソードを垣間見せてくれて、これまた大変面白かったです。

ただ、正直言って、アメリカ流の先任権が占領下の時代に宣伝されたというのはなるほどそうだろうなと思うのですが、それは同時期の職務給の移植の試みと同様、非日本的なシステムの移植の試みであり、むしろその後日本型システムが優位になる中で消えていったものだと思うのです。少なくとも、おなじセニョリティシステムという英語になるからといって、リストラの際に中高年から先にやめてもらう日本の年功制の確立にアメリカ流先任権が寄与したわけではないだろうと思いますが。

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2018年10月21日 (日)

教師職務の専門性と学校メンバーシップの無限定性

文部科学省の中央教育審議会の学校における働き方改革特別部会なるところで、いろいろと議論がされているようなんですが、去る10月15日の会議の資料に「意見のまとめ及び今後の方向性」というのがあり、おそらくこういう方向性で議論をまとめていこうとしているんだと思うのですが、

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/079/siryo/__icsFiles/afieldfile/2018/10/16/1410185_6.pdf

正直言って、どういう理路で物事を考えようとしているのかよくわかりかねるところがあります。

冒頭の「教師の専門性、期待される働き方について」がそもそも、時間外勤務抑制に向けた制度的措置を検討する前提となるはずなのですが、そこでは一方で、

教師は、語彙、知識、概念が異なる子供たちの発達の段階に応じて、内容を理解 させ、考えさせ、表現させる中で、学習意欲を高める授業やコミュニケーションを 行うことができるという専門性を持つ。これが教師の専門職としての専門性であ り、時代が変わり社会全体が高学歴化しても相対化されないもの。 こうした教師の専門性を社会全体で共有した上で、この専門性に相応しい職場環 境を整える必要がある。

と言っていて、これはこれでよく理解できます。教師は確かに医師や研究者などと並んで社会的に確立した専門職であり、専門職なるがゆえにそう簡単に硬直的な労働時間規制に載せられにくいところがあるのはその通りです。他方で、とりわけ日本の現場の教師たちの働いている時間は決して専門職的なものばかりではありません。そこも(やや曖昧かついささかどうかと思われる点もありますが)ちゃんと指摘されています。

現在の教師の長時間勤務の背景には、教師が学習指導や生徒指導といった教職の 専門職である教師としての専門性が求められる業務に加え、その関連業務について も範囲が曖昧なまま担っている実態があると考えられるが、このような状況を前提 とするのではなく、業務を精選して教師が本来業務に専念できるようにすること が、本来前提とすべき教師の業務の在り方である。

生徒指導までが「専門職である教師としての専門性が求められる業務」に含められてしまっていることが、労働時間が野放図に伸びていく元凶という認識がないように見えるのがいささか問題ですが、でも言っている理路はその通りだと思われます。ところがそれに続くのが、

教師は、教育活動の実施に当たり、すべてを管理職からの命令に従って勤務する のではなく、日々変化する子供に直接向き合っているそれぞれの教師がその専門性 を発揮することにより、教育の現場が運営されることが期待されている。この点で 給特法の制定当時の考え方は現在にも当てはまる。

いやいや、給特法が教師の専門性云々というのはうそでしょう。もし本当にそうであるなら、なぜ公立学校の教師にだけその言うところの専門性があって、私立学校や国立学校の教師にはその言うところの専門性がないのか、きちんと説明してもらう必要がありましょうよ。

いやたしかに、ときどき私立学校の教師の解雇事件なんかが裁判所にやってきて、その判決を見ていくと、ついでに出てきた残業代を巡って、私立学校側があたりまえのように、公立学校の給特法に倣ってやってましたと口走り、そんな法律は全く適用されておらず労基法が100%適用されている私立学校がいかに自分の法的地位を理解していないかがよく露呈したりするんですが、それもこれも、単に公立学校に勤務する地方公務員という単に行政法たる公務員法上の地位に付随するものに過ぎない給特法を、あたかも(その官民の身分の違いに関わらない)教師という職業の専門性に基づくものであるかのように勘違いしている人々が山のようにいるからであることが窺われるわけですが、まあ、文部科学省という法律による行政に責任を有するはずの大本山が、こういう実定法の明文の規定に反する間違った認識を平然と描いているんだから、もって瞑すべしということでしょうか。

というわけで、

一方で、教師にこうした専門性があるからといって、現行の労働法制上も求めら れている勤務時間管理があいまいなままで、長時間勤務となっている実態は看過す べきではない。

というのは誠にもっともなんですが、そもそも今教師がやらされている仕事のうち、本当の意味で、「専門性」に立脚している部分はどれとどれなのか、もう一段踏み込んだ腑分けが必要ではないのかなと。

そうでなければ、けっきょくこれまでの学校メンバーシップ型の、学校や生徒に関わることは何でもかんでも無限定に教師の仕事というあり方からそう簡単に足抜けはできそうにないように思われます。

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馬場公彦『世界史のなかの文化大革命』

372279 中国に関する本は、時々気になって読むんですが、この本もその一つ。「世界史の中の」というにはやや話半分で、「アジアの中の」くらいかなという感もありますが、それにしても、文革に先立つインドネシアの9・30事件から始まり、その後のスハルト政権による共産主義者華僑虐殺、台湾中華民国と日本とアメリカをつなぐ中国包囲網の中で発動される毛沢東の文化大革命、というストーリーは、『マオ』などでも基本的に中国国内の視座から描かれていた文革を、かなり複合的な視座から見えるようにしてくれる本だと思いました。

インドネシアの9・30事件って、同時代的には日本でも結構報じられたそうなんですが、その後露呈してきた文化大革命やらポルポトの虐殺やらのおかげで、私世代にとってはほとんどよく知らない分野になっています。たまたま4年前に「アクト・オブ・キリング」という映画を見る機会があって、おかげで本書の導入はすっとは入れたところがありますが、日本が高度成長の昭和元禄に酔っていたころ、アジアはなかなか激動していたんですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-26a5.html (アクト・オブ・キリング)

本書にとって、読みようによっては余計な盲腸みたいに思える部分が、最後近くの日本共産党から除名された日本共産党山口県本部のなれの果てみたいな『長周新聞』という生きた化石みたいなマオイスト集団のはなしですが、今日ただいまなお天安門事件の学生たちへの武力鎮圧を断固支持するこういう人たちが、ちゃんと生き延びて言論活動をしていられるのが日本なんだなあ、という」思いをじわじわと掻き立ててくれるという意味で、本書にとって不可欠の部分なのかもしれません。

ちなみに、その『長周新聞』のサイトはこちらです。

https://www.chosyu-journal.jp/

いわゆる「共産趣味者」にとってはとても楽しめるコンテンツがいっぱいです。

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2018年10月20日 (土)

倉重公太朗ディナーショー

Original 本日、倉重公太朗ディナーショーに出席してきました。いや、お手紙には、「当日は鏡割りをよろしく」とあったので、そうだと思っていたら、突然祝辞が回ってきて、とっさに「同志です!」みたいなことを喋ったような気がしますが、動転していてあんまり覚えていません、なんて。

ディナーショー?倉重さんって弁護士でしょ?と思ったあなた。いやいや倉重さんが今までいた安西法律事務所から独立して、来週から「倉重・近衛・森田法律事務所」として出発する、その記念のパーティというわけです。

いやしかし、ギンギンのロックスター張りの登場シーンから始まって、この演出はすごい。慶應の応援団はご愛敬でしたが、社労士の皆さんのロックバンドをバックに絶唱するにはなかなかしびれましたぜ。

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『DIO』10月号

Diodio 連合総研の『DIO』10月号は「変革期の労使関係課題を考える」が特集です。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio341.pdf

変革期の労使関係課題を考える

「 働き方改革」と労使関係の課題 石田 光男

成果主義的な人事・賃金制度における賃金表と 労働組合の役割 西村 純

どうして外部労働市場の機能強化が必要なのか 阿部 正浩

労働研究者の業界事情に詳しい人から見ると、石田光男さんと西村純さんという師匠と弟子が並んでいるのはなかなか興味深いラインナップではあります。

西村さんのは、例の玄田さんの『なぜ上がらないのか』本でも話題になった、ゾーン別昇給表の話が主です。実を言えば、昨日の「べあから賃金水準へ」という話も、このゾーン昇給制のせいでベアをやっても消えてしまって昔のベアのように後に残らなくなっているというのが結構大きかったりします。

さてここでは、その西村さんの師匠筋の石田光男さんの方を取り上げておきます。

タイトルはやや大まかですが、論点は働き方改革の中心課題の一つ、同一労働同一賃金がなぜ日本では本質的に難しいのかという、最も基本的な問題です。物事を徹底的に考えるとこうなるという一つの模範的な例です。

・・・このテーマは容易に解答の 見出せない難題中の難題であったということ になる。日本の何がこの本来平易なはずの問 題を難題にしているのか。

 1-1.欧米諸国の「同一労働」

 まず確認しなくてはならない点は、これが 少しも難題ではない欧米諸国の実情を知るこ とである。国々の細かな違いや、労働者の賃 金なのか経営者の俸給なのかといった細部の 議論を飛ばして言えば、これらの国々では、 そもそも賃金というものは、日本のように個 別企業が管理の手段として活用できるものとは考えられていなかったということを知る必 要がある。この職業(英国)、この職務(米国)、 この熟練(ドイツ)がいくらかは市場で決ま る。企業はその賃金水準を受け入れる以外に ない。この場合、経営者は、その職業や職務、 熟練に応じて決まる市場賃金を与件として受 け入れざるを得ないが、その上で、できるだ け必要な課業(個々の具体的な業務)を労働 者に受容させようとする。これに対して、労 働者は、社会的にあらかじめ決められている と想定される職業・職務・熟練などの概念で 括られた課業の範囲に固執し、範囲を越える 課業の受容を拒否する。受容させようとする 力と拒否する力との対抗が、課業の範囲とレ ベルを巡る取引になる。この取引が職場の労 使関係である。ここでは、「同一労働」は社 会的に人々に共通に理解されている職業・職 務・熟練を指す。そこからの逸脱は、拒否さ れるか、職場の取引によって価格付けされる ので、「同一労働同一賃金」という概念は、 絶えず労使当事者によって意識され確認され る原則となる。

 1-2.日本の「同一労働」とは何か

 日本で、上記のテーマが難題であるのは、 課業があるのは当然であるけれど、課業を括 る概念としての職業・職務・熟練が、社会的 に人々の共通理解として成立していないため である。仮に部分的に存在しているにしても、 それが労働の全域を覆っていないためであ る。企業経営の立場からすれば、賃金は市場 で決められた与件として与えられるのではなく、最大限の課業遂行を確保することを目的 とした労務管理の手段として行使できるのが 賃金である。そういうものとしての日本の賃 金は、では、何に対応しているのか。

 日本の課業は、上に述べた「社会的にあら かじめ決められていると想定される職業・職 務・熟練の課業の範囲に固執し、範囲を越え る課業の受容を拒否する」と表現される欧米 の課業とは根本的に異なることに細心の注意 を払う必要がある。欧米では、課業は職業・ 職務・熟練に制約されていて、そこからの逸 脱は労使紛争を伴うのであるから、欧米にお ける課業は事前に静態的に設定されていると 理解することが肝要である。日本の場合、職 業・職務・熟練などの、課業を包括する言葉 を欠いているという事実は、日本に存在する 課業は事業運営の必要に応じて柔軟に、かつ 事後的に動態的に設定されていて、課業のレ ベルの集合を識別的に表す安定的な語彙表 現が不可能であることを意味している。

 ところで、労使関係は[労働支出⇔賃金] の取引の様式に他ならない。日本で、「労働」 が同一か否かを識別することにかくまでも無 頓着であったのは[、労働支出:どんな業務(課 業=taskの集合または範囲)を、どこで、何 時間かけて、一人当たりどれだけの業務量を どれだけの出来映えで達成するのか]に関す る経営の決定が大きな制約を受けずに職場に 浸透する労使関係であるからである。

 従って、日本の「同一労働」の識別のため には事業運営の実際の観察から抽出する以外 に接近する方法がない。その実際とはPDC Aを企業全体で駆動させているという事実に あり、この事実からの論理化にはPDCAの 構造的特徴に着目する必要がある。個別具体 的な課業はP(目標)とC(実績)との乖離 を克服するための営為であるから、動態的に ならざるを得ないが、その変動を含めた動態 的課業の範囲の大枠は、個々人が服するPの レベル(重要性や影響度等)によって統御さ れている。従って、個々人の労働の差異は個々 人が服するPのレベルによってしか識別でき ない。

1-3.正規労働と非正規労働の識別

 この基本線に沿って考えると、(1)正規 社員か非正規社員かの雇用区分は、PDCAの作動する範囲内の動態的労働の担い手が 正規社員、PDCAの作動を予定せず、事前 に決められた課業の集合を単に遂行すれば可 とする労働の担い手は非正規社員とし、(2) 正規社員の社員等級の設定は、Pのレベルの 序列を「役割」ととらえ、役割の等級による ものとする、という考え方が日本の労働実態 と整合的である。

 しかし、非正規社員でありながら、PDC Aの作動の下で働いている多くの人々がい る。この人々の中には、正規社員の働き方が、 勤務地、労働時間の点で私生活に不都合だ からという理由で非正規社員としての就労を 選択している人々も多い。その労働は誰に強 制されたものでもなく労働市場でクリアされ ている。だから何も問題はないのだという通 念があった。この通念を活かそうとすれば、 「同一労働」の識別にあたって、労働の難易 度や複雑性の相違と並列的に勤務地の制約 の有無、労働時間(特に残業時間)の相違を 根拠にして、正規社員の労働と非正規社員の 労働は区分されるという考え方になる。

 だが、この考え方は、制約のない[労働支 出]を受容する人と受容しない人との処遇の 相違が正規社員と非正規社員の雇用区分にま で影響を及ぼす、日本の労使関係の性格の問 題性に関心が届いていない。[労働支出](= 「働き方」)が、経営の決定にほぼ委ねられて いて、[労働支出⇔賃金]の取引が明示的取 引にならずに「取引なき取引」にとどまって いることが生んでいる正規社員たちの労働の 「息苦しさ」への無関心と言ったらよいのか。 この無関心を反省できるかどうかが、今後の 労使関係の性格を決する。

「ジョブ型」とか「メンバーシップ型」というややおおざっぱで緻密さに欠けるものの言い方で表現しようとしているものの姿が細密画のように描き出されているのがわかるでしょう。

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2018年10月19日 (金)

「べあ」から賃金水準へ

As20181019000058_comm連合が「2019 春季生活闘争 基本構想」を公表したのに対して、朝日新聞がやや揶揄的に「春闘、月額賃金へ 政権とトヨタ影響? 連合が方針転換」と書いていますが、

https://www.asahi.com/articles/ASLBL3SMZLBLULFA00C.html

労働組合の中央組織・連合が春闘要求の方針変更を打ち出した。ベースアップ(ベア)率を強調する手法を改め、大手企業と中小企業の格差是正という課題に取り組むと説明する。だが、春闘ではここ数年、政権に主役の座を奪われがちで、傘下労組を束ねる力にも不安を抱える。狙い通りになるかは未知数だ。・・・

まあ、いま現在の日本社会状況を前提にすればそういう揶揄にも的を射ている面があるのは確かなんでしょうが、新聞記者さんの脳裏にはたぶん存在しない、そもそも労使関係とは何か、労働組合とはなにをするものか、団体交渉とはなにを決めるものか、というそもそも的本質論からすれば、特殊戦後日本的な「べあ」という絶対に英語に訳せない訳の分からない言葉が中心にでんと構えていた特殊な労使交渉の在り方が、少しは外国人に説明して分かってもらえるかも知れないものになるかも知れないという話でもあるわけです。

労働組合というのは別にある会社の従業員の集まりではなく(それは従業員代表機関という別の組織)、企業を超えた産業別の労働者の集まりであり、それがこういうスキルレベルのこういうジョブの労働者の値段はいくらいくらだよという価格設定を決めるのが団体交渉(集合取引)であるという世界から見れば、ある企業の人件費総額の昨年度との差分を従業員数で割った「べあ」という一人一人の具体的賃金額を直接決定しない概念をめぐって社内交渉をする世界はかなり異質なものであるわけです。

でも、そういう異質な世界にどっぷりつかった目からすれば、春闘が賃金水準自体を目的にするという、日本以外では当たり前すぎることが大変おかしな出来事に見えるわけですね。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/activity/roudou/shuntou/2019/houshin/data/houshin20181018.pdf

・・・2019 闘争はその足がかりを築いていく年である。まずは、足下の最大の課題である中小組合や非正規労働者の賃金を「働きの価値に見合った水準」へと引き上げていくため、賃金の「上げ幅」のみならず「賃金水準」を追求する闘争の強化をはかっていく。

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2018年10月18日 (木)

第135回日本労働法学会

Headerimg02再来週の土日、早稲田大学で日本労働法学会があります。年1回で土日開催になって初めてなので勝手が分かりませんが、土曜夜の懇親会が最大のイベントであることに変わりはないのでしょう。

https://www.rougaku.jp/contents-taikai/135taikai.html

土曜日は個別報告と新しいワークショップというもので、

<1日目・土曜日>            

  1. 受付開始 11:15〜
  2. 個別報告 12:00〜13:00                
    第一会場
    • テーマ「公務員の法的地位に関する日独比較法研究」
                              報告者:早津 裕貴(名古屋大学)
    第二会場
    • テーマ「フランスの企業再構築にかかる法システムの現代的展開」
                              報告者:細川 良(労働政策研究・研修機構)
     
    第三会場
    • テーマ「アメリカにおける労働組合活動に対する憲法的保護の歴史的変遷――市民団体との比較から」
                              報告者:藤木 貴史(一橋大学大学院)
     
  3. ワークショップ 第1部13:20~15:20 第1部15:40~17:40                
    第一会場
    • テーマ「フランスの労働法改革」
                              司会:矢野 昌浩(名古屋大学)
                              報告者:小山 敬晴(大分大学
    • テーマ「結社の自由について改めて考える ―東アジア諸国における「結社の自由」の法制・実態を踏まえて」
      司会:香川 孝三(神戸大学名誉教授)
      報告者:藤川 久昭(弁護士)
    第二会場
    • テーマ「「同一労働同一賃金」の立法政策」
                              司会:村中 孝史(京都大学)
                              報告者:島田 裕子(京都大学)
    • テーマ「「労働時間法」をどのように構想するか?                        -「労働時間」の法規制の過去と現在、そして未来を考える」
                              司会:唐津 博(中央大学)
                              報告者:長谷川 聡(専修大学), 北岡大介(社会保険労務士)
    第三会場
    • テーマ「LGBTと労働法の理論的課題 ―トランスジェンダーを中心に―」
                              司会:名古 道功(金沢大学)
                              報告者:内藤 忍(労働政策研究・研修機構),濵畑 芳和(立正大学)
    • テーマ「山梨県民最高裁判決の意義と射程範囲                         ―労働契約関係における労働者の同意」
                              司会:水口 洋介(弁護士),石井 妙子(弁護士)
                              報告者:鴨田 哲郎(弁護士),木下 潮音(弁護士)
      コメンテーター:1名(研究者予定)
  4. 懇親会 18:00~20:00

JILPTの細川さんの個別報告は、彼が毎年フランスに行って調べてきている激動する現代フランス労働法制の一端ですが、日本との比較という観点からもとても面白いと思います。

ワークショップはどれを見に行くか迷ってます。

日曜日の大シンポは、知財法です。

<2日目・日曜日>            

  1. 受付開始 8:45〜
  2. 大シンポジウム報告 9:30~12:00
    統一テーマ:「労働法と知的財産法の交錯 ――労働関係における知的財産の法的規律の研究――」                
    報告:                     
    1. 1. 野川 忍(明治大学)
                              「シンポジウムの目的・テーマの俯瞰」
    2. 2. 河野 尚子((公財)世界人権問題研究センター)
                              「営業秘密・不正競争防止法と守秘義務」
    3. 3. 石田 信平(北九州市立大学)
                              「営業秘密保護と退職後の競業避止義務」
    4. 4. 土田 道夫(同志社大学)
                              「職務発明・職務著作と労働法の規律」
  3. 開催校挨拶・総会(学会奨励賞審査結果報告) 12:00~12:20
  4. 休憩・昼食 12:20~13:00
  5. 総会(学会奨励賞審査結果報告以外の議題) 13:00~13:30
  6. 特別講演 13:35~14:25                
    菊池高志会員(九州大学名誉教授)
    「労働法「学」の立ち位置を考える」
  7. 大シンポジウム報告・討論 14:30~18:30                
    報告:                     
    1. 5. 天野 晋介(首都大学東京)
                              「労働法と知的財産法の交錯領域における集団的利益調整」
    2. 6. 茶園 成樹(非会員、大阪大学)
                              「労働法と知的財産法の交錯(知的財産法研究者によるコメント)」

あまり勉強してない分野ですが、たぶんとても重要なはず。

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2018年10月16日 (火)

労働関係図書優秀賞に神林龍さんの『正規の世界・非正規の世界』

24820今年度の労働関係図書優秀賞に、神林龍さんの『正規の世界・非正規の世界』が選ばれました。

https://www.jil.go.jp/award/bn/2018/index.html

まあ、これはだれが見ても文句なしの一冊でしょう。

本ブログでの紹介はこちらです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-9678.html

目次は下に掲げるとおりですが、何しろ冒頭、『ああ野麦峠』から始まって、女工供給組合の話が延々と続き、そしてILO条約に基づく公共職業紹介事業がいかに地方の抵抗でうまくいかなかったかという話、口入れ屋は身元保証をしてくれるけれども公共はしてくれないからダメだみたいな話が、戦時体制下で国営化している話と、ここまでで2章。

タイトルになっている正規と非正規についても、期間の定めよりも『呼称』が重要というところに、日本の非正規の特徴を見出し、それがむしろ自営業の減少に代わって増えてきたことを示しています。いやいやこの辺りは精密な分析がいろいろされているので、こんな片言隻句で紹介しない方が良いかもしれない。

他にあまり似たような議論を見たことがないのが第7章で、ジョブをさらに分解して、タスクレベルで仕事がどうシフトしてきたかを分析していて、大変興味をそそられました。民主党政権の失政で仕分けされてしまったキャリアマトリックスを活用した分析だという点も重要でしょう。

ちなみに、金子良事さんの評はこちら。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/1031364665773776897

神林龍さんの本を読んでいるんだけど、分析結果も分析手法も専門家以外にも分かるように丁寧に書かれているという美質がある一方、神林さんの洞察は分析プロセス以外から来る深みもあって、最初から分かっている人以外にはハードルが高いのでは、という気もしている。皆さん、どうですかね。

https://twitter.com/ryojikaneko/status/1043876989256384512

近経だと間違いなく、トップランナーは神林龍さんだと思うけど、神林さんも新しい枠組みを切り拓いていくというよりも、足元をしっかり固めていくタイプだからな。

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短時間労働者の社会保険からの排除と復帰@WEB労政時報

WEB労政時報に「短時間労働者の社会保険からの排除と復帰」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=800

 去る2018年9月から社会保障審議会年金部会で被用者保険のさらなる適用拡大についての審議が始まりました。これは、同年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2018~少子高齢化の克服による持続的な成長経路の実現~」において、「働き方の多様化を踏まえ、勤労者が広く被用者保険でカバーされる勤労者皆保険制度の実現を目指して検討を行う。その際、これまでの被用者保険の適用拡大及びそれが労働者の就業行動に与えた影響についての効果検証を行う」と書かれていることを受けて始まったものです。この「勤労者皆保険制度」という言葉は、自民党の小泉進次郎氏らが近年打ち出しているもので、いかなる雇用形態であっても、企業に働く人が全員加入できる制度を意味します。

 本来、被用者保険と住民保険の二本立ての世界で国民皆保険というのであれば、被用者はすべて被用者保険に、被用者でない者はすべて住民保険に、という制度設計であるべきだったはずです。しかし、1958年の国民健康保険法は被用者でありながら被用者保険の未適用者であった者を住民保険の適用者にする形で問題を「解決」してしまい、しかもその後の行政運用は被用者保険の適用対象であった短時間労働者までも「内々のお手紙」でその外側に排除してしまうという経緯をたどってきました。小泉氏らの「勤労者皆保険」は、その半世紀以上にわたるボタンの掛け違いを根っこに戻って掛け直そうという意欲が示されているようです。・・・・・

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2018年10月15日 (月)

日本のエリート学生が「中国の論理」に染まる?

昨年の「第三回日中雇用、労使関係シンポジウム」でご一緒した阿古智子さんが、現代ビジネスに「日本のエリート学生が「中国の論理」に染まっていたことへの危機感」を書かれています。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57941

Img_1b6854e8fbb82a4d6fa2bbb9b5dbe5b先日、コメンテーターとして学生団体の討論会に招かれた。参加していたのは、日本、中国ともに国を代表するようなエリート学生ばかりで、日中学生の混合チームが、流暢に英語でプレゼンテーションした。・・・

・・・ここまでは、筆者の頭にもスムーズに話が入ってきたのだが、この後、首をかしげる展開になった。

学生たちは、事例として沖縄と中国の少数民族を取り上げたのだが、「高い同質性を求める日本社会は、沖縄の人たちを独立した民族として認めず、彼らの独自の言葉も文化も尊重せず、日本の国民として同化する政策を行ってきた。それに対して、中国の少数民族は集団的権利を認められており、その独自の言葉、宗教、文化は尊重され、教育や福祉において優遇政策がうまくいっている」と説明したのだ。

そして最後に「日本は民族間の境界を曖昧にするが、中国ははっきりさせる。民族の分類が明確になれば、民族アイデンティティを喪失することはない」と結論付けた。・・・

・・・中国の少数民族の文化は尊重され、優遇政策がうまくいっているというのは、いったい誰にどのように話を聞いて、そう判断したのか。

おそらく、学生のほとんどが沖縄に、中国の民族自治区に出向いて調査してはおらず、間接的にでさえ、現地の状況を詳しく調べたり、関係する人々に話を聞いたりはしていないだろう。

学生たちが打ち出した極端に単純化されたロジックは、複雑な現実を反映しておらず、そこからつくられた問題解決のためのモデルは、実際に使えるような代物ではなかった。

特に、民族の分類や民族が重視する基本的関心事項を、「誰が、どのように決めているのか」という問いを、学生たちは分析の中に入れていなかった。

民族の定義や領域については多くの論争がある。中国では、党・政府が中心となって民族を規定し、民族政策を実施している。

基本的に、共産党政権が認める限られた少数民族のリーダー、専門家、社会団体しか、政策の決定・実施のプロセスに関わることができない。・・・

一方に思考力が欠如したような毒々しいだけの中国憎悪的な書物や文章が氾濫する一方で、素直に物事を考えれば(少なくとも「エリート学生」ならば)頭に浮かぶはずの疑問もなく、中国政府や共産党の宣伝言説をそのまま持ってきて事たれりとしてしまうような、日本人の中国認識の奇妙な薄っぺらさがここに露呈しているというべきでしょうか。

標題に「「中国の論理」に染まる」云々とあるのは、実はいささかミスリーディングで(おそらくもう一つの薄っぺら思考の読者に媚びる意図もあって編集部が付けたのでしょうが)、日本のエリート学生(と称されている若者たち)の与えられた情報を素直に処理するだけで物事をしっかりとじぶんの脳みそで考える能力の奇妙なまでの弱さが、阿古さんのいらだちの根っこにあるように思います。

・・・討論会の最後に私が、「僻地のコミュニティに入って、抑圧されている人たちの声を聞いたことがあるの?あなたたちの視点は、あまりにもエリート主義的ではないか」と問うと、学生たちは黙り込んでしまった。・・・

これは中国の少数民族問題だけの話ではないように思います。

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かながわ労働センター川崎支所の労働講座

かながわ労働センター川崎支所のホームページに、講演の案内がアップされているようです。

http://www.pref.kanagawa.jp/docs/jg5/cnt/f7615/

【日時】平成30年12月14日(金曜日)14時30分から16時30分まで
【講師】独立行政法人 労働政策研究・研修機構 
労働政策研究所 所長 濱口 桂一郎 氏
【内容】「働き方改革の時代における企業の対応」
◆働き方改革関連法改正までの経緯や、将来に向けて企業は人事労務管理制度等をどのように考えていく必要があるかなど、今後の企業の対応等について、日本の労働政策に詳しい講師に解説していただきます。
【場所】川崎市生活文化会館(てくのかわさき)
てくのホール
川崎市高津区溝口1-6-10
JR武蔵溝ノ口駅、東急溝の口駅から徒歩5分
【募集人員】70人程度(申込み先着順)
【受講料】無料

だそうです。

ちなみに、このページには同じ労働講座として二人の(労使それぞれの側の)弁護士さんによる講演も載っています。

日時】平成30年11月22日(木曜日)
18時30分から20時30分まで
【講師】弁護士 嶋崎 量 氏(神奈川総合法律事務所)
【内容】「働き方改革」の実務解説
-関連法成立を踏まえた労働時間分野への対応-
【場所】てくのかわさき(川崎市生活文化会館)
1階 第1・2研修室

もう一人は

【日時】平成30年12月3日(月曜日)14時30分から16時30分
【内容】「働き方改革総点検~ハラスメント・労働時間・同一労働同一賃金~」
【講師】弁護士 倉重 公太朗 氏
【場所】川崎市産業振興会館 9階研修室

今度、安西法律事務所から独立される倉重さんではありませんか。

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2018年10月14日 (日)

ヨーロッパ社会民主主義の崩壊

Sweeney_bio 「ソーシャル・ヨーロッパ」に、Paul Sweeneyの「ヨーロッパ社会民主主義の崩壊」(The Collapse Of European Social Democracy)という文章が前後2回に分けて掲載されています。

https://www.socialeurope.eu/the-collapse-of-european-social-democracy-part-1

https://www.socialeurope.eu/the-collapse-of-european-social-democracy-part-2

その最後のパラフラフ「結論」の部分を紹介します。

日本の社会民主主義(みたいな)勢力は、そのスウィーニーが失われたと嘆くかつての社会民主主義全盛期の政策に近づいたことすらありませんが、スウェーニーの嘆きが、日本におけるリベサヨ批判と妙に共鳴しているように聞こえるのも一興です。

The main conclusion is that, in the face of the immense power and speed of hyper-globalisation, Social Democrats sought accommodation through market-friendly policies with finance, with Multinational Corporations (MNCs) and others. They should have used the power of the state to regulate and tame this growing market power for the greater good. Their major mistake was that they de-regulated finance precisely at the time when they should have increased regulation. In the face of rapid and massive change, SDs forgot about the power of their old ally, the state. Theory was forgotten in the face of overwhelming circumstances whilst pragmatism based on dominant ideas, not philosophy, took over.

結局、超グローバル化の巨大な力とスピードに直面して、社会民主主義者は市場と仲良しの政策を通じて金融界、多国籍企業その他との協調を求めた。彼らはより多くの善のために国家権力を使ってこの増大する市場権力を規制し、飼いならすべきであったのだ。彼らの主な間違いは、規制を強めるべきまさにその時に金融を規制緩和してしまったことだ。急速かつ大規模な変化に直面して、社会民主主義者は彼らの長年の同盟者-国家-の力を忘れてしまった。圧倒的な状況に直面して、理論は忘れ去られ、哲学ではなく支配的な考え方に基づく実用主義が引き継いだ。

The state is the dominant actor because it sets the rules of the market, it protects the public, firms, and intellectual property.

国家は市場のルールを設定し、公衆と企業と知的財産を保護するので支配的なアクターである。

The globalised economy would not work without states setting and enforcing the rules of the marketplace. And when states work together, they are even more effective. They do this in international rules-based organisations like the EU and WTO.

グローバル化した経済は国家による市場のルール設定とその執行なしには機能しない。そして国家が協調すれば、より効果的である。EUやWTOのような国際的なルールに基づく機関ではそうしている。

When demanded by the crash of 2008, the state demonstrated – beyond any doubt – that it can take the neccessary actions to re-regulate banks, to print money, to “do what it takes,” to bail-out the most powerful banks and the largest companies – even the US car industry – and save the economy as a whole.

2008年の破綻で求められたとき、国家はいかなる疑いをも超えて、銀行を再規制し、貨幣を印刷し、やれることは何でもやって、最も強大な銀行や最大手企業-アメリカ自動車産業すらも-を救済し、経済全体を救うために必要な行動をとった。

However, the emphasis in recent decades has been on the protection of the firm; of privatising scientific commons by extensions and enforcement of IP laws; of corporate forays into the heart of public services in search of profits at the cost of workers and citizens; and of investor rights over the public interest.

しかしながら、過去数十年間、強調されてきたのは企業の保護であり、知的財産権法の拡大と適用による科学的共有財産の私有物化であり、労働者と市民の犠牲による営利目的の公共サービスの中核への企業の略奪であり、公共利益よりも投資家の利益の優先であった。

Firms play a crucial role in the economy, but market-friendly policies went too far and need to be reined in. The relationship of the state to market has become one of subservience.

企業は経済において枢要の役割を果たすが、市場と仲良しの政策はあまりにも行き過ぎており、手綱を引き締める必要がある。国家と市場の関係は屈従の関係になってしまった。

By adopting many of the policies of the conservatives, SD abandoned the dialetic between the two main opposing sides of politics. Without a clear choice, voters quit them for the apparent alternatives – the populists of left and right.

保守派の政策の多くを採用することによって、社会民主主義者は政治の主な対立軸の間の弁証法を放棄した。両者間に明確に選ぶところがなければ、選挙民は彼らを去って明確な他の選択肢に向かう-左翼と右翼のポピュリストに。

SDs must again learn to use the strong state to pursue their agenda, and cooperate internationally. If Social Democracy is to revive, it has to go back to its roots around the strong state over market, support but oversee trade, regulate financial flows and overall finance, protect the vunerable. SDs must set rules which favour citizens over corporations, deal with media ownership by promoting greater diversity, tackle climate change effectively and address immigration in humanitarian ways – thereby restoring the dialectic between it and centre-right conservatives.

社会民主主義者は再びその政策目標を追求し、国際的に協調するために、強力な国家を使うことを学ばなければならない。もし社会民主主義が復活するならば、それはその原点、すなわち、市場に対する強力な国家、交易の支持と監視、金融の流れの規制、弱いものの保護に立ち帰らなければならない。社会民主主義者は企業よりも市民を有利に扱うルールを設定し、そうして社会民主主義と中道右派の保守主義との弁証法を取り戻さなければならない。

The neo-liberal economic economic system of the past 30 years collapsed in 2008. But it is only being marginally reformed. Banks “too big to fail” are already bigger than then. People are disillusioned, feel unrepresented and are moving to right and left populism, which offer no solutions. What credible, clear, left political philosophy will stand as the alternative to populism or to conservative values?

過去30年間のネオリベラルな経済システムは2008年に崩壊した。しかしほんの僅かばかり改革されただけだ。「潰すには大きすぎ」た銀行はすでに当時よりも巨大になっている。人々は幻滅し、だれにも代表してもらえていないと感じ、右翼と左翼のポピュリズムに向かっているが、それは何の解決にもならない。ポピュリズムと保守派の価値に対する代替選択肢として打ち立てられるべき信頼でき、明確な左派の政治哲学は何だろうか?

Social Democrats need to return to the state, to re-valuate it, re-value it and again harness its power for all citizens to address the excesses of the market. They need to ensure that the state once more becomes dominant over the market, that delivery of all public services is world class and that the state ensures individual liberty is guaranteed.

社会民主主義者は国家に立ち返り、国家を再認識し、国家を再評価して再びその権力をすべての市民のために、市場の行き過ぎを強制するために活用する必要がある。彼らは国家がもう一度市場に対して支配的となり、すべての公共サービスが世界クラスとなり、国家が個人の自由を保証するように確保する必要がある。

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