2017年8月18日 (金)

56年前に全て言われ尽くしていた

Bunshun_3755_5a1d_1「文藝春秋」1961年12月号に載ったソニーの盛田昭夫氏の文章がなぜか今ごろになって発掘されていますが、読んで見ると、拙著に書いてあるジョブ型とメンバーシップ型の話は全て言われ尽くしていますな。

http://www.excite.co.jp/News/economy_g/20170817/Bunshun_3755.html(ソニー創業者・盛田昭夫が56年前に書いた「新・サラリーマンのすすめ」)

・・・ 前にもいったように、日本人の就職の思想は「奉公」だった。アメリカでは、それが「契約」なのである。

「私はコレコレの仕事をする能力がある」と就職志願者が会社に自分を売り込み、会社がそれを認めたら、そこに契約が成り立つ。契約であるから、もしその人員が違反したら、つまり、「コレコレの仕事」をしなかったら、会社は即座にかれをクビにするのである。その代り、かれが思ったより以上の仕事をした場合、給料でそれに報いることをしなければ、その会社はあぶない。いつなんどき、競争会社が、かれを引き抜いていかないともかぎらないのだ。

・・・ というのは、アメリカでは、前に述べたように、会社が人を傭うのは、物を買うのと同じことなのである。物を買うということには、むずかしくいえば、その物の価値が要求されてるという前提がある。人間が買われる?場合も「コレコレの仕事をする」という能力への要求がある。それがつまり、買われる人間のポジションだ。

となるとアメリカでは、人間よりもポジションが先にある、といってもいいだろう。会社の組織だとか職務分掌だとかいうものが先にあって、人間はあとからはめこまれるのである。野球のポジションのことを思っていただけばいい。セカンドがひとり抜けたから、補充しなければならん、ということと、この仕事をする人間がいないから一人入れよう、ということと、まったく同じことなのである。ラインとかスタフなどはこうしたアタマの国の産物だ。

ところが、日本では事情はまるきり違う。経営者は、大学を出たての海のものとも山のものともわからない人間を採用するのである。採用したら、さっきの話で、しまったと思ってもやめさせるわけにはいかないし、とんだ拾い物だった、という場合だってあるわけだ。つまり、仕事より人間が先にあるのである。・・・

というわけで、ジョブ型だのメンバーシップ型だのと看板だけカタカナにしただけで、言ってる中身は半世紀以上昔から言われ続けてきたことの繰り返しであることがよくわかりますね。

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良いブラック企業へ行きなさい

Ce98bbf16029172a00509794f0fc5867フォーブス・ジャパンのサイトに、パク・スッチャ氏が「「ホワイト企業」がベストな就職先、と考えない理由」を寄稿しています。

https://forbesjapan.com/articles/detail/17326

ほぼ冒頭でいきなり、

しかし私は、就職活動中の娘に「良いブラック企業へ行きなさい」と言った。

と一撃を食らわしてきます。

どういうことか?

私の思う「良いブラック企業」は、成長につながる難易度の高い仕事を若いうちから与え、時間でなく、成果で評価する。結果として長時間労働になる可能性があるが、それを良しとする企業だ。慢性的な長時間労働はなく、社員が成果を出せるよう働き方にも裁量を与え、同時に責任も持たせる。

思わず目を逆立てる人もいるかも知れませんが、ここで言われていることそれ自体は筋の通った話です。

というよりむしろ、かつて30年前を中心に褒め称えられていた日本型雇用システムの良い面を象徴的に描写すればこうなるといった方が良いかもしれません。

「ジョブ」という固定した桎梏に縛られた疎外された労働ではなく、企業「メンバーシップ」という大きな枠の中で難しいタスクを与えられそれをこなしながら成長していけるまことに人間的な労働、と、かつてマルクス主義に幻滅したあと労働の人間化を追い求めた類の人々は評したでしょう。

もう少し醒めた客観的な表現をするならば、その部分だけ取り出せば苛酷な労働と貧弱な報酬の不当な交換に見えるけれども、入社から定年退職までの長期的なトランザクション全体としては、若い頃のやや無理な労働をこなすことが中年期の知的熟練のもととなり、それに応じた高い報酬をもたらすことになるので、労働者にとって決して損な取引ではない、ということになりましょうか。

それ自体は必ずしも間違っていません。ただ問題は、少なくとも仕事をやらされている局面を切り取ってきてそれを見ているだけでは、それが言うところの「良いブラック企業」なのか、そうではない悪いブラック企業なのかが区別しにくいということです。

若い頃の苛酷な労働と貧弱な報酬だけがあって、しかしそれが長期的なメリットにつながらないような企業、官庁用語で言えば「若者を使い捨てにする」企業が目立ってきたから、それをブラック企業と呼ぶようになったわけです。そして、予定は未定にして決定に非ず、それが良いブラック企業であったか、悪いブラック企業であったかが確定するのは、もう取り返しが付かなくなってからでしかなく、それまでは何とかの猫と一緒でどっちか不確定と言わざるを得ない。

実はこれ、ブラック企業問題をPOSSEの人々が取り上げて世に訴え始めた頃から、私が指摘していたことでもあります。当時噴出してきたブラック企業とは、それまでの良い企業モデルであった「見返りのある滅私奉公」の形式をそのまま利用しながら、その実「見返りのない滅私奉公」になっているところにあり、それゆえに、どんなにブラック企業問題を訴えても、俺も若い頃はそれくらいむちゃくちゃに働いたもんだ、という風に片付けられがちだったという話です。

その意味では、久しぶりに懐かしい話を聞いた感もあります。

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2017年8月17日 (木)

地域社会維持発展法人?

これは今のところ、毎日新聞の記事に載っているだけなので、原資料に確認することができるものではありませんが、中身がいろいろな意味で気になるので、取り上げておきます。

https://mainichi.jp/articles/20170817/k00/00m/010/117000c(自民 過疎地で若者雇用 新制度検討、各産業へ派遣)

自民党は、国内の過疎地で若者の雇用確保に取り組む団体を自治体が「地域社会維持発展法人」(仮称)に認定し、政府が財政支援する新しい制度の検討に入った。法人が農林水産、建設、福祉などの地元産業に若い人材を派遣して人手不足を補う一方、若者側は各産業にまたがって働くことで一定水準以上の収入を得られるようにし、定住を促すのが柱。議員立法で関連法案を策定し、来年の通常国会で成立を目指す。

地域雇用政策の一環であるようなのですが、労働者派遣システムをかなり全面的に使おうというプランのようです。その「地域社会維持発展法人」なる認定法人が派遣元となり、農林水産、建設、福祉等の企業が派遣先になるという仕組みのようですが、

全国の過疎地では、少子高齢化に加え、農林業などの民間産業で若い世代がなかなか安定した収入を得られず、都市部に人口が流出する要因になっている。一方、これらの業種は繁忙期に一時的な人手不足に陥ることもある。新制度はこうしたギャップを埋めて過疎地の産業を支えつつ、さまざまな仕事に派遣することで、年間を通じて雇用を確保する構想だ。

     具体的には過疎地などで「地域社会の維持や若者の雇用確保に貢献する団体」を自治体が同法人に認定。法人は人材派遣のほか、地域活性化の企画立案なども行う。政府は法人に対し、財政・税制面で優遇措置を講じる。対象地域や法人の認定基準、支援の規模などは今後詳細を詰める。

     自民党は細田博之前総務会長らを中心に検討し、若者らが月収30万円程度を確保できるようにし、住宅の購入や子育てなど地域に定住できる仕組みを目指すとしている。厚生労働省や総務省によると、こうした制度は例がないという。

イメージ的には、2000年改正前の1988年港湾労働法の派遣システムに近いように見えます。

来年の通常国会ということなので、まだ細部は詰められていないのでしょうが、どうなるか注意してみていきたいところです。

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2017年8月16日 (水)

チキンゲーム

なるほど、むかし授業で習ったチキンゲームというのは、こういうことなんだな、ということをリアルタイムで教えてくれる国際政治。

刃物を振り回してる非常識なチンピラとまっとうな常識人がチキンゲームをしたら前者が勝ってしまう。そうならないためには、後者が前者と同じくらい非常識なチンピラにならなければならない。

ふむ、そういう意味では彼は絶妙のタイミングで大統領になったのかも知れない。金正恩がびびるくらい非常識なチンピラが大統領に。

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言語とジェンダー

いや、そんなたいそうな話じゃなくってですね。

こういうツイートがあって、

https://twitter.com/yuwencs/status/896721976810627072

小説『君の名は。』の中国語版を手に入れたので日本語の原著と並べ読みしてみた。「私」と「俺」が中国語では「我」にしかならないのでふりがなに「♀」と「♂」をつけて区別してるのが涙ぐましい。

Dhhl3upuwaan7bt


Dhhl3utuiaazquc

ふむ、人称代名詞とジェンダーというと、he/she とか、il/elle みたいな話で、それがない中国語では他/她と字だけで区別するという話になるわけですが、俺/私には対応しきれないようです。

一瞬、我/娥でどうか、と思ったけれど、いやもう使われてる字だった。

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2017年8月15日 (火)

学生団体GEIL(ガイル)2017 政策立案コンテスト

Ceee6d_049ce138bdda460f8909599a4c1e学生たちが一生懸命政策を論ずるイベントが毎年あるようで、その最終日にわたしも顔を出してちょっとお話しすることになっています。

https://www.geil-waav.net/9-2-presentation

■開催概要

日時:9月2日(土)12:00~16:30
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター 小ホール(東京都渋谷区代々木神園町3−1)

タイムライン
第一部(12:00~14:15) 学生のための政策立案コンテスト 最終プレゼンテーション 

第二部(14:25~15:35) 学生と考える未来の働き方フォーラム

第三部(15:45~16:30) 最優秀政策案発表 

■企画内容
・最終プレゼンテーション
コンテストのテーマである『労働問題』を解決するために、学生たちが官庁訪問やフィールドワークも含めた7泊8日をかけて考えぬいた政策を皆様の前で発表いたします。

・特別講演概要
特別講演では、元ILO(国際労働機関International Labour Organization)駐日代表の長谷川真一様、労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎様、日本IBMで17年間人事部門を担当された平林正樹様にお越しいただき、多様な視点から働き方についてご講演いただきます。会場の全員が未来の「働き方」の姿について自らで考察し、理解するきっかけを作るのが本イベントの目的です。

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フェニックス研究会

Jshrm_logo日本人材マネジメント協会(JSHRM)の中の自主的研究会として「フェニックス研究会」というのがあり、8月24日夜に、そこでお話しをさせていただくことになっています。

http://www.jshrm.org/event/jisyukennkyuukai/phoenix

第2回フェニックス研究会のご案内

◆開催日:平成29年8月24日 午後7時~
◆内容:
濱口桂一郎先生と労働法制や働き方について語りましょう。
人事領域に関するアカデミックな研究・成果物を実務に生かすべく検討を行うのがフェニックス研究会です。
正式に研究会として承認された第2回(実質初回)は豪華ゲスト、労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎先生をお招きして、働き方改革の本質や労働法制について考えます。

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2017年8月14日 (月)

「戦前」がいっぱい

なんだかいろいろ炎上しているみたいだけど、なんにせよ、「戦前」という茫漠たる言葉に何でもかんでも放り込むのだけはいかがなものか、と。

少なくとも、言葉の正確な意味での「戦前」、すなわち戦時体制よりも前の、社会がまだ(言葉の本来の意味での)(アメリカ方言じゃない)(「ソーシャル」の対義語としての)「リベラル」な資本主義体制の下にあった時代と、

陸軍が社会政策の守護神みたいな顔をしてしゃしゃり出て、近衛新体制が「ヒットラーの如く、ムッソリーニの如く、スターリンの如くやれ」と社会主義者によって讃えられ、実際に国家総動員法に基づく諸勅令によってそれまで資本家側の反対でできなかった「ソーシャル」な改革がどんどん実現した時代と、

チキンゲームにのめり込んで対米全面戦争に突入し、言葉の正確な意味での物資直接管理の戦時社会主義体制に陥った時代とを、

同じ「戦前」という言葉で語るのだけは、いいかげんにしてほしい。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-67cd.html(陸軍省『国政刷新要綱案』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-f66b.html(坂野潤治『〈階級〉の日本近代史』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a88b.html(超リベサヨなブッシュ大統領)

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男性の育児休業取得率3.16%@『労務事情』2017年8月1/15日号

Roumujijou_2017_08_01『労務事情』2017年8月1/15日号に「男性の育児休業取得率3.16%」を寄稿しました。

http://www.e-sanro.net/jinji/j_books/j_romujijo/

去る5月30日、厚生労働省が平成28年度雇用均等基本調査(速報)を発表しました。男性の育児休業取得率が3.16%と初めて3%を超えたと報じられたのでご記憶の方も多いでしょう。これに対して女性の育児休業取得率は81.8%と遙かに高いので、まだまだ格差は大きいのですが、それなりに世の中にイクメンが増えてきたではないかと感じた方も多いのではないかと思われます。 ・・・・・

(追記)

Worksちょうど届いたリクルートワークス研の『Works』143号が、「僕の育休が会社を変える」でしたわ。

http://www.works-i.com/publication/works/

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2017年8月11日 (金)

なぜ賃金が上がらないのか?EU版

似たようなタイトルの本が最近日本でも出たようですが、つか、本ブログでも紹介しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-f575.html (玄田有史編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』)

ソーシャル・ヨーロッパ・マガジンにも、なんだか似たようなタイトルの記事が出てますね。

https://www.socialeurope.eu/wont-wages-europe-rise (Why Won’t Wages In Europe Rise As They Should?)

Schulten_bio なぜヨーロッパの賃金は(上がるべきなのに)上がらないのか?

筆者はドイツのハンス・ベッカー財団経済社会研究所の研究員二人。

読んでいくと、なんだか日本の噺だかヨーロッパの噺だか、頭が混乱してきます。

The economic mainstream is perplexed: growth is finally taking hold across Europe, economic forecasts have been revised upwards, and employment is expanding. The only indicator that stubbornly refuses to follow suit is wage growth, defying textbooks and economic orthodoxy alike. Bloomberg has called it the “mystery of missing wage growth,” the Financial Times writes about the “Eurozone’s strange low-wage employment boom,” and the European Commission has put forward the diagnosis of a “wage-poor recovery”. Moreover, there is a growing consensus among economic policy-makers that wages should indeed grow much faster that they do.

経済学の主流派は困惑している。経済成長はついに欧州中に確立した。経済予測は上方修正されてきている。雇用は拡大している。頑固に後に続くことを拒否している唯一の指標は賃金上昇であり、経済学の教科書と正統派教義に逆らっている。ブルームバーグはこれを「失われた賃金上昇のミステリー」と呼び、フィナンシャルタイムズは「ユーロ圏の奇妙な低賃金雇用ブーム」を記事にし、欧州委員会は「賃金の貧弱な景気回復」という診断を下している。さらに、経済政策関係者の間には賃金はもっと速く上昇すべきだというコンセンサスが生まれつつある。

An unlikely cheerleader for higher wages is the European Central Bank (ECB), whose failure to nudge inflation upwards has led it to look for outside help. “The case for higher wages is unquestionable,” Mario Draghi has neatly put it. Likewise, the Commission argues that “the outlook for wages has now moved centre-stage for the sustainability of the recovery,” and even the IMF – pointing fingers at Germany – has discovered the virtues of wage growth. It looks as if the European trade union movement has found some improbable allies in its campaign, “Europe needs a pay rise”.

賃金引き上げ論の似合わないチアリーダーは欧州中銀で、そのインフレを押し上げようとして失敗したことが、外部の助けを探し求めさせているのだ。「賃金引き上げ論の正しさは疑問の余地はない」とマリオ・ドラギは最近語った。同様に、欧州委員会は「賃金の見通しは今や景気回復の持続可能性にとって中心舞台に移った」と論じ、IMFですらドイツを名指しして、賃金上昇の美徳を発見している。これはまるで、欧州労働運動が「欧州は賃上げが必要だ」というキャンペーンにありそうもない同盟者を見つけたかのようだ。

To make stagnant wage growth worse, there is now a clear danger that the purchasing power of wages could stagnate or even fall as energy and food prices have started to rise again.

賃上げの停滞をさらに悪くしているのは、エネルギーや食品の価格が再び上昇し始めるにつれ、今や賃金の購買力が停滞し、悪化すらしかねない明らかな危険性があることだ。

This is bad news for private consumption, currently the main engine behind European growth. For some years, low inflation had at least ensured modest real wage gains despite low pay settlements. Across the Euro area, these have remained far below of what they used to be prior to the crisis of 2008/09 (see Chart 1).

これは現在欧州経済成長の主たるエンジンである個人消費にとって悪いニュースである。何年にもわたって低インフレ率は少なくとも低賃金設定にもかかわらず適度な実質賃金利得を確保してきた。ユーロ圏を通じて、2008/9年の危機以前よりも低く推移してきたのである。

So, what is holding wages back? Ask any economist with a neo-classical outlook, and she – or, more likely, he – will tell you that wages follow prices and productivity. Both have, of course, grown at an anaemic pace of late. But are low inflation and the lacklustre productivity performance the cause of subdued wage growth, or merely a symptom? Start with inflation. Traditionally, central bankers have been obsessed about wage-price spirals and called for wage moderation to rein in inflation. Now, they are discovering to their detriment that wage-price spirals work in reverse, too. The poor performance of wages is, in fact, seen as one of the key reasons why domestic price pressures have been subdued and core inflation has disappointed consistently over the past few years.

Luebker_bio そう、何が賃金を引き留めているのか?誰か新古典派風の経済学者に聞いてみれば、彼女ないし彼は君に、賃金は価格と生産性の後を追いかけるというだろう。もちろんどちらも最近貧血気味だ。しかし低インフレ率と生産性の沈滞が賃金低迷の原因なのかーそれとも単なる症状なのか?インフレから始めよう。伝統的に中央銀行は賃金-価格スパイラルを懸念してきたし、インフレを抑えるために賃金抑制をよびかけてきた。今や彼らは、賃金-価格スパイラルが逆向きに働いて損害を与えていることを見いだしている。賃金が全然上がらないことが実際、過去数年間にわたって国内価格圧力が弱まりコアインフレが一貫して消えてしまったことの最重要の理由の一つとみられているのだ。

The case of productivity is more complex. Economists like to treat productivity growth as exogenous, determined by hard-to-quantify factors such as technical change. For all the buzz about the digital revolution, by this account the 1960s and 1970s were the heydays of rampant innovation, producing productivity growth at up to ten times the current pace. Strange, also, that productivity growth went into a sudden reverse in 2008/09, just as the financial crisis hit, and has been stuck in low gear ever since. Did technical change come to an abrupt halt, by sheer chance at about the same time Europe faced the biggest demand drop in a generation?

生産性の場合はもっと複雑だ。経済学者は生産性を外生的なもので、技術革新のような定量化しがたい要素で決まるといいたがる。デジタル革命についてのおしゃべりはともかく、1960年代と1970年代は技術革新の黄金時代で、今日の10倍高い生産性成長を生み出していた。これまた奇妙なことに、生産成長も2008/09年に、ちょうど金融危機と一緒に逆転してそれ以来ずっと低いままだ。技術革新はヨーロッパが何十年に一度の大きな需要低下に直面するのと同時に突然停止してしまったのだろうか。

Some find this story hard to swallow. Surely, if wages were to rise, entrepreneurs would buy new machinery and find ways to make more efficient use of scarce workers? In the economic jargon, this is called capital–labour substitution and is generally recognized as a driving force behind long-run productivity growth. But it is no longer happening. According to the ECB, capital deepening has been virtually absent since 2013. But then, why should firms invest in labour-saving technologies when there is no cost pressure from the wage front and aggregate demand remains feeble? Accept this logic, and productivity growth becomes endogenous – something that is itself driven by macroeconomic factors, with wages playing a prominent role.

この噺が呑み込みにくい人もいるだろう。確かに、もし賃金が上がれば企業家は新しい機械を買い、希少な労働力をもっと効率的に使おうとするだろう。経済学の業界用語では、これが資本・労働代替と呼ばれ、長期的な生産性向上の原動力と認められている。しかしこれはもはや起こっていない。欧州中銀によれば、2013年以降資本蓄積は殆ど見られない。しかしそれなら、賃金面からはコスト圧力がなく、総需要が弱いときに、なぜ企業は労働節約的な技術に投資するのか?このロジックを認めるなら、生産性向上は内生的になる-つまりマクロ経済要因によってそれ自体が動かされる何かであり、そこでは賃金が枢要な役割を果たす。

But maybe we are about to witness a return to robust wage growth? All the signs seem to point that way. “As economic activity gains momentum and the labour market tightens, upward pressures on wages are expected to intensify,” was the ECB’s assessment just over a year ago. Now, the verdict is that “Euro area wage growth remains low”. In fact, the ECB has a long history of predicting that wage growth is just around the corner, only to revise forecasts downwards again and again. For Europe’s workers, it’s a case of always jam tomorrow, never jam today.

しかしおそらく我々は頑健な賃金上昇への復帰を目撃しようとしているのだろうか?全ての兆候はそれを示している。「経済活動にはずみがつき、労働市場は逼迫し、賃金への上昇圧力は高まりつつある」というのは、欧州中銀のちょうど1年前の評価だった。今やその評決は「ユーロ圏の賃金上昇は低いまま」だ。実際、欧州中銀は賃金上昇がもうすぐやってくると予言し続け、繰り返しその予言を下方修正するという長い歴史がある。ヨーロッパの労働者にとって、それはいつも明日のジャムであって、今日のジャムであったためしはない。

So why do standard economic models keep on predicting wage growth that then fails to materialize? One possibility is that they are fed with wrong or misleading labour market data. There are indeed good reasons to believe that headline unemployment rates underestimate slack in the labour market, given that everyone who works for at least an hour per week counts among the employed. With the spread of precarious contracts and often involuntary part-time employment, there now are millions of workers in Europe who would happily move to a regular job.

ではなぜ標準的経済モデルはいつも賃金上昇を予言しながらそれが実現しないことになるのか?一つの可能性は、彼らが間違ったあるいは誤解を招く労働市場データを与えられているからというものだ。1週に1時間でも働いたものはみんな被用者にカウントすることを考えれば、公表される失業率が労働市場の緩みを過小評価していると信じるべき理由がある。不安定な契約や不本意なパートタイム雇用の広がりからして、欧州では何百万もの労働者が常用雇用に移りたいと思っている。

 

The more worrying possibility is that the models were trained to predict the behaviour of wages in a world that no longer exists. In the name of flexibility and competitiveness – and often at the behest of the Commission, the ECB and the IMF – post-crisis labour market reforms have put the axe to centralized collective bargaining and a myriad of other protections. Taking into account that wage-setting institutions have been severely weakened, the failure of wages to grow looks much less surprising.

もっと憂慮すべき可能性は、このモデルがもはや存在しない世界における賃金行動を予測するように訓練されているという可能性だ。柔軟性と競争力の名の下に、しばしば欧州委員会、欧州中銀とIMFの命を受けて、経済危機後の労働市場改革は中央集権的団体交渉とその他の保護制度になたを振り下ろした。賃金決定機構が手ひどく弱体化されてきたことを考慮に入れると、賃金上昇が進まないのはあまり驚くべきことではない。

Almost everyone now seems to agree that wages have to grow if Europe wants to escape the cycle of weak demand, low inflation, stagnant capital deepening and low productivity growth for good. But wage growth will not pick up in response to a magic wand held by central bankers. Instead, Europe needs to re-build wage-setting institutions – chiefly by actively supporting collective bargaining, by providing for extension mechanisms that increase coverage of collective agreements, and by developing a European minimum wage policy that guarantees a decent living wage to all.

欧州が弱い需要、低インフレ、資本蓄積の停滞、低い生産性上昇から脱却したいのであれば、賃金が上昇すべきだと、今や殆ど誰もが賛成するだろう。しかし、賃金上昇は中央銀行の魔法の杖に反応して高まろうとしない。そうじゃなく、欧州は賃金決定機構を再建する必要があるのだ。何よりも団体交渉を積極的に支援することにより、労働協約の適用範囲を拡大するために拡張適用メカニズムを提供することにより、そして全ての人にまっとうな生活賃金を保障する欧州最低賃金政策を発展させることによって。

というわけで、中央銀行が笛を吹けども踊らないのは、賃上げメカニズムが傷んでしまったからで、それを再建することが最優先だという議論です。

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2017年8月 9日 (水)

河合薫『他人をバカにしたがる男たち』

263483 河合薫『他人をバカにしたがる男たち』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.nikkeibook.com/book_detail/26348/

河合薫さんとは面識はないのですが、送り状を見ると、オバタカズユキさんの紹介だったようです。

オバタカズユキさんといえば、例の『クラッシャー上司』のプランナー。本書もその流れの一冊といえましょうか。

駅やコンビニで暴言を吐く、上だけを見て仕事する、反論してこない人にだけ高圧的、相手の肩書き・学歴で態度が別人――こんな人、気になりませんか? 本書では、女性の中でも進む、現代人の「ジジイ化」に焦点を当て、健康社会学の視点から、わが国にはびこる「ジジイ」と「粘土層」の生態を分析。70歳現役社会で男女が輝くヒントを紹介します。

ジジイとか粘土層とか、ある種の中高年男性にとっては大変不愉快な形容でしょうが、本書を読んでいくと、そういうしかない人々がこれでもかこれでもかと湧いてきますね。

プロローグのジジイ化する男女の冒頭部分をちょいと引用すると、

・・・なぜ、優秀なミドルほど、転職してしまうのか?

なぜ、これだけ女性活用といいながら、いまだ日本の男女格差は世界最低レベルなのか?

なぜ、いっこうに非正規社員の賃金は上がらないのか?

答えは一つ。「ジジイの壁」は不滅だからです。・・・

と、いかにも乱暴極まる言葉を投げかけ、なんだと?と思わせて引き込んでいきます。

プロローグ「ジジイ」化する男女

第1章 老害はどこから発生するか――他人をバカにする「ジジイ」と「粘土層」     

第2章 勝ち負けが気になる心理――社会的評価という魔物

第3章 「偉そうなオジさん」はなぜ存在するのか――見下し行動にひそむ不安

第4章 女をバカにする男たち――組織にみる性差のジレンマ

第5章 しかし、オジさんたちが日本を救う――「個の確立」という幻想の向こうへ

終 章 オジさんオバさんが輝く社会のために――フェイクSOCからやる気SOCへ

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ジョブの研修、やる気の研修

研修を英訳するとトレーニングであり、もう一遍和訳すると訓練になる。

新人研修とは何か?

「この仕事できますか?」「はい、できます」で就『職』する社会では、それは一応の教育訓練を受けている仕事について、より実務レベルで突っ込んだ訓練を施すことだ。

日本でも、ジョブ型の医療職では、新人医師や新人看護師の研修というのはまあそういうものだろう。

しかし、「我が社のどんな仕事でもやる気がありますか?」「はい、やる気があります」で入『社』する社会では、そういうわけにはいかない。

ではどういう風になるか。

「そもそも君たちがやる仕事は・・・」というやり方もあり得るし、結構多い。

でも、そうである必然性はない。

とりわけ、具体的な仕事についてはそれぞれの職場で上司や先輩からOJTで失敗しながら経験を積んで学んでいくという前提に立つと、それ以前の段階の新人研修では、これからそれぞれ配置された職場で覚えていく個々の仕事について教えることにあまり意味はない。

だったらそんなことはやめてしまえばいいのだが、人事部の存在意義を考えるとやはり新人研修はやりたい。

これからやる個々の仕事とは関係のない「やる気」を高めることのみを目的とした、ジョブ型社会ではあまり想定できないような「研修」が必要になる所以である。

とはいえ、それをその会社の先輩たちがやる分には、まあそうとんでもないことにはならない。要するに、「我が社でやっていくにはどうするべきか」を教え込むという話になる。

しかし、この本来ジョブ型社会ではあり得ない「新人研修」を、あたかも企業を超えた労働市場通貫的な一般原理を叩き込むことであるかのように装って自社でやりきれない会社に売りつけるというビジネスモデルを考案した賢い人がいたのだな。

ジョブのスキルを身につける研修なら、いくらでもアウトソースできる。とりわけ「この仕事できますか」「少しはできるけど、あんまりできません」というのを採用して使っていかなければならない会社にとっては便利だろう。そういう「研修」ビジネスというのは、ジョブ型社会なら大変合理的だ。

しかし、「やる気」のエンハンスメントという本来一般的な形で商品として売ることができるはずのないものを売りつける商人には、そういう道理はあんまり関係ない。そういう商品を買ってくれる会社の人事部があればそれでいい。

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2017年8月 8日 (火)

日本型システムの源基性@WEB労政時報

WEB労政時報に「日本型システムの源基性」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/hr/article.php?entry_no=679

私は累次の拙著において、日本型雇用システムが諸外国の雇用システムと原理的に異なっており、その根源が「人」と「仕事」の結び付け方にあると論じてきました。諸外国においては、まず「仕事」を厳格に決めておいて、それにもっともうまく合致する「人」を選定するというやり方(ジョブ型)であり、日本においては、まず「人」を決めておいて、「仕事」はできる限り緩やかにそれを担当する「人」に合わせて決めていくというやり方(メンバーシップ型)です。ここから、終身雇用制、年功賃金制、企業内教育訓練、企業別組合等々といった日本型雇用を特徴づけるさまざまな社会制度が生み出されてくるわけですが、今回はもちろん、それを正面から論じようというわけではありません。詳しくは、『若者と労働』(中公新書ラクレ)をはじめとした拙著をお読みいただくほうが手っ取り早いですから。

最近、同じような問題意識を持って異なる分野で書かれた論文を目にしました。中央大学経済学部の中川洋一郎教授の論文です。・・・・・

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2017年8月 7日 (月)

OECD『図表でみる世界の社会問題4』

308604OECD編著、高木郁朗監訳、麻生裕子訳『図表でみる世界の社会問題4 OECD社会政策指標 貧困・不平等・社会的排除の国際比較』(明石書店)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.akashi.co.jp/book/b308604.html

確か、『図表でみる世界の社会問3』のときにも書いたと思うんですが、この邦語版第4版はもとのOECDの『Society at a Glance』の第7版、2014年版の翻訳なんですが、既に原語版では第8版、2016年版が出ているのですよね。

データ集ということで、OECDでも1年おきに出しているものなので、できるだけ間をおかずに翻訳を出すようにした方が良いのではないかと、いやこれは明石書店のOECDの翻訳の仕事をした経験もあるので、むしろ編集者に向けてなんですが、一言余計なことを。

人口と家族の特徴、就業と失業、貧困と不平等、社会・保健医療支出、仕事と生活の満足度など、幅広い分野にわたる社会指標をもとにOECD諸国の社会の姿を概観する。冒頭の特集章では、2008/09年の経済危機とその後の社会への影響について考察する。

ただまあ、監訳者あとがきでもいわれているように、この版の特徴は、第1章で例の経済危機とその後の社会政策のあり方が丹念に分析されていることで、その意味からはこれは訳されるべき価値があったことは間違いありません。

第1章 危機とその後:社会と社会政策についての「安全性審査」
 はじめに
  ○コラム1.1 本章における社会指標と経済指標について
 第1節 経済危機の進展のなかでの社会的結果
  ○コラム1.2 主要な新興経済国は再分配を強化する努力をつづけている
 第2節 今日までの社会政策的対応
  ○コラム1.3 財政調整、不平等と成長:進行中で変化する論争
 第3節 社会政策は危機へのより大きな強さを生みだすか?
 付録1.A1 図1.8での諸国のグループ分けにあたって使用した方法

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「同一労働」の中身

国際経済労働研究所が出している月刊誌『Int'lecowk 国際経済労働研究』の8月号に、同志社大学の石田光男さんが「 「同一労働同一賃金」の「同一労働」とは何か」という見開き2ページの短文を寄せています。

http://www.iewri.or.jp/cms/archives/2017/08/intlecowk-201781072.html

見開き2ページといいながら、ここまで端的に物事の本質をズバリと書いたひとはあまりいないようにも見受けられるので、その冒頭部分の数パラグラフを引用しておきます。

・・・日本の何がこの本来平易なはずの問題を難題にしているのか。手順を追って考える必要がある。

まず確認しなくてはならない点は、これが少しも難題ではない欧米諸国の実情を知ることである。・・・これらの国々では、そもそも賃金というものは、日本のように個別企業が管理の手段として活用できるものとは考えられていなかったということを知る必要がある。この職業(英国)、この職務(米国)、この熟練(ドイツ)がいくらかは市場で決まる。企業はその賃金水準を受け入れる以外にない。この場合、経営者は、その職業や職務、熟練に応じて決まる市場賃金を与件として受け入れざるを得ないが、その上で、できるだけ必要な課業(個々の具体的な業務)を労働者に受容させようとする。これに対して、労働者はどう行動するのか。社会的にあらかじめ決められていると想定される職業・職務・熟練の課業の範囲に固執し、範囲を超える課業の受容を拒否する。受容させようとする力と拒否する力との対抗が、課業の範囲とレベルをめぐる取引になる。この取引が職場の労使関係である。ここでは、「同一労働」は社会的に人々に共通に理解されている職業・職務・熟練を指す。そこからの逸脱は、拒否されるか、職場の取引によって価格付けされるので、「同一労働同一賃金」は絶えず労使当事者によって意識され確認される原則となる。

日本で、上記のテーマが難題であるのは、課業があるのは当然ではあるけれども、課業をくくる概念としての職業・職務・熟練が、社会的に人々の共通理解として成立していないためである。・・・企業経営の立場からすれば、賃金は市場で決められた与件として与えられるのではなく、最大限の課業遂行を確保することを目的とした労務管理の手段として行使できるのが賃金である。そういうものとしての日本の賃金は、では、何に対応しているのか。「同一労働」として括られる共有された概念はないので、賃金に対応する仕事を一言で表現する言葉を持たない。言葉がないということは、言葉にすべき実態がないということである。・・・

ごちゃごちゃと言葉を使わなくても、たったこれだけで日本の労働と賃金との特異性を浮き彫りにするのは、さすが今日日本の大学でなお労使関係論という分野で研究者を生産し続けているほとんど唯一の存在である石田光男さんならでは、と感服しました。

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