遠藤公嗣「ILO100号条約第3条第3項の不審な政府公定訳(1967年)と劣化する解釈」(『労働法律旬報』2091号)への政策過程論的コメント
『労働法律旬報』2091号に、遠藤公嗣さんの「ILO100号条約第3条第3項の不審な政府公定訳(1967年)と劣化する解釈」というたいへん長い論文が載っています。
https://www.junposha.com/book/b670059.html
その趣旨は、ILO100号条約が批准される間際に、それまでのまともな邦訳が、意味不明の悪訳に差し替えられ、そのためにその後の労働法学者は全く間違った解釈を繰り広げてきている、というもので、浜田富士郎、浅倉むつ子、木村愛子といった研究者に対する舌鋒は極めて激烈ですが、それは研究者同士の論戦としては当然とも言えます。
ただ、前半部で、邦訳改悪の下手人として当時の高橋展子婦人少年局長を名指しして批判しているところについては、当時の婦人少年局の置かれていた状況についての認識が薄いのではないかという感想を持ちました。
目次
一 課題
二 労働省による和訳作業
1 三つのILO公式報告書の和訳
2 一〇〇号条約の労働省仮訳
3 一〇〇号条約の労働省定訳とその普及
4 一〇〇号条約の批准案件と政府公定訳
三 第三条第三項の政府公定訳
1 悪訳への改変:
労働省定訳との比較考察
2 政府公定訳でなく労働省定訳を国会答弁で引用する労働省幹部
3 労働省幹部の国会答弁における第三条第三項の回避
4 高橋展子と早川崇の国会審議外における「宣言」見解
5 経緯の仮説
四 第三条第三項の解釈史⑴:労働省定訳のもとでの過去
1 四つの文献
2 石松亮二﹇一九六八﹈による高橋展子﹇一九六七a﹈の批判
五 第三条第三項の解釈史⑵:
政府公定訳のもとでの現在
1 浜田富士郎﹇一九八八﹈の五つの誤り
2 浜田富士郎﹇一九八八﹈の時代背景
3 浅倉むつ子﹇二〇〇四﹈への三つの疑問
4 木村愛子﹇二〇一一﹈の荒唐無稽
六 結語
これは本論文にも書かれていることですが、この1967年という時点でILO100号条約が急に批准されることになったのは、外部からの圧力、すなわちILOから国際人権年に併せてILO条約を批准するように求められて、国内法を改正する必要がないからという理由で、この条約が選ばれたという経緯があります。労働省婦人少年局が、男女平等のためにぜひ批准してくれと言い出したわけではありません。
しかし、国内法を改正する必要がないからというのは、正確には正しくありません。これも本論文に書かれていますし、拙著でも繰り返し書いてきたことですが、労基法第4条は、労務法制審議会に出された原案では「男女同一価値労働同一賃金」であったのが、労働側の西尾末広委員の「労働の価値によつて賃金を払ふといふよりは、その労働者の家族が多ければその家族に手当を与へる、いはゆる生活賃金、生活をし得る程度の賃金を与へるといふ考へ方と、男女同一価値労働に対する同一賃金といふ観念とには矛盾がある」という批判を受けて、吉武労政局長から「まあ女だからといつて当分低くしてはいかんぞ、といふくらゐに解釈して貰はなければならんか」と答え、これを受けて「同一価値労働」が削除されて、現行のただの「男女同一賃金」になったという経緯があります。
もちろん、1947年に労基法ができた時には、ILO100号条約はまだできていないので、この「同一価値労働」の中身は厳密な意味でILO100号条約と同一であるわけではありませんが、とはいえ、そもそも職務給を否定して生活給を認めるために修文された規定なのですから、その規定があるからILO100号条約が批准できるというのは、かなりインチキな議論であったことは確かです。
率直に言えば、ILOの人権関係条約はどれもこれも難しい問題がてんこ盛りで、簡単に国内法を改正できるような代物はほとんどない中で、例外的に婦人少年局が所管している労基法第4条だけが関わる100号条約は、ILOへの「おみやげ」に差し出すにはちょうど手ごろなものだと、官房国際労働課を中心とした労働省幹部たちは考えたのでしょう。
それまで細々と勉強を続けてきたこの条約を、瓢箪から駒で急に批准することになったからよろしくといわれた婦人少年局はどう思ったか。もちろん、厳密には労基法第4条では不十分であり、せめてそれを「男女同一価値労働同一賃金」に改正しなければ、条約と不整合が生じます。なにしろ、「男女同一賃金」とは「まあ女だからといつて当分低くしてはいかんぞ」という程度の規範なのですから。
とはいえ、ほかの条約は法改正が必要だから難しいので、それなしでちゃちゃっと批准できる100号条約にしようというのに、やはり法改正が必要だから無理です、なんて婦人少年局が言えるかといえば、そんなこと言えるわけはありません。当時の婦人少年局は、労基法のごく一部を所管するだけで、自前の法律一本もなく、毎回のようにその存在意義に疑義を呈され続けていた弱小部局で、せっかく飛び込んできたILO条約批准の機会を自分から蹴飛ばすなんてことは不可能です。
とないえ、100号条約を批准してしまうと、そこに書かれていることをちゃんとやっているのかと問われることになります。労基法第4条があるから大丈夫という理屈で批准しても、国内法の労基法第4条は上記の通りであって、同一価値労働なんて発想はそもそも削除されていて、いまさら法改正もなしに急にでっち上げられるわけにもいきません。
つまり、婦人少年局は、批准せざるを得ないILO100号条約と改正できない労基法第4条の矛盾を引き受けなければならないのです。それが当時、高橋展子婦人少年局長が置かれていた立場だったのです。
本論文で、高橋展子局長がこの条約は宣言に過ぎないと強調していたことが批判的に引用されていますが、いやそれは、そう言わなければ、100号条約の細かな規定の一つ一つがいちいち労基法第4条との関係でどうなのかとギリギリ詰められては、とてももたないから、もたないことが予測できたから、わざとそういう細かな議論に陥ることのないように、宣言に過ぎないと言っていたのでしょう。
この経緯を見てくると、なんだか労働省の官房と他局がぐるになって、弱小の婦人少年局をいじめているようにも見えます。立場上批准を拒むことはできないし、法改正を打ち出すこともできないという足元を見透かして、「ほれほれ条約を批准できるぞ」と恩に着せながら、矛盾はお前の局で始末しろ、といわんばかりです。
もうひとつ、これはおそらく遠藤さんは気づいていないのではないかと思いますが、ちょうどこの時期、佐藤内閣の一省庁一局削減という行革の嵐が労働省にも押し寄せ、どの局を廃止するかで大揉めに揉めていたのです。率直に業務量でみれば、男女均等法や育児介護休業法等々ができる以前の婦人少年局というのは、普及啓発活動が主で、実体的な権利義務に関わる行政機能は極めて乏しく、20年にわたって繰り返し廃止論が唱えられ続けてきたのを、婦人団体などの外部の応援団や、その象徴的意義から辛うじて維持してきていたのですが、ここにきて再度婦人少年局廃止論がクローズアップされてきました、結局紆余曲折の末、新設されたばかりの安全衛生局をもとの安全衛生部に戻すということで決着したのですが、この時期の婦人少年局の行動を考えるうえで、この状況は念頭に置かれる必要があります。
遠藤さんの筆致にかかると、この高橋展子婦人少年局長というのは誠実性に欠けたいい加減な役人であったかのように見えますが、彼女がそのように行動せざるを得なかった状況も踏まえて見ていく必要があるのではないかと、感想を抱いた次第です。











ここで石田が経営管理論的観点から描き出した事態を、私はかつて労働者のキャリアの観点から次のように描写したことがあります*3。筆致は大変異なるとはいえ、描かれている戦後日本雇用社会の姿は同一のものです。

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