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2024年10月 7日 (月)

朝日新聞社説が拙著『家政婦の歴史』に言及

51sgqlf3yol_sx310_bo1204203200__20241007064001 本日の朝日新聞の社説「家政婦の労災 労働者として保護せよ」は、タイトル通りの内容ですが、その中で拙著『家政婦の歴史』にわざわざ言及して、この問題の歴史的経緯について正しい認識を持つことを求めています。

(社説)家政婦の労災 労働者として保護せよ

Asahi_20241007064001   住み込みの女中は家族も同然。だから、自由に働かせてもいい――。そんな時代錯誤を許す条項が、労働基準法にある。速やかに改め、家政婦(夫)が労働者として保護されるようにすべきだ。

 2015年に、家政婦と訪問介護ヘルパーを兼ねていた60代の女性が急死した。休暇の同僚に代わり、7日間通しで個人宅に泊まり込んで働いた後のことだった。

 労働時間は計105時間、1日平均15時間に及んだが、労働災害の検討対象になったのは、介護をした31時間半だけ。残りは労基法が適用されない「家事使用人」としての仕事なので「過重業務」とはいえず、長時間労働による過労死にはあたらない――。労働基準監督署と東京地裁はそう判断した。

 だが、先月あった東京高裁の判決はこれを覆し、介護も家事も同一の会社との雇用契約に基づく一体の業務であると判断した。国は上告を見送り、判決が確定した。

 問題の根にあるのは、「家事使用人」には労基法を適用しないとする同法116条2項の規定だ。原告側は、社会的身分を理由とした差別などの憲法違反を主張したが、高裁判決はこの規定の解釈には踏み込まなかった。

 労基法制定時、この条項が主に想定していたのは、今では少なくなった「住み込みの女中」だった。ただ同時に、会社の紹介で個人と契約する家政婦も、同じ枠で扱われるようになった。

 『家政婦の歴史』を著した濱口桂一郎氏によると、大正時代に会社が家政婦を雇って家庭に派遣する事業が始まったが、敗戦後に労働者供給事業が禁止されたため、有料職業紹介の枠組みで生き残りを図った。「雇用主は紹介先の個人家庭」というかたちにして、「家事使用人」の枠に組み入れられたのだという。

 状況の変化や今回の訴訟を受けて、厚生労働省は、家事使用人にも労基法を適用する方向で具体的施策を検討すべきではないか、と提案している。規定の削除を考えるべきときだろう。

 ただ、労基法の適用対象になっても、雇い主が個人家庭の場合に、労災保険料の支払いや労働条件の順守を徹底できるのか、疑問も残る。

 今は介護も家事も労働者派遣が認められている。派遣先の家庭で仕事の指揮命令を受けている実態に照らしても、事業者に雇用される派遣労働者として労基法や労災保険の適用を受けるほうが、働き手の保護につながるはずだ。実態を踏まえ、時代にあった姿にしていきたい。

2024年10月 5日 (土)

家政婦過労死事件の高裁判決確定

Asahi_20241005182301 先日の東京高裁の国・渋谷労基署長(山本サービス)事件判決が、国が上告しなかったことにより確定したようです。

家政婦の急死、「労災」と認めた高裁判決が確定 国が上告せず

 家政婦と介護ヘルパーを兼ねて住み込みで働いていた60代女性の急死をめぐり、遺族が労災認定を求めた訴訟で、遺族補償などの不支給処分を取り消した東京高裁判決が確定した。敗訴した国側が、上告期限の3日までに上告しなかった。
 厚生労働省は「判決内容を真摯(しんし)に受け止め、所要の手続きを進めて参ります」とコメントした。 

51sgqlf3yol_sx310_bo1204203200__20241005182801 この事件は、拙著『家政婦の歴史』を執筆するもとになった記念すべき事件であり、本判決は、理屈建ては拙著とは異なるものですが、結論は本来あるべき姿によせたものになっていただけに、ひとまずは良かったということになるのでしょう。

できれば、今回の判決確定を機に、この問題に関心を寄せる多くの方々が、拙著を読んで、家事使用人と家政婦(派出婦)をめぐる歴史の真実に触れていただきたいものだと念じております。

 

2024年10月 3日 (木)

森直人・澤田稔・金子良事編著『「多様な教育機会」から問う』

652787 昨日に続き、金子良事さんからお送りいただいた二冊セットの第2巻目です。

https://www.akashi.co.jp/book/b652787.html

このうち、第2章の森直人「〈教育的〉の公的認定と機会均等のパラドックス――佐々木輝雄の「教育の機会均等」論から「多様な教育機会」を考え」という論文は、もともと不登校支援をめぐる対応から始まった多様な教育機会の議論の参照枠として、佐々木輝雄の「二つの教育の機会均等論」を取り上げています。

佐々木輝雄という名前を聞いて分かる人は、労働分野でもほとんどいないでしょう。ましてや教育分野では完全に知られざる人物でしょう。彼は教育界からも労働界からも辺境である職業訓練の世界で、教育とは何かを考え続けた人です。

ごく最近、稲葉振一郎氏が『市民社会論の再生』(春秋社)で、これまた異端中の異端の東城由紀彦と並んで取り上げたりしたので、ちょっと名が知られるようになったかも知れません。でも、JILPT図書館の佐々木輝雄職業教育論集全3巻は、あまり読まれている気配がないですね。

森さんの議論は、不登校支援から始まった普通教育機会確保法をめぐる教育の機会均等とは何かという議論と、かつて終戦直後の教育刷新会議で交わされた労働者教育(戦前の実業補習学校、青年訓練所、青年学校の流れをくむ企業内の事実上の教育)を認めるのか認めないのかをめぐる「教育機会均等」の議論を重ね焼きしながら、そのパラドックスを浮き彫りにしていくものです。

私は不登校支援をめぐる経緯にはまったく疎いので、その成否はよく分かりませんが、佐々木輝雄をちゃんと読み込んで、今現在の課題に応用してくれている人がいるということ自体に、しばし感動しました。いや、そう感動する資格は、佐々木輝雄の後継者である田中萬年さんにこそあるのでしょうが。

20170603225520_2 ところがその先を読んでいくと、なんと変な奴の変なエッセイが出てきます。濱口桂一郎という奴が、今は廃刊された『労働情報』という雑誌に寄稿した「交換の正義と分配の正義」をほじくり返してきて、パラドックスの構造はこれと一緒だというのです。うーん、そうですかねえ。書いた本人が、必ずしもそうは思えないんですが。

森さんが拙論を持ち出してきているのが正しいのかどうか、せっかくなので、その小論をここに再アップしておきますね。

年功給か職務給か?@『労働情報』にコメント

 本誌で前々号、前号に掲載された二つの対談(金子良事×龍井葉二、禿あや美×大槻奈己)を読んで論評せよとの依頼である。昨年来の官邸主導の「同一労働同一賃金」政策に対して、労働運動の側が明確なスタンスを示し得ていない現状の中で、これまで避けられてきた「論争」をあえて喚起しようという壮図に呼応して、本稿では日本の賃金制度の歴史を賃金思想に係るイデオロギー批判的観点から再考察し、両対談が提起した問題を掘り下げて論じてみたい。

 このシリーズは「年功給か職務給か」と銘打っているが、そもそも両者は厳密な意味で対立しているのだろうか。龍井が言うように前提となる雇用システムが「仕事に人がつく」のか「人に仕事がつく」のかという意味では両者は対立概念である。しかし、賃金がいかなる社会的価値に対して支払われる(べきな)のか、言い換えれば賃金制度が従うべき正義は何か、という観点からは、対立軸は曖昧になる。「年功」が表示するものは何なのか、年齢に伴う生計費なのか、勤続に伴う職業能力なのか。

 龍井が持ち出している勤続十年のシングルマザーの相談は示唆的である。彼女は「昨日入ってきた高校生の女の子となんでほとんど同じ時給なのか」と問う。大槻は「10年経験が違ったら・・・同じ賃金には絶対にならない」といささか的外れな反応をするが、彼女が聞きたいのは「養ってもらっている高校生と、子どもを育てているお母さんと時給が同じ」でいいのかということだ。

 そもそも賃金は労務の対価として市場における交換の正義に従うとともに、それによって生計を立てるべき原資として分配の正義に服するべきものである。しかしながら両者は多くの場合矛盾する。このダブルバインドをいかに整合性ある思想の下に統一するかは、いかなる賃金制度であっても解決しなければならない課題であった。そして極めてざっくりいえば、それを労働市場の集団的プレイヤーたる労働組合が主導する形で、あくまでも交換の正義に従う「職務」に基づく賃金を分配の正義を充たす「生活」しうる水準に設定することによって達成しようとしてきたのが欧米の職務型社会であった。原則としてそれで生活できる水準の賃金を、団体交渉を通じて「職務」単位で決定する。それで賄いきれない部分は福祉国家を通じて、すなわち純粋に分配の正義に基づいて補われる。

 それに対し金子が引く伍堂卓雄は、賃金決定において年齢と扶養家族という分配の正義を全面に出し、交換の正義の追求を否定した。市場の集団的プレイヤーとしての労働組合が欠落した生活給思想は、戦時体制下に皇国勤労観によって増幅強化され、終戦直後の電産型賃金体系に完成を見る。当時、世界労連はかかる賃金制度を痛烈に批判していたのだが、日本の労働組合は断乎として交換の正義を拒否したのである。

 当初職務給への移行の論陣を張っていた経営側は、1969年の『能力主義管理』において、仕事に着目する職務給からヒトに着目する職能給に転換した。正確にいうと、「職務を遂行する能力」という一見職務主義的な装いの下に、その実は極めて主観的な「能力」評価に基づく賃金制度を定式化したのである。「能力主義」とは、実際には「能力」査定によって差が付く年功制を意味した。そしてその差が不可視の「能力」によって正当化される仕組みの確立でもあった。本来交換の正義を否定して企業における分配の正義として構築された年功給が、「能力」の対価として企業という名の内部労働市場の交換の正義によって正当化されるという入り組んだ構図である。

 意外に思われるかも知れないが、「能力主義」においては、既に非正規労働者の均等処遇問題は論理的には解決済みである。なぜなら、正社員の賃金が高く、非正規労働者の賃金が低いのは、その「能力」にそれだけの格差があるからだ。そして、非正規労働者の主力が家計補助型のパート主婦と学生アルバイトで占められている時代には、それは分配の正義に概ね合致していた(そのずれを一身に体現するのがシングルマザーであったわけだが)。

 1990年代以降、性別と年齢を問わない形での非正規化が進行し、とりわけ家計維持型の若年・中年男性非正規労働者が目立つようになると、その生活費と低賃金のずれに社会的関心が集まってくる。しかしそれを的確に論じうるような道具立ては、先行する時代に既に消滅していた。主婦パートや学生アルバイトが低賃金なのは彼らの「能力」が低いからであり、正社員の高賃金はその「能力」が高いゆえであるという経済学的説明が正しいならば、若年・中年男性非正規労働者がいかに生活に苦しんでいたとしても、それは彼らの「能力」不足の帰結に過ぎない。生活給を能力で説明することで賃金のダブルバインドを解消してしまったかつての超先進国ニッポンは、交換の正義で掬えない分配の正義を正面から論じる道具をも見失ってしまった。

 本来分配の平等を何ら含意しない(し、むしろ思想的には逆向きである)職務給が、しかも成果主義的偏奇すら伴って、あたかも格差是正の妙薬であるかのように論じられるという現代日本のねじれにそれが露呈している。大槻はいささか無防備に「「働いた貢献」と「その時得られる報酬」っていうのは、そのときどきでバランスする必要がある」と口走る。だが今日の「能力主義」+「成果主義」的年功制は、(少なくとも建前上は)そんなものは既にクリアしているのだ。言うまでもなく、同一労働(なら)同一賃金とは対偶をとれば異なる賃金(なら)異なる労働であり、シングルマザーのレジ係を(昨日入った女子高生ではなく)そのスーパーの正社員の賃金水準に引き上げるものではない。この混迷をさらに増幅しているのが、(本来人権論的問題意識から男女差別についてのみ同一労働でなくても超越的に適用されるべきものとして発展してきた)同一「価値」労働同一賃金論を、職務分析という手法論を経由して、非正規労働問題に不用意に持ち込んできたことである。

 職務給も同一労働同一賃金も、それ自体は交換の正義しか含意しない。それを分配の正義であるかのごとく思い込むならば、手ひどいしっぺ返しを喰らうだろう。我々の課題は複合的である。一方で「能力」という万能空疎の原理ではなく、より客観的な指標に基づいて交換の正義たる賃金制度を再確立すること。他方でそれができる限り分配の正義をも充たすように企業と雇用形態を超えた「生活できる賃金水準」を(産業レベルで)確立し、併せて福祉国家という分配の正義を強化すること。そのいずれが欠けても、事態は少なくとも短期的には悪化するだろう。我々は依然として「生活」と「能力」のアポリアの中にある。

 

 

 

 

 

 

 

渡辺将人『台湾のデモクラシー』

71zav6bwdl252x400 例によって、月1回の『労働新聞』書評です。

【書方箋 この本、効キマス】第83回 『台湾のデモクラシー』 渡辺 将人 著

 世界の200近い国には、自由で民主的な国もあれば、専制独裁的な国もある。イギリスのエコノミスト誌が毎年発表している民主主義指数では、第1位のノルウェーから始まって各国の格付けを行っているが、当然のことながら上位には欧米系諸国、下位にはアジア、アフリカ諸国が並ぶ。日本の周辺には、第165位の北朝鮮、第148位の中華人民共和国など、独裁国家が目白押しだ。しかしかなり上位に位置する国もある。韓国は第22位、日本は第16位で、イギリス(第18位)などと肩を並べる。そうか、アジアで一番民主的な日本でも第16位か、と勝手に思ってはいけない。実は、アジアで最も民主的な国は第10位の台湾なのである。

 これは、年配者にとっては意外な光景だろう。なぜなら、台湾を支配する中華民国は1987年まで戒厳令の下にあった典型的な専制国家だったのだ。それから40年足らずで世界に冠たるデモクラシーの模範国家となった台湾という国(正確には、世界のほとんどすべての国から国家承認を受けていないので、「国」ということすら憚られる状態なのだが、本稿では「国」で通す)の軌跡/奇跡は、どんな理論書にも増して民主主義を理解するうえで有用であろう。

 本書の著者はアメリカ政治の専門家で、新書本も含め10冊以上も関連書籍を出している。彼が台湾とかかわったのは、若い頃アメリカ民主党の大統領選挙陣営でアジア太平洋系の集票戦略を担当し、在米チャイニーズの複雑な分裂状況に直面したときだったという。そこから台湾政治とアメリカ政治の密接な関係を認識して、頻繁に訪台するようになり、民進党系、国民党系などさまざまな政治運動やマスメディアの研究に没頭していく。

 彼が注目するのは、アメリカ式の大規模な選挙キャンペーンだ。日本の報道でもよく流れたのでご存じの方も多いだろうが、「台湾の選挙に慣れすぎるとアメリカの選挙演説が静かで退屈にすら感じる」くらいなのだ。とりわけ他国に例を見ないのは屋外広告とラッピングバスだ。選挙時には交通機関の半分以上が候補者の顔で埋め尽くされる。実は筆者も2010年に国際会議に参加するため台北を訪れた際、目の前を走るバスがすべて候補者の顔になっているのを見て度肝を抜かれた思い出がある。アメリカ風からさらに定向進化した台湾風というべきか。

 台湾はデモクラシーだけでなく、リベラルでもアジアの最先進国だ。フェミニズムを国家権力が全力で弾圧する中国は言わずもがな、自由社会のはずの日本も保守派の抵抗でなかなか進まないリベラルな社会変革が、ほんの一世代前まで戒厳令下にあった国で進められていく。19年にアジアで初めて同性婚を認めた台湾は、トランスジェンダーのオードリー・タン(唐鳳)が閣僚になった初めての国でもあり、多様性と人権と市民的自由が花開いた東アジアのリベラルの橋頭堡である。本来ならば、日本のネトウヨ諸氏は専制中国でこそ居心地が良く、リベラル諸氏は台湾こそわが同志と思ってしかるべきではないかと思われるが、その代表格と目される鳩山由紀夫氏や福島瑞穂氏は中国の「火の海にする」という軍事的恫喝に諸手を挙げて賛同しているのだから、まことに拗れきった関係だ。

 

2024年10月 2日 (水)

森直人・澤田稔・金子良事編著『「多様な教育機会」をつむぐ』

652786 金子良事さんから、金子さんが編著者の一人となっている二冊セットの本をお送りいただきました。「公教育の再編と子供の福祉」という2冊シリーズの第1巻『「多様な教育機会」をつむぐ ジレンマとともにある可能性』と、第2巻の『「多様な教育機会」から問う   ジレンマを解きほぐすために』です。

https://www.akashi.co.jp/book/b652786.html

本書に収録されている金子さんの「第2章 「無為の論理」再考 」の最初のところを読んで、金子さんが大阪の方に行かれてから、拙著へのコメントもされなくなり、なんだか没交渉になってしまった感が強かったのですが、その理由が分かりました。

金子さんとは、彼が大原社会問題研究所にいた頃、私が2年間ほど法政大学社会学部で講義をしに行ったときにお目にかかり、その後、『日本の雇用と労働法』『若者と労働』『日本の雇用と中高年』『働く女子の運命』といった本を献呈するたびに、

濱口さんの『日本の雇用と労働法』日経文庫を何度かざっと読みながら、何ともいいようのない違和感があったので

しかし、最近の濱口先生の本は、というか、前からそうでしたけど、読み切りにくいですねえ。

老婆心ながら、この本で女性労働の歴史を学びたいという方には、おやめなさいと申し添えておきます。

といった厳しいご指摘をいただいてきていたので、その後の本には何の反応もなくなってしまったのは寂しい思いがしていました。

今年の『賃金とは何か』には久しぶりに充実したコメントをいただいたので、とても嬉しかったのですが、ではその間金子さんは何に関心を持ち、何をしていたのか?

今回お送りいただいた本の中で、金子さんはこう語っています。

2018年に大阪にやってきてから、縁があって、私は外国ルーツの子どもたちの学習支援(居場所活動的な意味も含まれています)や小学校の居場所活動、若者支援に携わってきました。また、そうした現場で培ってきたことをフィードバックして、今度は本務校での学生支援に力を入れてきました。研究者としてのキャリアをスタートさせてから、そのアイデンティティは歴史研究者だったのですが、大阪に来てからは歴史研究者ではなく、実践者としてやってきました。・・・・

ああ、そうだったのですね。大阪の子どもたち、若者たちにとって金子さんがかけがえのない存在になっていたのであれば、拙著にコメントをするなんて言う余計なことをしている暇はなかったのでしょうね。

 

 

 

 

『改革者』で萩原里紗さんが拙著書評

24hyoushi10gatsu 政策研究フォーラムの機関誌『改革者』の10月号で、萩原里紗さんが拙著『賃金とは何か』の書評をしていただいております。

月刊誌「改革者」2024年10月号

書評   濱口桂一郎著『賃金とは何か』 評者 萩原里紗 P65

 なぜ日本の賃金は上がらないのか?本書は、その理由を「上げなくても上がるから上げないので上がらない」と答えている。
 一見すると何を言っているのか分からないが、主語を加えるとわかりやすくなる。言い換えると、「ベースアップが行われなくても、定期昇給が行われ、一人一人の賃金は上がっているのだからそれでよしとしているため、日本の賃金は全体として上がらない」ということを意味している。

・・・・・そのような労働組合を今すぐ組織することは難しいものの、本書は賃金制度の歴史を辿ることで、今後の労働組合のあるべき姿を考える上での青写真を提供している。本書が労働組合に属する人たちにとっての必読書になることを期待する。

拙著で書いてあることのその先まで見通して書評していただきました。

 

 

 

大久保幸夫『マネジメントのリスキリング』

A846ae4416c10a9f9a7a614acf731b07acbc6f6a 大久保幸夫『マネジメントのリスキリング ジョブ・アサインメント技法を習得し、他者を通じて業績を上げる』(経団連出版)をお送りいただきました。

働く人々や働き方の多様化、「人的資本経営」への関心の高まりなどを受けて、日本企業は今、従来のマネジメントのあり方を大きく変革する必要に迫られています。また、そのために、マネジャーのマネジメントスキルの再開発・再教育が喫緊の課題となっています。
マネジメントの役割は、「他者を通じて業績を上げる」ことです。本書は、マネジメントの基本技術である32の「ジョブ・アサインメント」(日常のマネジメント行動)の解説を中核に、マネジメントのポイントをテーマ別に整理し、ジョブ・アサインメントの各項目とつないで詳しく説明しています。
マネジメント研修のサブテキストとして、また多面観察評価後の内省機会における思考の整理におすすめの一冊です。

【おもな内容】
第1章 キャリアとしての「管理職(マネジャー)」を考える
第2章 マネジメントには黄金法則がある ―ジョブ・アサインメント32の行動
第3章 業績を高める ―目標達成支援のマネジメント
第4章 人を育てる ―キャリア支援のマネジメント
第5章 やる気を引き出す ―エンパワーのマネジメント
第6章 効率を高める ―仕事と時間をデザインするマネジメント
第7章 価値を生み出す ―人的資本経営のマネジメント
第8章 テレワーク普及で求められるリモート・マネジメント
第9章 ダイバーシティの深化で求められる配慮のマネジメント
第10章 マネジメントの経験学習 ―多面観察評価を活かす

一番最後に,3人の名言が載っています。

人を用いるには、すべからくその長ずるところをとるべし。人それぞれに長ずるところあり、何事も一人に備わらんことを求めるなかれ。(徳川家康)

ダメな部下はいない。ダメなリーダーがいるだけだ。(ジャック・マー)

他人に花を持たせよう。自分に花の香りが残る。(斉藤茂太)

 

 

 

 

2024年10月 1日 (火)

『労務事情 』2024年10月1日号に2本ほど

B20241001 本日刊行の『労務事情 』2024年10月1日号に、毎月連載の「数字から読む 日本の雇用」に加えて、特集「〈1500号記念企画〉人的資本投資時代の人事・労務管理~現状と展望」の記事も書いております。

https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/b20241001.html

この特集はこういうラインナップですが、

◎「人材マネジメント」の視点から 学習院大学 名誉教授 今野浩一郎
◎「教育研修・人材育成」の視点から 事業創造大学院大学 事業創造研究科 教授 浅野浩美
◎「働き方」「働かせ方」の視点から 神戸大学大学院 法学研究科 教授 大内伸哉
◎「健康経営」の視点から 東京大学大学院 医学系研究科 特任教授/一般財団法人淳風会 代表理事 川上憲人
◎「福利厚生」の視点から 山梨大学 名誉教授/福利厚生戦略研究所 代表 西久保浩二
◎「従業員エンゲージメント」の視点から 同志社大学 政策学部 教授 太田 肇
◎「情報開示」の視点から 労働政策研究・研修機構 研究所長 濱口桂一郎

わたくしのは、労働法制における情報開示の変遷をざっと概観するとともに、情報開示に対して企業に求められる姿勢について述べています。

もう一つの、毎月連載の方は、

◎数字から読む 日本の雇用 濱口桂一郎 第28回 女性の管理職割合 12.7%

今年7月に公表された令和5年度雇用均等基本調査における女性管理職割合を取り上げています。

 

 



解雇規制論の誤解再び@WEB労政時報

WEB労政時報「HR Watcher」に「解雇規制論の誤解再び」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/87863

 今は毎月1回こうして寄稿しているWEB労政時報「HR Watcher」の連載ですが、その記念すべき第1回目は、2013年4月19日の「解雇規制論の誤解」でした。その前年2012年末の総選挙で自民党が大勝し、第2次安倍内閣が発足して、経済財政諮問会議、規制改革会議、産業競争力会議など官邸の会議体が次々に新たな政策を打ち出し、その中で解雇規制緩和が声高に唱道され始めた時期でした。私はさまざまなメディアに登場して、「日本は解雇規制が厳し過ぎるから緩和すべき」という議論が間違っており、問題の本質はジョブ型ではなくメンバーシップ型である日本の雇用システムにあるのだと論じてきました。そのおかげで、世の論者のかなりの部分は、あまりにもおかしな議論を展開することは少なくなってきたのではないかと思っていました。
 
 ところがそれから11年以上が経過し、どうも政治家の頭の中では何らそういう進歩は見られなかったことが明らかになってきたようです。というのも、ご承知のとおり、去る8月14日に岸田文雄首相が辞意を表明し、その後継者を目指して9人の候補者が自民党の総裁選挙に出馬しています。本稿が公開される10月1日には新総裁が選出され、新たな内閣が発足しているでしょうが、本稿執筆時点では、まだ誰が次期総裁になるか皆目分かりません。しかしながら、立候補した9人のうち、河野太郎氏と小泉進次郎氏は、解雇規制の緩和を政策に掲げ、突如として解雇規制緩和論が政界の話題の先端に上り詰めたのです。・・・・

2024年9月29日 (日)

ダイヤモンドオンライン『賃金とは何か』抜粋記事3回目

Asahishinsho_20240929080201 一昨日、昨日に続き、ダイヤモンドオンラインの「ニュースな本」で、拙著『賃金とは何か』の抜粋記事の3回目が掲載されています。

60年前にもあった「ジョブ型雇用」議論、日本で見捨てられた当然すぎるワケ

近年、よく話題に上る、ジョブ型雇用。岸田文雄首相は、これまでのメンバーシップに基づく年功的な職能給からジョブ型の職務給に切り替えていくことで、労働生産性が上がり賃金も上がると主張しているが、実は60年前の池田勇人首相もまったく同じことを主張していたという。ジョブ型雇用が日本社会に浸透しないのは、なぜなのか?※本稿は、濱口桂一郎『賃金とは何か』(朝日新書)の一部を抜粋・編集したものです。

 

 

 

2024年9月28日 (土)

吉岡真史さんの拙著評

Asahishinsho_20240928083701   元経済企画庁・内閣府のエコノミストで現在は立命館大学教授の吉岡真史さんが、「経済学部教授のブログ」で拙著『賃金とは何か』を取り上げていただいているのですが・・・

今週の読書は専門書のほか新書や小説も含めて計6冊

次に、濱口桂一郎『賃金とは何か』(朝日新書)を読みました。著者は、労働省(旧)のご出身で、労働政策研究・研修機構(JILPT)の労働政策研究所の所長です。エコノミストではありませんから、タイトルに引かれて読んだ本書でも、経済学的な賃金についてはほとんど何も解明されていません。すなわち、本書は3部構成となっていて、第Ⅰ部が賃金の決め方、第Ⅱ部が賃金の上げ方、第Ⅲ部が賃金の支え方、となっています。その上、第Ⅰ部がボリューム的に過半のページ数を割かれており、日本の賃金の決め方の歴史が延々と展開されています。経済学的な決まり方ではありません。その意味で、歴史の勉強にはなりますが、戦後日本の労働慣行の大きな特徴である長期雇用と年功賃金が経済学的には補完関係にある点などは、誠に残念ながら、それほど詳しく言及されているわけではありません。

経済学者の眼から見て賃金について論じるべきことはほとんど書かれていない、ということのようです。

では、経済学者の立場からはいかなる議論を展開するべきなのかというと、

エコノミストの目から見て、本書のタイトルの問いに答えるとすれば、賃金のもっとも重要な本質のひとつは要素所得である、ということになります。もう少していねいに表現すれば、経済活動あるいは生産活動が行われ付加価値が得られた後に、その付加価値が経済活動あるいは生産活動に参加した生産要素の間に分配されるうちの労働の取り分、ということになります。もう一方の取り分は資本に配分されます。

なるほど。でもそういうことどもについて私に論じろというのは無理難題の類ですし、そういう議論は世の中にいっぱいあって、それはそれでいいのですが、逆に本書で展開したような制度論的な、あるいは労使関係論的な賃金論というものは、残念ながら昨今は全く人気がなくって、それこそ大学や大学院の教科書の類の中になかなかそういう議論を見つけることも難しい状態ですので、拙著には拙著の存在理由があると考えています。

いくつかの統計で企業の利益剰余金が積み上がっている一方で、賃金がまったく上がっていない、日本の賃金は韓国にも抜かれて先進国の中で最低レベル、というのはエコノミストの間で広く確認されていところです。でも、階級闘争が激化したり、ましてや革命に至ったりすることは目先まったく予想されず、政権交代すら見込めないのは私には大きな謎です。

いやまさに、なぜ日本の賃金が上がらないのかについて、そういう経済学的な観点からではなく、制度論的観点から「定期昇給があるから」という答えを提示したのが本書だったつもりなのですが。

 

 

 

 

 

 

ダイヤモンドオンライン『賃金とは何か』抜粋記事2回目

Asahishinsho_20240928083701 昨日に続き、ダイヤモンドオンラインの「ニュースな本」で、拙著『賃金とは何か』の抜粋記事の2回目が掲載されています。

欧米の賃金なぜ30年で倍増?日本が「低賃金の国」に落ちぶれたのも納得だった

2回目の今日は、終章の「なぜ日本の賃金は上がらないのか」の「上げなくても上がるから上げないので上がらない賃金」という一節が丸ごと載っています。

本書のある意味ハイライトの部分ですので、まだ拙著をお読みになっていない方はぜひ読んでみてください。

 

2024年9月27日 (金)

ダイヤモンドオンラインに拙著が一部抜粋

Asahishinsho_20240927103401 7月に刊行された拙著『賃金とは何か』(朝日新書)ですが、その一部が抜粋されてダイヤモンドオンラインの「ニュースな本」に掲載されています。

「ベースアップか定期昇給か」では日本の賃金問題が解決できない根本的な理由

今日、明日、明後日の3回に分けて掲載されるとのことです。

1回目の今日は、第Ⅱ部の賃金の上げ方から、ベースアップと定期昇給の歴史について解説している部分が抜き出されています。

ただ、抜き出した部分だけではわかりにくいところもあるので、できれば本書を買うなり借りるなりして通読していただければありがたいです。

 

 

 

2024年9月25日 (水)

石山恒貴,片岡亜紀子,北野貴大『キャリアブレイク 』

9784805113257_600in01 石山恒貴,片岡亜紀子,北野貴大『キャリアブレイク  — 手放すことは空白(ブランク)ではない』(千倉書房)をお送りいただきました。

日本の息苦しさを緩和する1冊。
離職休職の期間は、人生を不利にするブランク期間と呼ばれていた。
実際は、その空白期間には価値があり、まさにキャリアブレイクだった。
世界では一般的であるキャリアブレイクとはなにか。
その実態と、価値をキャリアブレイク実践者8名の詳細な分析から提示。
くわえて国際比較、歴史的背景、雇用システムの位置づけ、キャリア理論上の位置づけからも解説。
日本初のキャリアブレイクを学術的に分析した書籍。

石山さんが書かれた第2章の「キャリアブレイクの背景」では、日本的雇用の特徴を無限定総合職、標準労働者、マッチョイズムの3つとし、これらがキャリアブレイクをスティグマ化し、いかに困難にしてるかが論じられています。「履歴書の空白問題」などがそうですね。

 

 

 

2024年9月24日 (火)

稲上毅『近世イギリスの誕生』(上・下)

97847989192871 稲上毅先生からとてつもないご著書をお送りいただきました。稲上毅『近世イギリスの誕生』(上・下)(東信堂)ですが、上巻が736ページ、下巻が640ページ、上巻が9,500円、下巻が7,500円、上下合わせて17,000円です。

しかも、タイトルから窺われるように、これは歴史書です。ノルマン・コンケストから名誉革命までのイギリス近世史を描き出した大冊です。

実は最初手にしたとき、社会学者としての稲上先生とこの本との関係がよく分からなくて、しばし呆然としました、今も呆然としています。

稲上先生といえば、『英国労働事情』や『英国経営事情』はとても面白く、何回も読み返したものですが、これは20世紀後半のイギリスが舞台でした。今回の本は近世、というか日本史の感覚でいえば中世史に当たるような時代です。それが約1400ページにわたって書き綴られている。これは読むのにも相当に根気がいりそうなので、まだまったく読んでいない本日付で、私のような者にまで本書をお送りいただいたことへのお礼を書き付けておきます。

中世から近代への扉を開いた先駆者イギリス――その道程を辿った比類なき大著!

初期近代の精髄を問う、産業社会学の重鎮による多くの古典を踏まえたノルマンの征服から7世紀にわたるイングランド中近世史の書き下ろし。
封建制、農奴制、ローマ教皇主義からなる中世レジームのうち、黒死病を契機とする農奴制の崩壊、集権的封建制と制限君主制の確執を描写し、近世主権国家形成の足跡を追う。

スチュアート朝の国王チャールズ1世の処刑、それに続くピューリタン革命の政治史的「失敗」の原因を探り、王政復古後の科学革命と「資本主義の精神」の生成プロセスを辿る。ウェーバーやマートンの古典的命題の経験的妥当性を問い、近代の核心が思想信条・言論出版・結社集会の自由にあることを浮き彫りにする。

はじめに─本書のテーマと中世レジームについて
第1章 複合国家と集権的封建制─制限君主制の生成
第2章 黒死病と農奴制の崩壊
第3章 中世プロテスタンティズムの盛衰
第4章 複合国家の解体と王権強化
第5章 テューダー朝前期の宗教改革
第6章 宗教改革の振り子
第7章 大内戦から共和制・護国卿時代、そして王政復古へ─宗教戦争・軍事独裁・宗教的寛容
第8章 イングランド啓蒙・科学革命・経済発展
結論と示唆
附 論─ウェーバー命題について
引用文献一覧/あとがき/王朝系統図/人名索引・事項索引

 

 

 

制度の本旨からかけ離れた被用者保険と国民(自営業者)保険@『労基旬報』9月25日号

『労基旬報』9月25日号に「制度の本旨からかけ離れた被用者保険と国民(自営業者)保険」を寄稿しました。

 去る7月3日、厚生労働省は「働き方の多様化を踏まえた被用者保険の適用の在り方に関する懇談会」(学識者17名、座長:菊池馨実)の「議論の取りまとめ」を公表しました。被用者保険というのは、国民年金に対する厚生年金保険、国民健康保険に対する健康保険のように、被用者と自営業者で分立している社会保険制度における被用者向けの制度を指します。とはいえ、本来自営業者向けであった国民年金や国民健康保険に被用者保険からこぼれ落ちた多くの被用者(そのほとんどは非正規労働者)が含まれていることは周知の通りです。また、非正規労働者であるパート主婦の多くが、年金制度においては第三号被保険者、健康保険制度においては被扶養者というカテゴリーに属することによって、そこから排除されていることもよく知られています。
 こうした被用者保険に関わる法政策は、それ自体としては純粋の社会保障法政策に属し、労働法政策に属するものではありませんが、非正規労働者の在り方を社会的に決定づける大きな力を有しており、その動向は労働法政策の観点からも注視する必要があります。本連載においても、2020年1月5日号の「2020年年金法改正の論点」において、2020年改正に向けた動きを紹介しています。
 2020年改正で最も注目されたのは、2012年改正で従業員500人以下の中小企業について拡大が猶予されていた週労働時間20時間以上30時間未満の短時間労働者の適用拡大でした。さまざまな利害調整の結果、2022年10月から従業員101人以上の企業に、2024年(今年)10月から従業員51人以上の企業へと段階的に拡大されることになり、前者は既に実施されています。後者の拡大がまだ実施されていない今年の2月にこの懇談会が始められたのは、昨年いわゆる「年収の壁」による就業調整問題が改めて注目され、これまで主担当であった年金局だけではなく健康保険を所管する保険局も本格的に共管する形で議論を進める必要が感じられたからでしょう。
 この「議論の取りまとめ」は、これまでの状況を概観した後、基本的な視点として、①被用者にふさわしい保障の実現、②働き方に中立的な制度の構築、③事業所への配慮等を挙げ、具体的な「短時間労働者に対する適用範囲の在り方」として次のように述べていきます。一番重要なのはいうまでもなく企業規模要件ですが、その前に2012年改正で導入された3要件についても検討しています。
 まず週所定労働時間20時間以上という労働時間要件については、2024年(今年)の雇用保険法改正によって週10時間以上と大きく拡大されたこととの関係が問題になります。雇用保険の適用拡大は2028年10月からとやや先ですが、これに合わせて引下げるべきという議論もあったようです。ただし、事業所等の負担に加えて「雇用保険とは異なり、国民健康保険・国民年金というセーフティネットが存在する国民皆保険・皆年金の下では、事業主と被用者との関係性を基盤として働く人々が相互に支え合う仕組みである被用者保険の「被用者」の範囲をどのように線引きするべきか議論を深めることが肝要」という理屈から、「雇用保険の適用拡大の施行状況等も慎重に見極めながら検討を行う必要がある」と、消極的なスタンスを示しています。
 次に月額8.8万円(年収換算で約106万円)の賃金要件ですが、本要件特有の論点として、国民年金保険料よりも低い厚生年金保険料で報酬比例部分を含む年金額を受給することになる逆転現象という問題があり、消極的スタンスに変わりはありません。なおこれは、健康保険の被扶養者の収入基準が130万円となっていることとも関連しており、また健康保険の標準報酬月額の下限の5.8万円が2005年以来見直されていないこととも関わりがあり、なかなか込み入っています。
 学生除外要件については現状維持という意見が多く、見直しはあっさり一蹴していますが、このこと自体が日本における学生がほぼある年齢層に固定されており、親の金で入学するのが普通であることの反映のようにも見えます。欧米諸国のように、社会に出て働いてから自分で稼いだお金で学び直しのために大学に入るという在り方が普通の社会であれば、もう少し違う議論も出てきそうなものですがそうはならないようです。
 本丸の企業規模要件については、そもそも2012年改正時に激変緩和措置として本則ではなく附則に規定されたものであることもあり、「労働者の勤め先や働き方、企業の雇い方に中立的な制度を構築する観点から、経過措置である本要件は撤廃の方向で検討する必要があるとの見方が大勢を占めた」と述べており、厚生労働省としては次の法改正で本要件の撤廃に踏み込むつもりであろうことが示されています。ただし、事業の負担軽減の見地から、さまざまな配慮措置や支援策の必要性が縷々書かれており、そこをどのように組み立てていくかが今後の論点となっていくのでしょう。
 これが最大の論点ですが、もう一つ前回突っ込んだ議論が行われながら結果的にはやや小ぶりな改正に終わった個人事業所の適用問題があります。これは102年前に健康保険法が制定されて以来、その適用事業所を徐々に拡大する中で、こぼれ落ちてしまったまま今日に至っているものですが、個人事業所は5人以上でなければ適用されない上に、未だに適用事業を各号列記しているために、飲食サービス業や洗濯・理容・美容・浴場業など非適用業種では5人以上事業所でも適用されないという状態が続いているのです。2020年改正では弁護士等の士業の個人事業所だけが追加されましたが、膨大な個人事業所で雇われているフルタイムの被用者たちが依然として被用者保険から排除されているという事態に変わりはありません。
 今回の取りまとめでは「業種については制度の本質的な要請による限定ではなく合理的な理由は見出せないこと等から、まずは、常時5人以上を使用する個人事業所における非適用業種を解消する方向で検討する必要があるとの見方が大勢を占めた」としつつ、実態を踏まえた配慮措置を求めています。一方、5人未満の個人事業所については、「中立的な制度を構築する観点から本来的には適用するべきとの意見や、事業所の事務処理能力とは切り離して検討し、別途支援策を講じた上で次期制度改正において対応すべきとの意見があった一方、対象となる事業所が非常に多いため、その把握が難しいと想定されること、国民健康保険の被保険者のうち一定の勤労所得を有する者が被用者保険に移行することとなれば、国民健康保険制度への影響が特に大きいこと等から、慎重な検討が必要との意見もあった」と、両論併記的な記述にとどまっています。結論としては「常時5人以上を使用する個人事業所における非適用業種については、5人未満の個人事業所への適用の是非の検討に優先して、解消の方向で検討を進めるべきである」と、もっぱら5人以上個人事業所への拡大に焦点を絞っているようです。
 なおその後には、多様な働き方を踏まえた被用者保険の在り方として、フリーランスやプラットフォームワーカー、複数事業者で勤務する者の問題も論じていますが、なお中長期的な論点という位置づけで、今回の改正ではまだ本格的な論点にはならなさそうです。
 なお、議事録を読んでいくと、現状が法制度の本旨からいかにかけ離れた状況になっているかが浮き彫りになるような発言も見受けられました。たとえば、5月28日の第6回会合で、国民健康保険中央会の池田俊明常務理事が、「被用者保険の適用拡大がなし崩し的に進められた場合、一定の勤労所得を有する被保険者が、大幅に被用者保険に移行することによりまして、構造的な課題が一層深刻化し、地域における連帯感を基礎とした保険者機能の発揮が困難となることが強く懸念される」と発言しています。当事者としてのその気持ちはよくわかるのですが、本来被用者を適用対象とする健康保険の外側に、本来自営業主やその家族を対象とする制度として設けられたはずの国民健康保険が、本来適用対象にしてはいけないはずの被用者が(被用者保険の方で不当に排除されているためにやむなく)大量に入ってくれているおかげでなんとか維持できているとしたら、そもそもそういう制度設計が間違っているというべきなのではないでしょうか。
 これに対して、6月11日の第7回会合で、健康保険組合連合会の秋山実理事は、「さらなる適用拡大によって、特に短時間労働者を多く抱える業種や非適用業種の解除によって、対象となる健保組合の財政的な負担が増えることを危惧しております」と述べています。国民健康保険の方が(本来制度の対象ではないのに)出て行ってもらっては困ると引き留めたがる低所得の短時間労働者が、健康保険組合の方からは(本来制度の対象のはずなのに)入ってきてもらっては困るとはねつけたがる存在であるというのは、なんとも皮肉極まる事態です。そして最大の皮肉は、いまや貧乏人を排除したがる金持ち倶楽部の健康保険が、もともとはいまから102年前に貧しい工場の職工のために作られた制度であり、その貧乏人がいるおかげで息をつないでいる国民健康保険は、自力で生きていけるはずの自営業者のための制度としていまから76年前に作られたのだということでしょう。かくも拗れに拗れきった社会保険制度の矛盾を前にすると、ほとんど目がくらみそうになります。 

 

三柴丈典『生きた産業保健法学』

C7a1b48007e105c13e4ea87d52ce7c968c45ec84 三柴丈典『生きた産業保健法学』(産業医学振興財団)をお送りいただきました。

https://www.zsisz.or.jp/shop/book/2024/09/post-6.html

 産業保健実務に必須の "生きた法知識" を豊富な判例から平易にひも解く!
◆産業保健スタッフや人事労務担当者が身に付けるべきリスク管理の法知識を、過去の判例から明瞭に解説。
◆職場での健康情報の取扱いについて、予備知識・基本原則からスタッフ間での情報共有のあり方、記録の本人への開示、条件整備の必要性まで、Q&A形式で実務目線から明快に回答。
◆ハラスメントや休職・復職判定、合理的配慮提供義務、海外勤務と健康管理、化学物質の自律的管理など、職場の現代的課題への適切な措置と対応方法を、判例を読み解く中から提示・解説。
◆近年増加する産業医をめぐる裁判例を未然防止・適切な事後解決の観点から詳細に解説。
「生きた法」とは、"法の作り手の思いと使い手の悩みをくむ営み"を意味する。平たく言えば、法をめぐる人と組織に焦点を当てることである(はしがきより)。『産業医学ジャーナル』2016年39ー6~2022年45ー2に連載され好評を博した「産業保健と法」を大幅に加筆・修正し、新たな書き下ろしも加えた一冊。
今や産業保健活動に欠かせない「法の知識・洞察・現場実務への応用」をめぐるバイブル、ついに刊行!

冒頭近くで出てくる判例が神奈川SR経営労務センターほか事件で、巻末近くで出てくる判例がシャープNECディスプレイソリューションほか事件であることからも窺われるように、三柴さんの問題意識は単なる安全衛生法制では対応不可能な産業保健法学の必要性にあります。

昨今、産業医業務の多くは、メンタルヘルスと生活習慣病に関わる問題への対応になっている。中でも、発達や性格傾向が職場環境に適応しない労働者への対応が懸案となり、ときに訴訟になで発展する。・・・

筆者の私見では、本件で、産業医には、組織の構造と構成メンバーをよく観察した上で、戦略的な動きをとる必要があったと考える。仮に最終的には退職させるという結論をもっていたとしても、そこに至るまでの手順を示唆せず、短兵急に組織の運営者が望んでいると思われる結論だけを伝えると、かえって労使双方に不利益を与えることがある。・・・。

結局、科学的・論理的な蓄積のある分野の専門性を深めた上で、関係分野の情報や人と対話しつつ、自ら現場でも人間関係や組織関係の軋轢と克服を多く経験し、戦略的思考を磨かなければ、そうした解決策にはたどり着かないのではなかろうか。

 

 

 

 

2024年9月19日 (木)

家政婦過労死事件で東京高裁が逆転判決

51sgqlf3yol_sx310_bo1204203200__20240919192701 拙著『家政婦の歴史』を書くに至る史料渉猟の出発点となった訴訟(国・渋谷労基署長(山本サービス)事件)の控訴審の判決が、本日東京高裁から出されたようです。

家事労働後に急死の女性、労災認める 東京高裁

家政婦兼介護ヘルパーとして住み込みで働いた後に急死した女性(当時68)の労災を認めなかったのは不当として、遺族が国に処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が19日、東京高裁であった。水野有子裁判長は遺族側の請求を退けた一審・東京地裁判決を取り消し、労災にあたるとの判断を示した。

一審判決などによると、女性は家政婦あっせんや訪問介護を手がける会社に登録。2015年5月、寝たきりの要介護者の利用者宅で7日間住み込みで働いた後に倒れ、翌日に死亡した。

女性の夫は労働基準監督署に労災申請し、遺族補償の給付を求めた。労基署は家庭に直接雇われた家政婦は「家事使用人」として労働基準法が適用されないとする同法の規定を根拠に、労災と認めない処分をした。

この日の判決は、女性が会社の指示の下で家事と介護の業務を一体的に行っていたとして、会社との間で家事業務も含めた雇用契約を結んだと認めた。家事使用人には該当しないと判断し、不支給処分は「(規定の)適用を誤った違法なものと言わざるを得ない」と断じた。

判決文を見ないと、この記事だけではどういうロジックなのか必ずしも明確ではありませんが、原告側が主張していた家事と介護の一体説に立っているように見えます。家政婦はそもそも労基法上の家事使用人ではなかった、という私だけが主張している歴史的経緯に立った節を採用したわけではなさそうです。

 

 

 

 

2024年9月18日 (水)

ポケベル異聞

ポケットベル、略称ポケベルといえば、労働法界隈ではやはり昭和63年基発第1号通達でしょう。1987年労働基準法改正でそれまでの省令レベルから法律上に規定された事業場外労働のみなし労働時間制について、「事業場外で業務に従事する場合であっても、使用者の具体的な指揮監督が及んでいる場合については、労働時間の算定が可能であるので、みなし労働時間制の適用はない」と釘を刺し、その例として「事業場外で業務に従事するが、無線やポケットベル等によって随時使用者の指示を受けながら労働している場合」を挙げています。 

この40年近く前にはごくごく普通に存在していた原始的電子機器が時を経るに従って世の中にほとんど存在しない代物になっていき、いまや若い人たちから「ポケットベルって何ですか?」という問いが発せられて答えるのに苦労するという事態が日本各地で発生しているわけです。

その昔、スマホどころかガラケーもなかった時代、外回りの営業マンたちはポケベルというのを持たされてだな、これは通信機能はないので話はできないんだが、本社から連絡すべきことがあるとピーピーなるんだな、そうすると、近くの電話ボックスに駆け込んで、いや昔は町のあちこちに電話ボックスというのがあってだな、お金を入れて電話できたんだよ。ていうか、スマホもガラケーもない時代だから、そうしないと話はできないんだな、ポケベルがピーピーなると、電話ボックスから本社に電話して「はい、濱口ですが、何でしょうか」と聞くわけだ、昔はそういうのがあったんだ、そのポケベルが、今でも事業場外労働の通達では生きてるんだね、というふうに、説明するわけです。

Poke ところがこの2024年になって、この古典的電子機器がスパイ戦争の最前線で注目を集めることになったというのです。

ポケベル爆発 ヒズボラ“イスラエルによる犯行だ”報復を示唆

中東レバノンの各地で「ポケットベル」タイプの通信機器が爆発し、これまでに12人が死亡し、2700人以上がけがをしました。
レバノンを拠点とするイスラム教シーア派組織ヒズボラはイスラエルによる犯行だとして報復を示唆しています。
一方、ヒズボラは安全を確保するための通信手段としてこの通信機器を関係者に配っていました。

ヒズボラがなぜこういう原始的電子機器を使っていたのかといえば、スマホやガラケーではどこにいるかが分かってしまうからなんでしょうね。ポケベルの良さは、それだけではどこにいるかはわからない点なのでしょう。だから「安全を確保するための通信手段」なのでしょうが、それでもモサドの手にかかると、こういう風に使われてしまうというわけです。

2024年9月17日 (火)

労働法の立法学第71回「企業内教育訓練への支援政策」@『季刊労働法』286号

286_h1347x500_20240917114001 『季刊労働法』286号が届きました。労働法の立法学第71回の拙稿「企業内教育訓練への支援政策」も掲載されております。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/12405/

拙稿の中身は以下の通りです。

1 徒弟制から技能者養成制度へ
(1) 徒弟制
(2) 工場法における徒弟制
(3) 戦時下の技能者養成
(4) 労働基準法における技能者養成制度

2 職業訓練法における認定職業訓練
(1) 1958年職業訓練法
(2) 1969年職業訓練法
(3) 雇用保険法による能力開発事業

3 企業内教育訓練自体への支援
(1) 1978年改正職業訓練法
(2) 多様な企業内教育訓練への助成金
(3) 認定職業訓練の拡大
(4) 職業訓練法から職業能力開発促進法へ

4 個人主導能力開発時代の企業内教育訓練への支援
(1) 自己啓発へのシフト
(2) 個人主導の職業能力開発の強調
(3) キャリア形成支援への政策転換
(4) 日本版デュアルシステムから実習併用職業訓練へ
(5) ジョブ・カード制度

 

 

 

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