「ジョブ型正社員」をめぐる錯綜@『労働調査』2013年8月号

最近、規制改革推進会議が「ジョブ型正社員(勤務地限定正社員、職務限定正社員等)の 雇用ルールの明確化に関する意見」をまとめたというニュースがあり、ネット上でいろいろな意見が出されているようですが、

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/publication/opinion2/010520honkaigi02.pdf

どうもそれらを見ていると、この問題が最初に規制改革会議から提起された2013年のころと全く変わっていないようです。

あまりにも変わっていないので、今さら新たに何かを書く気もあまり起こらず、6年前に書いたものをそのままお蔵出しすることにしました。省エネで申し訳ありませんが、おそらくもうこの文章を覚えている人もほとんどいないと思うので、それなりに新鮮な感覚で読んでいただけるのではないかと思います。

Coverpic 『労働調査』という雑誌の2013年8月号に載せた「ジョブ型正社員」をめぐる錯綜」です。

はじめに
 本特集で取り上げられている安倍内閣の諸会議による雇用制度改革については、認識のレベルにおいても価値判断のレベルにおいても議論が錯綜しきっており、そのためややもすると単純化した議論が横行しがちである。本稿では、議論の錯綜を解きほぐすことを第一の目標として、筋道をわかりやすく説明していきたい。
 とはいえ、議論の俎上に上がっている論点だけでも、労働時間、労働条件の変更、職業紹介と労働者派遣など多岐にわたっており、そのすべてに言及することは紙数からして不可能であるので、本稿では解雇規制との関連で労働組合サイドが反発しているジョブ型正社員(限定正社員)の問題に絞って論じたい。
 実は、去る6月の規制改革会議答申に出てくる「ジョブ型正社員」という言葉を、始めて用いたのはおそらく筆者である。活字として一番早いのは『労基旬報』2010年2月25日号に載せた「ジョブ型正社員の構想」であるが、ある程度まとまったものとしては政策研究フォーラムの『改革者』2010年11月号に載せた「職務を定めた無期雇用契約を―「ジョブ型正社員制度」が二極化防ぐ」になる。この間非公式な形ではあるが、連合の「多様な雇用形態における公正・公平な処遇のあり方に関するプロジェクト」において、「ジョブ型正社員への4つの道」を報告している。
 今回の議論の展開においても、筆者は4月11日の規制改革会議雇用ワーキンググループに呼ばれて持論を述べたが、おそらくはその影響で同グループの報告や同会議の答申では「ジョブ型正社員」という言葉が用いられている。同じ言葉であるから同じ意味であるかどうかはわからないが、少なくとも報告や答申の文言からは明確に異なる印象はない。しかしながら、(筆者の報告時も含め)同会議の委員の発言からは、ジョブ型正社員それ自体に意義を見いだしているというよりは、個別解雇をやりやすくするための方便と考えているのではないかという印象を受けたことも否定できない。
 この印象をすべての出発点として論ずるのであれば、ジョブ型正社員などというのは解雇自由化という悪辣な陰謀をいかにも労働者にとって望ましいものであるかのように騙すための笑うべきぼろ隠しということになろう。しかしながら、そのような陰謀論のみで物事を進めていくことによるマイナスをもよく考えておく必要がある。
 
ジョブ型とメンバーシップ型
 まず、筆者の議論の概要を簡単に要約しておく。今日労働問題の焦点として指摘されるのは、雇用を保障された正社員は拘束が多く、過重労働に悩む一方で、非正規労働者は雇用が不安定で賃金が極めて低いという点、いわゆる労働力の二極化である。しかし、そもそも正社員は拘束が多いということ自体、欧米の感覚からすれば必ずしも当然ではない。2007年のパート法改正によって実定法上に初めて「通常の労働者」が定義されたが、欧米と異なりフルタイム、無期、直接雇用の3要件だけでは「通常の労働者」とは認められない。「当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が・・・変更されると見込まれるもの」でないと日本型正社員とは認めてくれないのである。
 筆者はこのように職務も労働時間も勤務場所も契約で限定されておらず、無限定、すなわち使用者の命令でいくらでも変えられてしまうようなあり方を「メンバーシップ型」雇用契約と呼び、欧米で一般的な職務も労働時間も勤務場所も限定されている「ジョブ型」雇用契約と対比した(『新しい労働社会』(岩波新書)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫))。メンバーシップ型正社員には、職務限定の権利もなければ(日産自動車村山工場事件最高裁判決)、時間外労働拒否の権利もなく(日立製作所武蔵工場事件最高裁判決)、遠距離配転拒否の権利もない(東亜ペイント事件最高裁判決)。労働組合としてまず何よりも確認すべきは、雇用契約の無限定とはこうした権利の放棄を意味するということであり、欧米の労働組合から見れば信じられないような屈従であるという点である。
 とはいえ、日本には日本の文脈がある。欧米の労働組合から見れば信じがたいような無権利状態の受け入れと引き替えにメンバーシップ型正社員が獲得したのは、欧米であれば一番正当な解雇理由とされる経営上の理由による整理解雇への制約であった。雇用契約の本来の姿に沿って職務や労働時間や勤務場所が契約で限定されていれば、使用者には一方的にそれらを変更する権利はない。それは経営上の理由で当該職務や当該勤務場所が廃止、縮小される場合でも同じである。使用者に対して「やってはならない」と禁じていることを、いざというときだけ「やれ」と命じることはできない。いざというときに「やってくれ」というためには、そうでないときでも「やってよい」といわなければならない。つまり、日本のメンバーシップ型正社員が雇用契約の無限定を受け入れたのは、整理解雇時に他の職務、他の勤務地への配転や時間外休日労働の削減によって雇用関係自体を維持する可能性を高めるためであった。
 これはメリットとデメリットを比較考量した上でのマクロ社会的選択であり、それ自体はいいとも悪いとも言うべきものではない。雇用の安定を最重要と考えるというのは、そのデメリットも含めて、戦後60年にわたる歴史の中で日本の労働者が選択してきた道である。しかしながら、いざというときのために、労働者にとって何よりも重要な職務、労働時間、勤務場所を限定する権利を放棄するというのは、欧米の普通の労働者や労働組合に理解してもらえる見込みの薄いものであることも認識しておく必要がある。「俺たちは契約が無限定なのに、限定されようとしている」などと彼らに訴えても、理解してもらえるとは思わない方がいいだろう。
 一点付け加えておけば、日本国の労働法制は欧米と同様ジョブ型雇用契約を前提に作られているということである。メンバーシップ型契約は、実定法の規定にもかかわらずそれをすり抜ける形で、労使合意による事実たる慣行として確立してきたもの(を裁判所が確認したもの)に過ぎない。
 
ジョブ型正社員の提起
 メンバーシップ型正社員自体がそのデメリットも含めて労働者自身の選択であるならば、ミクロ的には無理に本来のジョブ型契約を強制する必要はない。今日(筆者も含めて)ジョブ型正社員の確立が提起されているのは、これまでの日本型雇用システムがマクロ社会的にいくつもの矛盾を生じさせているからである。
 日本型雇用システムはメンバーシップ型正社員だけで構成されているわけではない。その不可欠の構成要素としてジョブ型の非正規労働者を有している。問題はこの日本型非正規労働者が、欧米のジョブ型労働者の持つ権利をも奪われた低賃金不安定雇用であるという点である。正社員が年功的な職能給であるのに対し、非正規労働者の職務給は欧米の産業別賃金とは異なり、地域最低賃金にへばりついた水準であるし、ジョブの喪失以外では雇用が守られる欧米のジョブ型労働者と異なり、非正規労働者はいつ契約期間満了による雇い止めがされるかもしれないという不安に怯えている。
 とはいえ、1990年代初頭までは、非正規労働者の大半は家計補助的な主婦パートや小遣い稼ぎ的な学生アルバイトであって、低賃金不安定雇用は社会問題とはならなかった。ところがバブル崩壊後の不況期に、企業は正社員採用を厳しく絞り込み、結果的に多くの若者がフリーターと呼ばれる非正規雇用に吸収されていった。2000年代に入り、彼らいわゆる就職氷河期世代が30代になり、次第に中高年化していく中で、貧困格差問題の象徴として議論が交わされたことは記憶に新しいところであろう。
 上述のように日本国の労働法制はメンバーシップ型を前提にしていない以上、法が本来予定しない無限定雇用契約を強制することは背理である。それはあくまでも労使合意に基づく原則からの逸脱なのだ。ここを理解しないまま非正規労働者を無限定型の「正社員」にせよと主張する向きが多い。しかしそれは、欧米で有期労働者や派遣労働者を無期直接雇用労働者(欧米的な意味での「正規労働者」)にせよと主張するのとはまったく意味が違う。なぜなら欧米の正規と非正規は、職務、労働時間、勤務場所が限定されるという点において、何の違いもないからである。
 それゆえに、不本意ながら非正規労働者として働いている人々を「正規化」することで生み出される雇用形態は、直接的には期間満了による雇い止めの恐怖から解放された無期契約労働者であって、広範な解雇回避努力義務と引き替えに無限定の義務を負う「正社員」ではない。そして、ここにある意味で初めて、欧米型に近いジョブ型の無期契約労働者が法制度上に姿を明示したということもできる。筆者がここ数年来述べてきた「ジョブ型正社員」という言葉も、基本的にはそれを概念として明確化するためのものである。
 それと同時に、ジョブ型正社員にはメンバーシップ型正社員とジョブ型非正規労働者という二者択一を迫られる中で、不本意ながら無限定の正社員として働いている人々のための受け皿という意味もある。とかく旧世代の活動家になればなるほど、ワークライフバランスを守ることと雇用関係を守ることとの価値判断のバランスが後者に偏りがちであるが、それが若い世代のとりわけ女性労働者にも同様に共有される価値観であるかどうかは、反省してみる値打ちはあろう。クビさえ守られれば無限定で働くことを受け入れるという戦後日本型労使妥協を望まない労働者の(労働法原理からすれば本来の)感覚をむげにうち捨てるべきではない。少なくとも欧米の労働者、労働組合から見れば、異常なのはメンバーシップ型の無限定義務の方なのである。
 そして、ここでは詳論する余裕はないが、近年若者たち自身によって問題提起されてきたいわゆるブラック企業問題も、メンバーシップ型の「見返りある滅私奉公」をちらつかせて酷使し、結果的に「見返りなき滅私奉公」を強制するものと考えれば、無限定型「正社員」の絶対化は若者たちを極めて危険な隘路に追いやることにもなりかねない。
 
規制改革会議版「ジョブ型正社員」の本音は?
 筆者は以上のような見地に立ってここ数年来ジョブ型正社員の議論を展開してきたし、4月に規制改革会議雇用ワーキンググループに呼ばれた際もその趣旨を述べた。6月に出された(鶴光太郎座長の筆になる)その報告も、少なくともその文言を見る限り筆者の認識とそう異なるところは見受けられない。それが、連合をはじめとする労働組合や野党から「解雇自由化」の陰謀として非難されているのは、政府の諸会議でこの問題が議論されてきた文脈によるものであろう。
 筆者自身、『世界』5月号に書いた「「労使双方が納得する」解雇規制とは何か──解雇規制緩和論の正しい論じ方」において、とりわけ産業競争力会議の委員から示されたあからさまな解雇自由化論に対して厳しく批判をしたところである。もちろん、批判すべき解雇自由化論とは、経営上の理由による整理解雇の規制を欧米並みにすることではなく、労働者の能力や成果等を理由として仕事がちゃんとあるにもかかわらず解雇することを正当化しようという議論である。裁判所に行く余裕のない圧倒的多数の中小零細企業労働者たちは、実はそういう欧米の基準で見ても不公正な解雇に日常的に曝されている。そのような不公正解雇はいかなる状況下にあっても許されてはならない。
 問題は、文言上ではまっとうな規制改革会議の答申をどちらの判断基準でとらえるかである。これは正直言ってなかなか難しい。筆者が雇用ワーキンググループで報告した際にも、委員から「整理解雇というよりも、パフォーマンスが悪いときに解雇できるということが非常に重要」との発言があったし、その後の議事録を見ても繰り返し提起されている。
 この部分は極めて微妙な問題なので慎重に論ずる必要がある。最終報告には盛り込まれていないが、途中段階の案には「なお、現在の判例法理では、労働者の能力や適格性の低下・喪失を理由とする解雇の合理性・相当性の判断においては、無限定正社員の場合、そのときに従事していた職務を遂行する能力ではなく、会社のなかで従事可能な職務がそれ以外にもないかが問われることが多いのに対し、ジョブ型正社員の場合、労働契約上限定された職務を遂行する能力が失われたかが主として問われており、この点を確認することが考えられる」という記述が含まれていた。念のためいえば、この記述自体は必ずしも間違っているわけではない。しかしそこで想定されているのは、片山組事件最高裁判決に見られるようなある仕事がまったくできなくなったときに配転義務があるかどうかという話であって、パフォーマンスが悪い云々というような話ではない。
 そもそもジョブ型雇用契約であるということは、雇用契約にやるべき事項が明示されているのであって、それをちゃんとこなしている限り、成績が悪いからといって解雇が正当化されるというような論理はありえない。上記筆者の報告では、それが認められ得る場合として、仕事を限定して雇ったがやらせてみたらまったくできなかったという場合を挙げた。解雇が認められやすい試用期間というのは本来そのために存在している。ちなみに職務無限定の日本ではその機能が空洞化している反面、学生時代に学生運動していたことを理由とする試用期間切れ解雇(欧米なら典型的な不公正解雇)に最高裁がお墨付きを出している(三菱樹脂事件判決)。
 職務を限定して何年も長く働いてきた労働者を捕まえて、「おまえはパフォーマンスが悪いからクビだ」などという暴挙が(ジョブ型契約であればあるほど)許されるはずはないのであるが、規制改革会議のやりとりではなぜかそこがごっちゃになっている。委員の「整理解雇の4要素に絡むものだけではなくて、当然パフォーマンスに応じた解雇の問題も、ここで扱われると理解してよろしいのでしょうか」という問いかけに対して、鶴座長は上記一節を引きながら「この議論についても、無限定正社員とジョブ型正社員においては、当然同じルールを適用しても、結果が変わってくるという確認については、ここで少し書かせていただいている」と答えており、あたかもジョブ型正社員に対してはパフォーマンスを理由とする解雇がやりやすいような誤解を与える表現になっている。この部分は最終的に報告からは消えているが、この考え方が消えたわけではなさそうである。
 
ではどうする?
 以上が、ジョブ型正社員と解雇規制をめぐる現段階の状況である。理論のレベルの問題、価値判断のレベルの問題、さらには表面上の理屈と若干乖離した本音のレベルの問題とが、さまざまなアクターのさまざまな思惑の中に入り交じって、まことに錯綜しきった状態にあると言えよう。
 これに対してどうするかは、本誌を読んでいる労働組合員自身が考えるべきことである。一労働問題研究者である筆者は、上記の通りその錯綜を整理した。その上で、何かを主張するとすればそれは理論のレベルではこうであるということに尽きる。
 理屈はその通りだが政治的にはそれは正しくないというのも一つの判断であるし、それに基づいてさまざまな行動を組織展開していくことも一つの判断である。
 ただ忘れてならないのは、政府諸会議の委員の本音がこうであるから、理屈は何であれジョブ型正社員構想はたたきつぶすという(それ自体は政治的に正しいかもしれない)判断は、とりわけ多くの若い労働者たちを出口のない隘路に追いやることになるかもしれないということである。そのリスクをきちんと認識した上での政治的判断には、筆者が口を挟むつもりはない。

 

| | コメント (0)

澤路毅彦・千葉卓朗・贄川俊『ドキュメント 「働き方改革」』

454121 澤路毅彦・千葉卓朗・贄川俊『ドキュメント 「働き方改革」』(旬報社)をお送りいただきました。

http://www.junposha.com/book/b454121.html

正直、私もいろんな局面でいささかの関わりもあった人々が続々と出てくるので、読みながらなにがしか心揺れるところもあったりするわけですが、やはりなんといっても、冒頭近くの、キャピトルホテル東急で、水町勇一郎さんが加藤勝信一億総活躍担当相にレクチャーするところが、「ああ、ここが水町さんとの分かれ目だったんだなあ」という思いを沸き立たせます。賃金制度が全然違っても、日本でも同一労働同一賃金が可能だという水町理論は、はっきり言って労働法学的にはいかがなものかと思いますが、少なくとも政治的メッセージとしては、求められるものであったんだなあ、と思います。空気を読まず、何を期待されているかもわきまえず、そういうことを言わない人間はお呼びではないわけです。

まあでも、その結果として、それをなんと呼ぶかは別として、既存の断片的且つ不整合な雇用形態に係る均等・均衡待遇法制が、かなり一貫した且つ促進的な性格を強めた形に大きく改良されることになったのは確かなので、少なくとも立法学的には重要な役割を果たしたことは間違いありません。皮肉ではなく、正直にそう思っています。

そういう意味では、本書全体にわたって、「政治って何だろう」「学者って何だろう」「政治という土俵で意味のある行動とは何だろう」という問いが繰り返し湧き上がってくるのも確かです。いろいろとは思いはありますが、でも、それに的確に答えるためには、まだまだ硝煙立ちこめる今ではなく、10年後、20年後、30年後から振り返ってみることが必要なのかも知れません。

連合の話については、当時から報道ぶりに違和感を感じていたので、その少し後に書いた小文を再録しておきましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/2017825-9fbd.html (高度プロフェッショナル制度をめぐる連合の迷走@『労基旬報』2017年8月25日号)

 去る7月13日、連合の神津里季生会長は安倍晋三内閣総理大臣に対して、労働基準法等改正法案に関する要請を行いました。それは、きたる臨時国会に提出予定の時間外労働の上限規制を導入する労働基準法改正案と、2015年に提出したままとなっている高度プロフェッショナル制度の導入や裁量労働制の拡大を盛り込んだ労働基準法改正案が、一本化されて提出されるという見込みが明らかになり、せめて後者の修正を求めようとして行われたものです。その要請書においては、三者択一とされていた導入要件のうち、「年間104日以上かつ4週間を通じ4日以上の休日確保」を義務化するとともに、選択的措置として勤務間インターバルの確保及び深夜業の回数制限、1か月又は3か月についての健康管理時間の上限設定、2週間連続の休暇の確保、又は疲労の蓄積や心身の状況等をチェックする臨時の健康診断の実施を求めるものでした。

 これが報じられると、連合傘下の産別組織の一部や連合以外の労働団体、さらには労働弁護士などから激しい批判が巻き起こり、同月21日の中央執行委員会でも異論が相次ぎ、執行部は組織内での了解取り付けに失敗したと伝えられました。さらに26,27日に札幌で開いた臨時の中央執行委員会でも同意が得られず、政労使合意を見送る方針を決めたということです。同日付の事務局長談話では「連合は三者構成主義の観点から、本件修正のみの政労使合意を模索したが、この趣旨についての一致点は現時点で見いだせない。よって、政労使合意の締結は見送ることとする。法案の取り扱いについては、労働政策審議会の場で議論を行うこととし、その答申を経て、最終的には国会の審議に委ねられることになる」と述べています。

 政府はその後両法案の一本化を表明し、連合が懸念していた状況が現実のものであることが明らかになりました。今回の動きは、基本的には連合という組織の内部的意思決定プロセスの問題ではありますが、近年の極めて強い政治主導、官邸主導の政治プロセスの中で、じっとしていたのでは排除されてしまいかねない労働側がいかに官邸主導の政治プロセスに入り込んでいくかが試された事例とも言えるでしょう。そして、労働側を政策決定のインサイダーとして扱う三者構成原則がややもすると選択的恣意的に使われる政治状況下にあって、単なる「言うだけ」の抵抗勢力に陥ることなくその意思をできるだけ政治プロセスに反映させていくためにはどのような手段が執られるべきなのかを、まともに労働運動の将来を考える者の心には考えさせた事例でもありました。

 外部から一連のいきさつを見ていて気になったのは、この問題が妙に政治的な-政策という意味での「政治」ではなく、新聞の政治面で取り上げられるような政局という意味での「政治」として-枠組で論じられてしまったきらいがあることです。長く「安倍一強」と呼ばれて強い政治主導による政権運営を誇っていた安倍政権が、森友学園、加計学園といった諸問題によってここ1,2か月のうちに急速に支持率が低下してきたことは、恐らく数カ月前には誰にも予想が付かなかったことだと思われますが、ちょうどその政治局面の変わり目に今回の要請が行われたために、それを安倍政権にすり寄る行為だと決めつける政治的な評論がもっともらしく映ったということもあるのでしょう。ちょうど進められていた連合の次期会長人事の問題と絡められてしまったことも、この問題を労働者にとって何が望ましい政策かという観点から論ずることをやりにくくしてしまったように思われます。

 内容的には、本来三者択一の要件のうち一つ(休日確保)を義務化するのであれば、残りの二つ(休息時間と深夜業、健康管理時間)を二者択一とするのが素直な提案であったはずですが、連合提案では連続休暇や臨時健康診断までもが選択肢として入っていました。これは恐らくあらかじめ経営側とすり合わせをした時に、二者択一では受け入れられないと拒否されたため、やむを得ず緩やかな選択肢を盛り込んだものと推測されます。しかしそのために、原案の三者択一を厳格化したはずであるにもかかわらず、義務化された休日確保と健康診断を選択すればそれ以外に実質的に労働時間を規制する要件はなくなってしまうことになってしまいました。2013年の規制改革会議の意見でも、新適用除外制度とセットで導入すべきものとして休日・休暇の強制取得とともに労働時間の量的上限規制が含まれていたことを考えると、それよりも後退していることになります。

 今後事態がどのように推移しているかは不明ですが、一部マスコミが煽り立てた「残業代ゼロ」などという非本質的な議論ではなく、労働時間規制の本旨に沿った議論が行われることを期待したいと思います。

 

| | コメント (0)

『DIO』347号

Dio3471 連合総研の『DIO』347号は、「労働審判法制定15年」が特集です。

https://www.rengo-soken.or.jp/dio/e279cef108bdf97542de07264f2f5e32756101b8.pdf

労働審判制度の課題と展望 浜村彰……………………4
労働者側代理人からみた労働審判制の意義と課題 徳住堅治…………………9
使用者側代理人から見た労働審判制度の意義と課題 木下潮音 ……………… 13
労働審判員の役割と課題 田村雅宣 ……………… 18

A1aee1592b14d7fde8e4c099a6b7d436_1 労働審判については、私自身が労働局のあっせん、裁判上の和解との比較分析のために実態を調べたことがあるだけに、大変興味深く読みました。

浜村彰さんのこの一節は、まさにそう思います。時間的コストは労働審判はあっせんとあまり変わらないくらい迅速なのに、専門家の利用コストという面では、圧倒的大部分が弁護士を利用せざるを得ないという大きな違いがあります。

 その2つとして、労働審判が簡易な手続を謳っている割に弁護士依頼のコストが高く、それが労働審判事件数の伸びを抑えているのではないか、と思われることである。手続的には代理人弁護士を立てることは義務付けられていないが(労働審判法4条1項)、3回の期日で迅速に処理するという迅速性の原則から代理人として弁護士を立てることが事実上必須となっている。
 しかし、紛争解決の迅速性が労働審判手続の大きなメリットであり、迅速な争点整理と短期集中的審理を行うためには法曹専門家たる代理人弁護士を立てることが必要だとしても、だからといって、それが資力のない労働者にとって法的救済を受けるうえでの大きな障害となってはもともこもない。弁護士依頼のコストが労働審判制度の利用の大きなハードルとなっているとするならば、補佐人の活用など本人申立てに対する支援制度を整えるとともに、弁護士以外の専門家の活用を広く認めるべきである。裁判所は、労働審判法4条1項但書の許可代理制度(これによれば、裁判所は当事者の権利利益の保護及び労働審判手続の円滑な進行のために必要かつ相当と認めるときは、弁護士以外の者を代理人とすることを許可することができる)の活用を広く認め、弁護士以外の社会保険労務士や労働組合の活動家などが代理人として資力のない労働者を支援することを柔軟に認めるべきであろう。

今回の特集では出てきませんが、これまではあっせんの対象であった「いじめ・嫌がらせ」が、現在国会にかかっている法改正案が成立したら、セクハラ等と一緒に調停に移行するということが、個別労働紛争システムにおける大きな変化になる可能性があります。周知の如く、既にいじめ・嫌がらせ件数は解雇件数を大きく上回っており。現在はあっせんということで、両方からささっと聞いてちゃちゃっっと決着(本当にいじめがあったのかどうかも詰めずに)ということでやっていますが、調停ということで、同僚たちも参考人として呼んで確認して、というような手続きをすることになると、そうとうに「重い」仕組みになるかも知れません。

2017年度の数字ですが、セクハラの調停申請が調停申請件数全46件中34件に過ぎないのに対して、いじめ・嫌がらせはあっせん申請件数5021件のうち、1529件に上ります。

 

 

 

 

| | コメント (0)

協同組合つばさ他事件@『ジュリスト』2019年6月号

1369_o もうすぐ刊行される『ジュリスト』2019年6月号に、わたくしが協同組合つばさ他事件について判例評釈を書いております。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/020258

[労働判例研究]

◇定年後同一会社で嘱託再雇用された労働者の均衡処遇――日本ビューホテル事件――東京地判平成30・11・21●峰 隆之……120

◇技能実習生の請負による残業等――協同組合つばさ他事件――水戸地判平成30・11・9●濱口桂一郎……124

ちなみに、労働判例速報は、橋本陽子さんが例のコンビニオーナーの労働者性に関する中労委命令を取り上げているようです。

[労働判例速報]

コンビニオーナーの労組法上の労働者性――セブン‐イレブン・ジャパン不当労働行為再審査事件――中労委命令平成31・3・15●橋本陽子……4

 

 

| | コメント (0)

『毎日が日曜日』@朝日新聞5月22日夕刊

As20190522001782_comm 朝日新聞5月22日夕刊の3面の「時代の栞」というコーナーで、城山三郎の『毎日が日曜日』が取り上げられ、その記事の中でわたくしが定年制の歴史についてちょびっと語っています。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14025580.html

■定年バンザイ、さあどう生きる 

退社時刻の午後5時。勤続35年、57歳で定年を迎えた「ウーさん」は、椅子の上で叫んだ。「ついに、おれは退職だ。バンザーイ!」

「毎日が日曜日」で登場する笹上丑松(うしまつ)のあだ名は「ウーさん」。「ウー」と言うばかりで優柔不断だからだ。

出世レースから外れ、組織で生きるのに疲れ切っている。・・・・

 

| | コメント (0)

労基法67条の「育児時間」は本来「哺乳時間」

のゆたのさんの「ぽんの日記」で、「男は「育児時間」を取ることができない」のはおかしいのじゃないかと言われているのですが、

http://kynari.hatenablog.com/entry/2019/05/22/150921

なぜだか知らないが、男性労働者は「育児時間」を取得することができない。男は育児をしない、というのは時代錯誤な考え方だと思うけれども、改正されないまま残っているということか。
ここでいう「育児時間」とは、労働基準法第67条のことだ。1歳未満の子どもを育てる女性は、1日に2回「育児時間」を請求することができる。

いや、それは若干誤解があるように思います。現在の労基法第6章の2は、(厳密にいうと坑内業務の一部と生理日の就業が著しく困難な女性の休暇は必ずしもそうではありませんが)基本的に妊産婦の保護にかかる規定であって、この現67条(旧66条)も、制定時から母性保護規定であって、女子保護規定ではありません。

この規定は、戦前の工場法の「哺育時間」が中身はそのまま「育児時間」と規定されたもので、「育児」といっても育児・介護休業法でいうところの子育てという意味での「育児」とは別物です。経緯からすればむしろ母乳による「哺乳時間」というべきであったように思われます。労基法制定責任者の寺本広作『労働基準法解説』には、本条の趣旨について次のように書かれています。

 

123

というわけで、この「育児時間」は母乳による「哺乳時間」のことなので、母性保護以外の女子保護規定がほとんど(すべてではないが)なくなっても、なお存続し続けてきているのであり、男性がとるわけにはいかないものなんですね。

 

| | コメント (1)

労働施策総合推進法の数奇な半世紀@『労基旬報』2019年5月25日号

『労基旬報』2019年5月25日号に「労働施策総合推進法の数奇な半世紀」を寄稿しました。

 現在国会で審議中の女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律案の目玉はいうまでもなくパワーハラスメントに対する措置義務の導入ですが、それが盛り込まれている法律は何かご存じでしょうか。セクハラとマタハラは男女雇用機会均等法、育児・介護ハラスメントは育児・介護休業法であるのに対して、パワハラは労働施策総合推進法なのです。これは多くの人にとっていささか意外だったのではないでしょうか。
 そもそもこの法律、正式には「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」といい、法律番号は昭和41年法律第132号です。なんと半世紀以上も昔に作られた法律なのですが、そんな法律知らなかったよという人が多いでしょう。というのも、このやたら長ったらしい名前になったのは昨年の働き方改革推進法によってであって、それまでは雇用対策法というシンプルな名前だったのです。ただ、それにしても、雇用対策法とは一体どういう法律だったのか、きちんと説明できる人はそれほど多くないのではないでしょうか。今回は、パワハラ規制の受け皿になったこの法律がたどってきた数奇な半世紀をたどってみたいと思います。
 雇用対策法が制定されたのは1966年7月。時代の精神はジョブ型真っ盛りでした。私は1950年代後半から1970年代前半までのほぼ20年間を「近代主義の時代」と呼んでいます。たとえば1960年の国民所得倍増計画は、終身雇用制と年功賃金制を解消し、同一労働同一賃金原則に基づき労働力を流動化し、労働組合も産業別化することを展望していました。これを受けた1965年の雇用審議会答申も「近代的労働市場の形成」を掲げ、その中心課題は「職業能力、職種を中心とした労働市場」でした。
 こういう思想状況の中で、雇用に関する基本法を作ろうという意気込みで作られたのが雇用対策法なのです。個々の政策は個別法に規定されるのですが、それらを統括する基本法という位置づけでした。制定時の「国の施策」(第3条)には次のような項目が並んでいました。まさに外部労働市場型の雇用政策のカタログです。

一 各人がその有する能力に適合する職業につくことをあつせんするため、及び産業の必要とする労働力を充足するため、職業指導及び職業紹介の事業を充実すること。
二 各人がその有する能力に適し、かつ、技術の進歩、産業構造の変動等に即応した技能を習得し、これにふさわしい評価を受けることを促進するため、及び産業の必要とする技能労働者を養成確保するため、技能に関する訓練及び検定の事業を充実すること。
三 労働者の雇用の促進とその職業の安定とを図るため、住居を移転して就職する労働者等のための住宅その他労働者の福祉の増進に必要な施設を充実すること。
四 就職が困難な者の就職を容易にし、かつ、労働力の需給の不均衡を是正するため、労働者の職業の転換、地域間の移動、職場への適応等を援助するために必要な措置を充実すること。
五 不安定な雇用状態の是正を図るため、雇用形態の改善等を促進するために必要な施策を充実すること。
六 その他労働者がその有する能力を有効に発揮することができるようにするために必要な施策を充実すること。

 実際には、経済計画の向こうを張って閣議決定される雇用対策基本計画の根拠法であり、政策思想はその雇用対策基本計画に詳しく書かれます。1967年3月に策定された第1次雇用対策基本計画は、上記各項目ごとに詳しく施策内容を記述していました。この雇用対策基本計画はその後、1999年の第9次雇用対策基本計画まで数年おきに策定されました。
 制定時の雇用対策法で目に付くのは、「第五章 職業転換給付金」と、労働移動のための給付金制度にわざわざ1章を充てていることです。その後の日本の雇用政策を象徴する雇用調整助成金ですら、雇用保険法の中のある1条のある1項のある1号でしかないのに比べると、その扱いの破格さは驚くばかりです。この規定は、その後の政策方向の有為転変にもかかわらずほとんど手つかずのまま今日に至っています。
 制定時の実体規定として興味深いのは、雑則におかれた第21条(大量の雇用変動の場合の届出等)です。

(大量の雇用変動の場合の届出等)
第二十一条 事業主は、生産設備の新設又は増設、事業規模の縮小その他の理由による雇用量の変動であつて、労働省令で定める場合に該当するものについては、労働省令で定めるところにより、公共職業安定所長に届け出なければならない。
2 国又は地方公共団体の任命権者(委任を受けて任命権を行なう者を含む。)は、前項に規定する雇用量の変動については、政令で定めるところにより、公共職業安定所長に通知するものとする。
3 第一項の届出又は前項の通知があつたときは、職業安定機関は、相互に連絡を緊密にし、広範囲にわたり、求人又は求職を開拓し、及び職業紹介を行なうこと等の措置により、一定の地域における労働力の需給に著しい不均衡が生じないように離職者の就職の促進又は当該事業における労働力の確保に努めるものとする。

 見てわかるように、これは外部労働市場における円滑な労働力移動を進めるためのものであって、後の時代のような雇用維持を目的とするものではありませんでした。しかし、雇用維持を至上命題とする企業主義の時代(1970年代後半から1990年代前半)においても、この規定は慇懃なる無視状態のまま維持され続けました。
 企業主義の時代には雇用対策法はいかなる意味でも雇用政策の基本理念を謳う法律ではなくなり、雇用対策基本計画の根拠法という以上の意味は失われました。この時代の雇用対策基本計画は、1976年の第3次計画から1992年の第7次計画に至るまで、雇用維持が常に主旋律を奏で続けていたのです。雇用対策法には流動的労働市場を理想とする規定が化石のように残っていましたが、実質的な意味での雇用の基本法は雇用保険法であったと言えます。
 1990年代半ば以降、雇用対策基本計画や雇用助成金においては「失業なき労働移動の促進」という新たな政策理念が打ち出されてきましたが、これが事業主の再就職援助措置という形で雇用対策法上に書き込まれたのは、2001年4月の改正によってです。これにより「事業主は、事業規模若しくは事業活動の縮小又は事業の転換若しくは廃止・・・に伴い離職を余儀なくされる労働者について、当該労働者が行う求職活動に対する援助その他の再就職の援助を行うことにより、その職業の安定を図るように努めなければならない」(第6条)とともに、再就職援助計画の作成義務が規定されました。そして(化石化した職業転換給付金には手を触れず)そのための助成金は雇用保険法に基づく労働移動支援助成金とされました。なお、制定時以来の大量雇用変動届出義務も、この時離職者の発生に限定され、再就職援助措置の一環として位置付けられました。これは新設の基本的理念にも「労働者は、その職業生活の設計が適切に行われ、並びにその設計に即した能力の開発及び向上並びに転職に当たつての円滑な再就職の促進その他の措置が効果的に実施されることにより、職業生活の全期間を通じて、その職業の安定が図られるように配慮されるものとする」(第3条)と、明記されました。
 2001年改正はこのように内部市場政策から外部市場政策への転換点を刻していますが、そのもう一つの現れが年齢差別禁止の努力義務規定です。これが2007年改正では法的な義務規定に発展していきます。

第七条 事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときは、労働者の募集及び採用について、その年齢にかかわりなく均等な機会を与えるように努めなければならない。

 さて、雇用対策法の根幹を揺るがすような改正が2007年に行われました。長らく雇用対策基本計画の根拠法として存在し続けてきたこの法律の主軸が消えてしまったのです。これは向こうを張っていた経済計画が、1999年の「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」を最後に廃止されたことに対応したものです。細かく言うと、法律上では姿を消しましたが、省令で「雇用政策基本方針」を策定することとされています。ただ、格落ちであることは間違いありません。
 この2007年改正は雇用政策のカタログに、女性、若者、障害者、外国人、地域雇用等を追加するとともに、事業主の責務として青少年の雇用確保と外国人の雇用管理措置を規定しました。前者は2015年の青少年雇用促進法に展開していきます。一方外国人に関しては、さらに第6章として「外国人の雇用管理の改善、再就職の促進等の措置」が設けられ、外国人雇用状況の届出義務(第28条)が規定されるなど、これまで枠組みをすべて出入国管理法に牛耳られていた外国人雇用政策について、一定の進出を図っています。

(外国人雇用状況の届出等)
第二十八条 事業主は、新たに外国人を雇い入れた場合又はその雇用する外国人が離職した場合には、厚生労働省令で定めるところにより、その者の氏名、在留資格(出入国管理及び難民認定法第二条の二第一項に規定する在留資格をいう。次項において同じ。)、在留期間(同条第三項に規定する在留期間をいう。)その他厚生労働省令で定める事項について確認し、当該事項を厚生労働大臣に届け出なければならない。
2 前項の規定による届出があつたときは、国は、次に掲げる措置を講ずることにより、当該届出に係る外国人の雇用管理の改善の促進又は再就職の促進に努めるものとする。
一 職業安定機関において、事業主に対して、当該外国人の有する在留資格、知識経験等に応じた適正な雇用管理を行うことについて必要な指導及び助言を行うこと。
二 職業安定機関において、事業主に対して、その求めに応じて、当該外国人に対する再就職の援助を行うことについて必要な指導及び助言を行うこと。
三 職業安定機関において、当該外国人の有する能力、在留資格等に応じて、当該外国人に対する雇用情報の提供並びに求人の開拓及び職業紹介を行うこと。
四 公共職業能力開発施設において必 要な職業訓練を行うこと。

 また上述のように、この改正で募集・採用における年齢差別が原則的に禁止されましたが、現実の日本の労働社会は依然として年齢に基づく人事管理が続いています。

第十条 事業主は、労働者がその有する能力を有効に発揮するために必要であると認められるときとして厚生労働省令で定めるときは、労働者の募集及び採用について、厚生労働省令で定めるところにより、その年齢にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。

 ここまではカタログの項目が増殖したとはいえ、労働市場政策の範囲内の法律でしたが、その性格を一変させたのが2018年の働き方改革推進法による改正です。これにより法律の名称が「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」となりました。この改正により、労働条件政策や労働人権政策に係る項目も大量にカタログに追加され、まさに労働施策総合推進法となりました。そう名乗れないのは、職業転換給付金を始め随時追加されてきた個別政策分野の具体的措置規定も含まれているからです。
 この改正によりまず第3条の基本的理念に第2項として「労働者は、職務の内容及び職務に必要な能力、経験その他の職務遂行上必要な事項・・・の内容が明らかにされ、並びにこれらに即した評価方法により能力等を公正に評価され、当該評価に基づく処遇を受けることその他の適切な処遇を確保するための措置が効果的に実施されることにより、その職業の安定が図られるように配慮されるものとする」と、同一労働同一賃金政策の理念を謳う規定が設けられました。また第4条の施策カタログに、労働時間・賃金処遇に係る第1号と治療と仕事の両立に係る第9条が追加されました。

一 各人が生活との調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就業することを促進するため、労働時間の短縮その他の労働条件の改善、多様な就業形態の普及及び雇用形態又は就業形態の異なる労働者の間の均衡のとれた待遇の確保に関する施策を充実すること。
九 疾病、負傷その他の理由により治療を受ける者の職業の安定を図るため、雇用の継続、離職を余儀なくされる労働者の円滑な再就職の促進その他の治療の状況に応じた就業を促進するために必要な施策を充実すること。

 さらに第6条の事業主の責務にも「事業主は、その雇用する労働者の労働時間の短縮その他の労働条件の改善その他の労働者が生活との調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就業することができる環境の整備に努めなければならない」という規定が加えられ、働き方改革のフラッグシップ法としての性格を誇っています。なお、こうした個別規定には顔を出していませんが、第1条の目的に、さりげなく「労働者の多様な事情に応じた雇用の安定及び職業生活の充実並びに労働生産性の向上」と、生産性向上という文言が入り込んでいる点も注目です。
 こうした改正点とともに、この2018年改正は2007年改正で法律上から消えた雇用対策基本計画を、「労働者がその有する能力を有効に発揮することができるようにするために必要な労働に関する施策の総合的な推進に関する基本的な方針」(基本方針)として法律上に復活させました。何しろ閣議決定される方針ですから、「厚生労働大臣は、必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、基本方針において定められた施策で、関係行政機関の所管に係るものの実施について、必要な要請をすることができる」(第10条の2)のです。
 この基本方針は2019年1月に告示されましたが、そこには長時間労働の是正から過労死の防止、非正規労働者の待遇改善、治療と仕事の両立支援など労働政策のほぼ全分野にわたる施策が羅列されています。その中に、その段階ではまだ法律上に規定が存在しないにもかかわらず「職場のハラスメント対策及び多様性を受け入れる環境整備」という項目が含まれていることが注目されます。なぜなら、これこそが今回の法改正により初めて盛り込まれる規定を受けたものだからです。そこでは「職場におけるハラスメントは、労働者の尊厳や人格を傷つけ、職場環境を悪化させる、あってはならないものである」という宣言も盛り込まれています。
 これをいわば露払いとして、今回の法改正により労働施策総合推進法に第8章として「職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して事業主の講ずべき措置等」が、第30条の2から第30条の8までに盛り込まれました。第4条のカタログにも1号追加されています。

十四 職場における労働者の就業環境を害する言動に起因する問題の解決を促進するために必要な施策を充実すること。

 半世紀前に雇用対策法が制定されたときから考えると、「思えば遠くへ来たもんだ」という感慨がじわじわと湧いてきますが、この半世紀の歴史の中に、日本の労働政策が歩んできた有為転変が刻み込まれているといってもいいのかも知れません。 

 

 

| | コメント (0)

松尾匡編『「反緊縮!」宣言』

898 松尾匡編『「反緊縮!」宣言』(亜紀書房)をおおくりいただきました。ありがとうございます。

https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=898&st=4

世界の政治・経済を動かす新座標軸、「反緊縮」を知らなければ、これからの社会は語れない!

人びとにもっとカネをよこせ!
そう、これは新たなニューディールの宣言だ。


日本の経済・社会を破壊した「緊縮」財政主義を超えて、いまこそ未来への希望を語ろう。

松尾さんをはじめとする薔薇マークキャンペーンの方々によるマニフェストの書ですね。

反緊縮って何だ! ? 松尾匡
おすそ分けのすすめ 池田香代子
なぜ消費税を社会保障財源にしてはいけないのか 森永卓郎
他者を殴る棒 岸政彦
わたしにとっての反緊縮 生活から政治を語る 西郷南海子
政府の借金なくしてデフレ脱却なし 井上智洋
反緊縮経済学の基礎 朴勝俊
リベラル再装塡のために 宮崎哲弥
日本におけるポピュリズムの困難と可能性:「アジア」という視座 梶谷壊
ヨーロッパを救うひとつのニューディール ヤニス・バルファキス
世界中の革新派勢力への呼びかけ プログレッシブ・インターナショナル

この運動については、以前から本ブログでも述べているように、消費税に対する否定的姿勢があまりにも強すぎ、それがかえって財政拡大による再分配や生活向上の妨げになる危険性が高いと思ってきましたし、今でもそう考えています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-02b2.html (バカとアホが喧嘩するとワルが得する)

・・・結論から言うと、社会保障費に充てるために消費税を上げるという触れ込みで始まったはずの政策が、「増税しないと財政破綻」論のバカ軍団と「増税すると経済崩壊」論のアホ軍団の仁義なき戦いのさなかに放り込まれると、「社会保障なんか無駄遣いやからやめてまえ」論という一番あってはならないワル軍団お好みの結論に導かれてしまうからです。

あえて表にすればこういうことになります。

123

おそらく松尾さんたちはこの表の左下の欄、つまり増税反対だけど再分配賛成というところに属しているのでしょう。ところが、その主張がもっぱら増税反対というところに集約され、もっぱら右上の「増税しないと財政破綻」論を仮想敵国として戦っていくと、現在の政治的配置状況の下では、それは右下の社会保障なんか無駄やからやめてまえ論との共闘になり、本来の政策だったはずの「増税して社会保障に」というのは冥王星の彼方に吹き飛ばされてしまいます。
そんなに増税が嫌なら、これくらい面倒見てやろうかという軽減税率の財源にそもそもの目標であったはずの社会保障費があてられるというのが今の姿ですが、この先、米中対決その他の影響で経済情勢波高しということになって「めでたく」(皮肉です)増税が回避されたら、結局得をしたのは社会保障を目の敵にするワル軍団でしたということになりかねません。正直、その可能性は結構高いように思います。そうでなくても、今ではそもそも何のために消費税を上げるという話になったのか、だれも覚えていないという状況ですから、その目論見は達せられたというべきかもしれません。
バカとアホが喧嘩するとワルが得するという教訓噺でした。

いやもちろん、本書で言えば森永さんの章になりますが、薔薇マークの方々は増税自体には反対ではなく、むしろ、法人税率の引き上げとか、富裕層への課税とか、相続税の増税とか、分離課税の廃止とか、より「ソーシャル」な増税のメニューを提示しています。その議論そのものは私は大いに賛成です。しかしながら、政権の座にあってすら実現は極めて困難であろうそういった政策を、そこから極めて遠いところから今口先で転がすだけで、何か事態がいい方向に動くかのごとく論じるならば、それは正直言って自己欺瞞でしかないでしょう。

そういう、ソーシャルな価値基準からしてより望ましい増税策がほとんど実現の見通しがなく、その中で財源が無いからといって弱い立場の人々のための財政支出が削られていく中で、せめてものよりどころになりえたはずの消費税が、かくも「反緊縮」の旗印の下で叩き潰されてしまえば、それに代わる財源など追ってこれる政治力などあるはずもなく、これ幸いとますます緊縮財政に拍車がかかるだけになるでしょうね。この辺、現実の政治状況の中での政治的実現可能性を全く顧慮することなく、「できればいいな」のメニューだけを振り回すことが、かえってかろうじて細々と存在し得ていた改善の道を踏みにじることになるという、まあよくある話の一例なんですが。

という話ばかりではつまらないので、本書の中ではやや異質ですが大変興味深かった一章を。梶谷懐さんの「日本におけるポピュリズムの困難と可能性:「アジア」という視座」です。

ここで補助線として引かれているのは中国です。共産党一党独裁の資本主義経済という中国において、右派と左派が入違っているというのはよく言われることですが、それとポピュリズムとの関係がさらにねじれて、それが日本と欧米社会のねじれとある面で符合しているという、なかなかに複雑な話です。

 

 

| | コメント (1)

関島康雄『改訂チームビルディングの技術』

Bk00000543 同じく讃井さんからお送りいただいたのが関島康雄『改訂チームビルディングの技術』(経団連出版)です。

http://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=543&fl=

みんなを本気にさせるマネジメントの基本18
◆強いチームが仕事をおもしろくする
◆一人ではつくり出せない変化をつくる
◆多様な意見が、新しい切り口をもたらす

企業は製品をどうつくるか(how to make)から、何をつくるか(what to make)に変化してからだいぶたつ。今日では、さらに進んで「どう変えるか」(how to change)が最大の課題となっている。環境条件が激しく変化する時代には、強いものが生き残るのではなく、環境変化に対応できたものが生き残るからだ。

どうやって変化にすばやく適応していくのか、という問いに、リーダーが答えをもっているとは限らない。そもそも、問題が複雑になると、組織の責任者がいつもリーダーとしてふさわしいとは限らず、問題ごと、問題解決のステップごとに違う人をリーダーとしたほうが効率がよい場合も生じる。このような複雑な問題に取り組む際にとられる方法の一つが、チームによる解決である。

しかし、いろいろな専門家を問題解決に向けて努力させ、一定期間のうちに、ひとつの結論を出すのは簡単なことではない。そこでは、「仕事を通して成長する仕掛け」が絶対に必要であり、「勝っても負けても一試合ごとに強くなるチーム」の存在が不可欠である。ここに、チームをつくる力、チームビルディングの技術が求められる。

本書では、「仕事は大変だが、おもしろい」と感じる人がふえ、行動に変化が生まれること、協力して仕事をする組織文化を生み出すこと、失敗からも多くを学び、チームで問題解決に取り組むことをめざす方法を具体的、詳細に解説する。

読んでいて面白かったのは、182ページからの「自分を何の専門家と考えるかが重要」という一節です。技術系の特定分野を専門とする人を前提に、自己認識をより抽象的なレベルに持った方がいいという、ある意味脱ジョブ型な発想を展開しています。

・・・その仕事が自分にとって適職と感じられるほど専門性が高まったとしよう。この時大切になってくるのは、自分を何の専門家と考えるかである。これによって進むべき方向は大きく変わってくる。

例えば自分はパソコンが作りたい、自分はパソコンの設計者であると考えたとしよう。・・・ところがある日、会社ガパソコン事業から撤退すると決定し、設計者はTV事業部門に異動を命じられたとしよう。さて、どうするか、である。

「パソコンが作りたくてこれまで努力してきた。どうしてもパソコンを作る仕事がしたい」と考えるのであれば、パソコンを作っている他社に転職するしかない。その場合、これまでのキャリア、仕事の経歴が助けになるはずである。

しかし自分は、画像処理技術のエンジニアであると思っていたとしよう。画像処理技術を使ってパソコンを作っていると考えている。・・・

自分は、電子技術の専門家で、ハードとソフトの両方の知識が必要な製品の設計が得意だと考えていた人は、TV部門に移って、テレビとパソコンが融合した新製品の開発を夢見るかも知れないし、・・・

このように、自分は何の専門家と考えるか、自分のこれまでの経歴は何であったかというキャリアに対する見方により選択の方向は変わってくる。・・・M&Aが普通のことであるような変化が激しい時代には、パソコンの設計者というよりは画像処理の技術者、さらにはハードとソフト融合製品の開発者といった、より抽象度の高い自己認識を持つ人の方が選択の自由度が高くなり、生き延びやすくなる。・・・

これは確かにそうとも言えますが、その抽象度をさらに上げていって、その会社の進む方向なら何でもみたいになっていくと、そもそも何の専門家でもなくなっていくわけで、ものごとは程度問題という感じもします。そんな抽象的な非専門家になるほど「生き延びやすい」というわけにいかないでしょうし。

 

 

 

| | コメント (0)

高仲幸雄『同一労働同一賃金Q&A』

Bk00000546 経団連出版の讃井さんより、高仲幸雄『同一労働同一賃金Q&A』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/public/book/index.php?mode=show&seq=546&fl=

働き方改革関連法の成立により、同一労働同一賃金に係る法改正が行われました。
企業は、裁判例や「同一労働同一賃金ガイドライン」を踏まえて、非正規社員の待遇の見直しや待遇差に関して適切に説明できるよう対応が求められます。
本書では、改正法令をわかりやすく解説するとともに、各社の制度見直しに必要な情報や実務上の留意点をQ&A形式でまとめました。あわせて、均衡待遇・均等待遇をめぐる判例・裁判例を収集、整理し、問題となった待遇差のポイントを紹介します。

Q&A方式で細かく書かれていますが、そもそもガイドライン自体がいささか意味不明なところもあり、なかなかこうしたら間違いないと言いきれないところがつらいところかも知れません。

後ろ半分ほどが参考資料で、とりわけ有用なのが資料6の「均衡待遇・均等待遇をめぐる判例・裁判例の概要」です。

なにしろ、今年2月の大阪医科薬科大学事件やメトロコマースの高裁判決まで載っています。

 

 

 

 

| | コメント (0)

サラリーマンは、どこから来てどこへ行くのか  変わりゆく”雇用”のかたち@『Lifist』Vol.02

Image もう一つ、読みやすいインタビュー記事として2017年10月にミニコミ誌『Lifist』Vol.02に掲載された「サラリーマンは、どこから来てどこへ行くのか  変わりゆく”雇用”のかたち」というのをお蔵出ししておきましょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/lifist02-6327.html

学校卒業と同時に企業や官公庁に就職し、そのまま定年まで勤め上げる。
日本の典型的な「サラリーマン」のライフスタイルだ。
しかし近年は、不安定な雇用の問題やサラリーマンの働きにくさが指摘されることも多くなってきた。
私たちが当たり前と考えてきた「サラリーマン的働き方」は、これからどうなっていくのだろうか。
独立行政法人 労働政策研究・研修機構 労働政策研究所長 濱口桂一郎さんに聞いた。
 
 
世界でも珍しい、“日本型”の働き方
 
長時間労働やパワハラなどが問題化し、サラリーマンの「生きづらさ」が話題になっています。
 
 こういった問題は単純化されて議論されてしまいがちですが、例えば「長時間労働」という、労働の中の一部の現象を取り出して善悪を論じるとしたら、あまり意味のないことです。雇用制度全体の中で考えてみることが重要です。
 
全体の中で考える、とは。
 
 まず、若者がこれほど就職しやすい国はほかにありません。日本以外の国は、そもそも学校を卒業しても就職口がないのが当たり前。よほど優秀でない限り企業は、仕事の経験も能力もない人間を好んで採用なんてしてくれません。日本には「新卒一括採用」という世界でもほとんど例のない仕組みがあり、「私にはこういう能力があります」と言わなくても、むしろ言わないほうが企業は採用してくれ、入社してから学ぶことができる。そこだけを見ればすごいメリットです。
 でもその裏返しとして、会社にすべてをゆだね命令に従わなければならない。長時間労働もこの一部でしょう。昔から長時間労働はありましたが、新卒採用や定年までの実質的な雇用の保証というメリットとパッケージになっていたから問題にならなかったのです。今はそのパッケージ全体が崩れてきたから問題化してきている。企業は一応正社員として迎えるけれど、ずっと働いてもらうという前提はなく、仕事ができないと言っては次々に人を入れ替える。そうなってくると、これはブラック企業です。でも、長時間労働だけを取り上げて、それはブラック企業だ、いや自分の若いころは徹夜もやっていたぞと議論することはナンセンスなんです。
 
 
日本型の雇用は、メリットが少なくなってきた
 
濱口さんは研究の中で、雇用システムを「ジョブ型」「メンバーシップ型」に分類しています。
 
 職務に対応して労働者を採用するシステムのことを「ジョブ型」と言っています。つまり、あなたにはこの仕事をしてもらいます、それに対していくら払います、ということを契約や協定で決めて雇用する。諸外国の多くのシステムです。対して「メンバーシップ型」は、企業が「職務を遂行する能力がある」と判断した人を「メンバー」として雇用する。これが日本型の雇用システムです。給料は年功制で、職務内容や勤務地は入社後に会社の命令によって決められます。
 
まさに、日本の象徴的なサラリーマンの姿ですね。なぜ日本にこのような雇用システムが出来上がったのでしょうか。
 
 第一次大戦後から、主に日本を牽引する製造業でこういった雇用システムが始まり広がってきました。完全に確立したのは第二次大戦後ですが、労働組合の後押しも大きかった。長く続いてきたということは、労使の両方にとってメリットが多く合理的だったということですね。そのころの典型である、妻が専業主婦という家庭なら、残業をどれだけしてもどこに転勤になっても、会社に従っていれば家族がずっと守られていて幸せでした。
 
今は家族構成も多様になり、夫婦共働きも当たり前になってきました。「日本型雇用システム」の転換期にあるのでしょうか。
 
 さまざまな面からこのシステムの合理性が低くなってきていることは確かですね。ここ数年来の一つひとつ政策の方向性を見ると、政策同士には関連性がないように見えるかもしれませんが、大きく見て「ジョブ型」へ移行しています。長時間労働の規制もその一つですし、職業能力の見える化を進めて労働移動をしやすくしたり、教育分野の中に職業教育的なものをつくっているのもその一環でしょう。
 
緩やかに変革しているということでしょうか。
 
「日本型雇用システムは悪だから叩き潰せ」というような話にするわけにはいきませんから。このシステムで恩恵を受けている人もいればそうでない人もいる。なくなっていくメリットに関しては、それに代替するような仕組みをつくっていかなければ、激変して大変なことになってしまいます。受け皿をつくりながら緩やかに変えていかないといけないのです。
 
「メンバーシップ型」と「ジョブ型」、どちらがよいというわけでもないのですね。
 
 「このシステムは日本にとっていいのか悪いのか」と議論を一律でしてしまうことは危険です。十把一絡げで議論してしまうと必ず何かが見捨てられてしまう。もっと慎重に、丁寧に考えていかなければなりません。「日本型雇用システムは素晴らしい」と言われていた時代だって、恩恵を受けていた人ばかりではなく、それに当てはまらない人はいたのですから。
 
女性は今度こそ活躍するのか
 
女性活躍が叫ばれていますが、なかなかうまくいきません。世界から見ても、日本の男女平等は進んでいないようです。
 
 よく誤解されるのですが、もともと、日本が特別に男性優位的な考え方を持っているわけではないと思います。1960年代頃に雇用システムが出来上がったころから、女性差別的な考え方は世界に同じようにありました。その後、「やはり男女平等にしなければ」という掛け声も世界で同じようにかかってきました。ただ、欧米のジョブ型の働き方は、男女の格差是正がスムーズにいきやすかったのに対し、日本はそうではなかった。男性が無限定に働いて女性が家庭を支えるという日本型雇用システムがうまく社会に合致してしまっていただけに、性別役割分担を変えていきたくてもブレーキがかかってうまく進んでこなかったという面があると思います。
 
1985年には男女雇用機会均等法もできましたが…。
 
 最初の10年間は努力義務時代で、実質は男女が同じように仕事をしていける環境ではありませんでした。多くの企業は、制度上は男女の差をなくして、基幹的な業務にかかわる「総合職」と、補助的な業務をする「一般職」という2つのコースを用意しましたが、実質は総合職が男性、一般職が女性。そこに女性総合職という砂粒をポロポロと落としただけのようなものです。90年代後半から2000年代にかけてようやく、一般職という言葉もなくなってきました。女性も基幹的な仕事をするようになり、仕事の能力に男女差がないことが証明されて、昔のように「女性だから補助的な仕事」という制限もなくなってきました。
 
今の多くの女性は、仕事と家庭の両立に悩んでいますね。
 
 女性が基幹的な仕事をするようになると、それまで男性がやってきたような無限定な働き方では当然やりにくい。仕事の内容そのものよりも、やり方がいま問題化してきているのでしょう。
 
「同一労働同一賃金」のまやかし
 
非正規の仕事しかなく、生活が苦しいという問題もメディアを賑わせています。
 
 非正規は会社のメンバーシップから外れている存在。必要な職務に応じて採用され、それがなくなれば雇止めとなってしまいます。しかし、昔は主婦と学生のアルバイトが中心で家計を担う存在ではないため、問題視されませんでした。今は、家計を担わなければならない人も非正規の枠に押し出されてしまっています。
 
「同一労働同一賃金」が進められていますが、これが導入されれば是正されるのでしょうか。
 
 「同一労働同一賃金」という概念は、「この仕事にいくら出す」という、ヨーロッパのようなジョブ型の雇用社会だから成り立つものです。日本はそもそもそういう雇用システムではないため、根本が違います。それをイメージで議論してしまっていて、結局誰も本質的な議論をしていません。
「非正規だから生活できない」というのは、複合的な問題を抱えています。家計を担わなければならない人が、家計補助を前提とした賃金体系で働かざるを得ず、困窮してしまう。この一つの問題としては、労働に対する賃金の客観的な指標がないこと、もう一つの問題として、仕事をする人には生活をしていけるだけの賃金が払われなければいけないという正義が欠落しているということ。その両方を解決しなければなりません。雇用システムをメンバーシップ型からジョブ型に変えれば解決するという問題ではないのです。ジョブ型の欧米でも、“ジョブ型だから”生活がなりたっているというわけではありません。最低賃金が生活できるレベルになるよう組合で交渉しています。
 
 
中高年サラリーマンがつらい
 
中高年のリストラも話題になりました。
 
 働く人の全体の中ではやはり、中高年が厳しい環境に置かれていますね。90年代以降に成果主義がかなり導入されて、それまでのようなよい処遇が得られなくなってきました。全般的には雇用の安定は守られていますが、昔のように毎年必ず給料が上がっていくわけでもありません。
 日本型雇用システムの中では、社員が若いときは会社の持ち出しですが、その後仕事ができるようになって年功序列の低い立場にいる段階になれば会社にメリットが出てきます。でもある段階以上になると、また逆転して会社の持ち出しになってしまう。そこの部分を成果主義にして、減らそうとしているわけです。
 
子どもの教育費などもかかる時期で、家族を養っている人たちは大変です。
 
 企業行動の変化がいまの教育問題にも影響してしまっています。一世代前は、大学生のアルバイトといえば遊ぶお金を稼ぐためでしたが、今は学費を稼ぐためという理由が主流です。奨学金を前提にしなければ進学できないとか、大学生がブラックバイトで疲弊するといった社会問題は、親世代である中高年の処遇が下がってきたことのインパクトが現れていると言えます。雇用システムが社会に及ぼす影響は大きいのです。
 
いまの若い人も同じ道をたどってしまうのでは。
 
 社員の入り口も育て方もこれまでと一緒では、また同じことになってしまう可能性が高いですね。日本の企業は、明確な未来の青写真がないまま動いているように思います。若者の育て方、動かし方は何十年来の歴史と伝統がありますから、どうしてもそのやり方で動いて行ってしまう。システムを変えてそこを何とかするには、ものすごくコストがかかります。ただでさえ企業間の競争が激しい中でそこにコストをかけていけるかというと、難しいでしょう。
 
メンバーシップに入っていない人々はどこにいる?
 
ところで、メンバーシップ型雇用と関係ない会社や個人事業は、やはり少数派なのでしょうか。
 
 これも大切なことなんですが、日本型システムというように「型」がわざわざついているものは、実は首尾一貫して日本社会のなかでは少数派なんです。影響力の強い大企業分野、かつての製造業とか今はサービス業などが日本型だからそう言われるんですね。中小企業で日本型じゃないところはたくさんあるし、高度経済成長期だって、数からいえば、実は日本型じゃない働き方の方が多かったんじゃないかと思います。
 
日本型雇用のサラリーマンでないと、どうしてもマイノリティに感じてしまいます。
 
 言論の世界に住んでいる人、つまり、こういった問題の議論を担っている人が日本型雇用の世界に住んでいるので、過大代表的になっているのだと思います。マスコミ、役所、裁判官、そしてカウンター・エリート的な立場にいる労働組合もそういうシステムの中にいますから。おそらくどんな時代をとっても、日本的でない働き方の人の方が数的には常にマジョリティだったんだと思いますよ。

 

| | コメント (0)

三種の神器を統べるもの@『Works』87号(2008年04月)

Works 今ごろになってまたも終身雇用がどうたらこうたらという議論が燃え上がっているようですが、特に目新しいネタもほとんどなく、改めて書くだけの意欲も湧かないので、今から11年前にリクルートの『Works』という雑誌のインタビューで喋った内容がほぼ今でもそのまま使えそうなので、お蔵出ししておきます。

ちなみに、この『Works』87号、荻野進介さんが主導して「三種の神器とは何だったのか」という大特集を組み、こういうそうそうたるメンツで日本型雇用システムについて論じています。このうち、私のインタビュー記事は32ページから34ページにかけて載っています。

はじめに 50年後の総括を
荻野進介(本誌)

第1章 鏡・曲玉・剣の本質と生成過程
終身雇用
日本は終身雇用の国ではない/野村正實氏(東北大学大学院経済学研究科教授)
諸説の交通整理/荻野進介(本誌)
終身雇用とは「組織との一体化」である/加護野忠男氏(神戸大学大学院経営学研究科教授)

年功序列
選抜の時期が遅いから年功に見える/小池和男氏(法政大学名誉教授)
諸説の交通整理/荻野進介(本誌)
実務家の眼(1) 日経連『能力主義管理』が目指したもの/山田雄一氏(明治大学名誉教授)
年功システムは敗戦とともに消滅した/楠田 丘氏(社会経済生産性本部 雇用システム研究センター所長)

企業別組合
GHQが企業別組合を促進した/竹前榮治氏(東京経済大学名誉教授)
実務家の眼(2) 企業別の強みを生かしつつ企業外へも目配りを/團野久茂氏(連合 副事務局長)
諸説の交通整理/荻野進介(本誌)
戦後の労働組合は企業内組織である/二村一夫氏(法政大学名誉教授)

第2章 雇用システムとしての三種の神器
三種の神器を統べるもの/濱口桂一郎氏(政策研究大学院大学教授)
雇用システムの日米独比較/宮本光晴氏(専修大学経済学部教授)
メンバーシップを基本に人事を考える/(本誌編集部)
日本企業 持続的成長の条件/川田弓子氏(リクルートマネジメントソリューションズ 組織行動研究所 主任研究員)
コラム 企業とは内部共同体かつ社会の公器である/野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)

ちょうど去る5月1日に新天皇が即位し、三種の神器の継承が行われたところでもあるので、神器つながりで三種の神器の話から始まります。

日本的雇用の根幹に位置するものが三種の神器だ、とよく言われる。しかし考えてみれば、神器とはそれを管理する
天皇がいてこそ、成り立つものだ。鏡や剣だけがあっても、それを統べる人がいなければ神器にはならない。
では、日本的雇用における天皇とは何なのか。それはメンバーシップ契約だ、というのが濱口桂一郎氏の論である。 

 日本型雇用システムの中核にあるのが「三種の神器」であるとよく言われますが、終身雇用、年功制といった“神器”そのものを詳しく見ても、本質はわかりません。問題は、その背後にいる“天皇”は誰か、ということです。私は、労働者と企業との雇用契約が欧米のようなジョブ(職務)に基づく契約ではなくて、メンバーシップ(構成員)契約であるところに、日本の雇用の本質(=天皇)があると考えます。

雇用契約とは労務と報酬の交換契約です。民法にもそう書いてありますが、日本企業の、特に正社員の場合は違います。雇用契約そのものに具体的な職務は定められておらず、その都度、書き込まれる空白の石版(blank slate)なのであり、そこから、雇用=会社という組織の構成員になること、という日本独特のシステムが導かれます。それを象徴的に表わしているのが「内定」です。雇用契約はあるものの、労務の提供も報酬の支払いもない状態ですが、他のどの国にもない制度です。

労働とは労務と報酬の交換である、と決めたのは古代ローマ法です。そこでは賃貸借と請負と雇用は、同じラテン語で「locatio conductio」といいます。これは中国でも同様で、賃という字で表わします。広範な市場が存在した古代文明の世界で一般的な言葉といえるでしょう。

世界には労働契約のもうひとつの考え方がゲルマンにありました。忠勤契約といわれ、主君と家臣の間の契約ですね。実はこれが日本にもありました。奉公です。面白いのは、ゲルマンでも日本でも主君と家臣の間の契約が徐々に民間にも拡大したことです。主君に仕えるのが奉公だったのに、伊勢屋や越後屋といった商家で働く行為も奉公になっていった。日本のメンバーシップ契約の源泉はこの奉公契約にあるのです。

副産物としての三種の神器

「三種の神器」も、雇用がメンバー契約であることから生まれた副産物なのです。まず終身雇用ですが、これは長期雇用と言ったほうがより実態を表わしています。日本企業では雇用契約で職務が決まっていないのですから、ある職務がなくなっても、別の職務で人が足りなければ、その人は異動して雇用を維持することができます。異動の可能性がある限り、解雇が正当化される理由はありません。長期雇用とはメンバーシップの維持を最優先し、解雇をできるだけ避ける行動様式なのです。

 またメンバーシップ契約のもとでは、賃金が職務に応じて支払われるわけではありません。しかし何らかの客観的基準は必要だ、ということで選ばれたのが年功、つまり勤続年数や年齢だったのです。ここから年功賃金制度の存在意義が導き出されます。

もし職務に応じて労働条件が決まる日本以外の社会だったら、労働者と使用者の交渉も職務ごとに行うのが理屈にあっています。同じ職務につく限り、企業によって条件が同じであるのが望ましいので、団体交渉は企業の枠を超え産業別になるでしょう。ところが日本では職務が決まっていないのですから、職務ごとの交渉は不可能です。賃金の決め方も職務ではなく年功ですから、企業の枠を超えて交渉しても意味がありません。よって、組合は企業別であるのが合理的になるのです。

日本の労働組合の最大の特徴はホワイトカラーとブルーカラーが同じ組合に入っていることです。これもメンバーシップ制の所産でしょう。賃金制度の面でもそうで、どちらも月給制です。しかも、ホワイトカラーも残業代が時給換算で出ますから、正確に言えば時給制に基づく月給制です。アメリカの場合は、ブルーカラーは時給制で週単位の支払い、ホワイトカラーは残業代がなく、純粋な月給制。そういう意味で、日本においてアメリカのブルーカラーと同じ待遇なのが非正規の世界です。

 ここまでお話するとお分かりかと思いますが、日本の場合、正社員はメンバーシップ契約ですが、非正規社員は欧米型のジョブ契約です。三種の神器が通用する世界と通用しない世界があるんです。

戦時中に確立したメンバーシップ雇用

こういう日本独特の契約の世界はいつ生まれたのでしょうか。そもそも明治時代の日本は非常に流動性の高い社会で、メンバーシップ契約は、ごく一部を除いて存在しませんでした。当然、いくつかの段階を経て生じてきたわけですが、ひとつ目のステップは第一次大戦の直後でした。当時、激しい労働争議がいくつも起こり、それに対応するため、大企業が学校を卒業したばかりの優秀な若者を雇い入れ、手塩にかけて子飼いの職工として養成することにしたのです。賃金は年功的で、不満があれば社内に設けた工場委員会で解決するから、外の組合なんかに入るな、転職もするな、とやったわけです。これがメンバーシップの原型ですが、対象はごく限られた人たちでした。

 ふたつ目は戦時中です。厚生省の労働局主導で、従業員雇入制限令(1939年)、従業員移動防止令(1940年)、労務調整令(1942年)などを制定して労働者の移動を防止し、企業も勝手な採用や退職、あるいは解雇をさせないようにしました。

また賃金統制令(1939年および1940年)で、初任給や定期昇給の額を細かく決め、最終的には地域別、業種別、男女別、年齢階層別に細かいマトリックスを作って指導したのです。それは皇国の産業戦士の生活を保障するという名目の年功賃金でした。さらに産業報告会という労使懇談会も企業ごとに作らせた。このように、戦時中、メンバーシップ型の仕組みが国家主導で大きく拡大したのです。

 ところが敗戦となって、アメリカ軍がやってきました。どう考えても、別のシステムに置き換わるはずですが、そうはならなかったのです。GHQにできた労働諮問委員会の委員や世界労連の代表らが異口同音に「年功賃金はおかしいから、やめて職務給にしなさい」と言ったんですが、政府はともかく、当時の組合代表がうんと言わなかった。「賃金とは生活を支える原資だ。だから、労働者の年齢と、扶養家族の数に基づいて決めるのが正しい」と主張し、できたのが電産型賃金体系だったのです。

この電産の初代書記長が、後に民社党の委員長にもなった佐々木良作という人で、戦時中は電力会社の人事にいました。つまり、長期雇用や年功制、労使協議システムなど、戦時中に国家主導で作られたメンバーシップ体制を先導した人が、敗戦を境に、今度は組合という立場から同じ路線を推し進めたのです。

大勢が捏ねて作った日本型雇用システム

 終戦直後は、労働組合が経営者に代わって生産活動を行い、生産業務を自主的に管理する、いわゆる生産管理闘争が頻繁におこり、労働条件だけでなく、人事や経理、さらに経営全般にわたって労使協議の対象とする経営協議会といった組織も雨後の筍のように生まれた。組合の力が非常に強く、経営側が押されていた時期でした。

経営側が主導権を取り戻そうと巻き返しを図ったのが1950年代です。この時期、トヨタ、東芝、日産など、大企業を中心に大規模な解雇反対闘争が起きており、その多くは企業側が勝っています。その結果、それまでの組合のリーダーが軒並み追い出され、今度は会社と協調路線を取る組合が生まれた。いわゆる第二組合で、労働運動の主導権が穏健派に移行しました。

彼らと経営者の間で、過激な組合指導者は別として、一般の労働者に対しては手厚い手当てを支給したうえで退職してもらうという合意が成り立ち、争議は終息に向かいます。これ以後、労働力の削減が必要な時も、企業は一方的な解雇は行わない、希望退職を募るのが原則となりました。裁判所も判例の積み重ねによって、これを認め、法的なレベルでも長期雇用がシステムとして確立されたのです。

こうやって最終的に成立した日本型雇用システムは、戦前期の経営側の意図、戦時期の官僚の理想、終戦直後の労働側の要求、その後の経営側の軌道修正など、さまざまな要素が有機的に組み合わさった精妙なシステムであり、さながら「織田が搗き羽柴が捏ねし天下餅、座して食らふは家康か」というざれ歌を髣髴とさせ、簡単に捨て去ることはできないと見るべきです。

非正規社員と女性社員の問題

ではこのシステムのまま、これからもずっと行くのでしょうか。メンバーシップに入った人と入れない人がいることはお話しました。全員がメンバーだったら、あまりに非効率です。非メンバーの人たちは、経営のフレキシビリティを担保しているクッション人材なわけです。

1950年代当時、臨時工と呼ばれた人がいました。今でいう非正規労働者です。本工と同じ仕事をするけれど、いつ解雇されるかはわからず、組合にも入れてもらえない人たちでした。「これは差別だ、みんな本工にすべきだ」という議論もあったのですが、企業もクッションがなくなると困るので、なかなか実現しませんでした。

この問題を解決した要因が3つありました。ひとつは高度成長です。圧倒的な人手不足が起こり、臨時工募集では誰も来なくなって、本工がどんどん増えていったのです。もうひとつは主婦パートです。好景気も手伝って、主婦が働きに出たわけですね。さらに進学率が高まる中で、学生アルバイトという存在が出てきた。主婦は家庭、学生は学校というメンバーシップの一員ですから、彼らは企業におけるメンバーシップの埒外に置かれても何ら問題ない人たちでした。まさに需要と供給が一致したわけです。

 ところが90年代以降のデフレ不況の過程で、本来ならばメンバーシップの一員になるべき人が、なれなくなってきた。フリーターや就職氷河期世代ですね。高度成長期の臨時工と同じ存在ですから、この人たちを救うには正社員に組み込めばすむのがてっとり早い解決法です。ところが1950年代はそれでよかったのですが、もうひとつの問題が出てきたのです。従来のシステムは男女の間で社会的役割を分けることで成り立っていたのですが、社会が成熟し、男は会社、女は家庭を守ればいい、という風には行かなくなったのです。実は先ほど意識的に取り上げなかったのですが、かつても女性の正社員という人たちがいました。彼女たちは短期のメンバーシップ契約だったのです。20代半ばで結婚退職するのが普通で、そうでない人は男性に比べた昇進差別や賃金差別が容赦なく行われた。つまり、日本企業の雇用体系は、長期メンバーシップ型で三種の神器があてはまる男性正社員、短期型で部分的にあてはまる女性正社員、全然あてはまらない、ジョブ型の非正規社員という3要素で成り立っていたのですね。それが具合が悪くなってきたのが今です。

メンバーシップに濃淡をつけよ

これからどうすればいいのか、というと、華々しい解決策があるわけではありません。欧米型の職務給に移行というのはかなり難しい。メンバーシップ型雇用にはさまざまな利点があるからです。労働者側からすれば、長期的な雇用が保証されていれば生活設計が楽になって安心感が高まる。企業側も、メンバーシップ制をとっているがゆえに、突発的な事態が起こっても柔軟に対応してくれる労働者がいるから安心できる。

といっても、今までのように、メンバーシップの人とそれがまったくない人とを完全に分けてやっていくのは難しいと思います。それに対する解決法は、転勤なしの正社員とか、メンバーシップの度合いを変えた人をいくつか作るしかない。今までの正社員モデルは、社員は会社にだけ大きなメンバーシップがあって、それ以外にはなかった。家庭へのメンバーシップがゼロの人は「会社人間」と呼ばれました。さすがにそれでは無理です。男性も地域や自社以外の企業社会でも、いろいろなメンバーシップをもつべき時代です。ゼロか百かのメンバーシップではなく、その間で濃淡をつけていかざるを得ないでしょう。

 

| | コメント (0)

教員の多忙化問題@『法学セミナー』6月号

08044 主として学生向けの法律雑誌である『法学セミナー』6月号が、何を思ってか「教員の多忙化問題ーー働き方改革のゆくえ」という特集を組んでいます。

https://www.nippyo.co.jp/shop/magazines/latest/2.html

教職員の『多忙化』をめぐる法的問題 ーー給特法の法構造問題を中心に……高橋 哲

[座談会]教職員の多忙化問題ーー法学と教育学から考える……石井拓児、内田 良、高橋 哲、堀口悟郎

中教審『答申』をどう読むか……萬井隆令 ーー「労働」の意義の分析を欠く、“底の抜けた樽”

『ジュリスト』や『法律時報』でもやっていないのに、『法学セミナー』でこの問題を取り上げた決断にまずは敬意を表したいですね。

この問題、原則の労働基準法を地方公務員法がねじれさせているのを、さらに給特法がねじれさせているという複雑な構造をしているんですが、高橋さんの論考も、内田さんらの座談会も、そのわけわかめになりそうな構造を見事に解説しています。

この問題については、わたしも今年2月に『労基旬報』でちょびっと論じてみたのですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/2019225-de99.html (「公立学校教師の労働時間規制」@『労基旬報』2019年2月25日号)

この中でも、労使対等原則に基づく規定は片っ端から否定しているくせになぜか労働基準法第36条は適用除外されていないということは指摘をしています。

そして、いわゆる超勤4項目に該当しない(「自発的」ということになっているけれども、実際にはやらざるを得ない)時間外業務については、読み替えの読み替えによる第33条第3項ではなくて、原則に戻って第36条による労使協定が必要になるはずというのは、法律を厳密に読めばそうなると思います。ただ、給特法によって読み替えられた地方公務員法によって第37条は丸ごと適用除外されてしまっているので、厳密には36協定を締結しなければならないけれども、それによる時間外勤務に残業代を払う必要はないということになるように思われます。

この点、萬井さんの論文では、

・・・給特法に関して言えば、37条の適用除外は、限定4項目に係る超勤を想定したもので、通常業務に係る36協定による超勤まで含むものではない。・・・

という(憲法27条から降りてくる)解釈をしているのですが、これはやはり読み替えられた明文の実定法規定に反していると思います。残念ながら、給特法の条文上、4項目以外に現実に労働基準法上の明らかな時間外労働があった場合については確かに法律の穴が開いていて(だから「自発的」というインチキを言い募らなければならなくなる)、法律上適用除外されていない第36条を使わないとその穴がふさがらないのですが、37条の適用除外は(たまたま同じ法改正で導入されたとはいえ)法文上その4項目に限定する形で規定されていないので、36協定による4項目以外の時間外労働でも、37条の適用はないとしか言いようがないでしょう。そこは「法律が欠けつしている場合」ですらないように思います。

 

| | コメント (0)

労働時間毎日把握義務@EU司法裁判所

EU司法裁判所が去る5月14日に、労働時間指令と労働安全衛生指令の解釈として、使用者は実労働時間を毎日把握しなければならない義務があるという判決を下したようです。

判決文自体はこちら:

http://curia.europa.eu/juris/document/document.jsf;jsessionid=D6C917E0219967825FA962C56FAE7624?text=&docid=214043&pageIndex=0&doclang=en&mode=lst&dir=&occ=first&part=1&cid=4097884

新聞発表資料はこちらです。

https://curia.europa.eu/jcms/upload/docs/application/pdf/2019-05/cp190061en.pdf

これ、原告はスペインの労働組合のCCOO、被告はドイツ銀行。

スペインの労働法では、使用者は毎日の実労働時間を毎日把握する必要はなく、月単位で時間外労働時間を把握すればよいとされているのですが、それはEU指令に違反すると。

Articles 3, 5 and 6 of Directive 2003/88/EC of the European Parliament and of the Council of 4 November 2003 concerning certain aspects of the organisation of working time, read in the light of Article 31(2) of the Charter of Fundamental Rights of the European Union, and Article 4(1), Article 11(3) and Article 16(3) of Council Directive 89/391/EEC of 12 June 1989 on the introduction of measures to encourage improvements in the safety and health of workers at work, must be interpreted as precluding a law of a Member State that, according to the interpretation given to it in national case-law, does not require employers to set up a system enabling the duration of time worked each day by each worker to be measured.

EU労働時間指令第3,5,6条と労働安全衛生指令第4条第1項、第11条第3項、第16条第3項は、国内判例法による解釈に従い使用者に各労働者が毎日労働した時間の長さを測定することを可能にする仕組みを設けることを要求しない加盟国の法律を排除すると解釈されなければならない。

判決文に引用されたスペイン法の条文(の英訳)を見ると、正確には使用者は毎日の労働時間を把握しなければならないけれども、労働者にはい単位で時間外労働の時間数だけ伝えればよいということのようですが、とにかく毎日何時間労働したかが確定しないまま1か月が過ぎるという状況のようです。

で、それはEU指令違反だと。EU法は労働者の安全衛生を目的として、1日単位の休息時間、1週単位の休日と最長労働時間を定めているので、それが守られているかどうかを1か月単位ではだめだということですね。日本では労働時間と言えば残業代と見込む人が多いですが、残業代の話では全然ありませんので、その点は誤解なきよう。

 

 

 

| | コメント (0)

日本労働法学会誌132号『労働法と知的財産法の交錯』

Isbn9784589040145 日本労働法学会誌132号『労働法と知的財産法の交錯』が届きました。昨年10月に早稲田大学で開かれた大会の記録が主です。

https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-04014-5

改めて、ワークショップでも個別報告でもフランスの労働法改革が取り上げられていますね。

さて、巻末に今年の大会の案内が載っています。

10月19日,20日に立命館大学で、と書いてありますが、さて、この立命館大学というのはどこの立命館なのかさっぱりわかりませんね。滋賀県の草津なのか大阪の茨木なのか、京都の衣笠ではなさそうですが。

大シンポは「労働契約における規範形成の在り方と展望」ですが、昨年から始まったワークショップが7本並んでいます。

その中の「労働法学は労働法の歴史から何を学ぶか?」(提案者:石田眞)というワークショップでは、わたくしと石井保雄さんが報告をする予定です。

 

| | コメント (0)

«70歳までの就業機会確保@未来投資会議