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2025年11月16日 (日)

遠藤公嗣「ILO100号条約第3条第3項の不審な政府公定訳(1967年)と劣化する解釈」(『労働法律旬報』2091号)への政策過程論的コメント

Rojun2091670059 『労働法律旬報』2091号に、遠藤公嗣さんの「ILO100号条約第3条第3項の不審な政府公定訳(1967年)と劣化する解釈」というたいへん長い論文が載っています。

https://www.junposha.com/book/b670059.html

その趣旨は、ILO100号条約が批准される間際に、それまでのまともな邦訳が、意味不明の悪訳に差し替えられ、そのためにその後の労働法学者は全く間違った解釈を繰り広げてきている、というもので、浜田富士郎、浅倉むつ子、木村愛子といった研究者に対する舌鋒は極めて激烈ですが、それは研究者同士の論戦としては当然とも言えます。

ただ、前半部で、邦訳改悪の下手人として当時の高橋展子婦人少年局長を名指しして批判しているところについては、当時の婦人少年局の置かれていた状況についての認識が薄いのではないかという感想を持ちました。

目次
一 課題
二 労働省による和訳作業
 1 三つのILO公式報告書の和訳
 2 一〇〇号条約の労働省仮訳
 3 一〇〇号条約の労働省定訳とその普及
 4 一〇〇号条約の批准案件と政府公定訳
三 第三条第三項の政府公定訳
 1 悪訳への改変:
   労働省定訳との比較考察
 2 政府公定訳でなく労働省定訳を国会答弁で引用する労働省幹部
 3 労働省幹部の国会答弁における第三条第三項の回避
 4 高橋展子と早川崇の国会審議外における「宣言」見解
 5 経緯の仮説
四 第三条第三項の解釈史⑴:労働省定訳のもとでの過去
 1 四つの文献
 2 石松亮二﹇一九六八﹈による高橋展子﹇一九六七a﹈の批判
五 第三条第三項の解釈史⑵:
  政府公定訳のもとでの現在
 1 浜田富士郎﹇一九八八﹈の五つの誤り
 2 浜田富士郎﹇一九八八﹈の時代背景
 3 浅倉むつ子﹇二〇〇四﹈への三つの疑問
 4 木村愛子﹇二〇一一﹈の荒唐無稽
六 結語

これは本論文にも書かれていることですが、この1967年という時点でILO100号条約が急に批准されることになったのは、外部からの圧力、すなわちILOから国際人権年に併せてILO条約を批准するように求められて、国内法を改正する必要がないからという理由で、この条約が選ばれたという経緯があります。労働省婦人少年局が、男女平等のためにぜひ批准してくれと言い出したわけではありません。

しかし、国内法を改正する必要がないからというのは、正確には正しくありません。これも本論文に書かれていますし、拙著でも繰り返し書いてきたことですが、労基法第4条は、労務法制審議会に出された原案では「男女同一価値労働同一賃金」であったのが、労働側の西尾末広委員の「労働の価値によつて賃金を払ふといふよりは、その労働者の家族が多ければその家族に手当を与へる、いはゆる生活賃金、生活をし得る程度の賃金を与へるといふ考へ方と、男女同一価値労働に対する同一賃金といふ観念とには矛盾がある」という批判を受けて、吉武労政局長から「まあ女だからといつて当分低くしてはいかんぞ、といふくらゐに解釈して貰はなければならんか」と答え、これを受けて「同一価値労働」が削除されて、現行のただの「男女同一賃金」になったという経緯があります。

もちろん、1947年に労基法ができた時には、ILO100号条約はまだできていないので、この「同一価値労働」の中身は厳密な意味でILO100号条約と同一であるわけではありませんが、とはいえ、そもそも職務給を否定して生活給を認めるために修文された規定なのですから、その規定があるからILO100号条約が批准できるというのは、かなりインチキな議論であったことは確かです。

率直に言えば、ILOの人権関係条約はどれもこれも難しい問題がてんこ盛りで、簡単に国内法を改正できるような代物はほとんどない中で、例外的に婦人少年局が所管している労基法第4条だけが関わる100号条約は、ILOへの「おみやげ」に差し出すにはちょうど手ごろなものだと、官房国際労働課を中心とした労働省幹部たちは考えたのでしょう。

それまで細々と勉強を続けてきたこの条約を、瓢箪から駒で急に批准することになったからよろしくといわれた婦人少年局はどう思ったか。もちろん、厳密には労基法第4条では不十分であり、せめてそれを「男女同一価値労働同一賃金」に改正しなければ、条約と不整合が生じます。なにしろ、「男女同一賃金」とは「まあ女だからといつて当分低くしてはいかんぞ」という程度の規範なのですから。

とはいえ、ほかの条約は法改正が必要だから難しいので、それなしでちゃちゃっと批准できる100号条約にしようというのに、やはり法改正が必要だから無理です、なんて婦人少年局が言えるかといえば、そんなこと言えるわけはありません。当時の婦人少年局は、労基法のごく一部を所管するだけで、自前の法律一本もなく、毎回のようにその存在意義に疑義を呈され続けていた弱小部局で、せっかく飛び込んできたILO条約批准の機会を自分から蹴飛ばすなんてことは不可能です。

とないえ、100号条約を批准してしまうと、そこに書かれていることをちゃんとやっているのかと問われることになります。労基法第4条があるから大丈夫という理屈で批准しても、国内法の労基法第4条は上記の通りであって、同一価値労働なんて発想はそもそも削除されていて、いまさら法改正もなしに急にでっち上げられるわけにもいきません。

つまり、婦人少年局は、批准せざるを得ないILO100号条約と改正できない労基法第4条の矛盾を引き受けなければならないのです。それが当時、高橋展子婦人少年局長が置かれていた立場だったのです。

本論文で、高橋展子局長がこの条約は宣言に過ぎないと強調していたことが批判的に引用されていますが、いやそれは、そう言わなければ、100号条約の細かな規定の一つ一つがいちいち労基法第4条との関係でどうなのかとギリギリ詰められては、とてももたないから、もたないことが予測できたから、わざとそういう細かな議論に陥ることのないように、宣言に過ぎないと言っていたのでしょう。

この経緯を見てくると、なんだか労働省の官房と他局がぐるになって、弱小の婦人少年局をいじめているようにも見えます。立場上批准を拒むことはできないし、法改正を打ち出すこともできないという足元を見透かして、「ほれほれ条約を批准できるぞ」と恩に着せながら、矛盾はお前の局で始末しろ、といわんばかりです。

もうひとつ、これはおそらく遠藤さんは気づいていないのではないかと思いますが、ちょうどこの時期、佐藤内閣の一省庁一局削減という行革の嵐が労働省にも押し寄せ、どの局を廃止するかで大揉めに揉めていたのです。率直に業務量でみれば、男女均等法や育児介護休業法等々ができる以前の婦人少年局というのは、普及啓発活動が主で、実体的な権利義務に関わる行政機能は極めて乏しく、20年にわたって繰り返し廃止論が唱えられ続けてきたのを、婦人団体などの外部の応援団や、その象徴的意義から辛うじて維持してきていたのですが、ここにきて再度婦人少年局廃止論がクローズアップされてきました、結局紆余曲折の末、新設されたばかりの安全衛生局をもとの安全衛生部に戻すということで決着したのですが、この時期の婦人少年局の行動を考えるうえで、この状況は念頭に置かれる必要があります。

遠藤さんの筆致にかかると、この高橋展子婦人少年局長というのは誠実性に欠けたいい加減な役人であったかのように見えますが、彼女がそのように行動せざるを得なかった状況も踏まえて見ていく必要があるのではないかと、感想を抱いた次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『管理職の戦後史』発売開始

Asahi2_20251116090901 木曜から土曜まで、ソウルで北東アジア労働フォーラムに出席し、昨晩ようやく帰ってきましたが、その間に拙著『管理職の戦後史』が書店の店頭に並び、すでに読まれて感想を書かれた方も出てきています。

そのうちyamachanさんは、

帰宅すればhamachan先生の「管理職の戦後史」が届いているのだが、ひと足先に書店でパラ読み。 ワイが十数年前に書いたレポートで引用した金融業の管理監督者通達に関するあれこれや、大昔の労働法学者松岡三郎も出てくるっぽいな。

そういえば、yamachanさんは2013年度の法政大学公共政策大学院で雇用労働政策研究の授業に出ていたのですね。実はその時のyamachanさんの期末レポート「労働行政からみる労基法上の管理監督者〜通達を中心に〜」がパソコンのハードディスクの奥にあったので、読み返してみたら、想像していた以上に今回拙著とターゲットが重なっていたんですね。

ちなみに、これが分かる人はかなりの「通」です。

hamachan先生は、情け容赦なく、M氏の素性を新著でバラしてましたwww

 

 

2025年11月15日 (土)

『外国人労働政策 霞が関の権限争いと日本型雇用慣行が招いた混迷の30年史』(中央公論新社)

Chukogaikoku

◆労働省vs法務省の権限闘争と、
特殊な日本型雇用システムにあった!
労働政策研究の第一人者が解き明かす、驚きの真実

「開国論」vs「鎖国論」という知識人たちの浅薄な議論の陰で
起きていたこととは……

日本は外国人労働者に極めて差別的、技能実習制度は「現代版奴隷制度」など、国内外から批判されてき日本の外国人労働政策。80年代には、「開国論」対「鎖国論」が論壇を賑わせたが、日本の制度が歪んだのは、排外主義的な政治家や狭量な国民のせいとは言い難い。本当の原因は、霞が関の権限争いと、日本型雇用慣行の特殊性にあった。労働政策研究の第一人者で、元労働省職員でもあった濱口桂一郎が、驚きの史実を解き明かす。

 

2025年11月12日 (水)

そんな本は書いてない!が続々

書いた覚えのない本が続々と出てくるんですが、一体何が起っているんですか?

ケアテック(介護ロボット)と在宅利用者の心理

ロボットが動作を助ける瞬間に、
「人の存在」が感じられるように設計されること。
それこそが、人と機械のあいだに“倫理”という温度を保つ条件なのでなないだろうか。

ほとんど私の書いてきた領域と重ならないような話が続いた挙げ句、「参考文献・引用元(考察の裏づけ)」として、こんな著者のこんな本が明記されているんですが、

  • 濱口桂一郎(2022)『ケアの倫理と労働の未来』岩波新書

いやいやいやいや、わてはそんな本出しておまへんがな。どこでどう混線して、こんなでっち上げが生み出されたのか不明ですが、かくしてネット上には私の著書と称する実在しない本が積み重ねられていくことになるようです。

 

2025年11月11日 (火)

EU最低賃金指令はOK@EU司法裁判所

今年1月に法務官がEU最低賃金指令は条約違反で無効だという意見を発表して大騒ぎになっていたことについては、その時に本ブログで紹介しており、

EU最低賃金指令は条約違反で無効@欧州司法裁法務官意見

その後『労基旬報』にやや詳しい解説を書きましたが、

EU最低賃金指令は条約違反で無効!?@『労基旬報』2025年2月25日号

その行方を関係者がかたずをのんで見守って10か月経って、ようやくEU司法裁判所の判決が出されたようです

なぜかまだ裁判所のHPにはアップされていないのですが、欧州委員会のHPに、最低賃金指令の有効性を認めた判決を喜ぶ旨の記事が載っています。

Commission welcomes the judgment of the EU Court largely confirming the validity of the Directive on adequate minimum wages

In its judgment, the EU Court of Justice dismissed the request to annul in its entirety the Directive on adequate minimum wages. The Court confirmed the validity of the provisions of the directive relating to collective bargaing on wage-setting.

その判決において、EU司法裁判所は十分な最低賃金に関する指令を全面的に無効とすることを求める請求を棄却した。裁判所は賃金決定に関する団体交渉に関する指令の規定の有効性を確認した。

そのうち裁判所のHPに判決文がアップされると思いますので、詳細はその上で。

 

 

 

 

 

2025年11月10日 (月)

そんな本は書いてないし、そんなことは言ってない

最近、ネット上のあちこちで、「そんな本は書いてないし、そんなことは言ってない」現象が頻発しているようです。AIの嘘こき(ハルシネーションというユーフェミズムが頻用されますが)のせいなんでしょうが、嘘こかれた方はたまらんですわ。

「【速報】高市早苗総理午前3時勉強会と労働時間規制緩和」といういかにも人目を引くことを狙ったげなタイトルのこの記事の中に、

【速報】高市早苗総理午前3時勉強会と労働時間規制緩和

深掘り: 労働経済学者の濱口桂一郎氏は、著書『日本の雇用と労働』(岩波新書)の中で、労働時間規制の緩和が労働者の権利を侵害し、格差を拡大する可能性を指摘しています。特に、非正規雇用労働者や、交渉力の弱い労働者にとっては、労働時間規制の緩和は、長時間労働や低賃金労働を強いるリスクが高まります。

まず、おいらは労働経済学者じゃねえし、岩波新書から本を2冊出してるけれども、こんなタイトルじゃない。このタイトルにギリギリ近いのは、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)だけれども、これは法政大学の授業用に作ったテキストであって、こんな主張はこれっぽっちもしていない。つまりこのたった3行のなかはことごとく嘘っぱちだらけなんだが、いかにもちゃんと調べてきましたかのような平然たる風情で淡々と書いているものだから、知らん人はコロリと騙されるだろうな。

ちなみに、そのすぐ後ろには、

一方で、経営学者の楠木建氏は、著書『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)の中で・・・

と、中身はともかく、現存する著者の現存する著書を引用して見せてるだけに、たちが悪いわ。

 

 

 

 

「辞令一本」今は昔? 企業vs社員の軌跡 「常識」覆す法令改正も@『毎日新聞』デジタル

9_20251110092101 本日の毎日新聞デジタル版に、「「辞令一本」今は昔? 企業vs社員の軌跡 「常識」覆す法令改正も」という記事がアップされており、その中にわたくしのインタビューも出てきます。

https://mainichi.jp/articles/20251108/k00/00m/020/234000c

 転勤は時に会社と社員による法廷闘争に発展してきた。約40年前に企業側の裁量を幅広く認める判例が示され、現在も「正社員なら転勤して当たり前」という考えは根強いが、そうした「常識」を転換し得る法令改正も近年された。専門家は「働く人の意識の変化に合わせて、社会通念や司法判断も変化していくだろう」とみる。

 日本企業は終身雇用や年功序列の昇給・昇進と引き換えに、社員を「辞令一本でいつでもどこにでも」配置転換させてきた。会社が転勤を命じることができると就業規則に明記している企業も多く、業種によっては内示もなく、1週間前など直前に辞令を言い渡されることもあった。

日本型正社員モデルの中心的存在

 労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎研究所長は「時間、空間、職務が無限定の日本型正社員モデルの中心的存在として、高度経済成長期以降に作られた」と指摘する。・・・

 

 

2025年11月 9日 (日)

「全員が猛烈に働く」文化、脱する道は ワーク・ライフ・バランスの現在地 濱口桂一郎氏に聞く@『朝日新聞』(紙版)

去る10月20日にデジタル版に載ったわたくしのインタビュー記事が、今日の紙版の『朝日新聞』に載っています。第21面の「Reライフ」というページです。

「全員が猛烈に働く」文化、脱する道は ワーク・ライフ・バランスの現在地 濱口桂一郎氏に聞く

「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てます」。自民党総裁選での高市早苗氏の発言に対し、様々な意見が出ました。中には「ワーク・ライフ・バランス」を重視する社会へのいらだちが垣間見える声も。労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎さんに、日本の「ワーク・ライフ・バランス」の現在地について聞きました。(田中聡子)

 ――高市氏の発言をきっかけに「ワーク・ライフ・バランス」に注目が集まりました。

 「ワーク・ライフ・バランス」って、実は変な言葉ですよね。この言葉は「ワーク」と「ライフ」が対立を起こしているというイメージを与えます。

 でも家事や育児が「アンペイドワーク(無償労働)」と言われるように、「ライフ」は「ワーク」でもあります。同時に、「ワーク」とされるものは「職業生活」という「ライフ」でもある。

 ――明確に境界線があるわけではないのですね。

 一般的には、ワークは「マスト(やらねばならない)」の世界、ライフは「ウィル(やりたい)」の世界であると考えられています。でも実際は、家事・育児を誰かが「やらなければならない」ように、仕事も面白さややりがいなど「やりたい」からやるということもあります。

 「ワーク‧ライフ‧バランス」という⾔葉は、複雑な現実を単純化してしまいました。そして「ワーク=マスト」「ライフ=ウィル」と考えるから、ライフのためにマストを制限すると「やるべきことをおろそかにしてライフを満喫している」と⾒られてしまう。・・・・・

 

 

2025年11月 5日 (水)

大庭伸介『歴史の暗に埋もれた朝鮮戦争下の清水港・山猫スト』

Gsrocmramackutq 服部一郎さん(ハンドルネーム:kiryuno)から、大庭伸介『歴史の暗に埋もれた朝鮮戦争下の清水港・山猫スト』(梁山泊出版部)をお送りいただきました。占領下で行われた港湾山猫ストの記録です。エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)のHPに詳しい紹介が載っているので、関心のある方はそちらをご覧下さい。

https://l-library.hatenablog.com/entry/2025/08/25/194558

本書の主題である「朝鮮戦争下の清水港・山猫スト」は、1951年4月末の米軍用物資積載船の出港日に、丸一日清水港の荷役業務が完全にストップした史実であり、「山猫スト」の実施主体は「清水一般自由労働組合」である。そして、その史実の掘り起こしは同労組の浅野書記長へのヒアリングに基づいている。

 

 

 

 

転勤制度のこれまでとこれから@WEB労政時報

WEB労政時報に「転勤制度のこれまでとこれから」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/article/89897

最近、転勤をめぐって議論が盛んになっています。私自身も、2025年7月25日付の『日本経済新聞』経済教室で、「転勤制度を考える」という小論を書いています。ただ、そこでは紙面の関係でごく限られた情報しか書けなかったので、本稿ではかつての裁判例の動向など、今ではあまり記憶されていないことも含めてやや詳しく解説しておきたいと思います。・・・・・

 

2025年11月 4日 (火)

『管理職の戦後史』が届きました!

今月13日発売予定の『管理職の戦後史 栄光と受難の80年』(朝日新書)がわたくしの手元に届きました。

少なくとも外見はよい仕上がりになっていると思います。

あとは、読者の皆さまにどのようにご評価いただけるかです。

Asahi2_20251104164801

はじめに
 
序章 雇用システムと管理職
 1 管理職とは何か
  (1) 職業分類における管理職
  (2) アメリカのO*NETにおける管理職、専門職、事務職
  (3) 日本のjob-tagにおける課長と事務員
 2 日本社会における「管理職」
  (1) 「部長ならできます」
  (2) 戦後経営秩序における管理職
 
第1章 労働組合のリーダーから経営側の尖兵へ
 1 終戦直後の労働運動と管理職
  (1) 管理職がリードした労働運動
  (2) 旧労働組合法における「使用者の利益代表者」
  (3) 1949年改正労働組合法
 2 経営権の確立と職場闘争
  (1) 経営側の尖兵としての「職制」
  (2) 職場闘争の時代
 
第2章 管理監督者と管理職の間
 1 労働基準法の「管理監督者」
  (1) 労働基準法制定以前の状況
  (2) 労働基準法の制定過程
  (3) 管理監督者と深夜業
 2 金融機関管理監督者通達
  (1) 金融機関の管理職昇進事情
  (2) 地銀連の申告闘争
  (3) 1977年金融機関管理監督者通達
  (4) 1988年通達
 
第3章 管理職問題の時代
 1 経営側の管理職論
  (1) 『管理職の職務給』
  (2) 『管理職-活用と処遇-』
  (3) 『新時代の管理職処遇』
 2 学者とメディアの管理職論
  (1) 役職者割合の推移
  (2) 岩田龍子の管理職論
  (3) 週刊誌に見る「管理職受難」
  (4) 松岡三郎の管理職組合結成論
 
第4章 管理職組合の挑戦
 1 企業内管理職組合
  (1) 東洋交通管理職組合
  (2) 青森銀行管理職組合
  (3) セメダインCSUフォーラム
 2 管理職ユニオン
  (1) 管理職リストラの時代
  (2) 管理職ユニオンの活動
  (3) 個別労働紛争解決制度における管理職
 
第5章 年俸制と企画業務型裁量労働制
 1 年俸制
  (1) 年俸制の流行
  (2) 年俸制の状況
 2 企画業務型裁量労働制
  (1) 専門業務型裁量労働制の出発
  (2) ホワイトカラーの労働時間制度をめぐる議論
  (3) 裁量労働制をめぐる諸見解
  (4) 裁量労働制研究会
  (5) 企画業務型裁量労働制の創設
  (6) 2003年改正
 
第6章 名ばかり管理職とホワイトカラーエグゼンプション
 1 名ばかり管理職問題
  (1) 日本マクドナルド事件判決と名ばかり管理職問題
  (2) 2008年適正化通達とチェーン店通達
 2 ホワイトカラーエグゼンプション
  (1) ホワイトカラーエグゼンプションを求める声
  (2) 労働時間制度研究会
  (3) 労政審答申
  (4) ホワイトカラーエグゼンプションの蹉跌
 
第7章 女性活躍と高度プロフェッショナル制度
 1 女性管理職の時代
  (1) 戦後経営秩序における女性
  (2) 男女雇用機会均等法
  (3) 労働基準法女子保護規定の指揮命令者
  (4) 女性活躍推進法の管理職
 2 高度プロフェッショナル制度
  (1) ホワイトカラーエグゼンプションの再提起
  (2) 高度プロフェッショナル制度という帰結
 
第8章 管理職はつらいよ
 1 働き方改革の忘れ物
  (1) 時間外・休日労働の上限規制
  (2) 放置された管理監督者
  (3) 管理職のための間接的労働時間規制
  (4) 管理監督者の労働時間規制へ?
 2 パワハラに気をつけろ
  (1) パワーハラスメントの問題化
  (2) 何でもハラスメント時代の管理職
 3 管理職の代表機関を
  (1) 過半数代表者と管理監督者
  (2) 管理職の過半数代表者?
 
おわりに

男性の育児休業給付初回受給者数 18万100人@『労務事情』11月1日号

B20251101 『労務事情』11月1日号に「男性の育児休業給付初回受給者数 18万100人」を寄稿しました。

https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/b20251101.html

1991年に育児休業法が成立したときにはノーワーク・ノーペイの原則で給付はありませんでしたが、1994年の雇用保険法改正により育児休業給付が設けられました。・・・・・

 

2025年10月30日 (木)

シュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』@『労働新聞』書評

61zcff2fuyl_ac_uf10001000_ql80_ 恒例の『労働新聞』書評。今回はシュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』です。

https://www.rodo.co.jp/column/208175/

 202310月、ガザを支配するハマスがイスラエル領内を奇襲し、1,400人を殺害するとともに240人の人質を拉致した後、イスラエル軍はガザ全域に侵攻し、空襲で多くの建物は瓦礫となり、戦闘は未だに続いている。イスラエル政府はますます強硬になり、ヨルダン川西岸も含めパレスチナとの共存はますます遠のいている。

 こういう絶望的な時期にこそ、改めて読み返されるべき大著がイスラエル在住の歴史家シュロモー・サンドによる『ユダヤ人の起源』だ。邦語タイトルは「起源」だが、表紙に書かれた英語タイトルは「The Invention of the Jewish People」である。以前似たようなタイトルの本を紹介したことをご記憶だろうか。本紙24年3月4日号掲載のビル・ヘイトン『「中国」という捏造』だが、その英語タイトルは「The Invention of China」である。つまり、本書は「ユダヤ人という捏造」とも訳せるわけだ。

 彼によれば、現在のユダヤ人の祖先は別の地域でユダヤ教に改宗した人々であり、古代ユダヤ人の子孫は実は現在のパレスチナ人である。そもそも、ユダヤ人は民族や人種ではなく、宗教だけが共通点に過ぎない。第二次世界大戦中に約600万人のユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツが、ユダヤ人は民族や人種であるという誤解を広めたのであり、イスラエル政府が標榜する「ユダヤ人国家」には根拠がないという。シオニズム運動は欧州で迫害された19世紀末に起こり、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、その地から追放されて放浪の民となったという「通説」だったが、彼は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀ユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」と主張する。彼曰く、古代ユダヤ人は大部分追放されず農民として残り、その後キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なっているのだ。

 古代ユダヤで生み出された宗教に改宗した人びとの子孫が、ユダヤ人という人種・民族に属する者として憎まれ、迫害され、虐殺された挙げ句に、その虚構の「血」の論理を自らのアイデンティティとして民族国家を「再建」し、かつてその宗教を生み出した地に永年住み続けて、キリスト教やイスラム教に改宗した人びとの子孫を、異邦人として憎み、迫害し、虐殺するに及ぶ。何という皮肉極まる姿であろうか。殺す側も殺される側も、いずれもユダヤ人であり、いずれもユダヤ人ではないのだ。

 最後の第5章には、もともと人種ではなかったユダヤ人の「種族化」を試みる現代イスラエルで流行のイデオロギーが紹介される。そこでは生物学的、遺伝学的なユダヤ人の「特徴」があれやこれやと「発明」されているのだ。そのロジックを振りかざしてユダヤ人の殲滅を図ったナチス・ドイツによってではなく、それによってほとんど殲滅されかけた人びとの子や孫であるイスラエルのユダヤ人自身によって。

 

 

 

 

2025年10月29日 (水)

欧州労使協議会指令の改正に理事会合意

一昨日、EUの理事会が欧州労使協議会の改正に合意したと発表しました。

https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2025/10/27/strengthening-representation-of-eu-workers-in-multinational-companies-council-greenlights-revision-of-the-european-works-council-directive/

The Council has adopted a revising directive that seeks to make the representation of workers in large multinational companies more effective. This revision will amend the existing directive on European works councils (EWCs) to make the rules clearer, notably as regards how EWCs are set up, their resources and the protection of their members.

欧州労使協議会指令は前史から数えると長い歴史がありますが、1994年に成立し、2009年に改正されていますが、2023年に改正についての労使団体への協議があり、2024年に欧州委員会から指令改正案が提出され、今回ようやく成立に至ったというわけです。

The revising directive clarifies the scope of transnational matters to ensure that decisions substantially affecting workers in more than one member state trigger an obligation to inform and consult an EWC, without this being extended to day-to-day decisions or issues that only affect employees in a trivial way.

The revised rules also ensure that information can only be withheld by the company or treated as confidential if objective criteria are satisfied and for as long as the reasons justifying these limitations persist.

The directive also strengthens provisions on access to justice and (where relevant) administrative proceedings, including by ensuring that the costs of works councils relating to legal representation and participation are covered.

主な改正点は、国際事項の明確化、機密情報の定義、紛争処理手続等です。

Eulabourlaw2022_20251029092301 本指令の過去の経緯については、2022年に刊行した『新・EUの労働法政策』(労働政策研究・研修機構)に詳述してあります。

 

 

 

2025年10月27日 (月)

中村圭介編『連帯社会と労働組合』

668994 中村圭介編『連帯社会と労働組合』(旬報社)をお送りいただきました。本書は、中村さんが法政大学連帯社会インスティテュートで指導してきた組合役員の学生たちが書き上げた修士論文をベースにした論文集です。

https://www.junposha.com/book/b668994.html

序 編集の目的と方針 中村圭介

第Ⅰ部 未組織労働者の組織化

第1章 労働教育の現状と連合寄付講座  北條郁子(情報労連)

第2章 オープンショップにおける組織化 槇一樹(自治労 )

第3章 パートタイム労働者の包摂と発言 宮島佳子(UAゼンセン )

第Ⅱ部 産業別労働組合の機能

第4章 産業別労使協議機構と春闘 平松賢治(基幹労連 )

第5章 格差是正をめざす春闘改革 鈴木崇之(自動車総連)

第6章 中小企業労働組合の指導と支援 大谷直子(JAM )

第Ⅲ部 労働組合の政策参加

第7章 効果的アウトサイダー戦略 星野裕一(連合本部 )

第8章 中央労福協と連合の連帯 久須美千晶(労金協会 )

第9章 連合地方組織の政治参加 柳浦淳史(情報労連)

第Ⅳ部 残された課題と期待 中村圭介

実は、これらの名前を見ると、けっこう懐かしい思い出が広がります。というのは、この各章を執筆している9人のうち5人は、わたしが(連帯社会インスティテュートの隣の)法政大学公共政策大学院で行っていた雇用労働政策研究の講義を受講し、レポートを書いてもらっているからです。

 

2025年10月23日 (木)

管理職の利益代表機関を@『労基旬報』2025年10月25日号

『労基旬報』2025年10月25日号に「管理職の利益代表機関を」を寄稿しました。

 周知のように、労働組合法第2条は、「役員、雇入解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とに直接にてい触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者の参加を許すもの」は労働組合として認められないと規定しており、そのため利益代表者が加入する労働組合は同法による不当労働行為救済制度などの保護を受けられないとされています。この規定ゆえに1960年代から1990年代にかけて企業内管理職組合や企業外の管理職ユニオンの正当性をめぐって議論が闘わされました。1990年代にはセメダインCSUフォーラムという管理職組合に関する労委命令や裁判所の判決をめぐる日本労働法学会の議論は学会誌に残っています。もっとも、東京管理職ユニオンは今日まで集団紛争を装った個別紛争処理システムとして活動を続けていますが、企業内の管理職組合をめぐる話題は近年ほとんど見ることがなくなりました。
 しかしながら、日本の労働法制には労働組合による団体交渉型の集団的労使関係システムと並んで、もう一つの集団的労使関係システム(のできそこないのようなもの)が存在しています。それは、労働基準法にその制定以来規定されている過半数代表者という制度です。労働基準法第36条に基づき時間外・休日労働協定を締結する際に、使用者の相手方となるのは「当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者」とされています。同様の規定は、労働基準法第90条の就業規則の作成・変更についての意見聴取手続にも置かれています。「使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない」のですが、この過半数代表者についても、長らく法律上に規定があるだけで、それを具体化する下級法令は存在しないままでした。
 一方、戦後数十年間に、労働基準法上でも、また他の法令上でも、過半数組合又は過半数代表者との協定や意見聴取を求める規定が多数生み出されていきました。また、この間進行した労働組合組織率の低下のために、過半数組合が存在せず、過半数代表者が当事者とならざるを得ない状況がどんどん拡大していきました。その中で、さすがに何の手当もされていないのは問題ではないかという声が上がり始め、通達や後には省令でその選出方法について一定の制限を加える試みがされるようになりました。
 まず、1971年の通達「労働基準法第36条の時間外・休日労働に関する労使協定制度の運用の適正化とモデル36協定の利用の促進について」(昭和46年9月27日基発第665号)は、「労働関係において使用者的立場にある者が締結当事者となっている場合がある等、その選出方法、代表者性等に問題がある場合がある」と指摘し、「過半数代表者の選出方法については、選挙又はそれに準ずる方法によることが望ましく、また、労働者の代表者としては、法第41条第2号に規定する監督若しくは管理の地位にある者は望ましくない」としています。
 1987年改正により、各種変形労働時間制や専門業務型裁量労働制等過半数代表制の適用範囲が拡大したときには、施行通達「改正労働基準法の施行について」(昭和63年1月1日基発第1号、婦発第1号)で次のように指示しました。

ロ 労使協定の締結の適正手続
 労働者の過半数で組織する労働組合がない事業場における過半数代表者の選任については、次の要件に該当するものであること。
① 過半数代表者の適格性としては、事業場全体の労働時間等の労働条件の計画・管理に関する権限を有するものなど管理監督者ではないこと。
② 過半数代表者の選出方法として、(a)その者が労働者の過半数を代表して労使協定を締結することの適否について判断する機会が当該事業場の労働者に与えられており、すなわち、使用者の指名などその意向に沿って選出するようなものであってはならず、かつ、(b)当該事業場の過半数の労働者がその者を支持していると認められる民主的な手続が採られていること。すなわち、労働者の投票、挙手等の方法により選出されること。

 しかしこれらは国民を拘束する法令ではなく、上級行政庁の下級行政庁への通達に過ぎません。これが官報に掲載されて国民を拘束する法令にまで格上げされたのは、ようやく1998年法改正に伴う省令改正によってでした。

第六条の二 法第十八条第二項、法第二十四条第一項ただし書、法第三十二条の二第一項、法第三十二条の三、法第三十二条の四第一項及び第二項、法第三十二条の五第一項、法第三十四条第二項ただし書、法第三十六条第一項、第三項及び第四項、法第三十八条の二第二項、法第三十八条の三第一項、法第三十九条第第五項及び第六項ただし書並びに法第九十条第一項に規定する労働者の過半数を代表する者(以下この条において「過半数代表者」という。)は、次の各号のいずれにも該当する者とする。
一 法第四十一条第二号に規定する監督又は管理の地位にある者でないこと。
二 法に規定する協定等をする者を選出することを明らかにして実施される投票、挙手等の方法による手続により選出された者であること。
② 前項第一号に該当する者がいない事業場にあつては、法第十八条第二項、法第二十四条第一項ただし書、法第三十九条第五項及び第六項ただし書並びに法第九十条第一項に規定する労働者の過半数を代表する者は、前項第二号に該当する者とする。
③ 使用者は、労働者が過半数代表者であること若しくは過半数代表者になろうとしたこと又は過半数代表者として正当な行為をしたことを理由として不利益な取扱いをしないようにしなければならない。

 このように、労働組合に使用者の利益代表者の参加が許されないように、過半数代表者は管理監督者であってはならないことが明示されたのです。
 しかしながら、自発的結社である労働組合とは異なり、過半数代表者は一の事業場に所属する労働者すべての代表という性格があります。労働組合が締結した労働協約は、(一般的拘束力制度によって拡張適用されない限り)原則として当該労働組合の組合員にしか適用されませんが、過半数組合や過半数代表者が締結した労使協定は、非組合員やその過半数代表者に投票しなかった者も含め、事業場の労働者全員に適用されます。ですので、過半数組合や過半数代表者がその過半数を代表している「労働者」には、当然ながら管理監督者も含まれます。ここのところは、あまりきちんと議論されていない領域なのですが、とりわけ自発的結社としては組合員のみを代表しているはずの労働組合が、過半数組合としては非組合員をも代表して彼らの利害に関わることを決定していることについては、労働法の根幹に関わる問題として、もっと熱心に議論されていいはずです。私はこの点について、『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)の最後のパラグラフで、高年齢者雇用安定法における労使協定による対象者限定条項を引いて、その公正代表義務を論ずべきと述べたことがあります。
 しかしここでは、過半数組合の問題は一応脇に置いておいて、過半数代表者の制度設計について突っ込んで考えてみましょう。上述の通り、管理監督者は過半数代表者の選出において選挙権はあるけれども被選挙権はないという扱いになっています。ただし、労基則第6条の2第2項を見ると、管理監督者が過半数代表者になれる例外的な場合が書かれています。第1項と第2項の条文番号が羅列してあるのを整理してわかりやすく書き下すと、貯蓄金管理、賃金の一部控除、年次有給休暇の計画的取得及び就業規則の意見聴取については、その事業場の労働者が全員管理監督者である場合に限り、管理監督者が過半数代表者になってよいということです。これら以外はそもそも労働時間に関する規定が適用除外されている管理監督者には関係ないから、過半数代表者を選ぶ意味がないということなのでしょう。これらの規定は、全員が管理監督者というわけではない普通の事業場であっても、管理監督者の労働条件に直接関わる規定です。ですから、管理監督者は過半数代表者にはなれなくても、過半数代表を選ぶことはできるわけです。
 しかし逆に考えると、管理監督者独自の利害を代表してくれるような過半数代表は存在しえないということになります。そもそも就業規則は管理監督者についても多くのことを規定しているはずですが、その意見聴取を受ける過半数代表者に管理監督者がなれないということは、その利害が正当に代表されない可能性をもたらします。また、過半数代表システムは今では労働分野の多くの法令で用いられています。その中には、高年齢者雇用安定法に2004年改正から2012年改正までの間存在した定年後継続雇用対象者の選定基準のように、中高年管理職層の利害に大きく関わるようなものも存在しましたし、同法の2020年改正で導入された70歳までの就業確保措置のうち、雇用によらない創業支援等措置に必要な過半数組合又は過半数代表者との合意も、まだ努力義務とはいえ、中高年管理職にとって関心が高いはずです。
 現在の過半数代表者の制度設計にはなおいろいろと検討すべきことがありますが、その中でも管理職独自の過半数代表者を創設する必要があるのではないかという論点はかなり重要なものではないかと思われます。実は、似たような発想は労働者層の中の管理職層とは反対側に位置する非正規労働者層について既に実現しています。パート・有期労働法(短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律)第7条は、パート労働者や有期労働者に係る事項について就業規則を作成・変更する場合は、当該事業所において雇用する短時間労働者/有期雇用労働者の過半数を代表すると認められるものの意見を聴くよう努めることとしています。努力義務ではありますが、非正規労働者独自の利害を代表する必要性が立法上認められていることからすると、同様の必要性が管理職にも認められてしかるべきではないでしょうか。
 ちなみに、ドイツでは集団的労使関係システムが企業外の労働組合と企業内の事業所委員会(ベトリープスラート)に二元化されています。労働組合については管理職についての制限はとくになく、それゆえ管理職組合も存在します。これに対して、事業所委員会については管理職員(ライテンデ・アンゲシュテルテ)が適用除外され、選挙権も被選挙権もありません。その代わりに、1989年に成立した管理職員代表委員会法により、管理職員独自の利益代表機関として管理職員代表委員会が設置されることになっています。日本のアドホックな過半数代表者と、ドイツの常設機関たる事業所委員会では制度としてのレベルが違いますが、管理職独自の利益代表システムが必要という点では、参考になる事例ではないでしょうか。

 

 

2025年10月22日 (水)

労働時間弾力化の雇用システム的根拠

昨日、高市早苗内閣が発足したのと同時に、こういうニュースが流れて、労働界隈に波紋を投げかけたようです。

高市早苗首相、労働時間規制の緩和検討を指示 厚生労働相らに

高市早苗首相は21日、現行の労働時間規制の緩和検討を上野賢一郎厚生労働相らに指示した。新閣僚への指示書に「心身の健康維持と従業者の選択を前提」としつつ「働き方改革を推進するとともに、多様な働き方を踏まえたルール整備を図ることで、安心して働くことができる環境を整備する」と明示した。

2019年に施行した働き方改革関連法は、残業時間の上限を巡り原則として月45時間、最大でも100時間未満、年間では720時間と定める。違反した場合は罰則がある。施行から5年を過ぎた時点で見直すことを定めており、厚労省の審議会で労使の代表による議論が本格化している。今後の見直し論議に影響を与える可能性がある。

7月の参院選で、自民党は公約に「個人の意欲と能力を最大限生かせる社会を実現するため『働きたい改革』を推進する」とうたっていた。

現在労政審労働条件分科会でまさに労働時間規制の在り方が議論されているさなかに外角ギリギリのボールがいきなり投げ込まれてきたようなもので、関係者の皆さんは大変だと思いますが、ここではそういう次元から少し距離を置き、そもそもなぜこういう議論が繰り返しでてくるのかという根っこの問題を、雇用システム論に遡って少し論じておきたいと思います。

284_h1_20251022095701 といっても改めて論じるというわけではなく、1年半ほど前に『季刊労働法』2024年春号(284号)に寄稿した「企画業務型裁量労働制とホワイトカラーエグゼンプションの根拠と問題点」の冒頭部分が、まさにこの「働きたい改革」を訴えてくる社会的基盤を論じているので、それをそのまま引用するだけなのですが。

1 労働時間弾力化の雇用システム的根拠
 
 労働時間弾力化政策については、私はこれまで主として賃金制度との関係で論じてきました。労働基準法の労働時間規制は、管理監督者という労働者の機能に着目して適用除外規定を設けていますが、労働基準法第4章には物理的な労働時間規制とともに第37条の時間外・休日労働の割増賃金という賃金規制も含まれており、この残業代規制の適用除外も物理的労働時間規制の適用除外と同一の範囲とされているために、管理監督機能は有さないが処遇においては管理職と同水準の者に対する賃金規制としては不合理と感じられる結果をもたらしているという問題です。1977年2月28日のいわゆるスタッフ管理職通達(基発第104号)は管理監督者の拡大解釈を行い、これは今日の解釈通達にも受け継がれています。企画業務型裁量労働制やホワイトカラーエグゼンプションについても、私は基本的にこの延長線上で理解し、「現在アメリカのホワイトカラー適用除外制を導入すべきか否かという形で提起されている問題は、実は戦後労働基準法施行規則第19条によって封印された戦前型の純粋月給制を復活すべきか否かという問題に他ならないことがわかります。従って、その是非の決め手も、労働時間規制のあり方如何などというところにあるはずもなく、賃金法政策として、ワークとペイの全面的切り離しをどこまで認めるのかという点にあるはずです」*1と論じてきました。この点については、今日なお相当程度正鵠を得ていると考えています。
 しかしながら、それではこれら制度を導入すべきと論じられる際に決まって持ち出されてくる「裁量的な働き方」とか「自律的な働き方」とか「自由度の高い働き方」といった言葉は、残業代を払いたくないという本音を覆い隠すための空疎な飾り文句に過ぎないのかといえば、必ずしもそうとばかりは言えません。日本の非管理職労働者の働き方それ自体の中に、これらの形容詞が該当するようなある性質が含まれていることも確かだからです。この点については、石田光男の諸業績が明確に描き出しているので、彼の近著『仕事と賃金のルール』*2に基づいて簡単に説明しておきましょう。
 同書は、第Ⅰ部「賃金のルール」で、日本の人基準の賃金と英米の仕事基準の賃金(ジョブ型賃金)を対比させた上で、第Ⅱ部「仕事のルール」では、両者の仕事の進め方の違いを浮き彫りにしていきます。欧米の労働アーキテクチャーは「計画と実行」が分離し、キャリアが階層的に断絶し、経営層における専門職とワーカー層におけるジョブという社会的に合意された職域区分が企業内の階層としてはめ込まれているのに対し、日本ではそうした職域区分がなく、仕事のガバナンスは事業計画の達成に必要なPDCA(Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)の4つのプロセスを繰り返し、業務効率を改善するフレームワーク)が全階層に浸透します。これを図示したのが同書p162の図です。一言で言えば、欧米モデルでは、経営層や専門職だけがPDCAサイクルを回し、一般労働者層は決められたジョブを遂行するだけで自らPDCAサイクルを回したりしないのに対して、日本モデルでは、経営層から一般労働者層に至るまで、それぞれのレベルでPDCAサイクルを回すという点に特徴があります。
 ここで石田が経営管理論的観点から描き出した事態を、私はかつて労働者のキャリアの観点から次のように描写したことがあります*3。筆致は大変異なるとはいえ、描かれている戦後日本雇用社会の姿は同一のものです。
 ビジネススクールやグランゼコールを卒業したエリートの若者は、その資格によって就職した瞬間からエグゼンプトやカードルといわれる高給の管理職であり、労働時間規制が適用除外されます。一方、普通の大学や高校等を卒業した若者はインターンシップ等で苦労してようやく就職しても、ずっとヒラ社員のままであり、管理職の募集に応募して採用されない限り管理職に自動的に昇進するということはありません。つまり、管理職の存在形態がまるで違うのです。日本における管理職をめぐる様々な労働問題の根源は、つまるところここに由来します。
 なぜそうなったのかといえば、戦後日本社会が戦前日本社会と異なり、また戦後欧米社会とも異なり、エリートとノンエリートを入口で区別せず、頑張った者を引き上げるという意味での平等社会を作り上げてき(てしまっ)たからです。男性大卒は将来の幹部候補として採用され、十数年は給料の差もわずかしかつきませんし、管理職になるまで、全ての人に残業代が支払われます。誰もが部長や役員まで出世できるわけでもないのに、多くの人が将来への希望を抱いて、八面六臂に働き、働かされています。欧米ではごく少数のエリートと大多数の普通の人がいるのに対して、日本は普通のエリートもどきしかいません。

Asahishinsho2 この論点をさらに深めて、戦後日本における管理職の存在形態の推移と絡めつつ論じたのが、来月刊行予定の拙著『管理職の戦後史』(朝日新書)ですので、この問題をまじめに根っこから考えてみたい方は是非お買い求めいただければ幸いです。

(追記)

ちなみに、ジョブ型に関わる話は概ねその傾向がありますが、ザイン(である)の話を全てゾルレン(すべし)の話として受け止められてしまう方には、私の議論がこのように聞こえてしまうようですが、

日本の場合、賃労働者であっても裁量が欲しい、もっと働きたい、という層が存在して、そういうのはおかしい、ヨーロッパ並みにジョブ型雇用にすべきだと濱口桂一郎しなんかは昔からブログで主張しておられますが、信奉者以外には響いていいるようには思えません。過労死防止を鮮明にする位しか。。

いや、私はそんなえらそうに「かくかくするべし」と説教しているわけではなく、事実として、たかがヒラ社員如きがマネージャー意識に満ち溢れて猛烈に働くというのは、戦後日本型平等社会の特徴であって、欧米社会では一般的ではありませんよ、と指摘しているだけです。それをどう価値判断するかはもちろん人により様々でしょうが、自分の脳内の価値判断セットを万古普遍のものと思い込まない方がよいという程度のサジェスチョンにはなっているかと思いますが。

それにしても、こうやっていつのまにか、私は「ジョブ型」の「教祖様」に仕立て上げられ、その「信者」とやらがぞろぞろいることにされてしまうわけですな。呵々。

 

 

2025年10月21日 (火)

「ワークライフバランス」は変な言葉? 単純化される、働く人の現実@朝日新聞

本日、朝日新聞のWEB版で、わたくしのインタビュー記事「「ワークライフバランス」は変な言葉? 単純化される、働く人の現実」が掲載されました。インタビュワは田中聡子記者です。

「ワークライフバランス」は変な言葉? 単純化される、働く人の現実

「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てます」。自民党総裁選での高市早苗氏の発言に対し、様々な意見が出ました。中には「ワーク・ライフ・バランス」を重視する社会へのいらだちが垣間見える声も。労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎さんに、日本の「ワーク・ライフ・バランス」の現在地について聞きました。

 ――高市氏の発言をきっかけに「ワーク・ライフ・バランス」に注目が集まりました。

 「ワーク・ライフ・バランス」って、実は変な言葉ですよね。この言葉は「ワーク」と「ライフ」が対立を起こしているというイメージを与えます。

 でもフェミニズムの中で家事や育児が「アンペイドワーク(無償労働)」と言われてきたように、「ライフ」は「ワーク」でもあるわけです。同時に、「ワーク」とされるものは「職業生活」という「ライフ」でもある。どちらも「ワーク」であり、「ライフ」でもあるのです。

 ――明確に境界線があるわけではないのですね。

 一般的に、ワークは「マスト(やらねばならない)」の世界、ライフは「ウィル(やりたい)」の世界であると考えられています。でも実際は、家事・育児を誰かが「やらなければならない」ように、仕事も面白さややりがいなど「やりたい」からやるということもあります。働く人はそれぞれの状況下で、「マスト」と「ウィル」のバランスをどう取るか考えています。 ・・・・・

 

2025年10月20日 (月)

令和7年度労働関係図書優秀賞に吉田航『新卒採用と不平等の社会学』

 41vtgqs3cyl  JILPTが毎年やっている令和7年度労働関係図書優秀賞に吉田航さんの『新卒採用と不平等の社会学』(ミネルヴァ書房)が選ばれました。

https://www.jil.go.jp/award/bn/2025/index.html

版元のミネルヴァ書房のサイトの説明は以下の通りです

https://www.minervashobo.co.jp/book/b657928.html

社会学における不平等研究は、当人が選択できない範囲で財や資源の獲得機会が不均衡に分布する「機会の不平等」を中心的に扱ってきた。本書は、企業の採用行動を「機会の不平等を生成・維持する重要な契機」と位置づけたうえで、大企業による新規大卒者採用を対象に、ジェンダーや学校歴・障害の有無に関する観点も踏まえつつ独自に構築したパネルデータを用いて分析。日本企業に特徴的な雇用慣行が不平等の生成・維持に寄与する、そのメカニズムに迫る。

[ここがポイント]
◎ 「機会の不平等」が生じるメカニズムをより経験的かつ直接的に観測するために、独自の問題設定、パネルデータを用いて分析することで従来の研究に一石を投じる。
◎ 女性登用やダイバーシティ、ワークライフバランスなど、現在議論されている諸問題についても視野を広げて検討する。

なお、受賞の言葉と講評は、『日本労働研究雑誌』12月号誌上に掲載予定です。

最近書いた覚えのない本がやたらに・・・

最近、書いた覚えのない本がやたらに引用されるという経験が増えているのですが、またまた書いた覚えのない本が出てきました。

リベラリズムの寄生構造という不都合な真実

このnoteの中に、連合を批判する文脈でこんな一節が書かれているのですが、

■ 2:労働運動とリベラル政治の堕落
戦後労働運動を主導してきた日本労働組合総連合会(連合)は、設立当初(1989年)こそ「働く者の福祉国家」を掲げた。
しかし21世紀以降、組織維持を優先する官僚化が進み、政策的にも企業寄りの中道路線へと傾斜した。
とくに外国人労働者の受け入れ拡大政策(2018年入管法改正以降)に対して、
連合は表向き「労働者保護」を主張しながら、実際には人手不足対策として容認姿勢を取った。この立場は、「労働者の権利保護」よりも「雇用流動性の維持」を優先する結果を招いた。

労働社会学の分析(濱口桂一郎『日本の労働組合』岩波書店, 2019)でも、連合が「正規雇用中心主義」を温存したまま非正規・外国人労働の問題に踏み込めていない点が指摘されている。

こうして“リベラル労働運動”は、社会正義を掲げながら、実際には労働市場の需給調整装置として体制に組み込まれた。
理念を掲げつつ構造に従属するこの姿は、まさにリベラリズムの寄生的形態である。

いやまあ、この方がこういう考え方を書かれること自体は別にいいのですが、その中に、濱口桂一郎『日本の労働組合』岩波書店, 2019という、全く書いた覚えのない本が「引用」されているので、私はそんな本は書いていないし、別の本の中でもそんなことは書いていないと、これは声を大にして訴えておきたいと思います。こういうのがこんどはAIに拾われて、ネット上の[事実]としてまとめ記事の中に知らない間に入っていたりすると、ますます困ったことになりますからね。

 

 

 

 

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