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2023年12月 6日 (水)

野村駿『夢と生きる バンドマンの社会学』

635068 野村駿『夢と生きる バンドマンの社会学』(岩波書店)をお送りいただきました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b635068.html

人生を賭ける夢に出会えたことの幸福と困難――。いつの時代にも少数派ながら「卒業したら就職する」という、普通とされる生き方を選ばない者がいる。夢は諦めに終わるのか、形を変えて続くのか? 数年にわたる二十代から三十代のバンドマンへの貴重なインタビュー調査をもとに現代の「夢追い」のリアルな実態を描き出す。

第3章が、夢追いと働き方の葛藤を扱っています。

 第3章 フリーターか正社員か――夢追いに伴う働き方の選択
  1 フリーターとして夢を追い始める
  2 なぜフリーターを選択するのか
  3 なぜフリーターであり続けられるのか
  4 そもそもフリーターになるべきなのか――正社員バンドマンの存在
  5 夢を追うためにフリーターになるか、正社員になるか

バンドという一番大事なことをきちんとやろうとすると、正社員ではだめでフリーターでないとやれない。

-フリーターを選んだ理由には、何があるの?

カズマ:正社員だと、絶対中途半端になっちゃうだろうなあって思ったから。

-中途半端って何かができなくなるとか?

カズマ:ライブも多分限られてくる。できる日にちが。みんなの予定も合わせられない。とにかくバンドに制限がたくさんできちゃうから。

これはこの世界では規範化すらされているようです。

リク:それね、本当ね、僕も一時期めっちゃ思ってました。なんか、もうバンドにどんだけ時間割けるか。バンドというものに対して、めちゃくちゃシビアに時間を使っていける。たとえば、バイトとかなら融通が利いちゃうわけじゃないですか。そういう立場であることがめちゃくちゃ大事やって、もうなんとなくそうやって思い続けてきた時期があって。バンドにどんだけ尽力するかみたいな。

なんだか、会社にどれだけ尽力するかみたいな、昭和の会社人間の感覚と、ポジとネガが反転しているだけでよく似ているような気もしないではありません。

いずれにしても、こういう規範を内面化した若者たちに、フリーターを強いられているかわいそうな若者への就労支援政策というのは、そもそもほとんど響かないものであろうことは確かなようです。

 

 

 

 

 

 

2023年12月 5日 (火)

逢見直人さんが『家政婦の歴史』を書評@『改革者』

23hyoushi12gatsu 政策研究フォーラムの『改革者』12月号で、元UAゼンセン会長の逢見直人さんに、拙著『家政婦の歴史』を書評いただいています。

http://www.seiken-forum.jp/publish/top.html

・・・・・著者は、裁判所が、家政婦は家事使用人に当たるので労基法の適用除外と単純に判断したこと自体が間違いであるとして、「家政婦の歴史」をひも解いていく。そこから「家政婦」という職業が労働基準法と職業安定法という二つの労働法の谷間で翻弄された驚くべき事実を知らされることになる。・・・・・

・・・・・家政婦をこの落とし穴から救い出す必要がある。

 

2023年12月 3日 (日)

今年1年間の『労働新聞』書評たち

今年も最後の月になりました。この1年間、『労働新聞』に月1回連載してきた書評も12回分溜まりましたので、例によってまとめておきます。

グレゴワール・シャマユー『統治不能社会』

726d577b64d21123af489672df0965cf 『労働新聞』に月イチで連載している書評コラムですが、今年からまたタイトルが変わり、「書方箋 この本、効キマス」となりました。

その第1回目に私が取り上げたのは、グレゴワール・シャマユー『統治不能社会』(明石書店 )です。

https://www.rodo.co.jp/column/143561/

 半世紀前の1975年に、日米欧三極委員会は『民主主義の統治能力』(サイマル出版会)という報告書を刊行した。ガバナビリティとは統治のしやすさ、裏返せばしにくさ(アンガバナビリティ)が問題だった。何しろ、企業の中では労働者たちがまるでいうことを聞かないし、企業の外からは環境や人権問題の市民運動家たちがこれでもかと責め立ててくる。本書はその前後の70年代に、欧米とりわけアメリカのネオリベラルなイデオローグと企業経営者たちが、どういう手練手管を駆使してこれら攻撃に反撃していったかを、膨大な資料―それもノーベル賞受賞者の著作からビジネス書やノウハウ本まで―を幅広く渉猟し、その詳細を明らかにしてくれる。

 評者の興味を惹いた一部だけ紹介すると、それまでの経営学ではバーリ=ミーンズやバーナムらの経営者支配論が優勢で、だからこそその権力者たる経営者の責任を問い詰める運動が盛んだったのだが、この時期にマイケル・ジェンセン(3340号7面参照)がその認識をひっくり返すエージェンシー理論を提唱し、経営者は株主の下僕に過ぎないことになった。そもそも企業とはさまざまな契約の束に過ぎない。従って、理論的に企業の社会的責任などナンセンスである。一方でこの時期、ビジネス書などで繰り返し説かれたのは、(厳密にはそれと矛盾するはずだが)問題が大きくなる前に先制的に問題解決に当たれという実践論だった。

 本書は今では我われがごく当たり前に使っている概念が、この時期に企業防衛のために造り出されたことを示す。たとえばコスト・ベネフィット分析がそうだ。労災防止や公害防止の規制は、それによって得られる利益と比較考量して、利益の方が大きくなければすべきではないという議論が流行った。本書が引用するアスベスト禁止の是非をめぐるマレー・ワイデンバウム(レーガン政権で経済諮問委員長になった経済学者)とアル・ゴアのやり取りは、それなら人命に値段をつけろと迫られて逃げ回る姿がたいへん面白い。

 思想史的には、70年代以後のネオリベラル主義が戦前ナチスに傾倒したドイツの政治思想家カール・シュミットとその影響を受けたネオリベラル経済学者ハイエクの合体であることを抉り出した点が新鮮だ。73年にチリのアジェンデ政権を打倒して成立したピノチェト軍事政権に対し、当時主流派のポール・サミュエルソンが「ファシスト資本主義」と批判したのに対し、ハイエクは「個人的には、リベラルな独裁制の方が、リベラル主義なき民主政府より好ましいですね」と答えている。いうまでもなくこの「リベラル」とは経済的な制約のなさを示す言葉であり、その反対語「全体主義」とは国家が市民社会に介入すること、具体的には福祉国家や環境規制がその典型だ。そういう悪を潰すためには、独裁者大いに結構というわけだ。

 とはいえ、先進国で用いられた手法はもっとソフトな「ミクロ政治学」だった。正面から思想闘争を挑む代わりに、漸進的に少しずつ「民営化」を進め、気が付けば世の中のあれこれがネオリベラル化している。その戯画像が、野球部の女子マネージャーにドラッカーの『マネジメント』を読ませて喜ぶ現代日本人かもしれない。

エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』

81qdi3i0gul 817cpagxh3l 例によって、『労働新聞』連載の「書方箋 この本、効キマス」に、エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(文藝春秋)を取り上げました。

https://www.rodo.co.jp/column/144730/

 専制主義は古臭く、民主主義は新しい、とみんな思い込んでいるけれども、それは間違いだ。大家族制は古臭く、核家族は新しいとの思い込み、それも間違いだ。実は一番原始的なのが民主主義であり、核家族なのだ。というのが、この上下併せて700ページ近い大著の主張だ。いうまでもなく、新しいから正しいとか、古臭いから間違っているとかの思い込みは捨ててもらわなければならない。これはまずは人類史の壮大な書き換えの試みなのだ。
 トッドといえば、英米の絶対核家族、フランスの平等主義核家族、ドイツや日本の直系家族、ロシアや中国の共同体家族という4類型で近代世界の政治経済をすべて説明して見せた『新ヨーロッパ大全』や『世界の多様性』で有名だが、その空間論を時間論に拡大したのが本書だ。その核心は柳田国男の方言周圏論と同じく、中心地域のものは新しく周辺地域のものは古いという単純なロジックだ。皇帝専制や共産党独裁を生み出したユーラシア中心地域の共同体家族とは、決して古いものではない。その周辺にポツポツ残っているイエや組織の維持を至上命題とする直系家族の方が古いが、それも人類の歴史では後から出てきたものだ。ユーラシアの西の果てのブリテン島に残存した絶対核家族と、それが生み出す素朴な民主主義こそが、人類誕生とともに古い家族と社会の在り方の原型なのである。おそらく圧倒的大部分の人々の常識と真正面からぶつかるこの歴史像を証明するために、トッドは人類史の時空間を片っ端から渉猟する。その腕前はぜひ本書をめくって堪能してほしい。
 その古臭い核家族に由来する素朴で野蛮なアングロサクソン型民主主義がなぜ世界を席巻し、古代オリエント以来の膨大な文明の積み重ねの上に構築された洗練の極みの君主・哲人独裁制を窮地に追い詰めたのか、という謎解きもスリリングだ。英米が先導してきたグローバリゼーションとは、ホモ・サピエンス誕生時の野蛮さをそのまま残してきたがゆえの普遍性であり、魅力なのだという説明は、逆説的だがとても納得感がある。我々がアメリカという国に感じる「とても先進的なはずなのに、たまらなく原始的な匂い」を本書ほど見事に説明してくれた本はない。
 本書はまた、最近の世界情勢のあれやこれやをすべて彼の家族構造論で説明しようというたいへん欲張りな本でもある。父系制直系家族(イエ社会)のドイツや日本、韓国が女性の社会進出の代償として出生率の低下に悩む理由、黒人というよそ者を排除することで成り立っていたアメリカの脆弱な平等主義が差別撤廃という正義で危機に瀕する理由、共産主義という建前が薄れることで女性を排除した父系制大家族原理がますます露骨に出てきた中国といった、その一つだけで新書の一冊ぐらい書けそうなネタがふんだんに盛り込まれている。なかでも興味深いのは、原著が出た2017年にはあまり関心を惹かなかったであろうウクライナの話だ。トッドによれば、ロシアは専制主義を生み出す共同体家族の中核だが、ウクライナはポーランドとともに東欧の核家族社会なのだ。ウクライナ戦争をめぐっては勃発以来の1年間に膨大な解説がなされたが、この説明が一番腑に落ちた。

61pollbop9l 『労働新聞』に毎月寄せている書評、今回はジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター『反逆の神話』(ハヤカワノンフィクション文庫)です。

https://www.rodo.co.jp/column/145984/

 原題は「The Rebel Sell」。これを邦訳副題は「反体制はカネになる」と訳した。ターゲットはカウンターカルチャー。一言でいえば文化左翼で、反官僚、反学校、反科学、極端な環境主義などによって特徴付けられる。もともと左翼は社会派だった。悲惨な労働者の状況を改善するため、法律、政治、経済の各方面で改革をめざした。その主流は穏健な社会民主主義であり、20世紀中葉にかなりの実現を見た。

 ところが資本主義体制の転覆をめざした急進左翼にとって、これは労働者たちの裏切りであった。こいつら消費に溺れる大衆は間違っている! 我われは資本主義のオルタナティブを示さなければならない。そこで提起されるのが文化だ。マルクスに代わってフロイトが変革の偶像となり、心理こそが主戦場となる。その典型として本書が槍玉に挙げるのが、ナオミ・クラインの『ブランドなんかいらない』だ。大衆のブランド志向を痛烈に批判する彼女の鼻持ちならないエリート意識を一つひとつ摘出していく著者らの手際は見事だ。

 だが本書の真骨頂は、そういう反消費主義が生み出した「自分こそは愚かな大衆と違って資本が押しつけてくる画一的な主流文化から自由な左翼なんだ」という自己認識を体現するカウンターカルチャーのあれやこれやが、まさに裏返しのブランド志向として市場で売れる商品を作り出していく姿を描き出しているところだろう。そのねじれの象徴が、ロック歌手カート・コバーンの自殺だ。「パンクロックこそ自由」という己の信念と、チャート1位になる商業的成功との折り合いをつけられなかったゆえの自殺。売れたらオルタナティブでなくなるものを売るという矛盾。

 しかし、カウンターカルチャーの末裔は自殺するほど柔じゃない。むしろ大衆消費財より高価なオルタナ商品を、「意識の高い」オルタナ消費者向けに売りつけることで一層繁栄している。有機食品だの、物々交換だの、自分で服を作るだの、やたらにお金の掛かる「シンプルな生活」は、今や最も成功した消費主義のモデルだろう。日本にも、エコロジーな世田谷自然左翼というブルジョワ趣味の市場が成立しているようだ。

 彼ら文化左翼のバイブルの一つがイヴァン・イリイチの『脱学校の社会』だ。画一的な学校教育、画一的な制服を批判し、自由な教育を唱道したその教えに心酔する教徒は日本にも多い。それがもたらしたのは、経済的格差がストレートに子供たちの教育水準に反映されるネオリベ的自由であったわけだが、文化左翼はそこには無関心だ。

 本書を読んでいくと、過去数十年間に日本で流行った文化的キッチュのあれやこれやが全部アメリカのカウンターカルチャーの模造品だったと分かって哀しくなる。西洋的合理主義を脱却してアジアの神秘に身を浸して自己発見の旅に出るインド趣味のどれもこれも、伝統でも何でもなくアメリカのヒッピーたちの使い古しなのだ。その挙げ句がホメオパシーなど代替医療の蔓延による医療崩壊というのは洒落にならない。

 しかし日本はある面でアメリカの一歩先を行っているのかも知れない。反逆っぽい雰囲気の歌をアイドルに唱わせてミリオンセラーにする、究極の芸能資本主義を生み出したのだから。

Silentmajority

渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』

71ec9d7ekxl 例によって、『労働新聞』に月一で連載している書評ですが、今回は渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)です。

https://www.rodo.co.jp/column/147391/

 戦国時代といえば、幕末と並んでNHK大河ドラマの金城湯池だ。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑をはじめ、武田信玄、上杉謙信など英雄豪傑がこれでもかと活躍し、血湧き肉躍る華麗なる時代というのが一般認識だろう。だが、彼らの活躍の陰では、冷酷無惨な奴隷狩り、奴隷売買が横行していた。時代小説やドラマで形作られた戦国の華々しいイメージを修正するのに、この新書本はとても有効な解毒剤になる。

 戦国時代の戦争は、敵兵の首を取り恩賞をもらうだけが目的ではない。戦場での金目の物の略奪も重要な目的で、その中にはヒトを捕まえて売り飛ばすことも含まれていて、当時「乱取り」といった。『甲陽軍鑑』によれば、川中島の戦いで武田軍は越後国に侵入し、春日山城の近辺に火を放ち、女や子供を略奪して奴隷として甲斐に連れ帰ったという。信濃でも、上野でも、武田軍は行く先々で乱取りを行っている。乱取りは恩賞だけでは不足な将兵にとって貴重な収入源であった。

 上杉軍も負けてはいない。上杉謙信が常陸の小田城を攻撃した時、落城直後の城下はたちまち人身売買の市場になったという。これは、謙信の指示によるものだと当時の資料にはっきり書かれている。城内には、周辺に住んでいた農民たちが安全を確保するために逃げ込んでいたのだが、彼らが一人20銭、30銭で売り飛ばされた。伊達政宗の軍も、島津義久の軍も、みんな乱取りをしていた。

 現在放映されている『どうする家康』では絶対に出てこないだろうが、大坂夏の陣で勝利した徳川軍は女子供を次々に捕まえて凱旋している。「大坂夏の陣図屏風」には、逃げ惑う敗残兵や避難民を徳川軍が略奪・誘拐・首取りする姿が描かれている。将兵は戦いに集中するよりも、ヒトや物の略奪に熱中していた。

 国内で奴隷狩り、奴隷売買が盛んな当時の日本は、彼らを外国に売り飛ばす国でもあった。豊臣秀吉は九州征伐の途上で、ポルトガル商人たちが日本人男女数百人を買い取り、手に鉄の鎖をつけて船底に追い入れている様を見て激怒し、イエズス会のコエリョと口論になったという。コエリョ曰く「日本人が売るから、ポルトガル人が買うのだ」。これがやがて秀吉による伴天連追放令の原因になるのだが、理屈からいえばコエリョが正しい。キリスト教徒を奴隷にすることを禁ずる西洋人にとって、非キリスト教徒が非キリスト教徒を奴隷として売ってくるのを買うのは何ら良心が傷まないことだったのだろう。

 伊東マンショら天正遣欧使節の4人の少年たちは、マカオなど行く先々で売られた日本人奴隷を見て心を痛めていた。千々石ミゲルはこう述べたという。「日本人は欲と金銭への執着が甚だしく、互いに身を売って日本の名に汚名を着せている。ポルトガル人やヨーロッパ人は、そのことを不思議に思っている。そのうえ、われわれが旅行先で奴隷に身を落とした日本人を見ると、道義を一切忘れて、血と言語を同じくする日本人を家畜や駄獣のように安い値で手放している。我が民族に激しい怒りを覚えざるを得なかった」と。

 英雄を称賛する大河ドラマには絶対に出ない戦国日本の恥部が、薄い新書本のここかしこに溢れている。テレビの後にご一読を。

ヘレン・ブラックローズ&ジェームズ・リンゼイ『「社会正義」はいつも正しい』

31grvfxfusl_sx343_bo1204203200_ 例によって『労働新聞』に月一回連載している書評コラム、今回はヘレン・ブラックローズ&ジェームズ・リンゼイ『「社会正義」はいつも正しい』(早川書房)です。

https://www.rodo.co.jp/column/149699/

 近年何かと騒がしいポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の源流から今日の蔓延に至る展開をこの一冊で理解できる。そして、訳者が皮肉って付けたこの邦題が、版元の早川書房の陳謝によって自己実現してしまうという見事なオチまでついた。
 ポリコレの源流は、意外にも正義なんて嘲笑っていたポストモダン(ポモ)な連中だった。日本でも40年くらい前に流行ってましたな。脱構築だの、全ては言説のあわいだとか言って、客観的な真実の追求を嘲弄していた。でもそれは20世紀末には流行らなくなり、それに代わって登場したのが、著者が応用ポストモダニズムと呼ぶ社会正義の諸理論だ。
 たとえばポストコロニアル理論では、植民地支配された側が絶対的正義であり、客観的と称する西洋科学理論は人種差別を正当化するための道具に過ぎない。ポモの文化相対主義が定向進化して生まれたこの非西洋絶対正義理論は、中東アフリカの少女割礼(クリトリス切除)を野蛮な風習と批判する人道主義を帝国主義的言説として糾弾する。
 たとえばクィア理論では、ジェンダーだけではなくセックスも社会的構築物だ。その結果、日本でも最近起こったように、男性器を付けたトランス女性が女湯に入ってくることに素直な恐怖心を表明した橋本愛が、LGBT差別だと猛烈な攻撃を受けて心からの謝罪を表明するに至る。もちろん、ジェンダーは社会的構築物だし、ジェンダー規範の強制が女性たちを抑圧している姿はイランやアフガニスタンに見られるとおりだが、ポモ流相対主義が定向進化すると、それを生物学的なセックスと区別することを拒否するのだ。
 そのジェンダースタディーズも、交叉性フェミニズムという名の被害者ぶり競争に突っ走る。批判的人種理論と絡み合いながら、白人男性は白人男性ゆえに最低であり、客観的なその言説を抑圧すべきであり、黒人女性は黒人女性ゆえに正義であり、どんな主観的な思い込みでも傾聴すべきという(ねじけた)偉さのランキングを構築する。いや黒人女性でも、それに疑問を呈するような不逞の輩は糾弾の対象となるのだ。
 その行き着く先は例えば障害学だ。もちろん、障害者差別はなくさなければならない。しかし、それは障害があるからといって他の能力や個性を否定してはならないということであり、だからこそ合理的配慮が求められるのだ。ところがこのポモ流障害学では、障害がない方がいいという「健常主義」を批判し、障害こそアイデンティティとして慶賀すべきと論ずる。その挙げ句、肥満は健康に悪いから?せた方がいいと助言する医者を肥満に対するヘイトだと糾弾するファットスタディーズなるものまで登場するのだ。もちろん、これは冗談ではない。
 いやほんとに冗談ではないのだ。ポリコレのコードに引っ掛かったら首が飛ぶ。本書にはその実例がてんこ盛りだ。そしてその列の最後尾には、本訳書を出版した早川書房の担当者が、訳者山形浩生の嫌味な解説を同社のサイトに載っけた途端に批判が集中し、あえなく謝罪して削除したという一幕が追加されたわけだ。まことに「社会正義」はいつも正しい。めでたしめでたし(何が)。     

カール・マルクス『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』

61zlf6wghol277x400 毎月一回寄稿している『労働新聞』の書評ですが、今回はマルクスです。とはいえ、一筋縄ではいきませんよ。

https://www.rodo.co.jp/column/150864/

Marx_20230602202801  一昨年から毎月、書籍を紹介してきたが、今回の著者は多分一番有名な人だろう。そう、正真正銘あの髭もじゃのマルクスである。

Stalin  ただし、全50巻を超える浩瀚なマルクス・エンゲルス全集にも収録されていない稀覯論文である。なぜ収録されていないのか? それは、レーニンやとりわけスターリンの逆鱗に触れる中身だからだ。そう、マルクスを崇拝していると称するロシアや中国といった諸国の正体が、まごうことなき東洋的専制主義であることを、その奉じているはずのマルクス本人が、完膚なきまでに暴露した本であるが故に、官許マルクス主義の下では読むことが許されない御禁制の書として秘められていたわけである。

 本書の元論文がイギリスの新聞に連載されたのはクリミア戦争さなかの1856年。そんな19世紀の本が、いま新たに翻訳されて出版されるのは何故かといえば、いうまでもなく、歴史は繰り返しているからだ。今目の前で進行中のウクライナ戦争を理解するうえで最も役に立つのが、19世紀のマルクスの本だというのは何という皮肉であろうか。

Pyotr  マルクス曰く「タタールのくびきは、1237年から1462年まで2世紀以上続いた。くびきは単にその餌食となった人民の魂そのものを踏み潰しただけではなく、これを辱め、萎れさせるものであった」。「モスクワ国家が育まれ、成長したのは、モンゴル奴隷制の恐るべき卑しき学校においてであった。それは、農奴制の技巧の達人になることによってのみ力を集積した。解放された時でさえ、モスクワ国家は、伝統的な奴隷の役割を主人として実行し続けていた。長い時間の末、ようやくピョートル大帝は、モンゴルの奴隷の政治的技巧に、チンギス・ハンの遺言によって遺贈された世界征服というモンゴルの主人の誇り高き野望を結びつけた」。

Putin  ヨーロッパ国家として歩み始めたキエフ国家が滅び、タタールのくびきの下でアジア的な専制主義を注入されたモスクワ国家が膨張し、ロシア帝国を形成していく過程を描き出すマルクスの筆致は、ほとんどロシア憎悪にすら見える。もちろん彼が憎んでいるのはツァーリ専制の体制である。そしてそれがそのまま共産党支配下のスターリン専制に、今日のプーチン専制に直結している。

Xi_20230602203501  しかもその射程はロシアに留まらない。序文を書いているカール・ウィットフォーゲルの主著は『東洋的専制主義』で、彼がマルクスのロシア像の向こう側に透視しているのは皇帝専制の中華帝国であった。本書をいま刊行しようとした石井知章、福本勝清という二人の編訳者はいずれも現代中国研究者であり、天安門事件以来の中国共産党支配と習近平の専制政治を見つめてきた人たちである。

 訳者の一人福本は言う。「今日の世界情勢が告げていることは、専制主義は既に過去のものと考えることはできない、という事実である。…専制国家が世界史の動向を左右する、あるいは専制国家の振る舞いが周辺国家を脅かす、という可能性は今後も消えることはない。…今後、いかに強大な専制国家と対峙していくか、その非専制化への歩みをどのように促すのか、保守革新、左右両翼など従来の枠組みに関わりなく、問われている」。

余計な台詞ですが、マルクスのロシア帝国主義批判の本の書評が載っているメディアの名前が何処かの独裁国家の新聞名とそっくりなのも何かの皮肉でしょうか。

ダニエル・サスキンド『WORLD WITHOUT WORK』

20230302160351722619_85b439f76d138b1e8f7 例によって『労働新聞』7月3日号に、書評(【書方箋 この本、効キマス】)を寄稿しました。今回はダニエル・サスキンドの『WORLD WITHOUT WORK――AI時代の新「大きな政府」論』(みすず書房)です。

https://www.rodo.co.jp/column/152297/

 原題の英文を訳せば「仕事のない世界」となる。「AI(人工知能)で仕事がなくなるからBI(ベーシックインカム)だ」という近頃流行りの議論を展開している一冊だといえばそのとおりなのだが、日本で近年出された類書に比べて、議論のきめが相当に細かく、かつて『日本の論点2010』(文藝春秋)でBIを批判した私にとっても引き込まれるところが多かった。

 前半の3分の2は、AIで仕事が絶対的に減少していくという未来図を描く。労働経済学では、工場労働のような定型的タスクは機械に代替され、専門職や対人サービスのような非定型的タスクは代替されにくいというが、AIの発達により身体能力、認知能力、感情能力も代替されるようになり、専門職的な知的労働こそがタスク侵蝕に曝されるようになった。その結果もたらされるのは大変な不平等社会だ。ではどうする?

 後半の3分の1はサスキンドの処方箋が展開される。まず批判されるのは「人的資本が大事だ、もっと教育訓練を」という現在主流の政策だ。彼はこれを去りゆく「労働の時代」のなごりに過ぎないと批判する。「学び直しても臨むべき仕事の需要そのものが充分にないとしたら、世界トップレベルの教育も無用の長物」だからだ。だから、「正しい対策は、職業や労働市場に頼らない,全く別の方法でゆたかさを分かち合う方法を見つけ」なければならない。

 そこで「大きな政府」によるBIという話になるのだが、彼は無条件のユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)には批判的で、条件付きベーシックインカム(CBI)を主張する。その理由が、かつて私がBIを批判した論点と共通する。それは、誰をBIをもらえるコミュニティ・メンバーとして認めるのかという問題だ。観光ビザで来た外国人にも気前良く給付するというのでない限り、どこかで線引きが必要になる。それは「俺たち仲間のためのBIを奴らよそ者に渡すな」という「血のナショナリズム」を生み出さずにはおかない。労働の時代には仕事で貢献しているというのが移民排斥に対する反論になった。しかし仕事の足りない世界ではそうはいかない。彼がBIに付すべきという条件は労働市場ではなくコミュニティを支えることだ。

 私がかつてBIを批判したもう一つの論拠は「働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりである」ということだった。最終章「生きる意味と生きる目的」で、彼はこの問題を取り上げ、絶妙な処方箋を提示する。CBIの給付条件とは、「有償の仕事をしない人が、経済的な方法ではない形で、自分の時間の少なくとも一部を投じて社会のために貢献すること」である。「労働市場の見えざる手が無価値なものと判定している活動を、目に見えるコミュニティの手ですくい上げ、価値があるもの、大切なものとして掲げ直す」のだ。そうすることで、「CBIの要件を充たして給付金を得ることは、家族のために給料を稼ぐことで感じる充足感とさほど変わらない充足感をもたらす」だろう。これこそが、近年急拡大しているアイデンティティ・ポリティクスへの対抗力になるはずだと彼は言う。これは議論する値打ちのある提言だと思う。

岩井克人『経済学の宇宙』

81p2y7zdzs_ac_uf10001000_ql80_ 例によって月1回の労働新聞書評、今回は岩井克人『経済学の宇宙』です。

https://www.rodo.co.jp/column/153750/

 著者は東京大学経済学部名誉教授であり、日経新聞からこのタイトルで出れば、偉い学者の『私の履歴書』みたいなものと思うのが普通だ。実際、生い立ちからMIT留学までは、貧しいながらも知的な家庭から東大に進学し、米国に留学する立志伝的な話。ところがそこから話がとてつもない方向に逸れていく。新古典派経済学の真っ只中にいながら、市場経済がその根底に不安定さを秘めていることを暴露する不均衡累積過程の理論を構築し、非主流派の道を歩み始める。ちょうどそこへ東大経済学部から声が掛かり、1981年帰国。このとき、評者は法学部生として岩井助教授の「近代経済学」の初講義を聴いたはずだが、中身はまったく記憶にない。

 ここから経済学者の枠を超える岩井の大活躍が始まる。柄谷行人らとの交流のなかから、マルクスの価値形態論の限界を突破し、貨幣商品説と貨幣法制説の双方を超克する貨幣の自己循環論法理論を構築する。その後日本経済論を経て、法人論に取り組むことになる。彼が法人という存在の不思議さに気が付いたのは、プリンストン大学の図書館で戦前の『法律学辞典』の「法人」という項に、末弘厳太郎(「末廣巌太郎」というのは誤り)が「法人とは自然人にあらずして法律上“人”たる取扱いを受くるものを言ふ」と書いているのを見て、驚きのあまり本を落としそうになったときだ。

 私も含めて法学部出身者にとっては、これは民法総則の初めの方で勉強する常識中の常識で、何ら驚くことではない。ところが、学生時代に「法律などという権力の道具にすぎないものを勉強するなんてとんでもない」と思って法律に関する講義は一度も取っていなかった岩井は、ヒトでありながらモノでもある不可思議な存在に驚いた。ヒトは主体としてモノを所有し支配する。モノは客体としてヒトに所有され支配される。奴隷社会や家父長制社会とは異なり、ヒトをモノとして扱ってはいけないのが近代社会のはずだ。だが法人は、モノであるのにヒトとして扱われ、ヒトとして扱われているのにモノでしかない。こんな不思議な存在になぜ今まで気が付かなかったのだろうと。驚いた岩井はそこから法人論や会社法の猛勉強を始め、会社統治の議論に乱入し、流行していた株主主権論を論破する。素直に民法の授業を聞いていた法学部出身者にはできない荒技だ。

 マイケル・ジェンセン(参照記事=【本棚を探索】第5回『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』ニコラス・レマン 著/濱口 桂一郎)のエージェンシー理論によって歪められた会社統治のあるべき姿を探し求めて、岩井は「信任関係」という概念に辿り着く。日本では知られていないこの英米法概念こそ、資本主義社会の中核にある会社という存在を根底で成り立たせている経営者の会社に対する忠実義務であり、「倫理=法」なのだ。その根底にあるのは、トマス・シェリングの「人は自分と契約できない」という原理である。経済学は「私的悪こそ公共善だ」と嘯いて倫理を葬ったはずなのに、会社の中核には倫理が法として存在しているというこの逆説。そして、経営者の会社への信任関係を否定して株主利益に奉仕するエージェンシーに貶めたマイケル・ジェンセンのイデオロギーは、株主に奉仕すると称して「自分と契約」することによってお手盛りで巨額の報酬を得る経営者たちとして実現した。

末弘厳太郎の字が間違っているとわざわざ指摘しているのは、世の中にはこの間違いがけっこう多いから。末弘であって、末廣じゃありません!

ちなみに末弘厳太郎は拙著『家政婦の歴史』にも登場して、暴れ回っています。

トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』

31f57aheptl_20230830211501 例によって月1回の労働新聞書評、今回は トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』(みすず書房)です。

【書方箋 この本、効キマス】第32回 『資本とイデオロギー』 トマ・ピケティ著/濱口 桂一郎

 もう5年以上も前になるが、『21世紀の資本』がベストセラーになって売れっ子だったピケティの論文「Brahmin Left vs Merchant Right」(バラモン左翼対商人右翼)という論文を拙ブログで紹介したことがある。この「バラモン左翼」という言葉はかなり流行したが、右翼のリベラル批判の文脈でしか理解しない人も多く、造語主ピケティの真意と乖離している感もあった。
 原著でも1000ページ、邦訳では1100ページを超える本書は、このバラモン左翼がいかなる背景の下に生み出されてきたのかを人類史的視野で描き出した大著だ。第1章と第2章は中世ヨーロッパの三層社会-聖職者、貴族、平民-を論じ、第3章から第5章はそれが近代の所有権社会に転換していった姿を描く。第6章から第9章は欧州以外の奴隷社会、植民地社会を描くが、特に第8章ではインドのカースト社会を論じる。ここまでで400ページ。いつになったら今日の格差社会の話になるのだとじりじりする人もいるかも知れないが、いやいやこれらが全部伏線になっているのだ。
 20世紀初頭に財産主義に基づく格差社会の極致に達した所有権社会は「大転換」(ポランニー)によって社会民主主義社会に転換する。(ドイツや北欧の)社民党、(フランス等の)社会党、(イギリスの)労働党、(アメリカの)民主党が主導したこの転換は、保守政党によっても受け継がれ、社会は著しく平等化し、1980年代までの高度成長を生み出した。しかし、やがて新たな財産主義のイデオロギーが世を覆うようになっていく。本書では、1950-1980年代と1990-2010年代の間にいかに世界中の国々で格差が拡大していったかという統計データがこれでもかこれでもかと載っている。
 このネオリベ制覇の物語は誰もが知っているが、なぜそんなことが起こったのかについて、本書が提示するのが左翼のバラモン化なのだ。半世紀前には、上記左派政党の支持者は明確に低学歴、低所得層であり、保守政党の支持者は高学歴、高所得層であった。低学歴層に支持された左派政権は教育に力を入れ、高学歴化が進んだ。その結果、学歴と政党支持の関係に大逆転が起こった。左派は高学歴者の党となり、右派が低学歴者の党になったのだ。インテリ政党と化した左翼は、もはや「うるせぇ、理屈はいいから俺たちに金寄こせ」というかつての素朴な叫びからはほど遠く、経済学者や社会学者のこむつかしい屁理屈を振り回す頭でっかちの連中でしかない。その姿を、かつての三層社会の聖職者(インドではバラモン)に重ね焼きして「バラモン左翼」と呼ぶピケティの哀しき皮肉をじっくり味わってもらいたい。
 バラモン左翼に愛想を尽かして社会民主主義政党から離れた低所得層に、「君たちの窮状の原因は移民どもだ」と甘い声をかけるのがネイティビスト(原住民優先、移民排斥の思想で、「自国主義」という訳語は違和感がある)だ。特に、「外国人どもが福祉を貪っているから君たちの生活が苦しいんだ」と煽り立てるソーシャル・ネイティビストが世界中で蔓延っている。ピケティは最後の章で21世紀の参加型社会主義を提起するが、そしてそれは評者の理想と極めて近いものではあるのだが、現実との落差はため息が出るほどだ。 

メアリー・L・グレイ、シッダールタ・スリ『ゴースト・ワーク』

71kv4jf5b0l_sl1500_ 例によって月1回の労働新聞書評、今回は メアリー・L・グレイ、シッダールタ・スリ『ゴースト・ワーク』(晶文社)です。

https://www.rodo.co.jp/column/166499/

 2018年に当時リクルートワークス研究所におられた中村天江(現連合総研主幹研究員)のインタビューを受け、日本ではジョブ型で騒いでいるが、世界ではむしろ安定したジョブが壊れてその都度のタスクベースの労働社会になるのではないかという危惧が論じられていると語ったことがある(https://www.works-i.com/column/policy/detail017.html)。
 2023年になっても状況は変わっていないが、タスク型社会の明暗をそれぞれ強調する翻訳書が出た。(日本支社はジョブ型の売り込みに余念のない)マーサー本社のジェスターサン&ブードロー『仕事の未来×組織の未来』(原題:「ジョブなきワーク」)(ダイヤモンド社)が,伝統的なジョブ型雇用社会の駄目さ加減をこれでもかと徹底批判するのに対し、今回取り上げる『ゴースト・ワーク』は、タスク型労働社会の絶望的なまでの悲惨さを、アメリカとインドの底辺労働者の現実を克明に描き出すことによって訴える。
 「ゴースト・ワーク」とは何か?世間ではAIによって多くの仕事が失われると騒ぐ声が喧しいが、失われるのはまとまった安定的なジョブであって、AIが繰り出す見事な技の背後には膨大な量の隠された人間労働があるのだ。印象的な数字がある。AIをトレーニングするためには膨大な量の画像にラベルを貼る必要がある。最初は学生たちを雇ってやらせたがそれでは作業完了には19年かかる。機械学習でやらせたが間違いが多すぎて使い物にならない。そこで、クラウドワーク大手のアマゾン・メカニカル・タークを使い、167か国4万9千人のワーカーを使って320万の画像に正確にラベル付けできたという。メカニカル・ターク(機械仕掛けのトルコ人)とは、人が中に入っていかにも機械仕掛けのように振る舞うチェス自動(実は手動)機械のことだ。なんと皮肉なことか。
 そう、人間がやってないような顔をしているAIは膨大な人間労働によって支えられているのだ。ただしそれは、一つ一つのタスクを瞬時に世界中で奪い合う苛酷な社会である。彼らは画面上でアルゴリズムに従って作業するだけで、お互いに何のつながりもない。彼らの労働の融通性とは極度の神経集中であり、自主性とは孤独とガイダンスの欠如であり、技術的不具合や善意の努力のせいで不正行為と判断されアカウントを停止され、報酬をもらえないこともしばしばだ。彼らAIを支えるゴースト・ワーカーたちを著者は「機械の中の幽霊」(ゴースト・イン・ザ・マシン)と呼ぶ。アーサー・ケストラーの有名な本のタイトルであるこの言葉が、これほどに似合う人々もいないだろう。
 著者は,2055年までには今日の全世界の雇用の6割が何らかの形のゴーストワークに変わる可能性が高いと警告する。自動化対人間労働というのは偽りの二項対立だ。ジョブという確立した社会安定装置が崩壊し、そのときそのときの見えざる「機械の中の幽霊」労働が世界を覆うだろうと。最後に著者が並べ立てる解決策には、ポータブル評価システム、ゴーストワークのサプライチェーンの責任の所在を明らかにするグッドワークコード、新たな商事改善協会としての労働組合、国民皆保険制度、そして成人労働者全員に被雇用者として基本給を支払う一種のベーシックインカムなどがある。しかし、これで未来は安心だというのはなかなかない。人間の未来は機械の中の幽霊なのだろうか。
ここには書きませんでしたが、著者の一人の名前の「シッダールタ」には、思わず「お、お釈迦さま!」と口走ってしまいました。

栄剣『現代中国の精神史的考察』

61sftprjol277x400 例によって『労働新聞』に月イチで連載の書評ですが、今回は栄剣『現代中国の精神史的考察』(白水社)です。

【書方箋 この本、効キマス】第40回 『現代中国の精神史的考察』栄 剣 著/濱口 桂一郎

 次の台詞はどこの国のどういう勢力が権力掌握前に繰り出していたものか分かるだろうか。

 「民主がなければすべては粉飾だ」、「民主を争うのは全国人民の事柄だ」、「民主主義の鋭利な刀 米国の民主の伝統」、「思想を檻から突破させよ」、「中国は真の普通選挙が必要だ」、「民主が実現しなければ、中国の学生運動は止まらない」、「天賦の人権は侵すことはできない」、「一党独裁は至る所で災いとなる」、「誰が中国を安定させられないのか?専制政府だ!」。

 これは、中国共産党が抗日戦争勝利前後に『解放日報』と『新華日報』に発表した憲政に関する主要な言論を、一切手を加えず原文を再現したものだ。もちろん現在の中国共産党は、こんな恥ずかしい「黒歴史」はひた隠しにしている。

 「民主」を掲げて「共産」を売りつけた後はもっぱら「専制」でやってきた革命の元勲の二世たち(中国でいう「太子党」)の政権にとって、こんな都合の悪いことばかり書かれた本の出版を許すはずはない。本書の原著は、アメリカで出版された中国語の本だ。かつてなら香港辺りで出版されていたのだろうが、今の香港ではもはや不可能なのだろう。著者の栄剣氏は1957年生まれのマルクス主義哲学者。天安門事件で研究を断念し、画廊を経営しながら中国国内で言論活動を展開してきた希有な人だ。その鋭い筆鋒は習近平政権の本質を容赦なく抉り出す。

 初めの4章は習政権成立直前にスキャンダルで倒れた薄熙来の「重慶モデル」を賞賛していた権威主義学者たちの醜態をこれでもかと暴く。革命歌を唱い(「唱紅」)、汚職を摘発(「打黒」)して権力を強化する文革の再来ともいうべき重慶モデルは、薄夫妻のスキャンダルで幕を閉じたが、その本質は同じ太子党の習近平政権に受け継がれていることがよく分かる。

 権力の座を脅かす可能性のある者をことごとく排除してイエスマンで固めた独裁者のアキレス腱は、ずばり後継者問題だと著者は指摘する。独裁者・毛沢東死後の政治危機を経験した鄧小平らが作り上げた任期制(国家主席は10年まで)、隔世決定制(現職の総書記ではなく前任の総書記が次期総書記の人選を行う)、儲君制(皇太子を決めておく)という3原則は、習近平によってことごとく破壊された。

 しかし、そこにこそ破滅の源泉が埋め込まれている。栄剣曰く「憲法改正により長期政権ひいては終身政権に対する法律の妨げが一掃され、反腐敗運動により党内の誰をも戦々恐々とさせる恐怖によるバランス調整を行い、軍隊をがっちりと押さえることにより個人独裁の拠るべき存在としての国家の暴力機械を掌握し、あからさまな個人崇拝により党内で提灯持ちを競っておもねりへつらう皇帝賛美文化を作り上げ、さらに一歩進んでビッグデータなど最先端のITを掌握することにより前例のない政治デジタル全体主義帝国を作り出している。しかし、これらすべては、いずれも党権主義が直面する究極的な権力の難局を有効に解決することができない。それはすなわち、後継者の問題を最終的に解決することができないために、権力の制御システムが遅かれ早かれ崩壊する日が来るのである」と。そろそろ不老不死の妙薬を探しに徐福を蓬莱国に送り出す時期かもしれない。

牛窪恵『恋愛結婚の終焉』

2d9c2dd009c19a459694cd5f3bc32e57246x400 月イチで連載している『労働新聞』の書評、今回は牛窪恵さんの『恋愛結婚の終焉』(光文社新書)です。

【書方箋 この本、効キマス】第44回 『恋愛結婚の終焉』牛窪 恵 著/濱口 桂一郎

 岸田文雄首相が「異次元の少子化対策」を打ち出しても、人口減少の流れは一向に止まらない。結婚した夫婦の子育て支援に精力を注入しても、そもそも若者が結婚したがらない状況をどうしたら良いのか。この袋小路に「恋愛と結婚を切り離せ!」という衝撃的なメッセージを叩き込むのが本書だ。

 でも考えてみたら、なぜこのメッセージがショッキングなのだろう。20世紀半ばまでの日本では、恋愛結婚は少数派で、大部分はお見合いで結婚に至っていたはずなのに。

 そこで著者が元凶として指摘するのが、近代日本に欧米から導入され、戦後開花したロマンティック・ラブ・イデオロギーだ。結婚には恋愛が前提条件として必要だという、恋愛と結婚と出産の聖なる三位一体が、結婚のあるべき姿として確立し、歌謡曲の歌詞や恋愛小説を通じて若者たちの精神を調教してきた。恋愛なき結婚などというのは、薄汚い計算尽くの代物のようにみなされてきた。戦後社会論の観点からすると、このイデオロギーが会社における社員の平等と家庭における主婦の平等を両輪とする戦後型性別役割分業体制の基礎構造をなしてきたのだろう。

 実際、昭和の歌謡曲は、男が「俺についてこい」と歌い、女が「あなたについていくわ」と歌うパターンがやたらに多い。そういうのを褒め称える歌を、みんなが歌っていたわけだ。

 ところが、今日の若者にとって、恋愛はそんなに望ましいものではなくなってきているようだ。恋人がいるという男女が減少しただけでなく、恋人が欲しいという男女も激減しているのだ。にもかかわらず、今日の若者たちは「恋人はいらない」、「恋愛は面倒」と考えながら、いずれ結婚はしたいと思い、そして結婚するなら恋愛結婚でなければならないと思い込んでいる。

 そこで、「恋愛と結婚を切り離せ!」というメッセージになるわけだ。そもそも、恋愛と結婚は一体どころか相反する性格のものなのではないか……と。

 そのあたりの感覚を、20歳代半ばの2人の女性の言葉が見事に表現している。曰く、「結婚で大事なのは、生活を続けられるサステナビリティ(持続可能性)でしょう。恋愛みたいな一過性の楽しみは、学生時代に済ませたから、必要ないんです」。「オシャレなレストランに詳しい男性は、結婚後に浮気するし、冷蔵庫の余り物でこどものご飯を作る能力もない。“恋愛力”なんて(結婚に)邪魔なだけ」。つまり、恋愛と結婚のニーズは180度違うというわけだ。

 かくして著者は、恋愛結婚の終焉を宣言する。曰く――そろそろ私たち大人がロマンティック・ラブの形骸化を認め、結婚と恋愛を切り離し、「結婚に恋愛は要らない」と若者に伝えてあげませんか?また結婚相手を決めかねている男女にも、「不要な『情熱』にこだわらず、互いを支え合える『よい友達』を探せばいいんだよ」と教えてあげませんか?――と。

 トレンド評論家の著者が、社会学、歴史学、進化人類学、行動経済学といった諸学問を渉猟してさまざまなネタを繰り出しながら、恋愛結婚という昭和の遺産からの脱却を説く本書は、軽そうで重く、浅そうで深い、実に味わいのある一冊に仕上がっている。

(牛窪 恵 著、光文社新書 刊、税込1034円)

ちなみに、この牛窪恵さん、かつて拙著『働く女子の運命』を地方紙で書評していただいたことがあります。今回はそのときのお礼を兼ねて。

 

 

 

 

 

第28回 厚生政策セミナー「時間と少子化」は明日です

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2023年12月 1日 (金)

なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?@鈴木恭子

Suzuki_k JILPTのリサーチアイに、鈴木恭子さんが「なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?」という大変興味深いエッセイを寄稿しています。

最近、政府から学者までみんなウェルビーイングウェルビーイングと口にしますが、はてその意味は?と考えると、いろいろと問題が孕まれているようです。

冒頭のところだけコピペしますので、その続きは是非リンク先で読んで下さい。

JILPTリサーチアイ 第79回 なぜWell-beingを「幸せ」と訳すのでは足りないか?

1. 「崖っぷち」にある日本のWell-being

Well-beingは生活の質をあらわす概念として、こんにち各国の公共政策において重要な位置を占める。日本でも近年、学術的な議論や政策の場に限らず、企業経営やマスメディアで「ウェルビーイング」という言葉を広く目にするようになった。本稿では労働との関連において、Well-beingという概念をどのように理解し位置づけるべきかを論じたい。・・・・

2. 「主観的ウェルビーイング」が好きな日本

3. 本人が満足していればそれで良いか

4. Well-beingで「企業中心社会」をおりる

(参考)

なお、本ブログでは4月に鈴木恭子さんのこの論文も紹介しておりました。

鈴木恭子「労働に「将来」を読み込む思考はどう構築されたか」@『社会政策』第14巻第3号

社会政策学会の学会誌『社会政策』の第14巻第3号に掲載されている投稿論文、鈴木恭子「労働に「将来」を読み込む思考はどう構築されたか:工場法制定過程におけるジェンダーの差異化」は、恐らく多くの読者にとって思いもよらぬ視角からの論文で、いくつも考えさせられる点を発見できるのではないかと思われます。

2020年には、

『日本労働研究雑誌』2020年4月号(No.717)

あと、論文Todayで鈴木恭子さんが「消えた格差─ジェンダー・バイアスが「存在すること」と「見えること」のあいだ」という興味深い紹介をしていますが、その鈴木さんが、『大原社会問題研究所雑誌』の本日刊行の4月号でも、「労働組合の存在と正規雇用の賃金との関連-かたよる属性、差のつく賃金カーブ、広がる年齢内格差」という力のこもった論文を書かれていて、大活躍です。大御所揃いの今号で数少ない若手の文章も是非。

 

 

 

 

2023年11月30日 (木)

牛窪恵『恋愛結婚の終焉』@労働新聞書評

2d9c2dd009c19a459694cd5f3bc32e57246x400 月イチで連載している『労働新聞』の書評、今回は牛窪恵さんの『恋愛結婚の終焉』(光文社新書)です。

【書方箋 この本、効キマス】第44回 『恋愛結婚の終焉』牛窪 恵 著/濱口 桂一郎

 岸田文雄首相が「異次元の少子化対策」を打ち出しても、人口減少の流れは一向に止まらない。結婚した夫婦の子育て支援に精力を注入しても、そもそも若者が結婚したがらない状況をどうしたら良いのか。この袋小路に「恋愛と結婚を切り離せ!」という衝撃的なメッセージを叩き込むのが本書だ。

 でも考えてみたら、なぜこのメッセージがショッキングなのだろう。20世紀半ばまでの日本では、恋愛結婚は少数派で、大部分はお見合いで結婚に至っていたはずなのに。

 そこで著者が元凶として指摘するのが、近代日本に欧米から導入され、戦後開花したロマンティック・ラブ・イデオロギーだ。結婚には恋愛が前提条件として必要だという、恋愛と結婚と出産の聖なる三位一体が、結婚のあるべき姿として確立し、歌謡曲の歌詞や恋愛小説を通じて若者たちの精神を調教してきた。恋愛なき結婚などというのは、薄汚い計算尽くの代物のようにみなされてきた。戦後社会論の観点からすると、このイデオロギーが会社における社員の平等と家庭における主婦の平等を両輪とする戦後型性別役割分業体制の基礎構造をなしてきたのだろう。

 実際、昭和の歌謡曲は、男が「俺についてこい」と歌い、女が「あなたについていくわ」と歌うパターンがやたらに多い。そういうのを褒め称える歌を、みんなが歌っていたわけだ。

 ところが、今日の若者にとって、恋愛はそんなに望ましいものではなくなってきているようだ。恋人がいるという男女が減少しただけでなく、恋人が欲しいという男女も激減しているのだ。にもかかわらず、今日の若者たちは「恋人はいらない」、「恋愛は面倒」と考えながら、いずれ結婚はしたいと思い、そして結婚するなら恋愛結婚でなければならないと思い込んでいる。

 そこで、「恋愛と結婚を切り離せ!」というメッセージになるわけだ。そもそも、恋愛と結婚は一体どころか相反する性格のものなのではないか……と。

 そのあたりの感覚を、20歳代半ばの2人の女性の言葉が見事に表現している。曰く、「結婚で大事なのは、生活を続けられるサステナビリティ(持続可能性)でしょう。恋愛みたいな一過性の楽しみは、学生時代に済ませたから、必要ないんです」。「オシャレなレストランに詳しい男性は、結婚後に浮気するし、冷蔵庫の余り物でこどものご飯を作る能力もない。“恋愛力”なんて(結婚に)邪魔なだけ」。つまり、恋愛と結婚のニーズは180度違うというわけだ。

 かくして著者は、恋愛結婚の終焉を宣言する。曰く――そろそろ私たち大人がロマンティック・ラブの形骸化を認め、結婚と恋愛を切り離し、「結婚に恋愛は要らない」と若者に伝えてあげませんか?また結婚相手を決めかねている男女にも、「不要な『情熱』にこだわらず、互いを支え合える『よい友達』を探せばいいんだよ」と教えてあげませんか?――と。

 トレンド評論家の著者が、社会学、歴史学、進化人類学、行動経済学といった諸学問を渉猟してさまざまなネタを繰り出しながら、恋愛結婚という昭和の遺産からの脱却を説く本書は、軽そうで重く、浅そうで深い、実に味わいのある一冊に仕上がっている。

(牛窪 恵 著、光文社新書 刊、税込1034円)

ちなみに、この牛窪恵さん、かつて拙著『働く女子の運命』を地方紙で書評していただいたことがあります。今回はそのときのお礼を兼ねて。

 

 

 

 

2023年11月29日 (水)

スウェーデンモデルが危ない!

Ftcms_26e63759743c4171bcb6febc5362fa91 スウェーデンで大騒ぎになっているテスラのストライキですが、テスラ相手にストライキを打ってる最大労組IFメタルのニルソン会長がフィナンシャルタイムズに登場して、誉れあるスウェーデンモデルを守れ!と訴えています。

Union chief warns of Tesla threat to Sweden’s model

Marie Nilsson, the head of the IF Metall union behind the strike against Tesla, told the Financial Times that the famed Swedish model — developed in the 1930s — was at the heart of the country’s prosperity, with employers and unions taking joint decisions on the labour market.
“If you look at this in a long-term perspective, it could be a threat to the Swedish model. It’s really important for us,” she added.

テスラ相手にストライキを打っている労組IFメタルの会長マリ・ニルソンは、フィナンシャルタイムズ紙に、1930年代に発展した誉れあるスウェーデンモデルは、この国の繁栄の根幹にあり、使用者と組合が労働市場について共同で決定するものだと語る。「長期的な観点から見れば、今回の事態はスウェーデンモデルへの脅威です。これは我々にとって本当に重要なのです」

Postal workers’ refusal to deliver registration plates for new Tesla cars led the US carmaker to file twin lawsuits against the Swedish state and postal service on Monday asking judges to allow it to collect the licence plates directly from the Swedish Transport Agency. Musk, Tesla’s chief executive, had called the postal workers’ actions “insane” on Friday.
Tesla scored an initial victory when it won an interim judgment on Monday forcing the state to allow the carmaker to collect the registration plates for its new cars directly from the agency. 
However, in its separate case against the national postal service, the carmaker suffered a setback on Tuesday when a separate Swedish court ruled that it could not gain immediate access to any registration plates held by PostNord. The postal company will have three days to respond to Tesla’s arguments before the court makes a decision.

郵便労働者がテスラの新車のナンバープレートを配達するのを拒否したことで、米自動車会社は月曜日にスウェーデンの政府と郵便サービスを相手取って2つの訴訟を提訴し、スウェーデン運輸庁から直接ナンバープレートを入手できるように求めた。テスラのマスクCEOは金曜日に郵便労働者の行為を「正気じゃねえ」と呼んだ。

テスラは月曜日、ナンバープレートを直接運輸庁から入手できるという仮判決を勝ちとり、第一勝を挙げた。

しかしながら、郵便サービスに対する別の訴訟では火曜日に頓挫し、別のスウェーデンの裁判所は北欧郵便のもとにあるナンバープレートに直ちにアクセスすることはできないと判示した。

本ブログでも何回も述べてきましたが、誉れあるスウェーデンモデルにとって、テスラもけしからんし、EUの最低賃金指令も許せない代物です。

Nilsson said one big threat to the Swedish model was a new EU directive on the minimum wage, which would impose a level rather than leaving it to an agreement between employers and unions.

ニルソンが言うには、スウェーデンモデルへの大きな脅威の一つはEUの最低賃金指令で、使用者と組合の間の協約に委ねることなく一定の水準を強制しようとする。

スウェーデンモデルにおいては、賃金であれ何であれ労働にかかわるすべては労働協約で決めるべきであって、国家が介入するべきではないからです。

“If Tesla shows it’s possible to operate in Sweden without a collective agreement, then other companies could be tempted to do the same. We have a successful model in Sweden. We have tried to explain it. It’s very seldom this type of conflict arises,” Nilsson added.

「もしテスラが、スウェーデンで労働協約なしに操業することができるということを示したら、ほかの会社も同じことをやろうとするでしょう。我々はスウェーデンに成功したモデルを持っています。我々はそれを説明しようとしました、こんな類いの紛争が起こるのは滅多にないことなのです」とニルソン。

 

 

 

 

2023年11月28日 (火)

テスラがスウェーデン運輸庁と北欧郵便を提訴

11802357e1701148866184800x450 イーロン・マスクが自分のことを棚に上げて「正気の沙汰じゃねえ」と非難したスウェーデンの同情ストライキ騒ぎですが、テスラは労働組合がナンバープレートの郵送を拒否している北欧郵便と、その監督官庁である運輸庁を、スウェーデンの裁判所に訴えたようです。

Tesla takes legal action against Sweden over licence plate boycott

Tesla has decided to sue the Swedish Transport Administration and Postnord over the ongoing strike by IF Metall and other unions in Sweden, which has prevented the car giant from obtaining licence plates for its cars.

テスラはIFメタルと他のスウェーデン労組による現在進行中のストライキに関して、その車のライセンスプレートを入手することを妨げているとして、スウェーデン運輸庁と北欧郵便を訴えた。

話はますます面白くなってきました。スウェーデンの裁判所がテスラを勝たせるとは思えませんが、その上に行くとどうなるかわかりません。

これは、もしかしたらラヴァル事件再びか?とも思ったのですが、テスラはEU域内の会社じゃないので、EU運営条約違反にはならないような気もします。そこのところは、EU法の専門家の意見を聞く必要がありそうです。

 

 

 

 

鈴木安名『採用面接等におけるストレス脆弱性検討と手法』

_pdf 鈴木安名『採用面接等におけるストレス脆弱性検討と手法』(労働開発研究会)をお送りいただきました。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/book_list/11332/

「なぜ職場のメンタル不調者が増えているのか?」
多くの人事担当者が悩む問題について、さまざまな職場事例に接した筆者が「果たして職場ストレスだけで発病するのか?」という問題意識のもと、職場ストレスとは別の原因、すなわち若年者の一部に共通するある種の「脆弱性(ストレス耐性が低いこと)」について分析し、人事労務管理上の対策を解説!
 採用面接や育成、評価、コミュニケーションでの具体的ノウハウ、役立つヒントなどをわかりやすく解説した他に類を見ない一冊です。職場での問題に取り組む人事担当者をはじめ、現代の若手人材を理解したい皆様にも広くおすすめいたします。

鈴木さんの考えでは、メンタル不調は職場のストレスだけではなく、本人のストレス脆弱性も重要な要因なのに、メディアの報道等によってややもするとストレス脆弱性が軽視されがちであり、そこにもっと関心を向けられるべきなのです。本書に引用されている多くの事例を見ると、確かに上司や回りにはどうしようもないストレス脆弱性全開の人々がけっこう多いようです。

ケース4 すすり泣く新人

 ある小売会社の経理部門に入社した新人です。10月のある日、たまたま課長が出張になったため、部長が部下たちの仕事をチェックしていました。ある男性の新人が定型的な書類の入力をしていたのですが、ファイルを間違えていたそうです。新人にはよくあることと思い、部長は「〇〇さん、入力する書類が違っているよ。別の〇〇〇というファイルを使って下さい」と特に感情を交えず伝えました。するとその場ですすり泣き始めた。子どもでいえば「えーん、えーん」というイメージです。とりあえずなだめていると、程なく泣き止みました。部長は間違いを指摘しただけで“すすり泣く”新人に、「自分のどこが悪かったのか?別に叱責したわけでもないし・・・ともかく恥ずかしくないのか?」と大変当惑したそうです。

 

 

労働図書館企画展示「労働組合機関紙の世界」

JILPT一階にある労働図書館では、明日から企画展示「労働組合機関紙の世界」を行います。

https://www.jil.go.jp/lib/exhibition/fy2023/2023_session2_poster.pdf

Kikaku

なお、前回の企画展示「千束屋看板と豊原又男」に関わって、来年1月16日に特別イベントとして、入船亭扇治師匠による、千束屋の出てくる落語の独演会をやります。

Rakugo

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ロボ解雇

25d433537f2be7c330d08c3e1bfb3e9c800x EUobserverに、「Platform workers could face 'robo-firing' under EU's AI rules」(プラットフォーム労働者はEUのAI規則の下で「ロボ解雇」に直面するぞ)という記事が載っています。

Platform workers could face 'robo-firing' under EU's AI rules

中身は、一昨年提案されたEUのプラットフォーム労働指令案について、理事会での議論がもっぱら労働者性の問題(どういう要件を充たせば労働者として認めるか)にばかり集中していて、アルゴリズムによるマネジメントの問題点にはほとんど議論されていないことに、欧州労連が異議を呈しているという記事なのですが、その中に「robo-firing」(ロボ解雇)というなにやら怪しげな新語が登場しています。

 According to the ETUI researcher, the text under negotiation could create ambiguity on the processing of personal data by the platform and would violate the GDPR by including the use of so-called 'robo-firing' — the dismissal of workers by automated decision-making systems.

欧州労研の研究員によれば、交渉中のテキストはプラットフォームによる個人データ処理に関して曖昧さを生み出し、いわゆる「ロボ解雇」-自動的な意思決定システムによる労働者の解雇の利用を含むことにより一般個人データ規則を侵犯しうる。

 

 

2023年11月27日 (月)

山越誠司『学び直しで「リモート博士」 : 働きながら社会人大学院へ』

0d40a5e4a645fc6b96e767d64ac0878e3 山越誠司『学び直しで「リモート博士」 : 働きながら社会人大学院へ』(アメージング出版)という本をお送りいただきました。

http://www.amazing-adventure.net/remote-hakase/

本書は、社会人が博士号を取得することを提言する内容になっています。簡単なことではありませんが、学び直しの一環で非常に使い道のある制度が大学院の博士課程です。博士号取得のプロセスを通じて、圧倒的な強みを確立する、そして他者と自分の居場所をズラして生きることができます。競争ではありません。
ビジネスの世界でも学術の世界でも同じです。競争をする技術やノウハウを学び実践するのではなく、自分だけのオンリーワンの分野を確立し、他者と協働するというのが目標です。その点、博士号を「道しるべ」とすることができます。
本書は、著者の体験談も含めて書かれていますが、できるだけ多くの方に参考となるよう普遍化した内容で構成されています。そして、博士号を取得する目的、失敗談、進学した経緯、博士課程のあり方、論文の書き方など、かなり幅広い内容となっていますが、混沌とした時代に、多くの方が自信をもって快活に生きていくための参考としていただければ幸いです。

この方の専門は損害保険等の金融サービスのようで、わたくしがコメントする内容ではないのですが、本書の中に拙著からの引用があります。ただ、その「ジョブ型人材で業界に所属する」のところでは、

濱口一郎『若者と労働』(中公新書ラクレ、2013年)によると、日本型労働市場を「メンバーシップ型」と呼び、欧米型労働市場を「ジョブ型」と呼んでいます。・・・

そもそも、メンバーシップ型、ジョブ型とは、必ずしも「労働市場」に限った話でもないのですが、それはまあいいとして、わたくしの氏名と著書名がいずれも少しずつ違っているようです。

 

 

 

 

 

鎌田耕一・長谷川聡編『フリーランスの働き方と法』

2473004001 鎌田耕一・長谷川聡編『フリーランスの働き方と法―実態と課題解決の方向性』(日本法令)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.horei.co.jp/iec/products/view/3294.html

 令和6年施行のフリーランス新法を網羅!
働き方の特徴や現状を整理しながら、個別問題について掘り下げ、方施策のあるべき姿を提示する。
フリーランスとして働く人は年々増加していますが、労働関係法制の適用がなく、報酬や待遇、業務災害に対する保護が与えられていないことが問題となっています。
そこで、今年4月にフリーランスの保護を目的とした新法が成立しました。
本書は、フリーランスの実態と特徴を踏まえて問題点を整理し、新法を含むフリーランスに係る関係法令の適用について解説します。
また、個別の課題に関する法政策のあり方について検討します。

というわけで、フリーランス新法の解説は100頁ほどで、下記目次にあるように、実に様々な法的観点からこの問題を論じています。

第1部 フリーランスをめぐる法政策の現状
 第1章 フリーランス 働き方の特徴と課題
 第2章 フリーランス新法の目的と内容
第2部 フリーランス保護の個別的課題
 第1章 フリーランスの法的地位について~労働基準監督行政における課題と対応を中心に~
 第2章 フリーランスの契約と民法ルール
 第3章 フリーランスと経済法(独禁法・下請法・フリーランス新法)
 第4章 フリーランスの報酬の支払確保と最低報酬規制
 第5章 フリーランスの安全衛生政策
 第6章 労災保険特別加入・医療保険
 第7章 フリーランスに対するハラスメント防止とワーク・ライフ・バランスの実現に向けて
 第8章 プラットフォームとフリーランス保護
 第9章 フリーランスの仕事の喪失時における所得保障制度の構築に向けた課題
第3部 フリーランスの実態と課題 
 第1章 フリーランス・トラブル110番の活動から
 第2章 文化芸術分野におけるフリーランスの実態と課題
第4部 まとめ フリーランス保護の未来
 第1章 各章の概要と相互関係
 第2章 フリーランス保護の未来
第5部 資 料 

 

2023年11月26日 (日)

今朝の朝日新聞「(フォーラム)60歳の崖」で二番煎じ茶

今朝の朝日新聞「(フォーラム)60歳の崖」に登場していますが、中身は11月8日の「耕論」の二番煎じ茶です。

(フォーラム)60歳の崖

 ■「同じ仕事なのに」年齢が生む格差と分断 60歳記者の実感
 今年4月に60歳になった。会社の給与制度は頭ではわかっていたものの、「60歳後」の最初の給与明細はやはり衝撃だった。仕事は同じなのにここまで下がるのか、というのが率直な感想だ。
 アンケートでも、60歳以降に給与が減ることについての意見は、「同じ仕事なのに給与が下がるのはおかしい」という内容が圧倒的に多い。さすがに雇用慣行として無理があるのではないか。
 そんな疑問を労働政策研究者の濱口桂一郎さんにぶつけると、「仕事が同じかどうかは関係ないんです」という答えが返ってきた。「日本の正社員の給与は、仕事の量や質ではなく、年齢や勤続年数といった『ヒト基準』で決まっています。仕事と給与がリンクしていないんです」
 確かに仕事量でいえば、40歳くらいのときが一番働いていた気がするが、当時が最も給与が高かったわけでもない。「ヒト基準」で給与が決まっていたのだから、「60歳から下がる」という「基準」が適用されても仕方がないというのもわからないではない。
 とはいえ、やはり釈然としない思いは残る。その背景には、高齢化による人手不足で60歳以降に求められる仕事量が増していることもあると思う。アンケートに「かつては半分隠居のような仕事しか期待されていなかった再雇用だが、現在は現役のときと変わらない働きを要求されている」という声があった。多くの人が感じていることではないだろうか。
 もちろん、60歳以降でも、誰もが不満だらけで働いているわけではないだろう。ベストセラー「ほんとうの定年後」の著者・坂本貴志さんは、データをもとに「60歳以降の仕事への満足度は、現役世代よりむしろ高い」と指摘している。給与は下がっても、仕事にやりがいを見いだし、生き生きと働く人は少なからずいるのだ。
 しかし今後、労働力不足がさらに深刻になれば、多くの人が65歳を超えて70歳過ぎまで働く時代が来るかもしれない。そのとき「60歳で給与が一気に減る」という世界的にも珍しい雇用慣行は、果たして持続可能だろうか。60歳から70歳まで低い給与で働く人たちが抱く不公平感は、さらに拡大するのではないかという気がする。
 正規雇用と非正規雇用の格差と分断については、多くの議論がされてきた。しかしいま、正規雇用で働いてきた人の間にも「年齢」による格差と分断が生まれ、大きくなりつつあることに、目を向けるべきなのかもしれない。
 (シニアエディター・尾沢智史)

 

 

2023年11月24日 (金)

「就職」概念の変更?

経済財政諮問会議から週20時間未満でも雇用保険を適用せよといわれて、一昨日(11月22日)の労政審雇用保険部会に案を示したようですが、

https://www.mhlw.go.jp/content/11601000/001169702.pdf

雇用労働者の中で働き方や生計維持の在り方の多様化が進展していることを踏まえ、従来適用対象とされてこなかった週所定労働時間20時間未満の労働者について、雇用保険の適用を拡大し、雇用のセーフティネットを拡げることとしてはどうか。

仮に週所定労働時間 10 時間以上まで適用拡大した場合は最大約 500 万人が、15 時間以上まで適用拡大した場合は最大約 300 万人が新規適用となると見込まれる。

この適用拡大は、実は意外なところにも影響を及ぼします。

現状、週所定20時間の労働者を基準に設定されている
① 被保険者期間の算定基準(※1)
② 失業認定基準(※2)
③ 賃金日額の下限額、最低賃金日額(※3)
等については、適用拡大の範囲に対応したものとして見直すこととしてはどうか。

このうち②は、あまり知られていないかも知れませんが、雇用保険制度上の「就職」概念を変更してしまうものです。というのも、現在の業務取扱要領では、

https://www.mhlw.go.jp/content/001151898.pdf

就 職 と は 雇 用 関 係 に 入 る も の は も ち ろ ん 、 請 負 、 委 任 に よ り 常 時 労 務 を 提 供 す る 地位 に あ る 場 合 、 自 営 業 を 開 始 し た 場 合 等 で あ っ て 、 原 則 と し て 1 日 の 労 働 時 間 が 4 時間 以 上 の も の ( 4 時 間 未 満 で あ っ て も 被 保 険 者 と な る 場 合 を 含 む 。 ) を い い 、 現 実 の収 入 の 有 無 を 問 わ な い 。
自 己 の 労 働 に よ る 収 入 と は 就 職 に は 該 当 し な い 短 時 間 の 就 労 等 ( 「 以 下 「 短 時 間 就労 」と い う 。)に よ る 収 入 で あ り 、原 則 と し て 1 日 の 労 働 時 間 が 4 時 間 末 満 の も の( 被保 険 者 と な る 場 合 を 除 く 。 ) を い う ( 雇 用 関 係 の 有 無 は 問 わ な い ) 。 

と、1日4時間未満の就労は「就職」に非ずして自己の労働による収入なり、という扱いをしているのですが、そういうわけにはいかなくなるからです。仮に週所定10時間以上に適用拡大するとしたら、比例的に、1日2時間働けば「就職」にあたるとしなければならないでしょう。

これは、週10~20時間の拡大される短時間労働者だけの話ではなく、フルタイムも含むすべての労働者が失業した場合に、1日2時間だけでもプチアルバイトしたら、お前は「就職」しただろう、だから失業認定できないぞ、といわれてしまうということを意味します。公平原則からいって当然そうなります。

これは結構影響が大きいように思われます。「就職」と就職に当たらない自己の労働による収入とでは、次のように扱いが異なります。

失 業 の 認 定 を 受 け る べ き 期 間 中 に お い て 受 給 資 格 者 が 就 職 し た 日 が あ る と き は 、 就職 し た 日 に つ い て の 失 業 の 認 定 は 行 わ な い 。
ま た 、 そ の 期 間 中 に 自 己 の 労 働 に よ っ て 収 入 を 得 た 場 合 に は 、 そ の 収 入 の 額 に 応 じて 基 本 手 当 等 の 支 給 額 を 減 額 す る 場 合 が あ る 。

ハローワークの窓口では、かなりめんどくさいトラブルがあちこちで起こりそうではあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

家政婦の平均年齢68.9歳@『労務事情』

B20231201  『労務事情』12月1日号に、「家政婦の平均年齢68.9歳」を寄稿しました。

https://www.e-sanro.net/magazine_jinji/romujijo/

 昨年9月29日の家政婦過労死事件の東京地裁判決は大きな反響を呼び、私も今年7月には『家政婦の歴史』(文春新書)を上梓したところです。政府も何らかの対応を迫られ、労働政策研究・研修機構に調査の要請を行いました。その調査結果が、去る8月1日の労政審労働条件分科会に示され、9月14日には『調査シリーズNo.230 家事使用人の実態把握のためのアンケート調査』として、JILPTのホームページにアップされています。・・・・

 

これがスウェーデン流のストライキ

Photo_20231124124701 イーロン・マスクがスウェーデンのテスラ社に対する全面ストライキに「正気の沙汰じゃねえ」と口走っているようですが、いやいやテスラ社の工場のストライキに港湾労働者から郵便局の職員までが同情ストを展開するのが、スウェーデンという国の国柄というものなんです。アメリカみたいに企業中心社会ではないので。

久しぶりにフィナンシャルタイムズから。

Tesla strikes in Sweden are ‘insane’, says Elon Musk

An escalating strike against Tesla by a group of Swedish unions has been branded “insane” by Elon Musk as the industrial action threatens to disrupt the US carmaker’s operations in other parts of Europe.

About 130 mechanics in Sweden, who belong to the IF Metall union and service the electric cars, went on strike last month after Tesla turned down their request for collective bargaining.

Dockworkers and car dealers have since refused to work with the brand, in sympathy strikes that threaten to harm the company’s business in Sweden and potentially further afield. The latest strike by postal workers means Tesla cars will not have their licence plates delivered to customers.

Musk, Tesla’s chief executive and a staunch critic of unionisation, wrote that the situation “is insane”, in a post on the X social media platform he owns.

Tesla has avoided collective bargaining in its global operations despite opening a factory in Germany, where auto unions are powerful.

“This has been a huge cultural shock to Elon,” said Matthias Schmidt, an independent European auto analyst. “He has gone out of his way to avoid unionisation, but this is a huge wake-up call.” 

郵便局の配達人が、テスラのナンバープレートの配達だけは拒否するというご丁寧な部分的同情ストライキをするというのは、日本はもとより、アメリカでも異様に感じられるでしょうが、でもスウェーデンではごく当たり前のことなのです。

とにかく組合なんて認めねえぞと、組織率8割の北欧にやってきて、団体交渉を拒否したりしたら、不当労働行為制度などというお上頼りの情けないものはなく、自力で、ということはつまり労働組合の総力を挙げて、そういうふざけた使用者は叩き潰す、というのがスウェーデンの労使関係システムなのであってみれば、まさにあらゆる産業に及ぶ労働組合の総力を挙げて、こういう行動に出るのが、スウェーデン流のストライキというものなわけです。

労使関係がお上頼りではなく自力救済ということは、つまりそういうことなのですから。

ミドルレンジ外国人労働者問題@WEB労政時報

WEB労政時報に「ミドルレンジ外国人労働者問題」を寄稿しました。

ミドルレンジ外国人労働者問題

 外国人労働者問題といえば、過去30年以上にわたってその焦点はもっぱらローエンド外国人労働者でした。とりわけ、現在法務省の外局である出入国在留管理庁の「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」(座長:田中明彦氏)で議論が進められ、もうすぐ結論が出て来年早々にも入管法の改正案が国会に提出されると見込まれている技能実習制度は、日本人非正規労働者を代替する有期低賃金労働力として長く活用されてきました。人権侵害の原因と指摘され続けてきた転籍制限についても、10月に示された最終報告書のたたき台では“1年経過+日本語試験合格で転籍可とする”という方向性が示されていますが、当分、外国人労働者を巡る議論は技能実習制度に代わる新たな制度の在り方に集中すると思われます。
 
 しかしながら、恐らく読者の多くにとって意外なデータではないかと思うのですが、現在日本で就労している外国人労働者の在留資格別人数(出入国在留管理庁の公表値)を見ると、・・・・・

 

2023年11月22日 (水)

ジョブ型雇用社会への小さな一歩?@『労基旬報』2023年11月25日号

『労基旬報』2023年11月25日号に「ジョブ型雇用社会への小さな一歩?」を寄稿しました。

 もうかなり前のことなので記憶から薄れつつあるかもしれませんが、今年の3月30日に、労働条件の明示に係る労働基準法施行規則の改正が行われました。また、今年の6月28日には募集時の労働条件明示に係る職業安定法施行規則の改正も行われています。これら改正省令はいずれも来年2024年4月1日から施行されることになっています。こうした改正がどういう流れで導入されることになってきたのかをごく簡単に振り返ってみましょう。
 まず、2012年末の総選挙で自由民主党が大勝し、第2次安倍晋三内閣が成立してすぐの2013年1月に規制改革会議が設置され、同年3月には雇用ワーキンググループが置かれました。同WGが示した検討項目には、解雇規制の項とは別立てで「勤務地や職務が限定された労働者の雇用に係るルールを整備することにより、多様で柔軟な働き方の充実を図るべきではないか」とあり、これがその後同WGでの議論の焦点となりました。同年5月の同WG報告や、同年6月の規制改革会議答申では、これがジョブ型正社員という名称で取り上げられ、無期雇用、フルタイム、直接雇用だけでなく、職務、勤務地、労働時間(残業)が無限定な日本の正社員のあり方を改革し、職務、勤務地、労働時間が特定されているジョブ型正社員に関する雇用ルールの整備を行うことを提起していました。ところが、同WGでの議論では、これが解雇しやすい労働者の創設という文脈で議論された面もあり、野党や労働組合から批判を浴びることとなったのです。
 同年6月の「日本再興戦略」では、この問題について「職務等に着目した『多様な正社員』モデルの普及・促進を図るため、成功事例の収集、周知・啓発を行うとともに、有識者懇談会を今年度中に立ち上げ、労働条件の明示等、雇用管理上の留意点について来年度中のできるだけ早期に取りまとめ、速やかに周知を図る。これらの取組により企業での試行的な導入を促進する」としています。これを受けて、2013年9月には厚生労働省に「多様な正社員」の普及・拡大のための有識者懇談会(学識者10名、座長:今野浩一郎)が設置され、制度導入のプロセス、労働契約締結・変更時の労働条件明示のあり方、労働条件のあり方、いわゆる正社員との均衡のあり方、相互転換制度を含むキャリアパスなど、多様な正社員の雇用管理上の留意点について調査検討を行うこととされました。
 同懇談会の報告書は2014年7月に取りまとめられましたが、勤務地限定正社員、職務限定正社員、勤務時間限定正社員それぞれについて、効果的な活用が期待できるケースを示し、労働者に対する限定の内容の明示、事業所閉鎖や職務の廃止等への対応、転換制度、均衡処遇などについて具体的な提言を行っています。このうち解雇に関しては、事業所閉鎖や職務廃止の際に直ちに解雇が有効となるわけではなく、解雇法理の適用において、人事権の行使や労働者の期待に応じて判断される傾向があるとしています。こうして1回目の政策回路は非法令的な形で終わったわけです。
 一方、内閣府の規制改革会議は2016年9月から規制改革推進会議となり、2019年5月に「ジョブ型正社員(勤務地限定正社員、職務限定正社員等)の雇用ルールの明確化に関する意見」を公表し、同年6月の第5次答申に盛り込まれました。ここでは、「我が国においては、労働契約の締結時に、詳細な労働条件について明確な合意がなされないことがあり、企業の包括的な指示のもとで、自身の労働条件が曖昧なまま働いている労働者は少なくない」という認識に基づき、ジョブ型正社員の雇用ルールの明確化を求めています。具体的には、勤務地限定正社員や職務限定正社員等を導入する企業に対し、勤務地(転勤の有無を含む。)、職務、勤務時間等の労働条件について、労働契約の締結時や変更の際に個々の労働者と事業者との間で書面による確認が確実に行われるよう、①労働基準関係法令に規定する使用者による労働条件の明示事項について、勤務地変更(転勤)の有無や転勤の場合の条件が明示されるような方策、②労働基準法に規定する就業規則の記載内容について、労働者の勤務地の限定を行う場合には、その旨が就業規則に記載されるような方策、③労働契約法に規定する労働契約の内容の確認について、職務や勤務地等の限定の内容について書面で確実に確認できるような方策、等を求めているのです。
 その後2021年3月になって、厚生労働省は多様化する労働契約のルールに関する検討会(学識者7名、座長:山川隆一)を設置して、有期契約労働者の無期転換ルールの見直しと多様な正社員の雇用ルールの明確化等の検討を開始しました。翌2022年3月に同検討会は報告書をとりまとめました。そこでは多様な正社員の雇用ルールとして、予見可能性の向上等の観点から、多様な正社員に限らず労働者全般について、労働基準法第15条による労働条件明示の対象に就業場所・業務の変更の範囲を追加すること、変更を巡る紛争の防止等に資するよう、労働条件の変更時も第15条による労働条件明示の対象とすること、労働契約締結時に書面で明示することとされている労働条件が変更されたとき(①就業規則の変更等により労働条件が変更された場合及び②就業規則等の変更の範囲内で業務命令等により変更された場合を除く。)は、変更の内容を書面で明示する義務を課す措置が提示されています。
 この報告書を受けて、同年4月から労働政策審議会労働条件分科会(公労使各8名、分科会長:荒木尚志)でこの問題の審議が始まり、同年12月に「今後の労働契約法制及び労働時間法制の在り方について」報告が取りまとめられました。これに基づき、今年2月に省令と告示の改正が同分科会にかけられ、概ね妥当との答申を受けて、今年3月に省令と告示の改正が行われたわけです。
 これにより、労働基準法第15条の労働条件明示義務の対象事項を定めた労働基準法施行規則第5条第1項第1号の3の「就業の場所及び従事すべき業務に関する事項」に、「(就業の場所及び従事すべき業務の変更の範囲を含む)」という括弧書きが追加されました。もっとも、上記報告では多様な正社員に限らず労働者全般について、労働契約の内容の変更のタイミングで、労働契約締結時に書面で明示することとされている事項については、変更の内容をできる限り書面等により明示するよう促していくことが適当と書かれていましたが、労働条件変更時の明示義務については見送られ、引き続き検討とされました。これは、労働条件分科会の審議において、使用者側から、変更の範囲は人材の確保等に影響しうるため記載の仕方に細心の注意を払う必要があり、労働条件締結時と労働条件変更時の明示義務を同時に行うと企業の負担が大きいという意見が出されたためです。規制改革推進会議が望むジョブ型雇用ルールは、企業側にとってはあまり望ましいものではないという状況が窺われます。
 なお、これを受けて職業安定法第5条の3の募集時の労働条件明示義務の対象事項を定める職業安定法施行規則第4条の2第3項も今年6月に改正され、労働者の募集や職業紹介事業者が職業紹介を行う場合等において、求職者等に対して明示しなければならない労働条件として、同項第1号の「労働者従事すべき業務の内容に関する事項」に「(従事すべき業務の内容の変更の範囲を含む)」という括弧書きが追加され、また第3号の「就業の場所に関する事項」に「(就業の場所の変更の範囲を含む)」という括弧書きが追加されました。
 これらは、メンバーシップ型雇用社会の根本原理としての職務や配置の無限定性を闡明した東亜ペイント事件最高裁判決や日立製作所武蔵工場事件最高裁判決をひっくり返すようなものではもちろんありませんが、そのごくごく一部とはいえ、職務や配置の限定性をデフォルトルールとするような発想を導入したものとみることもでき、その意味ではジョブ型雇用社会への小さな一歩と評することもできるかもしれません。いずれにしても、既に締結された労働契約には適用されるわけではなく、来年4月1日以後の労働契約に適用される規定ですので、まずは気長に見守っていくべきでしょう。

 

2023年11月16日 (木)

規制改革推進会議で自爆営業に対する規制が議論

昨日(11月15日)の規制改革推進会議の働き方・人への投資ワーキンググループで、いわゆる自爆営業の問題が取り上げられたようです。

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/wg/2310_03human/231115/human01_agenda.html

事務局の提出した資料には、全部で21の自爆営業の事例が載っています。

https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/wg/2310_03human/231115/human02_05.pdf

近年(2020 年以降)発生及び報道された自爆営業の事案について、報道や有識者からヒアリン
グした情報を元に、事務局が、自爆営業の態様や業態をもとに類型化し、整理した。
また、事務局が有識者(弁護士、社会保険労務士、労働法研究者等)からの意見を元に、各事
例の法的な整理についての意見を記載した。
これらの事例においては、使用者としての立場を利用して、従業員に不要な商品の購入を強
要する実態が散見され、これらの強要行為等のなかには、労働基準法違反、パワーハラスメント、
民法上の不法行為や公序良俗違反となる可能性がある行為もある。
ただし、自爆営業の実態そのものが体系的に整理・把握されておらず、それらの行為の法律
上の位置づけや違法性の判断基準等も必ずしも明確にされていないことや、民法上の不法行為
や公序良俗違反となる場合であっても立証が困難であることや行政上の制裁がないことから、現
実的な救済につながることは少なく、実態として放置されてきたと考えられる。
【自社商品購入要求】
(中古車販売店)
■事例1 入社時の半強制的な車の購入・保険の加入
■事例2 口頭での自動車の購入要求
(農協)
■事例3 自動車購入や共済加入の念書署名
(コンビニ)
■事例4 外国人労働者への季節商品の購入の強要
(飲食店
■事例5 注文ミスや作り間違えをした料理の購入
(アパレル)
■事例6 制服の購入の強制
【営業ノルマ未達分の買取要求】
(中古車販売店)
■事例7 自動車保険の自腹契約.
(農協)
■事例8 年 100 万円以上の共済等の自腹契約
■事例9 不必要な共済を労働者やその家族が自腹で契約
■事例 10 様々な商品の物販ノルマ達成のための自腹契約
(自動車販売店)
■事例 11 自爆営業による自己破産
(コンビニ)
■事例 12 食品ロスに係る廃棄コストの負担や仕入れノルマ達成のための自爆英領
■事例 13 収入印紙の自爆営業
■事例 14 アルバイトへの売れ残り商品の購入の強要
(飲食店)
■事例 15 大手回転寿司チェーン
(食品販売)
■事例 16 季節商品等の自爆営業
(アパレル)
■事例 17 制服の購入の強制と販売ノルマ達成のための自爆営業
(郵便局)
■事例 18 年賀はがきの自爆営業
■事例 19 本人や家族の保険加入
(エステサロン)
■事例 20 エステのコースの買取
(薬局)
■事例 21 ドラッグストア店舗の販売ノルマ未達成時の買取

また、弁護士の佐々木亮さん、POSSEの坂倉昇平さん、労働法学者の島田陽一さんがそれぞれに資料を出しています。どうでもいいことですが、佐々木さんの資料にはこの顔マークがちゃんと載っていました。

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厚生労働省からは、労基法16条、24条との関係やパワハラについての資料が、自爆営業やっているといわれている業界の監督官庁からもそれぞれ資料が出ていますね。

 

 

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